11-22 ヴァルガンド創世期

 光が消えると、そこは何もない空間だった。光さえもなく、見えるのは星々の姿。そして眼下に見える、黒雲と赤茶けた大地と、灼熱の輝きが複雑な模様を描いている星だけ。

「ここは……」
 どこ? とクロノに尋ねようと思って振り向くが、そこには誰もいなかった。
「フェリシア?」
 いない。一緒にいるはずのフェリシアの姿がない。あわててフェリシアに念話を送ったけれど、返事は何一つ無かった。
 頭の中がからっぽになった。愕然とただ目の前の星を見つめる。

 フェリシア……。どこに行ったの? ここはどこなの?

 まさか一人だけ転移座標がズレたのだろうか。冗談じゃない。

「クロノ。あなたなのね。また何かやったんでしょう? どこ! どこなの?」

 心の底から叫んだ声は、あっという間に別の音に吸収されていく。――くっ。

 再びクロノを召喚しようと召喚魔法陣を練り上げようとするが、恐るべきことに魔素がまったく動かなかった。
 こんなことは初めてだ。どうする? どうしたらいい?

 ――その時だった。
「ノルン?」

 背後から、私を呼ぶ声がした。ぴしりと身体がかたまった。
 この声……。

 胸の鼓動が激しくなる。気がつくと神竜のペンダントがうるさいくらいに共鳴していた。
 全身が燃えさかるように熱を帯び、ただ振り返るだけなのに、それがやけにゆっくりと、もどかしい。

「――ジュン」

 そこにいたのは、ずっと探していた人だった。

 定められたる私の片割れ。分かたれし魂の相方である愛しい男。
 最後に見た時のままの服装だけれど、よほど苦労してきたのだろう、どこかヨレヨレになっている。
 それでも、あの穏やかな眼差しが、いつも私の心を満たしてくれるあの優しい瞳が、今まっすぐに私を見ている。

 会えた。やっと会えた。

 気がつくと私は泣いていた。目からぽろぽろと涙がこぼれ落ち、複雑な感情に胸が一杯になる。
 どれくらいの時間を離ればなれになっていたのだろう。長かった。ただひたすら長かった。

 足を踏み出せないでいる私に、ジュンがゆっくりと近づいてくる。一歩、また一歩と虚空を歩いて。
 目の前にやってきたジュンがそのまま止まらずに私を抱きしめてくれた。
 抱かれるままに胸もとに顔を押しつけると、彼の匂いにつつまれた。背中に回された腕が、もう二度と離さないとばかりに強く私を抱き留める。そっと私も彼の背中に腕を回した。

「ノルン」と声を掛けられ、顔を上げると、息が掛かるくらい近くに彼の顔がある。じっと見つめる瞳に、泣いている私の顔が写り込んでいた。
 そっと微笑む。

「ジュン。――ずっと会いたかった」
「俺もだ」
 そう言ってくれて、私の匂いを嗅ぐように顔を首もとにすりつけてくる。
 ずるい。私もしたい。
 思わず身体を強く抱きしめて、身体をすりつけた。

 ああ、幸せだ。こうして一緒にいられるだけで、もう充分だ。不安もなにも、消え去ってい……。

「ちゃんと再会できたみたいだね」
(おめでとうございます。マスター)

 そんな声がして、ジュンとほぼ同時に空を見上げると、そこには私たちを見下ろしているクロノとフェリシアの姿があった。

「――それで、そろそろ説明してくれるんだろうな?」
 思いのほか、その声に迫力があった。やっぱりジュンにも思うところはあるのだろう。
 いきなり転移つづきだったのだもの。

 クロノが苦笑いをしながら、ゆっくりと降りてきた。

「もちろん。でもその前に……」
 その言葉と同時に私とジュンの身体がほのかな燐光を帯びた。見るとクロノとフェリシアも同じように燐光を帯びている。

「これは?」
「うん。この時代に起きていることを見てもらうには必要な処置だよ」
「どういうこと?」
「すぐわかる。――さあ、行くよ」

 その声と同時に、私とジュンはクロノたちと一緒に、眼下に見える星に降りていった。

 見渡す限りの大地のあちこちから溶岩が噴火し、ガスと熱気が大気に充満していた。
 まるで世界自身の鼓動のように荒々しくも力強い振動が、大地を、大気を振るわせている。
 溶岩の赤い光が、上空に立ちこめる暗雲にも写り込んでいて、世界は赤と黒で塗り尽くされていた。

 炎と黒煙とが渦巻く世界を、クロノに連れられた私たちは空を飛び続ける。地表には見渡すかぎり溶岩が渦巻いていて、森も川も海もなかった。
 いや、ある意味ではこの溶岩が海なのだろう。

 不意に凄まじい熱風が渦巻きながら通り抜けていった。どこかで火山が爆発したかのような音が衝撃となって伝わってくる。

「この時代はね。ヴァルガンドが誕生した時なんだ」
 ジュンが驚いて、
「創世の時代か!」
「そう。だから今から連れていってあげる」
「どこへ?」
「――創造神さまのところへ」

 世界創造。そして創造神。
 クロノは私たちに何を見せようというのだろう。

 やがて溶岩の海の上空を飛びつづける私たちの前に、1つの大きな岩が見えてきた。
 クロノが言う。
「あれが大地のおへそだよ」

 それは、あのゾヒテの聖地にある巨大な一枚岩のことだろうか。
 形は見覚えがあるような気がしないでもないけれど……。

 その大岩の頂上に不思議なオブジェがあり、その前に4人の人影があった。そして、その4人を囲むように各属性の精霊たちと、6体の竜王たちの姿がある。

 あの中央のものは何かの魔道具だろうか。3つの輪っかが組み合わさり、その中央に大きな宝玉のようなものが光り輝いているところを見ると、すでに発動しているようだけれど。

 代表者らしき1人の男性が、なにやらそのオブジェを操作し、ほかの3人はひざまづいて、その作業が終わるのを待っているようだ。

 荒れ狂う大気を通り抜けて、その男性の声が聞こえてきた。
「よし。これで|この世のすべてを記録する装置《アカシツクレコード》の設定はすべて終了した」

 そう言って振り返った男性は、シンさんだった。

 ――え?

「おめでとうございます。主さま」
 そういってひざまずいているうちの1人、大柄の男が顔を上げた。あれは海神セルレイオスだ。……けれど、私の知っているセルレイオス神よりも、どこか声が固く、表情にも乏しいように思う。
 自らの主神を前にしているからだろうか。

「おめでとうございます」「主よ」

 他の2人も顔を上げた。1人は――、いや1柱は天空神ウィンダリア、そしてもう1人は無表情の少女の姿をした誰か、おそらくは地神トリスティアだろう。……随分と、アルの修道院で祀られた美女の姿とは相違があるけれど。

「3柱の我が眷属神よ。精霊たちよ。竜王たちよ。これよりは、それぞれの役目を果たせ」
 シンさんがそういうと、その場に集まった一同が「はっ」と|応《いら》えを返した。

 けれども私にとって、今、目の前にいるシンさんには強く違和感を覚える。
 まるでここにいるシンさんは、感情が無いような、機械か人形のような雰囲気だ。私たちの知っているシンさんはもっと違う。どこかいたずらが好きそうな、そんな男性だった。

「いずれこの世界にも命が生まれる。多くの知的生命体が生まれ文明を築いていくだろう。
 彼らは世界から生まれた神である私をも、きっと楽しませてくれるにちがいない」

 ああ、そうだったんだ。この世界を創造した神とはシンさんだったのか。そして、あの3柱の神がシンさんの従属神。
 そうか。
 真実を知ってみると、なぜか素直に納得してしまえる。今までにもそれを匂わせるようなことはあったのだ。

「――だが、私が世界そのものから生まれた神である以上、私は個にして完結せる者。この世界は|成住壊空《じょうじゅうえくう》の理を免れえない。遥かな未来のことに属するが、いずれ終わりの時は来るだろう」

 トリスティア神が顔を上げて尋ねた。
「主様よ。主様が造った世界の終わりなど考えたくはありません」
 セルレイオス神が続く、
「どうあっても終末を回避することはできないのでしょうか?」

 シンさん、いや、創造神は無機質な眼で3柱の神を見る。
「ウィンダリアも同じ意見か?」
 話しかけられた翼を持つ女性の姿のウィンダリア神も、どこか無機質な声で答えた。
「はい。そのとおりでございます」

「破壊といってもそれは無に帰するわけではないし、世界を存続させる方法も無くはない。だがそれには複数の因子が必要となる。
 それにだ。自らが創造した世界とはいえ、今のところ、そこまでの思い入れはない。故に生まれた者たちが、いかに生き、いかに死のうと、特に心を動かされることはないだろう。
 ――ただ、そうだな。もし遠い未来に、私自身に感情が生まれ、この世界を愛するようになったら……。その時はその時に判断することとしよう」

 シンさんはこちらを見上げた。
「せいぜいが、早くに破壊の使者が目覚めないことを祈ろう」

 私たちが居ることに気が付いている?

 しかしすぐにシンさんは視線を3柱の神たちに戻した。
「それでは奏でよう。創世の歌を――」

 次の瞬間、まるで世界が引き延ばされたように歪む。私たちは別の空間に強制的に跳ばされようとしているのだ。
 それと同時に、不思議な歌が聞こえてきた。3柱の神、精霊たち、そして竜王が歌っている厳かな旋律が――。

 その創世の歌を聞きながら、私たちはどこかに跳ばされた。

◇◇◇◇

「――はっ。ここはっ。ジュンは!」

 あわてて飛び起きて周りを探そうとしたところを、後ろから抱きすくめられる。
「ここにいるよ」
 前に回されたジュンの腕に、ほっと落ち着きを取り戻し、しずかに自分の手を添えた。

「はいはい。イチャイチャするのは全部終わってからにしてね」

 私は声の主の少年をうらめしく見つめる。

「クロノ? もう少しジュン成分を補充させてよ」

「ごめんね。でも、この場の滞在は僕の力でも限界があるから、早くして欲しいんだ」

 そういってクロノは部屋の中央を指さした。そこには台座に安置された八角形の聖石がある。

「ウィンダリア様の聖石だよ。――さあ、許可は出ている。早く取り込むんだ」

 許可は出ているって……。ご本人はなぜここにはいらっしゃらないのだろう。
「あ、ご本人は手が空かないから来られないってさ」
 ああ、そうですか。でも、まだもうちょっと、こうしていたいな。

 「う~ん」というと、ジュンが苦笑いしながら、
「ノルン。――俺もべったりしたいけど、ここは我慢しよう」
と言い、私の耳元に口を寄せてささやいた。「全部終わったら、滅茶苦茶にお前を抱きたい」

「うひゃう!」

 思わず変な声が出たのを誤魔化すように、私はジュンの手を引いて聖石の前に向かう。

 クロノとフェリシアは、そんな私とジュンを見守っていた。

 かつてセルレイオス神の聖石を取り込んだときのように、目の前の聖石を挟むようにして向かい合った。

「始めよう。ノルン」
「ええ。始めましょう。ジュン」

 封印解除。――神衣光輪。

 向かいではジュンが同じように封印解除を行った。
 私たちの神力があふれだし、漏れた神力が光の衣となる。いつみてもジュンの神力はまばゆい輝きに満ちている。

 2人同時に両手を聖石に向ける。
 使い慣れた神力を循環させ、その流れをジュンの流れと繋げる。やがて私の神力とジュンの神力がつながって、1つの大きな流れなり、私の、そしてジュンの身体を駆け巡り始めた。

 そっと目を閉じると、このジュンの力と共鳴しているときだけに聞こえる旋律が、私の体の中を通り抜けていく。

 向かいのジュンと目が合った。――やるぞ。――ええ。
 あうんの呼吸で、意識を目の前の聖石に集中せる。ウィンダリア様の聖石は、わずかに青を帯びた輝きをたたえていた。

 私とジュンの間の神力の流れに、聖石を繋げる。聖石の輝きがどんどん強くなり、やがて目がくらむほどの光となった。
 循環する力の流れに新たな聖石の力が加わり、激流のような力の流れとなっていく。その奔流に、髪が、神衣が激しくはためいた。

 すべてが終わり、力の放出を止めたとき、目の前の聖石は跡形もなく無くなっていた。

そして、向かい合っているジュンに変化が……。

――ジュン・ハルノ――

  種族:神
  年齢:26才 職業:冒険者
  クラス:――
  称号:当選者/聖石を宿せし者/分かたれし者/妖精と語らう者/殲滅者/響き合う者/愛をもたらす者/へたれ/ハーレムの主/ノルンの伴侶
  加護:シンの祝福
  ソウルメイト:ノルン・エスタ
  眷属神:サクラ、ヘレン、シエラ、カレン、セレン
  スキル:――――

 種族が、完全に神さまになってる――。それでも職業は冒険者なのね。すごくミスマッチだけど。たぶん私も同じステータスになっているのでしょう。

 ああ、不思議なことがある。
 前よりもジュンを強く、そして|傍《そば》に感じるのだ。

「ノルン。感じるか?」
 ええ。あなたの言おうとしていることはわかるわ。今なら、今の私たちなら――、
「時間を跳躍できる」

 ただ感覚的にだけれど、私たちがいた時代より未来のヴァルガンドには行くことも、知ることもできなさそう。
 そういう意味では、いまだ不完全といえるだろうか。
 それでも、そう、今ならできるのだ。みんなの元へ帰ることが。

 ジュンがやってきた。
 そして、これからやろうとしていることを感じたのか、フェリシアも飛んできて、定位置である私の左肩に停まる。
 ジュンと手をつないでクロノに振り返った。

「……クロノ。あなたが説明をしようとしていたことが、今なら何となくわかる。だからお礼を言っておくわ。
 ありがとう」

 時代を遡ってきた私の|来《き》し|方《かた》を思うと、それは天災の活動を追い掛ける旅でもあった。
 小国家群戦争、そして1000年前の魔族大乱、ブラフマーギリー帝国初期と。まあ超帝国のは天災がこのヴァルガンドにはじめて登場した経緯を見せること。そして見て来た歴史そのものが1つのことを指し示していると、ようやく気が付いた。

 ――世界の終わり。
 それがもうまもなく訪れようとしているのだ。

 まあ他にも、初代聖女の誕生、若き頃のパティスやアーケロンとも出会えたのは良かったと思う。

 ただ、その旅の果てにヴァルガンド創世を見た。それが意味することは、まだよくわからない。
 確かにシンさんが、名前を失伝している創造神だったことには驚いたし、世界創造を見ること自体に意味があったのかもしれないけれど……。

 私の手をジュンが握ってくれた。
 話すべきことは多い。そして、聞かせてもらうべきことも多い。
 それでも彼の瞳は私に語りかけていた。――まず、みんなの所に戻ろう、と。

 ジュンの目を見て、私は黙ってうなずいた。
 奇しくも言葉が重なった。
「「帰ろう」」と。

 もはや魔法陣は要らない。ただ神力を操作し、私たちを時の彼方に運ぶだけ。感覚を未来に広げ、ヘレンたちがいる時代をマーキングする。

 今、帰るよ。みんな。――――|時間跳躍《タイム・ジヤンプ》。

 

 


第11章 流浪の2人おわり

11-21 光の回廊

 包み込んでいた光がおさまると、私は幻想的な光のトンネルの中を、まるで重力などないかのように浮かび漂っていた。

 光から透けて見える外側の空間は暗く、上下左右ともに果てのない広大な空間が広がっている。ここは一体どこなのだろう?

 すぐ傍で、フェリシアも私と同じように空間を漂っている。
「今度はどこかしらね」
(マスター。おそらくですが、ここは時空回廊ではないかと)
「時空回廊?」
(ええ。……管理者は時精霊クロノです)

 フェリシアがそう言った途端、明るい声が響きわたった。
「正解!」

 それと同時に、私たちの前方に光が集まって少年姿の時精霊となる。
 ……ため息が出るのは仕方がないと思うんだ。ようやくのお出ましというわけね。

 ニコニコとした笑顔で、
「久しぶり。お姉ちゃん」
というクロノに、自然と据わった目になってしまった。

「……久しぶりね、クロノ。今まであちこちの時代に行かされたのは、あなたの仕業よねぇ?」

 特に凄んだわけじゃないけど、クロノが頬をひくつかせている。
「ええっとね。前の召喚にもすぐに行けなかったんだけど……。色々と忙しくてさ」
「ふうん。色々と。……貴方たち精霊ってさ、個にして全、全にして個の存在だったわよね」

 クロノっていっても同時に複数人の姿で顕現できるわけでしょ? 忙しかったなんてウソよね。

「あ、はは……。あはは。怒ってる?」
「ええ」

 右手に電撃魔法をまとわせて、わざとスパークさせると、クロノは「ひええぇぇ」と叫んで頭を下げた。「ごめんなさい!」

 まあ、これからの私に必要なことなのだろうと薄々感じてはいたので、すっと魔法を引っ込めるけれど、それでもねぇ。何も説明もなしに、あちこちの時代に跳ばされたモヤモヤは収まらない。

「ちゃんと説明しなさい」
「はいぃ! ――あ、でも、もうちょっと待って」
「あなたねぇ……」

 再び魔法を発動しようとしたら、クロノが慌てたように両手を身体の前に突き出している。

「いや、ホント。お兄ちゃんがもうすぐでここに来るから!」

 え? お兄ちゃん?
 ――ってジュンのことよね? ここに来るの?

