19 嵐鳳は飛び来たる

 いかに周へ行くか。

 それが問題だったが、俺は一度南下して他国を経由することにした。崇侯虎が手ぐすねを引いて待っている豊邑を通過するよりも、遠回りにはなるけれどもよっぽど安全だ。
 さすがにこの人数では、時には盗賊に間違われそうな時もあったが、どうにか無事に周の都岐山に入ることができたのだった。

 ここに来るまでにすっかり彼らとも仲が良くなり、特に黄飛虎殿の末子黄天祥くんは春香に懐いてしまっていた。16才で、この時代にとっては立派な大人の扱いになるが、やはり母を亡くしたせいもあるのだろう。

 周の人々は姫昌様を慕っており、その宮殿も開放されている。俺たちは門番の兵士に子牙くんとの面会を依頼した。
 俺の顔と名前を知らないために、兵士はいぶかしげな様子だったが、連絡を受けた子牙くんがあわててやってくるのを見て、少し驚いている。

「師父! お久しぶりでございます」
 走ってきたのだろう。息を荒げながら挨拶をする子牙くんに、微笑みかけながら、
「しっかりやっているようだね」
「これも姫昌様の徳のお陰ですよ。……それはそうとお見えになるなら、早めに連絡をいただければお迎えの準備もしていたのですが」
「ああっと、そういうのはいいよ。宮殿にお世話になるのも変な話だ。……それはそうと今日は君に会わせたい人たちがいる」

 そういって俺は黄飛虎殿たちの方に振り向いた。

「な、なんと。……もしや黄飛虎殿では?」
 子牙くんは信じられないものを見たように驚いている。対する黄飛虎殿は苦笑いをしていた。
 商にいるはずの将軍が、一族を引き連れ、ましてや甲冑姿ではなく粗末な旅装に身を包んでやってきた。想像だにもしていなかったに違いない。

「お久しぶりですな。|きょう子牙殿。……貴殿の外戚に命を救われましたぞ」
 ちらりと俺の方を振り向く子牙くん。
「子細は後で彼らから聞くといいさ。俺たちは家の方に寄らせてもらうよ。碧霞と丁と会ってこよう」
「……できれば、一緒に来ていただいて説明をしていただけるとありがたいのですが」
「そうやって俺を政治の世界に誘おうとしてもダメだよ」
「はあ、残念ですがわかりました。……2人とも家に居るはずですので、ぜひゆっくりしていって下さい」

「ああ」と返事をすると、黄飛虎殿たちが深々と頭を下げた。
「この御恩は一生忘れませんぞ」
「きっとあの雪山で会ったのも一つの定めですよ。……それでも、もし恩に思ってくれるのならば、うちの婿殿の力になってやっていただければありがたいですね」
 そういって子牙くんの肩をぽんぽんと叩いた。黄飛虎殿はニカッと男らしい笑みを浮かべると、「勿論ですな」と力強く言ってくれた。

 そのまま彼らと別れ、一路、娘の碧霞の家に向かう。突然の訪問に驚く碧霞とハグをして、さっそく庭の見る縁側に通された。
 目の前の庭では孫の|ていが仲間の子どもたちの前で、「行け!」と言いながら勢いよく竹とんぼを飛ばしている。練習したのだろう。かなり高くまで飛ばせるようになったようだ。
 友達もできたようで、楽しそうな様子にどこか懐かしさを覚える。
「すごい!」「次、俺にやらせて!」と声をかけられながら、丁はうれしそうにしていた。
 うん。今度は友達の分も竹とんぼを作ってこようか。

 黄飛虎殿と出会ったことを話し終えると、碧霞が、
「へぇ。そんなことがあったの」
とつぶやいた。
 そして、ぐいっとこっちを見て、
「でも……、なんで雪山なんて危ないところに行ったの? ねぇ。なにかあったらどうするつもりだったの?」
と怒気を込めて言ってきた。
 春香と顔を見合わせて苦笑いを浮かべて、「実はね。とある方からの依頼でね。断れないことだったんだよ」と返事をするが、
「それが誰かわからないけど、パーパもマーマも若くないんだから無理をしないでよね」
とムスっとしている。「そりゃ、2人だったら何でもできるってのはわかるけどさ……」

