34.新たな門出

 青空の下、セシルとロナウドは港湾都市に来ていた。
 奇しくも5年前に追放されたあの港である。

「ふんふん」と上機嫌に鼻歌をうたうセシルが、目的の船を見つけた。
 クリス商会の船だ。

 あの時と同じ船長が、
「お嬢さま。お待ちしておりましたよ」
とにこやかに言い、2人は握手をする。

「ところで、お父さまとお母さまは?」
 こっそりと船長にたずねると、船長は片目をつぶってウインクした。
「大丈夫です。まだバレてはいませんよ」

 とたんにホッとするセシルとロナウド。
「……もうあきらめわるくって、神殿の人も聖女さま聖女さまって。私はならないって言ってるのに」
「ははは。まあ、仕方ありませんな。あれだけのことがあっては……」
「私は、ただロナウドと冒険したいだけなんだから」

 ぶつくさといいながら、船内に入る。船長が、船員に指示を出し、船はけいりゅうしていたロープを解いていかりを上げた。
 船はゆっくりと動き出していく。

 ――また来るわ。だから、またね。私の故郷。

 セシルはロナウドと甲板に並んで離れていく街を眺めていた。

 その時、一台の馬車が猛スピードで港に入り込んできた。スタンフォード家の紋章がついている。

 セシルが、
「やばいっ! 見つかった!」
と言い、船長に「急いで!」と叫んだ。
 船長はニコリと笑って、「ヤー! ものども、オール準備! 急いで港を出るぞ!」と言うと、船員たちが「ヤー!」と返事をする。

 馬車から、父と母が走り出してきて、船を追いかけるように走りよってきた。

「セシル! 戻って――」「来なくていいから! たまには帰ってきなさいよ! あなたの家はちゃんとこっちにもあるんだから!」

 父の言葉を母がさえぎった。立ち止まって、なさけない顔をする父の背中を母がバシンと叩く。

「もう会えないわけじゃないんだから、しっかりしなさい! 嫁に行った娘が家を出て行くのは当たり前でしょ!」
「う、うおお――! ロナウドめ! ゆるさんぞ!」

 とうとうもうげんを叫び出した父の背中を、今度はり飛ばして海にたたき落とす母メアリー。
 扇子を広げて口元を隠しながら、こっちを向いてにこやかに手を振っている。見ると、海から顔を出した父がしょんぼりとこっちを見ていた。

 まったくしょうがないなぁ。

「お父さま! お母さま! 今度は遊びに来るからね!」

 セシルの声に、ようやく父も笑顔になって手を振った。

 ……ふふふ。ちゃんとまた来るから。心配しないでね。

 セシルは腕をロナウドの腕にからめ、さわやかな海風を浴びながら、
「行ってきます!」
と大きな声をあげた。

◇◇◇◇
 2人の出港の様子を、港の片隅でオルドレイクとベアトリクスもながめていた。

 オルドレイクが船を見ながら、
「初代剣聖の名は、ロックハートと言う。……お主の先祖じゃ。しかし、お主は剣聖にはなれぬな。勇者として聖女とともに歩むがいい」
と微笑みながらつぶやいた。

 2人が見ている先で、船は外洋に出ていく。

 どこまでも広がる晴れた空にこんぺきの海が広がっている。
 光り輝く太陽に見守られながら、2人を乗せた船がゆっくりと遠ざかっていく。

 その光景は、まるで天地が、海が、世界が、セシルとロナウドの行く先を祝福しているように見えた。

33.小さな礼拝堂

 まずは、あれからの事を話そう。
 この国は魔王の統治下に入った。けれども魔王は、基本的にある程度の自治を認めるとして、統治院を設置した。王国を新たに12の州に分け、各地域の代表と解放軍の主な人々、――元王国貴族も含め、が統治院の議員となっている。

 初代の議長には父グレイ・スタンフォードが就任。即座に、様々な法律を次々に制定し、魔王の力も借りて、混乱していた旧王国内を安定させた。これから本格的な自治法などの法律の制定に着手するらしい。

 アランとライラ、そして、旧王国の国王夫妻や、マルグリット大臣やグレイツ商会など、ライラの関係者たちは捕まえられて、特別裁判に掛けられた。

 魔王はライラと同郷だったらしく、顔をしかめながらも自分は裁判も処刑にも関わらない。旧王国の法律で裁き、自分には結果だけを伝えるようにと言っていたらしい。

 そして、裁判が開かれた。その判決により、国王夫妻と王太子は断頭台にて処刑。ライラを含めたそれ以外の人々は火刑に処された。

 ライラの死を聞いたセシルは、こみ上げてくる複雑な感情をどうにも表現できなかった。
 ただ「わかったわ」とだけ言って、王都の屋敷にある小さな礼拝堂にしばらく籠もっていた。

 王国の人々を苦しめ多くの悲劇を生んだのだから、その死は当然ではあるが、それでもセシルには彼女らの死を喜ぶ気持ちにはなれなかった。

 ロナウドも一緒に礼拝堂に入ったものの、セシルのように祈ることはせずに、ただ黙って祈り続けるセシルの背中を見守っていた。

 ――ライラの処刑から一月ひとつきが経った。
 今日、セシルはスタンフォード家領にある小さな修道院に来ている。

 セシルは、白いドレスを身にまとい、侍女にメイクをしてもらっているところだ。
 そこへノックの音がして、白い儀礼用の騎士服に身を包んだロナウドが入ってくる。

「こら。ロナウド。まだお化粧中よ」
「すまん。どうしてもセシルの顔が見たくて」
「ばかねぇ。これからもずっと一緒なのに」

 侍女が、細い筆で眉を丁寧に描き終え「できました」と言った。
 お礼を言ったセシルが、ロナウドに振り向く。

「ふふふ。なにその衣装。似合わないわね」

 途端にガクッと崩れそうになったロナウドが、
「お前なぁ。よりによってそういうことを言うか? それもこれから結婚式だっていうのに」
と文句をいうと、セシルがくすくす笑った。
「だってさ。いつもの方がカッコいいって」

 その言葉に、ロナウドは苦笑いを浮かべた。
「そっか。……でも、セシルは似合ってるよ。なに着ても綺麗だけどな」
「まあね。それは認める」
「……お前なぁ」
「うそうそ。冗談だって!」

 そんな話をしていると、今度はセシルの両親がやってきた。
 部屋の中にロナウドがいるのを見て、グレイのこめかみに青筋が浮き上がり、母メアリーは「あらあら」と言いながら涼やかに笑った。

「じゃ、じゃあ、そろそろ時間だから控え室に戻るぜ」

 あわててロナウドがグレイの脇を通り過ぎて出て行った。
 その背中を見て、セシルがまたおかしそうに笑う。

 ああ、幸せだ。こうしてロナウドと結婚式だなんて。

 ロケットペンダントの君に遠慮して、嫉妬して、我慢していた時のことが遠い昔のように思える。

 ……まさか私だったなんてね。

 ふたを開けてみれば、ずっと自分で自分に嫉妬していたのだ。
 5年も互いに思い合い、かれつつも、2人とも本心を打ち明けることをしなかった。
 随分と遠回りをしてきたものだ。

 式の準備が整い、セシルは、父と母と一緒に控え室を出た。

 案内にしたがって、父と並んでこじんまりとした礼拝堂に入っていく。

 祭壇には神を示す円盤のシンボルが輝き、檀の下の赤いじゅうたんではロナウドがセシルを待っていた。
 列席者は父と母をのぞいて、わずかに2人。スチュアートの妻と子だけだった。

 父に導かれながら、ゆっくりと歩いてロナウドのそばに行く。並んで正面を向き、父はそのまま参列者の席に行き、母の隣に立った。

 昔からスタンフォード家に仕える神官が、おごそかに祝詞を述べ、決められたとおりに式が進んでいく。

 いよいよ誓いのキスになった。

 ベール越しにロナウドがまっすぐにセシルを見ている。ロナウドの手がゆっくりと伸びてきて、ベールが持ち上げられていく。
 その向こうには、どこか緊張した面持ちのロナウドの顔があった。けれどもセシルの目には、まるで後光が射しているようにロナウドが輝いて見える。

 愛する男。自分の運命の人。――これからも共に歩んでいく相手。

 澄んだ瞳がセシルを見つめている。いつもより深い色をたたえているように見えるロナウドの瞳。その目を見ていると、彼の心に吸い込まれていくような気がする。

 ――愛してる。愛してるよ。……セシル、愛してる。

 ふとロナウドの心の声が聞こえた気がした。
 それと同時にロナウドがそっとセシルのひじをとった。

 セシルの目にはロナウドしか見えない。2人だけの世界にいるような感覚。その中で、愛おしさがつのっていく。
 そっと目を閉じたセシルの唇に、ロナウドの唇が重なった。

 重なる唇に、ぬくもりに、喜びが湧き上がってくる。心が愛に満たされ、通じ合って、男と女という区別もなく、ただそこには愛だけがあるような不思議な感動に包まれた。
 身体が、心が、ただひたすらに満ち足りた感情に包まれる。

「おお!」
 その時、神官が場違いな驚きの声を挙げた。思わず唇を離して神官を見る二人だったが、すぐに不思議な光景に目を見張った。

 祭壇のシンボルから、キラキラと光の粒が降りてきて、2人の目の前に集まっていく。

「こ、これは?」

 次第に強くなっていく光が、やがて一本の剣となった。

 ぽかんと口を開けているロナウドが、
「まさかこれ……、聖剣?」

 セシルも呆然としていたけれど、その光の剣はすっとロナウドの前に浮かんでいる。……まるで自分を取れというように。
 おそるおそるロナウドがその剣を持つと、すっと光は収まっていった。そこにはシンプルなさやに納められた直剣があった。

 ぼうぜんとしていたロナウド。セシルが居住まいを正して、
「聖剣はあなたを選びました。勇者ロナウド。……あなたはその剣をどうしますか?」
とたずねる。

 ハッとしたロナウドは、その場にひざをついて手にしたばかりの聖剣を捧げ持つ。まるで騎士の誓いをするかのように。
「俺の――私の剣はあなたに捧げる。セシルを守るために俺はこの剣を振るうことを誓う」

 セシルは捧げられた聖剣を取らなかった。

「わかりました。あなたの誓いを受けます。……でもね。私の騎士になることは認めないからね」

「ええ?」
 予想外だったのだろう。膝をついたままで、ロナウドがぽかんとした表情でセシルを見上げた。
 その顔を、セシルは、両手で挟んでグイッと引き寄せてかがみ込んだ。

「私の騎士じゃなくて、私の夫として私を守りなさい。私はあなたの妻としてあなたを守るから。死が2人を分かつまで、私たちは一緒に歩き続けるのよ。――これはその誓いのキス!」
 ぎゅっと今度はセシルからロナウドにキスをした。

 コホンとせきばらいの音がして、すっと2人が離れると、壇上の神官がニッコリと笑っている。
「誓いのキスが交わされ、婚姻は成りました。光の神のご加護がいくひさしく2人にありますことをお祈りします」

 参列者が一斉に拍手をした。
 その拍手の中でロナウドが聖剣を手に立ち上がり、二人一緒に振り返った。

 父と母、スチュアートの妻と子ども。そして――。

 セシルの目には、ステンドグラスから差し込む光の中に、拍手をしているスチュアートの姿が見えた。

32.ライラの最期

 処刑場に連れ出されたライラは、ぼうっとした目で用意されたはりつけの台を見つめた。
 まわりの群衆がなにかを叫び、物を投げつけてくるがライラには避けることができない。