 ふふ、ふふふふ。……そう。来るの。じゃあ仕方ないわね。少し待ちましょうか。

「……お姉ちゃん。顔がでれてるよ」
「不可抗力よ」
「いや、そりゃあ、抗えない力かもしれないけど」
「それでジュンは今どこにいるの?」
「まだ大変な状況だと思うけど……、見る?」
「ええ! もちろん」

 しょうがないなぁと言いつつ、クロノが光のトンネルの側面に手を当てた。するとちょうど私たちがいる所の光の壁が四角いスクリーンとなって、そこに映像が映し出された。

 初めに映し出されたのは海だった。空は真っ黒な雲に覆われていて、どうやら大きな嵐のまっただ中のようだ。
 空には何かが光の尾を引きながら跳んでいる。あれは何だろう。

「今ね。お兄ちゃんはあの乗り物に乗っているんだよ」
「……あれはなに?」
「魔導飛行機。時代はね。ブラフマーギリー帝国の末期。大破壊の時代」
「は?」

 大破壊の時代? なんでそんな時代に……。まさかジュンも私と同じように?

「ほら。堕ちてくる」
 クロノの言葉が終わるかどうかというときに、突然飛行機の上空から、巨大な龍が現れ、その長い尻尾の一撃で飛行機が真っ二つになった。

「あ、あああ。あ、ジュ、ジュン――!」
 いや! 死なないで!

 知らずのうちに私は神力を解放していた。座標は……
「ちょっと待った! 大丈夫。大丈夫だから、時空間に干渉しないで!」

 真剣にスクリーンに見入っていた私の目の前に、クロノが慌てて飛び込んできた。

「大丈夫だから。――ほら、ご覧よ」
 クロノに促されてスクリーンを見ると、空に散らばる機体の破片の中でキラキラと光を放つ何かがある。「彼の神力だ」

 一筋の光が天地を真っ直ぐに結んだ。その細い光の直線を中心に、その周囲が時間を止めたように、飛行機の破片などが宙に滞空していた。そして、ゆっくりと時計回りに回転しながら下に降りて行く。

 雲間から現れた黒龍。……あれはピレトだ。第2形態となった。
 ということは大破壊ってもしかして……。

「うん。そうだよ。あの天災6人によって引き起こされたんだ」
「でもそれっておかしくない? 大破壊でそれまでに培ってきた文化とか壊滅状態になるまで、ほぼ絶滅に近い破壊があったんでしょ? 人々の絶望や死の恐怖、苦しみで膨大な瘴気が発生したと思うんだけれど、それで邪神が復活しないなんて……」
「答えは1つだよ。まあ、彼らもわかっていて引き起こしたみたいだけどね」
「答え……」
「そう。時が来ていなかったんだ」

 時? ただそれだけなの?

「そうだよ。そして、それは決定的な理由なんだ。だから、この時、邪神の卵はまだ封印の中から顕現はしていない」

 ということは、私たちの時代で邪神が復活しているのは、何かのトリガーとなることがあったということ?

(マスター。動きがあります)

 フェリシアに教えられて我に返り、再びスクリーンを見る。

 ゆっくりと降下していった破片や、乗客らしき人々が海に着水するや、ジュンの放っていた光が消えた。
 クロノがスクリーンの映像をジュンのところまで近づけてくれる。

 あの人は気を失っているようで、波間にただよっていて、そしてそこに人魚が現れた。男性の人魚に抱き留められるジュン。
 ジュンの力に護られた乗客だった人たちも、人魚に助けられ、そして、全員が一斉にある方向に向かって泳ぎだした。

「あの先には水の神殿があるんだ」
 水の神殿といったら、あの海底に沈んでいた……。そういえば、聖女コーラルさんが命がけで結界を張ったのだったか。
「そう。それがこれから」

 やがて見えてきた水の神殿は、海へ突き出た岬の上に建っていた。しかも物々しい雰囲気が見て取れる。
 何かの襲撃に備えているのだろう。神殿騎士らしき男たちが海沿いに詰めていて、さらにその外側に急ごしらえらしき石の防壁が築かれていた。

 そんな神殿騎士たちの前に、海の中から姿を現した人魚たちが、ぐぐっと迂回をするように泳いでいき、救助した人たちを水の神殿の近くの浜辺に運んでいった。その中にジュンの姿もあるが、砂浜に横になった時点で、目を覚ましたようだ。
 そりゃそうよね。自然回復スキルがあるもの。

 そこへ神殿に勤める女性たちが現れ、介抱を始めた。おそらく騎士たちから報告を受けていたのだと思う。

 あ、ジュンだけが立ち上がって、去って行こうとしている人魚と何かを話している。
 やがて話し終えて、去って行く人魚を見送ったジュン。人々を介抱してっくれている女性たちを見て、そして神殿を見上げた。

 その時だ。突然、大きな地震が発生してようだ。激しい揺れに立つことができず、必死の形相で地面にうずくまる人たち。石壁が崩れ、せっかく積み上げた防壁の一部が崩れ落ちた。

「少し神殿内を見ておこう。当代の聖女がいるから」
 クロノがそう言って、スクリーンの映像を神殿内のものに切り替えた。

 神殿内の中央にある泉では、その中央に作られた台座のから、コンコンと水が湧いて出ていた。
 そして、その中央には小さな宝珠、――水の精霊珠が神秘的な青い輝きを宿していた。

 神殿に勤める10人の女性たちが泉を囲むようにしてひざまづき、一身に祈りを捧げている。
 そしてただ一人の女性だけが、泉の中に入り込んで祈りを捧げていた。

「あれが聖女コーラルだよ」
 教えてくれたクロノだけれど、私にはわかっていた。この女性が、かつて海の底で出会った聖女だと。
 たしか、大破壊の時代に神託により、その命を水の精霊珠に捧げ、その対価として水の神殿を守るための結界を張ったといっていた。
 今、目の前のスクリーンでまさにその時の様子が映し出された。
 ふっと力が抜けるように、泉の中で聖女が倒れ、それに続くように他の女性たちもその場に崩れ落ちていく。やがて中央の精霊珠が輝きを増し、そのゆらめくような青い輝きが精霊珠から広がって、神殿内を覆い尽くしていった。

 ここで再びクロノがスクリーンを外に切り替えた。神殿の周囲の海では、海の水がさあっと引いていき、普段は見えない海底が丸見えになっている。
 これは一体どうなっているのだろうか。

 遠く水平線の方で、突然海が盛り上がった。山なりにどんどん大きくなっていく海面。そのような高波が、次々に海岸に押し寄せてくる。
 よく見ると、その波の上に躍り出た魔物が、走ったり飛んだりしているのが見えた。

 しかし、その津波と魔物の大群から神殿を守るように、神殿の敷地の際から青い光が立ちのぼり、神殿を覆うドーム状の光の結界となっていく。
 津波が激しくその結界に激突し、さらに魔物たちが襲いかかっていった。だが、結界はビクともしない。
 それはそうだろう。あれは神託によって指示された、聖女コーラルたちの命と引き替えに発動した結界なのだから。
 だが守るだけではいつまで経っても魔物たちを倒すことはできない。津波が次々に押し寄せている状況ならば、あの中の人が外に出ていくことは不可能だ。

 その時、ジュンがある一点を見ているのに気がついた。その視線の先をたどって見ると、結界の手前で佇んでいる何者かの姿がある。周囲の魔物はひっきりなしに結界を攻撃しているけれど、その誰かだけは波の上にただ黙って立っているだけ。

 突然、再びの地震が起きた。ジュンがバランスを崩す。そして、次の瞬間、神殿のある一帯が、大陸が、ゆっくりと海に沈んでいった。同時に魔物たちも不規則に渦巻く海の水に飲みこまれていく。

 結界は津波は防いだものの、沈下していくことで押し寄せる海の水は防げなかったようで、結果以内に海水が流れ込んでいき、結界内の人々をも飲みこんでいった。叫び、逃げ惑う人たちの姿が見ていられない。
 そして、その波はジュンをも飲みこんだ。

「ジュン!」

 頭が真っ白になった。すぐに助けないとっ。
 焦りのままに封印解除をし、すぐさま転移座標を探る。しかし、その私の目の前にクロノが飛び込んできて、
「だから大丈夫! 大丈夫だから、その力は抑えて! お願いだから、時空間を乱さないでぇっ――」

 さっきもそんなことを言っていたけど、そんなことよりジュンがっ。あの人がっ。

 焦りのままにスクリーンを直視する私の目に、ある光景が飛び込んできた。

 海中に没したジュンが浮かび上がってきたのだ。その身体を燐光が覆っている。そしてなんとその傍に、別のクロノがいた。
「ほらっ。僕が助けに行ったから。大丈夫だから。ね? ね?」

 クロノが何か言っているが、そんなことよりジュンは本当に無事なのかどうかの方が心配でならない。
 そりゃあ、自然治癒スキルとかあるよ。けれどね。それで心配しないということはないわけで。

 燐光に覆われたクロノとジュンは、そのまま空高くまで浮かんでいき、そこから海に沈んでいく水の神殿を見下ろしていた。
 激しい波しぶきを上げながら、神殿の柱が、屋根が波間に消えていく。

 いや、神殿ばかりではない。
 空の暗雲からは幾度も稲光が走り、2人の眼下、いや私たちが見ている角度からも、黒い波に飲みこまれていく大地、突如として噴火する火山が見え、あたかも世界の終わりのような光景が広がっていた。

「これが大破壊――」
 思わずそうつぶやきが漏れた。

 私はまだ、このスクリーン越しだからいいけれど、ジュンは現実に人々が死んでいくのを、また天変の凄まじさを肌で感じていることだろう。
 だが、これでも邪神の卵の封印は解けなかったのだ。ならばこの時、命を落とした人々には、どんな意味があったのだろう。

 もちろん、すべての人々が意味のある死を迎えなければいけないとか、迎えるべきだとは言えない。人の死の価値を私が自分の思いを基準に、意味があるとか無意味だとかいうのは、あまりにも傲慢に過ぎる。
 死は等しくあらゆる人にでも訪れるのだから。

「もうすでに知っているだろうけれど、聖女コーラルが命を捧げて発動した結界は、海底に潜った君たちが訪れ、水の精霊珠を継承することで終わりを告げる」

「このあと世界はどうなったの?」
「うん。今は津波のところを見たけれど、他の所では火山が連鎖して大爆発を起こし、あるところでは幾つもの巨大竜巻に蹂躙され、またあるところでは魔物のスタンピードによって国そのものが消滅したりした。
 生き残った人類は、人魚族を除いておよそ10パーセントほどにすぎない。そして、都市の設備から魔導技術やらは軒並み失われてしまったんだ」
「……なんてこと」

「この時、邪神が顕現していたら、間違いなくこの世界は滅んで無に帰していたね」
「それでも時は来ていなかったと……」

 あのパティスの時代に、悪魔信仰者たちの勘違い魔法陣から現れた奴ら。きっと長い年月、様々な方法で人々を苦しめてきたのだろう。それが大破壊に繋がり、そして大破壊後も……。
 ヘレンの前世であるベアトリクスをはじめ、多くの悲劇があった。それに今は、邪神の卵が顕現している。いよいよ世界の終わりが近づいているんだ。

 はたして自分たちに彼らを倒すだけの力があるのだろうか。この聖石の力でもまだ足りない気がする。まだ自分たちが全ての力を引き出せていないのかもしれないけれど。

 そんなことを思っていると、スクリーンの中の2人の姿が小さくなっていき、そこで映像が終わった。

「……」
 私とは違うヴァルガンドの過去を、ジュンは見て来たのだろう。おそらくは、天災が活動してきたそれぞれの時代を。

 はたしてクロノはどのような理由で、私たちに過去を体験させたのか。私たちがヴァルガンドの過去を、天災のやって来たことを見届けることに、何の意味があったのだろう。

 物思いにふけっている私を、クロノが黙って見守っていた。
 その視線に気がついて顔を上げると、ひどく大人びた眼で、あたかもすべてを超越し、あらゆる物事を知り尽くしているかのような穏やかさをたたえた顔で、クロノが私を見ていた。

「さあ、最後の目的地に連れていくよ」

 その声とともに、私は転移の光に包まれた。

11-20 目覚め

 廊下が騒がしくなった。室内に控えていた騎士の1人、他の人の態度からおそらく近衛騎士団長だと思われる、が険しい表情をしながら外に出ていった。
 あっちは任せて、できたばかりの腕輪をパティに渡した。

「空気中からマナを集め、内部に刻まれた継続回復の魔法陣を発動させる腕輪よ。……ただし体力回復に特化しているから、怪我とかまでは回復できないけれど、呪いに対抗するにはこっちの方がバランスが良いでしょ」

「ノルン。ありがとう。――私はあなたに返せるものが何もないわね」
「将来に返してもらうから大丈夫。……それより早く、それを」

 着けてあげてと言おうとしたところで、外の様子が変わった。
「大臣! これは一体どういうことだ!」
 先ほど出て行った騎士が怒鳴る声が聞こえてきた。と同時に、今まで感じたことのない気配が生まれるのがわかった。

「――パティ。早くそれを皇帝陛下に。……フェリシアはアーケロンとここにいる人々を守って」
 本来は私のガーディアンだけれど、状況の変化を感じ取ったのだろう、素直に引き受けてくれた。
(わかりました)

 アーケロンは何が起きているのかわからない様子だけれど、水球をそのままの位置で固定しておき、こっちを見ているパティとルザミアにアイコンタクトを取ってから、私は部屋の入り口に向かった。

 とたんに誰かが吹き飛ばされてきた。部屋の中にいる医師たちや、近衛、神殿両騎士たちが驚いている。あわててこちらに向き直る騎士たちの気配を感じながら、壁に激突して崩れ落ちた騎士の姿を見た。
 鎧が切り裂かれている。その断面から僅かながら瘴気の残滓が見えた。

「騎士団、前へ。元貴族だろうと構わん。謀反である。奴らを誅せよ!」

 その声を聞きながら外を覗くと、そこには部屋を守るように陣形を組んでいる騎士たちと、その背中越しに何体もの異形の悪魔の姿が見えた。

 あの姿、雰囲気。とてもヴァルガンドにあるような気配ではなく、ひどく歪で異質。それなのに、どこかで感じたことがある気配。
 ――これは。

「悪魔ね。確かウルクンツルで……、天災モルドが引き連れていた……」
 知らずつぶやきが漏れるが、それを気にしている人はいなかった。

 なぜなら、すでに戦いは始まっていたからだ。
 前列の騎士たちが盾を構えて通路を塞いだままで前進し、悪魔とぶつかり合っている。腕が四本の悪魔や、翼を広げた悪魔、ゴツゴツした触手のようなものを生やした悪魔が騎士たちに襲いかかる。

 鋭い爪の攻撃、口から吐き出された炎。一転して戦場となった廊下であるが、騎士たちの武具も相当のものらしく、盾で攻撃を防ぐことができていた。

「フィジカル・グロウ・アップ」

 そんな騎士たちに、さらに身体強化魔法をかける。同時に悪魔たちの攻撃を防ぐためにマナバリアの障壁を張ることにした。

 騎士たちの指揮を執っているのは、さっき外に出て行った男の騎士だった。やはり近衛騎士団長のようだ。
 その彼は、自らのいかにも特別な宝剣と思われる武器に魔力を通し、一番近くにいる悪魔に襲いかかっていった。

 あの動き。私の身体強化魔法の影響もあるけれど、さすがは近衛騎士の団長といえる動きだ。技だけならば、ジュンとも互角に打ち合えるんじゃないだろうか。
 ……あくまで人の範籌の力に制限した場合は、だけど。それに相手も人ではなかったようだ。

「ぐわぁっ」
 腕が細長い剣のようになった化け物の一撃を受けた騎士が、一直線に横に吹っ飛び、仲間を巻き込みながら壁に激突した。
 さらに青白い肌の女性型悪魔のような化け物が、その目を光らせると、その足元から何本もの氷の柱が突き出て、まるで津波が迫るように襲いかかってきた。
 吹き飛ばされる騎士たちを横目に、私は前に飛び出すとハルバードを床にドンと突き立てた。
 魔力を流し込み魔法陣を構築。瞬時に結界を張った。

 光の壁が私たちを囲んだ瞬間、突き上げる氷柱の津波が激突してくる。
 ズガガガガッと凄まじい音を立てて、次々に地面から延びた光の柱が結界を貫こうとぶつかっては砕けていった。
 私の背後にいる騎士達が息を飲んで固まっている。

 ハルバードを支えながら、左手を化け物たちに向ける。
「|聖なる鎖にて縛れ《セイクリツドチェイン・バインド》っ」
 さらに魔法陣を正面に展開する。「貴方たちからは見覚えのある瘴気がみえる。――天災に魅入られたのね」

 周囲の空間から延びた光の鎖に身体を縛り付けられる悪魔たち。そのリーダーらしき男が笑った。

「天災など知らぬわっ。我らが神はデーモンさまのみ。――こんな鎖などっ」

 デーモンさま。その言葉も聞き覚えがある。そう。ウルクンツルで。しかも天災モルドが言っていた。居もしない悪魔だと。

「ようやく統一されたこの世界で、なぜそんなものを……」

「知れたことよ! 永遠の命を得て、栄光を我らのものとしつづけるのだ」
「哀れな人……。欲望には果てなどないのに。貴方たちは、自分たちの欲望によって破滅を向かえるのよ」

