【北海道旭川市】雪の積もる音

 北海道旭川市。

 日本の最低気温記録を保持しているこの街は、雪の結晶が美しい街でもある。

 一つとして同じ形はない雪の結晶。まさに自然の作り出す芸術品だ。

 10年ぶりに故郷に降り立った私は、あの頃と同じように雪に包まれながら、すっかり変わってしまった駅前の様子に胸にこみ上げる寂しさを感じていた。

 よくお父さんとお母さんと食べに行ったエゾ料理のお店も、とうに違う店に変わってしまっている。どこか都会風に変わってしまった街。

 ……ああ、もう私の故郷は無くなっちゃったんだな。

 タクシーに乗り込んで、かつて住んでいた家に向かってもらう。

 窓の外を流れていく白い景色に、子供のころの記憶を思い出していた。

 赤い防寒具スノーウェアに身を包み、ふかふかの雪の上に寝そべるのが大好きだった私。

 しばれるほどの寒気も、子供の私にはへっちゃら。

 空を見上げると、雲間から射す太陽の光に、ダイヤモンドダストがキラキラと輝いていた。私は美しい雪の世界が好きだった。

 けれども、中学校に上がるときに本州に引っ越すことになってしまった。

 みんなは元気にしているのかな? ……あの人はどうしているだろう?

 10年ぶりに訪れた私の住んでいた町は――。記憶にあるよりもずっとずっと小さく見える。

 あれだけ広かった道路も、駐車場も、よじ登った壁も……。すべてがミニチュアの世界に入り込んだみたい。

 ――ああ、こんなに小さかったんだ。

 いつのまにか大人になってしまったんだと思うと、ますます胸に郷愁が募る。

 引っ越ししたばかりのころ、私は、どうして本州こっちの人はこんなにせかせかしているんだろうと思っていた。

 ふとした事で傷つきながらも、――これからこんな世界で生きていかなきゃいけないの? と絶望すら感じていた。

 幾度もお父さんに「旭川に帰りたい!」と当たり散らしたこともあった。

 でも今ならわかる。あの時は自分で壁を作っていただけなんだ、と。

 心を開いていなかったのは私だったのだ。

 そんな私も、今ではすっかり本州の人となってしまった。それでも、私の本質はやっぱり道産子だと思う。

 心の中には、いつも子供時代の大切な友人たちがいる。優しい記憶と、温かい故郷の空気。

 かつての自宅を眺めながら、そんな事を考えていると、

「あれ? ――う~んと、綾子ちゃん?」

と、不意に声をかけられた。

 振り向くと、そこには一人の女性が買い物袋を手にたたずんでいる。

 私の顔を見たその女性は、何かを探すような眼で私の顔を見て、

「やっぱり! 戻ってきたんだ! わかる?」

 その言葉を聞いて、私の脳裏に一人の少女の顔が浮かんだ。

 小学校の時の親友。よく一緒に遊んだ女の子。……もしかして?

「佳代ちゃん?」と問い返すと、その女性は微笑みながら、

「そうだよ。久しぶりだね」といった。

 佳代ちゃんの家に向かいながら、互いの近況を語り合う。

 驚いたことに、佳代ちゃんは同級生だった酒屋のたけるくんと結婚していて、すでに男の子が一人いるらしい。

「綾子ちゃんは?」

と尋ねられたけれど、私はまだ未婚だった。

 苦笑しながらそう言うと、子供の頃と同じように屈託なく笑いながら、

「きっといい人が現れるって。……綾子ちゃん。人気あったんだから」

と教えてくれた。

 私は驚いて「え? そうなの?」と聞き返すと、佳代ちゃんはうなづいて、

「いなくなってから、男の子が落ちこんでいたんだよ」

と懐かしそうに言った。

 ……そうだったんだ。

 その日の夜。

 佳代ちゃんの音頭おんど急遽きゅうきょ、プチ同窓会が開かれた。

 集まったのは4人。私が好きだった洋一くんもいる。

 外ではマイナス15度を下回るような冷え込みだけれど、室内はジンギスカンの熱気と、みんなの笑顔があふれていて、心までがポカポカと暖かい。

 昔はぽっちゃりしていた武くんは、今では体格のよいイケメンになっていた。なんでも子供たちに空手を教えているらしい。

 聞くところによると、何人かの男子が自衛隊に入ったらしく東日本大震災の時も救助活動に急行したという。

 みんなの話を聞いて、私だけが取り残された気持ちになりつつも、みんなを誇りにも思う。

 不意に洋一くんが「いやぁ。美人になったなぁ」と私を見た。

 私は「そんなことないって」と言いながら、彼の笑顔と左手で輝いている指輪をちらりと見て微笑む。

 美しい雪を埋め込んだかのような白い徳利。同じく地元の大雪窯で作られた白いお猪口に、まるで雪解け水のようなお酒が入っている。

 地元旭川のお酒「男山」を、こんなに寒い時期だというのにお冷やでクイッといただく。

 大雪山の清らかな水と、旭川の人々が改良を重ねつづけたお米の恵み。旭川のすべてがこのお酒に凝縮している。

 辛口で有名な高砂酒造の「国士無双」もおいしいけれど、この「男山」も負けてはいない。

 伊丹の山本本家より正統に男山の技術を伝承しつつも、北海道産のお酒として歴史のあるお酒だ。私にはこのお酒が、本州各地から入殖してこの大地を開拓してきた人々の姿にも重なってみえる気がした。

 冷たく澄んだお酒に、私の体も心も洗われていく。

 時を隔てても変わらずに私を受け入れてくれるみんなに、私は胸が一杯になった。

 楽しいひとときも終わり、みんなと連絡先の交換をする。笑顔でみんなと別れ、タクシーで駅前のホテルに向かった。

 タクシーを降りると、暗闇の中から大粒の雪がはらはらと降り出している。

 煌びやかな街を背後に、捧げるように両手でお椀を作る。いつしか私の周りに静けさが、とばりのように下りていた。

 舞い降りた雪は手袋の上ですぐにとけてしまったけれど、私の耳には確かに聞こえていた。

 子供のころに寝そべっていたときに聞いた、雪の積もる音を。

 もう何年も聞いていない、

 あのかすかな、かすかな音を。

 子供の頃に止まった時計が、確かに動き出しているのを感じる。

 ああ、やっぱり私は道産子なんだ。

 私は微笑みながら、しばらく雪の舞い降りる空を見上げた。

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