05.道しるべ

 それから3日後、私は啓一くんと一緒に都立中央図書館に向かった。

 広尾の駅で降りて、坂道をのぼって有栖川宮記念公園に入り、子供たちが遊んでいる声を聞きながら図書館の建物に入る。

 園内の木々もどこか秋の気配を感じられるようになっていた。

 入り口で入場券を受け取って、手荷物をコインロッカーに預けてからゲートをくぐる。

「人文系は3階だ。特に地方史のコーナーが充実していて、県史や市町村史が揃っている。貸し出しはやっていないから、ここで見たり複写依頼をするしかないけど便利だぜ」

 啓一くんの説明を聞きながら、3階の人文系のコーナーへやってきた。

 啓一くんは自分も調べ物があるからといって、どこかへ行ってしまった。

 私はこないだの研究会で教えてもらった3冊を探して、閲覧コーナーに座って順番にページをめくる。

 今谷明さんの『京都・一五四七』(平凡社)では、『上杉本洛中洛外図屏風』で描かれた図像の一つ一つについて考察を加え、それがそのまま説明になっていてわかりやすい。

 これに対し瀬田勝哉さんの『増補洛中洛外の群像』(平凡社)は、今谷さんの説を踏まえて、さらに図像から読み取れる内容を掘り下げて論じているものだ。

 3冊目の黒田日出男さんの著作は、この『上杉本』の成立について従来の諸説を検討しながら、決定的な新史料の発見によって、織田信長が上杉謙信へ贈ったものと結論づけている。

 なるほど。たしかにこの3冊は、『上杉本』を扱う際にはまず読むべき本だったみたい。

 その時、私の脳裏に啓一くんのアドバイスが蘇った。

 ――もう一度『上杉本』をよく見てみたらどうだ?

 私は立ち上がって、『上杉本』の図録を探しに向かった。

 さて再び『上杉本洛中洛外図屏風』について説明しよう。

 京の洛中洛外を描いた屏風にはいくつかの種類があるけれど、この『上杉本』は初期のグループに属する。

 この屏風は一双。つまり、二つの屏風のセットだ。

 洛中を描いた一つの屏風(これを左隻させきという)と、洛外を描いた右隻うせきとに分かれている。

 一つの屏風は六面(せん)から成っており、春夏秋冬の四季が表されている。

 図録を開いて、改めて丹念に一つ一つの絵を眺めながら、今さっき読んだ論文の内容を思い浮かべる。

 私がこのなかで何をテーマに絞り込みたいのか?

 建物か、成立年代か、それとも描かれている風俗か……。

 そうやってしばらく眺めていると、急に後ろから肩を叩かれた。

「どうだ? 何か見つかった?」

 耳元でぼそぼそっとささやく声に、思わず「ひゃうっ」と声を上げてしまった。

「ばかっ。ここでは静かに!」と小さく注意するのは啓一くんだ。

 貴方のせいなんですけど、と思いつつも周りの人に黙ってお辞儀をして謝る。

 となりに座った啓一くんに、

「ちょっといきなり驚かさないで欲しいな」と小声で抗議すると、むすっとしながら「悪かったな」と返された。

「で、テーマは絞れそう?」

と訊かれ、「う~ん」とうなる。

 その私の様子に、啓一くんは横からひょいっと図録を持ち上げて、写真を眺めはじめた。

 しばらく眺めている啓一くんだったが、不意に、

「なあ。これって描いてある建物と描いていない建物ってあるよな? それって何で?」

と訊いてきた。

 それがわかれば苦労はないのよ?

 返事をしない私に、啓一くんが小声で、

「だってよ。これって絵画だろ? 今なら航空写真で撮るだろうけどさ。絵と写真の違いって何だと思う?」

「絵は人の手で描かれているってこと?」

「そうだよな。つまりさ。全部を正確に描く必要はない。どれを描くとかって自由に決められるんだろ?」

 むむむ。確かに絵巻物の技法では異時同図法というのがあり、異なった時間軸を一緒に描くこともある。

 ――どれを描くか自由に決められる?

