14 水竜王の試練

 小屋の中には一つの魔方陣があるだけだった。

 水竜王はその手前で俺たちを振り返った。

 「シエラよ。魔方陣の中心に進め」

 「はい」

 シエラは魔方陣に入る前に全身の装備を確認し、背中から神竜の盾を回して腕に装備する。

 「はっ!」

と短く気合いを入れると、その神竜の盾が光を帯びて二つに分かれ両腕に装着された。

 シエラが一瞬俺と目があい、俺はうなづいた。……がんばれ、シエラ。お前なら絶対やれる。

 「ふふふ。……どうやらいい男と巡り会えたようだ」

 水竜王の小さいつぶやきが俺にだけは聞こえた。

 魔方陣の中心に立ったシエラが振り返る。

 水竜王がその前に立った。

 「……シエラよ。竜闘気ドラゴニック・バトルオーラを出せ」

 その指示を聞いたシエラの体から湯気のように金色のオーラが立ち上った。最初は少し、段々と多く、強く、激しく吹き上がる。

 水竜王がそれを微笑んで見つめながら、右手を挙げた。

 「ゆくぞ。覚悟はいいな?」

 「はい! お願いします!」

 その右手が水色に光り、魔方陣が輝きを増す。光りがどんどんと強くなりシエラを包んでいく。

 「ひとつ。アドバイスをしよう。……惑わされるな」

 魔方陣の光りが俺たちの視界をも奪う。まばゆい光りに俺たちも包まれるなか、水竜王の声が俺たちの脳裏に響いた。

――――。

 光りがおさまり、シエラが目を開くと、そこはデウマキナ山にある自宅の庭だった。

 「シエラ。何をぼうっとしてるんだい?」

 目を開くと、そこにはジュンが剣を持って立っている。

 「え?」

 「ほら。朝の鍛錬中だぞ」

 気がつくと自分の右手にはかつて使っていた片手剣を握っていた。

 いまだに混乱しているシエラの様子を見て、ジュンは剣を納めるとやれやれと肩をすくめる。

 「なんだか集中できていないみたいだし、今日はやめにしようか。……ほら。シエラ。親父さんが終わったら来いって言ってたろ?」

 「お、父さん?」

 ジュンはシエラに近寄って、顔をのぞき込む。

 「おいおい。本当に大丈夫か?」

 シエラの額に手を当てて、

 「う~ん。熱は無いみたいだな。……どこか具合でも悪いのか? 昨夜は――、コホン。まあ、そのなんだ。そんなに激しくしたつもりはないが……」

とぶつぶつ言っている。

 そこへ裏口のドアが開いて、

 「お~い! まだやってるのか?」

という声と共に、背の高い一人の竜人族の男性が出てきた。シエラの父ギリメクだ。

 ギリメクは二人を見て、

 「なんだ。こんな時間からいちゃついているのか。……まあ、いいけど、早く中に入れ」

と言って家の中に戻っていった。

 その姿を見たシエラが、

 「お父さん。……」

 ジュンが心配そうに、

 「本当に大丈夫か? ほら。ノルンたちも朝食を作って待ってるから、早く行こうぜ」

とシエラの背中を押して家の中へと入っていった。

 見慣れた自宅の廊下を通り食堂に行くと、テーブルの上に人数分のハムエッグとサラダ、そして、パンの入った篭とジャムの入った壺が並んでいる。

 「あら。遅かったわね。……シエラ?」

 振り返ったノルンがシエラを見て怪訝そうな声を上げる。

 すでにイスに座っていたヘレンやセレンもシエラを見て表情をこわばらせた。

 サクラとカレンがイスから立って、心配そうにシエラのそばまでやってくる。

 「どうしたの? シエラちゃん」「大丈夫ですか?」

 背中を押していたジュンが、シエラの前に回り込んで驚いた。

 「シエラ。泣いているのか?」

 シエラは無言で自分の目の下に手をやり、

 「あれ? なんで涙が……」

とつぶやいた。どうやら自分が涙を流していることに気がついていなかったようだ。

 ジュンがそっとその涙をハンカチで拭き取り、そっとおでこにキスをした。

 「さ。お義父さんが待ってるよ」

 「はい」

 シエラの小さな返事を聞いて、ジュンは安心したようにギリメクの隣に座った。

 シエラは残っているサクラの隣に座った。

 全員が揃ったところでギリメクがうなづくと、

 「じゃあ、朝ご飯にしよ――「バタン!」う?」

突然、玄関から竜人族の女性、――警備隊本部詰めのカリタさんだ。

 「隊長! 大変です。モンスターの襲撃です」

 それを聞いたギリメクは立ち上がるとすぐにカリタさんのところへ向かった。

