29.高校1年生 手術、その後

 それから一ヶ月がたち、おじさんの手術の日がやってきた。

 昨日は学校が終わってから、先に検査のために病院に入っているおじさんのところへ、春香と一緒にお見舞いに行ってきた。

 術前検査と術式の説明によれば胃をすべて摘出てきしゅつするとのことだ。よくはわからないけれど、たちが悪いタイプらしい。

「胃を全部取っちゃうんだってさ」とわざとなんでもないように笑って言うおじさんに、おばさんも春香も「もうお父さんったら」とおどけて言っていた。

 今日は午前のうちに手術が始まるが、俺たちは学校があるので放課後に病院に向かう予定だ。

 春香は朝から落ち着かないみたいで、どこかそわそわしている。

 その度に手を握ってやるとほっとしたようで笑顔を見せてくれたが、無理をした笑顔なのが見え見えだ。

 放課後になり二人で病院に向かう。

 玄関ロビーに入り受付で問い合わせると、ちょうど手術が終わった頃だということ。急いで案内をされた回復室に向かう。

 病棟のエレベーターで目的の階のボタンを押す。体が浮き上がるような感覚に包まれながら、春香が、

「無事に手術終わったかな?」

と言うので、俺は「大丈夫さ」と言ってぎゅっと手をにぎった。

 処置できない場合は一時間弱で終了のはずだから、今のところは順調とみていいだろう。……ただ待っている家族にとっては長い長い時間のはずだし、不安で一杯のはずだ。

 エレベーターのドアが開き回復室の方へ向かって歩こうとしたら、ちょうど廊下を春香のおばさんが歩いてきた。

「お母さん!」「おばさん」

 二人で同時に声を掛けると、おばさんが笑いながらうなづいて、

「二人とも、お父さんの手術、無事に終わったわよ」

と言った。春香が肩の力を抜いて、

「あ~。よかった」

と言う。

 そのまま回復室に行く前におばさんに話を聞く。

「まだ麻酔の影響で眠っているわ」

と言って状況を説明してくれた。

 予定通り胃を全摘、そして、それに伴う影響を考えて胆嚢たんのうも取ったらしい。

 痛みのピークは明日から明後日くらいらしいので、その間はこなくていいとのこと。水も食事も当分食べれないから来るときはそのことを留意しておくこと。

 全摘したとはいえ、まだ転移の可能性はあるから注意が必要とのことだ。退院はまだ二週間ぐらい先になるそうだ。

 一通りの説明をおばさんから聞いて、不安がっていた春香も一安心ひとあんしんしたようだ。

 俺もほっとして、とりあえずその日はおじさんの顔を見てすぐに帰ることにした。おばさんは今日は病院近くに泊まるとのことで、春香は俺の家に泊まることになる。

 おばさんが、

「ごめんね。夏樹くん。春香をお願いね。それとお父さんとお母さんによろしく言っといてね」

と言うので、俺は「いえいえ。春香ならいつでもオッケーです」と言うと笑いながら、

「春香も夏樹くんに甘えさせてもらいな」

と言った。春香は「うん」といいながらも、やはりおじさんとおばさんのことが心配みたいで、

「お母さんもちゃんと休んでよ」

と言った。

――――。

 病院の玄関から出ると、もう街は夕方だった。

 秋口のどこか寂しい空気のただようなか、俺と春香は病院を見上げてから駅に向かう。

 駅でさきに俺の家に電話をして状況を説明すると、うちの母さんも安堵したようだった。

 電車を降りた頃にはすでに六時になっていた。

 会社から出てきて家路につくサラリーマンやOLの流れに逆らいながら、俺たちも家路を急ぐ。

 今日は学校からまっすぐに病院に向かったから、先に春香の家に向かう。

「ちょっと着替えてくるから、台所で待ってて」

と春香が言うので、台所で勝手にテレビをつけて待っている。

 どうも春香はその間に着替えを済ませ、病院から持ち帰った衣類と一緒に洗濯乾燥機にかけているようだ。

 自分の着替えをボストンバッグに詰め込んで台所に入ってきた。

 ラフなジーンズにTシャツ。手には制服をハンガーにかけたまま持ってきている。

「お!来たな」

と言ってテレビを消して立ち上がると、春香はハンガーをドアに引っかけてボストンバッグを足下にぽんと置くと、さっと俺の前までやってきた。

「春香?」

