16.アテナイ使節団

 今日はアテナイからの使節団が到着するとあって、朝から港は騒がしかった。

 最前列にはミノス王の部下の文官や兵士、クノッソス宮殿まで貢ぎ物や交易品を運ぶための数十人もの奴隷と荷車が並んでいる。

 私と夏樹は、その外側に集まっている地中海諸国の人々の群れに紛れて、到着の様子をうかがっていた。

 海の向こうから三隻の船がやってくる。

 その船団を見て思わず夏樹の服の裾をぎゅっと握りしめた。

 船は三隻とも黒い帆をかけていた。絶対的な死を意味するような不吉な暗い絶望の色。きっと冥界ですらもっと明るいだろうと思う。そんな不気味な雰囲気をまといながら、船が港に入ってくる。

「おい。黒い帆だぞ!」

「……ああ、ありゃあ生け贄を積んでいるんだ」

「生け贄? ああ、ミノス王へのか……。交易は大丈夫なのか?」

「前回も大丈夫だったから、今回も問題ないだろうさ」

 周りの人々の会話にいらだちがつのり唇をぎゅっと引き結ぶ。

 ……彼らはアリアのことを知らないから。

 私の様子に気がついたのか。そっと夏樹が私の手の上から柔らかく包み込むようにさすってくれる。

 耳元で、

「我慢だ。ここで問題を起こしたらまずい」

とささやかれる。

 うん。わかってる。

 黙ってうなずいた。

 その時、私たちの背後から、

「お二人さんは相変わらずですね」

と声をかけられた。

 ビクッと反応しておそるおそる振り向くと、そこにはテセウスとゲオルギウスさんがいる。

 夏樹が何食わぬ顔をして「ああ。それより……」というと、テセウスが「わかっています」とうなずく。真剣な表情でアテナイから来た船を見ている。

 まるで私たちの周りだけ切り取られたように、周りの喧噪が遠くに聞こえる。

 ゲオルギウスさんが、

「見ろよ。お嬢だ」

と言葉少なに告げた。

 手を縄にくくられたアリアを先頭に数人の少年少女が桟橋を降りてくる。

 前後には兵士がついていて群衆とアリアたちとに、交互に鋭い視線を送って見張っている。

 背後のテセウスが「アリア……」とつぶやくのが聞こえた。

 その震える声から、テセウスが拳を握りしめて我慢していることが手に取るようにわかる。……うん。私も少し冷静になった方が良さそう。

 群衆の目の前を、兵士に守られながら生け贄の一行が進んでいく。

 その先頭を行くアリアの表情は、能面のようなまったくの無表情。対照的に、その後ろの子供たちはびくびくとあちこちと見回しながら歩いていて、ときおり兵士に小突かれている。思わず兵士に怒りを覚えるけれど、アリアだけは群衆の方を見ることなく、じっと正面だけを向いている。

 ぱっと見ただけでは、まるで死を覚悟した聖人のようにも見えるけれど、私の目には、その態度が強がりなことがわかる。

 だって肩がかすかに震えているし、よく見れば頬に涙の跡がうっすらと残っているもの。

 そして、彼女の強がりは後ろのテセウスもよく知っているだろう。

 アテナイの使節団の様子を見ていたゲオルギウスさんが、

「お嬢たちを除いて兵士は24人。果たして彼らは味方となるのか敵となるのか……。そういえば、ペイリトオス殿は来ていないみたいだな」

と確認するようにつぶやいた。

 おそらくここにいる四人の中で、彼だけが一番冷静に状況を見ているのだろう。

 夏樹がじいっと前を向いたままで、

「ああ、こういうときは普通はどうなんです?」

とゲオルギウスさんに尋ねている。……前言撤回。夏樹も冷静で頼もしいわ。

 ゲオルギウスさんは、

「去年はペイリトオス殿が使節団の団長として来ていたはずだ。今年の団長は……、ペイリトオス殿の配下の男のようだな。……もしかしてアテナイで何かあったのかもしれん」

 二人の会話を聞いていて、私の脳裏には女神アテナの言葉が浮かんできた。

 ――これよりこの地に嵐が来ます。

 アテナのいう「この地」はクレタ島ではない。アテナイのことだろう。胸騒ぎがしないわけではない。だけど、私にとってはアリアの方が優先。絶対に助ける!

