10第5章 炎の記憶と暗躍する悪魔 ―機工王国アーク編―

 「……やっぱり魔王復活の企みなんてガセね」

 ノルンの前に座っているカトリーヌが、そう結論付ける。
 ギルドの中のカフェスペースだ。
 その時だ。ノルンの身体が震えた。
 突然、ソウルリンクを通して、猛烈な悲しみがノルンの体を通り抜けたのだ。……あたかも大きな何かを喪失したかのように。

 ジュン! ……一体何があったの?
 そう思って、ノルンはジュンに念話をつなごうとした時。脳裏に一つの光景が浮かび上がってきた。
 目の前で背中を大きく切り裂かれたヘレンの姿。
 「!!!」
 ノルンの目が大きく開かれ、顔色が白くなっていく。
 頭のなかが空っぽになり何も考えられない。……ヘレンが死んだ?

 「ノルン! ちょっとどうしたの? 大丈夫? ねぇ」
 急に様子の変わったノルンを見て、カトリーヌが驚いて、心配する。
 が、ノルンの返事はない。
 あわてたカトリーヌはノルンの両肩を強くつかんだ。
 「ノルン! 一体どうしたの? 何があったの?」
 はっとしたノルンが、力なくカトリーヌの顔を見上げる。
 ただただ、見開いた目から涙が止めどなく流れ続ける。
 震える唇から、数語の言葉を発するのが精一杯だ。
 「な、仲間が………死んだわ」

 それを聞いたカトリーヌははっとすると、あわててノルンを抱きしめる。あたかも大切なものが散らばっていかないように、胸にかき抱くように。 
 受付にいたアロネさんが、ノルンの異常を見て受付からこっちに来ようとした時だった。

 バアァァン!

 ギルドのドアが勢いよく開けられ、魔族の冒険者パーティーが飛び込んできた。

 「た、大変だ! アークの軍勢がこっちに来ているらしいぞ!」

 飛び込んできたパーティーは、男3人に女1人。全員が二十代から三十代ほどの冒険者だ。
 そのリーダーの言葉を聞いて、アロネさんは一瞬ビクッとするものの、冷静に対処する。
 「わかりました。一人はすぐに族長のところへ! ほかは、マスターのところへ行きます!」
 アロネさんの指示を聞いて男の一人がギルドから飛び出していく。他の三人はアロネさんと一緒に受付の奥の扉へ入っていった。

 取り残された形になったカトリーヌとノルン。
 今度は、カトリーヌが驚きの表情を見せている。
 「アークの軍勢? なぜ? 今?」
 カトリーヌに抱きしめられていたノルンは、
 「もう大丈夫よ。それよりカトリーヌさん。大変なことが起きたようね」
 そう言って、ノルンはカトリーヌと一緒に受付の奥の扉を見つめた。

 (ジュン!あなたは……大丈夫? こっちは大変なことが起きたわよ)
 ノルンは念話を飛ばしながら、突然の事態の変化に不吉な空気が立ちこめているのを感じた。

――――。
 魔族の集落の西方、50キロメートルの地点。
 そこには続々と大きなトレーラーが集結し、開かれたコンテナから続々とアークの騎士団が降りてきた。
 大量輸送用魔導車。
 大陸横断鉄道の軌道にも乗ることができ、一台に付き100人の兵士を一度に運ぶことができる。もちろん、このヴァルガンドの世界では、アーク王国のみが保有する魔道兵器である。
 車から下りた兵士たちは、すぐさま陣地を形成しはじめる。
 いくつもの天幕が作られ、五つほどの小隊が陣地から出て行く。魔族の動向を探るために。
 一番大きな天幕からは、ひときわ立派な鎧を着た男性が現れた。騎士団長ノートンだ。
 その表情にはどこかやるせない。疲れが滲んでいる。一方で、何かを心配するような目線を、ずっと東方に向けている。その口から一人の女性の名前がこぼれた。
 「カトリーヌ……。無事か」

 周りの兵士たちがあわただしく行き交うなか、ノートンのつぶやきはかき消されていく。
 アーク軍の到着。……事態は、風雲急を告げる。

――――。 
 闇の神殿では、狂死の天災ピレトが去った後、ジュンがヘレンを抱きしめ、そのまわりをサクラとシエラが寄り添っていた。
 悲しんでいる三人に、ゆっくりと二人の人影が近づいていく。

