9-10 海の澱み

 水の精霊珠があるというアトランティス。

 それは例の3枚の浮き彫りに刻まれた島。一夜にして海中に没したというあの島だ。

 おそらくその島にあった水の神殿は、精霊珠をまつっていたのだろう。

 早速、アトランティスに向かって出発することにした俺たち。

 ノルンがアーケロンに、

せわしなくってごめんなさいね。……また改めて来るから、その時はゆっくりさせてね」

「ノルン様。……こうしてお会いできて私はうれしかったです。シャロンを道案内に付けますので、何でもお命じください」

 するとシャロンは驚いた表情でアーケロンにすがる。

「ちょ、ちょっと母さん。私は嫌だよ! ここにいるの!」

「ダメ! ノルン様もいるんだから、少しは外の世界を見てきなさい」

 ……う~ん。もともと捨て子だったのだから仕方ないのかもしれないけど、でももう20才は越えているはずだよな。

 ノルンがさっとシャロンのそばに行った。

「大丈夫よ。シャロン。……私たちね。あなたの案内が必要なのよ」

「う~。なら母さんも一緒がいい」

 アーケロンがシャロンをなだめる。

「……ダメよ。あなたもそろそろ親離れをする年よ。それに私はここから離れられない理由があるからね」

 シャロンが恨めしそうにアーケロンを見る。「……わかったわ」

 まあ気持ちはわからないでもない。

 うん? 例のダイオウイカも見送りに来たようだ。

 アーケロンが、

「あなたも行ってお仕えしてきなさい」

と声をかけるが、イカは動かない。

 それを見たアーケロンが、

「そう。……バカねぇ」とつぶやいた。

 俺たちはテーテュースに乗り、出航の準備を整える。

 ノルンが名残惜しそうにアーケロンを見ている。……記憶がないとはいえ、あれだけ懐かれていたのだから、当然だろう。

 そのアーケロンはシャロンに、

「いいシャロン。あなたはもう一人でも大丈夫なんだからもっと自信をもちなさい」

「で、でも……」

「いつまでも一緒にはいられないってことがわかっているでしょう。大丈夫。ノルン様もそれにミルラウスの姫もいるわよ」

「うん」

「この旅で色々とお話をしてきたらいいわよ。ね?」

 ぐずる子どもをなだめるようなアーケロンの姿には、気むずかし屋といわれていた面影はない。

 次第に注意事項が忘れ物はないかというレベルになってきたところで、苦笑しながらノルンがアーケロンに、

「アーケロン。ちゃんとシャロンを連れて戻るからね。待っててね」

 と割り込むと、恥ずかしそうに笑った。

「ははは。ノルン様。ありがとうございました。……シャロンを。よろしくお願いします」

 不安げな様子のシャロンだが、その隣にはセレンがいる。だからきっと大丈夫。

 こうして俺たちは、アトランティスを目指して出発したのだった。

――――ジュンたちが出発した後。

 テーテュースが見えなくなっても、アーケロンはしばらく去って行った方角をじいっと見つめていた。

 やがて、ダイオウイカの方に振り向いて、

「あんたも……、バカねぇ」

 ダイオウイカは心外だというように体色を変化させた。

「ふふふ。でもまあお礼を言っておくわ。……さっそく歓迎の準備をするわよ。奴らが来る前に」

 そういうアーケロンの声はどこか晴れやかだった。

――――

 浮上して海溝を抜け、俺たちは一路、アトランティスへ向かっている。

 大平原のような海底盆地をつっきり、目の前に横たわる海底山脈を通り抜けているところだ。

 眼下の山々から、時折、黒煙がモクモクと吹き出ている。

 おそらくガスが噴煙のように吹き出しているのだろう。

「海底火山地帯なのよ。このあたりは……」

 船縁で眺めていると、横にセレンがやってきた。

「ああ。あれはガスだろ?」

「そうよ。……ふふふ。やっぱりあなたは物知りね」

「そんなことはないさ」

 知っているのは地球の知識だけだ。

 セレンが指をさした。