 ――なんで? なんでこんなことに。……私がヒロインなのに。

 ライラののうには、数日前の裁判の様子がよみがえった。

 粗末な服を着せられて、手を縛られた状態でこくにんせきに座らされる。

 ぼうちようにんの席にはあふれるほどの国民が詰めかけていた。
 セシルの父などのかつての王国の重鎮がさんしんいんの席に座っている。
 裁判長がカンカンとづちを鳴らして開廷を宣言した。

「それでは裁判をはじめる。――この裁判につき、魔王様からは自分は立ち入らないので、元の王国法に則って裁判をするようにと仰せられた。よって、元王国最高裁判長である――」

 裁判長の口上が終わり、さっそく、こくはつにんによってライラの罪状が読み上げられる。

「――不正に国政を曲げ、税金を重くするように元王太子に進言。さらに複数の貴族家や令嬢に罪をなすりつけ、あるいはでっち上げて没落させたり、奴隷にしている。他にも――」

 ライラは不思議だった。あの男はいったい何を言っているんだろう。そんなこと当たり前じゃないの。私がヒロインなのよ。この世界はすべて私が中心の世界なの。

 だから私の意見が国政に反映されてこそ、人々が幸せになれるのよ。私が欲しいものを買おうと国庫に負担をかけたら、貴族や商会に税金をかけざるをえないじゃないの。だから消費税にして広く浅く税金を集めるようにしたのに。
 私に直接、人々がみつげるシステムなんて、素晴らしいじゃないの。なのになんでそれが罪なのかしら?
 あの貴族とか、あの女も、みんな私をいじめたのよ。この私を。そういう人には退場してもらって当然なのに……。

「すでに裁判が終わっているマルグリット元財務大臣、グレイツ商会長の証言に照らしても、このライラの関与は明らかであり――」

 そうだ。お父さん。お父さんはどこにいるのかしら? こういう時こそ、私のために働いてもらわないと。せっかく色々と便宜をはかってあげたんだから……。おじさんだって財務大臣にしてあげたんだし。

「――以上のことだが、何か弁明するところはあるか?」

 どうやら自分が発言する番らしい。
「はい。私はヒロインなのです。私のやりたいことができるようにこの世界はできている。だから、このような裁判など間違っています」

 途端に、ぼうちようせきから次々に怒号があがり、思わずライラがビクッと立ち上がりかけた。しかし、しばられた両足首ではうまく立ち上がれずに、バランスを崩してそこに倒れ込んでしまう。
 手を付くこともできずに、どうにか上半身を起こしたが顔に砂がついてしまった。

「もう! なんなのよ! やりなおさせてよ! こんなの絶対おかしいわ!」

 場がそうぜんとするなかで、裁判長が再びカンカンと木槌を鳴らし、「せいしゆくに」と命じた。なかなか鎮まらない人々に、警備の騎士たちが「静かに」と呼びかけている。

 さんしんいんの席にいたグレイ・スタンフォードがライラに、

「この世界はあなたのものではない。この国もそうだ。前は確かに王家の統治のもとで人々が暮らしていたが、それは強圧的に人々を支配することではない。

 ――この国に住むいかなる人は、それがどんな種族であれ、すべて我らの子として慈しみなさい。

 かつての聖女様のお言葉のとおり、王家は慈愛をもって人々を導き、幸せに暮らせるよう努力し、人々はその王家に感謝の気持ちとともに仕えていたのだ
 その道を踏み外したとき、もはや王家には王家たるべき資格を失ったといえよう」

 ライラがグレイに叫んだ。
「だからなんなのよ! そんなの単なるゲーム設定よ! 私が転生したからには、みんなを導くのは私。私のいうとおりにしていればみんな幸せになるはずなのよ!」

 変わらないライラの主張に、グレイは処置なしというように首を横に振った。グレイと裁判長の目が合う。
 裁判長はカンカンと木槌を打ち鳴らし、判決を言いわたした。

「そなたの弁明には、罪状に対する何らの正当なる理由は認められない。よって王国法の定めるところによって、死刑とする。残り少ない日々、光の神と国民へざんするがいい。これにて閉廷する」

◇◇◇◇
 処刑人に縄で引っ張られ、つんのめった拍子に片方の靴が脱げた。
 それでもお構いなく引っ張られ、ライラはふらふらと群衆の間にできている道を進む。

 目の前にギロチン台が見えてきた。

 そのそばには一人の遺体が布でくるまれている。――アランだった。

 生々しい血の臭いが漂い、人々が狂気に酔ったように騒いでいる。

 アランは腐っても王太子だった人間だ。王家に対するグレイの最後の忠誠心とでもいおうか。速やかな死の与えられるギロチン刑に処せられていた。

 けれどもライラは違う。平民の出で成り上がり、しかも多くの恨みをかっており、そんな彼女にギロチンなどという処刑はふさわしくない。

 処刑人がライラの前で、処刑の宣言をしているようだが、それがまるで曇りガラスの向こうの光景のように見える。
 ぐいっと身体を引っ張られ、舌をかみ切れぬよう猿ぐつわをかまされたままで、身体を太い丸太に縛り付けられる。
 彼女に用意されたのは火刑だった。聖女ならぬ魔女の最後にはふさわしい処刑といえよう。

 身体が持ち上げられた。
 高いところからは人々の様子がよく見える。自分に向かって怒鳴り続ける群衆、物を投げる人々、そして、ギロチン台の下に広がるアランのものだろう黒ずんだ血だまり。

 おかしいわ! 絶対におかしい! だって、私はヒロインなのよ!
 なんでこんな目にあわないといけないのよ! お願い! やりなおさせて!

 涙混じりにそう叫ぼうとしても、猿ぐつわでうまく言葉にならなかった。

 火が点けられる前に、群衆が手に持った石をライラに投げつける。

「いげっ! がもっ、ぁああっ!」

 いや! やめて! 痛い! やめてやめて! ゆるして! あああ。あ――。

 頭に重い衝撃が走り、身体のあちこちをまるで力の強い男に思いっきり殴られたように、身体の芯にまでしようげきが響く。足の骨が折れてジクジクと痛むが、そこへさらに別の石が勢いよく当たる。
 執拗に投げつけられる石に、身体がのけぞろうとするが縛られていてそれもできない。

 内臓を痛めたのか、口から血が噴き出した。額に当たった石で意識がもうろうとしていく。
 延々と石を投げつけられ、今や、ライラの顔はふくれ上がり、身体のあちこちはあざでボロボロになっていた。

 処刑人が大きな声で「止め!」と叫んだ。
 群衆はなおも石を投げつけていたが、騎士たちによって止められていく。
 ライラの前に一人の神官が進み出て、神への祈りを捧げた。
 その間にもさらに薪が積み上げられていき、そこへ油も注がれていく。

 群衆の間から手に松明を持った人々がやってきた。

 しかしこの時、すでにまぶたのふくれ上がっているライラには、ほとんど何も見えなかった。ただ全身を貫くにぶい痛みときよだつかんに、ぼんやりとしているだけだった。
 どんどんと全身に寒気が走り、いよいよ最後の時が近づいているのを悟る。

 ……いやよ。死にたくない。

 その時、一斉に火がくべられた。炎が立ち上り煙と熱気がライラを包み込んでいく。身体を焼く激しい痛みが体を包み、肌に水疱ができてはじけ、中から血の混じった体液が流れだした。
 幸いといえるだろうか。肺のなかに煙が充満して呼吸困難となり必死で息を吸おうと灼熱の空気を吸い込んでしまう。ライラの意識はどんどんと薄れていき、感覚が麻痺していった。

 炎がライラの身体を舐め、飲み込んでいく。美しかった肌が焦げて目が白濁していく。肉と骨が焼ける独特の臭いが風に乗って広がって行く。

 口が勝手に叫び声を上げた。喉が焼け、言葉にならない叫び声が響きわたる。

「ぐおお、おおああぁぁぁぁ!」

 人々は火の中のライラが獣のように叫ぶ姿を見て、熱狂の渦に我を忘れていた。
 の下の筋肉も焼け焦げていく。炭になった肉の下から骨が見えている。彼女はしやくねつごくのまっただ中にいた。
 意識が消え去りそうなとき、ライラはぽつんと胸のうちでつぶやいた。

 ――日本に帰りたい。

 これが後に亡国の魔女と称されるライラの最後だった。

 ゴオオーと燃えさかる炎が、その罪を浄化するように身体を燃やしていく。その身体から魂が煙に乗って抜け出し、どこかへと消えていった。

 抜け殻となった身体はやがて黒々とした炭となり、それでもなお業火に焼かれ続けていた。

31.聖女の奇跡

 次の瞬間、セシルにライラの土魔法が殺到した。
 結界に次々に土の魔法弾が着弾して、ガガガガと音を立てている。

「油断したわね! これで最後よ! 呪いの黒剣をくらうがいい」
「くっ!」

 ライラが黒い短剣をとうてきした。まっすぐに飛んでくるその剣の刃は不気味な紫色のオーラをまとっている。
 その黒い短剣は、セシルの魔力球の結界をパリンと破って、まっすぐに飛んでくる。
 避けようとするが、体が……。ゆっくりとしか動かない。あらゆるものの動きがゆっくりになっていく。

 目の前に短剣が迫る。

 ――ダメ! 間に合いそうにない。

「セシル!」

 思わず目をつぶったセシルだったが、衝撃はやってこなかった。

 セシルが目を開けるとロナウドがいた。その胸から短剣の切っ先が飛び出している。
 その瞬間、セシルの時間は止まった。

 あ、あ、あ、あああああ!

 血がドバッと口から流れ、ロナウドがゆっくりと崩れ落ちる。おどろおどろしい短剣が、急に風化していくようにボロボロと崩れ落ちていった。

「ロナウド!」

 あわててロナウドを抱きしめるセシルの悲痛な声が響いた。

 そこへライラが得意な魔法の火球を放とうとしたが、その前にベアトリクスが割り込んだ。
「くっ。マグナスがやられた? あの役立たず!」と舌打ちするライラが火球を放ったが、ベアトリクスによって魔法が切り捨てられる。

 しかし、そんな周りの状況はセシルの視界には入っていない。

 必死でロナウドを抱えて、血が流れる傷口を抑えながら回復魔法を唱え続ける。

「ヒール! ヒール! ヒール! くっ。なんで! なんで止まらないの?」

 残りわずかな魔力球を傷に当てて魔法を唱えるが、それでもなぜかロナウドの傷は治らない。血はじわじわと広がり、ますますセシルは必死になる。
 腕の中のロナウドからどんどん力が抜けていく。流れ出る血とともに命までもが流れ出しているようだ。

 あの剣のせいなの? どうすれば……。お願い!
 なおって! 血よ。止まって!