 俺は手を延ばして碧霞の頭を撫でてやった。
「心配かけちゃったな。すまん」

 俺たちを心配して怒っている。その気持ちにうれしいような申しわけないような気持ちになる。

 ふっと碧霞が、頭を撫でている俺の手を取った。「もういいよ。無事だったし」
 碧霞の顔をのぞくと、ちょっと照れたように目を泳がせていた。
 春香が、空になったカップにお茶を注ぎ足して、
「ありがとうね。碧霞。心配してくれて」
と言うと頭を横に振って「ううん。でもホント気をつけてね」と言う。

 どこかしんみりした雰囲気になったが、そこへ突然、丁が飛び込んできた。
「ねえ、マーマ! あれって|嵐鳳らんほうじゃない? 戻ってきたのかな?」
と言う。

 嵐鳳? どういうことだ?

 碧霞が立ち上がって、
「よくどこかに飛んでいったりしてたんだけど、3日前から戻ってこなくなっちゃって心配していたのよ」
と説明してくれた。

 そのまま庭に出て行く碧霞を追いかけて、俺と春香も外に出る。
 丁が指をさす西の方を見ると、遠くから一羽の鳥が結構なスピードで空を飛んでいた。口には細長い赤い布を加えているようだ。
「うん。たしかに嵐鳳ね。よかったわ」
 碧霞は空を見上げながらそうつぶやいた。

 嵐鳳はこの屋敷をぐるぐると周回すると、今度はそのまま北の方へと向きを変えて飛んでいく。
 碧霞が「えっ」と驚きの声を漏らした。てっきりそのまま手許に戻ってくると思っていたのだろう。

 あっちは……、周の宮殿の方角だ。子牙くんのところへ行ったのか?

 嵐鳳は神獣だ。きっとあの赤い布には何らかの意味があるはずだ。
 碧霞がちょっと慌てて外に飛び出そうとしたので、俺はその腕をつかんだ。
「大丈夫だ。ちゃんと戻ってくる。……きっと子牙くんのところに飛んでいったんだろう」
「え? 子牙様のところへ? なんで?」
「あれは鷹とはいえ賢い鳥だ。今はわからなくても何か意味があると思う。だからお前は待っていた方がいい」
「……パーパ」

 なんでわかるの? 口をつぐんだ碧霞だがきっとそう言いたいに違いない。
 だからもう一度言う。「ちゃんと戻ってくるよ」

 ようやく納得したようで、碧霞がうなずいた。そして、ヨシッと気合いを入れている。
「今日はパーパとマーマもいるし、ご馳走にしよう!」

◇◇◇◇
 その頃、周の宮殿。
 通称、西岐城と呼ばれる堅固な城でもある。

 子牙は姫昌に仕えてから「太公望」と呼ばれるようになっていた。今は商から逃れてきた黄飛虎の一行を謁見に連れてきている。
 姫昌と黄飛虎はもともと顔見知り同士である。姫昌はほがらかに黄飛虎たちを迎え入れていた。
 しかし、黄飛虎から話を聞くや、
「……なんと! |比干ひかん殿までもそのような最期を遂げられたか」
といたわしげな表情で|なげいた。

 比干は|商容しょうよう亡き後の商を支えてきた賢臣であった。その性格は清廉潔白を旨としつつも商容から託された商を守るために、帝辛らの横暴を諫めつつも巧みにそのフォローをしてきていた。
 その比干が要注意と見ていたのが、妲己に取り入り諸侯からの賄賂で私腹を肥やしている|佞臣ねいしん・|費仲ひちゆうと、同じく妲己に気に入られていた横暴な性格の|崇侯虎すうこうこであった。

 崇侯虎主導による豪華絢爛な巨大宮殿の|鹿台ろくだいがもうすぐ完成するとあって、崇侯虎も費仲もさらなる労働力として民を徴収し財物を貪るように集めていた。
 その障害となったのが比干である。民を建設に動員されてしまえば田を耕す人がいなくなる。そうなれば稲の収穫は無くなり、税収が減るどころか飢饉の世の中となる。

 加えてここ数年、商の国内では猛烈な雨による水害や洪水が発生し、それに連鎖して疫病が広がりはじめていた。天には2つの太陽が並んで輝いたのを比干自身も見ている。北部の山では不気味な山鳴りがあったという報告もあった。

 ――天に見放され呪われている。
 口さがない人々はそうささやいていた。
 比干はこの状況を憂いて過剰な民衆の徴収を止めさせる命令を下し、災害地の救助のために周辺諸侯に図るなど指示をしていた。

