02 草原の目覚め

2019年7月6日

 風が頬をなでていく……。
 目を開けると視界いっぱいに雲一つない空が見えた。

 体を起こすとそこは草原の真ん中だった。

 さっきのは夢だったのだろうか。けれど、ここは……。
 屋久島じゃないよな? 飛行機に乗った記憶も無いし。

 青々とした草や土のにおいが、まるで雨上がりの日のように濃い。どこからか鳥のさえずりも聞こえる。
 混乱するままに胡座をかいてしばらく座り込んだ。

 風がすーっと通り過ぎていく。唐突に心細さが押し寄せてきて胸が苦しくなってきた。
 こんな何もない自然の中で1ぼっちだからだろうか。……いや、ちょっと違う。この感じは、昔、父と母を喪った後のようだ。あたかも心の大部分が欠けて空っぽになったような、どうしていいかわからず、ただせつなくて、寂しくて、哀しかったあの時の気持ちに似ているような……。

 そんな心細さを押さえつけて、顔を上げて周りを確認した。あれだけ屋久島の森に行くことを楽しみにしていたけれど、今は逆に人の痕跡が恋しい。
 何かないか、何か……。

 そんな俺の気持ちとはうらはらに、吸い込む空気は爽やかだった。……まだ少し肌寒くも感じる。腕時計をしていないから時間がわからないが、なんとなく朝早い時間だと思う。

「うん?」
 そういえば、今更だがルームウェアだったはずなのに、いつのまにか綿の長袖シャツとズボンに茶色い革の靴を履いている。そばには道具袋らしき袋も置いてあった。
 いつのまにこんな服を着たんだ? なんというか……、どこかの村人Aにでもなったような服だが。

 道具袋を引き寄せて中を確認してみると、水筒、大振りのナイフ、そして内ポケットに銀色のコインが何枚か入っている。
 まったく記憶にない。けれど、そばに置いてあるということは、自分に使えといっているのだろうか。

 コインを一つ取り出して手のひらに乗せてみる。見たことのない文字が彫られていた。一体どこの国の硬貨だろうか?

 まじまじと見つめていると、突然、そのコインに重なるように文字が浮かび上がった。

 ――100ディール――
 ヴァルガンド世界共通の硬貨。1枚で100ディールの価値がある。

 ……は?

「ちょっと待てよ。これはなんだ?」
 呆然として声が漏れた。今もまだ視界に文字が浮かんでいる。
 まるでゲームのアシスト・システムみたいじゃないか。まさかステータスとかもあったりして……。

――ジュン・ハルノ――
  種族:人間族 (男)
  年齢:25才  職業:異世界人  クラス:――
  称号:当選者、聖石を宿せし者、分かたれし者
  加護:創造神の祝福、武神の加護
  スキル:言語知識、自然回復、マナ変換、マナ吸収、全武技の才能、破邪の力
  ユニークスキル:ナビゲーション

 …………なんと言ったものか、言葉が出てこない。
 目の前に浮かんだ文字情報をまじまじと見つめる。

 どうやら意識を集中すると対象の情報が表示されるみたいだ。
 もしやゲームの世界に来たのか? とすると、この文字はユニークスキルのナビゲーションの効果だろう。

 あり得ない現実にしばらく呆然としていると、ずっと左手奥から何かが近づいてくるのが目に映った。

 馬車だ。誰か来る。よかった。
 ここがどこなのか、ようやく誰かに聞ける。

 ほっとしながら道具袋を手に立ち上がり、ズボンについた葉っぱを払った。
 座っていたときには草に隠れて見えなかったが、どうやら馬車は目の前を通っている街道を通っているようだ。
 街道まで出て馬車が来るのを待つことにしよう。

 遠目に見える馬車の御者台には、旅用のマントを着た黒髪の女性が座っているようだ。そして、馬車のサイドには金髪の外人男性が歩いている。
 向こうも俺を確認したみたいだ。うん? 男の腰には何か棒状のものが吊り下げられているようだ。

