17 雪に眠れる村

 視界も見えないほど強い吹雪が俺たちの身体を打つ。びゅおおおぉぉっと風が耳元を通り過ぎていき、すぐ後からは春香が声を張り上げていた。
「うひゃぁ。まるで雪の弾丸みたいぃ」
 ……確かに、なかなか上手いことを言うじゃないか。

 頭の編み笠が飛ばされないように手で押さえながら、風のなかを切り込んでいくように、春香の前を歩く。少しでも壁になるために。

 あたりは一面の白い世界。地面も木々も雪が積もっているだけではない。
 吹雪で視界の360度すべてが真っ白になっている。まさにホワイトアウトの状態だった。
 普通の人ならば、方向だけでなく上下の感覚も、足元の地形すらわからなくなってしまい、遭難してしまうだろう。

 今、俺たちがいるのは、豊邑からさらに東、山中ではあるが商の領土に入り込んだところだ。
 あまり使われない道とあって関所などはない。巡回こそあるだろうけれど、山賊に出会うことの方が恐ろしい。もっともこんな厳しい冬では、たとえ山賊であっても平野部に移動しているはずだ。
 そんな雪山をなぜ俺たちが登っているのか。その理由は、10日ほど前に、天帝釈様が俺たちのところへ来臨され、この先にある村へ行くように指示をされたことによる。そうでなければこんな時期に険しい雪の山道を通りなどしない。

「村までもう少しのはずだ!」
と春香を励ます。さすがに感覚は普通の人のままだから、手足が冷たくて感覚が鈍くなってきている。

 その時だ。山の陰に入ったのか、急に風が弱まりはじめた。
 それでもなお時折強い風が吹くものの、次第に視界もクリアになっていった。

 風が弱まってくると、それまで強い風に包まれていたせいだろうか、まるでジェットコースターから降りたときのように足がガクガクと震えた。
 感覚的なものだろうが、まったく情けない。俺は気合いを入れ直して足を進める。

 風が弱まっても、頭上の分厚い雪雲から絶え間なく雪が降り続けている。
 山のなかの盆地のようなせまいところに、眠るように一つの村が見えた。
 不意打ちのように吹き付けてくる強い風に背中を押されるように、俺たちは村に入っていく。

 村には明かりの漏れている家が唯の一軒もない。それどころか、雪の重みに潰れてしまった家がいくつもあった。
 厩舎らしき建物にも生き物の気配は一つも無い。人も、動物も、何ひとつ……。
 薄闇に包まれた|人気ひとけの無い村は、まるで死と静寂に支配されているかのような廃村だった。

「なんだか怖いよ」
 俺の背中にしがみつく春香が、たよりなさげにつぶやいた。

 しかしな。春香。ここが目的地の村のはずだ。たとえ違う村だったとしても、天候のせいでわかりにくいがもう夜になってしまっている。さすがに今日はもう、この先の雪道を進むことはできないだろう。どうあっても今晩はここで一泊することになる。

 幸いにも無事な建物もあるから、一番状態が良さそうな家を借りることにした。
 玄関の前に積もった雪を手と足で掻きだし、凍りついたドアの端っこを叩いて、ようやく開けることができた。

 中は真っ暗だったがどうやら|かまどがあるようだ。すぐに薪を創り出して火をおこすと、暗い部屋を暖かな光が照らし出した。
 春香はさっそく鍋を載せ、雪を入れて溶かし始めた。そのままスープを作るらしく、鞄をガサゴソとまさぐっている。

 ドサッ。

「……なに今の音?」
 恐る恐る尋ねてくる春香に、俺は、
「屋根の雪が落ちた音だとは思うが、念のため、奥の部屋を見てくるよ」
と言って立ち上がった。

「だ、大丈夫。……気をつけて、早く帰ってきてね」
 少し怖がりながら言う春香に、俺は微笑んだ。
「俺たちに危険なんてないだろ? 心配するなって」

 不老不死の神様だからね。でないと、こんな冬の山道なんてアタックしないって。

 けれども春香はものすごく怖がっている。それもそうだ。彼女は幽霊とかが怖いんだ。昔からホラーは苦手だったから……。
 
 俺はナイフをすぐに抜けるようにしながら、慎重に奥の部屋に向かった。
 廊下などなくて、部屋と部屋とがつながっているだけの家。規模からして2世帯ぐらいが住んでいたのではないだろうか。
 たまに聞こえる外の風の音が、まるで亡霊の叫び声のように聞こえる。

 3つ目の部屋に入ったとき、……俺は部屋の片隅でうずくまる一人の老人を見つけた。

「あ、ううぅぅ……」
 その老人は、まるで骨と皮だけのようにやせ細り、衰弱して氷のように冷たくなっていた。
 かなり危険な状態だ。ずっと飢餓状態で、どうやら屋根の隙間から漏れてきた水滴でしのいでいたようだ。

 人形のように軽くなったその老人を抱え、俺は急いで春香の所ヘ戻った。
「春香。生き残りだ!」
 老人を見て、はじめはビクッと飛び上がった春香だったが、すぐにスープ作りを再開する。
 ちょうど野菜主体のスープのようだ。
「身体を温めないとまずい。スープを用意してくれ」
「わかってるわ」
 返事を聞きながら、俺は老人をかまどの近くで下におろす。

「……いきなり熱いものだと拒絶反応起こすのが怖いから、少しぬるめにするね」
 そう言って、春香がスープの上澄みをお椀に入れた。
 老人は震える手でお椀に手を伸ばす。まだ会話すらできていないが、それより先に身体を温めてもわらないといけない。

