復讐もの 5 【NTR注意】悪い勇者にすべて奪われた系

 隣の部屋から女性のあえぎ声が聞こえる。

 デイビットは暗い部屋の中で耳を押さえながらうずくまっていた。それでも、ベッドが揺れる音と女性のアノ声が押さえた手を通り抜けて、耳に入ってきた。

 ――今夜、勇者に抱かれているのは自分の|許嫁いいなずけのマリアだった。

 16歳の成人の儀で、女神様から1人ひとり職業とスキルをいただけるこの世界で、デイビットが得たのはポーターの職業とストレージという容量無限・時間停止の収納空間スキルだった。
 ところが、自分の許嫁のマリアは聖女の職業と光神魔法(極)、さらに幼馴染みのルナは剣聖の職業と全剣技という破格の職業とスキルを授けられた。

 数日後、村に神託の勇者フォルカスがやってきて、ディビットたち3人に魔王を倒すための仲間になって欲しいと言ってきたのだった。

 そこへ兄から離れたくないという妹のリリィが強引に付いてきて、結局仲間となり、2年早いけれどリリィに成人の儀を受けさせたところ、リリィには賢者の職業と全魔法(極)のスキルが授けられたのだった。

 しかし、旅をするうちに仲間たちがおかしくなっていく。まずはリリィが勇者フォルカスの|とりことなった。ついで幼馴染みのルナが勇者に惚れ込み、ディビットを邪魔者、虫けら、役立たずのように見下しはじめた。
 ある日の晩、隣室からたまたま聞こえてきた音にディビットは絶望した。
 とうとう許嫁のマリアまでもが、フォルカスに甘い言葉を囁き、抱かれ、その|あでやかな声を遠慮なく出していたからだ。

 親しい女性3人が勇者に寝取られた。それでも魔王は倒さねばならない。ディビットは感情を無くした。考えることを止めた。ただただ人形のように付いていく――。

◇◇◇◇
 それから10年後。
 デスグリムという大森林の奥地に、26才になったディビットは隠れ住んでいた。

 厳しい戦いの末、魔王を倒したフォルカス一行だったが、サウジュール王国への帰還の途中でディビットはパーティーを追放になった。
 そしてマリア達は勇者の妻となるから、婚約はなかったことにしてくれと言われた。

 失意のうちに村に帰ると、逃亡した犯罪者扱いされた。フォルカスの手によって、ディビットは敵前逃亡したことにされていたのだ。

 そして、先に届いていた妹の手紙で、勇者との結婚を知った両親は歓喜する一方で、犯罪者はうちに要らないとディビットを勘当。はじめから居ない子供とされた。
 さらに村長によって、犯罪者が村にいたことになっていては困るとして、自分は初めからこの村にいなかったことにされた。
 完全に存在を抹消されたのだ。

 人々から、勇者の妻に言い寄るクズ男と石を投げられ、追いやられ、話を耳にした国王からはサウジュール王国追放の沙汰が降りた。
 強制的に国境まで連れて行かれ、どこへでも行って野垂れ死ねと追いやられた。

 すべてを失って地獄に落とされたディビットは、何かに導かれるようにさまよい歩き、このデスグリムの奥地に来たのだった。

 もはやしゃべることも無く、感情も失い、ただ生きている人形のようになっていたが、身だしなみだけはキチンとしていた。

 強力な魔物が出没する地域だが、過酷な旅でそれなりに鍛え上げられたディビットは、罠を巧みに利用したり、ストレージに収納したまま忘れ去られていた優秀な武具を用いて狩り、その魔物素材を、かつて必要に迫られて身につけた錬金術や錬成魔法で加工したりしていた。ただ1人で黙々と。

 いつものように周囲の森に食料採取がてら点検に歩いていると、とある木の根元に投げ出されている足を見つけた。慎重に回り込んでみてみると、そこには1人のみすぼらしい格好をした女性が倒れていた。

 行き倒れのようだが、デスグリムの大森林の、こんな奥地で人と出会うことがあるなど、思いもしなかった。
 だがすでに感情を失っているディビットは、何の感慨もなく、行き倒れになっている女性を見なかったことにした。

 こんなところにまで人が来るようになったら、住むところを、さらに森の奥に移動させないといけないかもしれない。
 そう思いつつディビットは、その場を立ち去ろうときびすを返した。
「ちょっと待てぃ! 私を無視かよ!」

