18 遭難者

 深夜にふと目が覚めた。顔を上げて耳を澄ませる。
 ――気のせいだろうか。どこか遠くで人の話し声が聞こえたような気がする。

「――れ!」

 違う。気のせいじゃない。
 こんな夜遅くに、しかも雪に閉ざされた廃村に、いったい誰だろう?

「春香……、春香」
「う、んん。……ん?」
「まだ夜だけど、話し声がする。ちょっと様子を見てくるよ」
「え? え?」

 まだ寝ぼけているようだ。こういう時は……。
 両手で春香のほっぺたを強めにギュッと挟みこんで、ぶっちゅうっとキスをした。驚いた春香が目を丸くして上半身を起こす。

「誰かここに向かって来ているんだ。……何があってもいいように、準備だけはしておいてくれ」
「あ、うん。わかった」

 その返事を聞いて、俺は編み笠をかぶって|みのを身につける。腰の剣を確認して、薪を一つ拾いぼろきれを巻いて即席のたいまつ代わりにすることにした。
 扉の前で春香を振り返る。
 片手を挙げて「じゃ、行ってくる」と言い、立ち上がって準備をしている春香から「気をつけて」の声を背中に外に出た。

 あいかわらず、この村の外は強い風が吹いているようだ。すっかり暗くなって、暗夜の中に雪の白さだけが浮き上がり、どこか異世界にいるかのように見える。

「――村だ!」

 東の方から男の人の声が聞こえる。そのほかにも複数の人の気配がしている。
 暗い中をいきなり出て行くと驚かれてしまうので、さっと神通力で手もとの薪に火を|けた。
 さっそく明かりが見つけられたようで、
「誰かいるぞ!」
と声がする。

 緊張が高まっていくままに出て行くと、目の前には鎧の上から服を着込んだ壮年の武将を筆頭に、複数の鎧の男、中には年配の男も一人いる。他には数人の女たちと子供がいた。

 ……総勢30人ほどか。盗賊、には見えないな。

 男たちは俺を警戒して剣を抜いている。しかし俺が一人とみるや、すぐに周りの気配を探っているようだ。ほかに伏兵がいるとでも思っているのだろう。

「この廃村には俺と妻しかいませんよ」
 俺はそう言って、両の手のひらを見せる。

 中心者らしき壮年の男がようやく剣を納めた。しかし、他の男たちはそのまま身構えている。

「お前は誰だ? なぜここにいる?」
「俺は夏樹。妻とともに、天水から商に向かっている旅の途中です」
「……旅?」
「ええ」
「どうやら本当に周りに他の人はいないようだな」
「ですから俺たち2人だけですよ。……それはそうと、そちらは? 見たところ女性や子供もいるようですが」
「名は聞くな。悪いが、俺たちも廃屋を利用させてもらおう」
「私たちも廃屋を利用しているだけですから、別に構いませんが……」

 名は聞くな、か。明らかに訳ありの様子だ。
 危険だったら、さっさと春香と逃げ出した方が良いのかもしれない。この雪山でこの様子なら、追いかけて|はしないだろう。
 疑われるのは気分がよくないけど、まあ仕方がない。もし俺がこの男の立場だったら、同じ事をした可能性が高いのだから。

 壮年の男はテキパキと男たちに指示を出し、廃屋の扉を開けさせている。……ふと女性や子供たちの様子が目に入った。

 きっと吹雪の中を歩いてきたのだろう。ほほが真っ赤になって、身につけた服や雪よけの|みのがびっしょりと|れている。どこかおびえながらも疲れ切ってしまっているようだ。
 あの猛吹雪の中をやってきたのだ。無理もないだろう。

 そこへ俺を追いかけて春香がやってきた。
「あなた?」
 俺は振り返って手招きをする。
 心配そうな表情をしている。そりゃそうだ。外に出たら鎧を着た複数の男たちがいるのだから。

「大丈夫だ」
 そういって手を握る。
 壮年の男が、
「すまぬな。奥方よ。害することはしないが、お主らには今晩は俺と一緒にいてもらいたい」
と、申しわけなさそうに言った。

