挿話 崇侯虎討伐戦

 

 西伯侯姫昌の親征のもと、軍師太公望呂尚、右将軍・|南宮适なんきゅうかつ、左将軍・黄飛虎ら72人の武将と総勢1万名の周軍は順調に豊邑に向かって進軍していた。
 大国・商の軍勢に比べれば、それほど大きい軍勢というわけではない。しかし両将軍によって鍛えに鍛えられた兵士は、一人一人が屈強な精兵となっていた。
 明日、この国境を越えたならば豊邑はさほど遠くはない。その進軍はすぐに崇侯虎の知るところになるだろう。

 野営地にて太公望は自分の天幕に武将の一人一人を呼び出して、具体的な指示を出していた。そして、今、黄飛虎の息子・黄天爵がその指示を聴いていた。
「黄天爵殿は、このように動くように。中でおよそ20人ほどが合流するので、2部隊に分け、片方はこちらへ。もう片方はこちらへ。……敵の攻撃も激しいことが予想される。しかし持ちこたえるように。ここが開き次第、黄飛虎殿が行くので合流してその指示下に入ること」
「はっ。わかりました」
「では頼んだぞ」
「はっ、失礼します」
 抱挙礼をして太公望の天幕を辞する黄天爵は、そのまま自らの天幕へと去って行った。

 一人きりになった太公望は、机の上に広げられた地図を前に目をつぶる。

 事前に潜ませている間諜からの情報。周囲の地形。そして、天候。そのすべてを計算に入れているが、太公望自身も初陣である。
 読み違いもあるだろうし、予想外の敵の攻撃もあるだろう。が、しかし、事ここに至っては将軍たちを信じるほかはないのだ。

 それがわかってはいるものの、自らの策にこの場に集まった多くの兵士の命がかかっている。そしてさらに周の命運をもこの一戦にかかっているのだ。
「必ずこの戦、勝ってみせる」

 太公望はそうつぶやくと、目を開いて地図をにらんだ。

 こうして一夜明け、周軍が国境を越えて崇侯虎の支配地に進軍した。
 ここから先はいつ敵兵が襲ってくるかわからない。適宜に先行部隊を放ちながら、ゆっくりと街道を東へと進み、何事もなく豊邑西側の平原に到達した。
 遮るもののない平原の先には巨大な豊邑の外壁と城門が見える。さすがにこの進軍が崇侯虎に知られたとみるべきだろう。
 しかし、周軍は手はず通りに平原の西側に悠々と陣地の築営をはじめた。

 ややあって、豊邑の巨大な城門が開き、中から崇侯虎の軍勢が飛び出してきた。
 周もそれに即応するように築営中の陣地の前で、各部隊ともに整列していく。
 こうして豊邑西部平原にて、周と崇軍とが対峙することとなった。

 やがて周軍の中央より、太公望が黄飛虎を伴にして前に進み出ていく。
 それに応じるように崇侯虎が3人の騎馬を引き連れて前に出てきた。

 崇侯虎が口を開く前に、太公望は声を張り上げた。
「聞け! 崇侯虎よ。貴殿は帝辛と妲己にへつらい、税を重くして財をむさぼり、民を苦しめいくつもの村を滅亡させた。よってその暴虐を止めんがために、西伯侯姫昌がこれを討伐する」

 堂々とした宣戦布告に、崇侯虎は思いのほか冷静に、
「馬鹿め。とうとう謀反を起こしたか! 姫昌に伝えるがよい。
 貴様らは君臣の道をたがえた反逆者である。そこにいる黄飛虎ともども貴様らを討ち取り、乱を鎮圧してやろうぞ!」

 太公望は宣言する。
「ならば確かめてみるがよい。天命がいずこにあるか。この戦にて明らかとなろう」

 両者が双方の陣に下がっていくや、ただちに周軍の陣地より陣太鼓の音が鳴らされた。
 すると最前線に並んでいた大盾を持った3つの歩兵隊がまっすぐに行進をはじめる。

 対する崇軍からも太鼓が鳴らされ、最前線の歩兵の間から弓兵が前に飛び出して、横一列に整列した。
 すぐさま近づいてくる周軍に対して、矢が次々に射られていく。天高く飛び上がった矢が、弓なりに向きを変えて、周軍に上から襲いかかる。

 周軍の歩兵はそれを確認するや、すぐに歩みを止めて空に向けて盾を構える。一瞬の後に、矢が雨のように空から降り注いだ。
 斉射が終わり、すぐに周軍の歩兵がふたたび歩みはじめ、次第に走り始める。
 次の斉射の前に弓兵のところへたどり着けば、もう弓兵は役に立たなくなる。