 ……行き倒れ女の死体が何かをしゃべっている。
「死んでない! 生きて――るかはわからないけど、死んでないから!」

 あわれなことに、この女性は頭がおかしいようだ。もっとも、おかしくなっているのは自分もだろうが。

 すると行き倒れていたはずのその女性は、四つん這いになると「いやいやいやいや」と言いながら、まるで黒いあの虫のように素早い動きでディビットに近寄ると、その足をがしっと捕まえた。

 無言で剣を抜いたディビットに、ギョッとした女性が、
「私、こう見えても女神ですから! さっさと介抱しなさいよ! そんで、あんたの家に連れて行きなさい!」
と主張した。

 ……女神? やっぱり頭がおかしいのかと思ったが、なんだか考えるのが面倒くさくなったディビットは、その女性を自宅に連れて帰ることにした。

 ディビットの家は、豊富にある森の木を切り倒して作った一軒家である。
 部屋は3つしかないが、女神? はさっさと中に入るや、近くにあったイスに腰を下ろした。

 名前はルリアーシュというらしい。どういう目的かわからないが、しばらくここに滞在するという。
 話し方を忘れてしまったディビットであったが、そこは女神、思念を読み取って会話として成り立たせてくれた。

 奇妙な共同生活が始まった。

「朝昼晩と、ルリアーシュ様ありがとうございますと言いなさい」「今日はフルーツが食べたい気分。ほら前に採ってきてもらったあの赤い奴」「今晩は肉。肉以外は認めない」
「また草ぁ。……これはサラダであって草じゃない? いや草でしょこれ」「風呂の補佐をしなさい。具体的には火の番!」「あ~疲れた。ぐだぐだして疲れたから、マッサージしなさい」――――。

 騒がしい日々だった。最初はうんざりしていたが、次第にディビットも慣れたのか、ルリアーシュから何か言われても、心の中で〝はいはい。わかりました〟とその要望に応えるようになっていた。しかも不思議とそれが嫌ではなかった。

 ある晩のことだ。
「今夜は特別な日だから、ちょっとお供しなさい」

 そんなことを言うルリアーシュに連れられて、深夜の森に踏み入った。
 緑に発光するきのこや苔の仲間、そして、同じく身体の一部が光る虫がユラユラと揺れていた。
 幻想的な光景ではあるが、ディビットには見慣れた光景なので特に感慨はない。

 前を歩くルリアーシュは時折、ディビットがちゃんと付いてきているかを確認しつつ、森の奥へと進んでいき、突然、あるところで立ち止まった。

 何かあるようには見えないが、突然、前方の空間に向かって、
「女神ルリアーシュの名において命じる。私たちを通しなさい」

 すると何もなかったはずの空間に、切れ目が現れた。「ほら、行くわよ」とルリアーシュがディビットの手を引っ張り、2人はその切れ目に入っていった。

「う」
 中の光景を見て、久しぶりに出た言葉がこれだった。

 そこは妖精郷だった。小さな羽根妖精がたくさん飛んでいて、地面にも土や木の妖精らしき小人たちが何かをしていた。
 まさか森の中にこんな場所があるとは。
 見とれているディビットの手を、再びルリアーシュが引っ張る。「こっち」

 やがて目的地に到着したのか、そこは小さな泉だった。真ん中には大人の女性の姿の妖精が笑顔でこちらを見ていた。
 その妖精がルリアーシュに|うやうやしくお辞儀をした。
「女神様。ようこそ妖精郷へ。それと女神様のお客人も、ようこそいらっしゃいました」

 どうやらこの妖精とルリアーシュは顔見知りのようだ。
「ねえ。ティターニア。この子が、例の勇者に幸福値を吸い取られちゃってね。運命がねじ曲がっちゃったんだ。――私がやるとバランスが崩れる可能性が有るから、あれをこの子に授けてくれないかしら?」
「なんと、この子が……。わかりました。黄金の林檎ですね。少しお待ちを」

 一瞬、痛ましそうな目でディビットを見たティターニアだったが、|そばの妖精に何事かを言付けると、ふわふわとディビットの前にやってきた。

「ルリアーシュ様から加護をいただいているでしょうが、私も加護を授けましょう」
 そういってディビットの両頬に手を添えると、そっとディビットのおでこにキスをした。
 その瞬間、光の細かい粒がディビットを包み込んで、すうっと消えた。