 待機していた奴隷たちがたくさんの木箱に入った交易品を荷車に乗せ、準備ができたところでクノッソスに向かって出発していく。

 その作業の様子を見ながら、テセウスたちと簡単な打ち合わせをした。

 ゲオルギウスさんのいうには、すでにカトレウス王の準備は整っていて、テセウスたちはダイダロスさんを連れて合流する予定だという。

 私たちは彼らとは別に動き使節団の後を追いながらクノッソスまで行く。使節団は予定通りならば今日のうちに宮殿に入るそうで、作戦の決行も今日の夜中とのこと。

 アリア救助が役割である私たちにとっては、カトレウス王やテセウスたちが攻め入ったゴタゴタの中を潜入するのが都合がよい。きっとタイミングは彼らに合わせることになると思う。

 ともあれ私と夏樹は、テセウスたちと分かれ馬を引きながら、前を進む使節団と一定の距離を保ちつつクノッソスへ向かった。

――――

 クノッソスへ向かう一行は荷物を運ぶ奴隷たちが徒歩であるためにゆっくりと進んでいる。アリアや子供たちは歩かされることなく馬車の上に乗って厳重な監視がついていた。

 丘陵地を斜陽が照らすころ、一行はようやくクノッソス宮殿に到着した。斜めに走る光と陰が、悔しいけれど宮殿をいつも以上に美しく彩っている。

 

 私たちは事前に宮殿の広場まで入ったことがあるので中の様子はなんとなくわかっている。だから焦る必要もなく、ただ決行の時を待つだけ。

 私と夏樹は怪しまれないように近くの酒場に入って夕食をとりながら、神通力の一つ天眼を使って宮殿の様子を確認することにした。

 アテナイ使節団の一行は宮殿の西口から入って柱列回廊を通り抜け、中央の広場でミノス王と対面していた。

 初めて見るミノス王は身長が2メートルほどの大男で、鍛え抜かれた肉体に鋭い眼光をそなえている。その両脇や背後に控える兵士たちも屈強な軍隊のようだ。

 特に右脇の槍を持った人物はミノス王に勝るとも劣らぬ強い力を感じる。

 ……きっとこの男がクレタ一の槍の使い手ペリペテウスなのだろう。黒い巻き毛に日に焼けた体にはいくつもの傷がついていて、歴戦の戦士であることを窺わせる。

 王とペリペテウス。この二人の雰囲気は別格だ。異世界でも、ここまでのオーラを放つ人間は覚えがない。

 もちろん私も異世界で鍛えられてはいるけれど純粋な武力では人の身のままだと荷が重いわね。

 ……まあ、夏樹が私を守ってくれると思うしいざとなったら、ね?

 とはいえ、ますます油断ならないと気を引き締めつつ天眼で監視していると、ミノス王はどうやらアリアのことを知っていたようで、顔を見て驚いていた。

 しかし、そこへアテナイ使節団の男が何事かをしゃべり、それを聞いたミノス王は突然怒りだした。

 ……あの男。いったい何を吹き込んだのだろう?

 ミノス王が右手を振り払うと、その背後の軍隊から数名の兵士が出てきて、アリアや生け贄の子供たちを宮殿の東側へと連行していった。

 それを見送ったミノス王はあらかじめ用意してあった椅子に座る。ミノス王の着席を合図にその場の人たちも床に座ってくつろぎ始め、東西の回廊から料理を持った女性たちが現れた。

 一緒に天眼で観察していた夏樹が、

「宴会に入るみたいだな。春香はアリアの行方を追ってくれ」

と小さい声で言うので、私は意識をアリアの方に集中させ宮殿東側の一室に閉じ込められたことを確認した。広場からの経路も……、大丈夫。把握したわ。

 他の生け贄の子供たちは13人もいてほとんどが10歳に満たない子供たちのようだ。互いに抱き合いながら怖がって震えている。

 アリアは彼らの元へ寄っていき、両手を広げて抱きかかえるようにして慰めていた。

 その姿はまるで聖母のようで、見ているだけでも胸がぎゅっと締め付けられ、苦しく切なくなってくる。

 待ってなさいよ。もうすぐだから。……あと少しで助けに行くからね。

 夏樹がハンカチで私の目尻の涙を拭き取るのに任せてアリアたちの様子を見ていると、子供たちはアリアの言葉にじっと耳を傾けていた。

 怖いだろうにアリアの言葉に弱々しくうなづき、はかなげな笑顔を見える女の子。

 震えながらも気丈にうなずく男の子。

 ああ。……これが。これも私たち人類の歩んできた歴史の一つ。生け贄の風習なのだろう。

「春香」

 夏樹の声に我に返り、私は天眼を切って目の前の夏樹に視線を合わせた。真剣な目の奥から言葉が伝わってくる。

 ――時間だ。救出に、行くぞ!

 私はうなづいて、一緒に席を立った。

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