03 人食い鮫のうわさ

 宿の娘さんが大皿を持ってやってきたとき、喜びのあまりサクラが叫びそうになったのでシエラが慌てて口を押えた。口を押えられたサクラはモガモガと言い、その様子を見たノルンとヘレンはおっとりと微笑んだ。
 「おまちどうさまって、あれ?」
 娘さんは騒いでいる俺たちを見て、にっこり微笑み、
 「七輪ですから気をつけて下さいね」
と言った。
 俺は大皿を見て、思わず「おおお!」と叫んでしまった。
 そこには赤身や白身の魚のひらき、ハマグリやサザエ、干したイカに透き通るような生のイカ、そして付け合わせの野菜が盛ってあった。
 娘さんが楽しそうに微笑みながら、
 「お薦めの海鮮焼きです。お代わりが必要なら声をかけてくださいね」
と言って、厨房へと戻っていった。これはテンションが上がるぜ! くう~。お酒が欲しい!
 厨房に戻った娘さんが、すぐに人数分のビールを持ってきてくれた。
 「「「乾杯!」」」
 カンと音を立てて、コップとコップをあてた後、ぐいっとビールを飲む。
 「ぷはぁ。……うまい!」
 いつになく上機嫌な俺は、早速、魚とイカを網に載せ、端の方には野菜を載せた。
 あぶられたイカがっていくのを、ヘレンたちが目を真ん丸にして見ている。その顔を見て笑いながらひっくり返した。
 うん、これはいいなぁ。旨いビールに海鮮焼き。みんなもトングを持ちながら目をキラキラさせている。
 「ま、ま、マスター! まだですか! まだなのでありますか!」
 「サクラ、落ち着け。丁度いい焼き加減、この油がうっすらと浮かぶ一瞬を見極めねばならない」
 「はい! マスター! 集中ですね!」
 「あ、ほら、イカはもういいな」
 俺は網の上で、食べやすいようにイカを切り分ける。待ちかねたサクラがさっと一切れ取っていった。
 お店特製のつけだれを少しつけて食べると、ピリ辛のタレと焦げ目のついたイカの香ばしさと旨みとが絶妙ぜつみょうにマッチしている。
 「絶品だ!」と俺が言うと、サクラも、
 「う、うまうまです! マスター!」
と大興奮している。ノルンたちもおいしそうに食べている。俺はノルンの肩にいるフェリシアにも一切れ差し出すと、フェリシアは器用にくちばしでくわえて、ぱくっと一飲みした。まだ熱くないのか? と思ったが、火の鳥であるフェニックスだったなと思い返した。
 シエラが、
 「これおいしいですね。最初見たときは悪魔みたいで気持ち悪かったですけど、こんなにおいしいなんて!」
と言っている。そうか。シエラは山育ちだからイカなど見たことがないのだろう。
 ノルンがお店のつけだれを興味深そうに見て、
 「このタレっておいしいわね。どうやって作るのかしら?」
と言った。それは俺も気になる。どうもこれは七味醤油マヨネーズっぽいんだよね。七輪に続く懐かしの和テイストに、もしや俺のほかにもヴァルガンドに来ている日本人がいるのではないかと期待してしまう。
 ヘレンが、ちょうど通りかかった娘さんを捕まえてタレの作り方をきいていたが、娘さんは笑いながら「秘伝の作り方です」といって教えてはくれなかった。
 宿の親父さんの出身はここベルトニアらしく、残念ながら日本人というわけではなかった。それでも、このタレが造れるってことは醤油とマヨネーズに七味と、少なくとも三種類の調味料を利用していると思う。その調味料なら、もしかしたらここの市場とかで手に入るかもしれない。
 そう思い、俺の中でベルトニアでの新たな目標「和の調味料を探す」を決めた。明日、早速、探し歩いてみよう。
 一人でそう決心していると、娘さんが、
 「お客さん。うちの自家製のお酒ありますけど飲んでみます?」
と言ってきた。俺は、
 「へぇ。どんなお酒?」
と聞くと、少し自信なさげに、
 「炭酸はなく透明なお酒です。うちのシェフはこの海鮮焼きにぴったりだと言うんですけど、評判はあんまりなんですよねぇ。……でも私の予想だと、お客さんは好きそうな気がする」
 透明なお酒か。ちょっとそれだけだとよく分からないけれど、興味はある。俺は、
 「じゃ、一杯だけちょうだい」
と言うと、娘さんはうなづいて厨房へ戻っていった。
 そのやり取りを見ていたヘレンが、
 「よく評判の悪いお酒を勧めてきたわね」
と言う。俺は苦笑しながら「まあな。でも興味はあるぜ」というと、
 「おいしかったら私にも一口ちょうだいね」と言われた。