 そこへ誰かが走って出てきた。この気配。パティだ。
「もしや貴方たちの仕業なの? 今までの事はすべて!」
 血がほとばしるような問いかけの叫び。その声に、多くの感情が込められているのを感じる。

「そうだ! 皇太子を暗殺したのも。皇帝を、バローラムもニンバスも殺したのも、我らの手の者だ。だが喜べ! 彼らの流した血と無念の思いが我らに神への道を開いてくれたのだ」

 興奮している彼らのその声ともに、縛り付けていた私の鎖の魔法が消えていく。

「ふはははは。そのまま我らを縛り付けるつもりだったのだろうが、デーモンさまの加護を得た我らには時間稼ぎにしかならぬ」

「いえ……、違うわ」

 ――封印解除。神威解放。神衣光輪。

 可哀相な人たち。せめてこの力で浄化してあげましょう。

 白銀の光がほとばしる。神力が白銀の衣となって私を覆う。その間にもいくつもの攻撃魔法が私に殺到するが、自働展開された結界に傷をつけることすらできない。

「鎖は自分で解いたのよ。瘴気に犯され、その姿になってしまった貴方たちは、もう元には戻れない。デーモンなどありもしない悪魔に取り憑かれた貴方たちにはもう居場所はない。ならば、せめてこの力で送ってあげましょう」

 彼らの足元に彼ら全員を納めるほどの魔法陣を構築する。何人かの異形の悪魔がその魔法陣を破壊しようと執拗に攻撃を加えている。けれど無駄。

「浄化なさい。詠唱も祈りもなく。光よ。聖石よ。彼らを救いたまえ」

 無意識のうちに言葉を紡いでいた。
 多くの戦乱があったことでしょう。沢山の犠牲の果てに統一された世界。ようやくこれから長い安定の時を迎える。それを彼らの欲望で破壊させはしない。

「これから帝国は2万年にも及ぶ統治の時代を迎える。平和のうちに人々がかつてない繁栄をむかえる。――あなたたちの願ったようにね。だから安心して眠りなさい」

 魔法陣から猛烈な光が吹き上がった。彼らの身体がその光に飲み込まれる。
「ぐわあぁぁぁ。なんだこの光は! で、デーモンさま。そのお力を我らに!」
「無駄です。そのような悪魔など存在すらしないのだから」

 けれど私の声はすでに届いていないようだ。光に飲み込まれた彼らはすでに影となって踊っているようにしか見えない。
 やがてその影も少しずつ薄くなっていき、やがて完全に光に飲み込まれていった。

 光が消えた魔法陣を前に、私も神力を再び封印する。
 振り返ってパティを見ると、彼女は両の眼からぼろぼろと涙を流していた。「ノルン……」

 許せないという無念の思いが伝わってくる。私は彼女の身体を抱き寄せた。
「まさかあの化け物たちが……、兄を……」
「パティ」
「……悔しい! とても、悔しい!」
「もう終わったのよ。だから泣いていい」
「ごめんね。でも、ルザミア姉には聞かせられないから。今だけお願い」

 その言葉の途中から、彼女は我慢できずに嗚咽を漏らし始めた。
 近衛騎士たちは気を遣ってか、何人かは部屋の扉を閉じ、また何人かは倒した悪魔の痕跡を調べに散っていった。
 残ったのは近衛騎士団長らしき人だけ。

 パティを支えながらその人を見上げると、その人は右の拳を自分の胸に当てて頭を下げた。
「感謝する。殿下たちの仇を討ってくれて」
「本当はあなたが自分の手で仇を取りたかったでしょうに。すみません。出しゃばってしまって」
「いや、あのままだと深刻な被害が出ていたし、俺たちは第一に陛下や殿下を護るのが使命だ。私怨は二の次にすぎぬ。……正直にはそういう気持ちが無いではないけれど、それでも感謝している」

 どうやら本当に近衛騎士団長だったらしくテオドアさんというらしい。副団長たちも操られていたらしく、近衛騎士団内も混乱しているという。

「統一したからと安心していたツケが回ってきた。次は内なる敵を警戒すべきだったのだ」

 そういってテオドアさんは皇帝陛下の元へ戻っていった。化け物は退治したが、黒幕のことは今は伏せておいてくれるらしい。彼もわかっているのだ。ルザミアさんにショックを与えてはいけないことを。

◇◇◇◇
 パティスが落ち着いてきた頃、突然、彼女に神託が降りた。

 ――目覚めの時は来たれり。彼の屋敷にて彼らと出会うであろう。

 その神託を受けて、パティは神殿騎士を引き連れて財務大臣ダリウスの屋敷に行くというので、私もそれに着いていくことにした。
 予感があった。どうしても行かねばならないという。

 そんな私の気持ちをわかってくれたようで、パティはルザミアさんと話して、敵を倒したこともあって護衛依頼は終了としてくれた。

「パティ。お願いがあるの」
 何があるかわからないので、直接大臣の屋敷に転移をすることはしない。そのため馬車に乗って移動しているその最中に、私はとあることをパティにお願いしておいた。きっと必要になるから――。

 そう思いながら傍にいるフェリシアとアーケロンを見る。
(マスター)
 念話を送ってきたフェリシアにはわかっているのだろう。私はアーケロンに言った。

「アーケロン。これから先には危険な敵が待ち受けている。私と同じくらい強い敵が待ち構えている。だから……じっとしていなさい。私の魔法を、よく見て。いずれ、遠い未来にあなた自身も使いこなせるように」
(はい?)

 何のことかわかっていないだろうアーケロンに手を伸ばす。その小さな手を触り、これから彼女が辿るだろう運命を思う。
 その瞬間にも、馬車はダリウス大臣の屋敷へ近づいていった。

 かなり大きな屋敷だ。この空飛ぶ帝都の限られた土地で、ここまでの広さの屋敷を持っているというのは、さすがは大臣といえるだろう。
 そして、屋敷の中からは人の気配が感じられない。それを感じ取れていないパティたちが慎重に陣形を組んでいる。待って、危険だと止められたけれど、私は一番先頭で入らせてもらうことにした。

 神殿騎士に護られたパティが、
「本当に大丈夫なの?」
「ええ。――行くわよ」
 私はそう言って玄関の扉を無造作に開け放った。その瞬間、中から血の臭いがただよってきた。
 玄関ホールにすでに大臣保有の騎士団や帝国魔道士団のものと思われる死体が転がっていた。
 それを見た途端、後ろから誰かが息を飲んだのがわかった。

 凄惨な死の空気。まるで同士討ちをしたかのようで、どの遺体にも切り傷や魔法攻撃の跡が見える。
 遺体をまたぎながらホールを進み、正面にある階段を登って2階にあがる。左右に道が分かれているが、内なる感覚にしたがって左の扉を開け、、廊下を進んでいく。
 騎士たちはホール、そして1階の探索に半分ほど残してついてきた。パティもこっち側だ。

 やがてひときわ立派な扉を見つけた。
「そこは高位貴族用の応接室だったはずよ」
「来たことがあるの?」
「ええ。バローラム兄が結婚するときに」
「そう。――いい? 覚悟しておいて。この先に何があろうと、そこで立ち止まっている時間は無いと思うから」
「どういう意味?」
「おそらく扉を開ければわかる……」

 そう言い置いて、扉を開けた。その途端、パティが「兄さん! 義姉さん!」と叫んだ。
 部屋の中にはやはり既に事切れた遺体があった。それもどこかパティに似た男性と、この凄惨な場にそぐわない女性の遺体が。
 おそらくこれがパティの兄とその妻だった人なのだろう。

 やり方はわからないけれど、あの化け物の口述の通り、皇太子の死から始まる一連の事件に大臣たち悪魔信仰の一派がいたことはほぼ間違いないだろう。
 おそらく近衛騎士団、帝国騎士団、帝国魔道士団、更には第3皇子と第4皇子の派閥にも食い込んでいて、いいように踊らされ、その結果がこの部屋の惨状なのだろう。

 だがそれよりも……。
 私は部屋の一角、本棚に開いている隠し通路を見た。暗くぽっかりと開いているその入り口から重々しい空気が這い出している。
 あの奥だ。

 男女の遺体のそばに行っているパティに、
「この奥よ」
と声を掛ける。振り向いた彼女の指がかすかに震えていた。 
「――まだ事件は終わっていない。それを確認しに行かないといけない。わかってるよね」
「ええ」

 その返事を待って、私は自分たちの周りに障壁を張る。それも物理、精神、魔法の3種の障壁を。
「アーケロン。あなたはパティの傍に」
 そういって水球をパティの傍に移動させ、私はフェリシアを肩に停まらせたままで、その秘密の通路に足を踏み入れた。

 まるで地下室のようなヒンヤリとした空気と暗闇に包まれる。ハルバードの先に魔法の光を点す。廊下はすぐに階段になった。
 コツコツと私の立てる足音。後ろからついてくる騎士たちの装備の立てる音。誰もが息を潜めていた。

 果てしないように思われた階段が終わると、そこには部屋があった。緊張しながらそっと扉を開く。次第に高まっていく何かの圧力。

 だが、その部屋は応接室のようだった。部屋にはランプが点いていて、ソファなどの調度品を見る限り、ここが悪魔信仰者たちのたまり場だったことが容易に想定できる。

 さらにドアが2つあり、1つは転移魔法陣の部屋だった。おそらく、世界各地の悪魔信仰者達が利用していたのだろう。

 となれば……、残る扉は1つだ。

 私は扉を開いた。中は集会場のようになっていて、その中央に不気味な魔法陣が稼働していた。
 濃密な瘴気。普段は目に見えないはずの瘴気が、普通の肉眼でも認識できるほどの濃密な濃さの霧がただよっていた。

「なに、この部屋……」
「しっ」

 あの魔法陣の中央に人影がある。6人分の大小様々な人のシルエット。
 そう。それはとても見覚えのある人たちだ。

 魔力を練る。私の周囲に幾重もの魔法陣が現れ、ぐるぐると回転しながら形を変え、大きな球形の立体魔法陣となる。

 右手をその人影に向けた。
「――はっ」
 短い呼気とともに魔法を放つ。無数の光の弾丸が魔法陣から全方位に放たれ、すぐにその軌道を変えて霧の中のシルエットに殺到していく。

 バチュン、バチュンとその光弾が弾ける音が続く。攻撃は緩めない。だが、その時、女性の声が聞こえた。
「随分な挨拶よね。……けれど無駄ね。そんな普通すぎる魔法は、私たちにはきかない」

 その間にも光弾の攻撃を続けながら、私は口元に笑みを浮かべた。
「知っているわ。こんな魔法では貴方たちにはダメージを与えられないなんてことは」

 どうせここで本格的に戦うわけにはいかない。ただ単に、悪魔信仰者たちが呼び出したのは何かを確認に来ただけ。神託といい、天災がこの世界に顕現したという予感を確かめただけ。

「天災モルド、ゴルダン、グラナダ、ベリアス、フォラス、そしてピレト。邪神の使徒たち――」
「へえ。私たちを知っている。創造神様の使いか何か?」
「それは私じゃなくて後ろにいる彼女ね」
「なるほど」

 霧が急速に晴れていく。目の前の人たちに吸い込まれていったのだ。
 全身鎧の大男、ゴルダンがモルドの肩に手を置いた。
「もう少し状況を楽しみたいところだが、我らは目覚めたばかり。やらねばならぬことが多い。――もうゆこう」
「そうね。……また会うことがありそうだし」

 唐突に風が吹いた。屋内だというのに猛烈な瘴気の風が部屋の中に渦巻き、私たちの視界を奪う。
 私の障壁を突き抜け、それでも視界をふさぐ以外の効果は無い風。吹きすさぶ風に包まれながら、彼らの気配が消えていくのを感じた。
 耳元で「またね」というモルドの声が聞こえ、唐突に風が止んだ。
 ……風が止んだ後には力を失った魔法陣だけが残され、彼らの姿はきれいさっぱり消え去っていた。

 沈黙が戻った部屋。
 私は振り向いた。いまだに警戒している騎士たちの向こうにいるパティを見る。

 私の周囲にぽつりぽつりと小さな光がいくつも現れた。
 どうやら時間が来たようだ。

「パティ。お別れよ。……アーケロンをお願い」
 騎士たちのすき間を通り抜けてパティが前に出てきた。

「どういうこと? お別れなんて」
「大丈夫、また会える。未来の私をよろしくお願い。……アーケロンも、しっかり大きくなるのよ。魔法の訓練を怠けないように」

 どんどん舞い上がる光の粒が増えていく。それと同時に私の周囲でクロノの力が高まっていった。
(そろそろ行くよ)

 おや? 今度はちゃんとクロノが言葉をかけてくれたわ。
 見ていないかもしれないけれど、私は1つうなずいた。

「もう時間だわ。じゃあ――」

 元気でねと言いかけたとき、閃光が視界を埋め尽くし、私はその場から次元跳躍をしたのだった。

 浮き上がる身体。光の中をどこかに運ばれていく。
 これが天災の目覚めだったのか。

 それはきっととても大切な歴史の1つだったのだろう。深刻な出来事なのだろう。……でも、気がつくと私は微笑んでいた。

 パティ。またね。

11-19 牙をむく黒幕たち

 第4皇子ニンバスが本部の作戦室に入ってきたとほぼ同時に、不吉な報告が飛び込んで来た。

「こちら防衛第3班。敵が毒を撒いた模様。隊員が次々に倒れていく。万能解毒薬の効き目がない。未知の毒。しかも空気感染の可能性大――」

 それを聞いた騎士団長が盛大な舌打ちをする。
 すでに飛空船部隊はすべて撃墜したものの、毒とは厄介な。

「換気装置を吸気モードに設定。――皇子はっ。おお。ちょうど良いところに」
「状況は?」
「はっ。敵飛空船による砲撃を受けていましたが、すべて撃墜しました。侵入部隊もほぼ壊滅しましたが、毒ガスを撒いたようで、今、その対策をしたところです」
「帝都への被害は?」
「残念ながら、飛空船の墜落したところには……。市街地用の障壁は張ってあるでしょうが」
「くっ。……そうか」

 帝都の臣民への被害が出てしまった。これで帝城内で争いが起きていることが人々に知られてしまうだろう。

 その時、何もない空中に魔法陣が現れた。
「殿下! さがって。全員、敵襲に備えよ!」

 本部は転移妨害の設置型魔道具を常時稼働させている。
 そのため、自分たちも各地に出動する際は、あらかじめ設置してある魔法陣を利用しなければならなかった。
 それがどうやったのか、何ものかがここに転移してこようとしている。

 だが転移方法を追求するのは後だ。ここにはニンバスがいるのだから、なんとしても守らねばならない。

 カッと光った魔法陣から出てきたのは、閃光爆弾だった。それを見た瞬間、騎士団長のボルテスが、
「目を閉じろ!」
と指示を出したが、それより一瞬早く爆弾が破裂し、室内が凄まじい光と音に包まれた。

 幸いに、ここにいるのは精鋭中の精鋭である。目を閉じて、その爆弾をやり過ごした騎士が何人も居た。当然、騎士団長もそうだが、その目の前に5人の暗殺者が転移を果たしていた。
 すぐに動き出した暗殺者を見て、すぐにボルテスは殿下の前に立ちはだかった。

 そこへ蹴破るような勢いで扉が開かれ、副騎士団長ハフトンが騎士の一団を引き連れて現れた。
 ボルテスが暗殺者の1人と切り結びながら、ハフトンに殿下を守るように命じる。
 ハフトンはその指示通りボルテスとニンバスの間に入る。そして自分の魔導銃を抜くと、それで騎士団長のボルテスを背中から打ち抜いた。

「がぁっ」

 まさかの背後からの狙撃に、ボルテスが目を丸くする。だが、その次の瞬間、さらにハフトンがナイフでボルテスの背中に突き立た。刃の先は筋肉を突き抜け、ボルテスの心臓に達していた。
 口から血をはき出す騎士団長。信じられないといった表情で後ろを振り返ると、肩越しにハフトンと目が合った。

「き、貴様。裏切るのか」
 ボルテスは見た、ハフトンの更に向こうで、ニンバスが騎士たちに囲まれて、銃弾の集中砲火を為す術もなく受けているのを。

 もはや身体から力が抜けていく。だが、ハフトンだけは許せぬ。怒りに突き動かされ、道連れにしようと腰から手投げ爆弾を取り上げたが、次の瞬間、暗殺者によって腕ごと切り落とされた。

 すでに作戦室にいた騎士たちは床に倒れ伏し、生きているのは暗殺者とハフトン、そしてハフトンが連れてきた裏切りの騎士たちだけだった。
 全員の死亡を確認し終えたハフトンが、
「では次だ。――行くぞ。悪魔を呼び出し、我らが望みを叶えるためにはまだまだ生け贄が必要だ」

 ハフトン率いる反逆の騎士たちは、何食わぬ顔で本部内にいる他の騎士たちに近づき、次々に抹殺していった。

◇◇◇◇
 財務大臣ダリウスの屋敷に避難していたバローラムは、騎士団本部に攻め込んでいった大臣や古参貴族軍、帝国魔道士団からの報告を今か今かと待っていた。

 逆賊となったニンバスをここで討ち取らねば、もしも地表の国々に逃がしてしまえば、より大きな内乱となり、多くの血が流れることになってしまう。
 なんとしても、それは阻止しなければならない。