 ベアトリクスと対峙しているライラが狂ったように笑っている。
「ふふふ。ふふふふふ。無理よ。あの剣は呪いの黒剣。傷はもう治らないわ。はははははは」

 必死で回復魔法を唱え続けるセシル。もう魔力球のストックもわずかしかない。

 その時、ロナウドがセシルの手の上に自分の手を乗せた。
「セシル。……俺はお前を守れたか」

 弱々しい声に、絶望の予感が迫ってくる。

「ダメよ。ロナウド。しゃべっちゃダメよ」
 またごはっと血を吐き出したロナウドは、フッと微笑んだ。

「ずっと隠してたけど、あの中にはセシルの絵をいれていたんだ」

「知ってるわ。だからしゃべらないで。……ヒール!」
 再び手から回復魔法の光がロナウドの傷に当てられるが、効果は現れない。

「なんだ。もう知ってたか。……俺は、もう本望だよ。セシル、幸せになれ……」

 かすれた声でそうつぶやくロナウド。手がゆっくりと崩れ落ちた。

「あ、ああ。ああああああ。ロナウド!」

 セシルの悲痛な声が響きわたった。身体が震え、胸が張り裂けそうになった。

 けれども、腕の中のロナウドは、今は安らかな表情をしている。
 まるで眠っているように。
 すべて終わって満足しているようにうっすらと笑みを浮かべて。

 愛してる。愛してるから、お願い! 目を覚まして。
 声を聞かせて、抱きしめて! お願い!

 強くロナウドに取りすがるセシルの目から涙があふれ出した。

 ……神さま。お願いです。私が聖女だというのなら、ロナウドを! 奇跡を!
 ロナウドを生き返らせて! 私の命を差し上げるから!

 ――お願いです。愛する人を、……私のところに返してください!

 凍りついた時間のなか、セシルの頬を滑り落ちた涙が、ぽつんとロナウドの顔に落ちた。

 その瞬間、まばゆい閃光が二人を包み、まっすぐ天に向かってのびていった。空を覆っていたぶ厚い雲を突き抜けていく。

 どこからともなく、何羽もの小鳥が飛んでくる。光の精霊たちだった。
 セシルの頭上を舞うように飛びながら、さえずる精霊たち。その声に導かれ、まるで神が降臨するように、二人を包む光の柱が輝きを増していく。

 その光景に、激しく戦っていた近衛騎士団と解放軍が動きを止めた。
 誰もが一斉に光の柱を見上げ、その神々しい光景に、一人、また一人とその場に膝をついていく。

 空から七色の光の欠片がキラキラと輝きながら、ロナウドに降り注いでいった。

 光に包まれながら、セシルは不思議な力が自分の周りに漂っているのを感じている。
 力強く、そして優しく、すべてを包み込むような力の波動。

 その力がロナウドの身体にどんどん吸い込まれていき、やがてすうっと光が消えていった。

 傷口が光りながら消えていく。ロナウドのまぶたがかすかに震え、うめき声をあげた。

 生きている!
「ロナウド!」

 セシルはぎゅっと抱きしめて、愛しい男の名前を呼び続ける。何度でも何度でも。「ロナウドー!」

 そっとロナウドが目を開き、セシルの顔をまぶしそうに見上げる。あのいつもの優しい瞳だ。
 胸の奥が温かくなる。喜びが全身を駆け巡り、たまらなく愛しい。
 抱きしめる手に力がこもっていた。

 ロナウドがうめき声を上げながら起き上がった。
「ごほっ。ごほっ。……ちょっとセシル。苦しいって」

 手を握ったり開いたりしながら、
「俺は……、生き返ったのか?」
とつぶやいて立ち上がり、セシルに手を差し伸べた。いつものようにその手をつかんで、セシルも立ち上がる。
 その様子を、多くの騎士や解放軍が膝をついた姿勢で見つめていた。

「――え? ええっと。これは……」
 今さらながらに、騎士たちの様子に気がついたセシルが混乱している。立っているのはライラや魔王たち4人だけだった。

 突然、アキラが笑い出した。
「はは。ははは。ははははは。これが聖女の奇跡! はははは。すげえな。本当に蘇りやがった!」
 ライラと対峙していたベアトリクスも微笑んでいる。

 少し離れたところではアランとライラが呆然とした表情で立っていた。

「バカな。バカな。バカな。なぜあの女が聖女の奇跡を。うそでしょ。だって、ここはゲームの世界なのよ。私がヒロインなのに。なんで……」

 ブツブツとつぶやくライラだったが、アランはアランで手の聖剣を見て驚きの声をあげた。

「聖剣が!」

 手に持つ聖剣が急に輝きを失っていき、パキーンと澄んだ音を立てて砕け散った。破片がキラキラとした光のかけとなって消えていく。

「ば、ばかな。これはどういうことだ!」

 急にアランがキッとセシルをにらんで、
「おのれ! 邪悪な魔法で聖剣を破壊したな! ……近衛騎士よ! さっさとこの者どもを捕らえろ!」

 しかし、王太子の命令だというのに誰も動く者はいない。
「貴様ら! 俺は王太子だぞ! 勇者の命令を聞け!」

 魔王アキラが馬鹿にしたように言い放った。
「無駄だ! お前たちはもうバッドエンドさ。ほら、お迎えが来ぞ」

 その言葉の通りに城門から新たな騎士の一団が姿を現した。スタンフォード家の旗をなびかせている。
 先頭で馬に乗っているのは、セシルの父グレイと母メアリーだった。

 グレイが手を上げて、
「亡国の王子アランと聖女をせんしようする悪女ライラを捕らえよ! そのまま王城を制圧。行け!」
 騎士たちが、グレイの命令を受けてアランとライラに殺到し、さらに王城の中になだれ込んでいく。

「やめなさい! 私はこの国の王太子妃よ! さわるな無礼者! 何をする!」

 アランとライラの叫び声をよそに、グレイとメアリーがセシルのそばに向かった。

 両親の姿を見たセシルが、
「スチュアートは……、助けられなかったわ」
と言うと、グレイも沈痛な表情で黙ってうなずいた。づなを握る手に力が入って震えている。

 メアリーが涙をこらえながら、痛ましげに言う。
「スチュアートの最後は、私たちも移動しながら、魔王さんの魔導具で見ていたの……。ありがとう。ロナウド君」

 城内から争う声が聞こえてくる。
 グレイが城を見上げてから、セシルに向き直る。

「抜け道の出口も抑えてある。国王ももはや逃げることはできないだろう。この王国はすべて魔王殿の支配下になる。……なあ、セシル。誰かがこの国をとりまとめなくてはならない。聖女たるお前が必要だ」

 けれど、セシルは首を横に振った。
「ダメよ。お父さま。私にはそんな力はない。聖女だとかいうけど、一人の人にすがる国は結局のところ同じ過ちをするわ。……魔王とともに人々が手を取り合って国を作り上げていくべきよ。もう新しい聖女を必要としてはならないの」

 グレイは優しい目でセシルを見つめていた。
「そうか……」

 セシルがロナウドの腕にぐいっと引っ張た。
「それに……、せっかく旦那もできたしね!」

 次の瞬間、グレイの空気がピシッと固まった。
「おかしいな。それとこれとは話が別だ。……ロナウド君。どういうことかね? 君に言ったよね。僕の女神に手を出したら――――」

 ブツブツとしゃべり出したグレイにロナウドが引きつった笑みを浮かべる。

 その手をセシルが取って走って逃げる。
 グレイとメアリーが追いかけようとするが、最後に残った二つの魔力球でさっとマギア・ボードを作ると、ロナウドと一緒に飛び乗って、そのまま飛び上がった。

「お先に帰るわ! これからの打合せがあるもの!」

 2人が飛んでいく空の先には、雲間から青空が顔をのぞかせていた。

30.悲劇の先に

 王太子アランがにくにくしげに魔王をにらんでいる。
「魔王! 貴様、なぜここに!」

 魔王アキラはそれを無視して、
「俺が証言しよう。そこにいる冒険者セシルは俺の依頼を断った。したがって、俺と手を組んでもいなければ、東部州と西部州の革命もまったく関係ない!」

 すかさずライラが反発する。
「嘘よ! 魔王の言う事など信じられるものですか!」

 だがアキラはそれを鼻で笑った。
「なあ、先輩。あんた、まだこの世界がゲームの世界だと思ってんのか? いい年齢とししてバカじゃないのか? 生きている人々はキャラじゃねえんだぞ」

「高校生のガキが私に意見しないでよね! ……いい? ここは私のための世界。私が主役ヒロインなのよ!」

「はっ、先輩がヒロインだと? 笑わせんな!」

 アキラが右手を掲げると空中に巨大なスクリーンがいくつも現れた。

 そこには物乞いをしている幼い兄弟が、ガリガリにやせ細った男の姿が、そして、税金が払えずに差し押さえられている最中の商会の様子が映し出されている。

 また別のスクリーンには、奴隷の首輪をはめられる女性の姿、暴力にさらされている亜人種の子どもや娼館に引き渡されて泣き叫んでいる令嬢の姿が現れた。

「これはみんな、お前が引き起こしたことだ。こんなことをするヒロインがどこにいる? ……それに王国騎士団を東西の反乱を抑えるために派遣したみたいだが、逆効果だったな」
「なんですって!」

「当たり前だろ? 騎士団だってもとは地方の出身者が多い。中央から離れたことを幸いと、部隊ごと解放軍、いや今は彼らも俺の軍に入っているが、合流した奴らも多いぜ」

 アキラがそう言うと、スクリーンに解放軍らしき男たちと一緒に進軍している騎士たちの姿が映し出された。
 その光景に、その場にいた近衛騎士たちにも動揺が走る。

 アランが呆然とした表情で、
「ば、ばかな。国民が、騎士団が王家に逆らうというのか! 勇者である俺に逆らうというのか! ……貴様だな! 魔王め! 貴様が――」
と叫んでいる。

 その叫びを無視してアキラは続ける。
「東部州は、聖女の親が諸侯をまとめ上げて総督府を落としたぞ。……今は、すぐそこまで来ているさ」

 次に映し出されたのは、なんとグレイとメアリーの姿だった。そのそばには、かつて国王陛下との謁見の場にいた神官もいる。
「そして、ここ王都でも解放軍がほうしたぞ。あの声が聞こえないか?」

 城門の方から、人々の叫び声と、なにか重いものが叩きつけられるような鈍い音がいくつも聞こえてきた。

 アキラはその場の人々に聞こえるように一つの宣告をした。
「マナス王国は今日で終わりだ。……俺の支配下に入ってもらおう」
 そして、ライラに向かって、
「先輩も、同郷のよしみだ。お願いするんだったら、命だけは助けてやってもいいぜ」

「なめるんじゃないよ! ここでアンタを殺せば、みんなもきっと目を覚ますはず。勇者と聖女のもとで暮らすことを願うはずよ」

 アキラはやれやれとため息をついた。「交渉決裂だな……」

 そして右手を下に向けると、その足元の影の中から一本の剣が現れた。その剣を構えたアキラは、ようやくアランを正面から見つめる。
「ほら。さっさとやろうぜ。聖剣の勇者さんよ。……俺を倒せるものなら倒してみろ!」

 その時、城門が破られ、レジスタンスがときの声を上げて流れ込んでくる。近衛騎士たちがその侵入を防ごうと動き出し、美しかった城の前庭はたちまちに戦場となった。

 その中で、魔王アキラの前には聖剣を持ったアランが、ロナウドとセシルの前にはライラが、そして、ベアトリクスの前にはマグナスが互いに対峙していた。

 セシルがポーチからロナウドの剣を取り出した。
 それを手にしたロナウドがかすかによろめき、ギュッと足を踏ん張る。

 ライラが、その様子を見てニヤニヤと笑う。
「どうやら本調子じゃないようね。あなた、まともに戦えるのかしら? ふふふ」

 ロナウドは忌々いまいましげに、
「あの黒い茨は体内魔力を狂わせるんだろ。……だがな、じいちゃんの剣技は体内魔力だけじゃない、体内の気功を使う技もある」
と言い、静かに呼吸を整えた。
 ロナウドの身体の中から、魔力による身体強化とは別のどこか清らかで力強い闘気があふれだす。