 娘さんがお盆に白い陶器の瓶を持ってきた。俺の目の前に陶器の酒瓶と小さなコップを置いた。俺は驚きながら小さなコップを手にとって眺める。……これってお猪口ちょこだよな。もしや?
 期待が高まるなか、俺は手酌てじゃくでお猪口に酒をつぐ。トクトクトク……。
 見た感じはまったくの日本酒だ。
 口をつけると、吟醸の華やかな香りが口の中に広がり、なつかしい日本酒の味が五臓六腑に染み渡る。
 「磯自慢」。いや「黒竜」か。いくつかの酒の銘柄が脳裏をよぎる。
 「……うまい」
 ふと気がつくと、みんなが神妙な顔をして俺を見ていた。俺は、
 「うん? みんなどうした?」
と顔を上げると、ノルンがだまってハンカチを持った手を伸ばしてきて、俺の目尻をぬぐった。どうやら涙がこぼれていたらしい。
 一部始終を見ていた娘さんが感激して厨房に駆け込んでいく。
 「ロンギさん! お客さんが――」
 俺は少し恥ずかしくなって、
 「いや。俺の故郷の酒に似ていてね」
と言うと、みんな納得したようだった。そこへ厨房から一本の酒瓶を持ってきた大男がやってきた。筋肉が引き締まっていて頭部には短い角が見える。
 「お前さんか! 俺の酒に涙を流してくれたのは!」
と言って、どんっと酒瓶をテーブルに置いた。と、サクラが驚いて、
 「あーー! ロンギの兄ちゃんじゃないの!」
 「おおお? お前はサクラ! 久しぶりだな!」
 俺はサクラを見ながら、「知り合いか?」と聞くと、サクラはうなづいて、
 「同じ横町にいた妖鬼のロンギです。子供の頃はよく面倒見てくれてました」
と言う。妖鬼ということはこの人も妖怪か?
 ロンギと呼ばれた男はどんっと胸を叩き、
 「そうさ。俺は妖鬼のロンギ。料理人を極めようと旅に出たんだ」
と言うと、俺の肩をばんっと叩き、
 「いやあ。まさか俺の酒をサクラの彼氏がうまいと言ってくれるとはなぁ。どうもこっちじゃ、この旨さがわかってもらえなくてね」
とうれしそうに言った。まあ、ここいらじゃ、もっと辛口の強いお酒が好まれるんじゃないか? 海の男の街だろうし。
 ロンギは近くのイスを持って同じテーブルに着くと、しばし一緒に酒を飲み交わす。
 彼はもともと妖怪横丁にいたときから料理をしていたらしく、ヴァルガンドの食材を求め、料理を極めるために飛びだしたそうだ。妖鬼だけあって戦闘力は強く、自ら狩りや漁をして食材を手に入れては料理に没頭する。そういう生活をずっと続けているらしい。
 ここ十年は、この宿で住み込みながら、市場に揚がる魚をつかって色々料理しているらしい。ちなみに醤油も味噌もマヨネーズも、さっきのつけだれも彼のお手製らしい。
 それを聞いて俺は納得した。あれは確かに飲んべえの好みをわかっている。それも日本の。……妖鬼らしいといえばらしいな。
 娘さんがロンギに、
 「あの、ロンギさん、そろそろ厨房が大変なことになってます」
と呼びに来たので、ロンギは酒瓶を置いていくと厨房に戻っていった。なんでもさっきの酒より辛口の酒だそうだ。
 わずかな時間だが彼と酒を飲み交わしてみて、俺はいつか必ず妖怪横丁に行こうと心に誓った。
 ノルンとヘレンはそばで話を聞きながら、ロンギに調味料を少し分けてもらう約束とそれらの調味料の作り方を教えて貰っていた。ロンギも後でいくつかのレシピを渡してくれるそうだ。
 再び俺たちは海鮮焼きを堪能する。サクラは、「うまうま」「はむぅ」「旨すぎ」「ん。幸せ!」とか言いながら、一心不乱に魚や貝を食べていった。あまりにも食べるので幾度か追加注文している。

