10 遭難

 犬神が、
 「もうこの幽霊船には用はありませんね? ならば早く船に戻った方がいいでしょう」
と言う。
 甲板から見る限り、乗船したときの濃密な霧が幾分薄れているようだ。頭上からは柔らかな光が差し込んできている。
 早速、タラップから下をのぞき込んで俺は目を疑った。
 「な! ……ザフィールさんの船がないぞ!」
 みんなが「えっ!」といいながら船べりから下の海を見る。
 「おおい! ザフィールさ~ん!」
 しかし、返事はかえってこなかった。
 俺はわざとゆっくり深呼吸をする。今、俺が混乱するとみんなに伝染する。
 みんなの不安そうな顔を落ちつかせるように微笑みながら見つめる。

 「大丈夫。心配するな。いざとなったらいくらでも方法はある」
と俺が言うと、急にセルレイオスの船体が青く光りはじめた。
 「な、なに?」とみんなが慌てて警戒すると、船外に漂っていた霧が、さあっと押し寄せてきた。
 「みんな手をつなげ!」
 慌ててみんなと手をつなぐとすぐに濃密な霧が俺たちを包む。
 隣の人の顔もはっきり見えないが、かすかにフェリシアの燃えるような赤い色がにじんで見える。俺はつないだ手を強く握りしめた。
 「みんな大丈夫だからな。落ち着け」
と声を掛ける。気配感知では俺たち以外の気配は感じられないが、この霧の力がわからないから気を抜くわけには行かない。
 やがて船が上下にゆっくりと揺らぎはじめた。するとそれを合図にしたように、すうっと霧が晴れていった。
 「なにいっ!」「「「ええ~!」」」
 俺とみんなの驚く声が響き渡る。
 俺たちは、見渡す限りの晴天の海で一艘いっそうのボートに乗って波に揺られていた。

 「ど、どどどういうこと?」
 取り乱したようにヘレンが俺に聞く。ってか、立ち上がるんじゃない!
 さすがにこれは驚いた。霧はすっかりとどこかに消えてしまい。セルレイオスはおろか、ザフィールさんの船も姿が見えない。というか水平線まで海原が広がっている。
 「まじかよ……」
 そうつぶやくと、ノルンもひきつった顔で、
 「なんてこと……。ベルトニアまで一七〇〇キロですって」
と俺に伝えた。
 「はっ?」
 聞き返しながら、心の中で「探索 港湾都市ベルトニア」と念じると、視界に矢印が現れた。

――ピコーン。
 一〇時の方角に一七〇〇キロ。

 ノルンの言うとおりだ。まさか幽霊船に乗っている短い時間に一六〇〇キロ以上も流されたのか? っといけない。ほうけているひまはない。
 幸いにして波の高さは二メートルもなく、それほど高くはない。天候も晴天で風も穏やかだ。
 「今のうちに現状確認しよう。現在地はベルトニアの東南一七〇〇キロ。波は穏やかで晴天。俺たちは全員欠けることなくボートに乗っている」
 みんなの顔を見わたすと、みんなはうなづいた。
 「よし。では次にボートだ。全長は五メートル。中に食料は? ……ないか。ならオールは?」
 俺の問いかけにみんなが周りを見回すが、オールらしきものは見当たらなかった。
 首を横に振るみんなに俺は苦笑しながら、
 「まあ、食料はノルンのアイテムボックスに結構入っているから心配はいらない。水も俺の無限の水筒があるから問題ない。あるとすれば、このボートのサイズから海が荒れると危険だってことと、推進力がないってことか」
 つまり波に流されるまま、漂流決定だ。フェリシアに何度か偵察してもらい、陸地があればそこに上陸するのがいいだろう。……いや待てよ、
 「ノルン。ウンディーネにお願いして、水の精霊にボートを押してもらえないか?」
 「たぶん大丈夫だと思うわ。……もうちょっと場所があってミスリルがあれば転移魔方陣でいけたんだけどね」
 「どこか陸地があれば期待しよう」
 「了解」
 こうして俺たちは、ウンディーネの力を借りつつも、ベルトニアに向かって漂流をはじめた。

