06 幽霊船の記憶 1

――――。
一人、船に残ったザフィールはいかりを下ろし、セルレイオスの甲板を見上げながらジュンたちの無事を祈る。
――行ってしまった。
幽霊船。人の理の外にある船。きっとそこには忌まわしい歴史と苦悩が待っているに違いない。
確かにジュンたちは、ザフィールの知るどの冒険者にも当てはまらないところがある。結界魔法で海に潜り、しかも災害にも等しい船喰いを仕留め、見たことのない犬を召喚する冒険者。
そうではあっても幽霊船などという怪異に乗り込んでいくなど、はっきりいって無謀だと思う。たとえ、この霧が幽霊船のせいだとしてもだ。

 そんなことを考えているザフィールを、じわじわと今までにないほど濃密な霧が包んでいく。一歩先も見えないほどの霧。見えない恐怖にザフィールはかじを強く握った。
――手を離したら、どこまでも霧の中を落ちていってしまいそうだ。
じりじりと恐怖に耐えていると、次第に霧が薄まっていく。
ザフィールの目の前からセルレイオスの船体が消えていた。

 「な、なに? セルレイオスは?」

 霧はどんどん薄まって、ついにはザフィールの漁船は晴れた海の上に停泊していた。
しかし、どこを見回しても霧もセルレイオスもいない。あるのは見渡す限りの海と、曳航えいこうしている大きな山だけだ。
ザフィールは船べりに飛びついた。
「うおぉぉ。ジューン! どこに行ったんだ!」

 海風がザフィールの叫び声を運び、日の光が優しく漁船を照らしていた。

――――。
セルレイオスの甲板に出た俺は慎重に周りを見回す。
がらんとした甲板には乗組員の姿も遺体もなく、あるのはロープや樽など、航海に使っていたであろう物だけだ。足の下からギィギィと音が鳴り、相変わらず気配感知はまったく働かない。目に映るのは、船の周りを濃い霧が包んでいる様子だけだ。
「相変わらずの霧ね」
後ろにいるノルンがそう言った。その肩にはフェリシアがとまっている。

 「定番なら船長室を探すべきだろうな……」
俺はそうつぶやきながら船尾楼を見た。船尾楼の一階分高くなっているところの中央に一枚の扉が見える。恐らく、あそこが船長室だろう。
船尾楼のサイドに設置された階段に向かって歩きながら、
「サクラ。シエラ。甲板の警戒を頼む。俺はまず船尾の方を確認してくるよ。ノルンとヘレンは一緒に来てくれ」
と指示を出す。
甲板にサクラとシエラ、犬神を残し、階段をのぼり船長室と思われるドアに向かった。ドアの前で慎重に中の様子を探る。じっと耳を澄ますが中からは物音はしない。聞こえてくるのはギィギィという船体の音だけだ。
ドアノブに手をかけて静かに開けようとするが、ノブは固く固定されていて動かなかった。
「鍵がかかっているみたいだな……。サクラにお願いしてみるか」
俺たちは一旦船長室から離れ、階段を降りて甲板にいるサクラのもとに戻った。
「サクラ。船長室の鍵がかかっているみたいだが、開けられるか?」
「了解です! やってみま……、ひゃっ!」
突然、サクラが固まって船尾方向を見た。その顔が驚きに固まっている。
「うん?」
ゆっくりと振り向くと、先ほど開かなかった扉をすり抜けて、青白い光を放つ一人の若い男性が現れた。どことなく高位の貴族を思わせる服装に、意志の強そうな目をしている。やはりあの部屋が船長室で、彼が船長なのだろう。

