01 異世界は電話とともに

 ――――ルルルル、ルルルル。
 電話の音に、俺は手にしていたビールをテーブルに置き、テレビの天気予報の音量をおとす。ソファから立ち上がってリビングボードに向かった。

 春野純、25才独身。
 親も既に亡くなっていて、一人っ子で、彼女もいない俺に電話がかかってくることはそう多くない。仕事で何か緊急のトラブルでもあったのだろうか。

 両親とは幼い頃に交通事故で死に別れた。幸いにもそれなりのお金を遺しておいてくれたので、無事に大学まで卒業することができ、現在はとある商社に勤めている。
 会社ではまだまだ下っ端だけど、今年ようやく後輩が入ってきた。その面倒も見つつ充実した毎日をおくっているわけだが、……もしかしたら後輩がまた何かをやらかしたのかも知れない。あいつそそっかしいからな。

 電話の受話器を取ろうと手をのばして、壁のカレンダーに目が行った。
 明日は朝から屋久島へと向かう。こうしてまとまった休暇を取った際には、あちこち旅行に出かけるのが好きなんだ。彼女がいないから寂しいってわけじゃないぞ。……たぶん。

 今年の5月連休は屋久島観光の予定を立てたわけで、いよいよ昔から行ってみたかったあの縄文杉を見に行く積もりだった。
 山の中にそびえる杉の巨木。悠久の歴史と生命に満ちあふれた自然。屋久島の魅力は山ばかりでなく海にもあるが、きっと素敵な旅になるだろう。

「はい。春野です」「おめでとうございます! 貴方はめでたく当選されました!」
「……はい?」

 受話器から少女の声が飛び出してきた。どこにも応募もしていないのに当選なんて、明らかに詐欺だ。
 内心でため息をついてさっさと電話を切ろうとした。

「そういうの間に合ってますんで、結構です」

 置こうとした受話器から少女の声の続きが漏れ聞こえた。
「では早速、賞品としてご招待をいた…し……ま………す」

 その声が遠のくと共に急に目の前が霞んでいき、意識が遠くなっていった。

 ――夢を見た。懐かしい我が家。父さんと母さんがいた頃の記憶。

 玄関の前で父さんと母さんが並んで立っていて、出かける俺を見送っている。
「純。どんなに困難なことがあってもくじけるなよ!」
「そうよ。そして、愛してくれる素敵な女性と結婚しなさい」
「お父さんとお母さんは、お前の幸せを祈っているよ」

 忘却の彼方に行ってしまっていた父さんと母さんの姿と声。子供の頃に戻ったような安らぎ。
「ああ、行ってきます」と言いかけたとき、急にその光景が遠ざかっていく。
「ずっと見守っているからね――」

 ふと意識を取り戻した。
 ……どれくらいの時間が経っただろうか。ぼーっとする頭のままで天井を眺めているうちに、次第に意識がはっきりしてきた。

 見たことがない天井……。あわてて上半身を起こして周りを見回した。
 そこは自宅ではなかった。まるで、どこかの実験室を思わせるような清潔感がある白い部屋に、俺は1人、寝ころがっている。

 ここはどこだ? 俺はいったい……。夢でも見ているんだろうか。
 そう思ってほっぺたをつねると、普通に痛い。こんなところに来た記憶はないな。さっきまで自宅でビールを飲んでいたはずなんだが……。あの電話か? そういえば、招待がどうのこうのと……。

 少し混乱しそうになって、落ち着けと自分に言い聞かせて、わざとゆっくり深呼吸をくりかえす。

 あらためて室内を見渡してみた。殺風景な部屋の中に、なぜか白い事務用デスクがぽつんと置いてある。
 天井も、床も、壁も、置いてあるデスクもすべて白一色。天井は高いところにあり、蛍光灯などの照明器具はどこにも見当たらないし窓もない。それなのに部屋の中は不思議なほど明るい。
 広さは高校の教室ぐらいはあるが肝心の出入り口が見当たらない。|静謐《せいひつ》のただよう時の止まったような不思議な空間。

 なんだかこの部屋にいると、ゾンビ映画に出てくるような不穏なイメージが浮かんでくるが、すぐさま頭を振ってそのイメージを打ち消す。まさかそんなわけはないだろう。
 だが、俺はどこから入ってきたんだろう。誰かに連れてこられたにしても、どこから入ったんだ?

 唯一の手がかりになりそうなデスクに近づいてみると、そのそばに同じく真っ白なイスが置いてあるのが見えた。
 机の上には拳くらいのサイズの透き通った八角柱の石が光り輝いている。その煌めきに思わず目が吸い寄せられてしまった。

 美しい。素直にそう思った。ダイヤモンドだろうか? それにしてはサイズがでかすぎるけど。

 しばらく石を見つめていたが、見知らぬ部屋にいるのを思い出して気持ちを切り替える。
 どうやったらこの部屋から出られるのか。出入り口を探さないといけない。

「とんだ招待だな。っていうか担当者いないのかよ」
 思わず悪態をつくが、ともあれ壁づたいに部屋を一周して調べてみることにした。

 壁は乳白色のガラス質で、どうやらこの壁が外からの光を柔らかく均一にして、この部屋の中に届けているようだ。ともあれ、そのまま部屋を一周したが残念ながらどこにも扉もなければ壁のつなぎ目もない。
 言ってみれば巨大な一枚のガラスの箱のようだ。

 まさか出られない? そんな馬鹿な。……いや待てよ。デスクに何かヒントがあるのかも。

 そう思い直して再びデスクに行って引き出しを開けてみる。
 ……ない。なんにも無い。

 引き出しは空っぽだった。思わず途方に暮れて天井を仰ぎそうになる。

 なんとなくデスクの上を眺めていると、自然と例の輝く石に目が行った。少し気持ちを落ち着けようか。
 そう思ってイスに座り、ぼーっと石を観察することにした。

 きれいだな。――もしかして、こいつが何かのスイッチだったりして。

 何となくそれもありそうな気がする。そんな予感に、おずおずと手を伸ばして輝く石に触ってみた。

「うおっ!」

 石に指が触れた瞬間。光が奔流のようにあふれ出て視界が奪われる。
 思わず硬直していると、何か温かいものが胸に入ってくるような感覚とともに、再び意識が遠のいていった。

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