17 父の涙

 胸がズキンズキンと痛む……。

 マチルダはベッドの中で、胸の苦しみに必死に耐えていた。全身から脂汗が出て、こごえるように寒さを感じる。

 ここ数日、日を追うごとに具合が悪くなる体。心配している父の前では強がっているが、それもだんだん難しくなってきた。

 私は、そばにいる白い猫のルンに心の中で話しかける。
 ……ルン。私。もう駄目かもしれないわ。でも、これでようやくお母さんに会えるね。
だから、ねえ、ルン。私の代わりにお父さんにかわいがってもらってね。……ああ、大好きなお父さん。私がいなくなっても、どうか元気でいて欲しいな。

 だんだんと霧が立ちこめたように朦朧としてくる。
 マチルダのベッドのすぐ隣には、父親が必死に横向きに寝ているマチルダに話しかけながら、その小さな背中をさすっている
「マチルダ。がんばれ。もうすぐ治療師が来てくれるぞ」

 私の目には、必死の顔で、私の背中をさすってくれるお父さんの顔が滲んで見える。ごめんね。お父さん。今の私は、自分のことより、お父さんのこれからが心配よ。……お父さん、大好き。

 マチルダの病室には、昨夜から容態の急変したマチルダを囲んで、父親とローラ看護婦長が詰めていた。今はセル医師は部屋にはいないが、看護婦長は父親とマチルダの様子を哀しげな表情で見つめていた。

 そのとき、ノックの音もなく、突然ドアが開いた。
「来たよっ。治療師の方が来たよっ!」
 飛び込んで来たセル先生の後ろには、ローブを着た男性がいた。男性は、部屋に入るなり、マチルダの側に駆け寄る。
「よくがんばった! 私はニース、教会の治療師だよ。君がマチルダだね」

 父親は立ち上がって治療師に場所を譲ると、反対側のマチルダの手を握りながら治療師に懇願した。
「治療師様。どうかマチルダをお願いします」

 治療師ニースは、杖を取り出すとマチルダの上に掲げた。
「では皆さん。少し下がっていてください。……マチルダ、上を向いて体の力を抜いてくれ」
 ニースの言葉に、ローラは急いで横を向いていたマチルダを仰向けの姿勢に直した。
 それを確認すると、ニースは、手に持っている杖をマチルダの胸の上に宛てて、詠唱をはじめた。
「ここに加護を願い、貴き御業をここに示し給え。セイント・キュア」
 ニースの杖から強い光が放たれ、マチルダの胸に吸い込まれると同時に、マチルダの全身が光り輝く。

「おおっ。……どうだ?」

 セル先生が、すがるように呟いた。それまでマチルダの荒れていた呼吸が静まる。
 ……が、次の瞬間、大きな痛みがマチルダの胸を襲った。あまりの痛みにマチルダの顔がゆがむ。

「ぐうぅぅぅっ」
 それを見た治療師のニースは、焦りをあらわにする。
「だ、だめかっ。もう一度っ、セイント・キュア!」

 再びニースの杖が光り、マチルダの胸に吸い込まれていく。……が、2度目のセイント・キュアもマチルダを治すことはできなかった。ニースは諦めきれずに、幾度もセイント・キュアを唱えるが、魔力が切れてきたのか、額に汗が浮き出て、その顔は血の気が引いたように青白く見える。

 その様子を見たセル先生は、絶望する感情を抑えながら、ニースに無情な決断を告げる。
「……ニースさん。もう結構です。……残念ですが。……ありがとう」
 ニースは悔しさで顔をゆがませ、申し訳なさそうな顔でマチルダを見る。
「無念です。私の治療で治らないとなると……」

 父親は、すかさずマチルダに飛びつき、必死にマチルダの名前を呼びながら、体温の低下していく背中をさする。
「マチルダ! マチルダ! しっかりしろ!」
 父親の声に、マチルダが朦朧としながら、口を弱々しく開くと、かすかな声が聞こえてきた。

「お…とうさん。…もういいの。……わたし。しあわせ。し……あわせ」

 その時、不意に病室のドアが静かに開き、初老の執事とドレスを着た少女、そして、ジュンが入ってきた。

 初老の執事が挨拶もなく、セル医師に一輪の花を差し出した。
「セル先生。この花びらをお使いください」
「そ、それは! まさか夜光花。これがあれば……」
 その花を見たセル医師が、信じられないものを見たようにわなわなと震えると、さっと受け取りすぐにマチルダの側に駆け寄る。ベッドサイドの棚にあるグラスに花びらを入れ、水甁から水を注ぐ。すると花びらはみるみるうちに溶けていった。
 医師は、看護婦長に指示を出してマチルダの上半身を起こさせると、その口元にグラスを近づける。

「マチルダ、薬だよ。飲み込みなさい。そう、ゆっくりでいいから」

 マチルダが唇をふるわせながら、グラスの水を飲んだ。
 ゆっくりと嚥下していくマチルダの全身から赤黒い湯気のようなものが立ち上る。
 と、マチルダはそのまま気を失ってしまった。