「一族で逃げだそうとしているのですかね」
 ふと思いついたままにそう尋ねると、苦虫をつぶしたような表情をしてうなずいた。
「そうだ」
「ここを抜けても、まだ豊邑は商の勢力範囲ですよ」
「覚悟の上だ」
「子供も連れて、ですか……」

 やむを得ぬ事情があるんだろう。それも切羽詰まった理由が。けれどこの雪山を、女子供を連れてなんて無理もいいところだ。いったいどんな事情があるというのだろう。

 春香が「子供」という言葉に反応した。
「貴方たち、子供を連れて雪山越えを? ちょっと大丈夫? 凍傷になっているんじゃ?」
「そなたたちには関係ないことだ」

 男の言葉に春香が怒気をあらわにした。
「あのね。大人はまだいいのよ! ひどいと細胞が死んじゃって手足が腐り落ちちゃうわよ。……どこにいるの? 見てあげるわ」
「お、おい。春香」
「夏樹だってわかってるでしょ? あの激しい吹雪を」
 その剣幕に男は呆気にとられていた。

 そりゃ、わかっているが……。

 なだめようとしていると、男が急に笑い出した。
「はは、ははは。そうか。お主たちにも子供や孫がいるんだな」
「そうよ。だから、はやく子供の様子を見せなさいってば」
「うむ。……俺は黄飛虎という。夏樹と、春香と申したか。もし薬でも持っているのなら、すまぬが子どもたちを見て欲しい」

 春香の剣幕に、男は素直に名前を教えてくれた。……さすがは春香というところか。はたまた母は強しというべきか。俺には教えてくれなかったのに、なんだか少し悔しい。

「わかったわ。……ほら、夏樹も行くわよ!」
 俺は春香の手を引かれながら、男の後について、女性や子供たちが入っていった廃屋に向かった。

 彼らは、5軒の家に分散していた。黄飛虎という男に連れられて俺たちが行くと、一様に驚いた顔で見つめられた。
 しかし、春香がそんなことは関係ないとばかりに、女性や子供の前にしゃがみこんで、一人一人の顔や手足を出すように言う。
 困惑する他の男たちに、黄飛虎がうなずき返していた。

「うわぁ。よくがんばったね。体も冷たくなって……」
 子供の足を見た春香が、一瞬、痛ましそうな顔になったが、すぐに微笑んだ。
 見ると、確かに子供たちの手足は|霜焼しもやけを完全に通り越して、凍傷になっている。すぐに患部を温めないとダメだ。

「すぐにお湯を沸かそう。……おい! 手が開いていたら、雪をたくさん持って来てくれ」
 俺は男たちにそう言うと、すぐに奥のかまどの方へ向かった。背後から戸惑っている雰囲気を感じたが、どうやら素直に外に雪を取りに行ったようだ。

 それからは忙しかった。とにかくお湯を沸かして平底の土器にお湯を移し、温度を調整した上で患部を浸させる。
 いくつもいくつも。他の廃屋に行った人たちの分も。ただひたすら同じ事を繰り返しつづけた。
 男たちにも、しもやけが酷いものには同じように患部を温めさせ、そうでない場合は血行が良くなる軟膏を渡して塗ってもらう。
 他の家の|かまどにも火を入れて廃屋といえど中を温かくさせ、患部を冷やさないようにさせた。
 その間にも、ぬるくなってきたらお湯を取り替える。作業には果てがないように思えた。

 そのうちに疲労が限界に達したのだろう。女性や子供、さらには男たちまで眠り込んでしまった。起きているのは年配の男と黄飛虎の2人だけだった。このご老人は飛虎の父親らしい。

 充分に温まったところで血行促進の軟膏を塗り込んで布で巻き付ける。これらの軟膏も布も|ふところや廃屋の隅から見つけたようによそおいながら、その実、物質創造の能力で作ったものだ。

「――ふう。これでひとまずは良しっと」
 春香が額の汗をぬぐうような仕草をした。
 俺たちの治療を見ていた黄飛虎が、突然、頭を地面につくほど下げた。
「本当に感謝する。このとおりだ」

