31.聖女の奇跡

 次の瞬間、セシルにライラの土魔法が殺到した。
 結界に次々に土の魔法弾が着弾して、ガガガガと音を立てている。

「油断したわね! これで最後よ! 呪いの黒剣をくらうがいい」
「くっ!」

 ライラが黒い短剣をとうてきした。まっすぐに飛んでくるその剣の刃は不気味な紫色のオーラをまとっている。
 その黒い短剣は、セシルの魔力球の結界をパリンと破って、まっすぐに飛んでくる。
 避けようとするが、体が……。ゆっくりとしか動かない。あらゆるものの動きがゆっくりになっていく。

 目の前に短剣が迫る。

 ――ダメ! 間に合いそうにない。

「セシル!」

 思わず目をつぶったセシルだったが、衝撃はやってこなかった。

 セシルが目を開けるとロナウドがいた。その胸から短剣の切っ先が飛び出している。
 その瞬間、セシルの時間は止まった。

 あ、あ、あ、あああああ!

 血がドバッと口から流れ、ロナウドがゆっくりと崩れ落ちる。おどろおどろしい短剣が、急に風化していくようにボロボロと崩れ落ちていった。

「ロナウド!」

 あわててロナウドを抱きしめるセシルの悲痛な声が響いた。

 そこへライラが得意な魔法の火球を放とうとしたが、その前にベアトリクスが割り込んだ。
「くっ。マグナスがやられた? あの役立たず!」と舌打ちするライラが火球を放ったが、ベアトリクスによって魔法が切り捨てられる。

 しかし、そんな周りの状況はセシルの視界には入っていない。

 必死でロナウドを抱えて、血が流れる傷口を抑えながら回復魔法を唱え続ける。

「ヒール! ヒール! ヒール! くっ。なんで! なんで止まらないの?」

 残りわずかな魔力球を傷に当てて魔法を唱えるが、それでもなぜかロナウドの傷は治らない。血はじわじわと広がり、ますますセシルは必死になる。
 腕の中のロナウドからどんどん力が抜けていく。流れ出る血とともに命までもが流れ出しているようだ。

 あの剣のせいなの? どうすれば……。お願い!
 なおって! 血よ。止まって!

 ベアトリクスと対峙しているライラが狂ったように笑っている。
「ふふふ。ふふふふふ。無理よ。あの剣は呪いの黒剣。傷はもう治らないわ。はははははは」

 必死で回復魔法を唱え続けるセシル。もう魔力球のストックもわずかしかない。

 その時、ロナウドがセシルの手の上に自分の手を乗せた。
「セシル。……俺はお前を守れたか」

 弱々しい声に、絶望の予感が迫ってくる。

「ダメよ。ロナウド。しゃべっちゃダメよ」
 またごはっと血を吐き出したロナウドは、フッと微笑んだ。

「ずっと隠してたけど、あの中にはセシルの絵をいれていたんだ」

「知ってるわ。だからしゃべらないで。……ヒール!」
 再び手から回復魔法の光がロナウドの傷に当てられるが、効果は現れない。

「なんだ。もう知ってたか。……俺は、もう本望だよ。セシル、幸せになれ……」

 かすれた声でそうつぶやくロナウド。手がゆっくりと崩れ落ちた。

「あ、ああ。ああああああ。ロナウド!」

 セシルの悲痛な声が響きわたった。身体が震え、胸が張り裂けそうになった。

 けれども、腕の中のロナウドは、今は安らかな表情をしている。
 まるで眠っているように。
 すべて終わって満足しているようにうっすらと笑みを浮かべて。

 愛してる。愛してるから、お願い! 目を覚まして。
 声を聞かせて、抱きしめて! お願い!

 強くロナウドに取りすがるセシルの目から涙があふれ出した。

 ……神さま。お願いです。私が聖女だというのなら、ロナウドを! 奇跡を!
 ロナウドを生き返らせて! 私の命を差し上げるから!

 ――お願いです。愛する人を、……私のところに返してください!

 凍りついた時間のなか、セシルの頬を滑り落ちた涙が、ぽつんとロナウドの顔に落ちた。

 その瞬間、まばゆい閃光が二人を包み、まっすぐ天に向かってのびていった。空を覆っていたぶ厚い雲を突き抜けていく。

 どこからともなく、何羽もの小鳥が飛んでくる。光の精霊たちだった。
 セシルの頭上を舞うように飛びながら、さえずる精霊たち。その声に導かれ、まるで神が降臨するように、二人を包む光の柱が輝きを増していく。