 俺は俺で再び魚を炙りながら酒をちびりちびりとやっていると、近くのテーブルから、
 「――聞いたか。また――人食い――が襲われ」
 「ああ。――が――なっちまったらしいな」
と会話が聞こえてきた。ちらっと見ると、日に焼けた二人の男性がビールを前に神妙な顔で話をしている。
 「人食い?」
 俺は険呑けんのんな単語を聞きつけると二人の会話が気になった。
 「あ、すまない。横から割り込んで失礼する。俺はランクC冒険のジュンだ。最近、何か事件でもあったのか? 強力な魔獣が出たとか……」
 「うん? ああ。聞こえていたか……。俺はルーマス。こいつはザフィールだ。ここで漁師をやっている」
 俺は二人の漁師に仲間を紹介し、詳しく話を聞くことにした。
 この港湾都市ベルトニアには、国外との貿易だけでなく大勢の漁師が住んでいる。漁師たちはまだ夜中の暗い時間から海に出て、網を張って魚を捕り、市場で売って生計を立てている。
 ルーマスさんが、
 「一ヶ月ぐらい前から大きな魚の影を見たっていう目撃情報があってな。組合からは漁の際に注意するようにと連絡があったんだ。
 まあしばらくは平穏だったんだが、二週間くらい前から網を破られる事が多くなってね。まちがいなく目撃情報のあった大きな魚影はサメだとわかった」
と言って、ビールを飲んだ。続いてザフィールさんが、
 「網を破られちゃ。俺たちはやってけねぇ。組合から冒険者ギルドに退治依頼が出た。
 ここの冒険者は海中での戦いにも慣れていてね。ランクCでもあったから、それで安心していたんだが……。結局、サメと戦うために海中に飛び込んだ冒険者が全員喰われてしまったんだ」
 それを聞いてシエラが、
 「ぜ、全員ですか……」
とつぶやく。ルーマスさんは、
 「辺り一面は冒険者の血で真っ赤に染まったらしい。それから今度はサメが人を襲いだしたんだ。
 まずいことに人の味を覚えたんだろう。網を巻いている漁船に体当たりをして漁師を海に落として襲ったり、街の近くまで来て、素潜りをしている女性を襲ったりしはじめてね。
 昨日も一人襲われた。こいつは幸いに命は助かったんだが左の肩から先をすべて喰われたよ」
と言う。ザフィールさんが暗い表情で、
 「お陰で漁に出るのも危険でな。このままでは俺たちの生活が成り立たなくなりそうだ。……お前たちみたいに美味しそうに食べてくれりゃあ。俺たちもうれしいだがな。……いつまで続けられるかわからん。とにかく、アイツをどうにかしないと」
と言ってためいきをついた。
 ルーマスさんが、
 「おいおい。ザフィール。こないだやられたのだってランクCの冒険者だぞ? 領主様が中央に助けを求めるしかないんじゃないか?」
 「しかし、ルーマス。それだと一体いつになったら解決するんだよ。そもそも騎士連中の重い鎧じゃ海んなかは無理だ。そんな悠長なことも言っていられないだろう?」
 「それはそうだが……」
 人食いさめ。それも巨大で凶暴とくればやっかいな相手だ。しかも水中戦となればこちらの戦力は著しく削られる。
 俺は、
 「そうか。早く退治できるといいな……」と言うほかなかった。
 俺たちは話のお礼に二人にビールを一杯ずつ奢り、さらに海のいろんな話を聞く。
 思い出したようにザフィールさんが、
 「あ、そうだ。ルーマス。あの船の話はどうだ?」
と言うと、ルーマスさんが怪訝な顔をして、
 「何だっけか?」ときき返した。
 「ほら。……セルレイオス」
とザフィールさんが言った瞬間、ルーマスさんはビールを吹いた。
 「ぶっ。セルレイオスか?」
 慌てて吹いたビールをルーマスさんが拭いている。俺は、
 「……そのセルレイオスって何の話だ?」
 ルーマスは口元を拭き、しばらく考えてから口を開く。
 「かつて海洋王国ルーネシアの王族の一人が所有する船にセルレイオスという外洋船があった。けれど三〇年ほど前に大嵐に遭遇して、所有者の王族もろとも海中に沈んでいったんだ。
 ……幸いに一人だけ生き残りが板きれに乗って海を漂っているのが発見されてね。それで沈没がわかったのさ。
 ――問題はその後だ。
 どういうわけか、一年ほど前から奇妙な噂が俺たち漁師や異国の船乗りの間で流れ始めた。なんでもセルレイオスが深い霧の中を今も航海しているっていうんだ。実際に遭遇した船乗りが何人かいてね。……まあ幽霊船って奴だな」
 なるほどね。幽霊船のうわさか。……地球にいた頃なら一笑に付すところだが、魔法のあるこっちならあり得るのかもしれない。
 「なにか思い残したことがあるのかねぇ」とつぶやくと、ザフィールさんが、
 「なんでも船主は現在のルーネシア国王パトリス様の弟で、トリスタン様という方だったらしい。トリスタン様には深く愛していた女性がいたと言われているから、いまだに探してさまよっているのかもしれないね」
と言った。もしそうなら何だかもの悲しい話だな。

 そう思いながらみんなの顔を眺めると、妙にシエラの顔色が悪いことに気がついた。
 「シエラ?」
と声を掛けるも返事がない。
 「もしかして幽霊が怖いの?」
とノルンが優しく声を掛けると、シエラはうなづいた。隣に座っていたサクラがシエラの背中に手を回してぎゅっと抱きしめた。
 「大丈夫だよ。私もいるし、マスターだっているから」
とサクラがシエラをなぐさめると、シエラは弱々しい笑みを浮かべた。
 「ありがとう。サクラちゃん」
 怖がっているシエラを見て、二人の漁師は「悪い」と謝り、すぐに明るい海の話に切り替えてくれた。
 ふむふむ。シエラは幽霊が怖いと。ちゃんと覚えておこう。

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