 一人はローブを着込んだ美しい銀髪の妙齢の女性。……ルーネシアの占い師ティティスだ。
 もう一人は、ゴスロリファッションに身を包んだ中学生ほどの少女。真っ赤な長い髪を頭の後ろで二つに縛り、肌は不健康なほど色白く、その目は吸血鬼のように赤い。
 ヘレンの亡骸を抱きしめながら、ジュンは近づいてくる二人を見つめる。
 「これが……、これがヘレンの運命なのか? 死ぬことが……、彼女の運命だったのか!」

 そのジュンの慟哭に、二人は無表情のままに近寄っていく。
 少女が口を開いた。
 「我は魔族の始祖にして、闇の精霊アーテル。……ジュンと言ったな。ヘレンを……、我が子孫を、ここまで愛してくれて礼を言おう。サクラとシエラにも礼をいう。ありがとう」
 アーテルの声に、サクラとシエラも顔を上げる。自分を見つめる三対の目に、アーテルは言葉を続けた。
 「今、アーク軍が攻めてきておる。そのそばには……、狂死の天災ピレトの奴もおる。奴を止めねばならん。何としても」
 アーテルの言葉が、どこか別の世界のことのようにジュンには聞こえる。現実感がないのだ。
 それはサクラとシエラも同じようだった。どこかぼんやりとアーテルの話を聞いている。
 そんな三人を見て、ルーネシアの占い師……、ティティスと呼ばれていた女性が強く語りかける。
 「あなたたち! ……しっかりしなさい! 貴方たちがそんなんでどうするの!」
 その声が俺の胸を打つ。その時、耳元で、
 「――今、行くわ」
とヘレンの声がしたような気がした。思わず腕の中のヘレンを凝視する。
 アーテルが突然、右手を挙げた。
 「ふむ。そなたにも聞こえたか? さあ、娘たちよ。悲しむのはやめじゃ! 今、ヘレンは道を選んだ! トリスティア様と私の力を合わせよう」
 突然のアーテルの言葉に、サクラとシエラがびっくりしてアーテルを見つめる。
 アーテルの周りを闇色の霧が吹き出すと、その霧がヘレンへと吸い込まれていく。
 「闇の力とは、魔力の力。そして、万物を生み出す生命の力なるぞ。……さあ、ヘレン。目覚めるが良い!」

10第5章 炎の記憶と暗躍する悪魔 ―機工王国アーク編―

 ……ここはどこだろう?
 意識がうっすらと浮かび上がるが、私の周りは真っ暗だ。……いや。目が見えていないのか?
 どうやら私は横になっているようだ。周りは街中のようで騒がしい雑踏が、いつも以上に身に迫って聞こえる。
 思わず私は寂しくなってしまった。

 「あらあら。あなたも……」

 不意に、私の頭の上から優しい女の人の声がする。よく知っている声。聞くと何故か安心をおぼえる慈愛に満ちた声。……ああ。ローレンツィーナ修道院長さまの声だ。
 懐かしい声を聞いて思わず涙が零れ落ちる。

 「はいはい。もう大丈夫よ」

 その声と共に、私の体は抱き上げられた。って、あれ?よく大人の私の体を抱き上げられたわね。もうとっくに修道院長さまの背は追い越しているはずなのに……。
 ひょっとして……、ああ。そうだ。これは私が赤ちゃんの時、修道院の入り口に捨てられていた時のことじゃないだろうか。

 「うふふ。大人しい子ね。よしよし。……それに美しい赤い髪。貴方の名前を考えなくちゃねぇ。う~ん。……ヘレン。そう。貴方はヘレンよ」

 そういって修道院長さまは、私をあやしながら建物に入っていくのがわかった。

 しばらくすると、いつのまにか私はぼんやり明るいところに座っていた。
 昼間の霧の中のように、ぼんやりと明るい。けど、前も後ろも右も左もわからない。足元も地面がない。

 やっぱり。私は死んでしまったのだろうか。……でも、ジュンを守れたのなら。……ううん。やっぱり悔しい。もっとジュンと一緒に。みんなと一緒にいたかった。

 そんなことを考えていると、私の頭上から声がする。私は声に釣られるようにその場で立ち上がった。

 「すみません。冒険者のジュンといいます。自分の加護について知りたいんですが」
 ジュンの声だ。……これは、初めてジュンに会った時のね。そういえばびっくりしたわ。まさか創造神の祝福の称号を持つ人が、本当にいたなんてね。