 俺と春香は目配せをしあう。
「構いませんから頭をあげてください」
と言うが、なかなか上げてはくれない。
 何度も言いつづけるうちに、ようやく頭を上げてくれる。

「お主たちを疑って済まなかった。……こんなところで旅の薬師の夫婦に出逢えるとは。なんたる幸運だ」
「薬師ってわけじゃないですがね。まあいいでしょう。それよりご自分も休んだ方がいいんじゃないですか」
「ああ、そうさせて貰いたいところだが、さすがに他の者たちが眠り込んでしまってはな。親父殿にさせるわけにもいかないし。
 もはやお主たちを疑っているわけではないが、警戒はしておくに越したことはないだろう」

 まあね。ここは廃村だし追いかけてくる者もいるだろう。吹雪に断念をしていなければ、だが。

 春香がどこか機嫌が悪そうに、
「なぜ子供まで連れて、こんな雪山に? 貴方の一族なんでしょう? こんな過酷なところになんで連れてきたの?」
「ちょっと春香! すみません」

 あわてて春香の腕を握って落ちつかせる。まずいよ。この時代、女性の立場から、しかもどこかの将軍らしき人に敬語も無しじゃ……。

 笑って飛虎は、自分の身分を明かした。
「構わぬ。むしろ我らの方が頭を下げねばならぬのだ。……俺は商の将軍をしていたんだ」

 やはり、というべきか。商で何かが起きて国を捨てざるを得なかったのだろう。
 飛虎殿は何があったのかを教えてくれた。なぜ無理にでも、この山道を進まざるを得なかったのかを。

 悲しげな表情で天井を見上げている。
「昔はあのような方ではなかったのだがな……」とのつぶやきとともに語られた話は、俺にとっても許しがたい話だった。

「妹が後宮にいるんだが、ある日の昼下がり妻が妹に会いに行った」

 その後、弟が良い酒を手に入れたといってやってきた。そこで飛虎殿は息子たちや部下を交えて、みんなで酒を飲んでいたそうだ。

「そこへ妻の侍女が飛び込んできた。真っ青な顔で今にも気を失いそうだった。その表情を見たとき嫌な予感がしたよ」

 そう言ったっきり、しばらく口をつぐんでいる。外の風が急に強くなったように感じられた。

 その風の音に紛れて飛虎殿は、

「――妻と妹が死んだ」

とぽつり、つぶやいた。

 奥さんは後宮で妹さんと雑談をした帰りに、運悪く妲己と出会ってしまったそうだ。
 向こうは正妃である婦、こちらは臣下の妻だ。失礼があってはいけないと妲己の話に合わせながら、しばらく雑談をしていたそうだ。

 そこへ後宮の侍女がやってきて帝辛の来訪を告げた。古来、君主と臣下の妻は会ってはいけないとされている。あわてて太い柱の陰に隠れたという。
 そのため、帝辛は気づいていなかったのだが、妲己があっさりとそこに黄飛虎将軍の妻がいると明かしてしまった。それが禁じられているとも知らぬように。

 興味を引かれた帝辛に命じられ、奥さんはしぶしぶ柱の陰から出て行った。

 さっそく見晴らしが良い一室で酒宴が開かれ、酌をしろと命じられる。しぶしぶと応じていると帝辛は酒が回っていき、次第に奥さんをじろじろと見つめだした。

 侍女はその様子をハラハラしながら見ていた。だからはっきりと見ていたそうだ。妲己が機嫌良さそうに微笑みながら、怪しい目つきをしはじめた帝辛を見て微笑んでいたことを。

 いきなり帝辛は奥さんの手首をつかんだ。奥さんは驚きに身体をこわばらせた。舐めるような目で胸もとから顔をゆっくりと見上げる帝辛に、とうとう我慢できずに手を払いのけて後ずさったという。

