10-1 砕け散った空

 ヒュオオォォォ――。

 吹き荒ぶ風にテーテュースの船体が微かに揺れる。耳を澄ませると、その風の音に紛れて何かの叫び声が聞こえた。

「モンスターか」

 そうつぶやいた次の瞬間、テーテュースのシステムが、

(敵性反応発見。――撃退します)

と告げてきた。

 俺の目にも見えている。稲光を伴った分厚い雲の隙間から、紫色に染まった空と、そこからこっちに向かって飛んでくる巨大な黒い鳥が。

「かあぁぁぁ」

と、何かを叫ぶように開けた口の中から緑色の光がほとばしり、ブレスとなって飛んできた。

 しかしそのブレスは、常時、テーテュースが展開している結界にはばまれて、ここまで届かない。

 船底からパシュッと音がして、このファンタジー世界に似合わないミサイルが発射され、鳥の魔物に向かって飛んでいく。

 ミサイルを見た鳥の魔物が、即座に回避するも、向きを変えたミサイルが追尾する。逃げようと飛び回る鳥の魔物に、しぶとく追いかけるミサイル。

 やがて、テーテュースの船首からパルス光線が発射され、鳥の魔物の羽根を貫いた。

 再び「かあぁぁ」と鳴く魔物。そこにミサイルが命中した。

 バリバリバリと音を立てて、魔物の身体から雷撃がスパークとなってほとばしり、そのまま海へと墜落していく。大きな水柱を立てて、海中へと沈んでいった。

 どの兵器も、セルレイオスが他の世界をのぞいて面白半分に作り出したものらしいが、この変貌した世界を行く俺たちにとってはとてもありがたい。

「――みんな。一度、操縦室に戻って」

 外部スピーカーからコントロール・ブリッジにいるヘレンの声が聞こえた。

 振り返ると、俺と同じように甲板に出ていたみんながいる。

 きらめく銀髪を風になびかせているノルン。ネコマタ忍者のサクラの頭ではネコ耳が揺れている。

 竜人族のシエラ、人魚族のセレン、ハイエルフのカレンは不安そうな目で俺を見ていた。

 世界の変貌から1ヶ月――。

 俺たちは一路、機工王国アークの南にある大火山地帯を目指していた。ここで時間を、俺たちの結婚式から2日後にさかのぼろう。

◇◇◇◇

 暦は金羊の月4月の下旬に差し掛かり、エストリア王国交易都市アルでは、木々の枝に少しずつ若葉が芽を出してきていた。

 俺たちは、カードの更新のためにギルドに向かっている。理由はもちろん結婚したわけで、「ハルノ」がみんなのファミリーネームとなったからだ。

 正式に夫婦になったからといって、表面上はそこまで関係が変わるわけでもない。ただ、安心感というか、絶対的な繋がりができたという実感があった。これが新婚って奴なんだと思う。