 「私は、ヘレン・シュタイン。僧侶よ。武器はメイス。治療魔法と回復魔法が使えるわ」

 今度は、初心者合宿の時の私の声。そうそう。結局、私もジュンも院長様の手のひらの上だったのよね。一緒のチームにって。
 うふふ。……思い出すと、なんだか楽しかったわね。それに、サクラもまさか妖怪だなんてね。

 「ねぇ。ジュンさん」
 「どうしました?」
 「私に敬語を言うのはもうやめて」
 「え?でも修道女ですから……」
 「ううん。そうじゃなくて、もう一人の冒険者だし」

 ああ。これは夜中の見張りの時のだ。……くすっ。ジュンは気づいていないと思っているでしょうけど、ちらちらと私の胸を見てたわね。まあ、僧侶服だから、扇情的なわけじゃないけど。

 「わかった。俺のチームに入ってくれ。敬語もやめる」
 「ふうぅ。よかった。なんて切り出そうって思ってたから」
 「サクラにつづいてこんなに美人なシスターといられるなら願ってもないさ」
 「そ、そう?私ってそんなに美人かしら?」
 「美人だよ。それに……スタイルも良いしね」

 まったくジュンったら、美人なんてね。ふふふ。……でもうれしかった。
 次は院長のローレンツィーナ様の声が聞こえてきた。

 「ジュンさん。ヘレンをよろしくお願いします。予言を聞いたと思いますが、この子には大きな宿命が立ちふさがっています。あなたのお力で導いてやって下さい」
 「聖女様。それはちょっと私には重すぎます。せめて、ともに歩くメンバーとして接したいと思います」
 「ふふふ。そうね。……それとこの子はまだ赤ちゃんの時に私が拾い、育て上げました。言わば娘も同然です。この私の娘をあなたに差し上げますわ。大事に扱き使ってやってください」

 「さあ、おゆきなさい。ヘレン。忘れてはだめよ。何があっても、ここがあなたの生まれ育った家。あなたのおうち。いつでも私たちは歓迎するわ」

 ああ。今度は、修道院を出るときの。院長さまの声。……すみません。院長さま。私は……、結局、運命を乗り越えることができなかったみたい。

 「ねえ。ジュン。やっぱりリビングのカーテンは緑より藍色の方がいいわよ」
 「そうか?緑も落ち着いていいとは思うけど。……っていうか、実際の現場見てからだって」

 次は私たちステラポラリスのホームになる家を下見に行ったときのことね。
 このときはノルンが気を遣ってくれて、私とジュンとが二人っきりになれるようにしてくれたのよね。
 そして、この日の夜――。
 「一年間にいろんな事があったわね」
 「ああ。修業は大変だったが楽しかったな」
 「あ、あのね。……ずっと一年間アタックしてたのよ? ……知ってると思うけど、別に複数の人と婚姻を結ぶことは認められているの。今の私みたいにフリーの修道女もね」

 「俺の第二夫人になって、ノルンと一緒に俺を支えてくれ」
 「……はい。喜んで」
 私は初めてジュンと結ばれた。
 ああ。ジュン……。もっと抱きしめて欲しかったなぁ。

 それからも走馬灯のように、今までの出来事が、みんなの声が、私に降り注ぐように聞こえてくる。
 その声を聞いていると、ジュンやみんなへの愛情がこみ上げてくる。と同時に、どうしようもない悔しさと寂しさを感じる。

 急に、私の周りの霧がすうっと晴れていく。……と、ここは……。私のよく知っている場所。私の育った修道院の大広間だわ。
 私の前には、大きな翼を広げた女神トリスティア様の像が、天窓から差し込む光に照らされて、神々しくそびえていた。
 私はその御前に進むと膝を突いて祈りを捧げる。

 「トリスティア様。今までありがとうございます。お陰様でわずかな時間ではありましたが、愛する人と一緒にいることができました……」
 そうして私は、しばらく祈りを捧げた。
 ……どれくらい時間がたっただろうか。祈りつづける私に呼びかける声が急に聞こえてきた。

 「……ヘレン・シュタイン。それが貴方の名前ね」

 私は、びっくりして立ち上がり、声のした後ろを振り向いた。
 そこには……。黒いローブを着たもう一人の私がいた。
 えっ? 私がもう一人いる?

