02 エストリア王国港湾都市ベルトニア

 夜が明けて朝食を取り、馬車は再びベルトニアに向けて出発した。

 アルの街から六日目。予定では今日中にベルトニアに到着する。
 ナビゲーションの表示によれば残り三〇キロメートルだ。おおよそ時速五キロメートルで進んでいるから、休憩を挟みながらで七、八時間といったところか。
 この街道は大きな幹線道路になっているから、騎士団の巡回頻度も高く、安全なルートだ。また主要な流通を支える道なだけあって、アルを出てからここまで幾つもの商隊とすれちがった。

 朝から強い日差しが降り注ぐなかを街道を進む。
 馬車の脇を歩きながら、イリーシャさんに、
 「俺たちベルトニアは初めてなんです。どんなところですか?」
ときくと、イリーシャさんは正面を見ながら、
 「そうねぇ。なかなか活気のある所よ。見慣れないものを売ってたりするし、海産物が美味おいしいわね」と教えてくれた。

 どうやらベルトニアは、各国からの貿易品や商人が集まるので市場が発達しているらしい。大口の取引は国の発行する許可証が必要だが、市場には特別に許可された小売店もあるらしい。
 イリーシャさんの説明を聞いていると、サクラが後ろから耳をぴょこぴょこさせながら、
 「マスター。魚料理を食べたいです。是非、食べに行きましょうよ」
と言う。
 実はベルトニアに行くことになって、一番喜んでいるのはサクラだ。美味しい魚を食べるのを楽しみにしている。……まあ、日本人である俺も楽しみで仕方がないんだけどね。
 ノルンがサクラを見ながら、
 「ふふふ。サクラはうれしそうね」
と言うと、サクラがうれしそうに、
 「さかな! さかな! うれしいな」と歌い出す。
 俺は苦笑いして「わかった。わかった。絶対に食べに行こう」と言うと、サクラが「よっしゃあ!」と叫んだ。それを見て、みんなが笑う。

 馬車は順調に進み、その日の昼過ぎには海が見えてきて、航海や漁をしている船が見えるようになった。
 どうやらこちらの船は帆船が主体のようだ。大きな白い帆が風をはらんでふくらんでいる様子が、遠目にもよくわかる。まるで一幅の絵画のように、きれいに晴れた空に穏やかな海の青に、船の白い帆が映えている。
 風が俺の髪を撫でていき潮の香りが体を包む。ノルン以外のみんなは初めて見る海にしばし言葉もでないようだった。
 ヘレンが、
 「……これが海」
とつぶやいた。風にそよぐ真紅の髪を抑えながらじっと海を見ているヘレンに、俺は、
 「大きいだろ?」と言うと、だまってうなづいていた。
 イリーシャさんが、
 「ベルトニアの街を囲む防壁の上からは、きれいに海が見えるよ」
と教えてくれた。うん。それは楽しみだ。
 俺は、
 「さ、みんな、遅くなるからそろそろ出発しよう」
と言い、出発をうながした。

 しばらく進むと、行く手の海岸沿いに大きな街の姿が見えてきた。赤茶色の屋根の建物が並んで太陽の光を浴びている。
 イリーシャさんが、
「見えてきたわよ。……ふふふ。腕が鳴るわね。今度はどれくら儲けられるかしら」
と言った。
 イリーシャさんは、アルから運んできた商品を外国の商人に売り、逆に商品を仕入れて次の町に行くのだそうだ。俺たちはベルトニアまでだが、オリバ兄弟はイリーシャさんと一緒に旅、じゃなかった、護衛をすることになっている。

 ベルトニアの街は、アルと同じように大きな石の防壁で囲まれていて、街の入り口は丘陵地きゅうりょうちの比較的高いところにあった。
 門のところで警備隊に身分証明を見せて中に入ると、赤茶けた煉瓦色れんがいろの屋根を持つ建物がずっと下の港湾の方まで広がっているのが見える。まるでアドリア海の真珠・ドブロブニクみたいだ。
 美しい町並みを前に否応なくテンションの上がる女性陣たち。その様子をほほ笑ましく見つめながらも、俺もどこかワクワクした気分になった。
 なにしろ、もともと一人旅を趣味にしていたとはいえ国内限定の旅しかしてこなかった俺だ。雑誌の写真で見た地中海の雰囲気によく似たベルトニアを見て興奮しないはずがない。
 街に入ったところで、イリーシャさんから依頼の完了の証明を貰って別れる。
 イリーシャさんは、
 「またよろしくね」と言い、オリバ兄弟を引き連れて港湾の方へ向かっていった。

 俺たちはイリーシャさんお薦めの宿に向かい、一週間ほどの予定で部屋をとった。
 石造りの宿で一階は食堂スペース。俺たちの部屋は三階だ。階段や廊下は狭いが、ところどころにあるランプなど、なかなかおしゃれな雰囲気だ。
 いったん部屋に入って室内を確認し、すぐに町に出かけた。

 すでに本格的に暑くなっている時期で、街ゆく人々の服装は薄着になっている。開放的な雰囲気が街全体にただよっていて、街角のカフェで一息をつく人たち、通りのはしっこで楽器の演奏をするグループにそれを聴いている人たち、にこやかに買い物をする親子づれとすれ違う。
 機嫌よさそうに歩いているヘレンが、
「ね? 港へ行ってみない?」と言うと、その隣のノルンが、
「あ、私も見たいわね」
と俺を見た。俺は笑いながらうなづき、そのまま足を港の方へと向けた。

