09 トリスタンの日記

 船長デスクの上に様々な書類と眼鏡とともに古びた一つの木箱が置いてある。
 トリスタン船長を見送った後、俺はデスクに回り込んでその木箱を見下ろした。
 大きさは一八センチ×二六センチ×二六センチ。ちょうどB5の用紙が一八センチ×二六センチだから、その大きさを想像してもらえるといい。
 蓋には三叉銛のマークが浮き彫りにされていて、これが海神セルレイオスのマークなんだろう。
 気がつくとみんなも船長デスクの周りに集まってきていて、木箱を見下ろしている。
 俺はゆっくりと蓋を開けた。
 中には青いビロードのような布の台座に、青いペンダントがはめられていた。
 ペンダントの青い宝石は濃い青い色をしており、まるで海面を通過した光りが揺らいでいるように、内部の光りの揺らぎがゆらゆらとして見える。

――碧洋の瞳
 海神セルレイオスの聖域の鍵。海底王国ミルラウスの神殿に納められていた。
 セルレイオスの力が込められており邪を払う力を持つが、資格がなければその力を扱うことはできない。

 宝石の光が、のぞき込んでいる俺たちの顔を照らしている。
 サクラが、
 「不思議な石ですね。見ていると安心するというか、リラックスするというか」
 「ああ。中の光りが海の波のように揺らいでいるだろ? 1/えふぶんのいちゆらぎだ」
 「1/fゆらぎですか?」
 「ああ。自然界に存在する独特のリズムさ。これを体感しているとリラックスできるんだ」
 「へぇ。ということは私にとってのマスターの匂いみたいなものですね」
 サクラが急に変なことを言い出した。思わず、
 「に、匂い? お前……」と言いかけると、ノルンとヘレンが、
 「そうね」「サクラの言いたいことはわかるわ」
とうなづく。ヘレンはシエラに、
 「あなたもそのうちわかるわよ」
とほほえみかけると、シエラは「そ、そうですか?」と赤くなりながら少しうつむいた。
 ……お前らさっきから何の話をしてるんだ?
 フェリシアもノルンの様子に愕然として、
 (ま、マスター?)
と怪訝な念話を送ってきた。犬神もちょっと引いているぞ?
 憮然とする俺に、いつの間にかデスクを回り込んだサクラがぎゅっと抱きついてきて、鼻を鳴らす。
 「くんくん。この匂い! ん~、落ち着くわぁ」
 なぜかうらやましそうな表情をするノルンとヘレンを無視して、無言でサクラにチョップすると、
 「あうっ。いたたぁ」とサクラが額を抑えてうづくまった。
 ……まさかノルンとヘレンにまで、サクラの変態嗜好が伝染しているとは。

 俺は気を取り直して、木箱と並んでおいてあった分厚い日記帳を手に取った。
 シエラが、
 「それが依頼の日記ですね」
ときいてきたので、黙ってうなづいた。
 「トリスタン船長には悪いけれど、こいつはアイテムボックスにしまう前に中を確認したい」
と俺が言うと、ノルンが、
 「え? どうして?」
と首をかしげた。
 「このセルレイオスが遭遇した嵐について何かヒントがあるかもしれないからさ」
 「そっか。確かにあの船員たちの様子は、普通の嵐じゃなかったみたいだったわね」
 「もし碧洋の瞳を拾ったのが原因なら、俺たちも危ないからな」
 ノルンにそういいながら、俺はトリスタンの日記を開いた。

 上質な皮の装丁そうていに金色の紋様が押され、裏表紙には海洋王国ルーネシア王家の南十字星のマークがついている。非常に丁寧な作りで中の紙質もこの世界の物としては上等な物のようだ。

 ぱらぱらと日記をめくり流し読みをしていく。

一四七八年九月一日
 今日、父上が王位をパトリス兄さんに譲ることをみんなに発表した。
 僕は真っ先に兄さんにお祝いを言うと兄さんは照れながらお礼を言ってくれた。
 父さんも長い間、本当にご苦労さま。これからは母様とゆっくりできるのかな。
 そういえば、父さんは遂に一人も側室そくしつを置かなかった。前に聞いたら母様だけで手が一杯だなんて、笑いながらいっていたっけ。……僕もイゾルデだけいればそれでいい。

一四七八年九月十日
 今日は兄パトリスの戴冠式が行われた。これからルーネシアの国王として忙しくなるだろう。戴冠式の後のお披露目で僕は兄の隣に立って国民に手を振った。みんなうれしそうだ。
 兄の治世が安寧で、そして、繁栄することを心から願う。

一四七八年九月十二日
 兄から呼び出され、僕は外交官として活動することになった。セルレイオスに乗って、世界中を行き来するんだ。……夢みたいだ。ありがとう、兄さん。
 そうだ。最初の航海はエストリアに行ってイゾルデに会いに行こう。きっと喜んでくれるだろう。

一四七八年十月二十日
 一ヶ月の航海を終え、今日、エストリア王国のベルトニアに到着した。入国の手継きをして、宿に泊まる。イゾルデには明日会う約束になっている。明日が待ち遠しい。
 ……夕食をいつものようにクルーたちと一緒に食べていると、どうしたわけか、いつも以上にみんながからんでくる。
 いつまでイゾルデお嬢さんを待たせるんですか、か。……僕はイゾルデを愛している。イゾルデも僕を愛してくれているだろう。だけど、プロポーズか。内気な僕にできるだろうか?