 「きゃあぁぁぁぁ」
途端にシエラが悲鳴をあげるが、男性は聞こえないかのように反応しない。
俺たちが金縛りになったように静止した前で、男性が動き出す。
けれども船長室の外で船の正面を見つめていた男性の目には、俺たちが見えていないようだ。
「よし! 今日も快晴だ。このままだと、あと二週間ほどでベルトニアに着くな!」
と誰にともなくつぶやいて階段を降り、今度は船長室の下にあたる部屋のドアをすり抜けて船尾楼に入っていった。
男性がいなくなって、ようやく全身のこわばりがほどける。
「な、なんだ。あれ」
俺は思わずつぶやいた。沈黙があたりをただよったが、やがて犬神が、
「くぅぅん。……どうやら思いを残した霊がこの船に残っているようですね。……サクラ。しっかりしなさい。あなたは妖怪族ですよ。これくらいでびびってどうするのですか」
と言った。その目は男性が消えていった扉に向けられている。
「はぁい。すみません。お犬様」とサクラが言いヘレンが、
「お犬様。今のが霊なのですか?」とたずねた。
「あなたは霊を見るのが初めてですか? ……あれが未練を残した霊ですよ。ただし、私の見たところ、自らの記憶をなぞっているだけで人にたたるような悪霊ではなさそうです」
「危険はあるのでしょうか?」
「ふふふ。その時こそ聖職の貴女あなたの出番でしょうに……。今のところ狂っておそいかかってくる様子はありません。想いを果たしたならば自ずと天に昇るでしょう」
ヘレンはうなづくと、俺に、
「ジュン。行きましょう。あの人の残した想いを知るべきだわ」
そういうヘレンの表情は、何かを決意したように見える。俺の目を見て、
「……ずっと想いを残すって哀しいこと。私はそう思う」
と言うヘレンに俺はうなづいた。
……そうだな。きっと遂げられない想いを持ったまま、ずっとずっと海をさまよっていたんだろう。この霧の海をいつまでも。
破邪の力を持つ俺やノルン、そしてフェリシアに、ヘレン、犬神もここにいる。ならば知ろう。この船になにがあったのか。どんな想いが残されているのか。
そう考えていると今度はぼんやりとした光が男性の消えた扉から出てきて、俺たちの頭上を旋回し、ゆっくりと下の中甲板につづく階段へと消えていった。
「みんな。行こう。……残された想いを受け止めに行こう」
俺の言葉にみんな黙ってうなづいた。

 きしむ階段を降りて中甲板に入ると、そこは船員達の休憩スペースだったようだ。手前には小さなテーブルとイス代わりの樽がいくつも置いてある。奥の方にはぼろぼろになったハンモックが、まるで穴の開いた蜘蛛の巣のように垂れ下がっている。
狭い空間に入ったせいか、板に染みついた磯のにおいが体を包む。
外は霧で暗いはずなのに、なぜかぼんやりとした灯りに包まれている。ほこりが漂うなか、俺はテーブルの上の酒瓶を手にとって調べてみた。
「製造は三十年以上前か……」
そうつぶやいたとき、急に俺たちの周りに青く光る何人もの船員が現れた。
幻の船員がテーブルの周りで酒を飲み、奥の方ではハンモックで寝ているのもいる。
「なあ。船長の彼女。どう思う?」
「ああ? イゾルデか? ……そりゃ美人だし、俺たちにも頭を下げてくれるしお似合いだな」
「そういや。船長。こないだ正式に結婚を申し込んだんだってよ」
「おお! そりゃあ、いい話じゃねえか」
「何しろ、うちの船長はイケメンの癖して、なかなか奥手だからなぁ」
「はっはっは。ほら。前の港でみんなで酒場行った時……」
「ああ。あの時か。踊り子の女が船長に抱きついて」
「くっくっく。ありゃあ、傑作だった。船長ったら真っ赤になって」
「「「ぼ、ぼ、ぼくは美味しくありません!」」」
途端に船員たちの楽しそうな笑い声が響いた。まるで3Dのドラマを見ているようだ。
一人の船員が目尻をこすりながら、
「とても王族にはみえないっての。……ま、それが船長のいいところだな」
「ああ。そうだな」
「俺たちの船長に……乾杯!」「「「乾杯!!」」」
テーブルを囲んでいた船員達が一斉にグラスを掲げた。
一人の船員がつぶやくように、
「それにしても、二人を乗せるのが楽しみだよ。……このセルレイオスに」
と言った言葉を最後に、幻の船員たちが一瞬のうちに消えていった。

 しばらく余韻よいんひたるように黙りこくった俺たちだったが、ノルンが、
「どうやら過去の記憶みたいね」
と言い、周りを見回し「この船の記憶かしら」とつぶやいた。
俺は今の幻を思い返しながら、
「イゾルデ……か。船長の恋人だったみたいだな」と言うと、ヘレンが、
「船員もいい人ばかりだったみたいね」
「そうだな。ヘレン。みんな船長を応援していたみたいだ」
その時、唐突にサクラが、
「次に案内してくれるみたいですよ」
と言って指を指した。再び青い光の球がぼんやりと光りながら、さらに階段を降りていく。
それを見ながらシエラが、
「あれって人魂でしょうか」
とぼそっと言った。

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