12 スピーと病床の少女

 ――カラン、カラン。

 俺がセル治療院のドアを開けると、扉の内側のドアベルが鳴り響く。

「こんにちは~」
 明るく挨拶をしながら中に入ると、そこはベンチの並んだロビーになっていて、60才くらいの白衣を着た男性が、白衣を着た若い看護婦さんとともに何かを話し込んでいた。おそらくいている時間なんだろう。待合い室と思われるそこには患者さんの姿は見えなかった。

「おや、患者さんかい。見たところ冒険者かな。……怪我はなさそうだな。お腹でもこわしたかい?」

――セル・ブライト――
 種族:人間族 年齢:63才
 職業:治療院院長、治療師
 称号:下町のお医者さん
 スキル:診断3、回復魔法3、神聖魔法3

 白衣を着た男性が気安く俺に話しかけてくる。こういうところは日本と変わりがないなぁと思いつつ、院長先生に挨拶をする。

「冒険者のジュンです。はじめまして、院長先生。今日は治療じゃなくて依頼の件で参りました」
「ほう。こりゃご丁寧に。……冒険者って奴はもっと粗野な人ばかりしかいないと思っていたよ」
 えっと、そうなのか? ビジネスマンとしては、むしろ簡略すぎるとは思うけど……。
 戸惑っていると、セル先生が俺の肩をばんばんと叩いた。
「なあに。ここは下町の病院だ。礼儀だのなんだのは無視してもらっていい。……依頼の件ってなんだね?」
 俺はポケットから執事のセバスチャンさんが書いた姿絵を取り出す。
「とある方からの依頼で行方不明の飼い猫を探しているんです。この猫なんですけど、ご存じないですか?」

 俺の差し出した姿絵を見て、脇からのぞき込んでいた看護婦が、あっと小さく声を上げて男性の方を見つめた。男性もこの猫を知っているようだが、その表情からはよくわからない。

「先生、この子はマチルダの……」
「うん、そうだな。……君、この子は確かにここにいるよ。ただ、ちょっと相談があるんだがいいかい?」

 セル先生の後を看護婦さんとともについていった。

 俺は奥の応接室に通され、先生の対面に座るように指示される。
「まず自己紹介からにしよう。私は、この治療院を開業しているセル・ブライト。こっちは看護婦長のローラだ」

――ローラ――
 種族:人間族 年齢:28才
 職業:看護婦長
 スキル:回復魔法2、診断2、調理3

 先生はそういって握手を求めてきたので、先生の手を握りながら自己紹介をする。
「俺は冒険者のジュン・ハルノです。先ほども言いましたが、とあるところからの依頼で迷い猫の捜索をしてます」
 自己紹介が終わったところで、ローラさんがハーブティーをいれてくれた。
 先生は言うか言うまいか迷ったように視線を泳がせていたが、居住まいを正すと俺の目をじっと見て、ためらいがちに口を開いた。

「その猫は確かにこの治療院にいる。……だが、もうしばらく預からせてもらえないかな」

 俺はターゲットの猫がここにいることが確認できたので、胸をなで下ろしつつも、待ってほしいという先生の言葉をいぶかしげに聞きかえした。

「え? ……ただ、こちらも依頼があるのですが……」
「ああ、それは十分わかっているさ。……そうだな。実際に見て貰った方が早いだろう。その猫のいるところに案内しよう」

 セル先生は、俺をとある病室の前に連れてきた。
「ここに、君の探している猫がいるが、できたら今は黙って見ていてほしい。……たのむ」
 もちろん、病院で騒ぐつもりも医師を困らせるつもりもない。病室まで来れば訳ありだってことは嫌でも分かる。
「わかりましたが後で必ず説明してくださいよ」
 俺がそういうと、セル先生は安堵して一つ頷いた。
「もちろんだとも。約束しよう」