 ライラがフンと鼻で笑い、思わず背筋がぞっとするようなあくどい笑みを浮かべた。
「ふふふ。そうこなくっちゃ。あなたの相手は彼にしてもらおうかしら。……最高の喜劇を見せてちょうだい」

 そう言いながら、ライラはその指の指輪にキスをした。はめられている宝玉に魔力を込められ、そこから赤黒い光がまっすぐに城に飛んでいく。

 正面の扉から飛び出してきたのは、黒い騎士服を着た男だった。

 その姿を見てセシルが驚きの表情を浮かべる。
「スチュアート!」

 しかし、スチュアートの様子はどこか変だ。顔に生気が無く目も虚ろだ。
 セシルの声に反応するでもなく、まっすぐにもの凄いスピードでロナウドに襲いかかっていった。

 剣と剣がぶつかり合い、衝撃がバシュッと広がる。ロナウドの表情が苦しげに歪んだ。
「セシル! 知り合いか!」
「弟よ! ……ライラ! あなた、スチュアートにいったい何を!」

 セシルがキッとライラをにらむが、ライラは杖を構えながら、
「ふふふ。知りたい? ……いやよ。教えてあげない」

 笑いながらライラが次々に魔法を放つ。それにセシルも魔法で応じて対消滅させていく。
 2人の間で次々に魔法と魔法がぶつかり合う。赤と青、緑と茶、黒と緑、光と光……。さまざまな色の魔法が飛び交い、ちょうど真ん中ではじけ飛ぶ。

 「ファイヤーランス」「アイスランス」
 「ウインドカッター」「ランドウォール」
 「ランドスピア」「トルネード」
 「エナジーボール」「サンダーボルト」

 ライラの目的はロナウドとスチュアートの戦いを邪魔させないためなのだろう。セシルの表情に焦りが見える。

 その間にもスチュアートとロナウドは激しく戦っていた。
 さほど強くないはずのスチュアートが、今ではロナウドと互角に打ち合っている。

「くっ! なんだこの変な気配は!」
 戸惑っているロナウドだが、生気のないスチュアートがしゃべり出した。

「……ここは。どこだ? 僕はどこにいる? なにをしている?」

 いったん距離を取ったロナウドが、
「なにを言ってるんだ! お前、自分がわからないのか?」
「そこにいるのは誰だ? いや、誰でもいいから……姉上を」
「ああいるぞ! ここにセシルがいる!」

 再びスチュアートがロナウドに切りかかった。鋭い上段からの切り下ろしを、ロナウドが横にかわす。スチュアートの剣が石をたたき割り、そのままピシッと直線上に亀裂が走って行く。

「姉上。……たのむ。姉上を助けてくれ」

 その時、離れたところで、王太子と戦っていた魔王アキラが信じられないものを見たように叫んだ。
 聖剣を自分の剣で受け止めながらも、
「あれは狂戦士の首飾り! このバカ女、何てものを!」

 言われてスチュアートを見ると、まがまがしい紫の宝石をはめ込んだ金色のネックレスが見える。

 セシルがすぐに、
「魔王は知ってるの? あれは何? どうしたらスチュアートを?」
と叫ぶが、アキラは返事をすることができなかった。

 知らないわけではない。アキラはあれがどういうものかよく知っているからこそ、答えられなかったのだ。

 ライラが狂ったように笑い出す。
「ふふふ。教えてあげましょうか? あれはね。魔王ベルセルクの遺産。つけたら最後、もう死ぬまでこの指輪の持ち主の言いなりになるのよ! 死ぬまで戦い続け、死んだら灰になる。まさに命が燃え尽きてね!」

 ロナウドが激高した。
「人の命をなんだと思っている! この悪魔め!」

 しかし、そこへスチュアートがスピードを上げて連続攻撃を仕掛けていく。
 まるで激しい嵐の中にいるような連続攻撃に、ロナウドが受けながしながらも少しずつ頬などに傷が増えていった。

「どうしようもないのか? 助けられないのか? くそっ」
「……ロナウド? 姉上の仲間の……。頼む! 僕を殺してくれ。このままだと僕は、姉上を殺すまで操られ続けるだろう。僕はもういやなんだ。……たのむ。あなたの手で僕を殺してくれ」

 いつしか、ライラは攻撃の手を止めてセシルがどうするのかを見ている。
 まるで喜劇を見るようにニコニコとしながら。
「邪魔はしないからやってごらんなさいよ」

 セシルはライラに注意を払いながらも、魔力球を飛ばした。

「オール・キュア」

 魔力球がスチュアートの頭上ではじけて光が降り注ぐ。光の粒がスチュアートの身体に吸収されていき、かすかに後光が射すように光った。
 ……しかし、スチュアートの様子に変化はない。再びロナウドに切りかかっていく。

 セシルが絶望に泣きそうな表情を浮かべた。
 その顔を見てライラがさも満足そうに笑っている。
「ふふふふ。そうよ! あんたのその顔がまた見たかったのよ!」

 ロナウドがスチュアートの剣を弾いた。わずかな隙を突いて腹をり飛ばして距離を取る。

「姉上。僕が間違っていた。ごめんよ。……ああ、ここはなんて寒いんだ。……だれか、助けてくれ……」

 意識が混濁していくスチュアートにセシルが名前を叫ぶ。「スチュアート!」

 ロナウドが剣を構えた。
「……セシル。わるい。俺にはこうするしか、あいつを苦しみから解放する方法がない」

 ロナウドがまっすぐに剣を上段に構えた。痛ましげに目の前のスチュアートを見ている。

 セシルが涙をこらえながら小さく、
「ロナウド。お願い。……スチュアートを、楽にしてあげて」
とつぶやいた。

 次の瞬間、ロナウドが一気にスチュアートの懐に入り込み、剣を振り下ろしていた。
 剣を取り落とし、肩口から斜めにバシュッと血を吹き出してゆっくりと崩れ落ちるスチュアート。不気味な首飾りがパチンとはじけ飛んだ。
 その全身から黒い霧が立ち上って消えていく。

 空を見上げたスチュアートが、
「お、おお。おおお! 光だ! 光が見える……」
とつぶやいた。その身体が端から色を失っていく。

 ロナウドがスチュアートを見下ろした。スチュアートが涙を流しながら、
「姉上を。どうか……ずっと……」
「ああ。任せろ」

 するとスチュアートの顔が満足げに微笑んだ。どんどん白く灰になっていくスチュアートは、最後にセシルの方を見た。
「あ、姉上。つらい思いを、……ご、め……」
 セシルは涙をこらえている。「スチュアート。いいの。いいのよ。……もう」

 不意に、風が巻き起こり、一気にスチュアートの身体がぼろぼろと崩れ落ちていった。巻き上げられた灰が散らばっていくときに、セシルとロナウドの耳に、
「ありがとう」
と最後の声が聞こえた。

 ああ。スチュアート……。

29.因縁の対決

「急げ! 第1から4小隊は南区だ!」
「俺たちは東区だ!」

 王城正面の大扉が開いて、いくつもの騎士隊が飛び出していく。
 今、王都の各地で、ベアトリクスの仲間たちが騒ぎを起こしているのだ。主な標的はグレイツ商会と騎士団の駐屯所となっている。

 セシルはベアトリクスと一緒に路地から様子を窺っている。

「そろそろだ」
 騎士たちの姿が見えなくなったところで、ベアトリクスが出発を促した。

 そっと腰のポーチから宝杖クレアーレを取り出す。魔力球がふわっと周りに広がって行き、いつものように待機状態となった。数が残り100もなくこころもとないけれど、出し惜しみをしている時ではない。

 視線を合わせてうなずき、セシルは路地から大通りに出て、まっすぐ王城へと歩きはじめた。
 そのすぐ隣にはベアトリクスただ一人が寄り添っている。本来ならばそこはロナウドの位置だが、今はそのロナウドを取り戻しに行くのだ。

 堀にかかる大きな橋に近づくと、すぐに警備の騎士がやってきた。
「止まれ! この先に何のようだ!」

 セシルは歩みを止めずに微笑んだ。
「さあ、ライラ妃殿下に伝えなさい。……セシルが来たと。私の彼を返してもらいに来たと」

 騎士たちは槍を構えて「止まれ!」と2人に命じるが、2人はそれを無視して進んでいく。
「くっ。捕らえろ!」
 一斉に槍を突き出してくる騎士たちだったが、次の瞬間、すべてが中程から断ち切られた。

 いったいいつ切られたのか。
 騎士たちは得体の知れないものを見るように、折れた槍を構えながら2人に押し切られるように道を開けた。
 監視塔の鐘がカンカンと鳴り響く。開け放たれていた正面の大扉がゆっくりと閉まっていく。

 セシルの前で5つの魔力球がクルクルと回転し始め、前に向かって魔方陣が現れる。
 遠くから「急げ!」という声がするが、それを無視してセシルが右手を添える。
「凍れ」
 青白い凍結魔法がまっすぐに大扉に飛んでいき、巨大な大扉を一瞬のうちに凍りつかせる。
 そのまま中途半端に閉まっている大扉をくぐり抜け、2人は王城の広い前庭に出た。

 芝生の中を整えられた道が真っ直ぐに城まで延びている。
 周囲の建物から、わらわらと騎士たちが走り出してくる。けれども2人は、それを無視して前庭の中央まで歩みを進めた。

 中ほどまで来たとき、王城の正面扉が開いてアランとライラたちが姿を見せた。
 それを見たセシルは歩みをそこで止めた。

 ライラがセシルを見て、うれしそうに笑っている。
「ふふふふ。よかったわ。ちゃんと来たのね。……もうこないかとも思ったけど」

 セシルはわざとニッコリと笑った。
「私は待ち遠しかったわよ。ぬすっとおんなに奪われた大切なひとを取り返せる時が来るのを」
「せっかく招待状をだしたのに無駄になったわね。でも、これですべて終わると思うとホッとするわ。……まったく手間をかけさせてくれたこと」

 そこへアランが口を差し挟んできた。
「東と西もお前の仕業だな。魔王と手を組んでその手先と成り下がるとは。過去に一瞬でも貴様が俺の婚約者だったとはむしが走る」

「王太子殿下。かつて真面目に未来の王国のことを考えていた貴方が、今は見る影もありませんわね。私は奪われた人を返してもらいに来たにすぎません」

「また言い逃れをするのか? 5年前と同じように。……だが無駄だ。私がこの目で見ている。貴様が魔王と握手をしているところを」

「殿下はまだ本質が見えてらっしゃらないようですわね。あの魔王が邪悪だと誰が決めたのです? あの魔王領ではどのような統治がされ、人々がどれだけ魔王を支持しているか、調査もしていないのですか?」

