14 碧霞の手紙

 |帝辛の16BC1061、周の東部の国境。
 一人の老人が、みすぼらしいロバ車に乗って西を目指していた。

 遠くに見える村を見て、
「……おお!」
と喜びの声を挙げる。釈放された|西伯侯せいはくこう|姫昌きしようである。ようやく解放されたが、商から暗殺されないように変装してここまで来たのだった。

 長い幽閉生活の間に、甲骨に変わる新しい占いを開発していた姫昌だったが、釈放された裏には長子|伯邑孝はくゆうこうの犠牲があった。

 姫昌の釈放を願って周から多くの美女たちと宝物を持って行ったのだが、妲己に色目をつかったと難くせをつけられて処刑されてしまった。さらにその遺体の肉を、帝辛は差し入れとして姫昌の食事に出させたのだった。

 あらかじめ|卜占ぼくせんによって、出されたその肉が自らの子 伯邑孝のものと知っていた。しかし、姫昌はぐっと内心の哀しみをこらえ、知らない振りをして大げさに帝辛に感謝をしてみせ、震える手でわずかに3切れ食したのだった。
 その報告を聞いた帝辛は、姫昌を馬鹿にして無能な人物として釈放を許したのだった。

 姫昌の目が涙でにじむ。

 ようやくここまで帰ってきた。
 ……|こうよ。孝よ。すまぬ。

 なぜ釈放を待てずに商に来たのか。
 そう責めたい気持ちもあったが、その答えは明白だった。自分を助けるためだったのだ。
 しかし悲しいかな。
 その結果、親の自分より先に長男が死んでしまった。

 |自分を思う|の気持ち。それはわかるが、親である姫昌にとって自らより先に子供が死ぬのは、何よりも耐えがたく辛いことだった。
 ゆえに再び思う。なぜ釈放を待てなかったのかと。
 今なお、長男を思うと姫昌の胸に迫るものがあったのだ。

 突然、姫昌が胸を押さえた。
「――ぐっ」

 顔をゆがめ、どうにかロバ車から外に、こみ上げてきたものを吐きはじめる。
 地面に落ちたのは、すでに消化していたはずの3切れの肉だった。
 それを見た姫昌がつぶやく。「……孝」

 そこへ3匹の狼がやってきて、とめる間もなく肉を加えて立ち去った。
 やがて彼らの血となり肉となり、また死して周の大地に帰る。
 伯邑孝もまた、父親とともに周に戻ってきたのだ。

 姫昌は思う。
 今の商、いや帝辛にこの国を治める天命が本当にあるのだろうか。
 多くの非道な命令により、悲劇が続いている。それを止め天下を治める天命は別にあるのではないか。
 願わくば、その天命のあるところに、自らと周はその天命に従いたいと――。

 姫昌の祈りも虚しく、さらに1年後、商の後宮ではまた新たな悲劇が起きようとしていた。狙われたのは、商の大将軍|黄飛虎こうひこの妻であった……。

◇◇◇◇
 碧霞が子牙くんと祝言を挙げてより、時が流れるのは早いものですでに7年が経った。

 俺と春香も、今では見た目が40代半ば。正直、ここまで年を重ねた姿になったことは初めてのことだった。もっとも見た目だけであって、体力が落ちているわけではない。
 たまに春香が、
「しわがー!」
と叫んでいるが、俺はそんなことを気にはしていない。春香は春香。いつだって俺の一番だし、チャーミングという言葉が似合うようになってきたと思う。もしこのまま年を取ると、きっと可愛らしいおばあちゃんになるのだろう。

 冬が終わり、春の芽吹きを迎えた季節。
 俺たちは子牙くんと碧霞の家に向かう途中で、|天水てんすいの町に来ていた。すでに周の影響の強いところで治安も悪くはない。長い冬が明けたこともあって、人々もどこか明るい顔をしている。

 幸いに個室がある宿をとることができた。それも高級宿で食堂もあり、早速、春香と2人でテーブルを挟んでいる。

 テーブルには3本の長い足のついた鍋がセットされていて、中には生姜、|なつめ、ネギ、クコの実の入ったスープが張られている。湯気が立っていて身体が温まりそうだ。
 その脇には、羊肉や野菜などの具材が用意されていて、各自で鍋に入れて火が通ったらタレにつけて食べる料理。
 そう、いわゆる中国風のしゃぶしゃぶ、|火鍋フォグゥオだ。

「ふふふ。これは温まりそうね」
と微笑む春香が、早速、野菜を中に投入した。

 2人で黄酒をちびりちびりと飲みながら、火が通るのを待つ。

「それにしても早いもんだな」
「あれから7年だもんね」
「そうそう。まさか次の年には早くも孫が生まれるとは思いもしなかったが……」
「|ていちゃん、かわいいよねぇ」