 「えっ? 私がもう一人? ……あなたは?」

 呆然とする私の顔を見て、目の前の私が微笑んだ。

 「ああ。私はベアトリクス。……あなたの先祖の一族であり、あなたの……前世よ」

 えっ? 私の前世? うまく話が飲み込めていない私の様子を見て、ベアトリクスと名乗った女性は説明を続けてくれた。
 「我々に限らず、この大地に生きる生物は、死んだ後、トリスティア様の導きにより、他の生命へと姿を変えて生まれ変わるのよ。……今から一〇〇〇年ほど前に死んだ私は、貴方として生まれ変わったのよ」

 ベアトリクスは近くの長椅子に座って手招きをしている。ゆっくりと近づいて隣に座った。

 「貴方が私。なら、今の私は何? ここは修道院じゃないの?」
 「……ヘレン。ここは、あなたの心の中よ。魂の中っていったほうがいいかしら。私がこうして貴方に話せるのは……、貴方の魂の中って理由と、トリスティア様と闇の聖霊様のお力によるものよ」
 「トリスティア様の……。それに闇の精霊?」
 「そう。私たち魔族の守護者にして、始祖である闇の聖霊様。トリスティア様とは別に創造神様によって生み出された世界の秩序の担い手の一人よ。貴方は今は人族だけど、その祖先をずっとたどれば魔族と人族の夫婦に行き当たるわ。……言い方を変えると、私は死んだ後、ずっと後の子孫の貴方として生まれ変わったということでもあるわ」
 「なるほど」
 「ま、それは別にどうでもいいの。それよりも、貴方に伝えなくてはいけないことがあるのよ。……いや。その言い方は違うわね。……貴方は知らなくてはいけないの。一〇〇〇年前。この地で何が起こったのか。私に何があったのか。……悲劇と絶望の輪を、今度こそ断ち切るために」
 「えっ? 一〇〇〇年前? 悲劇と絶望を断ち切る?」
 「さあ、言葉はいらないわ。私の手を取りなさい。貴方の心に直接見せてあげましょう」
 そういうと、ベアトリクスは、両の手の平を上にして私に差し出した。私は、その手のひらの上に自分の手のひらを合わせる。
 と、次の瞬間、私の脳裏に様々な光景が去来する。………………これが、千年前の悲劇。

 どれくらいの時間がかかったかわからないけど、私は、ベアトリクスと手をつないだまま、涙を流しながらぼうっとしていた。

 「そんな。そんなことって……」
 私の心に怒りと悲しみが溢れだす。
 ベアトリクスは優しく私の手を下ろすと、私を抱きしめた。
 「ヘレン。私は、愛する人たちを守れなかった。……闇の聖霊様に祈って、力を得ても、結局、悲劇を止めることはできなかったの。……でもね。今、再びこの地に悲劇が起ころうとしている。一〇〇〇年前と今。時間が違うけど、同じ邪悪な存在が裏で人間も魔族も操っているのよ」
 「邪悪な存在……」
 私の脳裏には、闇の神殿の最奥で私の命を奪った人物が浮かび上がる。自然と、唇からその名前がこぼれた。
 「……狂死の天災ピレト」
 その名前を聞いた、ベアトリクスは私から離れると、強い意志を持った目で私の顔を覗きこんだ。
 「そうよ。一〇〇〇年前にアーク王国宰相として人々を操り、ソロネとエクシアをもてあそんだ張本人。この世界に災いをもたらす天災の一人。死と狂気をもたらす悪魔よ。奴を倒さなくてはならない」
 ああ。ベアトリクス。もう間に合わないの。私はもう。死んでしまったのよ。
 私は悔しさをにじませながら、ベアトリクスに告げた。
 「もう間に合わないのよ。ベアトリクス。私は、奴のデスサイズで……。死んでしまったのよ」

 ベアトリクスは私の肩を強くつかむ。
 「いいえ! 大丈夫。ここはどこ? あなたの魂の中には修道院が、トリスティア様と繋がっているのよ。それに、闇の聖霊様とも。……選びなさい。ヘレン。このまま死を迎えるか。蘇って奴を倒し、ふたたび愛する人たちと一緒に戦うのか」
 蘇る? そんなことができるのだろうか? でも、できるのなら、ジュンと……。
 私の心は決まっていた。
 「私は……、またジュンのとなりに立ちたい。みんなと一緒に戦いたいわ。ベアトリクス! さあ、どうすればいいの?」

