09.決意

 ロナウドが目を見開いた。
「……え?」

 そして呆然としながらつぶやいた。
「じゃあ、セシルは本当に貴族の娘? それも公爵家の……」

 セシルは苦笑しながら首を横に振る。
「家からも国からも追放になっちゃったから、もう貴族じゃないわ。ただのセシルよ」
「国外追放って、いったい何をやったんだ?」
「……何も」

 そう実際にセシルは何もしていない。けれども、さすがのロナウドも“何もやっていない”意味には気がつかなかった。ロナウドは安堵の笑みを浮かべながら、

「そうだよな。セシルが――」「何もしなかったから。国外追放になったのよ」

 たたみかけるようなセシルの言葉に、ロナウドは怪訝そうな表情を浮かべる。それも当然だ。何もしないで国外追放になるはずがない。普通は何を言っているのか意味が通じないことだろう。

「どういうことだ?」

 セシルは困ったように微笑んだ。
「王太子殿下の婚約者だった私は、学園にいる間には殿下に知見を広めてもらおうと思っていたのよ。だからとある平民の女子生徒が殿下に近づいているのも許していたの。……まさか殿下がその娘に心を奪われるとは思いもしなかった。
 ましてや、どうしたわけか、私がその娘をいじめていることになっているなんて。間抜けにも気がつかなかったのよ」

 そう聞いた途端、ロナウドが強烈な怒気を放った。
「な、んだと……」

 ロナウドの右手がかたく握りこまれる。本気の怒りに一瞬にして、気の弱い人ならばその場にへたり込みそうなほど、空気が張り詰めた。

 思わずセシルはうれしさに泣きそうになった。じわじわと目元が潤み、唇がかすかに震える。
 胸が温かい。心が温かい。ロナウドの怒りが、ようやく整理がついてきたとはいえ、まるで自分の怒りを、恨みをともに分かち合ってくれているような、そんな気がした。
 今までロナウドがこんなに怒ったところなど見たことがなかった。だからなおのこと、自分のために真剣に怒ってくれているのが、ただただ、うれしい。

 胸のなかが一杯になって言葉がなかなか出てこない。けれど、ひと言だけ、
「……ありがとう」
と言うことができた。

 それからセシルはあの舞踏会からロナウドに出逢うまでの出来事を一つ一つ話した。

 いつしか窓の外は暗くなりランプに明かりをともす。それからさらにどれくらいの時間が経ったのだろう。
 すべてを話し終えると、ロナウドはぐいっとグラスのワインをあおり、ダンッと乱暴にテーブルに置いた。

「その王太子はとんでもないクズ野郎だな」
 低い声で、いらだちを抑えるように、腕を組んだままで指をトントンと動かしている。
「実は殿下だけじゃなくて、弟もその娘のとりこになっちゃっててね。弟の策謀でお父さまもお母さまも領地に隠居させられたわ」
「……あの国、滅んだらいいのに」
「それはダメよ。お父さまとお母さまもいるんだし、国民に罪はないわ」

 改めて話してみると、とても信じられない話である。ただ、セシルにとってはもう終わったこと。ロナウドとの5年の生活が癒やしてくれた。だから、こうして冷静に話すことができている。
 ……もう自分の中では整理がついている過去の話だ。

 ただ気になるのは……。
「なぜ今ごろマナス王国が私を探しているのかしらね」

 そもそも5年前の時点で死んだと見做みなされていると思っていた。何か生存の証拠でも見つかったのだろうか。
 かつてと同じく不穏な空気がどことなくただよっているのを、セシルは感じ取っていた。

 ……何か面倒な事件でなければいいんだけれど、あの女が関わっているかもと思うと慎重に情報を集めておく必要がある。

 気がついたら取り返しのつかない事態になっていたなんて、同じような失敗を繰り返したくはない。
 あんなに悲しい思いなど絶対にしたくない。……ようやく見つけたこの居場所を失ってしまったら、今度こそ自分はどうなってしまうかわからない。

 ロナウドが空になったグラスにワインを注ぐ。
「……それについては聞いてきたぞ。まだわからないことも多いけどな」
「もしかして盗賊ギルドに?」
「商業ギルドにもだ」

 なるほど。いくつもの耳を持っている2つのギルドなら、詳細な情報を入手することもできるだろう。ただし、情報は高いのでそれなりどころじゃないお金がかかる。
 セシルは、まさかロナウドが自分のためにそこまでやってくれるとは思いもしなかった。
 思わず頬がゆるむ。「……ふふ。そう」

 ロナウドはちらりとセシルの顔を見て、驚くべき内容を口にした。
「――どうやら魔王が出現したらしい」

 一瞬、セシルは何のことか理解が追いつかなかった。
 魔王? それって伝説の?

