8-9 逃避行
森の中にひっそりと隠れるように小さな修道院が建っている。
その裏手にある馬舎に三人の男女の姿があった。
フードを深くかぶっているのはコランダ大公領の女騎士団長メリアと大公の子息セオドア・コランダの二人。そして、もう一人は年老いた司祭の男性だ。
メリアは老司祭に、
「心から感謝する。……だが、私らと会ったことは隠しておいた方がいい。いずれ、この地を取り戻しにくる」
と言うと、老司祭は、
「いえいえ。大公様にはお世話になりました。その恩返しですよ。……さ、早く行かれよ。いつ追っ手がここにくるやもしれませぬ」
メリアはセオドアと二人乗りで馬に乗った。
ちょうどその時、空から雪がぱらぱらと降り始める。
メリアの後ろにぴったりとくっついているセオドアが、老司祭に、
「司祭様。ありがとう。どうかお元気で」
「なんの。セオドア様こそ、どうぞご無事に」
その言葉を最後に、メリアは静かに馬を進め、森の小道へと入っていった。
老司祭は、二人の姿が見えなくなると、修道院の裏口に向かう。
「む?」
扉を開けようとして、森がざわめいていることに気がついた。
老司祭が森を見上げたとき、別のところから、
「こんな所に修道院があったとはな」
と声がした。あわててそちらに振り向くと、そこには十人ほどの騎士の一団がいた。
全身が真っ黒の鎧で覆われていて、顔も見ることができない。
そのなかの一騎が近寄ってきて馬の上から老司祭を見下ろす。
「この辺りで女と少年の二人づれを見なかったか?」
老司祭はあわてることなく、
「女と少年? いいや、知りませんな」
とこたえると、騎士は、
「そうか」
と言いながら、黒い兜を取った。
「ひっ。ひぃぃ」
その下の顔を見て老司祭は腰を抜かした。
兜の下には人の顔が無かった。黒いもやが人の頭のように集まっていて、その中に二つの目が赤く光っていた。
騎士は、
「それではここを壊してから、痕跡を調べるとしよう」
と言うと、集まっていたもやが、まるで触手を伸ばすように老司祭の顔を包み、全身を覆い尽くしていく。
老司祭は、呼吸困難になったようにもがき苦しむ。
森の方から木々をへし折る音と、地響きが近づいて来て、身長15メートルもの醜悪な緑色の巨人が現れた。
巨人は手にした棍棒を無造作に修道院に叩きつける。
石が割れ、壁や天井が崩れ落ちていく。埃がもうもうと立ち上るが、完全に壊れるまで巨人は棍棒を振り下ろした。
いつのまにか騎士は再び黒い兜をしており、騎乗している馬の足下には干からびてミイラのようになった老司祭が倒れていた。
やがて気が済んだのか、巨人は再び森に戻っていき、残された騎士たちが馬から下りて修道院だった廃墟に入っていく。
しばらくして、一人の騎士が女騎士の来ていたマントを見つけた。ところどころに血がにじんでいる。
「やっぱりここにいたか。……さあ、次に行くぞ」
騎士たちは再び馬に乗り、森の林の中へと入り込んでいった。
その頃、メリアとセオドアは東に向かう街道で馬を走らせていた。
雪はまだ降っているが、まだ積もるほどではない。時折、冷たい風が吹き抜けていく。
二人で乗っているから、早めに馬を休ませてやらなければならない。本当は一人づつ乗れば良いのだろうが、セオドアはまだ一人で馬を走らせることができないのだから仕方がない。
隠れて幾度かの休憩を取り、無人になった村を通り過ぎた。争いがあったようには見えないが、人っ子一人いない。
この村に何が起きたのかわからないままに村から出て再び街道に出た。
「うっ」
思わず少年が口を押さえる。
街道沿いに骸となった村人たちがいた。槍で串刺しになり口をきかぬ死体がまるで林のように立ち並んでいる。
メリアが歯をかみしめている。
男も、女も、幼い子供も年老いた老人。数羽のカラスが死体の腐肉をついばんでいる。
「くそっ」
メリアはそういうと、馬を再び走らせた。
死体の林を抜けたところで、セオドアがメリアに馬を止めさせた。
もう堪えきれなかったのだ。
馬から下りたセオドアが、その場で胃の中のものを吐いている。
ようやく落ち着いたところで、メリアが、
「民たちの無念。必ずや果たさねばなりません。が、今は無事に帝都に、東部方面軍の砦までたどり着くのが先決です」
と言い、青白い顔の少年を無理矢理に馬に乗せ、再び街道を走らせた。
ジュンかノルンがいたならば、その背後の遠ざかっていく村の全体から瘴気が立ち上っているのが見えたであろう。