――――。
 はるか上空に一人の黒いぼろぼろのローブに身を包んだ白い仮面の人物がいた。
 白仮面の人物は、海を漂うジュンたちのボートを見下ろしながら、
 「ふむぅ。久しぶりに碧洋へきようの瞳の波動を感知したと思ったんだが、またロストしたな……」
 ローブから灰色の手を前に伸ばす。その全身から黒い瘴気が立ち上った。
 「我が目よ来たれ。碧洋の瞳を探してまいれ」
とつぶやく。その背後の空間が揺らぎ、一〇〇以上の青白い目玉が現れた。
 同時に、まるでコマ送りするように白仮面の人物を中心にどす黒い雲がわき起こり、空を覆い尽くしていった。
 「行け!」
と命令する声と共に、目玉の群れが三度、白仮面の人物の周りを旋回すると下の海に散らばっていった。

――――。
 「注意しなさい。空気が変わりました」
 ボートの船底でお座りをしていた犬神が、緊張をはらんだ声で俺たちに告げた。
 すると急に空に暗雲が立ちこめていき、当たりが薄暗くなった。
 「空に瘴気が渦巻いてやがる」
 俺の目には空の一点を中心に渦巻くような瘴気の流れが見えた。
 僅かに吹いていた海の風が止んで、凪いだ状態となる。嫌な予感がしやがるぜ。

 「何か来ます!」
 急にサクラが空を見てそう言った。慌てて空を見上げると、まるで鳥の大群のような何かが散らばりながら降ってくる。
 その正体はナビゲーションが教えてくれた。

――フォラスの目
 呪恨の天災フォラスの使い魔。戦闘力は低いが隠密に勝れ、人を操ることもある。

 くそっ。ここじゃ足場が悪くてまともに戦えないぞ。
 「ちぃ、敵だ!ヘレン、結界を!」
と叫んだが、すでに沢山の空飛ぶ青い目玉が押し寄せてきた。
 「だめよ! 間に合わない!」
 「マナバレット・ストローク!」
 ヘレンの叫びと同時にノルンの魔法が発動する。ボートの周りに二〇の魔力球が現れ、そこからバルカン砲のように小さな魔力弾が広域に放たれる。
 俺も全身に魔力を巡らせ、その魔力を風属性に変換する。
 「モード・風麗舞闘」
 俺の周りに渦巻く風を拳を突き上げて上空に向けて放った。拳の先から竜巻状に風が渦巻いて、フォラスの目の群れを巻き込み切り裂いていく。
 俺とノルンの攻撃でぽっかり空いた空間に、新たなフォラスの目の群れが押し寄せてきて切りが無い。
 「くそっ。切りがないな」
 せめてここが陸上なら他のみんなも戦えるんだが……。
 ヘレン達はそれぞれ自分の武器を構えて、攻撃の隙間から飛びだしてきたフォラスの目を叩きつぶしている。しかし、足下が不安定なのでそれ以上の攻勢にはでられない。
 周辺の海域では気圧が急に低下し暴風が吹き始め、雨が弾丸のように降り注ぐ。離れたところでは海から上空に向かって竜巻が生じ、大きな波で海がうねり完全に時化しけている。
 波に浮かぶ木の葉のようにゆれるボートの上で、フォラスの目に攻撃しながらもじりじりと焦りが涌いてくる。
 その時、身体強化した俺の耳にきれいな歌声が聞こえてきた。
 ノルンがはっとした表情をした。
 海の底から明るい光がいくつも浮いてきた。
 次の瞬間。
 海面から幾つもの光の槍が上空に向かって飛びだしていく。フォラスの目は光の槍に打ち抜かれて次々に黒い霞になって消えていった。
 「一体これは?」
 荒れるボートにしがみつきながらシエラとヘレンがつぶやくと、ノルンがマナバレット・ストロークを維持しながら、
 「ミルラウスの人魚たちだわ!」
と叫んだ。
 聞こえてくる歌がどんどんと大きくなっていき、海の底に大きな光が生じると、巨大な光の銛が海中から飛びだし、弾丸のように空の一点に向かって飛んでいった。
 光の銛は見えない壁にぶつかり、そこから四方八方に黒い稲妻がスパークしているのが見える。
 海中から飛んでいく光の槍によって、次々にフォラスの目が打ち抜かれてその数を減らしていく。
 段々とボートに近づく目玉も少なくなり、みんなも警戒しつつも、海中から発射される光の槍を眺めていた。
 ヘレンが油断なく周囲を警戒しながら、
 「どうやら助けられたみたいね」
と言うと、サクラがこわばった表情をしながら、
 「人魚ですよ、マスター! きっとグラマーですよ!」
とおどけた。
 と、その時、俺たちの背後の海面すれすれを五つのフォラスの目が、くるくると回転しながら突進してきた。
 ノルンが慌ててマナバリアを張ると、フォラスの目はそのままマナバリアに激突。その衝撃で船が大きく揺れた。
 「きゃっ――」
 ちょうど盾を構え直していたシエラが、バランスを崩して海に投げ出される。
 「シエラっ!」
 気がつくと、俺はシエラを追って海に飛び込んでいた。
 背後から、
 「ジュ、ジュン!」「だ、だめよ。ノルン。あなたまで落ちたら……」と叫ぶノルンとヘレンの声がかすかに聞こえた。
 バシャンと音を立てて海に飛び込む。耳元で海上の音が遮断され、耳元でこぽこぽと空気が上がっていく音がする。
 荒れている暗い海の中だがいくつもの光が見え、人魚たちの歌が聞こえてくる。濡れた防具や服が重たいが、気配感知でシエラを補足しそちらに向かって海水を蹴った。
 背後で犬神が俺を追って海に飛び込んできたのが感知される。
 俺は荒れる波に翻弄されながら、シエラに追いつき――。

