08 トリスタンとイゾルデ

 船長室には奥に立派な机とイスがあり、手前には海図と羅針盤が置いてあった。壁には本棚があり、その隣には一人の女性の絵が飾られている。

 神竜のペンダントの光が収まると、机の側に今までの幻と同じような青く光る男性の姿があった。
船長だ。どうやら俺たちのことを認識しているようで、俺たちを見て、
「君たちは誰だい?」ときいてきた。
俺は、みんなから一歩前に出る。
「俺はジュン。エストリア王国の冒険者です。……船長さんですね?」

 男性は笑顔を浮かべて返事をする。
「おお! そうか。エストリアの冒険者殿か。確かに私がこのセルレイオスの船長のトリスタンだ。……丁度いい。君たちに聞きたいんだが、ここはどこなんだろう? 羅針盤が壊れてしまってね。海図を見てもよくわからなかったんだ」
「ここはエストリア王国のベルトニア近海ですよ」
俺の返事を聞いたトリスタンの霊は明るい表情で、
「ベルトニアの近海か。すぐそばまで来ていたんだな。感謝するよ。いつのまにかクルーもいなくなってしまってね。一人じゃ船も動かせないしどうしようかと思っていた」
「ああ、それは……」と俺は言いかけるが、トリスタンの霊は構わずに、
「それで、今は何月なんだろうか?」
と尋ねてくる。もう長いことさまよっていたのだろう。
「今年はヴァルガンド一五一一年ですよ」
「一五一一? なに? 一四七八年じゃなくて?」
「はい。一五一一年です」
トリスタンの霊は肩を落として、机に手を添えてうつむいた。
「うっ、では私は……、三十三年間もさまよっていたのか」
トリスタンは机の向こうにある窓から外をのぞいた。
沈黙が俺たちを包む。俺は語りかける。
「船長。……申し上げにくいのですが、船長はすでにお亡くなりになっております。霊魂だけがそのままセルレイオスとともに航海を続けてらしたのでしょう」
俺たちに背を向けたままで、トリスタンの霊はうなづいた。
「……そうか。……それでみんないなかったんだな。……。私もおかしいとは思っていたんだ」
トリスタンの霊は寂しそうな顔をして、俺たちの方を振り向いた。
「君たちはエストリア王国から来たんだったな。それならば頼みたいことがある」
「はい。できることならばお引き受け致します」
「エストリア王国のアルの街にマナベル商会があるだろう? そこにイゾルデという女性がいる。今が本当に一五一一年ならば、今は五十五才になっているだろう。その女性に伝えて欲しいんだ。僕は君を最後まで愛していたと」
マナベル商会? それってまさかイリーシャさんの? みんなも目を丸くしている。
「……船長」
「少し話そうか。僕たちの話を」
そういうとトリスタンの霊は話し始めた。

 トリスタンは、海洋王国ルーネシアの第二王子として生まれた。
生来、優しい性格。悪くいえば気が弱かったそうだ。
小さい頃から海が好きで、十八才になった時、父王は彼に一隻の外洋船とクルーを与えたそうだ。それがセルレイオスだった。彼はこの船とクルーが気に入り、幾度となく航海を行ったそうだ。
エストリア王国のベルトニアに着港している時、町の食堂で食事をしている時にイゾルデと出会ったそうだ。イゾルデは父親と一緒に商品の仕入れにやってきていたそうで、気が強いイゾルデとトリスタンはたちまちに恋に落ちた。
それからルーネシアとエストリア間を航海することが多くなり、ベルトニアに来た際には二人で逢瀬おうせを重ねた。

 トリスタンもイゾルデも縁談がいくつも寄せられたが、すべてを拒否していたそうだ。
そしてトリスタンが二十八才の時に、父王が退位して兄のパトリスが即位した。トリスタンは祝福し、兄のために外交官として働くことを決意した。
ルーネシア王国外交官として、初の航海でエストリア王国に来てイゾルデに会った時、トリスタンはプロポーズの言葉とともに母から譲られた指輪を贈った。
その指輪は、ルーネシア王家伝来の一対の指輪の一つで、兄は赤い石の指輪、トリスタンは青い石の指輪を持ち、互いに本当に愛する人に渡すようにと言われていた。兄はすでに正室の女性に贈って大切にしていた。

 内気なトリスタンであったが、クルー達から「いつまでもイゾルデお嬢さんを待たせるんじゃない」と叱られ、ついにプロポーズした。
――返事は次の航海で来た時に。
そう約束して、ルーネシアに戻ったそうだ。
イゾルデはその指輪を大事そうに抱え、次の航海を待っていると言ってくれた。

