10-6 混乱の魔族自治区

 アーク機工王国東部に広がる赤茶けた荒野。アークの王都マキナクラフティから延びている大陸横断鉄道の東の果て。

 魔族の自治区はそこにあった。南には大峡谷グレートキャニオンがある。

 人の気配がほとんど無くなった自治区の町。そこを5人の冒険者が1軒1軒の建物の中に入り、逃げ遅れた人がいないかどうかを確認している。

 もともとここは魔族の冒険者が多い。危険が迫っているにもかかわらず彼らが逃げずにこうして町にいるのも、彼らもまた魔族だからだ。

 お店の奥のスペースに入り込んだとき、不意にガタンッと音がした。

 その音を聞きとがめた男が、

「おいっ、誰かいるのか?」

と問いかけると、暗がりの向こうから猫が現れた。

「なんだ、猫か」と言いながら、「お前も早く逃げないと魔物が来るぞ」と近寄ると、その猫は恐れもせずに男を見上げる。

 まるで何かを伝えようとしているかのような様子に、男は思わず立ち止まり、注意を払った。

 その時だった。

「……あ、うう」とうめき声が聞こえた。即座に仲間に知らせる男。

「みんな! こっちだ」

 するとその猫は、さっと奥のスペースへと入っていった。その後を追う。

 商品倉庫だったらしい部屋を覗いた瞬間、男は声をあげた。「いたぞ!」

 すぐに仲間たちがやってくる。

 商品棚の間には一人の老婆が倒れていて、その傍にさっきの猫がいた。

「ばあさん大丈夫か?」

 あまり体調が良くなさそうな老婆の様子に、男は仲間の一人に負ぶわせて外に出た。

 ドオオォォォン。

 何かが壊れる音がする。

 途端に男は、

「急げ! もうやって来やがった。駅に行くぞ!」

と言い、仲間を先に行かせ、自分もその後を追う。

 音のした方からはモクモクと土煙が上っている。その煙の向こうから、影のように黒いモンスターの姿が見え隠れしていた。

 カッと閃光が走り、また建物が壊れる音がする。その音に追い立てられるように、他の通りを確認していた他の冒険者たちも、一目散に駅に向かって走り出していた。

 魔族自治区の駅では、すでに魔導列車の最終便がホームで待機している。

 すでに女と子供たちは別の列車に乗って、王都マキナクラフティに向かっていた。ここに残っているのは乗り切れなかった男たちと、警備隊、そして冒険者ギルドの関係者だけだった。

 ギルマスのアロネが走ってくる冒険者に「急げ!」と声を掛ける。 次々に帰還報告を受けながら、残りはあと1つのチームだけだった。

 ホームからは、町の上空には黒い翼竜のような魔物のが何匹も飛んでいるのが見えた。

 破裂する建物、崩れる建物の位置から、モンスターの群れも着実にここに近づいているのが感じられる。

「早く来いっ。まだかっ」

 焦りも露わに待ちつづける。すでに魔導列車はいつでも出発できるようになっている。もし間に合わなければ、非情なようだが出発を指示せねばならない。

 先に乗り込んだ人々が、窓から心配そうに外を見ている。

 と、その時、通りの一つから5人の冒険者が飛び出してきた。うち1人は老婆を背負っている。

「急げ!」

 叫んだアロネは、思わず息を呑んだ。彼らの後ろ20メートルほどのところを、すでにモンスターの第一陣が迫っている。狼タイプの足の速い奴だ。

 ――くそっ。どうする?