 笑顔になったセル先生は、病室のドアをノックする。
「……マチルダ、私だ。入るよ」

 返事を待たずにセル先生はドアをゆっくりと開ける。
 中では一人の女の子がベッドに横になっている。赤みがかったブラウンの髪をした少女は、青白い肌をしている。そして、その枕元には水色の首輪をした白い猫が丸くなっていた。

――マチルダ――
 種族:人間族 年齢:10才
 職業:なし
 スキル:なし
 状態:進行性魔毒病重篤、衰弱

 ナビゲーションで確認すると、どうやらこの子は進行性魔毒病という重い病にかかっているようだ。衰弱のバッドステータスもついていて辛いだろうに。

 セル先生は、白衣のポケットに手を突っ込むと、ベッドに近寄ってかがみ込むように少女の様子を見る。

「マチルダ。今日はどうだい? どこか痛いところはあるかい?」
「先生。ううん。今日はだいじょうぶよ。あと一週間のしんぼうだもんね」

 マチルダと呼ばれた少女は、弱々しく顔を上げて先生に手を伸ばしながら返事をする。セル先生は少女の手を取ると、脈を診たり手の甲をさすって何かを確認している。
 セル先生は優しく、そして、力強く少女に話しかける。
「ああ。そうだ。あと一週間だ。……がんばろうな」
 セル先生の言葉に小さく頷いた少女は、今度は顔を巡らせて俺を見つめる。
「あれ? そっちの人は?」
 セル先生はマチルダの頭を撫でながら、俺をマチルダに紹介する。
「ん。ああ、この人はジュンさんっていって先生のお友達だよ」
 俺はにっこりと笑って、マチルダに会釈をする。
「俺はジュンだ。今日は久しぶりに先生のところに寄ってね」

 マチルダは見た感じでは、日本でいえば小学校4年生くらいの女の子だ。俺の挨拶を聞いて、弱々しい笑顔を見せた。
「はじめまして。わたし、マチルダです。……あ、この子はルン。一週間くらい前に窓からやってきてくれたの」

 そうか。きっとスピーはこの子にとって心の支えになっているのだろう。
 それがちょっと待って欲しいという理由だろう。でも、あと一週間って何だろう?
 疑問に思った俺は先生に尋ねた。
「先生。あと一週間の辛抱って?」
 俺の問いかけに答えてくれたのは、ベッドの中のマチルダだった。

「一週間後に王都から治療師の先生が来てくれるの。その魔法が成功すれば元気になれるんだって」
 一生懸命、声を出すマチルダの頭を、セル先生は優しく撫で続ける。
「そうだな。マチルダ。だから手術のために、今は体力をつけるんだぞ」
 セル先生は優しくマチルダの頭を撫でた。
「戻るけど、おとなしく良い子にしてるんだぞ?」
「はあい。先生。ジュンさん。バイバイ」

 細い腕をふるマチルダに見送られて、俺たちは病室から出て応接室に戻った。
 どっかと深く座ったセル先生は、疲れたようにぼんやりと中空を見つめている。

「あの子は今年で10才になる。……小さい頃に母親が病気で亡くなった。それからずっと、父親と二人きりの生活だったんだ」

 まるでセル先生が一気に年を取ったように弱々しく見えた。その後ろで看護婦長のローラさんが涙ぐんでいる。

「父親は、この街の外壁近くで鍛冶をやっていてね。たった一人の娘だってんで、それはもう可愛がってたよ。マチルダも、母親がいなくて寂しいだろうに、そんな様子は見せなくてね。よくこの治療院にもきて、患者の子供たちと遊んでたっけ」
 セル先生が俺を見た。その表情は苦渋に満ちている。

「ところがね、5才の頃に突然、熱を出したんだ。3日間入院したんだが残念ながら原因がわからなくて、できたのは薬と氷でただ熱を下げてやることだけだった。熱は下がったんだが……それから、あの子は歩けなくなった」

