05 霧の船

 青天の下で漁船が海を進む。その後ろには冗談みたいに大きな魚がロープで引かれている。小さな山のようなその巨体のてっぺんに、深紅のフェリシアがちょこんとまっている。
俺はザフィールさんの脇の船べりから海を眺めていた。
不意にザフィールさんが、
「これで俺たちも安心して漁に出られるぜ」
と話しかけてきた。ようやくサメ退治成功の実感が出てきたようで、晴れやかな顔で笑っている。
俺は振り返って船べりに背中を預けて手を振る。
「いやいや。……これでこれからも旨い海鮮が食べられますね」
「はっはっはっ。まかせておけ!」
ザフィールさんは豪快に胸をどんっと叩いた。
「それにしてもアルの冒険者ってすごいんだな。まさかランクCであの化け物を倒せるなんて思いもしなかったよ!」
俺は慌てて、
「あ、ああ。それは。……俺たちの場合は魔法使いが複数いるし、経験が少ないだけで戦闘力だけならもっと上だと思うんで」
と言った。自慢じゃないが、戦闘力だけならランクC以上だろう。俺たちと比べられたら、他のランクCの奴らが可哀想だと思う。
「ふうん。……ま、そう言われた方が納得できるか」
とザフィールさんはうなづいた。が、その眉がしかめられた。
「おや? 風がいできたな……」
確かについさっきまで風をはらんでいた帆が、今は力なく垂れている。船のスピードもゆっくりになり静かに停止した。
いつの間にか空に薄雲が忍び出てきて、周辺がやや陰ってきた。ザフィールさんは慌てることなく、舵のそばにしゃがみ込むと何かの取っ手をぐいっと引き上げた。
「よっこらせっと」
そういって立ち上がったザフィールさんは手をぱんぱんと打ち払い、
「こういう凪いだときのために魔法具を取り付けてあるんだ。もっともあんまりパワーがないから、ゆっくりとしか進まないけどね」
と言った。
ふうん。電池式のスクリューみたいなもんか? 俺はそう思いながら、ゆっくりと進み出した船から周りの海を眺めた。
ふしぎと海面から霧が立ち上り、船の周りにどんどん立ちこめていく。
甲板で海を眺めながらおしゃべりをしていたみんなが、俺のそばにやってきた。船喰いのところにいたフェニックス・フェリシアも飛んできて、そばの船べりの上に降り立った。
どうした? と聞こうと顔を見回すと、なぜかみんなは不安そうな表情だった。ノルンが、
「この霧から不思議な気配を感じるわ」というと、サクラが、
「魔力じゃないですね。どっちかというと妖気に似てますけどね」
と言う。そうこうしているうちにどんどんと霧が濃くなっていき、今では船の周り五メートルほどしか見えない。
こんなに濃い霧の中では他の船と衝突の危険があるので、ザフィールさんが霧笛を鳴らして停泊した。ザフィールさんが、
「やれやれ。この霧が晴れるまで危なくて動けねえな」
と俺たちに言う。ノルンを見ると頭を横に振って、
「ダメね。風魔法を使おうとしたけれど、魔素マナが動かなかったわ」
と言う。俺はおどろいて「そんなことがあるのか?」と聞き返すと、「私も初めてね」と言った。
……確かに俺の気配感知も見える範囲にしか効かないな。
俺は静かに、
「みんな。何があるかわからん。警戒だ。……フェリシアはザフィールさんの近くで、船の周囲の気配を探ってくれ」
「了解」の声と共にみんな自分の装備を構えザフィールさんを中心に四方八方を注視する。
湿気が高まり、いやな空気が肌にねっとりと絡みつくように感じられる。船から見える範囲は変わらないが、その外側の霧がどんどん濃くなっていくのがわかる。
風もなく波も湖のように凪いでいて、わずかに船が上下するくらいだ。不気味な静けさがあたりに漂った。
不意に船の左前方の霧が流れるように動き出す。霧の向こうからチャプチャプと水の音と、木のきしむ音が聞こえる。
やがて霧に大きな黒い影が見えたと思ったら、一隻の古びた外洋船がゆっくりと姿を現した。
海面を漂うように近づいてくるその船を、俺たちは黙って見つめた。まったく人が乗っているような気配は感じられない。
ヘレンが、ゆっくりと近づくその船首に刻まれた名前を読み上げた。
「セル、レ、イオス?……セルレイオス!」
その名前を聞いて、ノルン達の顔色が一斉に青ざめた。ザフィールさんが呆然と、
「ば、馬鹿な」
とつぶやいた。そう。はからずもザフィールさんから教えてもらった海をさまよう幽霊船の噂。その名前がセルレイオスだったのだ。
「「「「い、いやあぁぁぁぁ」」」」
女性陣の叫び声が響き渡る。ただ一人、落ち着いている様子のヘレンは、慎重にメイスを手にセルレイオスを凝視した。
急に辺りの気温が五度ばかり下がったように冷気を感じる。
すぐさまザフィールさんも俺たちのそばにやってきて、漁船の船べりから向こうの船体を見上げ、
「おいおい。マジでセルレイオスかよ」
と言ったきり、絶句していた。