 崇軍はそれを見てすぐに弓兵を後ろに下げ、前列の歩兵が前進を始めた。
 互いに走り出す周軍と崇軍。戦場の中央で激突し、吹き飛ばされる兵士が宙を舞った。
 さらに周軍の後陣からは騎馬隊が動き出し、崇軍の後陣からは戦車隊が突撃の準備をはじめた――。

 歩兵と歩兵の戦いが泥沼になってきたころ。
 その戦場の真ん中で、黄飛虎と崇侯虎も激しい一騎討ちを繰り広げていた。

 馬に乗ったままで、目に止まらぬ速度で槍が旋回し、突き、払いと技を繰り出している。交差する槍が、ガンガンと音を鳴らし続けていた。
 しかし、黄飛虎の方が年上である。かすかに息切れをした隙を逃さずに、崇侯虎が、
「せやぁっ!」
と、裂帛の気合いとともに鋭い突きを放った。その穂先が、黄飛虎の鎧兜を掠めた。
「むぅ! ここまでか」
 ひるんだ黄飛虎は、すぐに振り向いて「撤退だ!」と叫び、その場から離れていく。崇侯虎はそれを追いかけながら、
「ふははは! 逃げるか、黄飛虎め! 大将軍なにするものぞ! 俺が成敗してくれるわ!」
と叫んだ。

 その時、黄飛虎を救おうと横に控えていた弓兵の一団が、一斉に矢を放った。しかもただの弓兵隊ではない。次々に矢を放つことのできる|連弩れんど隊だった。
 黄飛虎を追いかけていた崇侯虎は、あわてて槍を頭上で回転させて降りかかる矢を払う。しかし、その間にも黄飛虎は遠くへ逃げ去っていった。
 じろりと弓兵隊をにらむが、そこは乱戦となっている歩兵たちの向こうである。

 まんまと逃げられた崇侯虎は、
「……まあいい。次は必ず討ち取ってやる!」
と鼻息を荒げ、崇軍にも撤退を命じた。

 互いに撤退を告げる陣太鼓が鳴り響き、それを合図に将兵が次々に陣地に引き上げていく。

 太公望は急ぎ構築した陣地の入り口から、戦いの様子をつぶさに見つめていた。そこへ次々に将兵が戻ってくる。
 やがて|殿しんがりをつとめていた黄飛虎将軍が戻って来たとき、太公望はうなずいて、
「お見事。それでは予定の通りに」
と声をかけると、将軍はニヤリと笑みを浮かべて陣の中へと戻っていく。

 太公望は暮れ始めている空を見上げた。風が吹きはじめている。おそらく今夜は風の強い一夜となるだろう。
 それを確認すると、今度は豊邑の巨大な城壁を見つめながらつぶやいた。
「幸いに今夜は風が強そうだ。条件は整った。後は読み通りになるかどうか。……勝負」

 ――深夜、周の陣営では所々にかがり火が炊かれ、出入り口には見張りの兵士が立っている。さらに観察を続ければ、一定時間ごとに周囲に異変がないかどうかの巡回を行っているのがわかるだろう。

 その陣地の周りの暗がりに、黒い服に身を包んだ複数の男たちが潜んでいる。
 時に強い風を受けてボボボォと燃えさかる火は、まるで誘蛾灯のように、暗夜の夜にぽっかりと周の陣地を浮かび上がらせていた。

 巡回の兵士が、目の前にある柵の内側を通り過ぎていく。それを確認するや、暗闇に潜んでいた男たちは一斉に動き出した。音も立てずに柵を乗り越えて、次々に陣地の中へと忍び込んでいった。

 やがて、どこからともなく鋭い口笛の音が鳴った。それと同時に、陣地内の天幕が次々に燃え始める。崇軍の夜襲だ。黒づくめの男たちによって次々に火が放たれていく。

 「夜襲だ!」と誰かが叫ぶが、風の音に遮られて途切れ途切れにしか聞こえない。
 それでもいくつかの天幕から周の兵士が飛び出してきて、すぐに襲撃を知らせる鐘の音が鳴り響いた。

 しかしその鐘の音と同時に、武装した崇軍の兵士たちが陣地になだれ込んでいく。
 わぁーっと|ときの声を上げながら次々に天幕に火を点け、縦横無尽に周の陣地を荒らしながら奥へ奥へと進んでいった。

 その中で4人の兵士が天幕に近づいていった。1人が残り3人の方を見ると、いつでもいいぞとばかりにうなずき返される。呼吸を整えて、ばっと天幕の入り口を開け、3人の兵士が、「おおお!」と声を挙げながら突入していった。
 しかし、勢い込んで突入した彼らであったが、その天幕の中には人影がなかった。
「……あれ?」
 そこはどうやら物置として利用されていたようで、わら束だけが積んであったのだ。

