9-18 アーケロンの死

――――ノルンは、セレンと一緒に傷ついたアーケロンの元へと急いだ。

 いけない! 目に光がないわ。

「エクスヒール!」

 急いで回復魔法をかける。魔法の光がアーケロンを包むとかすかにその口が動いた。

「アーケロン!」

「ノルンさ、ま……」

 良かった。

「待って、すぐに。……エクスヒール」

 再び回復魔法をかける。アーケロンはぼんやりした目で私を探しているようだ。

 ……しかし、その目に生気がない。

 なんてこと! 死の、死の気配がする。

「もう。いいのです。これ、も……さだめ」

 何度も何度も最上級回復魔法を唱え続ける。涙で、視界が、にじんできた。

「エクスヒール! エクスヒール! ――」

 しかし、いくら魔法の光がアーケロンを包んでもまったく回復する気配がない……。

 だめよ!

 心の中でそう叫ぶ。

 アーケロンは今にも力尽きそうな声で、

「瘴気……、打ちこま……。申しわけ……。要石を守ってきまし、たが、奴に」

「いいのよ。そんなこと! だから、もう休んで」

「か、要石のへ、やに、ある箱を。……あの子に」

「わかったわ! もうしゃべらないで! エクスヒール!」

「ふふふ。……さい、ごに会えて、ほんとうに、よかっ。あのころの、よ、う…………」

 ふっと力が抜けるように動かなくなるアーケロン。

 頭が真っ白になった。

「あ、アーケロン! くうぅぅぅぅ……。あーー!」

 気がつくと叫んでいた。拳を握って、何度もアーケロンの顔を叩いていた。

 お願い! 目を覚まして!

 不意にがしっと誰かが私の拳を掴まえた。振り返るとセレンが痛ましそうな目で私を見ている。

「ノルン。アーケロンはもう……」

 実は、目の前で知り合った人が死ぬのを見るのは初めてだった。胸に迫るこの思いをどうしていいのかわからない。

 ああ。セレン。……思わず抱きつくと頬に衝撃が走った。

 セレンが右手を振り抜いている。

「ダメよノルン! 悲しむのは後よ。……ジュンが、みんなが、戦っているわ!」

 ぐっと詰まる。

 その時、どす黒い瘴気の波動が駆け抜けていった。

 ……海溝の底に充満していた瘴気が減っている。この気配。フォラスだ。

 どうやらセレンの言うとおり、悲しんでいる余裕はないようだ。

 何かが、起きようとしている。

 突然、不気味な咆吼ほうこうがあちこちから聞こえ断崖のあちこちから火柱が立ち上った。

 まるで火山が連鎖的に噴火しているようだ。

 あらたに崖の一角が吹き飛び、巻き上げられた土埃が視界を遮る。

 一帯にフォラスの笑い声が響き渡る。

「ふふふ。この世界の者どもにこの姿を現すのは初めてのことだ」

 海溝の底の瘴気の澱みのなかから、次々に鱗を持った竜の姿が現れる。

 ……大きい。それにあれは、ヒドラ?

 9つの首が海溝の底に溜まったよどみを吸い込んでいく。

 その目が不気味に赤く光り、ジュンたちを見上げていた。

 神話の怪物のような迫力にセレンが絶句している。

 この存在感。かつてルーネシアの空中で戦ったムシュフシュ以上だと思う。

 ちらりと振り返って力尽きたアーケロンの顔を一瞥いちべつする。

 短いあいだのやり取りだったけれど、私と出逢ったことを泣いて喜んでいた。

 気むずかし屋なんて言われながらも、捨て子の人魚シャロンさんを育てていた。きっとシャロンさんをかつての自分と重ねてみたのだろう。

 慎ましい日常を、奴が、破壊した。

 いまだかつてない怒りが私の心の中で渦巻いている。

 ……シエラ。今なら、父を殺されたあなたの気持ちがよくわかるわ。

「真魔覚醒!」

 神力の発動。そして、いつものように光の衣が私を覆う。

 でもだめ。これではまだ足りない。フォラスを完璧に滅するのには。

 胸の前で印を結む。パティスに教わった魔力の循環法。

 これを神力に応用する。

「アーケロン。よくがんばったわ。後は、ゆっくり休みなさい。……あなたの仇。私が討つ」

 ――聖石の力よ。私に力を。

 私の祈りに応えるように、お腹の奥からかつてない力が湧いて出てくる。

「ノルン。せ、背中に……」

 セレンの声に振り向くと、背中に輝く白い翼が目に入った。

 ……驚くのも後。今は、フォラスを倒す!