 妻のルミネシアも、ニンバス陣営の襲撃を恐れて、今この場にいる。
 室内には他に、ルミネシアの父である財務大臣ダリウス、魔道士団長リンフォスが待機をしており、壁際には警護役として近衛騎士団副団長のシムスが待機をしていた。

「まだか……、まだなのか」
 大臣が皇子をなだめるように言った。
「殿下、そのように焦るものではありません。こちらは飛空船まで出しましたから、いかな帝国騎士団とはいえ防衛に精一杯でしょう」

 それに|追従《ついしよう》したのがリンフォスである。
「向こうの副団長ハフトンらも既にこちらに引き込んでありますし、奴のお陰で大臣が秘匿する凄腕の暗殺者を転移で送り込むことができました。
 ……向こうも、まさか自分たちの仲間の内に敵がいて、しかも館内に直接転移していくなど、想像もしていないでしょう。必ず勝てますよ」

 ただ1人、納得がいっていないのか、青白い顔色になって怯えているのがルミネシアだった。
 彼女にとっては、第4皇子ニンバスもその妻パターシャも敵などではなかった。むしろパターシャに至っては、他の帝室の女性とともに女子会をしあう仲であったのに、今では決定的に敵対してしまっていた。

 ほとんど説明をしてくれないが、本当に皇帝陛下をニンバス陣営の手の者が襲撃したのだろうか? 内心では、そんな疑念を懐いている。

 けれど――。
 隣のバローラムの表情を窺うが、バローラムはバローラムで余裕がない。手が震えている。それを見たルミネシアは、無意識のうちにバローラムの手をさすってあげようと手を延ばした。

 その時だった。不意にルミネシアがその場で崩れ落ちた。

 ギョッとしたバローラムが、
「な、なんだ! どうした!」
と声を挙げ、まるで何かから逃げようとするかのようにソファから立ち上がりかけた。

 次の瞬間、その胸から剣先が生えた。目を丸くしたバローラムの口から血が流れる。その正面では、財務大臣ダリウスが笑っていた。

「ど、どうし、て……」
「我らが宿願のために贄となっていただきますぞ。……すでにニンバス殿下も先に逝っているでしょうし、寂しくないようにルミネシアもすぐに追いかけますからな」
 バローラムが虚空に手をのばし、がくんと倒れた。その目からは既に光が失われていた。

 バローラムを背後から刺した副団長のシムスを見て、リンフォスが1つうなずいて命令をした。
「――自害せよ」
 シムスはリンフォスの言葉の通り、バローラムを突き刺した剣を逆手に持ち、自らの胸の真ん中に突き刺した。

 それを見届けたダリウスが、
「では行こうか。……みなが待っている。いよいよだぞ」
「はい。第2皇女を捧げられませんでしたが、生け贄はもう充分でしょう。必ずや我らが神、――|魔神《デーモン》さまが応えて下さるでしょう」

 部屋の扉を内側からロックしたダリウスは、暖炉の飾りの一部を押した。すると壁の本棚の一部が動き、下り階段が姿を現す。
 ダリウスとリンフォスは、惨劇の現場となった部屋をそのままにして、その階段を降り、暗がりに消えていった。

 2人が降りている階段の先には地下に隠された部屋に続いていた。
 今、その部屋には20人ほどの貴族の男女が並んで、来たるべき時を今か今かと待っていた。
 部屋の中央には大きな魔法陣があり、それをぐるっと囲むように立っている。その顔には、誰もが顔の上半分を隠すような装飾のあるマスクをしていた。

 そこへダリウスとリンフォスが入っていった。そのまま一段高い祭壇に行き、ダリウスが振り返った。
「諸君。とうとうこの日が来た。魔力の高い帝室直系3人の命、そして、我らの障害となり得る皇帝に帝国騎士団も、もはや死に体だ。
 ……さあ、我らが同志リンフォスよ。儀式をはじめよう!」

 命じられたリンフォスが、魔法陣の手前に進んでいく。周囲に集まっていた人々も魔法陣に向きなおった。
 人々の手には不思議な色の石が握られている。
「ダルファ、ダルファ、ネフェシス、オーブリエン、ダーラム、ダーラム――」
 まったく未知の呪文がリンフォスの口から紡がれ、詠唱が進むにつれ人々が手に持っている石が光りはじめた。
「帝国騎士の遺体を糧に、天地を流れる魔力を糧に、我らが呼び声に応えよ」

 さらに詠唱が続いていく。1分、2分と続き、やがて魔法陣が輝きだした。
 それを見た1人の男が歓喜の声を上げた。
「おお。反応が!」

 急に魔法陣から黒い霧のようなものが吹き出した。彼らは知らなかったが、それは濃厚な瘴気だった。
 吹き出た瘴気は瞬く間に部屋の中を覆い隠す。

「こ、これは……。ぐおっ。ぐううおおぉぉぉ――」
 その場にいた人々が苦悶の声を上げた。全身を襲っている苦痛に身をよじりながら、地面に倒れ込む女や膝をつく男たち。

 やがてベリベリと彼らの服が破ける音がして、さらにメキョメキョと不気味な音を立てながら彼らの身体が変化していった。
 あまりにも濃密な瘴気に反応し、身体が魔物化していったのだ。

 ダリウスの身体からはもう一対の腕が生え、髪が全て抜けるとともに2本の角が生え、全身の肌の色が黒くなっていった。
 同じように化け物の姿に変化したリンフォスは、全身に赤く輝く宝石が埋め込まれたような姿になり、おなかにもう一つの顔ができた。全身から魔力があふれ出し、三つある目が赤く染まった。

 やがて変化が完全に止まると、化け物になった人々全員がいいようのない幸福感と快楽に襲われた。

「ふはははは。素晴らしい! これが人を超越するということか! ははははは」「おおっ。力の使い方がわかるぞ。すごいっ」

 自らの身体を見下ろし大笑いするダリウス。異形と化した人々。一斉に魔法陣を見るが、不気味に脈動するように黒く、赤くその光を変化させているだけだった。

 それを見たダリウスだった化け物が、
「どうやら力の一端は授かったようだが、デーモン様の降臨にはまだ血が足りぬようだ。もう一歩のようだが。魔力の籠もる血を、この魔法陣に流し込み、向こうの世界との通路を開かねばならん」
と言うや、別の化け物が、
「今の我らならば、帝国騎士が何人来ようと平気だ。人々の血を、――いや皇帝陛下の高貴な血を捧げ、完全なる顕現を願おうぞ」
と応えた。ダリウスはそれにうなずいた。

「お前の言うとおりだ。――ゆくぞ。目標は陛下の部屋だ。奴の血と魂ならば、常人の1000人分にはなろう」
「「おおっ」」

 異形と化した人々の周囲を黒い魔素が小さな竜巻のように包み込み、それが晴れるとそこには元の人の姿になった人々がいた。
 これは人化の術ではなく擬態だった。それも獲物を刈り取ろうという捕食者の、化け物が人知れず人間社会の中に潜むためのそれだった。

 よこしまな笑みを浮かべたダリウスたちは、もはや仮面をしていない。貴族の素顔のまま、転移魔法陣のある部屋に向かって行ったのだった。

「……デーモン様。今しばらくお待ちを」

 目指すは帝城。帝都の一般人では魔力が少なく贄になりえない。それよりも帝城にいる人間。――それも大きな魔力を持つ貴族、特に死にかけの皇帝はいい生け贄になる。
 たとえ近衛騎士とはいえ、今の自分たちならばたやすく屠ることができる。そう確信していた。

 誰もいなくなった部屋では、魔法陣から瘴気が噴き出し続けていた。
 どれくらいの時間が経っただろうか。しばらくして、その瘴気の中に一人の女性のシルエットが浮かび上がった。

 ――こ、こ、は。ここ、は。ここはヴァルガンドか。…………。そう。目覚めの時が来たのか。

 その女性の目が赤く光る。それの呼応するように魔法陣が、部屋が、屋敷が振動しはじめた。

◇◇◇◇
 パティが用意してくれた錬金素材は、さすがは帝国、実に多くの稀少な素材が集められていた。
 でも、呪いを完全に払うわけではないから、そこまでの素材は必要ない。

 心配そうなパティとルザミアさんが見守る中、また多くの医師たちが見ている前で、皇帝陛下への回復魔法に魔力供給をしながら魔道具作成に取りかかることにした。

 選んだのは、安定の魔導金属ミスリル。それと魔力貯蔵用としてマギテライト鉱石。デウマキナ山脈のほかでは隠者の島でしか採取できる場所を、私は知らない。
 この鉱石は魔素を魔力に変換する効率が最も良く、かつ膨大な量の魔力を貯蔵しておける鉱石だった。

 あとは魔法陣を刻めば良いんだけれど、破損の自動修復や回路の安定化を考えて触媒として、ユニコーンの抜け落ちた角、フェリシアの羽を一枚使わせてもらうことにした。

 もちろん回路は2重にしておくけれど、フェニックスであるフェリシアの羽を触媒にしておけば、どちらかの回路が破損しても時間経過で元どおりになるという寸法。

「じゃあ、始めるわね」
 私はそう言って、ミスリルに魔力を流して変形させ、腕輪型にし始めた。この後はマギテライト鉱石を埋め込んで、継続回復魔法の魔法陣と大気中から魔素を吸収する魔法陣を刻み、回路を作るだけ。

 作業を進めるうちに、新たなお客さんが来た。なんでも、ここ帝都のトリスティア神殿の神殿長で、総大司教の役目にある人でブラハムさんという。
 なんでもアトランティスの大司教カルディナさんに命じられたそうで、パティの護衛として神殿騎士を引き連れて来ていた。

 まだ公式にパティスが聖女であると発表はされていない。そのせいか、突然の神殿騎士の訪れに近衛騎士たちは警戒していたが、パティが許可を出して、今は近衛とともに病室の外を警護している。

「――完成しました」

 見た目はシンプルな腕輪だけれど、機能はしっかりしている。あとはこれを身に付けてもらって稼働させればよいはず。

 ところがそこへ不作法な人たちがやってきた。

11-18 激突

 財務大臣のダリウスは、バローラムが滞在している部屋から出ると、外で待機していた魔道士団長のリンフォスと目配せを交わした。

 帝城から少し離れたところにある大きな屋敷には、ダリウスが領地から呼び寄せた私設騎士団が駐留している。
 しかも要国にいる古参貴族たちが、各地で新興貴族たちからの攻撃に備えて、それぞれの抱える騎士団を動員していた。

 ダリウスは、リンフォスを引き連れて廊下を歩いて行く。
「大丈夫です。魔道士団もここに詰めていますから、いかに帝国騎士とはいえそう簡単に責めては来られませんよ」
「当たり前だ。――それで、例の方はどうなっている?」
 途端にリンフォスの口元がニヤリと笑った。

「ええ。どうやら座標をつかめました。――|通路《パス》を開けそうです」
 それを聞いたダリウスの口元も歪んだ。
「……そうか。ならば後は」
「ええ。その通りです」

 2人はそのまま階段を降りていった。

◇◇◇◇
 前方を飛んでいるフェリシアを追いかけるように、私たちは早歩きで回廊を走っている。

 気配感知を発動しながらではあるが、危険はない。ただただ、危険を感じさせるような張り詰めた空気がただよっているだけで。

 こんな時になんだけれど、帝城はやはり凄かった。空島の一つということも驚いたけれどスケールが違う。見渡す限りの建物群を見下ろし、しかも建物がとても重厚で荘厳さがただよっていた。
 ただ残念なことに、ここには暗く張り詰めた空気、暗闇が忍び込んできていて、今にもその暗闇に包み込まれそうなそんな不吉な空気に支配されている……。

 唐突に、パティが立ち止まった。
「待って! 今――」
 あわてて私たちも停まってパティを見つめる。彼女は、突然、胸に手を当ててひざまずいた。
 どうしたのだろう?

 うつむいて、小さく何かをつぶやいた。そしてゆっくりと目を開け、立ち上がる。
 振り向いた彼女が言った。その表情は真剣そのものだ。

「神託がおりたわ。――いにしえの封印が解け、眠りし神が目を覚ますと」

 ルザミアは何のことかわかっていない。おそらく初めて神託に触れたのだろう。
 だが私は違う。そして、その神託は不吉な響きがある。パティが聖女になったときの話と合わせれば、意味するところは一つしか考えられない。

 災いの使者。その活動がはじまるのだろう。
 そして、私には予感があった。おそらくだけど、それはあの天災の6人なのではないかと。

 再び私たちは走り出した。
 やがて廊下の先に、近衛騎士たちが詰めている一角が見えてきた。パティスとルザミアを見た騎士たちが道を開ける。私もじろりと見られはしたが、そのまま中に通された。
 医師たちだろうか。白い服を着た医師たちがベットの周りに集まっている。何人もが回復魔法をかけ続けているその真ん中に、皇帝陛下が横たわっていた。

 火球の攻撃魔法を受けたと聞いていたが、さすがにその外傷はすでに回復しているようだった。だが、生命力が弱まっている。

――ガルバドス・ブラフマーギリー――
  種族:三ツ目族
  年齢:78才  職業:ブラフマーギリー皇帝
  称号:皇帝
  スキル:……………(省略)………
  状態:衰弱、生命供物の呪い(隠蔽、ランク7)

 その数字を見た時、戦慄が背中に走った。
 呪いだ。それもランク7。勇者スキルを越える、神の御技レベルの……。本当に、何が起きているの?

 見たところ、少しずつ生命力が吸い取られる呪いのようだ。供物ということは、吸い取られた生命力が何かに捧げられているということだろうか。

 それに……、このランクの呪いでは……。
 私の浄化魔法も、ステータス上ではランク7だけれど、ランク7にどんな魔法があるのかまったく知らないし、一度も発動できた|例《ため》しがない。封印を解除して、神力を使えばどうにかなるかもしれないけれど、……それでもこのランクでは本当に浄化できるのか自信がない。

 その時、皇帝陛下が弱々しく手を伸ばした。
 パティが泣きそうな顔でその手を取り、自らの額に当てる。それを柔らかく微笑みながら見つめる皇帝。そして、その視線はルザミアに向けられた。
「ルザミアよ。……お腹の子どもは順調か?」
 その言葉に周囲の人々が驚愕の目でルザミアを見た。ルザミアの目からみるみるうちに涙がこぼれる。
「はい……。陛下」
「元気な子どもを産むのだぞ」

 ちょっと待って。
 悪いけれど、ここに私がいる以上、そう簡単に死なせはしない。
 私は前に出た。それに気がついた皇帝陛下が私を見る。同時に、医師たちも近衛騎士たちも一気に警戒しているのがありありとわかった。

「そなたは」と言いかけた皇帝に、パティが、
「私の魔法の先生よ。ノルン・エスタ・ハルノ」
「魔法の先生? お前の?」
「ええ。――ノルン?」
「お初にお目に掛かります。ですが、そのような挨拶をしている時間はありません。陛下は呪いに掛けられています。それが回復魔法を阻害しているのでしょう」

 それを聞いた医師が、
「馬鹿な。鑑定には何も。それに浄化魔法も掛けているのだぞ」
「ランクが足りないのでは」
「何を言うか。ランク5で足りないなどと……」
「それ以上の呪いです」
 パティがすがるような目で私を見た。
「ノルンなら浄化できるかしら?」

 けれど、私は首を横に振る。
「いいえ。無理だと思う。それほど巧みで強固な呪いなのよ」
 悔しそうな顔になったパティに、私は言った。
「それでもできることはある。医師団の人たちがやっているのがその対処の1つ。……けれど、そろそろ皆さんの魔力も危ないでしょう」
 マナポーションも飲んでいるのでしょうけど、限界は近そう。だからね。
「私がやるわ。回復魔法を継続して掛ける」
 え? という顔をするパティと医師団。
「大丈夫。私の魔力量は果てしないから」
 魔力無限スキル持っているからね。そして、皇帝陛下を見て「よろしいですか?」と尋ねる。

 今、現在進行で回復魔法を唱えている医師たちが、干渉されることを恐れて私を止めようと動く。だが、パティがそれを手で止め、私を見た。
「ノルン。お願い」

 皇帝陛下を見る。陛下が無言のままでうなずいた。
「では――」

 継続回復魔法シナクティ・ヒール。

 陛下の頭上に緑の光が輪を描くようにクルクルと回り出した。その軌跡から回復魔法の光のかけらがパラパラとこぼれ落ちる。

 浄化の効果も意識しているせいで、医師団の魔法とは光の色が異なっているが、あとは吸い取られる生命力ときっ抗する程度に回復量を調整できれば、理論上は問題ないはずだ。

「他の方は少しずつ魔法を解いて下さい」
 私がそう言ったけれど、医師たちは良いいんですかという顔で皇帝の顔を見る。それにうなずいた皇帝。
 医師団の団長だろう男性の指示で1人ずつ回復魔法を止めていく。その度ごとに、私の魔法の負担がグンと増えた。……さすがは帝国の医師団というべきでしょうね、この必要魔力量は。

