プロローグ 冒険者の憩い亭にて
夜の街に静かに雨がふっている。春先の少雨。もう季節は冬からもう春に変わろうとしていた。
エストリア王国交易都市アルにある、ここ冒険者の憩い亭には、今宵も多くの冒険者たちが集まり、にぎやかに酒を飲んでいた。
2人の女性が扉を開けて中に入ってきた。
「こんばんは~」「ども」
憩い亭の娘リューンが待っていたとばかりに、「いらっしゃい!」と声を掛け、そそくさと予約席に案内する。
食堂で、さわいでいた冒険者たちが入ってきた女性たちを見て驚いていた。
「おわ! エミリーさんにマリナさんじゃないか!」
「今日はどうしたんだい?」
普段は冒険者ギルドの受付嬢をしている2人。それぞれファンクラブができるほどの人気者だ。
金髪の長い髪をふわっとさせているエミリーが、
「たまには飲みたくなるのよ」
と言うと、黒い長い髪をポニーテールにしているマリナも、
「いい? 今日はリューンちゃんと3人で女子会なんだから邪魔しないでよ?」
と人々に言いながら、案内されたテーブルについた。
冒険者たちは「おう!」「わかったぜ!」「今度一緒に飲もうぜ!」と声を掛けるが、それ以上は絡んでいかない。
みんな知っているのだ。……この2人を怒らせるとヤバイと。
普段はお店の手伝いをしているリューンだが、今日はお客として女子会に参加するらしい。
かわりにフロアで注文を取っているのは女将さんだった。
いつもは娘さんのお尻を触ろうと手を伸ばす冒険者たちも、さすがに今日はおとなしい?
「……ほお。こんな年増のお尻を触ろうとはとんだ物好きもいたものねぇ。……死ね!」
――ピキィ。
どうやら命知らずの男が1人、女将さんの手によって氷づけにされたようだ。青鬼と恐れられた元ランクA冒険者の氷結魔法は今日も健在だ。
それを横目で見ながら、エミリーたち3人は乾杯をする。
「かんぱーい」
とコップを鳴らし、ぐいっとエールをのむ3人。同時に「ぷはー」といいながらコップをテーブルに置いた。
エミリーが、
「で、リューンちゃんはもういいの?」
と尋ねる。
「ええ。告白もできなかったですけど、もう吹っ切れました」
「……そう」
「だってあの美人軍団のなかに入っていけないし、それに王家からもお声がかかるようなチームには……。あの人についていくなら、もっと強くないと無理ですよ」
そういって娘さんは苦笑いを浮かべた。エミリーもマリナもうなずいている。「確かに」
リューンは、かつてこの街を襲ったエビルトレント事件で森にさらわれたが、その時にジュンに助けられていた。目の前で魔物の大軍に囲まれながらも諦めず。傷つき、火だるまになりつつも自分と孤児院の子を守り通したジュンに、恋心を懐くのも当然といえたが、残念ながらその恋は実らなかった。
なにしろ相手の男は、次々に仲間を増やしたが、その誰もが美しい女性や少女たちだったのだ。街の冒険者たちが「ハーレム野郎」と妬み混じりに呼ぶのも仕方がないほど。
リューンが何かを思い出したように、
「あれ? そういえばエミリーさんも一時期うわさがありましたよね?」
それを聞いたエミリーとマリナは苦笑いをしながら互いの顔を見た。
「あれはね。周りの勘違いなのよ」
マリナが説明すると、娘さんが左手を軽く握って口元に当て、クククと小さく笑った。
「そうでしたか。あの頃はうちも儲けさせてもらいました。なにしろ、失恋酒だぁって言って飲みつぶれる人たちが多くって」
そういいながら飲み食いをする冒険者たちをちらりと見た。
「――るか? 東部のゴーダから流れてきているらしい」「は? あの――か? 物騒だな。あいつら――」
どうやら今宵も様々な情報交換がされているようだ。
娘さんは、ガヤガヤとおしゃべりをしている人々を見ながら、ぽつんとつぶやいた。
「……ジュンさんたちの結婚かぁ。いいなぁ」
たとえ恋が実らなくても、いつかは花嫁になりたい。リューンも、エミリーもマリナも、それは夢だった。自分たちより先にジュンたちが結婚することに、お祝いをいいたい気持ちもあるが、同時に焦る気持ちもあるのだ。
こうして受付嬢2人によるリューンの慰め会は、閉店時間までつづくのだった。