1.路地裏の少女

 昨夜まで降っていた雨もやんで、今日は朝からきれいな青空が広がっていた。街路樹の花が生き生きとした表情で咲き、見上げると大きな虹がかかっている。

 街行く人々の顔も春の訪れを喜んでいるかのようにほころんでいた。

「だいぶお疲れのようね」

 御歳121歳となる修道院長のローレンツィーナ様から声をかけられて、俺は窓から視線を戻す。

「いやあ、他のみんなと違ってそんなに忙しいってわけじゃないんですが……」

 そう言って言葉を濁すと、あらあらと笑われて、

「彼女たちにしてみれば、一生に一度の大事な結婚式なんだから当たり前ですよ」

 まったくその通りなわけで、ここのところ、ノルンたちは、ドレス選びから何から忙しそうに動き回っていた。

 日本にいた頃なら、男の方も、職場の手続きとか色々めんどうなんだろうけど、交友関係自体が狭いこちらの世界では、随分と楽なもんだ。

 ……念のために言っておくと、向こうでも独身だったので、どれだけ忙しかったのかは妻帯者からの伝聞情報だ。悪しからず。

 とまあ、よくわからない言い訳を誰にするでもなくしていると、院長さまが、

「それで家から追い出されたってわけね」

と訳知り顔でおっしゃる。「……院長さま。それ、正解です」

 思わず苦笑いを浮かべてしまった。

 みんながああでもない、こうでもないとアタフタしているのを尻目に、のんびりリビングで寛いでいたら、「邪魔だからどっか行ってて」と言われてしまったわけだ。

「ヘレンね。そういうことを言いそうなのは」

 院長さまは笑いながらそう言った。本当にこの人はよく見ているものだ。

「そうだ。前もって聞いておきたかったんだけど、貴方のお嫁さんは随分といろいろいるじゃない。――どの作法で結婚式を進めればいいのかしら?」

「どこも一緒ってわけじゃないんですか?」

「同じ人間族だって、庶民と貴族じゃかなり違うし。……人間族、猫人族、ヘレンは魔族枠かしら? あとはハイエルフ様に、人魚のお姫様でしょ? うちは地神トリスティア様を祀っているけど、ハイエルフは世界樹信仰だし、セレンは海神セルレイオス様を信仰してるはず」