 ルリアーシュがにこりと微笑んで、「ありがとうね」と言う。
 そこへ5人の妖精が、1つの黄金の林檎を持ち上げながら飛んできた。それを受け取ったティターニアがディビットに差し出す。
「さあ、これをお食べになって下さい。幸運値が回復しますから」

 言われるままに、その林檎を両手で受け取り、一口かじりつくと、その林檎は光の塊となってディビットの口から吸い込まれていった。
 今まで食べたことがないほど、甘く、瑞々しくて、そして美味しかった。

 それを見届けたルリアーシュとともにティターニアに礼を言い、その夜は家に帰った。
 家に戻ると、ルリアーシュがディビットに、
「じゃあ、やることをやったからバイバイするわ」
と言い、迷惑を掛けたお詫びとお世話になったお礼として、第2の職業といくつかのスキル、それと聖武器を授けますと言う。

 そして、ティターニアがしたと同じようにディビットのおでこにキスをした。
 キスをされるときに目を閉じたディビットが、再び目を開けるとすでにルリアーシュの姿はなくなっていた。
 代わりにテーブルの上に1本の剣が置いてあった。手に取ると、その剣が語りかけてくる。

 ――君がボクのマスターか。ボクは聖剣ユンヌ。よろしくね!

 聖剣? それって勇者が使う武器では。
 そう思った時、脳内に直接、ルリアーシュの声が聞こえてきた。

 ――そのとおり。第2の職業として勇者をあげたから、スキルもこれから生きていくのに必要なものを見繕っておいたから、ありがたく使いなさい。

 今さら勇者なんて職業になっても、意味が無いだろうに。

 ――今にわかる。でも、どの道を選択したとしても私は許すよ。それだけ辛い目に遭ってきてるもん。その聖剣も使う使わないは自由だけど、感情を取り戻した今、1人で生きるのは寂しいわ。だからなるべく常に一緒にいるように。絆が深まれば人化もするから。
 さてと、それじゃ……。あなたの行く末が、少しでも幸せであるように祈ってるわ。だから、朝昼晩とちゃんと私に感謝の祈りを捧げなさいよ! いや夜も! 夜もよ! いいわね?

 最後まで、なんだかよくわからない女神である。

◇◇◇◇
 その頃、王国では大問題が発生していた。新たな魔王が出現したのである。
 しかし勇者フォルカスはまだ28才、かつての仲間である3人の夫人も26才と24才と若い。3人の夫人は子供こそ産んだが、授けられた職業の力はまだまだ全盛期である。

 さっそく魔王討伐パーティーを組んで、ただ今度はかつての|ポーター《荷物持ち》がいないから、補給担当の輜重部隊を引き連れて討伐に向かった。

 だが、その戦果は散々なものだった。
 今度の魔王はドラゴンタイプだったが、行軍中に突然遭遇し、そのまま戦闘となった。

 フォルカスの聖剣ですら、うっすらとしか傷を付けられず、ディビットの幼馴染みであった剣聖ルナの剣技など|撹乱かくらんさせることしかできない。
 賢者である妹リリィの魔法も、魔王の体表に浮かんだ障壁を破ることができないし、聖女である元許嫁マリアから支援魔法を受けたとしても、フォルカス一行の攻撃はほとんどダメージを与えられなかった。

 逆にドラゴンブレスで輜重部隊は文字通り消滅。
 フォルカスたちこそマリアの張った障壁で無事ではあったが、散々な態で敗走することとなった。

 魔王はフォルカスたちを無力化すると、戦い足りないとサウジュール王国東の大都市に舞い降りて、思う存分力を振るって破壊し尽くしてから、北方にある魔王の領土に帰っていった。

 去り際に魔王は告げた。
 3ヶ月後に王国に魔軍で総攻撃を加えると。

 さらにフォルカスたちが王都に生還する途中、突然、マリアたち3人が叫び声を上げ、自らの身体をかきむしり、遂には自殺しようとする事件が起きた。

 あわてて近くの者が取り押さえたが、3人が3人とも「いやあぁぁぁぁ!」「穢された!」「お願い、死なせて!」と叫びつづけ、仕方なく魔法で強制的に眠らせる事態となった。
 目を覚ました3人は一時よりもマシだったが、ずっと泣きつづけ、フォルカスが慰めようと顔を出すと叫び声を出して拒絶する有様で、逆にフォルカスは苛ついて先に王都に帰っていった。