 セル医師はやさしくマチルダを寝かせて診察した。胸が規則正しく上下している。大丈夫、呼吸は正常のようだ。
 テキパキと診察するセル医師に、父親がすがるように尋ねた。
「……先生。マチルダは……」
 父親の方を向いたセル医師は額の汗を拭う。

「もう大丈夫だ。あの花びらこそ、この病気の薬だ。今は、あの花びらの成分が全身に行き渡るのを待とう」

それを聞いた父親はベッド脇に膝をつき、マチルダの手を握りしめた。
「マチルダ。……くうぅっ」

 その様子を見ながら、セル医師は他の人に退室を促す。病室には、マチルダとジョン、そしてスピーだけが残った。

――――。
 廊下に出た俺たちの目の前で、セル先生がシルビア嬢と執事のセバスさんに頭を下げている。
「申し遅れました。どちら様かわかりませんが、本当に助かりました」
 セバスさんが一歩前に出て、
「いえいえ。間に合いましてようございました。……私は、エスタ―ニャ男爵家の執事のセバスチャンと申します。こちらはお嬢様のシルビア様です。この度の夜光花は、ジュンさんよりお話を聞かれましたお嬢様が、依頼を出されたものでございます」

「なんと男爵家のお嬢様でしたかっ! このようなところへ、来ていただいて……」

 少女が男爵家令嬢と聞いて、セル先生が驚いている。
 ……その気持ちはわかる。俺も、依頼の報告に行ってそのままシルビア嬢がセバスさんを連れて、直接治療院に行くと言うとは思いもしなかった。

「構いませんわ。……あの少女も、どうやら大丈夫そうで安心しましたわ」

 そう言うシルビア嬢の顔は、柔らかく微笑んでいる。
 その時、病室のドアが少し開きスピーが出てくた。スピーは甘えるように鳴いてシルビア嬢の足にすりより、しばらくするとまた病室へ戻っていった。
 セル先生は、続いて俺と治療師の男性にも頭を下げた。
「ジュン君。本当にありがとう。……ニースさんも、ありがとうございました。わざわざエストリアからここまで来て下さって」

 ほお、ニースというのか。

――ニース――
 種族:人間族 年齢:35才
 職業:司祭、治療師
 所属:王都エストリア教会
 スキル:診断3、回復魔法4、神聖魔法4

 ニースさんは、手を横に振って、頭を下げるセル先生を止める。
「いやいや。結局、力にはなれませんでしたから。ちょうど夜光花が届いて私もほっとしましたよ」
 そう言うニースさんの表情は晴れやかだった。

 俺たちの挨拶が終わると、シルビア嬢は執事さんに話しかける。
「……では、セバス。そろそろ」
「はい。かしこまりました。それでは皆さん、私どもはここで失礼します。ジュンさん、後はよろしくお願いしますね」
「了解しました。では、この後で参ります」

 シルビア嬢とセバスさんは、廊下の先にある階段を降りていった。
2人を見送った後、セル先生が俺の方へ振り向いた。

「さて、ジュン君。それでは約束だ。ルンを今連れてくるから、ちょっと待っててくれ」

 セル医師はそういうとマチルダの病室に入っていった。俺たちは廊下の端に並んでいるベンチに座った。

「しかし、よかったなぁ。無事に治るようで……」

 長年の一人暮らしの癖で思わずつぶやきが漏れてしまった。ニースさんがしみじみと呟く。

「それにしても、よく夜光花を見つけられましたね?」
「なに、たまたまですよ。ここ数年は見つかってないって聞いていたので自分でも運が良かったと思いますよ」
「あ。そうですね。……ここ数年見つかってないのはアル周辺だけじゃないですよ。エストリア国内でですよ」
「えっ。そうなんですか」
 ニースさんはうなづいた。
「ですから、この病のようにどうしても必要な場合はゾヒテのエルフに依頼していたのです」
「ゾヒテのエルフにですか……」

 ……もしかして、妖精の力を得られないと入手できないとかか? そう考えてみると、あの花って、どんだけ貴重なんだろう。

 そうこうしているうちに、セル先生がスピーを抱えてきた。
 俺はセル先生からスピーを受け取って、腕に抱きかかえた。

「……あ、マチルダは大丈夫ですか?」
「ええ。今はまだ寝ていますが、顔色も良くなってきましたので大丈夫でしょう。……マチルダには後で説明しておきます」
「そうしてくれると助かります。……それでは、そろそろ失礼します」
「今日は本当にありがとうございました。困ったことがありましたら、いつでもおいで下さい」

 セル先生に続いて、ニースさんも立ち上がって、俺に握手を求めてきた。俺は、左手でスピーを抱えたままで、握手をする。

「私からも御礼をいわせてください。もし王都エストリアにくることがあったら、是非、王都の教会へもお越し下さい」

 セル医師とニース治療師の見送りを受けて治療院を出た。ニース治療師は他の患者さんも治療してから王都エストリアに戻るらしい。

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