 いよいよエストリア王国へ出発することが決まった日、トリスタンは先に、
「今から君の待つエストリア王国に向かう。ベルトニアの防壁の上にて会おう」
と手紙に書いて送ったそうだ。
そして、兄のパトリス王に次に戻ってくる時には最愛の人を連れてくると約束して、船に乗った。兄夫婦は楽しみに待っていると告げトリスタンを見送ったそうだ。
クルー達も帰る時にはイゾルデお嬢様もお連れするんだと、事あるごとにトリスタンをからかい、そして励ましていた。

 エストリア王国まであと二週間ほどとなった時、クルーの一人が波間を漂う一つの木箱を見つけた。
その木箱には海神を示すモリのマークが刻まれており、粗末にするわけにはいかずにそれを拾って船長室に保管した。その中には見たことのない手のひらぐらいの大きな青い宝石のペンダントが納められていた。不思議な模様が宝石に彫られていてとても神秘的だ。
船長室の金庫に厳重にしまいこんだが、その次の日から急に海が荒れ始めた。
強い風と雨に船は翻弄ほんろうされ、時には竜巻も発生し、どんどんと波が激しくなっていった。そして、とうとう見たこともない巨大な波に横から襲われ、気がついたら一人で船長室にいたそうだ。

 何としてもイゾルデに会いたい。しかし、一人の船員もいなければ船を動かすこともできない。不思議と空腹は覚えなかったが、いつまでも晴れることのない霧の海を延々とさまよっていたそうだ。

 「きっとイゾルデは待っていたに違いない。返事を貰いに行くと約束した僕を。……だけど、僕はイゾルデの所へ行けなかった。
……もう僕には彼女の所へ会いに行くことはできないだろう。だから君たちにお願いする。彼女に、イゾルデ・マナベルに、僕が最後まで愛していたと伝えて欲しいんだ」

 「先ほどから気になっておりましたが、マナベルとおっしゃいましたか? ……船長。船長が渡した指輪というのは、少し無骨な作りで深い青色をした石の指輪ですか?」
「そうだ。王族がするには少し無骨すぎるデザインだったな」
間違いない。イリーシャさんの指輪だ。俺が確信すると同時にノルンが歩み出る。
「船長。私たちの知り合いにイリーシャ・マナベルという女性がいますわ」
「イリーシャ・マナベル?」と聞き返す船長に、今度はヘレンが進み出た。
「母の形見の青い石の指輪を大切にしていました」
船長は目を丸くする。
「青い石の指輪? 形見だと?」
「ええ。お母様はすでに亡くなられていると」
とノルンが言うと、哀しげに微笑んだ。
しかし、トリスタンの霊は何かに気がついたように顔を上げると、次第に喜びがじわじわと湧いてきたように顔をくしゃくしゃにする。
「イリーシャ……。イリーシャ・マナベルか! ……その方は三十代の女性かな?」
「はいそうですよ。確か三十三才ですね。元は大きな商会の一人娘だったそうです」
「そう、か……三十三才。……ふふふ。そうか。そうか」
船長の霊は目をつぶって上を向いた。つぶやき声が聞こえてくる。
「イゾルデ。君は、すでに僕の子を身籠みごもっていたんだね。……そして、あの時の約束を忘れずに……。ああ、僕も一緒に暮らしたかったなぁ。娘の成長を見たかった」
涙を流しながら船長は俺たちを見て、にっこりと笑って言った。
「ありがとう。イリーシャは間違いない。僕の娘だ。……かつて、二人で話したことがあるんだ。もし子供が生まれたら女の子だったらイリーシャって名付けようってさ。きっと彼女に似て、気が強い女性になっているだろう」

 俺の後ろの女性陣から、うぅっと嗚咽おえつが聞こえる。トリスタンは俺を机のそばに招いた。

 「君たち、ありがとう。悪いがもう一つお願いがある。……イリーシャにこの僕の日記を届けてくれないだろうか。報酬は……これだ」
そういうトリスタンは、机の上に置かれていた一つの木箱を指さした。
「これが海神の紋章のある木箱だ。中には例のペンダントが入っている。面倒をかけるかもしれないが、僕にはこれしかあげられるものがない」
「船長。……わかりました。その依頼。お受け致しましょう。必ずイリーシャさんに渡します」
俺がそう約束すると、船長の霊はうなづくと微笑みを浮かべた。
「頼んだよ。……ふふふ。僕はイゾルデのもとに行こう。そして、二人でイリーシャを見守ることにするよ」
「…………はい」
その時、俺とノルンの神竜のペンダントが再び光を放つ。先ほどと違い優しくやわらかな光だ。船長の霊が光に包まれていく。
「ああ……イゾルデ。ようやく君のところへ行けるよ。今度こそ、返事を聞かせて貰おう……。ジュン、みんな、お別れだ。本当にありがとう。……僕の航海はここまでだ」
そういうと姿が薄れていって青い光となり、天井を抜けて空へ昇っていく。

 俺は船長の霊を見送りながら、
「トリスタン船長。依頼は必ず果たします」
と、もう届かないだろうけれど船長に誓った。

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