 残された3人は、誰が言うともなく宿の一室に集まった。
 村で暮らしていてフォルカスと出会うまでは、3人が3人ともディビットが好きだった。
 許嫁こそマリアだったが、幼馴染みのルナも本当はディビットと結ばれたかった。そして、重度のブラコンであったリリィも、実は自分が血のつながらない妹ということを知っていたので、兄を恋い慕っていたのだった。

 フォルカスに魅了されていた頃は何とも思っていなかったが、ディビットが第2の職業に勇者を授けられた瞬間、かつてのディビットへの思いが蘇ったのだ。

 自分たちはなんていうことをしてしまったのか。
 あんなにも好きだったディビットを裏切ってフォルカスに初めてを――。そればかりか毎夜毎夜、抱かれている時の声をわざとディビットに聞かせ、どんどん惨めになっていく彼を馬鹿にし、そしてその挙げ句、追放したのだ。
 もう自分たちは穢されてしまった。フォルカスが憎い。憎くて堪らない。

 リリィがぽつりと「ごめんなさい」とつぶやいた。その声にルナもマリアもビクリと反応した。リリィは泣いていた。「ごめんなさい。お兄ちゃん。ごめんなさい。ごめんなさい ごめんなさい……」
 壊れたようにそればかりをつぶやき続ける。やがて、それにルナの声が重なりだした。
 2人の声を聞いて、マリアはただただ涙を流し続けるだけで、ぎゅっと口元をかみしめてこらえていた。

 しかし彼女たちはそれでも自分たちが産んだ子供たちは憎みきることができなかった。愛憎の狭間にあって、心が救いを求めて叫びつづける一方で、ディビットへの思いにただひたすら泣きつづけた。
 報告を受けた王国が使者を3人が滞在している宿に送ったが、3人は頑なに王都に戻ることを拒否。そのまま王国の外れにある名も無き女神の神殿に入ることになった。

 新たな魔王の脅威が目の前にあるというのに、なんということだ。
 国王は頭を抱えた。

 その国王を救済する光となるか、はたまた更なる苦悩の淵に沈み込ませることとなるか、その時、王都の神殿に名も無き女神から神託が降りたのだった。

 ――かの魔王を倒すため、もう1人の勇者を任命した。かつての勇者パーティーの1人ディビットに助力を乞え。

 あれから10年が経ち、すでに人々の記憶からディビットは忘れ去られていた。
 それは神殿も同じで、そんな男がいたかと疑問に思いながら、きちんと確認もせず、これで人々は助かると喜びいさんで王城に神託を伝えに来たのだった。

 だが、国王は激しくショックを受けた。顔を青ざめ、もはやどうしていいのかわからない。
 たしかにそういう男はいた。だが、フォルカスを自らの手駒として傍におくために見捨てた男だった。

 憤ったのはフォルカスである。もう1人の勇者など必要ない。しかもそいつはディビットだとぉ。ふざけるな! 魔王は今度こそ俺が倒すと意気込んだ。

 神殿に入った3人のもとに、ディビットの消息を尋ねる使者が現れ、神託の内容を告げられた。再びショックを受けた3人だったが、ディビットの行き先など知らないし、ディビットへの使者になって欲しいとの国王の要請も受け入れることはなかった。

 いったい今さら、どんな顔をしてディビットと会えるというのか。ただただ、穢されてしまった自分を許せず、日々、絶望の淵にありながらも、ディビットへの謝罪を女神に祈り続けたい。ただそれだけだった。

 こうして3人の協力は得られなかったが、国王は国内外にディビット捜索の使者を放った。
 一方で、機嫌が悪いフォルカスをなだめるため、新たな女性を見繕って出逢いを演出し、美姫で囲い続けるしかなかった。

◇◇◇◇
 ディビット捜索隊が何の成果も出せないまま、期限であった3ヶ月が経った。

 魔王が言っていたとおり、王国の北の国境を、総勢30万と見られる魔王軍が進入してきた。国境の砦は1日も保たず。それでも、|狼煙のろしを上げて魔王軍の侵略を伝えることができた。