「お前も知ってるだろ? 勇者ライナードと戦った魔王ベルセルクの伝説を」

 この世には三種類の人種がいる。
 セシルたち人間種のほかに、エルフやドワーフ、ライカンスロープなどの亜人種、そして、人魚やドラゴニュート、吸血鬼などの魔人種だ。

 今から2000年前。魔人種の中から魔王ベルセルクが現れた。
 ベルセルクは自ら創成したモンスターを率いて、人も亜人も、そして魔人種をもさつりくしつづけ、大地に多くの血が流れたという。魔王を倒すために、いくつもの国家、いくつもの種族が協力して討伐軍を組織したが、魔王の強力な魔法に呆気なく焼き尽くされてしまった。
 この時、戦場になった場所はしよううずく荒れはてた土地にへんぼうしたという。

 万策尽きた人々は、一心に神に救世の祈りを捧げた。
 そして、祈りに応えた光の神から神託が下され、聖女が選ばれると同時に1本の聖剣を授かったという。

 この聖女の名はマリアといった。聖女マリアは聖剣を抜くことができる青年を探しつづけ、遂にとある農村で1人の青年を見いだした。それが勇者ライナードだった。

 死と絶望がただよう国々をライナードとマリアは歩き続け、各地で魔王の魔物を打ち破って人々に希望を与え続けた。聖女の言葉に、人々は再び立ち上がり、魔王に挑むことを決意したのだ。
 その旅のなかで2人は、さらに剣聖と賢者を仲間として魔王に挑んだのだ。

 彼らの戦いは、3日3晩もの間続いたという。残念ながら、母から貰った『諸国探訪記』も、旅の途中までで記述が途絶えており、詳細な戦いの様子は記されていない。

 伝説によれば、激戦の最中に魔王の攻撃からマリアをかばって、ライナードが命を落としてしまったという。
 もはやこれまでかと思われたその時、マリアが光の神に祈りを捧げると、天よりいくつもの光がライナードに降り注ぎ、復活を遂げたという。
 この聖女の奇跡によって蘇ったライナードは、それ以前とは比べものにならないほどの力を発揮し、とうとう聖剣で魔王の心臓を貫いて打ち滅ぼすことができたという。

 平和になった世界で2人は結婚して王国を建国した。それが今のマナス王国で、勇者の血を引く王の一族のみが聖剣を抜くことができると伝えられていた。

「伝説の魔王が復活したの?」
「ベルセルクではないようだが、魔王と呼ばれる存在が現れたのは確かなようだ」
「魔王、ねぇ……」

 いきなり魔王が現れたと聞いてもピンとこないセシルだったが、ロナウドの表情は真剣そのものだ。

「侮れないぞ。またたく間に自由都市群を制圧し、さらにマナス王国の東部州の半分を支配下におさめたようだ。
 なんでも巨大な壁で支配地を囲っているらしくて、その向こうがどうなっているのかはよくわからない。
 ……それより問題は、マナス王国が伝説のように神託の儀を執り行い、実際に光の神から聖女の神託があったってことだ」

 その言葉はセシルに衝撃を与えた。
 急に周りが寒くなったように感じ、いつの間にか嫌な汗が流れている。
 ……東部州の半分ですって?
 かなりの土地を魔王に奪われたことになる。多くの死者が出たに違いない。

 それになにより……、東部州にはスタンフォード家領がある。お父さまとお母さまは無事なの?
 黒い影に殺される父と母の姿が、魔物に蹂躙される領地、業火の海にまみれた街や村の光景が、セシルの脳裏によぎった。
 急にブルブルと身体が震える。寒い。

 ロナウドが急に慌てたように、立ち上がってセシルの肩をぎゅっとつかんだ。セシルの好きなロナウドの瞳が、心配そうに顔をのぞき込んでいる。
「大丈夫か。セシル。……顔色が悪いぞ」

 セシルは微笑もうとして失敗した。弱々しくいびつな笑みを見せながら、
「東部州には……、私の家の領地があるの」
と小さな声で言うと、ロナウドが、
「安心しろ。セシル。魔王の支配地はカリステより東だ。だから中央部州よりのスタンフォード家領は無事だ」