 しかし、その時、カリタさんの胸から黒い槍が飛びだした。

 「がっ」

 背中から黒い槍で貫かれたカリタさんが、口から血を出す。全身から力が抜けているようだが、胸に刺さった槍に串刺しにされて倒れることができない。

 「カリタ!」

 ギリメクさんは立てかけてあった剣を抜き放ち、黒い槍を切り落として、倒れ込んだカリタさんを左手で受け止める。ジュンたちもすぐさま立ち上がって、玄関の方を中止した。

 「クフフフ」

 「この声は……。グラナダ!」

 シエラは慌てて父親を守ろうと飛びだした。しかし、それよりも早く玄関から闇が広がりシエラの視界を覆い尽くした。

――――。

 「くっ。お父さん! ジュンさん! ノルンさん! みんな!」

 闇の中でシエラが名前を叫ぶ。返ってきたのは沈黙だけだった。

 目が慣れてきたようで、闇の中でもものがうっすらと見える。

 さっきまで家の食堂にいたはずが、なぜか今はどこかの洞窟の中にいるようだ。

 もしかして一人だけ転移してしまったのだろうか。あれからみんなは?

 シエラの心に焦りが募っていったところに、倒れている何人かの人の姿が見えた。

 おそるおそる近づいて様子を確認する。

 「――う、そ、そんな!」

 一番近くに倒れているのはサクラだった。その胸には大きな穴が開いており、明らかにすでに事切れている。

 震えながらそのほほに触ると氷のように冷たくなっていた。

 「まさか……」

 慌てて他の人を確認しはじめたシエラは、ヘレン、セレン、カレン、そして、ノルンの遺体を確認した。

 残る人影は二つ。並んで倒れているのはジュンとギリメクの遺体だった。

 「う、うわああぁぁぁぁ」

 叫び声を上げて、その場にうずくまるシエラ。

 そこへどこからともなく笑い声が聞こえてきた。

 「クフフ。クフフフフ」

 しかし、シエラは力を失ってうずくまったままだ。

 「おやおや。せっかく、一人だけ見逃してあげたというのに。喜ばないんですか?」

 シエラは泣いたままで中空を見上げる。

 「……グラナダ」

 シエラがそうつぶやくと、中空の闇の中にぽっかりとグラナダの白い顔が浮かんだ。

 グラナダは愉悦に顔をゆがめ、

 「う~ん。無力ですねぇ。おわかりですか? あなたは弱い。そんな大層な盾を持ったところで、あなたには……、誰も守ることなどできないのですよ」

 シエラはうつむいたままで自分の手を見つめている。その周りをグラナダの白い顔がぐるぐると回転する。

 「愛する人を守れない。大切な仲間も守れない。無力なあなたには誰も守れない。何も守れない。クフフフフ」

 シエラの体が足下から少しずつ黒く変色していく。

 「無力なあなた。生きていても仕方がないでしょう。……塵におなりなさい」

 変色が脚から太もも、そして、腰に広がっていく……。

――――。

 俺の目の前で魔方陣が光ったと思ったら、シエラがその場にうづくまっている。

 水竜王が俺に、

 「この試練で肉体的に怪我をするようなことはない」

と説明する。つまり、この試練はシエラの心の強さを見るのだろう。

 俺は祈りながらシエラを見守る。しばらくすると、水竜王が険しい表情をして、

 「しかし、このままでは心が壊れるかもしれぬ」

 慌ててシエラを見ると、体の中に感じられた気が少しずつ弱まっていく。

 サクラが胸元の手をぎゅっと握り、

 「……シエラちゃん」

と心配そうにつぶやいた。

 その時、一瞬、俺の意識がくらっとよろめいた。その一瞬の間に、闇に包まれてうづくまるシエラの姿が見えた気がする。

 「シエラ!」

 俺は目をつぶり、さっきの一瞬のうちに見えたシエラに向かって手を伸ばす。

 祈り、瞑想に入る俺の耳に、どこか遠いところから低い低いドラムの音が聞こえる。まるで心臓の鼓動のような、熱く力強い音。

 気がつくと、俺自身が深い暗闇の中を漂っている。闇とはいっても冷たく凍らせるようなものではなく、じんわりと温まるような、まるで母親の胎内がそうであったと想像させるような闇だ。

 その温かい闇の中で、俺の胸の内から聖石の力が漏れ出した。最初はうっすらと、少しずつ光が強くなり、やがて完全に光の衣となって俺を覆う。

 そのまま、シエラを念じる。どこかにある別の闇に覆われ試練と対峙するシエラの無事を、俺は瞑想の中で祈り続けた。