一四七八年十月二十二日
 やった。やってしまった。今日。僕はイゾルデにプロポーズを申し込んだ。
 昨夜は、いつものようにイゾルデと愛し合った。今日はフリーだったので、そのまま一日デートにベルトニアをぶらぶらと歩いた。
 明日からは忙しくなる。イゾルデは今日は父親のいる宿に戻るそうだ。
 夕方、ベルトニアの防壁の上で、夕日を見ながら、僕は勇気を振り絞ってプロポーズを申し込んだ。イゾルデは、プロポーズの時に渡した指輪を、大事そうに抱えていた。あの指輪は母さんからもらったもので、本当に愛する人に渡しなさいとのことだ。僕にはイゾルデの他には考えられない。
 イゾルデの手にはめられる指輪を想像すると、僕はそれだけで幸せになる。以前に二人で約束したことを思い出す。男の子が生まれたらカール、女の子だったらイリーシャと名前を付けよう。……て、気が早すぎるよね。
 イゾルデからの返事は次にエストリアに来た時にしてもらう約束だ。ああっ。今から緊張するなあ。

一四七八年一月十日
 あれから忙しい日々が続くが兄に相談すると、エストリア行きを命じられた。イゾルデを連れてくるまで帰ってくるなとのことだ。僕は、必ず最愛の人を連れて帰ってくると、兄に誓った。
 セルレイオス。みんな。頼む。今度のエストリア行きは特別な航海だ。帰りはきっとイゾルデも一緒だろう。

一四七八年二月一日
 あと二週間ほどでベルトニアだろうか。ここまでの航海は順調だ。今日、クルーの一人が一つの木箱を発見した。蓋には海神の紋章である銛の図柄が描かれていた。
 海神セルレイオス。この船は、海神の名前をいただいている。きっと同じ名前のこの船を祝福してくれているんだろう。
 箱の中には、青い宝石のペンダントが納められていた。内部で光りが揺らいでいるのが見える。魔法には素人だが不思議な力を感じる。しっかりと蓋をして、しかるべき所に届けなくてはならない。
 この箱は海神様の物として、船倉ではなく船長室で管理することにした。

一四七八年二月二日
 今日、クルーの一人が幻を見たらしい。本人は、本当だと言い張っているらしいが……。なんでもぼろぼろの黒いローブを着て、白いのっぺりとした仮面を付けた人物が海面に立って、この船をじっと見ていたとのこと。
 見たのはそのクルー一人だけ。やっぱり何かの幻だろう。ただ気になるのは、ルーネシア王宮の北側の遺跡にある壁画が思い出されることだ。海の中に銛を構える海神に相対する、全身真っ黒で白い仮面を付けた人物。それが壁画に描かれていたことを覚えている。
 残念ながら、その壁画がいつからあるのか、そして、その人物が何を描いたものかは誰も知らなかった。
 何もなければいいのだが……。

一四七八年二月三日
 前の晩から、海が荒れ出した。だがこの程度の嵐など、セルレイオスとこの船のクルーならばどうということもない。
 三日もすれば、また晴天に戻るだろう。
 ああ、早くエストリアにつかないかなぁ。

一四七八年二月七日
 おかしい。嵐がちっともやまない。それどころか、どんどん強くなっている。こんなに猛烈な嵐は今まで経験したことがない。昼間には竜巻も発生したようだ。
 大きな波でひっきりなしに揺られていて、この日記も書きにくい。
 ……でも、僕は絶対にこの嵐を乗り越えてエストリアに行く。
 まっててくれイゾルデ。君の元へ――

 「日記はここで終わっている」
 静かに日記を閉じると、誰かが深く息を吐いた。
 わかっていたことだが、トリスタン船長の届けられなかった想いに胸が締め付けられる。
 しばらく誰も言葉を発せられなかった。

 「この想いを届けよう」
 俺がそういうと、みんなもうなづいた。
 「とすると、気になるのは黒いぼろぼろのローブを着た白い仮面の人物だな」
 ノルンが補足して、
 「そして、止むことのない嵐、ね?」
と俺を見る。
 「ヒントはルーネシア王宮の壁画にあるらしい。……シエラ。グラナダだと思うか?」
 敵のイメージとしてはデウマキナで戦った暗黒の天災グラナダを想起するが、違和感を感じる部分も多い。俺の中ではイメージがグラナダとは完全に重ならない。
 案の定、シエラも、
 「相対あいたいしてみないとはっきり言えないけど……、違う気がしますね」
と険しい表情を浮かべた。
 「ならば……、奴の仲間として考えておこう」
 「……そうですね」
 俺は日記の裏表紙にあるルーネシア王家の紋を見ながら、何気なく一番後ろの頁を開いてみた。
 「あっ……」
 そこにはトリスタン船長の最後のメッセージが記されていた。

 ――イゾルデ。今度こそ僕は君の元へ行こう。そして、愛する僕らの娘イリーシャよ。
 この日記を贈る。君の幸せを、僕はイゾルデとともに見守っているよ。

 「――か」
 そのメッセージを読み上げると、ノルンが、
 「最後に書いていったのね」
とやさしく微笑んだ。

 日記帳をノルンに渡して、船長室にあった私物と一緒にアイテムボックスに入れてもらい、、甲板に出るために扉に向かった。
 扉の前でみんなで整列し船長のデスクの方を向いた。
 「みなさん。長い長い間の航海。お疲れ様でした」
 そう言って敬礼し、船長室の様子を忘れないようにじっと見回し、扉から甲板に出た。

 ――お前らの航海に幸あらんことを!

 どこからともなくうれしそうな船員の声が聞こえた気がした。

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