9-8 海溝の出逢い

 現在の深度は水深2800メートル。

 システムのセンサーによれば海溝の一番深いところで水深10000メートルを超えるそうだ。

 ここから一気に7000メートルほど沈降していく計算になるが、それがどれだけ深いのか想像もつかない未知の領域だ。

 宇宙にもくらべられる海底世界。テレビを通して画像は見たことがあるものの、まさか自分がそういう世界に行くことになるとは思いもしなかった。

 なにが起きるかわからないので、全員を操縦室に集め、いよいよ潜行開始だ。

 船がゆっくりと眼下に開いた海底の大きな切れ目に入っていき、サポートシステムが水深を報告する。

「水深3000、3100、3200……、4000……」

 順調に沈降していく船。

 みんなもおしゃべりを止めて緊張しながら両サイドにずうっと続いている崖を見ている。

 その時、ヘレンが、

「あれ? なんか雪みたいのが降ってない?」

とスクリーンの上を指さした。

 よく見てみると、船の周りに雪のような白いものがただよっている。

 深海で遭遇した不思議な光景。

 サポートシステムがその正体を教えてくれた。

「解説します。マリンスノーといい微生物の死骸などが白く粒となったものです」

 へえ。マリンスノーというのか。……ただ名前ほど美しいといえるかは微妙なところだ。

 深海に降る雪と一緒にゆっくりと、テーテュースはより深くより深くへと進んでいく。

 水深6000メートル地点で、サポートシステムの奨めで潜行を止める。

 ここから先は、深くなったり浅くなったりする場所があるので、海の魔女の住居に近くなってからさらに潜るのがいいらしい。

 地形は船のセンサーで常に探っていて、今のところ何事もない。

 ……いや、ところどころの崖から、まるで火山の火口のような黒煙がモクモクと立ち上っているのを見た。

 何らかのガスだと思うが、そういうところにびっしりとカニなどの甲殻類が密集している。

 よくわからないが、これも自然の驚異なのだろう。

 少し気がたるんできたところ、サポートシステムが小さくアラームを鳴らした。

「注意。500メートル先、右側に巨大生物を感知しました。……個体名:アハティオーラ・ダイオウイカ。体長およそ80メートルです」

 は、80メートル?

 おいおい。なんだそのデカさは! この船よりでかいぞ!

 気を引き締めてスクリーンを見た時、右側の崖から巨大なイカがすうっと飛び出してきて、威嚇するようにこちらに触手を向けている。

 俺たちをエサと認識しているようだ?

 ゆらゆらとまるでタイミングを計っているようだ。

「戦闘準備。みんな、気を引き締めろ!」

 俺が呼びかけた時、ダイオウイカが襲ってきた。一息に船を飲み込もうかというように足を広げる。

「電撃ネット射出! バリア強化」

 すぐに船の周りに網状のバリアが生まれ、のばしてきたダイオウイカの触手を防ぐ。

 しかし、ダイオウイカは雷撃にも関係なく強引に力を入れる。バリアがたわんできた。

 バチバチと電撃が走っているが、さほど効き目はないようだ。

 それを見たヘレンが驚いて、「すごい力ね。……なら私の結界魔法を増幅して頂戴」と手元のパッドに手を置いた。

「我がマナを資糧に、この船を守れ。神聖結界」

 ヘレンの手が光った瞬間、イカが前方に吹き飛んだ。

 ミシッという音が聞こえて思わず腰を上げる。

「今の音は何だ?」

 すぐにサポートシステムが返答する。

「申しわけありません。増幅出力の計算に間違えて結界ごと崖にはまり込んでしまいました」

「……あ、そう」

 どうやらヘレンの魔法を増幅しすぎて超巨大な結界になってしまったようだ。

 見ると確かに左右の崖に丸いクレーターのように結界がめり込んでいて、船自体が崖と崖の間にはまり込んでしまっている。

 いやいや。どれだけ増幅したってんだ?

 すぐに、「結界解除。……魔力誘導弾マナ・ホーミングミサイル発射」と指示をする。

 スクリーン下部から魔法の弾丸が泡の筋を引きながら前方に飛んでいく。

 遠くの崖で光の爆発が幾度も起きた。

 もし余波で崖が崩れると面倒なことになるんだが、いまいちテーテュースだと攻撃兵器のコントロールが難しい。

 しかしその心配は不要だったようだ。

 サポートシステムが、

「ダイオウイカが遠ざかっていきます」

と報告する。逃げていったのだ。

 まあ逃げたなら追いかけることもないだろう。

 ほっと一安心して浮かした腰を下ろしたときだった。

 海溝の向こうから、強力な念波と怒鳴り声が聞こえてきたのだ。

「こらぁぁぁぁぁ! 私の舎弟をいじめたのはどこのどいつだぁぁぁ!」

 途端に緊張感に包まれる操縦室。

「魔力の増大を感知。魔法が来ます。障壁を張ります」

 海溝の奥の死角から、まるでマシンガンの斉射のように魔力弾が襲いかかってきた。

 テーテュースの障壁とぶつかり、激しい衝撃が伝わってくる。

 その揺れの度合いから、かなり高度な魔法使いが相手だとわかる。

 ……おそらくこれは。

「お前たちか! この私アーケロンにたてつく奴らは!」

 そう言って姿を現したのは巨大なウミガメだった。

 驚いた。まさか海の魔女がこんな大きなウミガメだったとは。

 全長は50メートルくらいか?

「貴様ら。私の舎弟をよくも!」

 そう叫んだアーケロンの周りにいくつもの魔方陣が浮かぶ。

 その魔方陣を見たノルンが、すぐにその危険性を知って指示を出した。

「まずいわ! 神力防御結界全開!」

 すぐに動力源に込めたエネルギーを使って結界が張られる。

 次の瞬間、アーケロンの周りの魔法陣から強力な七色の魔法が次々に飛んできた。

 結界にぶつかった魔法が衝撃となって船体をビリビリと振るわせ、スクリーンに幾度もノイズが走る。

 俺たちの船が結界ごと光に包まれていく……。

 ヘレンたちが驚いている。

「ちょ、ちょっとノルン。何この魔法。この船がこんなに揺れるなんて大丈夫なの!」

「大丈夫だと思う。今は神力結界を張っているから」

 ノルンはそう言うものの。俺も少し不安になる。

「でも驚いたわ。この魔法は私がパティスから教えてもらった攻撃魔法なのよ。なんで海の魔女があの魔法を……」

 ノルンがそうつぶやいた。

 魔法の攻撃が止み光が収まっていく。

 無傷な俺たちテーテュースを見て、アーケロンが驚きを露わにしていた。

「ば、ばかな。この魔法はあの方から教わった最強の魔法なのに」

 その言葉にノルンが反応する。

「あの方? まさかアーケロンはパティスを知っているの? ……外に音声をつないでくれるかしら?」

「了解しました」

 ノルンが落ち着いて、アーケロンに話しかける。

「海の魔女アーケロンと言ったわね。落ち着いてお話ししない?」

と呼びかけると、

「……いいだろう」

と了承してくれた。

それならばと、船の操作をサポートシステムに任せて俺たちは甲板に出る。

「あ、あああ! ……貴女様は!」

 外に出た俺たちの姿を見て、なぜかアーケロンがいきなり叫んだ。

 ギリギリまで船に近寄り、感極まってしゃっくり挙げるアーケロン。

 なんだ? さっきまでの態度と全然違うぞ?

 思わず呆気にとられていると、アーケロンが、

「ああ、ノルン様。お会いしとうございました。……もうお会いできないかと。うううぅ」

 ……ノルンの。知り合い?