 セレンの方からも精霊の力を感じる。

 彼女の胸で揺れる水精霊珠のペンダントが青く輝いていた。光は強くなっていき、彼女に宿るジュンの神力と混ざりはじめる。

「え? これって」

 とまどうセレンだったが、私にはわかる。ウンディーネの力だ。

「行くわよ! セレン!」

 私の力と呼応して巨鳥になったフェニックス・フェリシアがテーテュースから飛ぶように泳いできた。

 その背中に乗り、

(フェリシア!)

(了解です!)

(飛んで!)

 ゴウッと今までにない速度で、一気にジュンの前に飛び出した。

 ハルバードを掲げる。

円封封神セイクリッド・サークル

 円形の魔方陣がいくつも飛んでいき、巨大なヒュドラとなったフォラスの首を固定していく。

 目の前に神力で2つの魔方陣を組み上げ手を添える。

 背後からジュンが、

「アーケロンは?」

と聞いてきたが、私は振り向くことなく首を横に振る。

「……そうか」

 背後のジュンからも神力のほとばしりを感じる。

 ソウルリンクを通して、ジュンの神力が流れ込んでくる。

 太くなった魂の回廊。私の神力も彼に。

 ……まるでかつてムシュフシュと戦ったときのように、私と彼の力が共鳴をはじめた。

 ヒュドラの首の一本が私を見上げ、

「その力。ようやく8割の融合率といったところか。予想より遅いな」

と言った。

 ……融合? 奴はいったい何を言っているの?

「――まあよいだろう。まだ間に合うからな」

 そんなことより、浄化の白銀の炎よ。奴を滅ぼせ!

 魔力に神力を載せ、目の前に二つの魔方陣を浮かべ、そこに手を添える。

 その二つの魔方陣をスライドして一つに重ねる。

冷炎神雷アフームザー

 蒼く輝く冷気の光の奔流が一気にヒュドラを貫き、そのまま海中に巨大な氷柱を作り出す。奴を貫いた氷柱が激しくスパークしはじめ、やがてすうっと消えていった。

「――クククッ。8割にしてこの威力。……これが共鳴か」

 ……なに? 圧力が高まっていくようなこの感覚。

 あの口の光。ブレスが来る!

「ナイン・マイアズムブレス」

 9つの口から放たれた紫のブレスがらせんを描く。

 視界一杯に紫の光が飛び込んでくる。

「ノルン!」

 私の前にジュンが飛び込んできた。

 ここで避けると、上で戦っている海竜王とシエラや人魚たちが危ない。

 だからここで受け止めるしかない。

 ハルバードに魔力を神力を混じりあわせ、神力結界魔方陣の多重展開。そして、積層化。

 神力には限りがあるけれど、無限に近い魔力を魔方陣に流し込む。

 目の前に現れた直径200メートルはある巨大な円形魔方陣が、グルグルとダイヤルと回すように回る。

 そこへフォラスのブレスが正面からぶつかってきた。

 ぐうぅぅ。なんて圧力なの。

 手がブルブルと震える。少しでも気を抜くと奴のブレスが魔方陣に侵食してくる!

 まるで爆弾が手の中で爆発しているかのようだ。

 魔方陣を支え、暴風のようなエネルギーを力尽くで押さえ込む。

「俺も手伝おう」

 ジュンが一緒にハルバードを支えてくれる。

 彼の神力がソウルリンクだけでなく、ハルバードからも伝わってきた。

 あれだけ暴れていた圧力が、ふいっと軽くなる。

 ……ふふふ。さすがは私のパートナー。

 ジュンが力強く、

「同時に行くぞ。ノルン」

「ええ。わかったわ」

 私とジュンの神力が、キュイイイインと高い音をあげながら共鳴する。

 増幅に増幅。波紋が幾重にもかさなり、いくつもの光の輪が私たちの周りに浮かび上がる。

 その輪をよくみると何かの方程式のような複雑な術式がきらめいている。

「はああぁぁぁ」

「あああぁぁぁ」

 二人で紫のブレスを切り裂きながら突っ込む。

 ブレスを真っ正面から切り裂き、突き抜けて、そのままフォラスの胴体にハルバードを突き立てた。

 私たちの周囲をぐるっと衝撃が円形に走り抜け、奴の身体を吹き飛ばしていく。

 ジュンがハルバードから手を離しテラブレイドをなぎ払う。一振りするたびに半月状の光刃が飛んでいき、奴の首を落としていく。

「いかんっ!」

 ジュンの声がしたと思うと、私たちは抱きかかえられて離脱していた。

 どうしたの?

 そう言おうとして私は絶句した。

 首を落としたはずのフォラスの胴体から、狂ったように何本もの首がニョキニョキと生えてきたのだ。

「な、なにあれ?」

「わからん。……サクラたちの元へ戻るぞ」

 まるで生命の法則が狂ったように増殖を続けるヒドラの首。それは異様な光景だった。

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