 その時、外から「罠だ!」との声が聞こえてきた。
 反射的にあわてて外に飛び出した4人は、すぐに周りを見回した。
 燃えさかる天幕のさらに向こう。自分たちが侵入してきた柵の外側に、いつのまにか周軍と見られる一団がぐるっと囲んでいる。

 遠くで、
「放てぇ」
との声が聞こえ、一斉に火矢が打ちかけられる。暗い空に火線を弾きながら降り注ぐ矢に、夜襲を仕掛けた崇軍の兵士たちが逃げ惑う。

「撤退だ!」

 誰かが叫び、みなが逃げ出ようと陣地の出口に走り出す。そこへ逃がさぬとばかりに、周軍の騎馬隊が襲いかかった。

 風と火の粉が舞うなかを、剣や槍が|きらめき、激しく戦う両軍。しかし、夜襲に備えて軽装の崇軍に対し、鎧に身を包み策の通りに逆に奇襲をかける周軍。どちらが優勢であるかは明らかである。たちまちに崇軍は散り散りに敗走していった。

 その戦いの様子を陣地の一番奥の暗闇のなかで、3人の男が眺めている。太公望と|南宮适なんきゆうかつ、黄飛虎だった。
「まずは第1段階は成功ですな」
 機嫌良さそうな南宮适に、太公望はうなずいた。
 黄飛虎は感心したように、
「まさか初日から、本当に夜襲に来るとは。驚きましたぞ」
と言う。

 昼の戦いで、黄飛虎は崇侯虎と戦った際にわざと手加減をし、頃合いを見て敗走を演じたのであった。そのまま周軍自体を撤退させ、追撃する部隊へ横から弓兵を当てて止めさせる。
 黄飛虎を退けた崇侯虎は追撃を止めて、次戦で自ら黄飛虎を討ち取ろうとするだろう。功を焦ればさらに包囲網を敷いたが、思いのほか冷静に撤退をしていった。
 となれば、余力がある崇軍はかならず夜襲を仕掛けてくる。風が強く夜襲には絶好の夜であったことも幸いした。
 けれどもそれも想定の内。むしろ、わざと目立つ位置に仮の陣地を構築して、罠を張っていたのである。

 まんまと崇軍は、ほとんど人の居ない陣地に入り込んできた。彼らが陣地の奥へと進んでいる間に、予め決めておいたとおりに周軍が陣地を囲み、外から一斉に攻撃を加えたのだ。

 ここまでは太公望の読みの通りに事態は動いている。
「次は、|黄天爵こうてんしやく殿ですな」
と太公望がつぶやくと、黄飛虎は、
「うむ。息子ならばきっとやり遂げるであろうよ」
と言った。

 次なる一手はすでに動き出している。
 そうとも知らずに、夜襲に失敗した崇の襲撃部隊は、豊邑の東門を目指して闇の中を走っていった。

 ――そして、夜が明けた。
 戦場となっている西側とは逆の方向。豊邑の東門へ、南の街道を北上してきた軍隊が近づいていく。その軍隊が掲げている旗には「崇」の一字が縫い込まれていた。援軍である。

 先頭で馬に乗っていた大柄な男が、防壁上の兵士に向かって大声を張り上げた。
「おおい! |崇黒虎すうこくこだ。参戦に来たぞ! 中へ入れてくれい!」
「はっ! 崇黒虎様。しばしお待ちを!」

 崇黒虎は、崇侯虎の実の弟であった。周軍と戦になったと知り、急いで南の領地から駆けつけたのである。
 さすがに自分たちの君主の弟の名前は知られている。すぐさま兵士が宮殿へと伝令に行った。
 しばらくして大きな門扉が開くと、なんと崇侯虎自らがわずかな護衛を連れて姿を現した。

「弟よ。よく来た! 歓迎するぞ!」
「うむ。兄者、さっそく中へ入れてくれ」
「ああ、もちろんだ」

 こうして弟の|黒虎こくこの一軍も続々と街の中へと入っていく。

 兄弟らしく横に並んで街を進む2人。
 黒虎は、その道すがら、
「なあ、兄者。この街の防壁が前に来たときより立派になっておるようだが……」
「おお! よくぞ聞いてくれた。|鹿台ろくだい建設にかこつけてな。ついでに増強工事をしてやったのさ」
 自慢げに笑う兄に、黒虎は「なるほど」と納得してうなずく。