 深い霧のせいで全貌は見えないが、セルレイオスは全長三〇メートルほどのキャラック船のようだ。ここから甲板を見上げる限りでは人の気配はない。なぜか甲板に上がるタラップが下りたままだ。
霧が立ちこめる中、風も波もなく、ただ揺られた船体がギシギシと鳴っている。
ゆっくりと動いていたセルレイオスは、俺たちの乗っている漁船の真横でスッと停止した。ちょうど俺たちのすぐ目の前にタラップが降りている。
……乗れってことか? 
ヘレンが、
「まるで誘われているみたいね」
とつぶやくと、一番こわがっているシエラがびくっと体を震わせた。
俺の方を見て、
「ま、まさか行かないですよね?」
ときいてくるシエラに、俺は苦笑しながら肩をすくめた。
「このパターンだと行かないとこの海域から出られないと思う」
と俺が言うと、シエラはこの世の終わりのような顔をした。俺は近づいてやりそっと手を握ってやる。
「俺もいるし、ノルンもヘレンもサクラもいるよ。特にヘレンは聖女の弟子だ。幽霊なんて怖くないさ」
と励ますが、まだまだ不安そうな顔をする。……う~ん。まさかシエラがこんなに幽霊船を怖がるとはなぁ。サクラが手をぽんと叩いて、
「あ、そうだ。幽霊と言えば……」
としゃがんで親指を小さく傷つけると、おもむろに漁船の甲板にその手を当てた。
臨兵闘者皆陣列在前りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん! 来てください。お犬様!」
九字くじを唱える。サクラの目の前の甲板がまぶしく光り、そこには体高が一メートル五〇センチほどもある大きな白い犬が現れた。白いレトリーパー種のようだが、化粧まわしをして神聖な力を感じる。
……そうか。確かに犬の吠える声には邪を払う力があったな。
「わお~ん。……サクラ。お久しぶりですね」
お犬様と呼ばれた白い犬が、女性のような声で丁寧にしゃべった。
それを見ていたみんなの目が丸くなる。「えぇ! 犬がしゃべった?」と誰かが言った。
サクラがにこにこしながら、
「お犬様。ご無沙汰してます」
と言ってその犬の前でしゃがむと、俺たちを振り返って、
「お犬様。私の主人のジュンです」などとチームのメンバーの紹介をはじめた。
一通りに紹介が終わると、大きな白い犬が、
「私は犬神。どうやらサクラは良い仲間に恵まれたようですね」
と言いながら、俺の前まで歩いてきて俺の顔を見上げ、
「あなたはどこか懐かしい匂いをしていますね。もしやそなたは……。いえ今はやめておきましょう」
と言ってシエラに近づいていく。犬神は小さい声でシエラと何かを話していたが、やがてシエラの全身がぼんやりと光りだした。シエラが自分の体を見下ろしていると、犬神が、
祝福ブレスです。これでもう怖くはないでしょう?」
と言った。
シエラの目にいつもの力が戻る。俺はシエラの怯えが消えたのを見て、ザフィールさんに、
「セルレイオスに乗り込んでくるよ。……念のため、ノルンにこの船に結界を張ってもらうけど、もし何か異変があったら俺たちを待たずに船を走らせてくれ」
と伝える。ノルンが早速、ハルバードを両手で掲げて軽く甲板を叩くと、漁船がほのかに光を帯びていく。
「おお! 俺の船が光ってる」
とザフィールさんが驚きの声を上げた。
俺はみんなの顔をながめて一つうなづき、目の前のタラップに足をかけた。

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