「言いつくろおうと無駄だ。ライラのお陰で国内でおうりょうをしていた腐れ貴族どもをようやくれいにできたのだ。それなのに、反乱の手助けまでするとはとんだ裏切り者だ」

「彼らとは手を組んだつもりはありませんが、殿下こそ、また5年前のようにきちんと調べもせずに私を断罪なさるのですか?」

「無駄だといっている。……勇者ライナードと聖女マリアの血を引きながらも魔王と手を組むなど。私はこの聖剣にかけて許すわけはいかん」

「殿下。残念ですわ。そのようなことだから反乱が起きるのです。王家による統治とは、人々の、貴族と国民の生活を守ることではありませんか! 学園時代の殿下も、将来は民草の生活を守る力をつけようと努力されてきたのではないですか? いにしえの聖女様のお言葉を忘れてしまったのですか?」

 セシルは両手を広げ、すべての人々に聖女の言葉を告げる。まるで預言者が神の言葉を告げるように、その姿には不思議な威厳が感じられる。澄んだ声が響きわたると騎士たちが動きを止めた。

「――この国に住むいかなる人は、それがどんな種族であれ、すべて我らの子として慈しみなさい」

 セシルは、胸に手を宛てて切々と訴える。

「王国は。この国は、この国に住むすべての人々が行く末を決めていくもの。……殿下は、その指導者として人々を慈しみ、導いていかなければなりません。その隣にいる女性の言う事をみにせず、きちんと民の声に耳を傾けられましたか?」

 しかし、王太子が返事をする前に、ライラが怒りに拳を振るわせながら怒鳴った。

べんね! おろかな民衆は私たちのでこそ生きられる。民にげいごうする政治はいずれたんするのよ。……だいたい貴女は、もう退場した分際で、いつまで私の邪魔をするのよ! マグナス! さっさと捕まえなさい!」

 そばで控えていたマグナス将軍が「行け!」と命じると、騎士の一隊がセシルとベアトリクスに向かって走って行く。

 セシルの前にベアトリクスが立ち塞がる。そこへ殺到する騎士たちだったが、一瞬ではじき飛ばされて地面に転がった。
 しかし、その中でたった一人だけ。ベアトリクスの剣を受け止めている騎士がいた。

 ベアトリクスがフッと微笑んで剣を引くが、騎士はさらに攻撃することなく剣をさやに納めた。

「その剣は宝剣ディフェンダー。……あんた、じいちゃんの娘だろ?」

 その声を聞いた途端に、セシルは周りの時がゆっくりになっていくような気がした。

 この声は……。この声は……。

 鼓動が早くなっていく。セシルはその騎士から目を離すことができない

「今ごろ気がついたか。……そんなことより早く顔を見せてやるがいい」
 ベアトリクスはそう言うと、セシルとその騎士をライラから守るように立ちはだかった。
 その騎士がセシルの方を向いて兜に手を添える。

 ――あなたなの? 

 胸の鼓動がどんどん強く、そして、早くなっていく。ゆっくりと兜を外す仕草がもどかしい。

 祈るような気持ちで見ていると、兜の下から現れたのは、あれほど会いたいと願っていた愛する男。ロナウド・ロックハートだった。

 思わずセシルが宝杖クレアーレを取り落とした、そのまま右手を胸に当て強く握りしめる。震える唇から言葉にならない声が漏れる。

「あ、あ、あああ」

 涙がぽろぽろとこぼれ落ちるが、セシルはひたすらにロナウドを見つめていた。月光の中の幻じゃない。今、そこに、たしかにロナウドがいる。

 夢や幻じゃなくて、本当の本当にあなたなのね?

 ロナウドがそこにいる。その顔を見ていると、不意にセシルは本能的に悟った。

 ロナウド。……あなたはずっとずっと、私を愛してくれていたんだ。守っていてくれたんだ。出会った時からずっと。はっきりとそれを感じるわ。
 ――ああ! 神よ!

 ロナウドがニッコリと微笑んで、
「セシル。ただいま。……心配かけてすまなかった」
と言いながら、セシルの取り落としたクレアーレを拾った。

 次の瞬間、
「うわあぁぁぁぁ」
とセシルが叫びながらロナウドに抱きついた。「ロナウド! ロナウドロナウド! ああ、あなたなのね! 会いたかった! あなたに、ずっとずっと会いたかった!」

 この時のセシルには、もう他の事などどうでもよかった。いま、ここにロナウドがいる。そのことだけがセシルの心を占めている。
 聖女だとかライラのせいで散々な目に遭ったこと、追放にあったことさえ、そんなことは一切合切が薄っぺらいもののように思える。
 ロナウドがいてさえくれればいい。もう他にはなにもいらなかった。

 しかし、この感動の再会をぶち壊す人がいた。

 ライラがワナワナと震えながら、
「貴様ぁぁ! どこに行ったと思ったら。そこにいたのか! 勝手に感動の再会なんかして、ふざけんじゃないわよ! ……マグナス! さっさと捕まえなさい!」

 ライラの命令で、マグナスが飛び出して、抱き合うロナウドとセシルに真っ直ぐに迫った。

 その前にベアトリクスが立ち塞がる。
 ガキンと、ベアトリクスの剣とぶつかり合うマグナスの剣。ベアトリクスが静かに言った。

「邪魔はさせぬぞ。たとえ相手が誰であろうとな」

 一方のマグナスも面白そうにベアトリクスを見ている。
「一介の冒険者が俺の剣を受け止めるとは。……ふはは。おもしろい! だが残念だ。妃殿下の命だ」

 ふっと後ろに飛びすさったマグナスは、
「近衛よ、誓いを果たせ! 2人を捕らえよ!」
と号令を下す。

 抱き合う2人に動きを止めていた騎士たちだったが、マグナスの号令を聞き、迷うことなく再び武器を構える。
 彼らは近衛騎士団。彼らが守るのは王国ではない。誓いを立てる先は王族なのだ。

 さあっと波が押し寄せるように、2人にむかって騎士たちが殺到していった。この数ではいかなベアトリクスとはいえど、一人ではさばききれないだろう。そう思われた。

 その時、はるかな上空から一人の男が降りてきて、地響きを立てて着地する。

「お前ら、動くな!」
 先ほどのマグナスの号令など比ではない。質量がこもったような大きな声が騎士たちの身体を通り抜け、その覇気にまるで金縛りになったように動きを止めていく。

 そこに現れたのは魔王アキラだった。

 アキラはライラを見上げた。
「よお。元日本人のクソ女先輩。……俺からお前に言いたいことがある」

28.王都での再会

 精霊に導かれて森を歩いていたはずが、いつの間にかそこは王都内の公園になっていた。
 突然のことに自分でも理由がわからなくて激しく動揺したが、きっとあの神獣の力なのだろう。すぐに意識を切り替えて、無理矢理に動揺する気持ちを抑える。
 まず現在の状況を把握しようと、周囲の様子を窺う。……うん。大丈夫。近くに人はいないようだ。
 先ほどまでの晴れわたっていた空が、いつしかどんよりした曇り空に切り替わっている。

 あの神獣の森から王都まで、街道ではさらに2日ほどかかったはずだ。さらに王都を囲む防壁には魔法装置が仕掛けられており、風魔法でひとっ飛びというわけにはいかなかった。
 そのことを考えれば、この状況は好都合だといえる。神獣に感謝しておこう。

 空がゴロゴロと鳴っている。公園内に人の姿がないのは、きっと今にも降り出しそうな空のせいだろう。

 今日はいったん公園内に潜もうか? ここは確かにそれなりの広さがあるし、魔力球を使えば雨もしのぐことができる。そう簡単には見つからなくていいと思う。
 それに表通りはダメだ。捕まる危険性が高すぎる。かといって貧民街は別の意味でも危険だろう。

 考え込んでいたのが悪かったのか。一緒にいたはずの光の精霊がいなくなっていることに今ごろ気がついた。
 と、その時、遠くから2人の女性の声が聞こえてきた。
 まっすぐにこっちに向かってくるので、セシルはあわてて近くの茂みに身を隠す。

「こっちかい?」「ね、なにかあるの?」

 どこかで聞いた声だ。そっとのぞいてみると、あのカリステでの戦いの後、食堂で一緒になった2人組の冒険者の女性たちだった。

 ……ちょっと、精霊が連れてきちゃってるじゃないの。

 そう。その2人はあの精霊の小鳥の後を追ってきていた。そのまま精霊は迷うことなくセシルの潜んでいる茂みまで飛んできたので、あっけなく彼女らに見つかってしまった。

 女魔法使いがセシルの顔を見て驚いている。
「貴女はあの時の……」

 すると女剣士の方は何かに思い当たったようにうなずいて、
「今、手配書の回っているセシルか。……ふぅん、なるほど。あんたがあの噂の聖女だったのかい」

 セシルが言葉に詰まっていると、女剣士は手をヒラヒラさせて、
「別に突き出そうなんて思ってないさ。私らだって王国には思うところがあるし……。でも、あんたが来たってことは、……いよいよ時代が動くね」

「ちょっと待って。私はロナウドを助けに来ただけなのよ。ただそれだけなの」
「ロナウドって一緒にいた彼かい? もしかして王太子妃に?」
 セシルは黙ってうなずいた。

「……ついておいで。私たちのアジトに案内してあげる」
「え?」
「解放軍よ」
 そう言うと女剣士はニコリと微笑んだ。
「あんたがどういうつもりだろうと、きっと時代は動く。そういう女性さ、あんたはね」

◇◇◇◇
 王都東部の貧民街。
 セシルはみすぼらしい一軒の建物にいた。

 周りには、ごろつきのような男や化粧の濃い娼婦たち、カウンターには頭からすっぽりとフードをかぶった流浪の剣士らしき人物がいる。
 それぞれが静かに酒を飲んだり、薄いスープをすすっていた。誰もが聞き耳を立てているのだ。

 セシルは、中央のテーブルで一人の老いた男と対面している。男の脇には、ここまでセシルを連れてきた2人組の冒険者が控えていた。
 女剣士は老人に、
「例の話はどうだった?」
と尋ねると、老人は正面のセシルを見つめたままで、
「王城の地下牢のようだ。……第一級監獄の方がましじゃったろうが、王城では手が出せん」
と言う。

 この老人は中央部州の解放軍を指揮している男らしい。もとはライラのためにつぶされたとある貴族家の家老で、同じような境遇の者たちやこの貧民街に逃げ込んできた人々をとりまとめている。

 2人が話しているのは、ロナウドの居場所である。いかなるを通してか、この老人はロナウドの居場所を突き止めていた。

「あの女はお主を釣りあげる道具としてあの男を使うつもりのようだ。……のこのこ出て行っても捕まるだけだ」

 セシルは首を横に振る。
「情報はありがたいわ。……でも、私は行くわ」
「無理だ。それよりもわしらのために力を貸せ。その方が、あの男を救う近道だろうよ」

 果たしてそうだろうか?