 ただちに王国軍が魔王軍と戦うために北に向かった。勇者フォルカスが騎士団を率いて出発していったが、そこにはかつての3人の妻の姿はなかった。

 3人は王国の要請を拒絶し、神殿も3人を守ったのだ。
 国が滅ぶ一大事だと使者は訴えたが、神殿は「一度、受け入れた者はいかなる者であろうと、その者の意思以外の理由で引き渡すことはできません。すべては女神の|おぼし召しであれば、ただ祈りつづけるほかないのです」と言い張った。

 一方で、国王はディビットはまだ見つからないかと焦りに焦りまくっていた。
 見つけさえすれば、ディビットを迎え入れるために、考えられる条件は許可するつもりで、あらかじめ使者たちに告げている。

 望む美女との結婚、もちろん妾でもいい。願うならば、王族の娘でも貴族の娘でも、さらに願うならばフォルカスの妻となった3人をも、場合によってはフォルカスを排除し、神殿へも交渉するつもりであった。ディビットが望むなら。
 領地を欲するならば、望むだけ与える覚悟はできていた。爵位だってそうだ。

 ……だが、それはディビットが見つからねば意味が無いし、それに王は肝心のことを忘れていた。
 女をあてがう、それもマリアたち3人でもという条件を聞いたディビットが、どう思うかということを。

 すでに王国北方の2分の1ほどを魔王軍に占領された時、王国軍と王宮に不思議な報告が届いた。
 なんでも魔王軍は北東に国境をまたいで広がるデスグリムの森と、その周辺には一切進軍していないというのだ。森に近いお陰で侵略を免れている町が幾つかあって、ようやくその報告が注目されたのだ。

 これは何か理由があると決死の調査団が派遣され、その調査団が森の深部に済む風変わりな男の噂を聞いた。
 もしやディビットかと森に踏み込んだ調査団は、とうとうそのディビットの家を見つけ出した。

 森の深部の、まさか人は住んでいないだろうところに、その平屋はあった。
 ディビット捜索団とも合流した調査団の面々は、国王の親書を携えてその扉をノックした。
 やがて扉が開いて20代半ばと見られる男性が顔を出した。思いのほか身ぎれいにしているその男を見て、ほっとしつつ代表者の壮年の男が「ディビット殿でありますか?」と尋ねるとコクンと頷いたのを見て、内心で躍り上がらんばかりに喜んだ。

 その他の面々も、ようやくのディビット発見にほっとしたのも束の間、話をしようとこちらから声を掛けても、一向にディビットはしゃべろうとしない。
 ただただ戸惑った表情をしているだけだった。

 もしやと思った代表者の男は、2人だけでお話をしたいと言い、ディビットの家に上げさせてもらった。

 案の定、男が想定したとおり、ディビットは言葉をしゃべる力を失っていた。その事実に、男は嫌な予感がした。
 男は知っていたのだ。フォルカスの妻が元はどういう女性たちであったのかを。そして、ディビットがどういう目に遭わされてきたのかを。そのショックで、しゃべることができなくなったのだろう。

 男は、恐る恐る国王の親書を手渡した。そこには例の条件が書かれている。果たして、この親書を読んだディビットは、引き受けてくれるだろうか。
 賭けにも似た気持ちで手紙を開くディビットを見守った。

 ディビットは一通り手紙を読んだ。ひどくあっさりと。そして、しばしぼうっとした様子でいたかと思うと、その親書を返して寄越した。
「今、王国は危機に瀕しています。何とぞ勇者殿の御力を貸してはいただけませんでしょうか?」

 しかし、ディビットからは何の返事も帰ってこなかった。やむなく男は「明日、お返事を伺ってもよいですか?」と言うと、ディビットがうなずいたので、丁重に礼を言ってから家を出て、調査団を少し離れた森の中に移動させて、その日は野宿をした。
 次の日、再びディビットに返事をもらおうと家にやって来た調査団であったが、そこは既にもぬけの空になっていた。

 逃げられないように、窃かに交代で見張りを付けていたのだが、まんまと逃げられてしまった。
 男は直ちに報告を王国に届けさせた。

 ディビット発見。親書を読むも、姿を消す。

 なんてことだ。新しい勇者は私たちを助けるつもりはない。ああ……。
 悲痛な思いでその報告を聞いた国王は、力なく報告してくれた調査団をすぐに下がらせた。

 その報告が前線基地にも届けられたが、圧倒的な彼我の戦力差がある戦いである。さすがの勇者フォルカスも、数の暴力には勝てず、重傷を負って自分の天幕で介護を受けていた。
 話を聞ける余裕はなく、勇者の代わりに指揮を執っていた騎士団長は王都への撤退を決断した。