 そこまで語り終えたセル医師は、無力感に打ちひしがれたようにうな垂れる。
 俺は先ほど会った少女の顔を思い出す。5才って、一番遊びたいさかりじゃないか。
 セル先生が、再び重い口を開く。
「そして、8才の時だ。マチルダが急に左手にしびれを感じるといいだして、やってきた。……半年後、左手が動かなくなったよ。以降、ずっとここに入院している」
 セル先生はそういうと、ローラさんに何かを指示した。ローラさんが部屋を出て行く。
「それからかな。マチルダは、黙っていることが多くなったよ。父親の前では元気のふりをしているが、いなくなると人形のようにね」
 ローラさんがグラスを2つ持ってきた。受け取ったセル先生が水を飲み干した。
「ここのところ、食事の量も減ってきていて、たまに胸部に痛みが走るらしい。……幸か不幸か、その胸部の痛みで、マチルダの病気がわかったよ」
 そういうとセル先生は再び俺を見る。

「進行性魔毒病。それがあの子の病気だ。通常、体内に宿る魔素マナ は、魔法を使わなければ使わないでそのまま保持される。しかし、この病気では、使用されなかった魔素マナ が時間をかけて体を麻痺させていくんだ。末期には、胸部の痛みが繰り返し起こるようになり死に至る」

 病名を告げたセル先生が、右手の親指と薬指で自分のこめかみをもんでいる。

「魔法は誰にでも使えるわけではない。使えれば体内の魔素マナ を消費することができるのだろうが……。
 難病でね。魔法を使えない場合の治療法は、夜光花と呼ばれる花から作れる薬を経口摂取することにより、魔素マナ の悪影響を取り除くしかないんだ」

「夜光花ですか?」
 なんとなく月の光に照らされて光る神秘的な花が思い浮かぶ。
 セル先生は頷いて、
「ただ、その夜光花というのがどうしても入手できなくてね。幸いに、この町から2日ほどの森に一つの泉があって、かつてはそこに咲いていたらしいんだが……、ここ数年は見つかっていない」
 セル先生は両手の指を組んで、視線を落とす。
「……一週間後に、王都エストリアから高位治療師が巡回してやってくる。その時に、あの子に高位治療魔法をかけてもらえるようにお願いしてあるんだ。花が見つからない今、それが最後の望みさ」

 セル先生も、マチルダのことを語るのがつらそうだ。
 俺は小さな少女を襲った病気を思う。……日本、いや地球でも難病の子供たちはいた。俺が直接に知らないだけで、日本でたった一人の病気と闘っている子供と家族もいる。
 とはいっても、目の前であんなに小さな子が病気で苦しんでいるのを見るのは辛い。
 ……そうか。一週間の我慢って高位治療師のことか。

 その時、うな垂れていたセル先生が顔を上げた。必死な表情だ。

「一週間前にあの猫が来てから、マチルダは元気を取り戻してきてるんだ。食事の量も少し増えてきている。……冒険者の君に無理を言っているのは承知している。それでも! できれば一週間後まで、このままそっとしてはくれないか」

 俺は、セル先生の目尻からこぼれそうになっている涙を見つめる。
 あの猫がマチルダに生きる力を与えている。それがわかれば俺も応援したい。ただ依頼のこともある……。
 俺はしばらく考えてから、セル先生に一つの提案をした。

「事情はわかりました。もともと期限のない依頼ですから、俺としても一週間は、あの猫にマチルダのそばにいて欲しいと思います。ただ、依頼人も心配しているので、猫を発見したことだけは報告させてください。その時に、一週間後に必ず連れてくることを約束してきます」

 俺の言葉に、セル先生は深々と頭を下げた。
「ありがとう。……よろしく頼む」
 きっとセル先生も、マチルダを小さい頃から見守ってきたんだろう。
 俺は、マチルダが無事に治るといいなと思いつつ、そっと治療院を後にした。

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