 その時だった。アロネの頭上を、背後から攻撃魔法が次々に通り過ぎていった。

 振り返ると、冒険者の魔法使いたちがそこにいた。いくつもの魔法を放ち続け、魔物を少しでも足止めしようとしている。

「半分は最後尾の車両に移れ! 窓から攻撃するぞ!」

「おう!」

 ギルマスの指示など受けずとも、自分たちの判断で動いていく。

 同じ冒険者としてギルマスは誇らしく思う。みんなさすがだと。

 自らも列車に乗り込み、車内の連絡用魔導具を利用して、先頭車両の運転席へ指示を出す。

「ゆっくり発車させろ!」

 そのまま今度は車内の冒険者に指示を出す。

「遠距離攻撃ができる奴は、窓から援護しろ!」

 ゆっくり動き出す列車。そして、ホームに男たちが走り込んできた。「急げ!」

 窓からは次々に魔法や放たれた矢が飛んでいく。その時、走っていた冒険者の男が一人転んだ。

 あきらめたように笑う男だったが、すぐに仲間の一人が戻ってきて、男を立たせ併走する。他の仲間達も老婆もはすでに乗車口から車内に乗り込んでいた。

 次第にスピードを上げていく列車。あと2人だ。しかし、乗車口までは間に合いそうにない。

「こっちだ! 飛びつけ!」

 一番後ろの窓から何人もの冒険者が手を延ばしていた。「おおお!」

 2人はホームから飛び込んだ。必死に伸ばした手と手が、かろうじて届いた。引っ張り上げた2人の身体が幾人もの仲間に引っ張りあげられ、そのまま車内へ引き込まれていった。

 空から小型の翼竜型魔物が列車に襲いかかってきたが、すぐさま列車から魔法が放たれて弾いていった。

 アロネは、即座に魔導具に向かって叫んだ。

「全員乗った! 全速力だ!」

 かろうじて窓からの遠距離攻撃で追撃を防いでいたが、すぐに列車の速度が上がり魔物との距離が離れていく。けれども魔物たちはあきらめずに列車を追いかけていた。

 アロネは小さくなっていく魔物たちを見て、大きく安堵するとともにこれからのことを考える。

 まるで何かに操られているかのような不気味な魔物たちだ。絶対にこれでは終わらないだろう。

 発端は闇の神殿への巡礼者からもたらされた。

 南にある大峡谷グレートキャニオンの岩壁に掘られている神殿で、そこには魔族の守護者たる闇の精霊が住んでいると伝承されている。

 魔族に危急の時があれば、あの神殿に避難する。それは過去の歴史でも幾度かあったことだったが、その神殿の入り口が崖崩れによって埋もれてしまったのだ。

 空が変貌して、まるで異界のようになってしまったことに続いての崖崩れだ。

 巡礼者がそれを発見して不安に駆られ、自治区にとって返そうとしたときに、地竜王ガイアが姿を現したという。

 ガイアは巡礼者に、ここに邪悪なモンスターの大群が押し寄せると告げた。

 あわてて巡礼者は自治区に戻って族長たちに知らせ、即座に人々の避難が始まったのだ。

 自分はギルドの長として、また族長たちの要請を受けて、幾人かの冒険者で大峡谷を監視させたところ、見たことのない魔物が大量に発生していることを発見。

 大暴走と判断してアーク機工王国にも報告し、と後は現状に至るわけだ。

 王国が住民避難のために列車を幾本も派遣してくれたお陰で、どうにかギリギリで間に合った。

 機工騎士団もすでに出動して、西方で防衛のための陣地を築いているという。とりあえずそこを通過すれば安全だろうが、まだまだ油断はできない。

 伝承にも聞いたことがない事態だ。闇の精霊がどうなっているのかも心配ではあるが、この不気味な空の変貌といい、大変なことが起きていることは間違いがない。

 思い出されるのは1年以上前のことだ。魔族自治区にアーク機工騎士団が責めてきたあの騒動。実際は何者かによって騎士団が洗脳されていたわけだが、幸いにもエストリア王国から来た冒険者たちの助力があってその洗脳は解けた。

 今回も恐らくは……。あの時の犯人。なんとかの天災と名乗っていたらしいが、そいつが暗躍している可能性があると思う。

 アロネは空を見上げた。

 この空の変貌もそいつらの仕業だとしたら、想像を絶する何かの力を持っているに違いない。そんな奴らと戦えるのだろうか。

 ……けれど、守らねばならない。自治区で暮らしていた全ての人々を。

 荒涼とした大地のはるか遠くでは、珍しく動物の群れが幾つも見えた。

 どの動物も西へと向かっていた。