 相手は、ライラだ。もしセシルが解放軍に協力――、それも旗印として反乱を起こしたならば、よりこうかつな罠を張るだろう。
 なにしろ向こうにはロナウドが捕まっているのだから。

 それよりは、まだ警戒されていないうちに、1人で王城に潜入してロナウドを救出する方が可能性は高いはずだ。なにしろ、あの城の内部をセシルはそれなりに知っているのだから。

「それはできないわ。私はね。もうこの国の人間じゃない。ただロナウドを救い出したいだけなのよ」
「……なぜだ? お主は聖女なんだろ? なぜ我らに力を貸してくれないのだ」

 誰も彼もが聖女を求める。――しかし彼らが欲しているのは、魔王を倒すための聖女ではなく、王国と戦う旗印としての聖女なのだ。
 セシルはそんな聖女になるつもりはなかった。なってしまったら、それは自分をがんがらめに縛りつける鎖となるだろう。

「貴方たちと一緒に立ち上がって、本当にロナウドを助け出せるの? 相手はあのずる賢い王太子妃なのよ? ロナウドを盾にするに決まってるじゃないの。……そうなったらおしまいよ」
「お前は男一人の命と王国とを天秤に掛けるのか」
「5年前に追放された私にとって、ロナウドがすべてよ。……それに王国にはそれこそ貴方たちがいる。私の出る幕はないわ」

 急に近くのテーブルで座っていた男が、ダンッとテーブルを叩いて立ち上がった。
「ふざけんな! そんな男一人のために死にに行くなど! 許さないぞ!」

 セシルは静かに言い放った。
「違うわ。私は死にに行くつもりはない。……ただ助けに行くだけよ」
「無理だ! 俺たちが主君を救おうとして、それでも手を出せずにいたんだぞ! そんな簡単に地下牢から助け出せるなら! ――俺たちのお嬢さまだって救えたはずだ!」

 ……彼は、きっとどこかの貴族家に仕えていたのだろう。

 その場にいた人々も口々にセシルを責め立てはじめる。

「無理だな」「やめときな。あんた」
「あの女を喜ばせるだけだ」「今は時期を待つべきよ」
「なんで俺たちに力を貸してくれない!」
「あんた! 聖女なんだろ!」「そうだそうだ! 聖女のくせに男一人のために行くだと!」
「ふざけんな!」「ねえ、私たちを救ってちょうだいよ」
「そうだ。このまま捕まえて、俺たちの仲間にしてしまえ!」「絶対に行かせねぇぞ!」

 セシルに行くのを諦めろという声。力を貸せという声。
 懇望というには過激な声が次々に投げかけられる。

 ……男一人ですって。ロナウドは一人しかいないのよ! それを諦めるなんてできるわけがない!

 セシルは我慢ができなくなって、勢いよく立ち上がった。
 ガタンッとイスが倒れ、急にその場が静かになる。

「誰がなんといおうと。私はあなたたちが求めるような聖女じゃない。ただの……、そう。一人の男を愛する、ただの一人の女にすぎないのよ!」

 セシルはそのまま目の前の老人を見つめる。
「……もう出て行くわ」

 途端に、人々が立ち上がってセシルを行かせまいと周りを囲む。

 ここまでセシルを連れてきた2人があわてて、
「ダメだ!」「みんな、落ちついて!」
と言うが、即座に輪の外に弾かれてしまう。

 ――その時だった。

 カウンターの方から突然、ダンッと大きな音がして人々が静かになる。
 見るとフードをかぶった流浪の剣士が、カウンターにグラスを置いたところだった。

 剣士は女性の声で、
「行かせてやれ」
と静かに言った。

 人々が注目している中を、剣士は振り向いてゆっくりとフードを下ろす。その下から出てきた顔を見て、思わずセシルがその名前をつぶやく。

「……ベアトリクス」

 ベアトリクスが立ち上がって、静かにセシルの方に歩いてきた。
 雰囲気に飲まれた人々が道を開けていく。

 セシルの横にきたベアトリクスは再び人々に言った。

「お前たちは守るべき時に、大切な人を守れたのか?
 あらがったのか? 力がないと諦めていたんじゃないのか?
 助けられなかった気持ちをよく知っているはずだろう。それなのに、許さないだと?
 助けてくれだと? 女一人になぜすがる。 力がない? 相手は王国だ? ……それがなんだというのだ。
 解放軍? 笑わせるな。お前たちは本気で王国を倒そうとしてるのか? ここ数ヶ月、毎日ここで酒を飲んでるだけじゃないか。いったいいつ立ち上がるというのだ!
 いつまでもここでくすぶっているだけの奴らに、彼女を止める権利はない。――行かせてやれ」

 人々はストンとそばのイスに座っていく。

 ベアトリクスは、
「行くぞ。セシル。……私が一緒に行こう」
と告げ、出口に向かって歩いて行く。
 セシルもあわててその後ろに続いていくが、誰も止めようとはしなかった。

 扉の前に来た時に、後ろから老人が声をかける。
「本当に行くのか? 王城だぞ? 助け出せると思っているのか?」

 ベアトリクスはそれに答えずに、
「……東と西はもう立ち上がったぞ。お前たちが立ち上がる時はいつ来るんだ?」
そう言い捨てて外に出て行った。
 後に続いてセシルが扉を閉めようとしたとき、中から、
「お前たち。すぐに伝令を――」
と、あの老人の声が聞こえてきた。

 先を行く、ベアトリクスの隣に行って礼を言うと、
「……いつも修道院が世話になっている。私の方こそ礼を言おう」
「え? 修道院?」
「いつも寄付をしてくれているだろう? ……そういえばフリージアは迎えの男が来たぞ」

 え? もしかしてローラン王国のあの修道院? なぜベアトリクスが?

 混乱する頭のままに付いていくと、闇の中から複数の人影が現れて、ベアトリクスの前に膝をついた。

あねさん。残念ながら抜け道は脱出専用のようで、正面から入るしかないみたいですぜ」
「100人集まっています。それと東と西とも連絡がついています」
「王国騎士団は東西に行っており、現在は近衛騎士団のみです」
「接触に成功とのことです」

 次々に報告を受けるベアトリクスはうなずいて、
「……私は彼女とともに行く。お前たちは予定どおりに動け」
と命令すると、男たちは再び闇の中へと消えていった。

「今のは……」
 問いかけようとするセシルに、
「頼もしい仲間たちだ。……それより明日は活躍してもらうぞ」
と、ベアトリクスはふっと口元に笑みを浮かべた。

27.オルドレイクの教え

 王城の地下牢のなかでロナウドは一人静かに瞑想をしていた。

 幸いなことに、あれほどまでに身体のむしばんでいた倦怠感は、昨日から少しずつ回復していた。
 おそらくオルドレイクに教わった気功法を、ずっと続けていたからだろう。そして、あの黒い茨の効果もわかった。
 あの茨は体内の魔力をぐちゃぐちゃにして、上手く使えないようにする。そういう呪いのようなものだった。
 もしも、あの攻撃を魔法戦主体のセシルが受けていたら深刻なダメージを受けていただろう。

 心を落ち着けて、呼吸を整え、気配を空気にとけこませていく。あたかも石像となったように瞑想をしていると、オルドレイクの言葉が耳に蘇ってきた。

◇◇◇◇
 あれはセシルと出逢う少し前。今から5年前の18歳の時のことだ。

 ロナウドは鋭い気合いとともに、オルドレイクに迫り、剣をよこぎに振るった。
 オルドレイクはバックステップをして、ギリギリの距離でそれを避けると、逆に一気にロナウドの懐に踏み込んでくる。
 下段からの切り上げだ。ロナウドは振り切った腕をそのまま肘を中心に回転させるように曲げて、ギリギリのタイミングで受け流すが、衝撃を殺せずに体勢を崩してしまった。そのままオルドレイクにりを放って、一度距離を取る。

 肩で息を切らすロナウドに対し、オルドレイクはまったく息を乱していない。
「おおお!」
 再びオルドレイクの懐に入ろうと迫るロナウド。左下からの切り上げに対し、オルドレイクは真っ正面から勝負をするように左上から切り下ろした。
 2人の間でぶつかり合った剣と剣。
 しかし、あっけなくロナウドがはじき飛ばされてしまう。

 そのまま倒れ込んでしまったロナウドの首元にオルドレイクの剣が添えられた。
「……ここまでだな」
「くそ! また一本も取れなかったか……」と悔しがるロナウドの前にオルドレイクはしゃがみ込んだ。
「前よりは強くなっている。刃の痛みがほとんどなくなったからな」

 何か言いたげなロナウドの表情に、オルドレイクは苦笑しながら立ち上がった。

「――だがお前の剣は軽すぎて話にならん」

 オルドレイクはそう言い置くと、少し離れたところに腰を下ろした。
 ロナウドは何も言い返せなかった。
「くそっ!」
 そう言ってごろんと仰向けになる。

 ここから東方に大森林がある。ロナウドは、その奥にあるエルフの村で育った。
 両親は村で少ない人間同士の夫婦で、ロナウドはその四男だった。
 その村に、数年おきに外の世界からふらっとやってきていたのがオルドレイクである。

 村に来る度にオルドレイクは子どもたちに剣を教えていた。ロナウドが弟子入りを願ったのもその時だった。
 オルドレイクの娘が課題を与えられて独り立ちしてすぐだったこともあり、弟子入りを許されたのだが、あれからもう少しで8年。まだまだ一本も取ることができなかった。

 そのまま空を見上げているロナウドに、オルドレイクが話しかける。
「お前も知っているとおり、勇者ライナードとともに魔王と戦った剣聖は、勇者と聖女の結婚式の後、賢者と一緒に王国を出た。剣聖は自らの後継者を見いだすため。そして、賢者はさらなる知識を求めて大森林を通り抜けてさらなる遠方へ行ったという」

 ロナウドが身体を起こしてオルドレイクの方を見る。
「剣聖は本来、血筋ではない。厳しい修行の末、前の剣聖が認めた者のみが、この宝剣ディフェンダーとともに剣聖の名を継ぐのだ」
「ああ。じいちゃん。わかってるよ。その話は」

「お前の剣が軽いといったが、そこにこそ剣聖のふるう剣の極意がある。……お前にはわかるか?」

 頭をきながら考え込んだロナウドは、
「鍛錬が足りないんだろ? もっと強く踏み込んで力を一点に――」「違うな」

 ばっさりと否定されたロナウドは、
「え? 違うのか?」と驚いている。

 オルドレイクは笑いながらこっちを見た。
「はははは。そんな単純なものなら、とっくにわしは娘にこの剣を渡しておるわ!」
「そ、そっか」

「――守る剣なのだ。剣聖の剣は大切なものを守るための剣なのだ」

「守る剣?」
「魔王ベルセルクは果てしなく強かった。勇者ライナードでさえ一度は死を経験したほどにな」

 ロナウドは黙ってオルドレイクの話を聞く。
「勇者が倒れてから復活までの間、圧倒的な暴虐の主である魔王から、仲間たちを守り抜いたのが剣聖だ。神に選ばれた聖女ではない。勇者でもない。ただひとである剣聖が守ったのだ」

 オルドレイクは立ち上がり、ディフェンダーを抜いて天に掲げた。あたかもその場に当時の剣聖が降り立ったかのような光景。威厳が漂っている。

「私は折れぬ。貴様が破壊の嵐をまき散らそうと、人々を守りぬく1本の剣だ。……今では名前すら失伝してしまった剣聖の言葉だ」

 単なる強がりではない。剣聖の誓い。そこに込められた大切な思いが、オルドレイクから伝わってくるようだ。

 再びディフェンダーを納めたオルドレイクは、ロナウドに向き直った。

「ちっぽけな1本の剣だ。……だがしかし決して折れぬ。重い、重い剣だ。その1本に多くの人々の命がかかっていた。勇者や聖女の命すらかかっていたのだ」

 オルドレイクは誇らしげにそう言うと、ロナウドの顔をのぞき込む。

「お前に足りぬのは大切な者だ。自ら命をかけてもいいと思えるような人。……もしその人と巡り逢うことができ、さらなる修練を積んだならば、その先に真の剣聖の道があるだろう」