そして、その瘴気はたなびく雲のように、東部の大公の城へ向かって流れていた。
――――。
日が暮れそうになったころ、二人の前に20人ほどの盗賊が現れた。
あわてて馬を止めると、後ろも街道をふさぐように10人の盗賊が森から飛びだしてきた。
正面のリーダーと思われるヒゲ面の男が、
「けひひ。女とは丁度いい。おとなしくしてりゃぁ、怪我しなくてすむぜ」
と言うが、メリアは黙って剣を抜きはなった。
ミスリルの名剣が、メリアの魔力を帯びて光り輝く。
それを見たリーダーが、
「ちっ。騎士様か! だがこの人数ではどうしようもあるまい。……者ども、かか、れ? え?」
今まさに襲いかかろうとした時、
離れたところの森の一角が、まるで爆発したように吹き飛んだ。
そこから現れたのは、修道院を破壊した緑色の巨人だ。
「な、なんだありゃ……」
呆然とする盗賊たちだったが、巨人がこちらを見て吠えた。
「ゴアアァァァァァ!」
その叫び声が通り過ぎると、10人ほどが腰を抜かし、その他の盗賊も、リーダーの「逃げろ!」の指示を聞いて、一目散に森へと逃げ込んだ。
その隙にメリアは馬で前方の盗賊を突っ切り、巨人から逃げる。
メリアの後ろに乗っているセオドアが後ろを振り向くと、巨人の足下の森から、わらわらと黒い甲冑の騎士団と、数え切れないほどの黒い犬が飛びだしてきた。
巨人はメリアたちを見つけると、ズシンズシンと追いかけてくる。
振り回された棍棒が、いとも容易く森を吹き飛ばし、やがて逃げ込んだ盗賊たちの断末魔の悲鳴が遠くに響いた。
黒い犬がメリアたちに追いつき、馬の足に飛びかかっていく。
次の瞬間、メリアとセオドアは馬の背から落ち、地面を転がった。
馬は暴れていたが、次々に犬に襲われ、遂に横たわった。
それを見ながらもメリアはセオドアの手を引きながら走る。
しかし、遂に黒い騎士たちに周りを囲まれてしまった。
セオドアを背中にかばいながら、メリアは剣を構えて左右を油断無く見回す。
そこへ巨人の横殴りの棍棒が襲いかかった。
大質量の棍棒が地面を削りながら、黒い騎士ごと吹き飛ばそうと二人に襲いかかる。
あわててメリアがセオドアを抱えて地面に転げると、そのすぐ頭上を棍棒が通り過ぎていった。
「うわぁぁぁ」
セオドアの叫びが響く。黒い騎士も何人かが棍棒に吹き飛ばされたが、残った騎士は何ごとも無かったように二人を包囲する。
再び巨人が棍棒を振り上げた。今度は頭上から叩きつぶそうというのだろう。
メリアがセオドアの上に覆い被さり、
「無念! ここまでか」
とつぶやいた。
棍棒が振り下ろされる。
しかし、棍棒が二人をたたきつぶすより先に、巨大な火球が飛んできて巨人の胸を打った。
たたらを踏む巨人。棍棒はだいぶ離れた地面を打ち付けた。
次の瞬間、一陣の風が二人の周りを通り抜けたと思ったら、包囲していた黒い騎士たちが、次々に倒れていった。
まるで瞬間移動したように、メリアの目の前に一人の剣士が姿を現す。シンの部下のトウマだ。
トウマはメリアに振り向いて、
「さあ、向こうにいる俺の相棒の所まで行け! ここは俺が引き受ける!」
と言った。
突然のことに混乱しているメリアに、再び、
「行け!」
とトウマが活を入れると、メリアははっとしたように気を取り戻し、「すまぬ」と言いながら、セオドアを引っ張って逃げていった。
残されたトウマは目の前に立ちはだかる巨人を見上げ、口角をあげた。
「さあてと、久しぶりに少しは楽しめるかな?」
トウマの全身から魔力と闘気がオーラのように立ち上った。
――――。
武闘大会予選2日目。
すでに第一次予選のバトルロワイヤルは終わり、勝ち上がった合計40人の選手がアリーナに並んでいる。これから四人ずつのトーナメントになり、勝者5人が本戦へと駒を進める。
俺たちは聖女様の護衛として、アリーナ脇にある救護所で待機をしていた。
ちょうど野球場でチームのメンバーが待機しているプレーヤーズベンチのようなところで、かなり広く、またここからアリーナがよく見渡せる。
観客席はもう一杯だから、護衛と称しながら特等席で試合を見ることができるわけだ。
ここには聖女様と救護所の人が2人、そして、護衛の俺たちと銀翼の人たちが詰めている。金色乙女は朝早くに観客席に並ぶと言って出て行ったから、今頃はどこかで見ているのだろう。
今から、いよいよ第二次予選のトーナメントの抽選が行われるのだ。