◇◇◇◇
「魔王め! 俺こそが勇者だ! 俺だけが勇者なんだ!」

 王都前の平原で決戦に挑んだフォルカスだったが、やはり魔王にはろくなダメージを与えられなかった。
 尻尾でなぎ払われて吹き飛んだフォルカスは、血を吐きながらもよろよろと立ち上がった。

 くそぉ。なんでだよっ。なんで聖剣が効かない。それに魔法士団はどうした。さっさと俺のケガを治せよ。

 脳裏にちらりと魔王を倒すためにディビットが勇者になったことを思い出すが、すぐにギリィッと歯を食いしばる。
 そんなわけはない。あんな雑魚が勇者なんて認めねえ! だいたい、奴の女はすべて奪ってやった。俺が奪ってやったんだ。あの惨めな野郎が勇者だと? ――ふざけんな!
 聖剣っ。もっと力を貸せ!

 そのすぐ目の前に魔王のドラゴンが降り立つ。
「――ふんっ。まるでハエだな。ぶんぶんとうるさく飛び回るだけの」
「なんだとぉ」
「勇者、勇者、勇者とそればかりしか言えんのか……。薄っぺらい男め。こんなのが勇者だとは正直がっかりしたぞ」
「俺さまを、馬鹿にぃ、するなぁぁぁぁ!」

 幾度めになるかわからないが、フォルカスが聖剣を手に魔王に飛びかかった。「死ねぇぇぇ! 究極奧義! シャイニング・ブレードぉぉぉ!」

 フォルカスの持つ魔力が聖剣に注ぎ込まれ、まばゆく輝きだした。大上段に振りかぶった聖剣を振り下ろす。その刃から閃光の斬撃が放たれ、一直線に魔王に飛んでいった。

 ――パリンッ。

 だが、その光の斬撃は魔王の右手であっけなく砕かれた
「くだらんな」
と、空を飛ぶ虫をたたき落とす勢いで、勇者を左手で地面に叩きつける。

 ヒュッ――ドゴォン!

 地面にめり込んだ勇者の左手は折れ、両足は折れてもはや立てない。しかもその目の前で聖剣が砕かれていた。
「ば、馬鹿な。神授の聖剣が……」
 その目の前に、魔王の大きな右足がドスンと降ろされた。
 どうにか四つん這いになりながら見上げる勇者。自分と踏みつぶそうと持ち上げられた左足を見て、
「ふざけんな。こんなことってあるか。――いやだ。死にたくない。俺はまだ死にたくないぃぃぃ!」

 しかし魔王の足は無情にも、勇者フォルカスを虫けらのようにプチッと踏みつぶした。

 ――遂に魔王軍は王国軍を打ち破って、王都に進撃してきた。すでに城門は打ち破られ、王都の町は魔物によって蹂躙され、住民は殺され、食われ、そして火をつけられた。

 城下のあちこちから立ちのぼる黒煙を見ながら、国王のカストールは、
「ええい! まだか! まだ勇者は――」
 そばにいた宰相が、「無駄でしょうな」と国王の言葉を遮った。国王は宰相を見る。その目はすでに諦めが浮かんでいた。

 勇者フォルカスが死んで、すでに王国軍も全滅してしまっている。勇者の血を引くそれぞれの子供たちを、王族の子供と一緒に脱出させようとしたが、果たして生き延びてくれただろうか。
 すでに王都周辺は魔王軍に支配されているのだ。

 空が陰った。顔を上げると、そこには魔王であるドラゴンが飛んでいた。魔王は、王城めがけて急降下し――。

 その頃、デスグリムの深部にある隠された妖精郷。
 ディビットと人化した聖剣ユンヌは、ティターニアとともに世界樹の上層部に居て、下界を見下ろしていた。
「行くのですか?」
と問いかけるティターニアに、ディビットがうなずき返す。

「そろそろ王国も滅びる頃合いでしょうか」というティターニアに、ユンヌが良い笑顔でうなずいた。

「きっと今度の魔王は、ルリアーシュさまの神罰だよ。あんな王国、前任の勇者も含めて滅びて当然。今さらマスターに助けて欲しいって、都合が良すぎるっての。――だいたいさ。もうマスターには私がいるんだから、他に女は必要ない。むしろ邪魔」