 春香が急に抱きついてきたから、「どうした?」と言いかけて飲み込んだ。胸の中の春香が俺の胸に頭をぐりぐりと押しつける。

「よかったよぉ! 無事でよかった!」

とつぶやいている。……どうやら緊張の糸が急に切れたみたいだ。俺はそっと背中に手を回して抱きしめる。

 しばらくそのままいると、ようやく落ち着いてきた春香が、がばっと顔を上げると、

「ありがとうね。夏樹」

と言ってキスをしてきた。軽く唇と唇をあわせ、

「いつでも、そばで支えるさ」

と言って髪を撫でた。

 急に脱力した春香が離れると目尻をこすり、少し乱れた髪を手ぐしで直し、

「んふふ。夏樹エネルギー100%充填完了」

と言った。俺もわざと笑いながら、

「いつでも補給してやる。120%でも200%でも」

と言って、春香の肩に手を回して玄関に向かった。

 春香と手分けして荷物を持ち、はす向かいの俺の家に向かう。

 外から見ると、キッチンではすでに食事の準備ができて、父さんと母さんがテレビを見ながら帰りを待っていた。

 ――幸せな日常の一コマ。温かい家庭の団らんの光景だ。

「ただいま」「お邪魔します」

と言って玄関に入り、そのままダイニングに向かう。

「お帰り」「春香ちゃん、いらっしゃい」

と言いながら父さんと母さんがソファから立ち上がり、さっそくみんなで夕食をとった。

 食事中に、春香からおじさんの手術が無事に終わったこと。退院はまだ先で、食事は食べ物も水もしばらく採れないことなどを聞き、俺の父さんが、

「そうか、大変だったね。……でも無事に終わってよかったね」

と言うと、春香もうなづいた。母さんが、

「すると、お見舞いに行くとしたらいつぐらいがいいのかしら?」

と言う。春香は「う~ん」と言いながら、

「状態によりますけど、一週間後くらいかな?」

と言って、俺の方を見た。

 ……俺だって知らないけれど、少なくとも食事が始まってからの方が良いだろうね。

「ゼリーみたいのでも食事が始まってからの方が良いと思う。やっぱり一週間後くらいかな?」

と俺が言うと、父さんが、

「わかった。……その時は夏樹に教えてもらうよ」

と言い、つづけて「だってお前は春香ちゃんと毎日でもいくだろ?」と言う。

 確かに、おじさんの部屋には痛みのピークが過ぎるまで行かないが、洗濯物を春香が受け取りに行くので、俺もそれについて毎日病院に行く予定だ。

 俺は「わかった。状況を見てお見舞いによさそうな時期を連絡するよ」と言う。

 その日の春香は俺のベッドに潜り込んで来たがっていたが、さすがに成長した春香と一緒には寝るわけにはいかない。

 そう言うと、春香はしぶしぶ、いつも通りベッド脇に敷いた布団に潜り込んだ。

 俺も電気を消してからベッドに入ると、次の瞬間、春香の手がぬっとベッドの中に差し込まれた。

「うひゃう!」

 春香の手が脇に当たり、思わず変な声が出る。

 すると春香が笑いながら、「ご、ごめん」と言って手を引っ込める。布団を見下ろすと、春香は恥ずかしそうに、

「お願い。一緒に手を繋いで」

と言うので、俺は手をさしのべて、春香が寝つくまでそっと手を繋いでやることにした。

 春香は、反対側の手で目尻をこすりながら、

「ありがとうね。夏樹」

と言う。俺は「さ、心配しないで、もうおやすみ」と言うと、春香は小さく「うん」とつぶやいて目を閉じた。

 しばらくして春香の方から寝息が聞こえてくる。そっと手を離そうとすると、寝ている春香がぎゅっと強く握りしめてきた。

 まるで行かないでと叫ぶように。

 ちょっと辛い体勢のまま、ベッドの上から春香を眺めていると、いつの間にか俺も寝入っていた。

 ――次の日の朝。

 何かに締め付けられながら目を覚ますと、目の前に顔を赤くさせながら俺を見つめる春香の顔があった。

「おわっ」と言いながら体を離そうとするが、春香がぎゅっと抱きついていて離してくれない。

 胸元どころじゃなく全身で、女の子の柔らかい体を感じながら、しかも布団の中に春香の匂いが充満していて、俺は顔を赤くしながら必死で無理だとわかりながらも生理現象を抑えようとした。

 というハプニングを迎えたが、その日は一日中、春香の機嫌がよかった。

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