――――。
 「シ、シエラ!」「あ、あぁぁぁ」「だ、だめよ。ノルン。あなたまで落ちたら……」
 ボートの上でははじき飛ばされたシエラを追いかけたジュンに、仲間たちが騒然としている。
 犬神がすっとボートの縁に足を掛け、サクラに、
 「私が行きましょう。わおおぉぉん。……サクラ。こちらは頼みましたよ」
 「お犬様! マスターをよろしくお願いします!」
 犬神は一つ吠えると、大きくジャンプし白い毛を輝かせながら真っ直ぐに海に入っていった。
 それを見ていたノルンがノルンが青ざめた顔でつぶやき続ける。
 「ジュン。ジュン。……」
 ヘレンがフェリシアといっしょにノルンの肩を捕まえながら、サクラに指示を出す。
 「サクラ! ボートと私たちをロープで固定して!」
 「はい! ヘレンさん」
 サクラは揺れるボートの上を器用に動き、波しぶきを浴びながらもロープを張り巡らしていく。

 海面から、第五波となる光の槍の一斉射撃が上空に向かって放たれた。
 波間から青い鱗をした巨大な蛇のような竜の体がうねり、海竜王リヴァイアサンがその頭をもたげて上空を睨む。
 広げたあぎとからまばゆい光が漏れ、次の瞬間、ドラゴンブレスがプラズマをまとわせ、空に向かって伸びていった。空気がその衝撃でびりびりと揺れる。
 ドラゴンブレスがどす黒く立ちこめていた暗雲に穴をあけ、その穴が広がるように雲が吹き飛ばされていった。

 六回目の光の槍の攻撃が、空にいる何かを追いかけるように発射され、海中に見えていたいくつもの光も空の何かを追いかけるように移動を始めた。
 頭を出していた海竜王リヴァイアサンがゆっくりと海に潜り、光とともに何かを追いかけていく。
 太陽の光が、未だに激しく波打つ海を照らし、水しぶきが空中でキラキラと光っている。

 まるで神話の一コマのような壮大な光景のなか、ノルンの叫び声が幾たびも響き渡った。
 「ジューン!」

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