 俺は老人のそばに座り、お椀とスプーンを手渡した。震える手で受け取った老人は、カチカチいわせながらスープをひと|さじすくって口に入れる。

「ああああ、う、うまい……」

 痛ましげにその老人を見ている春香が、俺を見た。きっと神力を使ってもいいのかということだろう。
 ……だがそれはダメだ。安易に使ってはいけない。
 首を横に振る俺を見て、春香はうなずいた。

 しばらくは老人がスープをすする音だけがしていた。

 ようやく飲み終わった頃、意識も先ほどよりはっきりしてきたようだった。
「勝手に入ってすみません。……いったい何があったんですか?」
「あ、ああ。ああ」と何かを言おうとしては、うまくしゃべることができないでいる。
「ゆっくりでいいですよ」
と言いながら、背中をさすってやった。

「あ、ありが、とう」
 お礼を言った老人にひと安心しながらも、改めて何があったのかを尋ねてみた。一つの言葉を聞き取るのにも苦労するありさまだったが、俺はこの村に何があったのかを知ることができた。

 ここは人々が生活する貧しくも普通の村だったそうだ。
 状況が変わったのは、昨年の夏。豊邑を支配していた|崇侯虎すうこうこの部下が、村の若者を根こそぎつれて行ってしまったという。
 その理由は、|鹿台ろくだいという巨大な建物を造るためだった。なんでも馬鹿でかい宮殿らしく、建築に20年はかかるといわれていたとか。
 しかし、そんなに待ちきれないと帝辛は言い放ち、そこへ崇侯虎が、自分なら5年で造ると名乗り出た。帝辛は喜んで崇侯虎に鹿台建築を命じたらしい。

 さすがに5年は無理だったようだが、帝辛と妲己に取り入るのが上手いらしく、お|とがめなく工事を継続しているそうだ。そうはいっても8年目になって焦りがあるらしく、帝辛から人員を諸地方から強制的に徴収する権限を得たという。

「それで、若者たちが……」と言う老人に、俺はお礼を言って少し休ませることにした。
 聞かなかったが、おそらく残った老人たちだけでは村の維持もできなくて、そのまま冬に突入してしまったのだろう。他の家屋にも同じような人がいるのかもしれない。それとも村を捨ててどこかに行ったか……。

 火の暖かさとスープのお陰か、老人は眠たそうだ。
 俺と春香は目配せをして、敷物をしいてその老人に横になってもらった。……明日からどうするか迷うが、まあ後で春香と相談しよう。

 寝入った老人の安らかな顔を見て、俺たちは逆に奥の部屋に向かう。
 暗がりに入った途端、冷気が身体を襲う。「さむっ」と言いながら、手短に春香と相談をすることにした。

「天帝釈様が、突然、この山道を行けって仰ったのは、この村の様子を見せたかったのかな」
 どこか納得したような春香に、俺もうなずく。

 こうして冬の山道を登る羽目になったのは、天帝釈様の指示があったからだった。
 俺たちの課題である人間を知るということ。より深く理解するために、この村の惨状を見せたかったのかもしれない。

「確かにな。……で、あの老人はどうするか」
「そうなんだよね。歴史に介入しすぎるのはよくないんだよね」
「まあ、な」

 どういうわけか。天帝釈様からは、碧霞を育てていることについては特にお叱りを受けなかった。しかし、やり過ぎては必ず叱責されるはずだし、事前に止めようとされると思う。
 俺の勘だと、あの老人を助けるのはNGのような気がする。

「……答えを出せないね」
 そう結論づける春香に、明日になったら天帝釈様に相談してみるかと思った。そのための神通力がある。滅多に使うことではないが……。
 ああでもない、こうでもないと議論しても仕方が無い。
 俺たちも疲れていることもあって、とりあえず食事にして早めに休むことにした。

 さっそく部屋に戻り、火のそばに春香と並んで腰を下ろした。が、そこで俺は気がついてしまった。
 老人に近寄り、そっと手のひらを口元に近づける。
 ……息がない。

「夏樹?」
 いぶかしげな声の春香に、俺は首を横に振った。
「亡くなったよ」

 一人でただじっとして生き延びてきた老人は、すでに亡くなり力なく横たわっていた。
 もしかして……。俺たちにこの村の現状を伝えるために、今まで生き延びていたのだろうか。
 安らかに眠っている老人の顔を見て、なんとなくそう思った。

 そっと横に来た春香が、俺の手を握る。
 今までにも遺体は幾度か見かけたが、こうして人の最後を見ることに慣れることはない。
 帝辛の欲望の犠牲。いや、崇侯虎の乱暴な命令に原因があるのだろう。略取される民衆の悲劇。それは止むことがない――。

 俺はその老人の遺体を元の部屋に戻した。
 申しわけないとは思うが、さすがに遺体と同じ部屋で寝るのは気分的に避けたい。安全のために誰も入ってこられないように部屋に結界を張って眠り、明日は帰ることにしよう。
 2人で話し合って決めると、抱き合ったままで横になった。

 もう、今日は疲れた。春香も疲れ切っているようだ。
 そっと慰め合うようにキスをしてから、一枚の毛布に2人でくるまり強く抱きしめる。
 そのまま春香の頭に頬を擦り付けるように、俺は目を閉じた。

 それは短い安らぎの時間。
 深夜、目を覚まさざるを得ない状況になるまでの少しの憩いの時間だった。

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