 言われてみれば院長様の言うとおりだ。種族が違うと婚礼のやり方が違う可能性は高い。ましてや信仰しているものが違うのなら尚のことだろう。

 院長さまは人差し指を立てて、

「地方によっても色々あるわよ。たとえば新婦が頭をツルツルにっちゃうとか、新郎をやじりのない矢で射るとか、参列者がみんなで新郎と新婦に生卵をぶつけるとか……」

 どんな結婚式だ、そりゃ。みんなから矢で射かけられる俺は獲物か。喜々としてやりそうなだけに、そら恐ろしい。

 このままだと際限なく脱線してしまいそうなので止めようとすると、院長さまはケロッとして、

「まあ、ヘレンからは普通のエストリアの庶民準拠で良いって言われてるけどね」

とのたもうた。

 どうやらこの人も、俺で遊んでいるようだ。

 このまま修道院にいると、どんどんやぶ蛇になりそうだ。適当な言い訳をして、修道院を出ることにしよう。

 突然来て、突然帰る俺に、院長様がニコニコと満面の笑みを浮かべているのが怖かったが、勘弁して欲しい。

 そんなわけで逃げるように修道院を出ることになったが、これからどうしようか。

 とりあえず冒険者ギルドにでも行くか。もし簡単で1人でできる依頼ならやっておいてもいいだろう。

 勝手知ったるアルの街。普通なら修道院からギルドへは通りを何本から曲がっていかなきゃいけないが、面倒なので近道を行く。

 そこの住人しか通らないような路地だけれど、治安が悪い場所でもないし、かえっていい気分転換になるだろう。

 こういう路地は表通りと違って、向かいの家とロープを通して空中に洗濯物を干すなど、生活感があって楽しい。

 道端に置かれた木箱の上では野良猫が休んでいた。

 いい気分になって曲がり角にさしかかった時、突然、飛び出してきた何かとぶつかった。

「ぐおっ」「きゃっ」

 みぞおちに決まって、思わずうめき声を上げるが、突っ込んできたのは小さな女の子だった。

 誰だ? この子。

 服装は粗末な麻の服。孤児院の子のような……。

 ――クラウディア――

  種族:人間族 (女) 年齢:7才

  職業:―― クラス:孤児

  所属:アル孤児院

  加護:トリスティアの加護

  スキル:直感、予言

 ナビゲーションが教えてくれるステータスには直感とか予言の文字が……。なんだこの子。

 しかしゆっくり考えている暇はなかった。どこからか男の声が聞こえてきた。

「いたぞっ」

 曲がり角の先から複数の男たちの声がする。女の子が慌てて俺の手を引っ張って、別の路地に飛び込んだ。

「おいっ。何があったんだ?」

「いいからこっち!」

 7才といったら小学校低学年ぐらいか。俺の話を聞いてくれない。

「待ちやがれっ」「さっさと返せっ」

 ……もしかして、

「何か盗んだのか?」「違うよ。取り返したんだよ」

 息を弾ませながらそういう女の子。名前はクラウディアというらしい。

 その時突然、少し先の家の玄関先から、1人の女性が顔を出し、「こっち!」と手招きをした。

 女の子はそのままその女性の家に飛び込んだので、俺も続いて飛び込むはめとなる。

 すぐに女性は扉を閉め、口元に、しぃっと指を当てた。

 外からは男たちが「どこだ?」「ガキめ、絶対につかまえてやる」と息巻いている声がしているが、そのまま気配を隠して潜めていると、諦めて遠ざかっていったようだ。

「ありがとう。お姉ちゃん!」

 クラウディアがお礼を言うと、女性が子供を叱るように、

「孤児院の子が、あんまりシスターを困らせちゃ駄目だよ。院長さまにも迷惑がかかるだし」

と言ったが、クラウディアはニッコリ笑うと、

「うん。お姉ちゃんも孤児院にいたんだね。――あの人たちは悪い人なんだよ」

 思わず俺は口を出してしまった。

「だからといって、彼らの手元にあるものを無理矢理取ったんなら、それは盗みになってしまう。それに力のない女の子が手を出したら危険な連中だろう。捕まったらどうなるかわかったもんじゃないぞ」

「うん。わかってる。でも大丈夫。お兄ちゃんがいるから」

 駄目だこの子、状況がわかっていない。

「一体なにを取ったん――」

 問いかけた言葉が止まってしまった。

 というのも、彼女の胸元から、緑色の体毛をした小さなリスのような生き物が頭を出していたからだ。額に宝石のようなものが埋め込まれている。

 助けてくれた女の人が驚いたように口を押さえる。

 これが何か知っているのか?

 そう思った瞬間、俺のスキルがその正体を教えてくれた。

 ――カーバンクル――

  種族:幻獣 (カーバンクル) 年齢:1才

  加護:幻獣王の加護

  契約者:クラウディア

  スキル:魔法反射

  ユニークスキル:幸運の運び手 (パッシブ)

  状態:衰弱

「か、カーバンクル!」

 そういえば少し前に聞いたことがあるぞ。珍しい動物を捕まえて貴族に売っている密猟者がいるって。

 もしかして、さっきの奴らがそうなのか。

「このままだとね。大変なことが起きちゃうの。だから、この子をちゃんとお父さんとお母さんの所にもどしてあげないといけないの。それにね。私もちゃんと帰してあげたいの」

 なんだ? 言っていることがよくわからない。――でも、この子は単なる孤児じゃないな。一体なにものなんだ?

 一度にいくつもの疑問が頭に浮かぶ。

 女の子は、あたかも自分は当たり前のことをしているというように胸を張り、俺を見上げた。

「だからお兄ちゃん。依頼です。クラウディアとこの子を、カローの森にあるこの子の親の所に連れていってください」

 ――俺は非常に面倒な事件に巻き込まれてしまったようだ。