11-7 ノルン 先史時代

 リィィィン。リィィィン――。

 澄んだ音が聞こえる。何かと共鳴するかのように、その音の振動が感じられた。
 なんだろう。嫌な音ではない。むしろ大切な何かのような……。

 すうっと意識が浮上してくると同時に、その音が遠くなっていった。かわりに、身体の感覚が少しずつ戻ってきて――。

「はっ」

 目を開けるときれいな青空が飛び込んできた。おそるおそる身体を起こすと、そこはどこかの岬に作られた石組みの円形の祭壇らしき遺跡だった。
 私は吹き抜ける風に目を細めながら周りを見回す。

 ここは……。私は何をしていたんだっけ。

 夢うつつの狭間をまどろみながら、ぼうっと正面に広がる海を見つめる。遠くで立っている波頭の白波。水平線は霞んでいた。
 穏やかな波の音が聞こえる。風がちょっと強いだろうか。どことなく隠者の島を思わせる光景。海風が郷愁を運んでくる。

 ん~。
 次第に頭がはっきりしてきて、ようやく自分がまた転移したことを覚った。

 アークから転移して、今度はどこに来てしまったのだろう。

 再び周囲を見回すと、海沿いに続いている砂浜の外側に森林地帯が広がっているのが見えた。さらにその緑の森の彼方に大きな都市が佇んでいる。
 天をつくような乳白色の巨大な尖塔。自然と調和した幻想的な未来都市のような……。もしかして、ここはヴァルガンドではない?

 そんな不吉な考えに思い至るや、急に怖くなって足元が崩れていくような感覚に襲われた。

 でもしかし、……いや。

 異世界転移なんてとても受け入れられなくて、心の中で何度も否定する。でも、それじゃ、初めて見るあの美しい都市は何なのだろう。

 やはり別の世界に飛ばされたのだろうか。認めたくはない。でも――、でも――。
 まるで暗闇に執われたかのように心が重くなる。もしここが異世界なら。私はもう、ジュンには会えない?
 そんなの耐えられない。耐えられるわけがない。

 指先が震える。
 なぜ? どうして? 浮かぶのはその言葉ばかり。孤独がじわじわと私を包み込んで、胸をしくしくと苦しめる。
 切ない。ジュンに会いたい。みんなに会いたい。
 けれど、ここにあなたはいない。みんなもいない。私は一人きり。

(マスター……)

 心配そうな念話が送られてきて、私は振り向いた。
 折れた石柱の上にフェリシアがいる。思わずその見慣れた姿をまじまじと見つめてしまった。
 ――よかった。素直にそう思う。私は一人じゃなかったんだ。

 なんでこんな事になっているんだろう。次々に異なる時代に転移して、それでいて今度はここだ。わけがわからない。
 そんな今の状況に、行き場の無い怒りが湧いてくる。

 歯をかみしめて気持ちを抑え込む。ぎゅっと握りしめた拳にぽつりと何かが落ちた。
 はっと目を見開いて拳を見る。こぼれた水滴の跡。……私、いつの間にか泣いている?

 震える拳に落ちた滴をしばし見つめ、握ったままの手で目もとをこすった。けれど一度こぼれた涙は止まらず、次から次へとあふれ出てきた。
 ムカついて、許せなくて、そして、どうしょうもなく悲しくて。
 色々な感情が渦巻いて、どうしていいのかわからない。ただただ叫びたくて――。

 その時だった。再びあの何かに共鳴するような音が聞こえた。

 リィィィン。

 ぽわりと胸が温かいことに気がつく。見下ろすと、胸もとで神竜のペンダントがほのかな光を帯びていた。
 これは一体……。

 まじまじとペンダントを見つめると、見慣れたナビゲーションの文字が宙に浮かび上がってくる。

――神竜のペンダント――
 神竜王バハムートの加護のこもったペンダント。対のペンダントと次元を越えて互いに呼び合う。瘴気を防ぎ、体力を回復し、状態異常を防ぐ。
 価格:――
 効果:浄化、自然回復、状態異常無効

 あ。

 私の目はその一部分にとまった。「対のペンダントと次元を越えて互いに呼び合う」

 周囲の音が消えた。痛いほどの静寂のなかで、その優しくほのかな光を見つめる。
 ペンダントが発動している。どういう風になっているのかわからないけれど、私にはそれがわかる。その光を見ていると、少しずつ勇気が湧いてきた。

 そうだ。
 たとえ私がどこの世界に飛ばされようと、これはジュンの持っている対のペンダントと呼び合おうとしている。
 そして向こうには神船テーテュースがある。あの船には次元航行機能、つまり世界を渡り歩く機能があったはず。

 それはつまり、海に漂うブイのように、このペンダントが目印となり、迎えに来てもらえるということ。
 いつになるかわからない。けれど、それは今の私にとっては大きな希望であることにほかならない。

 暗闇の中にもたらされた一筋の光明なのかもしれない。でも、希望は確かにここにある。
 それにそう。同じナビゲーションのスキル持ちだ。きっとジュンもこのペンダントの力に気がつくはず。存外、早く迎えに来てくれるかもしれない。

 張りつめていた気持ちが、ふっとゆるんだ。ゆっくりと息を吐いて肩の力を抜く。
 もう一度、手の平で目もとを拭う。

 そうだね。落ち込んでいる暇はない。
 きっとここでも何かを見届けないといけないのだろう。それに未知のものが多くて面白そうでもある。再会したときに、話してあげられるように色々と見て歩くのもいいかもしれない。