 心配そうな表情をするパティに、「大丈夫」と言って微笑む。
「パティ。いくつかの錬金素材を持って来て欲しいの。この魔法を付与した腕輪かなにかを作るから。……それとそれが完成するまでは、ルザミアさんにはここにいて欲しいんだけど、いいかしら?」
「あなた……。まさか、そんなことまでできるの?」
「魔法の方は魔力供給さえ途切れなければ大丈夫だし、魔法陣を利用した魔法付与は、かつてあなたに教わったことだしね。
 それにこの室内に貴女たちがいるかぎり、護衛もできるわ」

 問題はしばらくここから動けそうにないということなんだよね。

 ルザミアさんが、私に深く頭を下げた。「ああ、ノルンさん! よろしくお願いします」
 この場にいる人たちの、皇帝陛下に対する思いに触れると、正直、迷ってしまう。そう。神力を使おうかどうかと。
 今まで無節操に使っているようにみえて、それでも神力を使う場面を制限してはいた。それを……。

 結局、決断できないまま、そのまま魔法をかけ続ける私だった。

◇◇◇◇

 一方、帝国騎士団本部。
 そこでは騎士たちが慌ただしく動き回っていた。
 喧噪に包まれた空気が、ニンバスのいる部屋にも扉を通り抜けて伝わってくる。

 ニンバスが見つめる先にはベッドに横たわる妻パターシャの姿があった。毒で命を落としたパターシャは今、状態保持の魔法陣によって死んだ直後の状態を維持してあった。

 本来ならば葬儀の準備を進めなくてはならないが、どうやらそれは当分先のことになりそうだ。

 控えめなノックがして、中に騎士団長のボルテスが入ってきた。
「殿下。……2時間後には編成が終了する予定です」
「わかった」
「ですが、本気でやるのですか? 相手はっ」
「くどいぞ。ボルテス」
「し、しかしっ」
「財務大臣ら古参貴族の悪事もつかんでいるだろう。……この機会に、帝国に巣くったウジ虫どもを一斉に駆除する。兄上とともにな」

 だがその時、大きな爆発音が響いて建物全体が震えた。無言で騎士団長を見るニンバス。わかっているとばっかりに、ボルテスはすぐに部屋を出て行った。

 その頃、騎士団本部は帝都上空に転移してきた軍用飛空船によって砲撃を受けていた。
 本来、飛行禁止地区であるのに、これはもはや戦争である。誰も止めるものも、止められるものもいない。

「障壁を張れ! エネルギーを回せ!」
「砲撃班。狙いは上空の飛空船。対障壁集中砲撃で1隻ずつ狙え!」
「はっ」

 本部の作戦室では、次々にボルテスの指示が出されている。
「先行部隊は?」
「はっ。第3急襲部隊を後詰めにおいて、残りの部隊はこちらに向かっております」
「よし。先手は取られたが、初撃を凌げば次はこっちの番だ。まずは奴らの軍船を破壊して打撃を与えるぞ」
「はっ」

 騎士団本部に設置されている魔道砲からビームのような砲撃が発射される。障壁を張ってそれを防ぐ飛空船側だが、1隻に砲撃を集中させることにより、その障壁を破壊し船を貫く。次の瞬間、砲撃を浴びた船が爆発した。
 1隻、また1隻と、巧みな砲撃技術により確実に破壊していく騎士団。

 だが、その隙に襲撃部隊が本部に入り込んでいた。
 本部内廊下に急遽バリケードを作る騎士たち。襲撃者たちのルートを制限し、追い詰めていくつもりなのだ。

 今もまた襲撃部隊の1つが廊下の突き当たりに追い込まれた。近くには窓もなくドアが1つだけ。そのドアを蹴破って中に侵入していく襲撃者たち。

 そこへ10人の騎士たちが駆けつける。先頭の者が扉の脇で中の様子をうかがい、ウエストポーチから手投げ弾を取り出すと、その安全装置を外して、わずかに扉を開けると、そのすき間から部屋の中に放り投げた。

 中から、「――くっ」「け、結界ぃ」という叫び声があがるとほぼ同時に、ボンッと部屋が爆風に包まれた。炎が唯一扉のすき間からも、わずかに漏れ出た。
 つづいて騎士の中でも透明な盾を持っている者たちが中に侵入。壁を作り、さらに魔道銃を持った騎士たちがそれに続く。

 あの爆風に普通なら生き残りなどいないだろうけれど、もし強固な結界を作る魔法使い、または魔道具があればわからない。
 案の定、生き残りが居たようで、中に入ってきた騎士たちに銃撃が加えられる。しかし、そのいずれも盾に防がれた。

 やがて銃撃戦の末に襲撃者は全滅した。その1人が持っていた通信用魔道具から、誰かの声が聞こえるが、それに応える者は誰もいなかった。

「よし。クリア! 次に行くぞ」
 騎士の班長がそう言い、部屋から出て行く騎士たち。しばらくして、またどこか遠くから戦っている音が伝わってくる。

 動くもののなくなったその部屋に転がっている遺体から、うっすらと黒い煙が立ってきた。しかしその黒い煙は、すぐに空気に溶け込んで無色透明になっていった。

11-17 内乱はじまる

 時は少し遡る。

 第4皇子は妻のパターシャと午後のお茶会をしていた。

 大きな庭園というよりも植物園ともいえる規模の温室。その一番端にあるテラスからは、帝都ブラフマーギリーがよく望むことができる。
 そよ風とともに、鳥たちが木と木の間をさえずりながら飛び交っていた。

「今日はね。お父様からこれが送られてきたのよ」
 パターシャの言葉とともに、侍女がニンバスに出したのは冷たいドリンクだった。
 それを見た瞬間、ニンバスの表情が明るくなる。
「お、これは……。アパータイのジュースか!」

 そのドリンクは、パターシャの実家のあるノーム大陸で採れる赤い果物のジュースだった。
 繊維質のその果物は濃厚な甘みがあって、そのままスムージーにしても、プリンやケーキにしても美味しく、ニンバスのお気に入りだったのだ。

 ここのところ気が張り詰めていてばかりだったせいもあって、妻の心遣いがうれしかった。
 妻の輝くような笑顔を見たニンバスは微笑んで、
「……すまんな」
「なにが?」
「いや、なんでもない」
「ふふっ。変なあなた」

 パターシャは、そこで思い出したように、
「ああ、そういえばルミナリア義姉さんから贈り物が届いたよ」
「贈り物?」
「なんでも新開発のお菓子らしいわよ」
「なんだ。自慢か」
 これもまた帝位争いの一環というわけだ。

「案外、そうかもね。……私もお菓子を作った方がいいかしら?」
「へぇ。パターシャが作るお菓子か……。それはさぞかし幾つ命があっても……」
「こらっ。失礼な奴っ」
「ははは。ごめんごめん」

 ひとしきり笑いあう2人。兄との功績争い、また勢力争いに、皇太子のアピールと忙しかったニンバス。
 そして、そんな夫を心配していたパターシャ。
 幸せそうな2人に、侍女もうれしそうに早速差し入れのお菓子を出した。

「ねえ。ニンバス」
「なんだい」
「大事な話があるの」
「ふむ?」
「実はね。……できたみたい」

 何が? と聞こうとしたニンバスだったが、パターシャがお腹に手をやるのを見て、目を丸く見開いた。
「本当か?」

 パターシャは笑顔でうなずいた。
 それを見たニンバスが満面の笑みを浮かべた。

「おお。おお!」

 喜びで言葉にならない。そして、パターシャはそんなバローラムを見て、うっすらと目尻に浮かんだ涙を気づかれないように拭き取った。こんな状況での妊娠報告に、実はものすごく不安だったのだ。
 良かったと安堵しながら、差し入れのケーキを一口食べた。

「はっ、そういえば義父上殿はもう知っているのか?」
 そう言いながら、ニンバスは紅茶を飲んだ。パターシャは首を小さく横に振って、
「まだよ。一番にあなたに教えようと思って……」

「そうか」「今晩にでも私から言うわ」
「じゃあ、陛下には俺の方から伝えておくよ。きっと喜ぶよ。初孫だからな」
「ふふふ。そうね。――――うっ」

 突然、胸を押さえたパターシャ。それを見たニンバスが慌てて腰を浮かせ、侍女が駆け寄った。
 つわりなんてものじゃない。パターシャはそのままイスから崩れ落ちた。全身から脂汗が吹き出している。
「がはっ」

 そのままバタンと倒れたパターシャを見て、ニンバスは激しく動揺し、名前を呼びながら必死の形相でその身体を揺すった。
 異変に気がついた帝国騎士団の騎士が駆け寄ってくる。すでに誰かが医師を呼びに行ってもいる。

「パターシャ! パターシャ!」
 その声に呼び起こされたように、弱々しく目を開けるパターシャだったが、震える唇で何事かをつぶやいた。
「なんだ。なんと……」
 しかし、次の瞬間、パターシャの身体からぱたりと力が抜けた。「おい。……嘘だよな。おい。パターシャ?」

 だが、パターシャは返事をしなかった。医師が駆けつけ、呆然と座り込むニンバスを横目に、パターシャを診るが、力なく首を横に振るのみだった。すでにパターシャは死んでいたのだ。

 ニンバスの目が、テーブルの上のお菓子を見る。
 紅茶を飲んだ自分は何ともないし、侍女は自分もよく知っている。毒だ。このお菓子が。誰か毒味をしなかったのか? だが、だが、それよりも。

 ――――兄上ぇぇ!

 一気に怒気がほとばしり出る。血が頭に上って、高熱で白く焼き切れようとしている鉄線のようだ。震える拳を地面に叩きつけた。そのまま、指を広げてわなわなと土を握りしめる。

 そんなにも! そんなにも帝位が欲しいか! 許さぬ。許さぬ。殺してやる!

 荒々しく立ち上がると、駆けつけた騎士にそのお菓子と侍女を確保し調査するように命じる。そこへやってきたのが帝国騎士団長のボルテスと副団長のハフトンである。
 ニンバスはボルテスに命じた。「犯人は兄上だ。腕の立つ騎士を連れてこい。――誅殺してくれるっ」

 初め半信半疑であったボルテスであったが、ハフトンが「はっ」と先に返事をしたし、今のニンバスには何を言っても聞きいれてはもらえそうにない。
 ならばと、こっそりハフトンにやり過ぎないように小声で命じ、さらにいざとなれば自分が身体を張ってでも、暴挙を止めようと決意をしてついていくことにしたのだった。

 回廊を帝国騎士を引き連れて突き進むニンバス。いつもよりも城内が騒がしいが、頭に血が上っているニンバスにはそんなこと気にする余裕はない。目指すはただ一つ。バローラムのいる部屋だ。

 ハフトンが誰かに聞いたのか、ニンバスを誘導し、バローラムがいるという部屋に向かった。

 すでに扉が半開きになっている部屋だったが、その異常さにも気がつかずに、どんと扉を開けて中に踏み込んだ。
 中にはバローラムと魔道士団長のリンフォス。そして、近衛騎士たちがいた。
 ニンバスを見た途端、バローラムが怒りに声を震わせて、
「ニンバス……。貴様。よくもここに顔を出せたな!」
と言うが、ニンバスも殺気をたぎらせて声を絞り出すように、
「兄上。――殺してやるっ」

「「容赦するな。やれ!」」

 2人の号令が重なった。はじめ戸惑っていたバローラム側の近衛騎士たちだったが、対峙している帝国騎士団副団長のハフトンが剣を抜き、他の帝国騎士たちも剣を抜いたため、やむなく自分たちも剣を抜いた。
 部屋のソファやテーブルが蹴り飛ばされ、その場は一瞬で戦場になった。

 帝国騎士団長のボルテスは、あわててバローラムとニンバスの間に割って入り、
「どちらもお止めください。――皆もすぐに止まれぇ!」
と叫んだ。
 だが、そこへ魔道士団長のリンフォスが電撃魔法を背中からたたき込んだ。無防備な姿勢で強力な魔法を浴びるボルテスは、「うああぁぁぁ、ああー」と苦悶の声を上げながらも足を踏みしめ、リンフォスをにらみつける。
「貴様ぁ。殿下のいる場で魔法など。どういうつもりだ!」

 だがバローラムは冷たい声でリンフォスに命じた。
「構わぬ。やれ!」
「はい。――ボルテス殿。お覚悟を」

 それを聞いたボルテスは、苦痛の中でも、自分の耳を信じられなかった。
 馬鹿な。一体なにが起きている?

「――くっ。殿下。一旦この場は引きますぞ! 撤退だっ」
 誰が放ったのか。その叫びに応じるように煙幕が炊かれた。煙が充満する室内で、なおも金属がぶつかり合う音や、誰かがぶつかるような音がしつつ、混乱のままにバローラムもニンバスも散り散りになって部屋から居なくなった。

◇◇◇◇
 ルザミアさんの護衛として、いま私は彼女の後ろのイスに座っている。

 ここはルーネシアの宮殿の彼女の居室。ちょうど今、パティが来ていて、女子会の計画を練っているところだった。
 なんでもウルクンツルにいる長姉のフォルセさんにも来てもらおうとか。パティの2人の兄も結婚しているらしく、その奥さん達も内緒で呼ぼうとか。どんどん話が膨らんでいっている。

 どうやら2人の兄は皇太子位を狙って勢力争いをしているが、決して相手を排除してというところ迄ではないらしく、それよりも女は女で集まって仲良くしておこうということらしい。

(なんだか楽しそうですね)
 定位置の私の肩にいるフェリシアがそう言った。
(男は男の、女には女の世界があるのよ)
(そんなものですか)
(まあ、うちの場合は男がジュンしかいないから、男の世界と言われてもわからないかもしれないけれどね)

 その時、いつもと同じように宙を飛ばせている水球の中にいるアーケロンが、
(楽しいの好き)
と言うので、苦笑しながら、
(アーケロンもおしゃべりが好きなのかな?)
(うん。海の中だと、おしゃべりする相手がいなかったから)
(人魚とかとは?)
(まだ会ったことがないです)

 ふうん。まあ海は広いし、確かこの頃はまだ人魚も部族単位で暮らしていたはずだからね。会えないこともあるか。

 そんなことを考えているところへ、突然、扉が開いて、女官長のエルベルタが飛び込んで来た。

「大変です! パティスさま!」

 まさにザ・女官長というような、模範的な女官のエルベルタさんがこんなにも焦っているなんて。何があったのだろう。
 めったに見られない慌てているエルベルタさんの姿に、面白いものを見たとばかりにパティは微笑んでいる。

「どうしたの? そんなに慌てて……」
「皇帝陛下が!」

 がたっと音を立てて立ち上がるパティ。エルベルタさんの必死の形相から、ただならぬ事が起きたことがわかってはいたけれど、予想外に大事件のようだ。
 そばのルザミアさんも息をのんで、|固唾《かたず》をのんでエルベルタの報告を待っている。

「魔道士団副団長の攻撃魔法を受けて重傷。危篤です」
「……なんですって!」
「現在、医師団が懸命に命を継いでいる状態とのこと」
「兄は?」
「それがバローラム様は財務大臣の屋敷に、ニンバス様は帝国騎士団の本部に籠もっています。……また未確認ですが、パターシャ様も亡くなられたとか」

 だがその説明では状況がさっぱりわからなかった。なぜに魔道士団の人が皇帝を魔法で攻撃する? しかも皇子が2人もいるのに、皇帝のそばに誰もついていないというのもよくわからない。
 パターシャさんというのが誰かわからないけれど、パティとルザミアさんの様子を見る限りでは、かなりショックを受けているようだ。

 一体なにが起きているというの? それに、パティはどうするつもりなのだろう。

「パティス。行かなくていいの?」
「……本当はそうしたいんだけれど、もし反乱とかテロだとすると、私が戻ることはまずいのよ」

 そういうパティスは、険しい表情を浮かべて拳を握っている。
 そうか。たしかにパティスの判断は、帝室に連なる者としては正しいものだなのろう。

 何ものかの襲撃ならば、今、皇帝の一員であるパティスが行くことは逆に危険。もしもの場合は、再び帝位継承権が発生する。
 しかも行くにしても、護衛という名目でここルーネシアの騎士団を連れていくこともよくないのだろう。それこそ反乱軍と見做される可能性があるから。

 となると、2人の兄のように自らの支援者のもとに身を寄せるのが最善となるのか……。だが、それでよいのか? 皇帝陛下は……。

 私も良い案を思いつけずにいると、ふとルザミアさんが、
「私が行くわ」
と言い出した。

「え? お義姉さま?」
「私が行けば、ノルンさんがついてきてくれるでしょう」

 そう言って私を見るルザミアさん。そりゃあ、私は護衛ですから、当然ついていくつもりだけれど……。襲撃から彼女を守り切ることについては問題ない。
 ただ心配があるとすれば、私なんかが帝国の心臓部である帝城に入っていいのかということだ。

 ところが、すぐに反対するだろうと思ったパティが、思案げな表情で私を見る。

「ノルンは、回復魔法も使える?」
「え? 使えるけれど、どれくらいのレベルの?」
「レベル5」
「それなら問題ないわ」

 ヘレンとかそのレベルだったわね。それ以上は勇者レベルだけど、以前、イトさんが使うところを見せてくれたことがある。だから、私にも使えるといえば、レベル6も使える。……もちろん、公表はできないけどね。

「やっぱり使えるのね。……よし。じゃあ、ついてきてくれる?」
「パティも行くの?」
「ええ。ルザミア姉も行くんなら、私も行くわ。だから、護衛をよろしく」
「いいけど、バラバラにならないでよ。私は1人しかいないんだから」
「割と無理を言っている自覚があるけど、平然と受けるのはさすがというか……」