「ほら。あそこで小噴火してマグマが吹き出ている」

 たしかに赤いマグマが吹き出て、海水とふれてすぐに黒い岩となってかたまり、さらにその岩が内側から崩れてマグマが流れ岩となる。

 不思議な力強さを感じるダイナミックな自然の営みだ。

「この濁った水もまた海の水。海流に乗って薄まり、逆に栄養となって多くの生き物を産みだしていくのよ」

 地球の知識だとそれだけでなく貴重な資源にもなっていくのだが、海の恩恵が計り知れないというのは確実だろう。

 しかし、セレンが美しい眉をひそめ、

「でもね。怨念や瘴気がまる時があるの。それがよどみとなって、そこは死の海になってしまう。……まるであそこのように」

と、進行方向の一点を指さした。

 そこは盆地になっているようだが、黒い霧のようなものに覆われていて中の様子をうかがい知ることはできない。

 その時、ちょうど、その黒い霧を突き抜けて、巨大なヒラメのような魚が飛び出してきた。不気味な灰色をして、その頭は何と二つもある。まるで遺伝子をでたらめに弄くられたような異形の魚。

 しかもその魚を追いかけるように、巨大なカニの爪が突きだしたかと思うと、その爪の間からビシッと触手が伸びてヒラメを捕まえた。

 もがくヒラメだが、触手が身体に突き刺さり、赤紫色の液体を吸い出している。

 セレンが悲しげに、

「異形と化した生き物たちよ。あの黒い霧がよどみなの。……私たちは世界各地の海をパトロールして、澱みを浄化して清浄な海へと管理する役目があるのよ」

 テーテュースが澱みのたまった盆地に近づいていく。

 セレンは、愛用のさざ波の竪琴をとりだして、ポロン、ポロンと奏で始めた。

 ゆらゆらと青い光のかけらが、竪琴から立ちのぼる。蛍のようにはかなげに揺らめき盆地に降り注いでいく。

 セレンが歌いはじめた。

 魔力を帯びた歌声が、竪琴の音と混じり合って海の中へ波紋のように広がっていく。

 みんなが甲板に出てきて、セレンの歌にじっと耳を澄ませる。

 ゆっくりと海の水が動き、盆地に流れ込んでいく。

 黒い澱みがセレンの歌によって浄化され、少しずつ消えていった。

 霧が晴れるように窪地の様子がはっきりと見えるようになっていく。

 そこには狂った生態系の恐るべき生き物たちがひしめきあっていた。

 目がいくつもあるウミヘビ。左右の足の数もばらばらな巨大なカニの群れ。不気味な緑色のイカに鉄のように真っ黒な深海魚。

 互いに貪り食らいながらもワラワラとうごめいている。

 思わず息をのみ、固まってしまう俺たち。

 みんなもワナワナと震えながら、恐怖を宿した目でおぞましい光景を見ていた。

 シャロンさんが腰が抜けたようにうずくまり、それをサクラとシエラが寄り添う。

 セレンが右手をそうっと伸ばし、

「哀れな生き物たち。……残念だけど、あなたたちを解放するわけにはいかないわ。一度、輪回の輪に戻り、再び生まれ出てきなさい」

とつぶやいた。

「……我がマナと海のマナを資糧に哀れな生命に安らかな死を。氷結地獄コキュートス

 キイーーンと盆地に漂う魔力の圧力が高まり、一瞬であらゆる生き物が凍りついた。

 次の瞬間、パキィンと音を立てて異形の氷像が砕け、塵となって砕けていく。

 哀しげな表情で見下ろすセレンに近寄って後ろから抱きしめる。

「セレン。一人で抱え込むな。……俺がいる。そして、みんなもいる」

 そっと後から回した俺の腕に、セレンの指が触れた。

「……ありがとう。愛してるわ」

 振り向いたセレンからチュッと口づけしてきた。

 ――広大な海のなかは、地球と同じように大きな海流が海を廻っている。

 海の瘴気は澱みとなって海底にたまるそうだが、普通は海流の流れに乗って流され、ゾヒテの近くを通る際に世界樹の力で浄化されるらしい。

 しかし今、海流の変化により、海に澱みが増えつつあるという。それも邪神や天災がいるからなのだろう。

 気を引き締めて、まずは水の精霊珠を取りに行こう。