 港では船をつける桟橋さんばしが幾本かのびていて、その一つに大きな船が停泊し、まるでアリが食べ物を運ぶように、人夫たちが荷物を倉庫に運び込んでいる。
 港と街の間には海側からの攻撃を防ぐための石作りの防壁が造られている。その内側には、防壁の上にあがる階段がしつらえてあり、一般の人も見学に行けるようだ。早速、俺たちはその階段をのぼり防壁の上へあがった。

 防壁の上には、見張りの数人の衛士たちと数組のカップルがいた。ここからの眺めがいいので、デートスポットになっているのだろう。
 防壁から海を見ると、今日は天気もよく穏やかな海が水平線まで広がっている。水平線を見て、この世界も球体の星になっているんだと変なところに感心してしまった。

 「きれいな眺めね」
 ヘレンがつぶやいた。
 すこし湿り気を含んだ風が海の匂いを運んでくる。カモメのような白い鳥が、近くの岩礁に集まって鳴いている。
 自然と俺の隣にノルンがやってくると、その反対側にはヘレンが寄り添ってくる。ふたりとも俺の手に自分の手をそっと重ねた。慌てたようにサクラとシエラがやってきて、サクラは俺とヘレンの間に潜り込み、シエラは遠慮しながらノルンと俺の背後から俺にもたれかかってくる。俺の両手はノルンとヘレンに握られたままだ。

 やがて海に太陽が沈んでいくと、海面がキラキラと黄金色に輝き幻想的な世界が広がる。徐々に沈んでいく太陽に群青色に暗くなっていく空。振り返って町の方を見ると、夕日を浴びて、建物の壁がオレンジ色に染まっている。遠目には、家路を急ぐ人々や、夕食の食材を慌てて買う女性の姿が見える。

 一片の残光をきらめかせて太陽が沈むと、空には夕焼け色が残って黄昏時たそがれどきが訪れる。移りゆく景色に、俺たちは寄り添い続けていた。

 「……そろそろ、戻ろうか」
 名残なごり惜しい気持ちを込めて声をかけると、みんなも黙ってうなづいた。振り返ると階段のそばで衛士が人々が帰っていくのを待っている。どうやら日没後は立ち入り禁止となるようだ。
 俺たちは衛士に挨拶をして階段を降り、宿に向かって歩き出した。
 街角にはガスランプの明かりがともり、どこか落ち着いたムードのある情景になっている。俺たちの宿では一階の食堂の窓が開け放たれ、そこから人々の喧噪けんそうが聞こえてきた。

 カランっと音を立てて宿の扉を開けると、食堂では五組の冒険者がにぎやかに食事を取り、カウンターでは二人のソロの冒険者が酒を飲んでいた。

 俺たちもテーブルの一つにつくと、二十歳くらいの宿の娘さんが注文を取りにやってくる。
 「海鮮のお薦めとビールを頼む」
 「はい。ちょっとお待ち下さい」
 しばらくして、娘さんは白い箱のようなものを持ってきた。
 「はいはい。熱いですから気をつけて下さいよぉ」
と言いつつ、娘さんが俺たちのテーブルに置いたのは角型七輪だった。
 「おおっ!」
 思わず懐かしい文化に触れて感動する。娘さんが驚いたように、
 「あれぇ? 七輪をご存じですか?」
 「ああ。まさかここでお目にかかれるとは、思いもしなかったけど」
 「ふふふ。じゃあご存じでしょうが、網や汚れたり炭がなくなったら教えて下さいね」
 そういって娘さんは厨房へ入っていった。
 七輪が出てきたということは……と考えていると、興味津々しんしんなみんなの視線に気がついた。
 ノルンが、
 「これ七輪っていうの? ……上でなにかをあぶるのね?」
と言う。
 「そうさ。魚とか肉を炙って食べるんだ。肉は余分な油は落ちるし、新鮮な魚介類をこうやって食べると旨いぞ」
と言うと、みんなののどがゴクリと鳴った。ヘレンが、
 「へぇ。初めて見たわ」と言う。
 「俺も久しぶりに見たよ。故郷ではよく見かけたんだけどね」
と俺が言うと、ノルンとヘレンはしばらく考え込んだ。ヘレンが俺の耳元で、
 「記憶が戻ったのね?」
ときいてきた。……あっ、そうか。記憶喪失の設定だっけ?
 俺はヘレンに「少しだけどね」と言うと、ヘレンはうっすらと微笑んで「良かったじゃない。今度教えてね」と言ってきた。俺は微笑み返しながらうなづいた。
 そんなことは何も気にしていないサクラが、目をらんらんと輝かせながら、
 「マスターの故郷って気になりますね」と言うので、
 「ははは。遥か遠くさ。……おそらくもう戻れないだろうな」と俺はつぶやいた。

 サクラの言葉に思わず複雑な気持ちになり遠い目をしていると、ノルンが心配したようで、
 「あなたの居場所はここよ。私たちのいるところがあなたの故郷なのよ」
と言う。ヘレンが、
 「そうそう。だからそんな寂しそうな顔をしないで」といい、サクラが、
 「うん。マスターには私がいます。いつでもおそばにいますよ」と言った。
 シエラもおずおずと「私も一緒にいます」と言ってくれた。
 どうやら思わぬところで気をつかわせてしまったみたいだ。
 「ああ。心配させちゃったな。……故郷に帰るのは実はもう諦めてるんだ。それにみんなのいるところが俺の居場所なんだろ? ……言っとくが俺だってみんなを手放すつもりはないぞ」
と言って笑うと、みんなが微笑みながらうなづいた。
 「ふふふ。良かったわ」「わかってるならいいのよ」「マスター!今晩こそ、私の初めてを……モガっ!」「さ、サクラちゃん!こんなところで!」
 ……そう。今はみんなが俺の家族なんだ。
 俺は四人の笑顔を見ながら、そう思った。

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