 しかし崇侯虎は、比干のせいで鹿台の完成が遅れていると帝辛にささやいた。工事を比干が妨害していると。
 激怒した帝辛は諸臣を集め、比干を前に出させた。
 何事かといぶかしがる一同の前で、

「世に聞く。賢人の|しんの臓には七つの穴があると。朕はそれが見てみたい」

と言い、いきなり衛兵に比干の手足を押さえさせた。
 驚いたのは比干である。「何をなさる!」

 帝辛は冷ややかに、
「聞いたぞ。そなたが鹿台の工事を妨害していると。よいか。いかに災害を起きようが、天子の言に従うが臣民の道である」
「ば、ばかな。私はそなたの叔父であるぞ」
「そうだ。先王にも仕えたそなたのことだ、必ずやその七つの穴があるに違いない。見せて貰うぞ」

 そういうや、剣を抜き放って比干の胸を切り裂いた――。

 姫昌と一緒に黄飛虎からこの話を聞いていた太公望は、
「聖なる|まつりごとの間を、そのような理由で血で汚すとは……」
と絶句した。ましてや商容亡き後、太公望は比干を補佐していたのである。その最期を聞き顔をゆがめていた。

「……姫昌様。かの国にはもはや仁徳はありませぬ。聞けば災害も盛んになっているとなれば、天命を失っていると断言できます」
「それはわかっておる。太公望よ。私も長男の|こうの死を忘れることなどできない。……しかしな。それでは天命はどこを指しているのだろうか」

 国を治める天の命。それはいずこに。
 形の上では姫昌は、帝辛の臣下である。けれども、かの国には天命はないのであれば、天命の示す国に仕えるのが臣民の道。この周にと思わないでもないが、その確信はなかった。
 故に今、姫昌は天命が明らかになるのを待ち続けていたのだった。

 比干の死の報告に、その場を重い空気が支配している。
 求める天命も明らかでない。周は今どのように動くべきか。出口のない暗闇をさまよっているようになすべき事がわからず、人々の口も重く閉ざされてしまう。

 しかしその沈滞した空気を切り裂くように、一人の文官が駆け込んできた。

「一羽の鷹が、赤い布をくわえて飛んできます!」

 なんでもない報告のようだが、姫昌と太公望はその報告に顔を上げた。太公望はその鷹に心当たりがある。姫昌は鷹は知らないけれど、赤い布に何らかの天啓を感じていた。
 そう。赤は周の重んじてきた色。周を示す色なのだ。

 姫昌が先頭を切って宮殿の前庭に出ると、青空を嵐鳳が飛び回っていた。赤い布がたなびいている。
「これは……、なんとしたことだ?」
 いぶかしげな声を漏らす姫昌。

 人々が嵐鳳の飛ぶ姿を見上げている。すると嵐鳳は天の中央で、まっすぐ姫昌たちを見下ろすかのように滞空しはじめた。

 次の瞬間、嵐鳳がまばゆい光を放った。驚きの声を挙げる人々の前で、嵐鳳は美しい朱色の鳥に|変化へんげしていた。
 あまりの事に驚きの声を挙げる人々。姫昌のそばにいた太公望が「嵐鳳……?」とつぶやいた。
 それを聞きとめた姫昌が太公望を見る。
「そうか。あれが|鸞鳳らんほうか。瑞兆を告げる神の鳥……。なんと美しい」

 その声が合図になったかのように朱色の鳥は1枚の羽をはらりと落とすと、すぐに南に方向を転じて飛び去っていった。やがてその身体からキラキラと輝く光の欠片をこぼしながら、もとの鷹の姿に戻っていく。

 今のは夢か幻かと誰一人として言葉を発せずにいたが、その中で太公望が落ちてきた羽を拾いに庭に降りていった。
 そばに近づくにつれ、何かに気がついたかのように足早になっていく。朱い羽を拾い上げて空に|かすように持ち上げて仰ぎ見た。そこには文字が書いてあった。

 ――殷帝、無道にして天下を|虐乱ぎやくらんす。|めいの|あらたまる時は近し。殷を亡ずるは不徳の王なり。

 それはまさに商の滅亡を告げるもの。そして、革命の時の来たることを知らせる言葉だった。
 この言葉が周にもたらされた意味。それはすなわち、天命は周に姫昌のもとにありということである。

 その日、太公望と姫昌は、崇侯虎討伐の準備を始めることを内々に決定したのである。

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