 パティはそんなことを呟いておいて、急がなくてはと思い直したようで、他に最低限の騎士を連れて行くという。
 当然、エルベルタさんは反対したが、パティはそれを聞きいれず。逆に、アトランティス州全土でも騒動が起きる可能性があるから、各地駐留の騎士団と行政府に厳戒態勢の命令を出させることに。

 そうした諸々の準備を済ませると、私たちは帝都へと転移したのだった。

11-16 ルザミア

 落ち着いた調度品で彩られたその部屋は、穏やかな空気で満たされていた。
 私は、紅茶を飲むルザミアと対面して座っている。

「あ~、いい香り」
「ふふふ。これはね。ウルクンツルにいる義妹のフォルセが送ってくれたのよ」
「へぇ。ウルクンツルの……」
「北部の寒いところではあるけれど、デウマキナの北側の麓に良いお茶の産地があるのよね」

 それは初耳だ。戻ったら探してみよう。

「それにしても、いかに暗殺者からパティスを守ったとはいえ、ここまで仲良くなっているとは驚いたわ。
 ま、そこがあの子らしいっていえば、あの子らしいんだけど。そこまで無警戒な子じゃないし、よっぽど信頼されてるのね」
「ははは。ルザミアさんの護衛を頼まれているくらいですから……」
「おまけに平民だというのに、貴族の、それも帝室を前に怖じるようなこともなく。不思議な人」

 なにしろ神様にも知り合いがいますからね。

「幻獣を従えた美人の旅人だなんて、まるで神様の使いみたい」

 使いどころじゃなくて、神様そのものに存在が近づいているとは思うのですよ。もちろん、そんなこと言えないけど。
 私は苦笑しながら、「まさか」と言い、
「たんに転移で離れちゃった夫と合流しようとしているだけですよ」

 ジュンとだけじゃなくて、ヘレンたちとも離ればなれになっているわけだけど、何人も奥さんがいるうちの1人というと、話がややこしくなりそうだし、みんなには悪いけれど内緒にしておく。

「まあ、魔法陣で安定させていない転移は、事故が起きる危険もあるっているし、……ちゃんと再会できるといいわね」

 ルザミアさんはそこまで言うと、少し寂しげな表情をした。きっと夫のユリトゥス皇太子を思い出したのだろう。私と違って、亡くなってしまい永遠の別れとなった夫を。

 二度と会えない。
 そのことがどれだけ辛いか。ジュンと離ればなれになっている私にはそれがわかる。
 でも、だからこそ、そのお腹にいる子どもが愛しいのだろう。亡くなってしまった愛する人が戻ってきたように思われて。

 私がそのお腹を見ていることに気がついたらしく、ルザミアさんが微笑んでお腹をそっと撫でた。
 まだお腹が大きくなってくる時期ではないみたい。……一体どんな感覚になるのだろうか、自分のお腹に新しい命がいるっていうのは。

「正直、不安なことは沢山あるわ」
 そういってお腹にあてる手はそのままに、苦笑するルザミアさん。

「子どもだって産んだことはないし、出産の時はすごく痛いって聞くから怖い。それにあなたも知っているんでしょ? 今の帝城は……。
 私なんて、あの人がいなければ、いかに宰相の娘とはいえ単なる貴族の娘でしかないわ。何の実権もない。
 その点、パティスは凄いわ。あの子は領主として、ここを治めているんだから」
「たしかに。私も妊娠したことはないから。それに立場が立場ですものね」
「産んだとしても、果たしてこの子を1人で守れるかな。あの人がいないのに。私1人で……」

 もしかして、これってマタニティ・ブルーって奴かな? 大丈夫。慎重になるのは大事だけれど、大抵はどうにかなるものよ。この世界には魔法だってあるんだし。
 それにね……。

「1人じゃないでしょう? ルザミアさんにはパティがいる。それに、私は会ったことがないけれど、フォルセさんも力になってくれると思う。
 第一、お付きの侍女だって、女官の人たちだって、ルザミアさんを守ってくれる。きっとね」
「ふふ。……そうね。ありがとう」
「男の人が当てにならなければ、女同士で結束すれば良いのよ。お腹で子どもを育み、産むのは女なんだから」

 ルザミアさんがうらやましいって思う部分もある。
 私はいつになったら、子どもを産むことができるのだろう。
 いつになったら、再びジュンと合流できるのだろう――。

 無意識のうちに、ジュンの神力の宿っている指輪を撫でる。唐突に、かつてジュンと交わした会話を思い出す。

 あれはそう。ミルラウスに向かうときだっただろうか……。もしかしたら、この先、遠く離ればなれになってしまう時があるかもしれないと不安を感じた。

 ――縁起でもないな。でもそれなら……。見つけるさ。

 そう言ってあの人は力強い笑みを見せた。

 ――そうなったら、俺がノルンを見つける。必ずだ。

 その言葉に勇気をもらったんだった。だから私も言ったんだ。

 ――うん。そうね。私もあなたを探すわ。
 ――どっちが先に見つけるか競争だな。

 ――見つけられた方が、見つけた方の言うことを1つきくってことでどう?

 ――おっ? いいよ。俺の方が先に見つけて、ノルンにネコ耳付けて語尾に“にゃー”をつけてもらおう。

 ――あら? じゃあ、私はジュンに眼鏡をしてもらって、執事服を着てもらおうかしら。

 そうだった。そんな約束をしたんだった。

 神竜のペンダントにそっと手を添える。光ってこそいないけれど、今もなお、このペンダントは発動している。私はここにいるよと、いずこに在るともしれぬ相棒のペンダントに。
 もちろん見たいっていうんなら、ネコ耳くらい付けてあげるわ。今なら、いくらでもね。

 ――だから、早く迎えに来てくれないかな。

 ふふ。弱気になっちゃったか。らしくもない。

 ルザミアが優しげな目で私を見ていた。どうやら私の様子がおかしくなったことに気がついたみたいだ。
 くすっと笑って、この年上のお姉さんに微笑み返す。逆に私の方が励まされてしまった。

◇◇◇◇

 遠く離れた帝城の一室では、皇帝ガルバドスが第3皇子バローラムと宰相のデルビウム、そして帝国魔道士団長のリンフォスと打ち合わせをしていた。
 その場には他にも近衛騎士団長テオドアと、魔道士団副団長のログダーートがいる。

「忌々しいことに、よりによって竜王の生息域に攻め入った馬鹿者がいるようです」
 宰相の報告に、皇帝が「馬鹿者めが」と悪態をついた。

 帝国がヴァルガンドを統一したとはいえ、そのすべてを支配下に置いたわけではない。
 1つ、世界樹の結界内。
 1つ、空を飛ぶ2つの島。
 1つ、海神の支配下にある海底世界。
 1つ、ヴァージ大森林。
 そして……、1つ、竜王の生息域。

 これらの地域にはそれぞれの守護者がおり、人間が支配すべき場所ではない。霊薬の材料となるような稀少な薬草が採れるような場所もあり、中に入ることについては問題が無いが、ひとたび国家間の争いをそこに持ち込もうとすれば、それぞれの領域の守護者から壊滅的な攻撃によって拒絶されるのである。

 宰相が報告している事件は、よりによって、神竜王の支配下にあるデウマキナ山に侵攻したようだ。おそらく目的は竜王の加護を持つ竜人族の町だろう。

 侵攻したのはエストリア地方、東部の領主の3男と、とある商会子飼いの戦闘部隊のようだ。

「愚かな奴よ」
 吐き捨てるように言ったのはバローラムだ。
 当然のことながら、とっくに攻め入った者どもは、竜王率いる竜の大軍が放ったブレスの一斉攻撃により、跡形もなく消滅している。

「……しばらくはデウマキナへの立ち入りを制限した方が良さそうですな」
 リンフォスがそう言うと、皇帝がうなずく。すぐに宰相が、
「ではそのように手配します」
と言った。

 打ち合わせの案件はこれで最後だったらしく、早速、指示を出すために宰相が部屋を出て行った。

「少し休憩しようか」
 ガルバドスの一言で、近衛騎士団長が外で待機している侍女にお茶の用意を命じるために席を立つ。その背中を見ながら、ガルバドスはバローラムに言った。

「バローラムよ。今回の愚か者をそそのかした商会はそなたの陣営の末端組織だ。……しっかりコントロールしておくことだな」

 それを聞いたバローラムは驚きに目を見開いた。把握していなかったのだ。そして、自身が把握していないことまでも、ガルバドスの耳には入っている。そのことに、バローラムは戦慄を覚えた。

 そんなバローラムを横目で見てから、ガルバドスは向かいに座っているログダートにも笑わない目でほくそ笑み、
「ニンバスにも伝えておけ。愚か者は、そなたの陣営の端くれだ。きちんと管理しておけと」

「な、なにを……」
「そなたはニンバスの陣営だろう。しっかり伝えろ」

 それを横から聞いていたバローラムが興味深そうにログダートと見た。
「ほう。いつの間に」

 中立だと思われた人間が、いつの間にか敵陣営に取り込まれている。それも魔道士団の副団長などという要職の人間が。

 その時、扉が閉まる音がした。と同時に、リンフォスが小さく何かをつぶやいた。

 突然、ログダートが立ち上がった。
「ぐうぅぅうぅぅぅ!」と声を上げながら髪をかきむしり、突然、右手の指輪をバローラムに差し出した。

「バローラム!」
 ガルバドスが異変を察知してバローラムを突き飛ばした。その瞬間、指輪から巨大な火炎弾が放たれガルバドスを吹き飛ばす。ガルバドスの身体が火に包まれて、壁に叩きつけられた。

「へ、陛下ぁ!」
 近衛騎士団長が悲痛な叫び声を上げながら駆けつけ、ガルバドスの前に立って剣を抜いた。
 しかし、その時にはすでにリンフォスの電撃魔法がログダートを打ち抜いていた。
「ががが――。ああ、あああぁ! で、でん、かぁ……」

 崩れ落ちたログダート。室内の異変を感知して飛び込んで来た近衛騎士に、団長が、「すぐに回復術士を! 医師も呼べ! 大至急だ!」と叫んだ。「は?」と言った騎士が、室内の惨状を見てすぐに「は、はい!」と言って、部屋から出て行った。

 突き飛ばされたバローラムが、わなわなと震える指で自分の顔を覆っている。リンフォス魔道士団長がその傍にしゃがみ込む。

「殿下。お気を確かに」
「り、リン、フォス」
「今、気付けの魔法を――」

 リンフォスの手から白い光が、バローラムに降り注ぐ。

 その間にも、皇帝ガルバドスは重体のまま運び出され、近衛騎士団長もそれに付き添っていく。「急げ!」「陛下!」と誰もが叫び、回廊を離れていった。

 部屋にのこされたのはバローラムとリンフォス。そして、4名ほどの近衛騎士だった。
 突然の死に直面したせいか、涙を浮かべながら、酷く動揺していたバローラムだったが、リンフォスの魔法の光を浴びているうちに少しずつ身体の震えもおさまり、動揺も落ち着いていった。
「ふー、ふー」と息を落ち着かせようとしているバローラムの目が、ようやく焦点を合わせ、リンフォスを見た。
 リンフォスは幼子を思いやるかのように微笑んだ。
 その微笑みに射貫かれたかのように、バローラムはぴくんと一瞬だけ身体を震わせ、何かに取り憑かれたかのように、目を血走らせてリンフォスを見た。

「リンフォス。……兵を、集めさせろ。すぐにだ」
「承知しました。――近衛よ。今の殿下の言葉を聞いていたな? ならば、集められるだけ、すぐに集めよ」

 部屋にいた近衛の1人が、「はっ」と鋭く返事をして部屋を駆け出していく。残りの3人は、バローラムとリンフォスの護衛のために残っている。
 その近衛騎士が見ている前で、バローラムは立ち上がり、自らの頬を叩いて気合いを入れた。

 額の第三の目が開き、ログダートの死体をギロリとにらみつける。だが、ログダートの死体からは何の痕跡もない。それはつまり、異常に見えたログダートだが、実際は本人の意思でバローラムを襲ったということだ。

「ニンバスめ。そんなにも皇帝になりたいか? 俺たちを殺してまでも。……許さん」

 そこへ近衛騎士団の副団長シムスが、10人の近衛騎士を引き連れてやってきた。
「殿下! ご無事ですか!」
「ああ。リンフォスのお陰でな」
「この惨状は……」
「皇帝陛下が襲われた。黒幕はニンバスだ」
「は?」

 間抜けな声を上げたシムスだったが、それはある意味で仕方ないことだ。
 皇帝陛下が襲われたことも驚きだが、その犯人が皇子の1人だというのだから。

 しかし、事態はバローラムが考えているよりも早く動いていた。
 部屋に新たな客人がドカドカと足音を立てて入ってきたのだ。

 その先頭の人物をバローラムが恨みを込めて睨みつけた。
「ニンバス……。貴様。よくもここに顔を出せたな!」

 ところが、中に入ってきたニンバス皇子の目も血走り、殺気立っていた。
「兄上。――殺してやるっ」

11-15 皇帝のお願い

 帝都ブラフマーギリーは早朝の空を飛んでいた。

 技術の粋を集めて改造したこの空島は、ほかの2つの空飛ぶ島とは異なって、自由に空を移動することができた。
 2ヶ月前の葬儀の前後は、葬儀の都合上、アトランティス州の上空に滞在していたわけだが、今は設定された周回軌道に沿って飛んでいる。

 全世界を統治している帝国の中心地であるこの帝城は、当然のことながら行政そのほかは24時間体制となっているわけで、城内のあちこちで文官も武官も、夜番と朝番とが交代する時間帯にパティスは回廊を歩いていた。

 ルーネシアの宮殿で夕食をとっている最中に、父である皇帝から呼び出しがあったのだ。
 食事を早めに切り上げて転移魔方陣に乗ったが、帝都はアトランティス州を遠く離れているために時差があり、こちらでは早朝となっていたわけだ。

 出かける前は夜だったのに、転移した後は朝。これでまた用事を終えて戻ると夜になっている。
 短時間の滞在であれば影響は無いが、これが4時間とか5時間になると、時差で身体の調子が悪くなりそうだ。……もっとも、そういう時はポーションで強制的に体調を整えたりする場合もあるわけだが。

 それはともかく、パティスは父の部屋の前で警備している近衛騎士に取り次いでもらった。

 部屋に通されたパティスが見たのは、紅茶を飲みながら本を開いている父の姿であった。見るからに古そうな本で、書かれている文字がチラリと見えたものの、パティスには読めそうにない。

 やってきた自分を見上げ、にっこり微笑んでいるガルバドスの顔を見て、パティスは内心でほっと胸をなで下ろしていた。
 葬儀の時に比べると、随分と気力が戻ったようだ。身体の調子も悪くなさそうで、少しうれしい。

「父さん。おはよう」

 ここはプライベートルームだから、家族の挨拶をする。ガルバドスも「おはよう」と挨拶を返し、目の前のソファに座るように言った。

「こんなに朝からどうしたの?」
 パティスの問いかけに、皇帝はクスリと笑った。
 ガルバドスは現在アトランティスが宵の時間であることがわかっていて、その上で「こんな朝から」などというパティスがおかしかったのだ。

「実はな。折り入ってお前に頼みがあってな。急で悪いが来てもらった」
 皇帝になった父から、こんな風に頼み事をされるのは初めてだった。少し身構えたパティスに、
「しばらくルザミアをお前のところで預かっていてくれぬか」
「ルザミア姉を?」
「そうだ」

 亡くなったユリトゥスの妻ルザミア。帝城に戻ってきたときには、極力、様子を見に行くようにしていたお陰もあってか、最近、ようやく笑顔を見せてくれるようになっていた。
 だが自分の所に預けるだなんて、急にどうしたんだろうか。

 パティスの疑問をあらかじめ想定していたのだろう。ガルバドスはその理由を説明した。

「お前が襲撃された事件だが、あの暗殺者に依頼をした者が誰なのかは、今もって不明だ」

 それはそうだろう。帝位の継承権を持つ人物を殺そうというのだ。そう簡単に尻尾をつかませてはくれないとは思っていた。
 だが、本当に何の手がかりもないのだろうか。それはそれで問題であるようにパティスには思われる。

「あの暗殺者については聞いていると思うが、フリーの暗殺者で、表だってはいないものの、古参貴族も新興貴族もともに依頼を出していた事実がある」
「それは暗殺に限らずってこと?」
「ああ。……もちろん暗殺の時もあるが、そのほとんどは相続がらみだ」
「なんてこと」

 ところが非難はしたものの、パティスも貴族の一員である。貴族家の当主争いの最中、暗殺に至る事情はなんとなくわかってもいた。

「ニンバスは、バローラム陣営の貴族と繋がりがあったと責め、バローラムは、ニンバス陣営の貴族と繋がりがあると主張している。互いに同じ事を言いあって、今は2人とも疑心暗鬼になっている」

 なんと愚かな兄たちなのだろう。一度、疑いだしたら、相手のちょっとした仕草でさえも陰謀に見えてしまうようになってしまうが、もしかしたらそこまでの状態になっているのかもしれない。
 それでは感情の迷路に自らはまり込んでしまうだけだろうに。