 なんだろう。今にも何かがひらめきそうで出てこない。このもどかしさ……。

 啓一くんが、

「つまりさ。ここに描いてある建物には何らかの意図があるじゃないの? 作者か依頼者の意図かは知らないけどさ」

と言う。

 あっ。それって黒田日出男さんもそんなことをどこかに書いていたような気がする。(作者メモ:「荘園絵図の世界」平凡社『姿としぐさの中世史』)

 啓一くんの言葉を聞きながら、私は思考の海に潜る。

 まわりの景色が色を失って暗くなっていき、私の目の前に光り輝く一双の屏風が現れた。

 暗闇の中で私は真っ正面から屏風と相対する。

 金色の雲のすき間から、在りし日の京の姿が描かれている。

 都市を鳥瞰するこの絵図は都市図としての側面も持っているが、当時の京に存在しなかった公方邸もなぜか描かれている。

 道行く人々が生き生きと動き出して、まるで錦市場や祇園祭の場にいるような喧噪が聞こえてきた。

 さっき読んだ瀬田勝哉さんの「公方の構想」によれば、闘鶏とうけいのところには幼い将軍義輝が描かれていると指摘する。

 将軍義輝は戦国大名が群雄割拠ぐんゆうかっきょする当時、全国的秩序の回復と将軍権威の回復をめざしたという。

 その義輝が作らせたこの屏風には、いったいどのような思いが込められているのだろうか。

 一つ一つの図像を見ていくと、ふと画面下部に描かれている一連の寺院の姿が目に付いた。

 「本国寺」「法能寺」「妙覚寺」「妙顕寺」「頂妙寺」。

 法能寺は織田信長が死んだ本能寺。妙覚寺も織田軍の宿所だったから、本能寺の変と同時に攻め滅ぼされている。

 これらはみな法華宗の寺院だ。

 当時の法華宗の勢力は強く、京の町衆と呼ばれる人々の間に広がっていた。活躍した時代を広く見れば、その信者から狩野永徳、尾形光琳、長谷川等伯、本阿弥光悦、俵屋宗達などの日本芸能界・美術界を代表するような芸術家が現れている。

 ……いや、まてよ?

 この屏風は、(諸説あるけど)永禄8年=1565年頃の制作。それより前に、法華一揆で京から追い払われた法華宗だけど、屏風の成立の頃にはすでに15、6の寺院が京都に戻ってきていたはずだ。それが5ヶ寺しか描かれていない。

 ――なぜ描かれていない寺院がある?

 次の瞬間、私は図書館ということも忘れ、

「それだーーーー!」

と叫んで立ち上がった。

 そうだ! 確かに啓一くんが言うとおりだ!

 描いてある建物には描いてある理由がある。描いていない理由、描いてある理由。それをテーマにするのはどうだろう?

 頭がクリアに冴え渡る。この先の道が急に広がったような気がする。

「――すみませんでした」

 はっと啓一くんが謝る声に我に返ると、閲覧コーナーにいたすべての人々が急に立ち上がった私を見ていた。あわわわわ。とたんに顔がほてった。鏡を見なくても真っ赤になっていることがわかる。

 あわてて頭を下げ、

「すみませんでした」

と言いすとんとイスに座る。ううう。恥ずかしい……。

 周りの人々がため息をついてそのまま読書に戻っていく。中にはニヤリと笑っている人もいた。

 啓一くんが、ちょっと怒ったように、

「お前な。いきなり叫ぶってやめろよな! こっちが恥ずかしいわ!」

と小さい声で私に怒る。

 私は小さくなりながら「ご、ごめん」と言いながらも、迷路の出口を見つけたように心が浮かれていた。

 ねえ。啓一くん。あなたのこと、少し見直したよ!

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