 強がり半分かもしれないけれど、今はそれでいい。――よし。

 ほっぺたをペチリと叩いて気合いを入れ、私は石座から地面に飛び降りた。

◇◇◇◇
 改めて周囲を見てみると、この岬は自分のいる突端部から緩やかな下り坂になっていて、そのまま片方は砂浜へ、もう一方は岩礁地帯へとつながっていた。
 どちらも陸地側には森が広がっている。かなり大きな森のようで、砂浜の背後に広がる森のさらに向こうに、先ほど見つけた幻想的ともいえる都市の姿が見える。

 砂浜ぞいに視線を移していくと、湾曲していった先に陸橋でつながっている島があり、そこに港町が見えた。
 陸橋から砂浜を突っ切るように道があるようで、森へと続いていた。おそらくあれは街道になっていて、向こうの都市につながっているのだろう。

 まずは……、あそこね。
 港町に行けば、少しは状況がわかるだろう。たとえここがヴァルガンドではない異世界だとしても。

「フェリシア。行こう」
(はい。マスター)

 海を渡ってくる風が不意に私を包み込んだ。
 身につけているローブや私の髪が風にあおられて揺れる。

 ここは空と海の狭間。私はかりそめの客にすぎない。
 根無し草のように風に乗って世界に踏み出そう。そして、この先に何が待ち受けているのかしっかりと見届けようと思う。

 岬から傾斜に随って砂浜近くまで下り、そのまま砂を踏みしめて、森と港町を結ぶ街道に出た。
 街道は砂浜の中にその部分だけ固められた土で出来ているから、おそらく魔法を利用して作られたのだろう。

 そのまま誰とも出会うことなく陸橋に差し掛かったところで、3人ほどの男の子がいるのを見つけた。
 初めて見るこっちの人は猫耳がついていた。陸橋の中程で何かを囲んで騒いでいる。言葉が通じるだろうかと思いかけて、よく考えたら私のスキルに言語理解があることを思いだした。
 ――うん。きっと大丈夫。

 そのまま陸橋を歩いて3人に近づいていくと、どうやら1匹の亀を囲んで遊んでいるようだった。

「頭出してみろよ」
「しっぽ引っ張ってやれ」
「逆さまにしてコマのように回してみる?」

 ちょうど10歳くらいの男の子のようで、亀をいじって遊んでいる。間違いなく港町の子供だろう。いじめているようにも見えるが、この年頃ではそれも仕方ないか。

 見ていて気持ちのいいものではない。それでも止めさせる義理もない。さてどうしようかと思いながら歩いて行くと、微かな思念が頭の中に伝わってきた。「――たすけて!」と。
 足が止まった。

 あの亀だ。まだ小さく幼く見えるけれど、意思のある存在だったのだ。となれば、その正体は……。
 止めさせないといけない。

 その時、私の視界に、亀のステータスが浮かび上がった。

――アーケロン――
  種族:幻獣族海亀 年齢:2才
  スキル:海魔法1

 その名前を見た瞬間、息が止まるかと思った。文字から目を離せない。

 アーケロン?

 まさか……。いやでも、本当にアーケロン?
 ちょっと待ってよ。じゃあ、ここって――ヴァルガンドなの? だってあんな建物……。それにアーケロンが2歳ということは、もしかしなくても古代王朝時代ということ?

 いや今はそれよりも止めないといけない。

「みんな、何をやっているの?」

 声をかけると、私に気がついた3人があわて足を引っ込め、亀をいじるのを止めた。
 バツが悪そうな顔をしているところを見ると、叱られるとでも思ったのだろう。

 そういうつもりはないので、そっと微笑んで、
「かわいい亀ね。どうしたの?」
と尋ねると、少し雰囲気をやわらげて安堵していた。1人が誇らしげに「おいらが捕まえたんだ」という。

 少し話を聞いてみると、釣りをしていたところ、その釣り糸に引っかかってアーケロンがつり上がったという。おおう。アーケロン、あなたって……。

 子供の亀が珍しくて遊んでいるうちに、どうやらエスカレートしてしまったらしい。
 まだ子供だから、そういうこともあるでしょう。

「その亀ね。お姉さんのお友だちなんだ。だから私が連れて行ってもいいかな?」

 その代わりと言ったらなんだけどと、お礼にアイテムボックスに仕舞っておいたお菓子をあげることにした。
 孤児院の子供にあげるためにストックしてあったクッキーだけれど、ヘレン謹製だから味は保証付き。案の定、3人とも大喜びで後で大切に食べるという。

 アーケロンを胸に抱え上げた。握りこぶしを2つ並べたくらいの甲羅の幅。
 けれども私の記憶にあるのは50メートルの巨体。

 それを思うと、子亀のアーケロンってなんだか可愛い。今もつぶらな瞳で私を見上げている。

(ありがとう)

「ふふふ。いいのよ。アーケロン。久しぶりね」
(久しぶり?)

 すかさずフェリシアから、
(ノルンさま、そのアーケロンにはわかっていないと思いますが)
とツッコミの念話が届いた。

「いいのよ。わからなくても」
 ただ、私が言いたいだけだから。

 濡れるのもかまわずアーケロンを抱きしめ、抱っこしたままで私は少年たちと別れ、港町に向かった。