 その光景に、激しく戦っていた近衛騎士団と解放軍が動きを止めた。
 誰もが一斉に光の柱を見上げ、その神々しい光景に、一人、また一人とその場に膝をついていく。

 空から七色の光の欠片がキラキラと輝きながら、ロナウドに降り注いでいった。

 光に包まれながら、セシルは不思議な力が自分の周りに漂っているのを感じている。
 力強く、そして優しく、すべてを包み込むような力の波動。

 その力がロナウドの身体にどんどん吸い込まれていき、やがてすうっと光が消えていった。

 傷口が光りながら消えていく。ロナウドのまぶたがかすかに震え、うめき声をあげた。

 生きている!
「ロナウド!」

 セシルはぎゅっと抱きしめて、愛しい男の名前を呼び続ける。何度でも何度でも。「ロナウドー!」

 そっとロナウドが目を開き、セシルの顔をまぶしそうに見上げる。あのいつもの優しい瞳だ。
 胸の奥が温かくなる。喜びが全身を駆け巡り、たまらなく愛しい。
 抱きしめる手に力がこもっていた。

 ロナウドがうめき声を上げながら起き上がった。
「ごほっ。ごほっ。……ちょっとセシル。苦しいって」

 手を握ったり開いたりしながら、
「俺は……、生き返ったのか?」
とつぶやいて立ち上がり、セシルに手を差し伸べた。いつものようにその手をつかんで、セシルも立ち上がる。
 その様子を、多くの騎士や解放軍が膝をついた姿勢で見つめていた。

「――え? ええっと。これは……」
 今さらながらに、騎士たちの様子に気がついたセシルが混乱している。立っているのはライラや魔王たち4人だけだった。

 突然、アキラが笑い出した。
「はは。ははは。ははははは。これが聖女の奇跡! はははは。すげえな。本当に蘇りやがった!」
 ライラと対峙していたベアトリクスも微笑んでいる。

 少し離れたところではアランとライラが呆然とした表情で立っていた。

「バカな。バカな。バカな。なぜあの女が聖女の奇跡を。うそでしょ。だって、ここはゲームの世界なのよ。私がヒロインなのに。なんで……」

 ブツブツとつぶやくライラだったが、アランはアランで手の聖剣を見て驚きの声をあげた。

「聖剣が!」

 手に持つ聖剣が急に輝きを失っていき、パキーンと澄んだ音を立てて砕け散った。破片がキラキラとした光のかけとなって消えていく。

「ば、ばかな。これはどういうことだ!」

 急にアランがキッとセシルをにらんで、
「おのれ! 邪悪な魔法で聖剣を破壊したな! ……近衛騎士よ! さっさとこの者どもを捕らえろ!」

 しかし、王太子の命令だというのに誰も動く者はいない。
「貴様ら! 俺は王太子だぞ! 勇者の命令を聞け!」

 魔王アキラが馬鹿にしたように言い放った。
「無駄だ! お前たちはもうバッドエンドさ。ほら、お迎えが来ぞ」

 その言葉の通りに城門から新たな騎士の一団が姿を現した。スタンフォード家の旗をなびかせている。
 先頭で馬に乗っているのは、セシルの父グレイと母メアリーだった。

 グレイが手を上げて、
「亡国の王子アランと聖女をせんしようする悪女ライラを捕らえよ! そのまま王城を制圧。行け!」
 騎士たちが、グレイの命令を受けてアランとライラに殺到し、さらに王城の中になだれ込んでいく。

「やめなさい! 私はこの国の王太子妃よ! さわるな無礼者! 何をする!」

 アランとライラの叫び声をよそに、グレイとメアリーがセシルのそばに向かった。

 両親の姿を見たセシルが、
「スチュアートは……、助けられなかったわ」
と言うと、グレイも沈痛な表情で黙ってうなずいた。づなを握る手に力が入って震えている。

 メアリーが涙をこらえながら、痛ましげに言う。
「スチュアートの最後は、私たちも移動しながら、魔王さんの魔導具で見ていたの……。ありがとう。ロナウド君」

 城内から争う声が聞こえてくる。
 グレイが城を見上げてから、セシルに向き直る。

「抜け道の出口も抑えてある。国王ももはや逃げることはできないだろう。この王国はすべて魔王殿の支配下になる。……なあ、セシル。誰かがこの国をとりまとめなくてはならない。聖女たるお前が必要だ」

 けれど、セシルは首を横に振った。
「ダメよ。お父さま。私にはそんな力はない。聖女だとかいうけど、一人の人にすがる国は結局のところ同じ過ちをするわ。……魔王とともに人々が手を取り合って国を作り上げていくべきよ。もう新しい聖女を必要としてはならないの」

 グレイは優しい目でセシルを見つめていた。
「そうか……」

 セシルがロナウドの腕にぐいっと引っ張た。
「それに……、せっかく旦那もできたしね!」

 次の瞬間、グレイの空気がピシッと固まった。
「おかしいな。それとこれとは話が別だ。……ロナウド君。どういうことかね? 君に言ったよね。僕の女神に手を出したら――――」

 ブツブツとしゃべり出したグレイにロナウドが引きつった笑みを浮かべる。

 その手をセシルが取って走って逃げる。
 グレイとメアリーが追いかけようとするが、最後に残った二つの魔力球でさっとマギア・ボードを作ると、ロナウドと一緒に飛び乗って、そのまま飛び上がった。

「お先に帰るわ! これからの打合せがあるもの!」

 2人が飛んでいく空の先には、雲間から青空が顔をのぞかせていた。

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