 弟の様子に気をよくした崇侯虎は、近寄って、
「ここだけの話だがな。諸侯より献上された宝物も一部は宮殿に持ち帰っている」
とささやくように言った。
「えっ。それは大丈夫なのか?」
 驚く弟に崇侯虎は胸を叩き、自慢するように、
「ああ、俺は陛下と妲己様に信頼されているからな」
と言った。

 それを聞いた黒虎はわずかに眉をしかめる。
「聞けば、鹿台の方はもうまもなく完成するとか」
「いいや、もう完成したぞ。民衆をスムーズに集められれば、もっと早くに落成しただろうが、なかなか集まりが悪くて苦労したぞ」
「ふうん」

 一行は街を進み、まもなく崇侯虎の宮殿の前に通りかかった。

「……なあ、兄者は知っておるか」

 突然、歩みを止めた黒虎に尋ねられ崇侯虎も足を止めて振り返る。

「何をだ?」
「各地の百姓が鹿台建設に強制的に連れて行かれ、たくさんの村が老人と子供だけになってしまっているぞ」

「なんだいきなり。そんなこと心配する必要などないさ。老人がいれば畑は耕せる。税収もおちることはあるまい」

 兄の言葉を聞いた崇黒虎は、そっと目を閉じた。

「それが餓死する者も多く、工事の過酷な労働で夫婦が死別し、残された娘が売られていると聞く」
「おいおい。そんな民衆のことなど俺たちには関係あるまいに。……何か問題でもあったのか?」

 目を開けた黒虎は、自らの剣を抜き放った。
「……すまぬ。兄者」

 するとその抜剣を合図に、黒虎の兵たちが即座に崇侯虎の周りを囲んだ。
 その行動がなにを意味するのかわからないほど、崇侯虎は愚かではない。

 がく然としながら、次第に怒りで顔を真っ赤にし、
「ま、まさか……。黒虎ぉ! 貴様、裏切ったのかあぁ――!」
と叫んだ。血走った目で爛々と弟をにらみつけている。

 激高する兄の声に目を伏せた黒虎であったが、すぐに「兄者を捕らえろ!」と命じた。崇侯虎も武人であったが他人に無勢である。すぐに捕らえられ後ろ手に縛られてしまった。

 その兄の前に立ち、
「兄者よ。これ以上、崇家に恥をかかせるな。私は周につくぞ」
「馬鹿な! 陛下に背くなど!」

「女にたぶらかされた陛下に徳などすでにない。いかに臣下といえど、その陛下の命に従っては悪道に墜ちる。だいたい、数々の賢臣を殺した陛下自身が、すでに君臣の道を外れているとなぜわからないんだ。……兄者よ」

 悲痛な表情で縛られた兄を見下ろす黒虎であったが、兄はキッとにらみ返していた。

 崇侯虎は強引で残酷な性格で有名であった。戦や反乱に対しては特に厳しく、崇侯虎が通った後は草一本残らないと言われるほど、過剰な攻撃と略奪を行っていたのだ。
 それに対し弟の黒虎は正反対の性格で、無闇に力をふるわずに常になにが正道か考える男であった。

 周の太公望から、内々に使者が訪れたとき、黒虎は大いに悩んだ。確かに、兄は|苛烈かれつな性格で、よりによってあの陛下と|妲己だつきに|唯々諾々《いいだくだく》と従っている。
 そのため諸侯ばかりか、それぞれの所領の民衆にまでが苦しんでいることを知っていた。
 たびたび兄に諫言をしていたが、いつも|一蹴いつしゆうされており、その度に自らも苦悩していたのだ。

 しかしである。しかし、それでも崇侯虎は兄である。

 いかに太公望の書状に正義を感じたとしても、兄を切り捨てることには容易に同意できなかった。
 苦悩の渦に沈み込んでいた時、太公望の書状の最後に記された「天下」の文字に、黒虎は苦役に駆り出された民衆の姿が思い浮かんだ。

 ――いかに兄といえど討たねばならないか。
 せめて自らこの豊邑に来て兄と話し、もし改悔の心があるならば、改めることができるのならば、兄とともに周につくつもりだった。
 しかし兄に何の罪の意識もなければ、その時は天下の大義のために討つほかはない。
 そう決心してここに来たのだったが、黒虎にとってはやはり痛恨の結果となってしまった。