 通り過ぎていく店の前にある花壇に、青や黄色の花が咲いている。春を謳歌おうかするように穏やかな空気が街中にただよっていた。

 やがて通りの先にギルドの建物が見えてきた。

 朝の忙しさがひと段落しているだろう時間帯であるせいか、冒険者たちの出入りも落ち着いているようだ。

 ドアを開けて中に入ると、カウンターにいるエミリーさんが、俺たちを見て、

「おっ。新婚さんのご来場だ」

と言う。その隣のマリナさんが、

「いいなぁ。私にも幸せをおすそ分けしてくださいよ」

と笑った。

「はは、は」と苦笑いを浮かべると、ノルンが俺の脇を通り抜けて、先に2人のところに近づいていった。

「あのね。今度、うちのホームでパーティーをやるから、2人ともどう?」

 マリナさんが小さい声で確認をしている。

「メンバーは?」

「銀翼とトーマスたち、シルビア男爵令嬢もかな」

「う~ん。女性率高いわねぇ」

「そりゃあ、ある意味仕方ないというか」

 そう言って俺の方をチラリと見る。

 ノルンたちに近づけたくないんだよ。男どもを。仕方ないだろ。

 再びマリナさんの方に向きなおったノルンは、

「でもね。シルビア様がね。モフリニスト倶楽部から――――を――の予定」

 すると途端にマリナさんが一瞬だけニヘラとだらしない顔をした。貴重な瞬間だ。

 まあ、知っているけどさ。厳選した猫と犬をその時だけ借りてくる予定なんだろ? モフリニストのマリナさんなら絶対に喜んでくれるだろうさ。

「というわけで、……どう?」

「もちろん行くわ!」

 それを見ていたエミリーさんは苦笑いを浮かべた。小さくため息をついてこっちを見る。「じゃあ、私も――」

 いつも通りのありふれた日常。まだ結婚したという事実になれないのが、どこかくすぐったい。

 しかしその時、突然、頭上から何か巨大なものが降ってくるような感覚がした。重苦しい圧力のようななにかが……。

「ぐっ」

 うめき声に周りを見ると、エミリーさんたちも、そこにいた冒険者たちも、誰もが苦しそうに膝をついていた。

 無事に立っているのは俺と、ノルンたちだけ。

 これは一体――。

「ヘレン。みんなに浄化魔法を――」と言いかけたとき、ノルンが「外よ!」と叫ぶ。

「急いで!」と言うノルンの声にドアに向かって走った。

 ドアを開けて飛び出してみると、街の人々がみんな倒れ込んでいる。そして――、空が。

 なんてことだ。目に飛び込んできたのは、何の変哲もない春の青空にヒビが入っていく光景だった。

 まるで割れていくガラスのように、ところどころ、すでに欠片がパラパラとこぼれ落ち、そのまま消滅していく。

 そして、その向こうに……、紫色の空が顔をのぞかせていた。

 なんだあれは……。

 絶句した俺の隣に、みんながやってきて、同じように空を見て言葉をなくしている。

 俺たちの目の前で空はどんどん欠けていき、それに比例するように当たりに漂う空気がみるみるうちに重くなっていく。

 その時、シンさんの言葉が脳裏に蘇ってきた。

 ――2日後の昼だ。

 結婚式の時、たしかにそう言っていた。何のことかわからなかったが、それがこの異変のことだったとしたら……。

 壊れていく青空。姿を現す異界の空。

 まるでこの世界が壊れていくかのような。

 猛烈に嫌な予感がする。世界が変わった。根拠はないけれど、そんな確信がある。

 次の瞬間、カンカンカンカンと緊急警報の鐘が激しく鳴り響いた。

 地響きが伝わってくる。南側の防壁が爆発した。

「あれは――」「行きましょう!」

 ノルンに急かされて、身体強化をかけて街の南側に走る。

 防壁が近づくにつれて、感じる圧力が高まっていく。これは大型の魔物か?

 人々の叫び声と、建物を破壊する音が伝わってきた。

 うずくまっている人々も恐怖しながら、なんとか避難しようともがいていた。

 南側の防壁に辿りついたとき、そこにはかつて戦ったことのある強敵ベヒーモスがいた。

 ――なんでここに。

 ベヒーモスの足元から、正体不明の光の球体がいくつも空へと昇っている。あれはなんだろう?

「何としてもここで抑えるぞ! 騎士団よ。力を振り絞れぇ!」

 聞き覚えのある女性の声。視界の先には、必死で立ち上がっているゾディアック騎士団アクエリアス隊と、その先頭で突撃槍ランスをかかげているマリエンヌ隊長の姿があった。

「加勢するぞ!」

 腰にあるシンさんとトウマさんからもらった剣に魔力を注ぐ。身体強化のレベルを上げ、俺は一筋の矢となってアクエリアス隊に飛びかかろうとしたベヒーモスに突っ込んだ。

 魔力をまとったままで螺旋に回転しながら、漆黒の巨体に突きを放つ。

「うおおぉぉ」

 レベル5剣技。滅破連城。

 そのまま巨体を突き抜けた俺は、宙を蹴って頭上から天叢雲あめのむらくもの剣を振り下ろす。半月状の魔法刃が奴の巨体に深々と食い込んだ。

 そこへ神竜の盾・イージスモードを展開したままのシエラが突進し、奴の巨体を吹っ飛ばした。

 防壁に身体を叩きつけられたベヒーモスへ、マシンガン掃射のように放たれた魔力弾が突き刺さる。ノルンのエナジーバレット・ストロークだ。

 その間に、ヘレンたちが傷ついた人々の避難を進めている。

 爆炎に包まれたベヒーモス。しかし、その煙の向こうで紫色の光がほとばしった。

 漆黒の雷光が宙を切り裂いて周りに降り注ぐ。しかし、飛び出したサクラが印を結び、

「金気、木気を散ず!」

と唱えると、黒い雷がサクラの手前で結界に防がれ、そのまま地面に流れ込んでいった。

 突然、マリエンヌ隊長が裂帛れっぱくの気合いを放った。

「はああぁぁぁ」

 その手のランスが光り輝いている。

 マリエンヌ隊長は先ほどの俺と同じように、身体強化の魔力を爆発させて、その勢いのままにベヒーモスの体躯に穴を開け、さらに反射するかのように方向を変えて、次々に攻撃を加えていった。

 閃光となって突撃を繰り返すマリエンヌさん。そうか、いつもは剣を手にした姿しか見たことがなかったが、おそらくあれが本来の武器なのだろう。

 突撃の衝撃にベヒーモスの巨体が右に、左にと揺れる。

 ……しかし、まだ足りない。あれではまだ倒せない。

 突然ベヒーモスが吠えた。魔力が爆発し、周囲にある物ごとマリエンヌさんも爆風に吹き飛ばされる。

 まっすぐに建物の中に突っ込んで行ってしまったマリエンヌさんのもとへ、すぐさまヘレンが救援に向かうのを横目にしつつ、俺はベヒーモスを睨みつけた。

 口から光が漏れている。ブレスを吐こうというのだろう。

 あまりアルでは使いたくなかったが……。

 この身の封印を解除するしかないと思った、その時だった。突然、空から光の柱が降ってきて、ベヒーモスを包み込んだと思ったら、音も振動も無く、すっと消え去った。

 光が消え去った後には、ベヒーモスの姿形もない。

 唖然とする俺たちの目の前に、光の衣をまとい、金色に輝く髪を風になびかせ、6枚の純白の翼を広げた美しい女性の姿があった。

――翼神ウィンダリア――

 ステータス表示不可。

 創造神の眷属にして、ヴァルガンドの空を支配する。

 翼神だとっ。思わず驚きで「えっ」とつぶやいてしまう。

 この方……。結婚式の時に見た幻影の……。確かセルレイオス様と幼女と並んでいた女性、いや女神か。

 神の降臨。気がつくとノルンたち以外の人々は動きを止めている。時が止まっているのだ。

 おそるおそるノルンたちがやってくると、ウィンダリア様は、

「私は翼神ウィンダリア。――あなた達に告げます。世界は変わりました。これより来たる崩壊の時に備え、一刻も早く精霊珠を集めなさい」

 澄んだ美しい声で告げられたのは、重々しい内容だった。

「まずはアーク大陸の南にあるノーム大陸に向かいなさい。大陸の北部にある大火山地帯を目指すのです。

 火の精霊珠は火竜王ファフニルのもとにあります――」