 セシルと出逢ったのは、それから数日後のことだった。
 天啓ともいうべき、精霊の導きというべき出逢い。
 あの日の朝に感じた不思議な予感は間違っていなかった。

 この人になら命をかけてもいい。そう思える女性セシルと出逢えたのだから。

 しかし、後にオルドレイクは言った。
「彼女にはきっと重い使命がある。でなければ、あのような出逢い方はせぬ。きっと将来、なにか大きな嵐に巻き込まれる。
 ……力をつけろ。もしお前が、セシルを本当に命がけで守ろうと思うのなら、その誓いを立てろ」

――――――
――――
――

 牢屋の中で瞑想をしていたロナウドが、ゆっくりと目を開いた。

 無意識のうちに胸もとに手をやるが、そこにロケットペンダントはなかった。

 もとは家族の似姿を入れていたロケットだったが、ある時から中の絵はセシルに変わった。
 きっと今ごろは魔王城の片隅で転がっているか。意識がなかった間に、あの女ライラに捨てられてしまったのだろう。

 しかし、無いからといってセシルとの繋がりが途絶えたわけではない。なぜかその確信だけはあった。

「絶対に折れない剣……」

 ロナウドのつぶやきが漏れた。剣は主のもとへ。自らが誓いを立てたセシルのもとへ戻らねばならない。そして何より、ライラの魔の手からセシルを守らねばならない。

 ……さっさとこの牢屋から脱出しよう。
 たとえ自分のミスリルの剣はなくとも、自分にはオルドレイクから伝授された技がある。
 大切なものを守るための技。それはなにも剣技だけではなかった。

 ロナウドは静かに立ち上がった。

 耳を澄ませて気配を探ってみたところ、ここは特殊な囚人を収監しておく牢屋のようで、周りに収監されている者はいない。
 見回りの間隔、食事の時間からしてしばらくは誰もここに来ることはないが、監視のために、2人の看守が格子の先の通路でイスに座っている。

 まずは彼らをどうにかしなければならない。
 そう思った時だった。

 鉄の扉が開いて、壮年の騎士が牢屋に入ってきた。
 2人の看守と何かを話している。

「――しかし、それは……」
「奴には恨みがあってな。責任は私が取るし、少し話をするだけだ」
「……手早くしてくださいよ」
「感謝する」

 そういって、騎士が通路を進んできた、そばには看守も一人付いてきている。
 鉄格子を隔てて、その騎士を見るが、ロナウドには見覚えがまったくない。恨みだと? いったい何の?

「おい。貴様。……俺の顔を覚えているか?」
「いいや。いったい――」「ふざけんな!」
 その騎士は鉄格子を殴った。ガシンと音がして、看守がハラハラとしながらこっちを見ているのが感じられる。
 騎士は激怒に顔を赤くして、
「貴様が余計な事をしたせいで、私がベアトリクス様から見放されたじゃないか! このクソ野郎が!」

 ……ベアトリクス様?
 身に覚えはないが、その名前には聞き覚えがある。よく騎士の表情を見ると、いかにも激高している様子だが、その瞳は冷静にロナウドを見ているような気がする。

「しらねえよ。お前の事情なんて、俺が知ったことか」
 わざと挑発するようにいうと、騎士は、「なんだと……」と再び鉄格子を殴る。
 そこへ看守が慌てて、
「そこまでだ。戻れ」
と騎士を止める。
 騎士は舌打ちしながら、最後にロナウドを見て、
「魔王にくみした裏切り者め。……ネズミ・・・にでもかじられて死んでしまえ」
と言うときびすを返してさっさと通路を戻っていった。

 ……いったい何だったんだ? カリステで出逢った冒険者の関係者のようだが。

 去って行く騎士と看守の方を眺めていると、足元にどこからともなく一匹のネズミがやってきた。
 看守に気取られぬように、壁際に座り込むとネズミもやってくる。その背中には、一本の鍵がくくりつけてあった。

 ……なるほど。

 ロナウドは見つからないようにその鍵を隠して、ネズミを逃がした。

26.月光の幻

 林の中でセシルは息を潜めている。その視線の先には街道を行く2人の騎士の姿があった。

「おい! 今ここに誰かいなかったか?」
「見間違えだろ」
「いや、確かに女が一人いたような……」
「ははは。お前、欲求不満なんじゃないか? しょうがないな。夜、一緒にお店に行くか?」
「そういうわけじゃないが、行くぜ」
「よし。そうと決まったらさっさと見回りを終わらせようぜ」
「お、おう」

 王国全土に自分が再び手配されていることがわかっている。しかも今度は「セシル」の名前での手配なので町に入ることもできない。
 街道でもこうして見回りの騎士たちと遭遇したのも一度や二度ではなく、山の中を進むことを強いられていた。

 幸いなことに無事に中央部州に入ることができたが、実はこれも母のおかげといえる。
 というのも、勇者ライナードの『諸国探訪記』に、地元の猟師くらいしか使わないだろう山道が書かれていたのだ。各地の植生や安全な洞窟、水場なども記載どおりのようで、随分と助けられていた。

「う~ん。やっぱりここも街道は無理ね。山越えになる、か……」

 そうつぶやきながら『諸国探訪記』を開いて道を確認する。なぜセシルが困っているかというと、記されている注意書きに問題があるからだった。

 ――神獣の森。動物を殺すな。戦うな。そして、争いをここに持ちこむな。

 近くの町や村に入ることができれば、もう少し正確な情報を得られるのだろうけど、それは危険が大きい。
 記載の情報から、ライナード一行は無事に森を通り抜けているようなので、それを信じて進むしかない。

 ふとセシルは、母の言葉を思い出して思い出し笑いをした。
「ふふふ。〝女は度胸よ〟ね。お母さま」
 セシルは気合いを入れると、日記をパタンと閉じて森の奥へ続く獣道に入っていった。

 歩き出してすぐに、今までに経験したことのない空気を感じる。

 なるほど。神獣の森か。たしかに普通の森とは違うわね。

 かすかに感じる程度だが、どことなく森全体に魔力に似た何かのエネルギーが広がっているようだ。けれども不思議と危険は感じられない。むしろ守られているような安心感がある。

 頭上には強い陽の光に照らされた葉っぱが輝いている。木漏れ日が差し込んで地面にまだら模様を描いていた。
 時折とおりすぎる風が木々や土の匂いを運んできて、野うさぎや鹿の姿も見えるが、セシルを怖れる様子はない。
 ここまで、ロナウドを救わないとと焦燥感に駆られつづけていたセシルだったが、森を歩いているうちに、きっと大丈夫だという不思議な確信が心の奥から湧いてきていた。

 とはいえ急ぐに越したことはない。
 セシルは気合いを入れ直して少しだけ速度を上げた。

 半日後。
 休憩を挟みつつ歩いていたせいでもないが、森を出られないままに辺りが暗くなってきてしまった。
 『諸国探訪記』を調べると、近くに湧き水のある休憩場所があるようだ。

 今日はここで野宿になるわね。

 本当は夜通しでも歩いて行きたいところだが、そうもいかない。この森はどうかわからないが、普通は夜の森は危険で、無闇に移動するのはよろしくない。休めるときに休む。それが冒険者としての常識だった。

 見つけた休憩場所は、泉のある岩場。ちょうどぽっかりと空が顔をのぞかせていて、まるで童話に出てくる妖精の泉のようだ。
 とはいえすでに夕刻になっていて、空もあかね色から群青色に変わろうとしている。

 枝を拾いながら大型動物の足跡がないことを確認し、先に身を隠す場所を探したところ、岩陰にちょうど良い場所があった。

 泉には魚の姿もあり、森の動物たちも飲み水として利用しているようだ。セシルは水筒の水を補給して岩陰に腰を下ろす。
 枝に火を点けて、その上に携帯用の小型鍋を取り出す。水を湧かしながら、乾燥させた薬草を入れて煎じる。ハーブティー代わりの薬湯だ。これを飲めば体力の回復が早まる。

 とうとう空は暗くなり星が見えるようになった。
 携帯食料の乾パンとチーズを取り出し、薬湯と交互に口に入れる。

 静かだ。遠くから虫の音がかすかに聞こえる。やがてぽっかりとあいた木々の間から、月の光が降り注いで、小さな泉を照らしている。蛍だろうか。小さな緑の光が飛び揺れて、幻想的な光景になっている。

 いつもは2人で交互に見張りをするが、今は自分1人だけ。急に寂しさが募ってくる。
 セシルは膝を抱えた姿勢のままで、泉を照らす月の光をぼんやりと見つめていた。

 ロナウド。あなたは今、どうしてるの?

 そんなことを考えていると、月の光の中にロナウドの幻が現れた。

 朝の鍛錬をしている姿。うれしそうにセシルの作った食事を食べる顔。
 他の冒険者たちとバカをやっているところに、女性に迫られて照れている顔。
 ……そして、こちらに優しく微笑みかけながら手を差し伸べている姿。

 幻だとはわかっていても、セシルも手をのばしていた。けれどもその指が触れるようとすると、急にふっとロナウドの姿が消える。

 泉は幻が現れる前と何も変わらずに、ただ小さな虫の光が飛び交っていた。
 知らずのうちに涙が流れている。
 胸が締め付けられるように、ただただ切なさがこみ上げてくる。膝の間に顔をうずめ、セシルは思った。

 ――ああ、早く貴方に会いたいわ。

 ロナウドの想いを知ってからというもの、セシルのロナウドへの想いも今まで以上に募っている。こうして孤独な夜は特に辛い。

 いつしかセシルはロナウドのペンダントを取り出していた。そっとロケットの表面を撫でる。まるでそこにロナウドのぬくもりがあるかのように。

 まだオルドレイクもいた頃。とある街の食堂で、ロナウドが妙に長い時間、セシルを引き留めようとしていたことがあった。
 きっとあの時、近くに似姿を描く絵師がいたのだろう。心当たりはその時しかない。
 なぜ私に直接、言ってくれなかったのか。いくじなしで、馬鹿な男。本当に、馬鹿な男……。
 でも、ロナウドはそういう男。そして、その馬鹿なロナウドを自分は愛している――。

 寂しい。
 切ない。
 ……貴方に、今、会いたい。

◇◇◇◇
 さえずる鳥の声に、セシルは目を覚ました。
 冒険者としてはめられたことではないが、思いのほかぐっすりと眠り込んでいたようだ。
 すっかりそうかいな気分で、うううんと伸びをする。

 まるで今までの疲れがすっかり取れたようだ。身体の調子も良さそう。

 ふと顔を上げると、うさぎや鹿たちが泉に水を飲みに来ている。
 平和な森の光景に自然に笑みがこぼれる。
 セシルも同じように、泉の水で顔を洗って喉をうるおした。

 顔を上げると枝葉の隙間から青い空が見える。
 セシルはそっと微笑んで、手頃な岩に座って日記を開いた。
 今日のルートを確認するためだ。ここまでのところは順調だ。このペースだと今日の夕方には森を抜けられるだろう。

 腹ごしらえをしたらすぐに出発しよう。そう思った時、上から何かがポトンと落ちてきた。

「あら?」

 そこに転がっているのは3つのリンゴだった。

 上を見るが、リンゴがなっている枝はない。いったいどこから落ちてきたのだろう。
 首をかしげたとき、さーっと見覚えのある小鳥が飛んできた。光の精霊だ。

 精霊はリンゴのそばに降り立って、セシルを見上げている。
「ふふふ。あなたが取ってきてくれたの?」
 そういいながらリンゴを拾い、早速1つにかじりついた。
 爽やかな酸味がセシルの身体に活力を与えてくれるようだ。

 1つ食べ終わったセシルは、残りをポーチにしまい、早速その岩場を出発した。
 どうやら来てくれた精霊は、このまま道案内をしてくれるみたいだ。

 それでも時折、『諸国探訪記』でルートを確認しつつ、精霊の導きにしたがって森を進んでいく。
 しかし昨日とは異なり、今日は不思議な気配を感じる。どこからかはわからない。

 ……誰かが見ている?