 ――遠くから人々が騒ぐ声とカンカンカンと連続する鐘の音が聞こえてくる。

 一人の兵士があわてて西門より走ってくるが、宮殿前の状況に驚いて足を止めた。その兵士もすぐに捕らえられてしまう。

 崇侯虎は憎々しげに弟を見上げ、
「一体なにをした!」
と叫ぶが、黒虎は首を横に振り「周軍が到着したのだ」と答えるのみだった。

 時は少しさかのぼる。
 崇侯虎が弟を迎えに行くために、護衛を引き連れてゆっくりと東門へと向かって行く。
 それを建物の影で見ていた一人の男が反対側の西門に向かって歩いて行き、やがて一軒の家に入っていった。

 中には周の若い武将|黄天爵こうてんしゃくとその部下たちが潜んでいる。すでに武装をして、突撃のタイミングを計っているようだ。
 彼らは昨日の戦闘後で回収した崇軍の鎧を身につけ、夜襲から撤退して街に逃げ込んでいく崇軍に紛れて、まんまと潜入に成功したのだった。そのまま、前から豊邑に潜入していた者たちと合流し、その隠れ家で待機をしていたのである。

 天爵たちは中に入ってきた男から話を聞くと、
「来たか。――よし! 他の部隊にも伝令だ。西門を開放するぞ」
と立ち上がった。

「はっ」と返事をした兵士たちが、次々に家から出て行き、他の潜伏拠点の家に走る者、そのまま西門へ向かう者にと分かれていく。
 先ほどまで彼らが潜んでいた家の煙突から、モクモクと赤みがかった煙が立ち上っていった。

 戦時下の西門といえど、守る兵士の大部分は防壁の上で交替で哨戒任務をこなしており、門扉の内側には、わずか10人の兵士がいるのみだった。
 それもそうだ。いざ戦闘となる時や、今にも扉が破壊されそうな時ならばいざ知らず。開け閉めが基本任務であるから、それほどの兵士を常駐させておく必要はないのだ。

 しかし、今はそれが|あだになろうとしている。街中から突然、黄天爵ら30人ほどの部隊が現れたのだ。

 次々に矢が射かけられ、倒れる門扉脇の兵士たち。そこへ天爵たちが切り込んでいった。
「何やつ」と|誰何すいかする間もなく、たちまちに討ち取られていく兵士たちであったが、その異変に防壁上の兵士たちも気がついた。
 あわてて下に向かって弓を構えるが、兵士長らしき男が街の外を見て叫んだ。
「くっ。周軍が来たぞ! 鐘を叩け!」

 たちまち防壁上の兵士たちは混乱におちいった。

 その間に、黄天爵らは門のかんぬきを抜き去り扉を開く。
「あとはここを守り切るぞ」「はっ!」

 盾を街の方に向けて並べ、簡易拠点を築く。赤い狼煙を見た周軍がすぐにここにやってくる。それまで持ちこたえられればいいだけだ。

「さすがは太公望殿。その力、認めぬわけにはいかぬな」

 周軍の到着を待つ天爵はその策の見事さに感心しながらも、駆けつけて来た崇軍の兵士を見て気を引き締めるのだった。

 騎馬を先頭に突撃してくる周軍。
 その先頭は黄飛虎将軍だった。将軍は開いている西門を何の障害もなく突入すると、門を守っていた息子の天爵を褒め、自らの手勢をそこに展開して守りを強化した。
 そのまま後続の部隊に手で指示を出して、防壁内側の階段をのぼらせて突撃させる。

 その後に突入してきたのは南宮适将軍である。
 手はず通り、このまま道路を進み、崇黒虎と合流する予定だ。もしその時、事前に味方に付くと言っていた崇黒虎が心変わりをしていた場合、崇侯虎ともどもに討ち取らねばならない。

 馬を走らせながら、南宮适は策を指示した太公望のセリフを思い出した。
 ――おそらくは黒虎殿は心変わりはせぬであろう。

 南宮适にとってはどちらでも構わないのであるが、確かに崇黒虎は兄と違って評判がよく、武勇のある男である。一騎打ちをしてみたい気持ちはあるが、失うには惜しいとも思っていた。
「軍師殿の読みは果たしてどこまで当たるか……」
 そうつぶやくのであったが、その読みが的中していることをすぐに知ることになる。

 かくて豊邑はわずか2日の戦闘で周軍の支配下になった。
 崇侯虎は処刑となったが、その妻子を含め、配下の文官や武官には何の罪はない。そのまま周へと下り、妻子は崇黒虎が面倒を見ることになった。

 それでも西伯侯姫昌は崇侯虎をも処刑まではどうかと迷っていたが、罪は罪と示さねばならず、最期には太公望の進言を受け入れたのであった。

 強固な豊邑の攻略は、周辺の諸国を驚かせ、かつ商の帝辛を激怒させる。
 しかし、|さいは既に投げられた。時代はすでに大きなうねりの中にあったのである。

 

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