 カリステより東……。そうか。喜んじゃいけないのかもしれないけど、でもよかった。
 自分の肩にあるロナウドの手に、そっと自分の手を重ねる。

「よかった。本当に、よかったわ」

 ロナウドは近くのイスをぐいっと引き寄せて、膝が付きそうなくらいそばで座った。
 セシルの両手をやわしく包み込むように握り、
「神託があった聖女は誰だと思う?」

 聖女? あ、そうか。聖女の神託があったのね……。
 学園時代の友人の名前がふと頭によぎるものの、まったく想像がつかない。

 ロナウドは柔らかく微笑んでいる。その目がどこか誇らしげにも輝いて見えた。

「神託で認定されたのはセシリア・スタンフォード。つまり、セシルだ」

 え? 私?
 即座にセシルは否定した。聖女マリアを尊敬している自分にとって、それは素直に受け入れられる話ではない。
 聖女はもっと……、マリア様のような人々に希望を与えられるような、挫けずに、諦めずに勇者を探し続けたようなそういう人にこそふさわしいわ。
 私なんかが聖女だなんて、無理よ。ふさわしくない。

 ……それにあの変な『手配書』。私に聖女の神託があったのなら、あの文面はおかしい。

「ないでしょ! 私が聖女なんて。……第一、それなら『手配書』なんて出回るわけがないわよ。犯罪者を捕まえるみたいな文面だったし」

 ――セシリア・スタンフォードをマナス王国王城まで連れてきた者には報酬として金貨500枚を渡す。
 たしかにセシルの言うことも尤もだ。とても聖女に来てもらいたいという文面ではない。

 それを思い出したのか、ロナウドも苦笑している。その顔を見ているとセシルもホッとしてきた。そうよ。私が聖女に選ばれるなんて、しかも追放されてるのにあるわけがない。

「あの『手配書』はありえないよな。事実、聖女はライラとかいう女だとか、王太子が聖剣を抜いたという情報もあるにはある」

 この情報の方がセシルにとっては驚きである。
 ライラが聖女なんて、なんてたちの悪いジョークだろう。けれどそれ以上に、聖剣の話にはもっと驚いた。

 なぜならば、王国の重鎮にだけ知らされている秘密があったからだ。
 それは、ここ3代の国王は聖剣を抜くことができなかったという事実である。

 事の起こりは、4代前の国王が子どもがいないままに若くして亡くなってしまったところにある。
 当時近い血筋に男子はなく。やむなく傍系の離れた血筋から養子を取って王統としたのだった。

 血が薄まったせいであろうか。それから王位が交替する度に、ひそかに聖剣が抜けるか挑戦しているらしいが一度も抜けたことがないのだった。

 むしろ4代前の国王の妹を嫁に向かえたスタンフォード家のほうが血統が濃かったりするから、王太子よりも弟のスチュアートのほうが抜けそうなものだ。
 実は王太子とセシルの婚約は、この血の濃さも理由の一つだったのだ。まあ、今はどうでもいいことだけど。

 急にロナウドがぎゅっと手に力を込めた。真剣な表情でセシルの顔をのぞき込んでいる。
 澄んだ瞳がまっすぐに自分を見ている。まるで心の底まで見透かすような眼に、セシルは思わず緊張に身を固くした。

「セシルはどうしたい?」

 もちろんロナウドが言っているのは報酬目当てじゃない。
 セシルがしたいようにすればいい。俺はその手助けをしてやる。――そう言ってくれている。
 しかしそうなるとセシルは悩んでしまう。

 自分は。どうしたいんだろう?

 立ち直ったとはいえ、王太子アランとライラには思うところは多々ある。もしロナウドと出会えていなかったら、きっと今も恨み抜いていたに違いない。正直、二度と会いたくない。彼らの力になるのなど、こっちからお断りだ。

 それに、ここでの生活。ロナウドとの冒険の日々。いつまで続けられるかわからないけど。2人で作り上げたこの居場所が、今のセシルにとっては一番かけがえのないものだ。
 もし、ロナウドがロケットペンダントの君の元へ行くというなら……。許されるなら自分も一緒について行きたい。ロナウドと一緒にお仕えしたいと思う。

 だけど――。
 自分を最後まで助けてくれた母メアリー。自分のせいで隠退させられてしまった父グレイ。領民の人々のことを思うと……。
 さきほど脳裏に浮かんだまるでこの世の地獄のような壮絶な光景が、再び蘇る。胸の鼓動が強くなる。想像しただけでも息が苦しくなりそうだ。

 だめだ。見ていられない。父や母を。人々を見捨てて、自分だけ安穏なところで生活してるなんて。それもダメだわ。

 第一、魔王が出現したとあっては、このローラン王国にも魔王の手がのびてくるに違いない。本来はすべての国々が一致団結して、連合軍を繰り出すべき事態なのだ。もっとも何故かその話はないようだけど。

 本当に私に聖女の神託が? いや、本当のことだったとしてもどうする?