「私をも辱めようとなさるのですか! 臣下の妻である私を!」
「朕は君主である。臣下のものは朕のものも同然だ」
「なんということを! 君臣の道をも違えられるとは……。ええい。近寄るな! 私は黄飛虎の妻。その誇りと|みさおは汚させない!」

 そう叫んで、奥さんは侍女が止める間もなく縁側から身を投げてしまった。

 侍女は手すりにすがりつき、あまりのことに呆然としていると、|折悪おりあしく妹さんがやってきてしまった。
 焦っている様子を隠すこともなくやってきた妹さんは、気にすることなく酒宴を続けている妲己と帝辛を見た。よかった。義姉は無事に帰れたのか。そう思ったのだろう。
 少し落ち着きを取り戻したときに、ふと手すりのそばにへたり込んでいる侍女に気がついた。……そして、何気なく手すりから下を見た。
 そう。見てしまったのだ。

 ワナワナと震えて帝辛の前に詰めかけ、
「婦九さまにつづいて|義姉ねえさんまでも。もはや許せぬ! 我らが一族がいかに仕えてきたかも忘れたのか。この暗君め!」
と帝辛を指さして大声で糾弾した。

 ピシッと青筋を額に浮かべた帝辛は、
「側室の身分で、朕を侮辱するかぁぁ!」
と叫んで立ち上がり、たちまちに妹さんの額を右手でつかんで持ち上げた。
 あまりの迫力に侍女は恐怖を覚えて動けなくなってしまう。
 その目の前で苦悶の声を挙げる妹さんの腰の帯を、今度は左手でつかんで力任せに持ち上げて縁側から下へ放り投げた。

「きゃあぁぁぁぁ――」

 ドスンッという音とともに叫び声は消え、その場には沈黙が漂った。
 すぐに帝辛はフンッと鼻を鳴らすと、妲己に振り返り、
「さあさあ続きだ、続き。またなにか歌ってくれぬか」
と、何事もなかったように酒宴の続きをはじめたという。

 話をつづける黄飛虎殿の目尻から涙がにじんでいる。

「あの日、俺は妹によろしくと伝えてくれと言ったんだ。……あいつは微笑んで、行って参りますと。そう言ったんだ。そう、言ったんだ。……くそがっ」

 そのまま肩を落としてしまった飛虎殿にかわって、その父の老武人が、
「もはや帝辛には徳はない。商に道はないのだ。……儂がもっと早くに決断できておれば。2人を失うことはなかったのだ」
と顔を歪ませる。「もっと早くに商を見捨てるべきだったのだ」

 黄飛虎殿はそれから一族を引き連れて、強引に商を脱出して西へ向かった。襲ってくる追っ手と戦いながら一族を分散して、少しでも多くが逃げられるようにと図った。
 そして自身はここへ到ったというわけだ。

 その辛さが俺には想像できる。だから同時に怒りが心の奥底から湧いてきた。

 許せない。
 絶対に、許せない。

「夏樹……」
 その時、春香がそっと俺の手を握った。「私はここにいるよ」
 春香のいつもの変わらない声。手のぬくもりに、不思議とかっかと燃えていた怒りが少しだけ収まる。
「私だってムカつくよ。だけどね。私はここにいるの」

 俺は黙ってうなずいた。そして黄飛虎殿に、
「それで、これからどうするつもりなんですか?」
と尋ねた。
 まぶしそうな、うらやましそうな、そして、哀しげな……、複雑な表情で俺たちを見ていた黄飛虎殿。

「周へなんとしても向かう。そしてある男を捜す。そこに2人の王子がいるはずだ」
 俺は驚いて黄飛虎殿の顔をまじまじと見つめた。

 ――ある男? 2人の王子?
 聞き覚えがあるぞ。もしかして、この人は子牙くんを知っているのか!

 知らずのうちに俺は言っていた。
「俺たちが周へ案内しまよう。……子牙くんは、うちの娘の亭主なんですよ」

 今度は向こうが驚きの表情で俺たちを見つめる。「な、なんと……」
 その顔を見ながら、俺は確信した。

 そうか。この出逢いこそ、天帝釈様が俺たちに指示した命令の意味だったんだと。

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