 だんだん馬車が近づいてくる。警戒をさせないように、俺は手を上げて近寄っていった。

「あれ?」

 その時、草むらから緑色の何かが馬車の三人に襲いかかった。
 御者台の女性に飛びかかった何かは蹴り飛ばされたが、すぐに男性に目標を変えて襲いかかっている。
 男性は……、あれは本物の剣か? 緑色の生き物を蹴り飛ばしたり、斬りかかったりしている。
 げっ。まずい。一匹がこっちへと向かってきた。

 ――ゴブリン♂――
  種族:魔物 年齢:2才

 緑の小鬼といったところか。その顔は見にくく嫌悪を覚える。
 ゴブリンということは、よくあるRPGゲームに出てくる最序盤の敵。はっきりいえば弱い雑魚の部類だが、手にはさび付いた剣を持っている。

 っと、こうしちゃいられない。
 道具袋からなけなしのナイフを取り出して鞘から抜き放った。ナイフといっても刃渡りが20センチ近くある。充分に凶器になるだろう。

 ゴブリンが剣を大きく振りかぶって斬りかかってきた。
 あわてて左にステップして避けて、走った勢いのままに無防備になったゴブリンの胸を一突きにした。

 ――軽い。
 思いのほか勢いが付いていたのか、ゴブリンが向こうに飛んでいき地面に投げ出され、そのまま動かなくなる。

 これなら俺も戦える。
 死体から流れ出ている血を見ないようにそこを走り去り、馬車へと向かった。

 御者台では女性が棒でゴブリンを打ち据えていた。だが単なる棒では牽制の役にしか立たない。
 俺は、意識を女性に集中させているゴブリンの後ろから、無我夢中でナイフで切りかかった。
 ――すぱんっ!

 妙に綺麗な音がしてゴブリンの頭がぽろっと落ちた。
 ……え。
 その光景に一瞬、息をのんだが、もう一匹のゴブリンが手にした槍で突いてきた。とっさに横によけ、槍が戻るより先にゴブリンに近寄り、最初の一匹のようにナイフを腰だめにして体当たりをする。
 ポーンと飛んでいったゴブリンは、倒れて弱々しく手を延ばした。その胸から血がほとばしり出ていて、明らかに致命傷だ。
 だが、その光景を見ないようにして、次のゴブリンに向かう。

「くっ! この!」

 2人の男性が協力して戦っているが、4匹のゴブリンに囲まれて思うようにいかないようだ。走り寄って、背後からナイフで切りつけ、ゴブリンの1匹の首をはねる。

 その光景に一瞬、怯む。
 ダメだ。今は余計な事を考えるな。ただこいつらを殺すことだけを考えろっ。
「うおおおぉ」
 俺の雄叫びに立ちすくんだ1匹を同じように切り捨てる。

 のこり2匹になった時点で、ゴブリンの注意が2人より俺に向いた。が、その隙を突いて男たちがゴブリンを袈裟切りにした。

 すべてのゴブリンを倒してほっとした瞬間。手がブルブルと震え出した。力が入らなくなり気分が悪くなってくる。
 生き物を、それもほぼ一方的に殺した感触。これはゲームじゃない。明らかに現実だ。

「助かったよ」
 2人組の片割れが剣についた血をぬぐって周りを警戒しつつ、こっちへと歩いてくる。そして、俺の様子を見て、
「ええっと、大丈夫? 何だか顔色が悪いけど。どこか咬まれた?」
と聞いてきた。そのしゃべり方に、よく顔を見ると2人とも俺よりもずっと年下なようだ。大学生くらいに見える。
「ああ、大丈夫だ」
 そう答えたものの、声が震えてしまっていた。腹に力を入れる。足下に倒れているゴブリンの服でナイフに付着した血をぬぐった。

 その時、御者台の女性が、
「また来る! さっさと逃げるよ!」
と言い馬車を動かし始める。「今はとにかく一緒に」と言われた俺は、その2人組に続いて小走りで馬車の後を追った。チラリと背後を見ると、離れた草むらの上に槍の長いシルエットが何本か突き出ている。新手だ。
 まだ距離があるうちに急いで離れなければ。走り出した馬車を、俺は必死に追いかけた。