 でも、もし魔王を倒すのに聖女わたしが必要なら……。もし神託が本当なら、そういうことだろう。
 それで父と母の助けになれるのなら。人々を救うことができるのなら。どうすればいいのかわからないけど、魔王と戦うしかないだろう。

 ただそうなると、ロナウドとの生活はあきらめることになってしまうかもしれない。
 たとえ神託のとおりに魔王を倒したとしても、聖女となった自分を解放してくれるだろうか? 崇められてもてはやされる……。それもまたご免だ。
 今のこのロナウドとの暮らしを続けたい。セシルの気持ちはただそれだけなのだ。

 でも、でもと、色々と考え出してしまい答えを出せないでいるセシル。
 その手をロナウドのゴツゴツした手が優しく撫でている。その手が温かい。優しい気持ちが手を通して自分にも流れてくるような気がする。

 セシルはロナウドを見つめた。

「セシリア・スタンフォードという名前の女性はここにはいないんだから、もちろん王国に行かなくったっていい。……ただ、それでセシルはいいのか?
 もし守りたい人がいるなら、守ればいい。手からこぼれてしまってからでは後悔する。……俺は後悔するセシルも見たくないよ」

 守ればいい――か。ロナウドらしい言葉だ。
 セシルは、ロナウドに抱きしめられているような気がした。不思議とロナウドの言葉が自分に勇気をくれる。さっきまで迷路にはまり込んでいた気持ちが、少しずつ形になっていくようだ。

「マナス王国に行くというなら俺も行く。だからセシルの意思を聞かせてくれ。……セシルはどうしたい?」

 ロナウドが一緒にいてくれる。因縁の王国だろうと行くと言ってくれている。
 よかった。ロナウドがいるなら、きっと自分はどこでだって戦える。きっと大丈夫。ならばあと必要なのは、覚悟。多少のためらいはあるものの、それはきっとロナウドが支えてくれるだろう。

 失ってから後悔しても遅い。……そうね。その通りだわ。
 遅かれ早かれ魔王と戦わねばならないなら戦うべきだろう。アランとライラのためではない。父や母、友人など、自分が守りたいと思う人々のためだ。

 今の自分ならきっと戦える。無力だった5年前とは違うのだ。それに何よりロナウドが一緒なら――。

「ロナウド。……私は行くわ。あの国で別れてしまった人々がいるもの。だけど、その。……もしロナウドが本当に来てくれるならだけど」
 おそるおそる尋ねたセシルだったが、即座にロナウドが力強く言った。

「わかった。任せろ。――お前は俺が絶対に守る」

 その言葉がセシルの心に染みこんでいく。

 言葉に込められたのは単なる思いじゃない。それは――、誓い。
 命に替えても何ものからも守り抜くという断固たる決意だ。

 ロナウドの強い意志が伝わってくる。

「ありがとう。ロナウド」

 ……心からの感謝を貴方に。

 珍しくロナウドが少し照れたように、
「同じパーティーだ。気にするな」
とぶっきらぼうに言い、今度はうれしそうにワイングラスをかたむける。

 その様子を微笑みながら見ていたセシルは、クスッと笑って、
「ふふふ。ロケットペンダントの君にしつされそうね」
と照れ隠しの気持ちをまじえながら言うと、ロナウドはぶほっとワインを吹き出した。

「きたない!」
「突然、変なことを言うからだろ!」
「変なことって。……そう。ふ~ん」

 やっぱりロケットペンダントの君には負けるのね。……まあ、しょうがないか。

 唇をとがらせたセシルだったが、気を取り直して、
「まず隠居しているお父さまとお母さまに会いに行くわ。そこで詳しい話を確認してから――」
「え? セシルの両親のところに行くのか?」
「なにか問題でもあるの?」
「い、いや。……問題っていうか。まあ。わかった」

 ロナウドがなぜそんなことを言うのかわからなかったセシルだが、その答えは父母に再会した時にわかったのだった。

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