 ディビットはユンヌに微笑みかけた。相変わらず、ディビットはしゃべることはできなかった。
 けれどユンヌとは思念でやり取りができるから問題はない。
「はいはい。わかってますよ。それでもこれ以上、魔王の被害を広げさせないために倒そうって言うんでしょ?」

 そんな2人の様子を温かい目で見守っていたティターニアが、
「それではゲートを開けましょう。……念のため、王都から少し離れた所にしますね。あとのタイミングはお2人にお任せしますので」
「了解。――さあ、マスター、行こう!」

 ティターニアの前に、かつて妖精郷に来たときのように空間の切れ目が現れた。今度はユンヌがディビットの手を採って、その切れ目に入っていく。
 ディビットは手を引かれるがままであったが、優しげな目でユンヌを見つめ、微笑んでいた。

◇◇◇◇
 王国の外れにある名も無き女神の神殿。

 今、その周囲には神殿騎士団が、迫り来る魔王軍の侵攻に最後まで抗うために戦う準備をしていた。
 正面にはマリアたち3人の姿があった。

 かつての装備に身を包み、ただ魔王軍が来るだろう方角を見つめている。
 魔王軍と戦って死ぬ。ディビットを裏切り、汚れきった自分たちが迎える最後として、これほどふさわしいものはないだろう。
 神殿を守るための戦いであることが、尚の幸いだ。

 ただ……、ここに逃げ込んできた子供たちや避難民はどうにか守ってやりたい。そう思いつつも、これも定めかと諦める気持ちもあった。

 やがて地平線上に魔王軍が現れた。
 おびただしい数の魔物の群れと、その先頭を悠々と歩いてくる魔王のドラゴンを見て、3人は最後の時を確信した。
 その圧倒的敵戦力に、覚悟はしていたはずの神殿騎士たちも震えが止まらない。

 神殿の聖職者たちは、その場にひざまずいて女神に祈り始めた。

 マリアが空を見上げ、力なく微笑んだ。
「ああ、ディビット……。ごめんない。でも、最後にもう一度、あなたの姿を見たかった」
 ルナも、リリィも同じ気持ちで目をつむり、一筋の涙をこぼした。

 その時だった。何かに気がついた神殿騎士が、
「おい! 誰かいるぞ!」
と叫んだ。「1人で何のつもりだ」

 3人は同時に見た。
 迫り来る魔王軍の前に、どこからともなく1人の男が姿を表して佇んでいた。

 ――まさか。まさか……あなたなの?

 自分たちの願いを最後の最後で女神さまが叶えてくれたのだろうか。……それとも彼を思う私たちの心が生み出した幻なのだろうか。

 しかし、次の瞬間、その幻かもしれない男が剣を掲げ、巨大な魔王に向かって駆けていった。
 まるで象に立ち向かうアリのように、無駄死にをしようというように見えるが、その男は見る見るうちに魔王の足元に到達し、そこから垂直に空にまで飛び上がった。
 突然、魔王のドラゴンが金縛りになったかのように動きを止めた。やがてその身体が真ん中からズレていき、左右に両断されて転がる。

 現実とは思われない光景に誰も何も言えないでいた。

 ――ミリオン・ソード。

 小さく、懐かしい声が聞こえてきた気がした。
 空に滞空しているその男の周囲に、凄まじい数の空間の揺らぎが現れ、そこから男が手にしていたのと同じような剣が顔を覗かせ、次々に魔王軍めがけて降り注いでいった。
 見る見るうちに倒れていく魔王軍。

 誰かがつぶやいた。
「奇蹟だ。――おお」

 やがて魔王軍が撤退していく。男は上空でそれを見続けていたが、やがてスーッと地表に降り立った。
 神殿を振り向いた。その顔にかつての愛した男の面影を見た3人は、気がつくと走り出していた。
「ディビット! ディビット! ディビ――ット!」

 だがその男は、3人に向かって手を振ると、忽然としてその姿を消した。あたかも空気に融け込んでいったかのように。
 しかし、それでも3人は走り続け、男がいたところにたどり着いたが、やはりそこには何も残されては居なかった。

「ありがとう。ディビット……。ありがとう。ありがとう――」

 マリアたちは涙を流していた。3人で手を取り合って、姿を消した男をいつまでも思いながら――。
 見上げた空は凄惨な戦場だというのに青く澄んでいて、ぽっかり浮かんだ太陽が3人を見守っていたのだった。