 見回しても気配を探ってみても森に異常はなさそうだ。けれども、たしかに直感では誰かの視線を感じる。慎重に進んだ方がいいのかも。そう思った時、前を飛んでいた精霊が、想定していたルートを外れていった。

「え? そっちじゃないよ」
と声をかけるが、精霊はこっちだよというように、セシルがついてくるのを待っている。
 あわてて『諸国探訪記』を開くが、精霊が案内する方角には道が記されていない。

 どうする? どっちに行く?

 迷っていると、急に背後から、
「精霊の方が近道よ。そっちに行きなさい」
と声がした。
 反射的に距離を取って振り返ると、そこには一匹の狐がたたずんでいた。

「もしかして……、神獣さま?」
「人は私をそう呼ぶけれど、それは私の名前ではないわ。どのような名前で人が私を呼ぼうと、私は私。だけれど、まあそれでもいいわ。……貴女とライナードは目的がちがうのでしょう? それなら精霊の導きに従いなさい」
「はい」
「人の子よ。覚えておきなさい。その人の本質はその人だけのもの。けれども、人は偶像を欲しがる。レッテルや役割を付けたがる。だけどね。あなたが聖女になることと、聖女であることは別のことよ。その上で、……あなたの好きなように生きなさい」
「え?」

 もしかして私のことを知っているの?
 いま、どういう状況になっているかを。

 驚いている私の目の前から、神獣さまはフッと姿を消した。

 声だけが森に響く。
「精霊の導く先に進みなさい」と。

 けれどもセシルは、その場所でしばらく神獣の言葉について考え込んでいる。
 聖女になることと、聖女であることは別――。そして。
「好きなように生きなさい、か……」

 それならもう決まっている。自分は、ロナウドを迎えに行くのだ。2人で未来に進むために。

 顔を上げると光の精霊が待っていてくれている。悩むのは後にしよう。ロナウドを救出する。すべてはそれから。

 セシルは精霊の案内する方向へと進んでいった。

25.捕囚

 セシルの実弟スチュアートは、王都の屋敷の自室にてとある報告を聞き、呆然としていた。
「なんてことだ……」

 そのそばにはスチュアートの執事長が立っている。
「いかがなさいますか?」

 その報告は、マルグリット財務大臣が妃殿下の命として、勝手に王国騎士団を東部、西部の両州へ派遣したとのことだった。
 さらに、その騎士団の活動のためにさらなる税を掛けるという。

「税は財務大臣の担当ではあるが、もはや無理だぞ。すでに商会からの税収が減りつつあるし、山賊の発生件数も増えている。……そのための騎士団の派遣だとしても。本末転倒だ」

 このままでは王国は自壊してしまう。妃殿下の浪費を止めなければ……。できるか? そんなことが。

 最近、スチュアートとライラの間には完全に溝ができている。いつのまにか王太子の補佐にも、スチュアートではなく、別の男――ライラの親戚であるグレイツ商会の関係者、がついているようだ。

 だめだ。言えるわけがない。下手をしたらすべての罪をなすりつけられて、自分も殺されてしまうだろう。
 今まで多くの貴族家がつぶされたように、今度は……。

 その時、ふとスチュアートの脳裏に、カリステの街で見かけた姉の姿が思い浮かんだ。
 獣王との戦いでの活躍。アランとライラがねじ曲げたはずの話だったが、実は姉とその仲間が獣王を追い詰めていたことをスチュアートは知っていた。

 5年前に、自分が家から追放した姉。本来は家族である自分が守らなければならかったのだ。
 あの時、なぜ自分があそこまで冷酷になれたのだろう。今になって思えば、あの時の自分は何かに酔っているような、何かに取り憑かれたように、妃殿下の言うとおりにしないといけないと思っていた。それが当然であり、それこそが正義なのだと信じていた。

 しかし、今さらだ。すべては自分がやってしまった罪。もう戻ることのできない過去のこと。無かったことにはできない。犯してしまった罪は罪なのだ。
 後に神託の聖女とわかったこととはいえ、実の姉を放逐した罪。重い罪はいずれ我が身に罰として降りかかってくるだろう。

「……次は私の番ということか」

 スチュアートは静かにつぶやいた。
「妻と子どもを呼べ。すぐにだ」
 執事長は短く返事をすると部屋を退出していった。

 せめて妻と子だけは父のところへ。離縁してでもいい。なんとしても……。

◇◇◇◇
 マナス王国の王城。謁見の間。
 国王の前だというのに、ロナウドは檻の中で手足を縛られた状態でうずくまっていた。

 あの黒い茨に巻き付かれてから、にぶい痛みと重い疲労感が身体にずっと残り続けていた。脂汗が流れている。

 くそっ。体が重い。毒でも身体に回っているのか。
 それとも呪いか――。

 まわりで何かをしゃべっているようだが、ロナウドの頭には切れ切れにしか入ってこなかった。

「――から、神託だって何かの間違いよ。アランを見いだした私こそが聖女なのです!」
「そうです。ラ――と違ってセシリアは裏切ったのです。この目で見ましたよ」

 セシリアと名前を聞いて、がばっと顔を上げた。

 目の前でアランとライラが国王に向かって声高に主張している。
「我が国を裏切ったセシリアに鉄槌を!」
「そうですわ。王国民の心を一つにするために必要ですわ」
「父上。あの女を捕まえて、国民の前ではりつけにしましょう。……そして、勇者である私と聖女であるライラとで断罪します。そうすれば民衆にも正義の心が伝わり、挙国一致して魔王討伐への機運を盛り上げられます」

 ロナウドの心の中で怒りがカッと燃え上がった。

 なんだと……。セシルを磔にだと……。
 絶対にさせない! セシルに指一本触れさせてたまるかぁ!

 ロナウドは叫んだ。
「させないぞ! あいつは俺が守るんだ!」

 ライラがさげすんだ笑みを浮かべながら、檻に近づいてきた。腕を組んで、上から縛られたロナウドを見下ろしている。

「へえ。どうやって守るのかしら? その檻の中で。……ふふふ。愚かな男」
「このエセ聖女め! 貴様が磔になればいい!」

 その瞬間、ライラの笑顔がぴしっと固まった。
「ほう? 何て言ったのかしら? ええ? 今、何て言った! この虫けら風情が!」

 逆上したライラがゲシゲシと檻をけりつづける。
「エセ聖女はあの女よ! ゲームだったら私がなるはずだった聖女を奪って。ふざけないで! 過ちは正すのよ! そのためには死んでもらうしかないのよ!」

 ロナウドは思いのほか冷静にライラの狂態を見上げていた。

 こいつ、狂ってやがる――。
 どんなに顔が綺麗でも、着飾っていてもダメだ。絶対に受け付けない。
 濁って、汚らしいあの目。……なにが聖女だ。

 肩で息をしながら、ようやくライラが冷静さを取り戻した。

「はぁ。はぁ。……まあいいわ。あなたにはまだ役目があるもの。あの女をつり出すエサという役目がね。
 安心してちょうだい。ちゃんと特等席に案内してあげる。目の前であの女を痛めつけて、痛めつけて、泣いても絶対に許してあげない。苦しみ抜いたうえで、――処刑してあげるわ。……ふふ。ふふふふ。ふふふふふふ」

 ロナウドはこの狂ったように笑う女を見上げた。
 この女なら実際にやるだろう。どんなに残酷なことだろうと。この狂気を宿した女なら、ためらうこともなく本当にやるだろう。

 絶対に。この命に替えても彼女を守らねばならない。愛するセシルを、何があろうと、守り抜く!
 ――そのためにも脱出する方法を探すんだ。それが無理なら……。

 そうロナウドが決意をした瞬間、ライラの魔法によってロナウドは意識を失った。
 くずれ落ちたロナウドを見て、ライラが騎士たちに命令する。

「地下牢へ入れなさい。……いいこと? 絶対に死なせてはダメよ。死なせたら貴方たちを処刑するからね。五体満足のままであの女の前に連れ出してやるんだから」

 騎士たちは緊張した面持ちで「はっ」と一斉に返事をした。

◇◇◇◇
 そのころ、王国の西部州総督府では、戦火が夜の空を赤く照らしていた。
 反乱である。

 その様子を街の外の小高い丘から見ている男女がいた。魔王アキラとフリージアである。

 元キプロシア家の宮殿だった総督府に、多くの民衆が流れ込んで行っている。

 フリージアの表情が痛ましげに歪む。アキラがその華奢な肩を抱き寄せた。

「悪い。なるべく建物は壊すなって指示はしていたんだが……。さすがにあの女の息がかかっているところへの襲撃は、止められなかったみたいだ」
「いいえ。仕方がありませんわ。これほどまでの民衆の怒りです。止められるものでもないでしょう」

「……すまん」
「それに本来は、私も罰を受けるべきなのです。私の家が、王国からの指示で税を増やしたことも……。父のところに嘆願に来た地方領主も、……いたのですから」

 つぶやくようなフリージアの自責の言葉が終わる前に、アキラがフリージアの肩をつかんで強引に向かい合せた。
「フリージア。お前のせいじゃない。それはあそこにいる連中が一番わかっているさ。……元キプロシア家家臣団に、迫害を受けていた亜人や魔人種たちが」
「ですが……」
「それでも自分の責任だというなら立ち上がればいい。王国に立ち向かえ」

 目を伏せたフリージアは、もそもそと口を動かしている。
「――すか?」
 よく聞き取れなかったアキラが耳を澄ませると、フリージアはがばっと顔を上げた。その目には、何かを決意したような強い意志が宿っている。
「一緒に来てくれますか? 私に力を貸してくださいますか?」

 アキラは即座にうなずいた。
「……当たり前だ」

 フリージアはうなずくと、右手を胸元に当てた。
「それならば、私は喜んで貴方のもとへ嫁ぎます。そのかわりに国民を――」「それは断る!」

 強いアキラの言葉に、フリージアは戸惑いつつも悲しげな表情を浮かべた。
 やはり自分の身一つでは国民を救うには足りないと思ったのだろう。

 しかし、アキラはフリージアの肩に右手を置いた。

「力は貸す。だがな、そんな風にお前を縛りたくない。俺は――」

 そう言うとゆっくりと右手を離して、人差し指をフリージアのおでこにあてた。

「おまえが好きなんだ。だからお前が俺に惚れるまで待っているさ」

 アキラの言葉をフリージアはぽーっとした表情で聞いていた。アキラは気恥ずかしくなったのかコホンと咳払いをして、フリージアの手を取って歩き始める。

「さ、さあ、俺たちも行こう。どこかで争いを止めないと際限なく広がっちまう」
 手を引かれながら、フリージアはうれしそうに、
「はい!」
と返事をしてついていった。

 この日、マナス王国西部州は魔王の支配下に入ったのだった。