「それでな。ここからが本題なんだが……。まだ誰にも言うなよ」
 念を押すガルバドスに、パティスは黙ってうなずいた。
「……ルザミアが妊娠している」

 その言葉を理解するのに少し時間がかかった。
「え、ぇええ!」

 ルザミア姉が妊娠? 当然、その子は――、
「ユリトゥスの忘れ形見だ」

 思わずパティスは、ゴクリとつばを飲みこんだ。
 よかったね、ルザミア姉。と思う気持ちがある一方で、今はタイミングが悪いとも思う。妊娠のことが2人の兄の耳に入ったら面倒なことになりそうだ。

「なるほど。それで私の所というわけ……。もしかして、ルザミア姉が元気になってきているのはそれが原因?」
「おそらくな」

 ふうんそうか。

 まだ子どもがいない年若い妻が夫を亡くしたとき、時に男の人は、再婚する際に障害になるから子供がいなくて良かったねというが、女性にとってそれは最低の慰めだ。
 愛している人の忘れ形見。若くして夫を亡くした女性にとって、遺された子どもは大切な宝ものなのだ。自分が生きる意味と言ってもいい。
 だからこそ、パティスは心の底から思えた。……本当に良かったと。

 きっとルザミア自身は、帝位がどうのこうのなどとは考えていないだろう。だが、その子はどうあっても継承権を持つことになる。

 父の皇帝はまだまだ健在でもあるし、今でこそ2皇子の陣営が対立しているが、もとはユリトゥス兄の元で1つにまとまっていたわけで、そんな状況で子供のことを知られたならばどうなることか。
 決して良いようにはならないだろう。

 パティスは考えた。
 おそらくまだ妊娠が判明してすぐで、安定しない時期のはず。となれば、この帝城よりは自分のいるルーネシアの宮殿の方が母子双方にとって良い。それは間違いないことだ。

「――わかったわ。それでいつから? ルザミア姉は知っているの?」
「ああ。すでに話をしてあるし、お前さえよければ今日中にそっちに移動させる」
「ず、随分すぐね」
「仕方あるまい。今のバローラムとニンバスには絶対に知られるわけにはいかぬからな」
「それはそうだけど……。はあ。……なんとかするわ。ルザミア姉のためだもの」
「頼むぞ。2人には子どものことは伏せて、しばらくお前の元に預けたと言っておく。あそこには祖廟もあるし疑われることはないだろう」
「そうね」

 さて、そうと決まればのんびりはしていられない。パティスはすぐに立ち上がって、まずその部屋に備え付けられている通信機を使わせてもらい、ルーネシアにいる侍女のエルベルタと連絡を取った。
 そしてすぐにルザミアのところに向かうことにしたのだった。

◇◇◇◇
「あ、ノルン。ちょっといいかしら」

 いつものように宮殿の庭で堀の縁に腰掛けながら、アーケロンに魔法を教えていると、帝都から戻ってきたパティがやってきた。
 その後ろに初めて見る女性が、少し緊張した面持ちで立っている。

 どことなく気品のある貴族の令嬢。
 失礼があってはいけないと、慌てて立ち上がって礼をした。

「こっちはノルン。この前の襲撃で私を守ってくれて、それから魔法を教えてもらっているの。……さ、ノルン。ご挨拶を」
「お初にお目に掛かります。ノルン・ハルノのです」
「そう。あなたが……。私はルザミア。できればパティスと同じように接してくれるとうれしいわ」

 そう言われても、本当に馴れ馴れしく接していいものか……。
 ちらりとパティを見ると、彼女は笑いながら私を見ている。仕方ない。

「えっと……。パティ。本当に良いのかな?」
 私がそうパティに確認すると、ルザミアという女性が驚いた表情で私たちを見た。
「2人ともそんな砕けた感じなの?」
「ええ」「そうですよ」
 しれっとパティの言葉に乗っかると、クスッと微笑まれて、
「面白いけど、パティスらしいわね。じゃあ、私もそれでいいわよ」

 おそらくだけど、この人、この状況を楽しんでいるわね。でも私、まだこの人がどんな人か知らないんだけど……。
 と思っていたら、パティが教えてくれました。なんと皇太子妃! あのね。そんな人をいきなり連れてこないで欲しい。

 そんな事を思いながらパティを見ていて気がついた。
 何気ない様子を装って目尻をこすっている。その視線の先には楽しそうに微笑むルザミアさんがいた。
 そうか。夫を亡くしてまだ2ヶ月だものね。ようやく笑えるようになったということか。……すると、ここに来たのも帝城では心が安まらないからなのだろうか。

 いいなぁ。こういうの。家族とか姉妹って……。

 それからフェリシアとアーケロンを紹介すると、幻獣を初めて見たらしく驚いていた。
 いつか自分にも魔法を教えて欲しいと言っていたので、多分、その頃までこの時代にはいないだろうなと思いつつも了承しておいた。
 少しでも彼女にとって、ここの生活が心安らぐものであって欲しい。そう思いつつ……。

 その日の夜。私は再びパティに呼び出された。
 顔見知りになったエルベルタさんの後について廊下を進み、案内されたた先はパティの執務室だった。

 壁には本棚。窓の前には重厚なデスクがあり、いくつかの資料ファイルと何かの書類がおいてあった。そして、彼女は打ち合わせをするための応接セットでソファに座っていた。紅茶のカップを片手に、何かの報告書を読んでいるようだ。

「忙しそうね」
と声を掛けてその対面に座ると、書類から顔を上げてニヤリと笑った。
「あなたもやってみる?」
「いいえ結構です」
「残念ねぇ」と少しも残念そうに見えないように言うパティ。やれやれと小さくため息をついて、
「それでどうしたの?」
「お願いがあってね。……ルザミア姉の専属護衛をお願いしたいのだけれど」
「護衛? あなたのじゃなくて?」
「ええ。……理由を教えるけれど、秘密は厳守。まあ、あなたなら心配はしてないけれど」
「わかった」

 そうして教えてくれた話は、彼女が亡くなった皇太子の子どもを身籠もっているということだった。慥かにそれは護衛が必要だ。それも同性の。

 私は条件付きでその依頼を引き受けることにした。条件というのは、私がいつまでこの時代にいられるかわからないということで、それについてはパティも私の事情をわかっているので了承してくれた。

 ……直感では、おそらく騒動が終わるまではいられるだろうと思うから、そんな心配は要らないかもしれないけどね。

 パティの話はもう1つあった。
 それは今日の午後、ルーネシアにある教会に行ったときのことらしい。

 カルディナ老大司教と面会をして、あの暗殺者ムルのことを報告し、その際に提案を受けたそうだ。
 あの暗殺依頼が、帝位継承権が原因ということならば、安全を確保するためにも帝位継承権の破棄を宣言し、同時にカルディナ大司教からの報告という形でパティスが聖女の称号を得たことを公表してはどうかと。

 元より帝位に興味が無いパティスにとっては、それでもどんな影響があるかわからないので、持ち帰って検討した上でと返答したそうだが、結局、その提案を受けることにしたという。

 これからその根回しをするので、しばらく忙しくなるとのこと。ようやく聖女がこの世界に誕生する。それがなんだか感慨深く思う。
 パティスから始まる代々の聖女たちが連綿とつづき、交易都市アルのローレンツィーナ修道院長につながっているのだ。

 世界初の称号。そして帝位継承権の放棄は、今の政治状況を大きく変える可能性がある。どんな風に影響するのか未知数だ。

 それでだろう。どこか緊張しているようにみえるパティに、私はわざとにっこり微笑んでこう言ってやるのだ。

「大丈夫よ」と――。

11-14 2ヶ月後

 パティスと再会してから、もう2ヶ月になる。
 季節は獅子の月から天秤の月に移り変わっていた。エストリア王国のようにここよりも緯度が高いところであれば、そろそろ秋の気配がただよう頃なんだけれど、ここルーネシアではまだまだ暑い日が続きそうだった。

 ……あ、そうそう。この世界の地図を見せてもらったんだけれど、やっぱりここは位置的には、あの島国のルーネシアだったんだ。

 というわけで、今日は気分を変えて宮殿の庭園用の大きな水路の中に入り、まるでプールに入っているような気持ちになりながら、アーケロンに魔法を教えていた。

 魔力の集中、圧縮、変換。始めてから2ヶ月経った今でも、まずはこの魔力操作を繰り返し練習させている。
 この訓練はパティにもさせているんだけど、幻獣であるアーケロンの場合、さらに周囲から魔素を集めて魔力に変換することもできるわけで、その訓練も並行して進めていた。

 慣れてきたら、次は放出の練習と、まだまだ先は長い。私がいつまでこの時代にいられるのかわからないけれど、できるだけの魔法は教えてあげたいと思う。

 ちなみにパティは今、水路のそばにビーチチェアを出して、そこに優雅に座りながら私たちを見ていた。
 サイドテーブルにはフルーツジュース。いったいどこのリゾート? と言いたい。
 悔しいから、たまに水鉄砲くらいの威力の水魔法で攻撃をすると笑顔を返される。ま、いいけどね。

 庭園の水路とはいえ、さすがは音に聞く帝国の、それも皇帝の一族が治める宮殿とあって、透明感があって飲むのにも耐えられるきれいな水だ。
「――水中呼吸」

 海底王国ミルラウスに行ったときの要領で、水中活動の魔法を唱え、堀の深いところに潜る。

 水上から「あ、ちょっとどこ行くの!」とパティの声がするけれど、自分も水着を着ているんだから入ってくればいいのに。
 ぐっと頭を下に沈め、足で水面を蹴ってグイグイと深いところへ潜る。

 水は透明度が高く中の様子がきれいに見える。おおよそ深さは20メートルほどだろうか。頭上の水面からは太陽の光がキラキラと降り注いでいた。

 石組みの水路の中を、カラフルな魚が泳いでいる。海の魚は泳いでいるところを何度も見たけれど、こういう淡水の魚は釣り上げた魚以外には見たことがない。おまけにそれが人工の水路を背景にしていることもあって、なんだか不思議な光景だ。

 水面からの揺らめく光のカーテンに癒やされながら耳を澄ませると、さーっと水の流れる音とか、地上から伝わってくる音が、どこか遠くから響いてくるように聞こえてきた。

 アーケロンが私の隣を泳いでいる。さすがは海の幻獣。水中での活動方法は魔力操作の応用だから、それなりに私の移動速度は速いと自負している。さすがに人魚の全速力には叶わないけれど、良いところまでは勝負ができるほどには。
 けれどアーケロンは、その小さい身体にもかかわらず、きちんと付いてこられているようだ。

(すごい。はやい)
(これでも海底で人魚たちと一緒に魔物と戦ったこともあるんだよ)
(へ~)
(それはそうと。放出の訓練をするよ)
(はぁーい)

 アーケロンにもわかるように、体内を循環させている魔力を少し強めにして、その属性を水に変換する。そのまま身体の外に放出し、その放出した魔力を1つの球形の塊にした。
 水の中で水魔法じゃ見えにくいだろうけど、それを感知するのも訓練っていうことで……。

 まずは圧縮の練習。その魔力に圧をかけてエネルギー総量はそのままで大きさを小さくする。その次は逆に圧を緩めて大きく。
 それが終わったら、その魔力の塊から、直系2センチくらいの魔力球を分離し、そのまま水中をビュンビュンと泳ぎ回らせてから元の魔力塊に融合。さらに分離した魔力球の数を増やしていくと……。

(うわぁ)
と感嘆の声をあげるアーケロン。いくつもの魔力球を、ダンスショーのように円を描いて循環させ、さらにその円環を複数作り上げた。
 この反応の仕方から、アーケロンには私の操作した魔法がはっきりと見えているみたいね。

(次はこれができるように挑戦よ)
(はい!)

 素直でよろしい。

 ……できるだけ、魔力の高め方、操作習熟の訓練はしっかりと覚えさせないといけないと思ってる。いつまで私が教えていられるかわからないから。
 海は広い。それに大破壊前のこの時代は私の時代と生態系が違う可能性も高いから、実際、どんな魔物がいるのかわからない。
 しかし、それでも1匹で生きていけるように。私がいなくても魔法の訓練ができるようにさせないといけない。

 一生懸命に体内魔力を循環させているアーケロンを見ながら、私はこの先の訓練メニューのことを考えていた。

◇◇◇◇
 第4皇子ニンバスは、騎士団長と帝国魔道士団の副団長ログダートを引き連れて、帝城の回廊を急いでいた。
 片側が外にされた開放的な回廊で、太い柱が等間隔に並んでいる。

 すれ違う文官たちが一瞬何事かと驚きの表情を浮かべては慌てて道をあけ、かしこまった表情を取り繕って頭を下げていく。その間をニンバス一行はずんずんと進んでいった。

 やがて1人の貴族がそれを見とがめて、
「これはこれは。ニンバス殿下。一体全体、そのように怒気をまき散らしながらどちらへ行かれますのか」

 足を止めたニンバスの前には、しなやかな体躯の青年貴族がいた。そのそばには秘書らしき女性の姿がある。
 ビルトは古参貴族の家柄でバローラムの派閥ではある。対立派閥のビルトを見たニンバスはさらに怒気をあふれさせるが、怒鳴り散らすことはなかった。
 ビルトの持つ帝都図書館館長の肩書きは伊達ではないし、実はバローラムの派閥にあってもなお、宰相の子飼いの1人でどちらかといえば中立の人物であるからだ。
 

「ビルトか。――どけっ」
「ふむ。これは大変お急ぎのようだ」
「わかっているなら、さっさとどけ」

 いらだちをぶつけるニンバスの前に、同行していた騎士団長のボルテスが割って入った。

「まあまあ、殿下。……ビルト殿。すまぬが、重要な用件でな」
「聖剣ガドリアナを帯剣しての用件が、この帝城内で発生したと? しかもその先には何があるのかご存じでしょう」
「そうだ。そこに用があるのだ」
「ならば見届け人が必要となる。――私も参りましょう」

 ニンバスは、ようやく道をあけたビルトの前を「ふん」と鼻息を荒げて通り抜けた。
 続くボルテスとログダート。さらにビルトが近くに居た近衛騎士を従えて後を追っていった。

 やがて一行は、一つの大きな扉の前にたどり着いた。その前を警護していた近衛騎士が、
「これは殿下に騎士団長殿。現在、中では会議中でありまして、誰も入れるなと申しつけられております」
とうやうやしく告げて、行く手をはばんだ。

 だがニンバスは厳しい顔で「緊急の用件だ」と言い放ち、その近衛の制止も振り切って強引に部屋に踏み込んだ。

 中では、第3皇子バローラムと近衛騎士団長のテオドア、そしてバローラムの妻ルミネシアが何かを話し合っていた。
 3人は突然押し入ってきたニンバスらに驚いて、テオドアに至っては襲撃と思って反射的に、2人をかばうように立ちふさがった。
 しかしすぐに、中に入ってきたのがニンバスらであることがわかり、あわてて一礼をして剣の束に添えていた手を離した。
「っ。これはニンバス殿下。……失礼しました」

 ニンバスはそれに答えず、驚き顔のままで座っているバローラムを指さした。
「兄上。とうとう、そこまで堕ちたかっ。もはや傍観などしておれぬ。一緒に来てもらうぞ」

 ところが、バローラムの方ではニンバスが何を言っているのかわかっていない。
「……何を言っているんだ? 第一、突然押し入ってくるなど、どういうつもりだ」
 逆にニンバスらをたしなめるが、それがニンバスの怒りに火を注いだ。

「とぼけるな! パティスを殺そうとした者が、兄上の陣営の者とつながっていることはわかっているのだぞっ」

 その言葉に居合わせただけのルミネシアが衝撃を受け、目を見張ってバローラムを見た。しかしバローラムは自らの妻に、そんなことはないと黙って首を横に振った。
 ニンバスの告発にも顔色を変えなかった近衛騎士団長は、どうしますかと言いたげな目で、やはりバローラムの方を見る。
 バローラムはため息をついて立ち上がった。

「……ニンバス。ここは帝城だ。滅多なことをいうものではない。私はパティスの襲撃なぞ、考えたこともなければ、誰かに命じたこともない」
「兄上。無駄だ。あの襲撃者の身元調査は済んでいる。騎士団長。説明してやれ」
「よろしいので?」
「かまわん」

 ニンバスに命じられた帝国騎士団長ボルテスが、
「騎士団の調査で襲撃者の身元がわかっております。本名は不明。フリーの殺し屋で、千本針のムルと呼ばれる凄腕の暗殺者でした。幾度か騎士団の者が遭遇しており、私やテオドア殿には及ばないでしょうが、戦闘力は極めて高く。よくぞパティス殿下は無事に撃退するばかりが捕まえることができたと言いたいところですな」

「それはこちらでも確認ができている。だが、それが私と何の関係がある?」
「……ムルは貴族からの依頼も多く受けており、特に財務大臣の地元東部エストリア州でよく活動しているようですな。そして、半月ほど前、ダリウス殿の別荘の1つに出入りしているところが目撃されています」

 それを聴いたルミナリアが、
「馬鹿な。父上がそのようなことっ」
と激高して叫んだ。
 バローラムがその手をぎゅっと握りしめて、「落ち着け」と言い聞かせる。ニンバスをきっと睨んだ彼女の目に涙が浮かぶ。

 ボルテス騎士団長の話を聞いてもなお、顔色を変えなかった近衛騎士団長のテオドアが、再びバローラムに視線を送る。バローラムはルミナリアを気遣わしげにチラリと見るも、テオドアに向かっては落ち着けとばかりに微かに顔を横に振った。