 孫の丁の話になると、途端に春香の目尻が下がる。

 丁が生まれたという連絡を受けた時、すぐに顔を見に行き、それから一年に一度だが遊びに行っている。
 小さい頃の碧霞にそっくりだが、さすがは男の子、2才ごろから好奇心旺盛にあちこちと動き回っていた。

「そうそう。もう6才だろ? お土産、気に入ってくれるといいんだが」

 娯楽のない時代だ。丁の喜ぶ顔を思い浮かべながら、竹とんぼや水鉄砲、やじろべぇなど、竹でいくつかのおもちゃを作ったのだが、果たして気に入ってくれるだろうか。

「夏樹お手製の竹とんぼとかでしょ。昔、お爺ちゃんお坊さんに作ってもらって自慢してたよね。男の子だから絶対に喜んでくれるわよ」
「そんなことあったっけ?」
「ふふふ。私も作ってもらったけど、上手く飛ばなくって……。飛ばし方を教えてくれたの、夏樹だったよね」

 いや、もう覚えていないなぁ。もちろん、春香にだったら俺が教えただろうけど。……6才ってことは小学校1年生くらいか。

「あ、ほら。もういいわよ。お肉も入れるわね」
「ああ」

 火の通ったものから鍋から取り上げ、ゴマだれをつけて口に入れる。まだまだスープには改良点があるが、辛めの味付けがお肉によく合っている。
 生姜が入っているせいか、身体の内側から熱が湧いてくるようで、少しすると少し汗ばんできた。

「ふふふ。それにしても碧霞がお母さんかぁ」
 しみじみと言う春香に、俺は碧霞からの使者が持って来た|手紙竹簡を思い出した。

――雪もとけ、花が咲き出して春の訪れを告げています。
 パーパとマーマはお元気で、仲よくお過ごしのことと思います。
 今年の冬は厳しかったですが、今のところ、子牙様も|ていも病気になることなく暮らしています。

 昨年、周では姫昌様が釈放されて、7年ぶりにお戻りになりましたが、その一方でその長子である伯邑孝様が殺されたことで、商への反感が高まりました。

 子牙様によると、今もなお水面下で姫昌様を王として商から独立すべきだという声が広がっているようです。……まあ、情報元はうちの近所の木こりですから、どこまで正確かはわかりませんけど。

 ただ、子牙様はそれから考え込むことが多くなっているようです。私にも話してくれないので心配しているのですが、きっとパーパにだったら相談するんじゃないかって思います。できれば、一度、話を聞いてあげてくれませんか。

 丁も6才になり、ますますいたずら盛りになってきました。男の子って激しいんだなって思いながら、もしかして私もこんな風だったのかもと、今さらながらにパーパとマーマの気持ちがわかってきた気がします。

 今年も、丁はパーパとマーマが来るのを楽しみにしているようです。できたらしばらく滞在していただいて、丁ともよく遊んであげて下さい――

「丁が楽しみにしてるってさ」
「ふふふ~。私も楽しみ。やっぱり孫はかわいいねぇ」

 春香がニコニコしている。年齢を重ねて肌の張りは損なわれつつあるが、柔らかく包み込んでくれるぬくもりには変わりがない。今の表情も若いころと同じ、俺の一番好きな春香の笑顔だ。

 気がつかないうちに俺も微笑んでいたのだろう。春香の視線がより優しくなる。
「夏樹ってさ、やっぱりカッコいいよね」
 ぼそりと言う春香に、
「春香だって、やっぱりかわいいよ」
と言い返す。

 かつて俺は36才、春香は41才の時にアムリタの力で神格を得た。
 神となったからには、見た目の年齢はどうにでも変えることができる。今は碧霞という娘がいるからこそ、年を追うごとに老いていく姿を取っているにすぎない。
 けれども、こうして年齢を重ねていく姿も悪くないと思う。……それだけ人としての生を、2人で歩いてきた証なのだから。

 テーブルの上の春香の手に、そっと自分の手を重ねる。年月を感じる生活感のある手。
 もちろん実際は見た目以上の年月を共にしているが、これはこれで愛しいと思う。

「碧霞の方は2人目はどうなのかしらね」
「さてなぁ。まだ27だから慌てる必要はないが……」
「自然に任せるのがいいかな。プレッシャーになってもいけないし」

 子供がなかなか授からないプレッシャーは、俺たちもそうだったからよくわかっている。周りから期待される辛さも。
 碧霞の場合、長男の丁がいるんだし、年も若い。あれこれ言わずに自然に任せた方がいいだろう。

 しかしまあ……、
「碧霞が嫁いだけど、結局は子供の話ばっかりになるな」
「ふふふ。そうね」

 いくつになっても子供のことが心配になる。これもまた親だからだろうか。

 俺と春香は、いつものように互いのぬくもりを確かめるように夜を過ごし、街道を順調に進んだ。

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