「ニンバス。情報の裏を取った上での発言か? その暗殺者が私の陣営にいると、きちんと確認を取っているのだろうな?」
 あくまで平静の態度を変えないバローラムは、静かにそう言った。そして、近衛騎士団長に、
「この愚かな弟に教えてやれ」
と命令をする。

「何を!」と言葉を荒げるニンバスを前に、近衛騎士団行は苦笑いを浮かべた。
「……ニンバス殿下。我らも調査を進めております。その結果をお話ししましょう」
「言い逃れなど聞く耳もたぬ。ボルテス。兄上を捕らえよ」

 ニンバスは帝国騎士団長にそう命じたが、テオドアが立ち塞がるまでもなく、ボルテスがニンバスをなだめた。
「まあまあ、殿下。まずは近衛騎士団長殿の話を聞いた方がいい」

 近衛騎士団長のテオドアと、帝国騎士団長のボルテスは、片や帝家に仕える騎士、片や帝国に仕える騎士として、切磋琢磨する仲であり、その実力も並び立つものであった。
 ニンバスの命令どおりにバローラム皇子を取り押さえようとしても、テオドアがここにいる以上はそれは無理と判断するのが常識だ。
 それに、近衛騎士団の方で別の情報を持っているならば、あるいは暗殺の依頼主がバローラムではない可能性もある。慎重にすべきだった。

「よろしいか? ニンバス殿下。我らの調査した情報では、かの千本針のムルは、評議員のマグナルド・ノーム侯子飼いの暗殺者と判明しております」

 今度はニンバスが激高する番であった。
「馬鹿な! 誰だそんな報告をした奴は。そんなことがあるわけないではないか!」

 それを聞いて、バローラムが呆れたようにニンバスを見上げた。マグナルド・ノームはニンバスの実父だ。先ほど自分が責め上げたことと同じ事がブーメランのように帰ってきた。

 バローラムが続きを説明した。
「なんでも先代のノーム侯が死んでから、当主争いに随分と利用していたそうだな。血肉を分けた兄弟を4人も殺させているではないか」
「ウソだ!」
「愚かな奴め。子供のように怒鳴るだけでは意味がないぞ」
「――くっ」

 その時、部屋の隅で成り行きを見ていたビルトが口を挟んだ。

「よろしいか。両殿下。それとボルテス殿もテオドア殿も。
 このような帝室の大事は慎重に、そして人々に動揺を与えないように秘密裏に処理しなければなりません。今日のように騒がしくしては、どこから話が漏れ、噂となって広まることか。
 ……私の方でどうにか抑えるように手配しますが、今後はより慎重に調査してもらいたく存じます」

 ビルトの正論を聞いたニンバスはギュッと拳を握りしめた。帝城を警備する近衛までここに連れてきてしまっている。明らかにビルトの言うとおりだった。

 ぐうの音も出せないニンバス皇子であったが、
「兄上。わかった。こっちでも調査しよう。だが、兄上の陣営の貴族が手引きしていたならば、その者の厳罰を所望するぞ」
「当然だ。逆にそっちの陣営ならば、同様に、その依頼主を厳しく罰しろ」
「当たり前だ。……では失礼する」

 ニンバスはそう言うと、すぐにボルテスらを引き連れて荒々しく部屋から出て行った。

 後に残ったのはバローラムたち。そして、ビルトたちだけだった。

 すぐにビルトが連れてきた近衛騎士に対し、団長のテオドアが口外を禁じた。まだ暗殺者の依頼主がはっきりしていない上、帝室のスキャンダルになってはいけない。
 この点、この場にいるのが帝室に誓いを立てている近衛騎士で良かったというべきだった。

「それでは私めも失礼します」と言って、ビルトとその秘書が部屋を退出していった。

 廊下に出たビルトは、閉じた扉を一瞥するとため息をつく。そして、秘書に目配せをして、廊下をさらに奥へと進んでいった。

11-13 ノルンとパティス

 帝都ブラフマンの一室で財務大臣のダリウスと話をしていた第3皇子バローラムは、至急の報告を受けて驚きを隠せないでいた。

「なんだと。パティスが襲われた?」

 いったい誰が? まさかニンバスの奴か?

 パティスは父の命令で、祖霊の眠るアトランティスを守る役目を与えられており、いざというときのための継承権こそあるものの、一族の守り役であるが故に、帝位に就くことはまずあり得ないはずだった。

 もちろんライバルのニンバスに対しても殺そうとまでは思っていない。さすがにそれは憚られるわけで、それなのに、なぜパティスが襲われる事態になっているのか。
 バローラムはわけが分からなかった。

 帝国の大貴族の筆頭、財務大臣ダリウスは、でっぷりした身体を豪華な服に包み込んでいた。
 アトランティス時代から皇帝の一族を支えてきた同じ三ツ目の一族。そして、その娘はバローラムの妻になっていた。

「それでパティス殿下は?」
 ダリウスの問いに、報告に来た騎士が、
「はっ。無事でありますが、襲撃者は自決。手がかりは1つも掴めなかったようであります」
「そうか……。うむ。だが、殿下が無事であれば良かった」

 そうは言ったもののダリウスの表情は難しかった。バローラムが「ご苦労」と騎士をねぎらって退出させると、ダリウスに、

「仕方あるまい。あそこの騎士はそれほど強くもないのだから、無事であったことが上々だ。
 ……そういえば、筆頭魔道士のリンフォスならば、魔力の|残滓《ざんし》などを|辿《たど》って黒幕まで突き止められるか?」

 しかしダリウスはすぐに、すぐにかぶりを振った。

「無理でしょうな。自決するほどの相手であれば、その対策も取っているでしょう」
「それもそうか。だが一体誰がパティスを……」

 2人がいる この帝城は、ルーネシアなど比較にもならないほど警備がしっかりしている。
 だが皇太子ユリトゥスの死といい、パティスへの襲撃といい、帝室を狙っている何者かが暗躍しているように考えられる。警備体制を厳重にすべきか。
 バローラムはそう思い、後で近衛騎士団長に指示をしておこうと心に留めておいた。

 一方そのころ、帝城の別の一室では、第4皇子ニンバスが、やはりパティスへの襲撃事件の報告を受けていた。

「……まさか兄上の仕業ということはあるだろうか」

 相手は帝国騎士団長のボルテスだ。大身の|逞《たくま》しい竜人族の男で、調えられたあごのひげが精悍さを際立たせている。
「さすがにそれは無いのでは。ほとんど実権の無い皇女殿下であるし」

 しかし、それに異を唱えたのは帝国評議会の評議員であるノーム侯マグナルドだった。

「それはどうかな。パティス殿下が支配するはアトランティス州ですぞ。
 確かに財務大臣をはじめ、累代の家臣のうちでも有力な氏族はとっくに本拠地を新しい支配地に移しているが、あそこは帝室の一族の本拠地であるのには変わらぬ」

「しかし、姫は権力には何ら興味なさそうだが」
「それには同意するが、利用するには有効なカードであるし、不確定要素ならば取り除いて、自らの陣営から人を派遣すれば良いわけだ」
「……おいおい。それは物騒だ。それに、あそこはアトランティスだぞ。帝室の者でなければ……」
「代官を派遣すれば良いだけだろう。帝国が支配地を広げた際には同じやり方をしてきている。それを実践するだけだ」

 たしかに併合した地域では、旧王族を大公や侯爵に封じ、旧貴族たちも概ねその爵位のままの身分としていた。その代わりに、帝国から代官をその地域に派遣し支配させる。やがてその代官と旧王族らとの間で血縁を結び、そのままその土地に根付かせる。
 これが帝国がやってきた統治方法の1つであり、ノーム大陸の諸国もその例外ではなかった。

 2人の議論を聞いていたニンバスが、
「ふむ。……だが、さすがに今の段階で、そこまで強引なことはしないだろう」
「しかし、殿下――」

 なおも言いすがるマグナルド侯に、ニンバスは、
「もちろん、我々に対しては何かを仕掛けてくることも考えられる」
「そうですぞ」
「団長。……騎士団の方は大丈夫か?」
「結束は固い。少なくとも向こうの息の入った者が来ても、封じ込めることができるくらいには」
「そうか。だが、兄上の陣営は古参貴族らだ。油断はできない。2人も、身の回りには注意してくれ」

 そういうニンバスに2人はもちろんと返事をした。さらに団長のボルテスは、
「奥方様のこともある。殿下の屋敷に少し詰めさせましょうか」
と尋ねた。
 ニンバスの妻パターシャはマグナルド侯の娘で、その警固も充分に考えなくてはならない。

「頼む」というニンバス。パターシャとは恋愛結婚でもあるし、彼女と、その父マグナルド侯のお陰で自らの陣営に新貴族たちが加わっているのだ。
 いわば陣営のシンボル的存在でもあり、狙われる危険性も充分にあった。

「そういえば。お前なら襲撃者の背後を洗うことができるか?」
 ニンバスが尋ねた先には、40歳を越えたくらいの1人の魔道士がいた。帝国魔道士団の副団長のログダートだ。

「たとえリンフォス団長であっても無理でしょうな」
「そうか? こういう探知魔法はお前の方が得意じゃなかったか?」

「それはそうですが、誤情報をつかまされる可能性の方が高いでしょうな。手口を見る限り、相当な手練れのようですから、いかなる手がかりも遺してはいないでしょう」
「……それもそうか」

 3人の会合はつづく。世界を統一した帝国ではあるが、その中央で水面下でうごめいていた争いが、少しずつ表面に出てこようとしていたのだった。

◇◇◇◇
 パティスと再開した次の日、朝起きたら宮殿からの使いが宿に来ており、私は問答無用で宮殿に向かうことになってしまった。

 あの岬で目覚めたときから見えていた都市の尖塔。それが宮殿だった。
 不思議な素材でできている天まで届くような塔。形はあたかも洞窟で地面から伸びる鍾乳石のようでいて、色は乳白色。
 今日は曇天で薄暗いけれど、それが却って宮殿の美しさを際立たせているように見える。

 初めて乗った豪華な馬車。とはいっても馬は魔導ゴーレムだし、神船テーテュースの乗りごこちには劣る。向かいには使いである三ツ目族の女官が座っていた。
 第3の目で私の様子を見ている。なんと話してよいのかわからず、気まずい沈黙が漂っていた。

 王族とか貴族には会ったことがあるけれど、礼儀作法にはまったく自信がない。私の知っているパティスは未来のパティスだし……。

 そんな私の不安を感じ取ったのか、エルベルタと名乗ったその女官は、
「相手を尊重し、丁寧な言動であれば、多少の無作法は問題とされることはありません」
と言ってくれた。

 馬車は宮殿の門をくぐり、そのまま塔の最下層にぽっかり空いた空間へと入っていく。不思議な作りだけれど、あの中に入り口があるようだ。
 あるいは来客専用の入り口か、または通用口なのかも知れない。

 エルベルタさんに案内されるまま、馬車から降り、塔内の転移魔法陣で別の階層に移動する。
 ちなみにフェリシアもアーケロンも一緒だ。

「あそこでお待ちになっております」
 到着したのは、上層部にある庭園だった。
 周囲を透明な壁で覆われているようで景色が良い割に、風が吹き込んでくるような様子もない。

「殿下。ノルン・ハルノ様、ご到着でございます」
「では、こちらに案内をなさい」
「さ、ノルン様」
 エルベルタさんに背中を押されて、私は庭園の中にある石畳の|小径《こみち》を通り、白い円形テーブルを前に、同じく白い椅子に座っているパティスの前に行く。

「そちらに座って」と言われるままにイスに座ると、控えていた侍女が紅茶を出してくれた。

「今日は呼び立てて悪かったわね。未来からのお客人。……あ、いつも向こうの|私《・》にしているような話し方で結構よ。私の未来の孫なんでしょ?」
 そういっていたずらっぽく笑うパティスに、私も微笑み返した。

「ではいつも通りに。――その飾らないところは相変わらずね。やっぱり貴女はパティだわ」
「ぷっ。その呼び名。子供の頃の呼び名よ。……随分久しぶりね。そう呼ばれたのは」
「そう? しつこくそう呼ぶように言っていたけど……。あ、でも未来のことは詳しくは話せないわよ。何に影響するかわからないし」

 今思えば、やっぱりパティは初めから私の事を覚えていたのだろう。
 だからパティと呼ぶようにと、何度も私に言ったんだと思う。あのお茶目さは、きっと昔から変わらないと思う。……なんだか妙に懐かしいや。

「う~ん。それは仕方ないか。でも、あなたは三ツ目族じゃない、わよね? 私、三ツ目族じゃない人と結婚するのか……。いや私の子どもがという線もあるか」
「孫って言ったから気になるのはわかるけど。不正解よ」
「どういうこと?」
「血はつながっていないから」
「それって育ての親のような。……あっ。そうか」

「ええと。多分、考えているのとはまた違うと思う」
「あら。私が考えていることがわかるの?」
「別に心が読めるわけじゃないわよ。でも、あなたの称号の聖女とはまた別っていうか」

 きっと聖女だから、孤児院の面倒も見てて、私がその孤児院出なのだとでも思っているんでしょ?

 自分としてはパティがそう思っていると思って言ったんだけれど、どうやらパティは違うように受け取ったみたいで、血相を抱えて身を乗り出してきた。

「な、なに?」
と引きながら問いかけると、声を潜めて、
「なぜ聖女のことを知っているの? 誰から聞いたの?」

 はて? もしかして秘密だったのだろうか。
 誰からって言われても、私のナビゲーション・スキルなんだけれど……。

「それも未来の私から?」
「ちょっと違うかな。自分では、この世界の傍観者である隠者だって言っていたわよ」
「い、隠者ぁ? いったい何があった、私……」

 呆然とした様子でイスに座り直したパティに、隠者って、そんなにショックを受けることなのかなとも思う。

「パティ? 大丈夫?」
「え、ええ。もちろん。……そういえば、その赤い鳥と水球の海亀は従魔かなにか?」
「ああ、フェリシアとアーケロンね。フェリシアは神鳥になるのかな? 私の|守護者《ガーディアン》。フェニックスだし頼りになるわよ。
 アーケロンの方はこれでも一応、幻獣になるわ」

「……ごめん。今、ほんとに、どういう経緯であなたが私の孫になったのか猛烈に知りたい」
「それは未来のお楽しみってことで」
「ですよね~」

 なんだか楽しくなってきた。この軽快なやり取り。すごく懐かしい。

「なぜ過去に来たの? それに……聖女ってなんだか知ってるの?」
「質問の意味がわかりません」
「あのね」

 いや、別にからかっているわけじゃないんだけれど。だって、自分聖女でしょうに。私も称号見た時はびっくりしたけど。

 パティは少し考え込んで、聖女になった経緯を教えてくれた。そして、兄である皇太子が亡くなったことも。

「ノルン。あなた、私に魔法を教えてくれないかしら」
「え? 私? 私はパティから教わったんだけれど」
「……そのことは考えると頭が痛くなりそうだから止めましょう。でも、あの暗殺者と戦った時、あなた無詠唱でいくつもの魔法を使い分けていたでしょう」

 それはそうだけれど、パティは帝国の姫君なわけで、もっと優秀な人がいると思う。
 それでもパティが言うには、私の魔法は他の人と何かが違う。それに聖女の称号の影響か、私から魔法を教わらないといけないと、彼女の勘がささやいているという。

「いいけど。何だか変な感じ。……それにアーケロンにも教えるから一緒でもいいのかしら?」
「いいわよ。それじゃ宮殿内に部屋を用意させるわね。護衛をしてもらうこともあるかもしれないし、称号のこととかもっと知りたいし」

 え~と、この宮殿に? なんだか緊張しそうだ。
 ……ああ、でも、こうしてパティと話していると、まるで自分が子どもになったみたいで居心地が良いのは確かかな。

 私はその申し出を了承することにした。

◇◇◇◇
 その日の夜。某所。
 暗い室内に数人の男女が集まっている。身なりからは誰もが貴族のようだが、皆一様に目鼻を隠す繊細で|煌《きら》びやかな模様の入った仮面をしており、その正体はわからない。

 どこか退廃的な香が炊かれ、部屋の壁には普段は隠してあるだろう、おどろおどろしい色の魔法陣がタペストリーとなって飾られていた。

 最上座に当たる椅子に座っているでっぷりした男が、
「暗殺は失敗だ」
と一言告げた。

 少しの間を置いて、別の誰かが問いかけた。
「実行犯はどうした?」
「現行犯で捕まったが自害した。たとえ暗殺者個人が判明したとしても、我らにはたどり着けぬよ」
「だが、筆頭魔道士ならば可能ではないか?」
「その心配も無い。すでに手は打ってある」
「……なるほど」

 葉巻をくわえていたドレス姿の女性が、
「それで、計画に変更は?」
 でっぷりした男は、右手をなんでもないというように振ると、
「変更は無い。魔法陣の研究も進んでおる」

 それを聞いた女性は口元をニィッと歪ませた。
「それならいいわ」
「こんな所でしくじるわけにはいかぬ。果てることなき栄光を手にするまではな」

 男がそう言うと、誰もが口元をほころばせる。帝国に混乱を。そして、超常なる力による自分たちの栄光を。

 彼らの脳裏には、その未来がはっきりと描かれていたのだった。