 私の返事を聞いたベアトリクスは、にっこり笑う。
 「さすがは私ね。大丈夫。すでにトリスティア様と闇の聖霊様が貴方の決意を聞き遂げてくださったわ。……今こそ、真に貴方と私は一つになるのよ。そうすれば、貴方は真の力を取り戻す。そして、今度こそ悲劇を終わりにしましょう」
 ベアトリクスは、私の顔を両手で挟むと、ひたいとひたいを触れさせる。光が溢れだし、私の中に力が湧いてくる。
 視界が光で溢れ、何も見えなくなるなかで、ベアトリクスの声がこだまする。
 「ヘレン。貴方と一緒に私も、今度こそ」

10第5章 炎の記憶と暗躍する悪魔 ―機工王国アーク編―

 「ほっほっほっ。よくぞここまで来たもんじゃな」

 しわがれた声を出すのは大司教のラウムだ。奴が何故ここにいる?
 ……しかも、ヘレンに話しかけているようだ。犯人に決めつけられたというのに、ヘレンは存外、冷静に対面しているようだ。残念ながらここからはよく見えない。

 「貴方の狙いは何? なぜ私を犯人に決めつけるのかしら?」
 ヘレンの声だ。しかし、ラウムは急におかしそうに笑い出した。
 「なんじゃ、まだわからんかったか? そうじゃのう。教えてやっても良いか……。なぁに、簡単なことじゃよ。一つには魔族とアークとの間に再び戦争を起こすためじゃな。そなたたちがすんなりとアークを脱出してここまでこれたのは、そうなるように警備の手をゆるめたからじゃよ」
 「……くっ」

 ヘレンの怒りを抑えた声がする。きっと拳も握って震えているに違いない。その様子を見たのだろう。ラウムは肩を揺らしてより一層楽しそうだ。
 ……この下衆野郎。
 自然と腰にぶら下げた剣に手が伸びる。が、その俺の手をサクラがそっと抑えた。
 (マスター。まだ駄目です。)
 サクラからの念話に、俺はどうにか気持ちを抑える。
 だがラウムは驚くべき告白を続けた。

 「それにじゃ。お前が連続殺人事件の犯人じゃないことは、わしはようく知っておる。……なぜならばな。儂が犯人だからじゃよ。ほっほっほっ。都合よく、真紅の髪をしたお主が現れおったからの。これも天の配剤ってやつじゃな。感謝するぞい」

 その告白を聞いて、サクラの制止を振りきって飛び出していた。
 「この野郎。貴様が犯人か! 貴様のせいでヘレンは!」
 そういいざま、鞘のままに剣をラウムの背後から振りかざす。……しかし、俺の攻撃をラウムはひょいっと交わした。そして、そのまま距離を取る。
 「ほっほっほっ。そんな攻撃じゃ、わしにはきかんわい」

 飛び出した俺のところに、あわててサクラとシエラがやってくる。それを見たヘレンが驚いている。
 「ジュン! あなた! ……それにサクラとシエラも!」
 ヘレンと占い師を守るようにラウムと対峙し、背中越しにヘレンに、
 「ヘレン。お前にも言っておきたいことがあるが、それは後だ。それよりもこいつを捕まえるぞ」
 そういって、俺たち三人はラウムを包囲した。出入口は俺たちの後ろにあるのみ。

 「ふむぅ。そなたも律儀じゃのう。わざわざ追いかけてくるとは、さすがはハーレムの主といったところか」
 ラウムは髭をいじりながら、あざけるように俺に話しかける。随分と余裕をぶっこいてるじゃないか。
 「そんなことより自分の心配をするんだな。サクラ! シエラ! いく……」
 ラウムを取り押さえようとした、その時、ラウムが右手を上げると、俺たちの体が急に重くなった。
 「ぐっ。……こいつ。重力を操作しやがったな」
 「ま、マスター。体が重いです」「ジュンさん」
 あわてる俺たちをラウムは笑って見据える。

 「あわてるでないわ。もうひとつ。面白いことを教えてやろうか。……本当の大司教はの。そこで死んでおるわ。お陰でこの地の封印を解くことができたぞ。ほっほっほっ」
 ラウムがおしゃべりをしている間に、重力の権能を慎重に行使する。ぶっつけ本番となるとは、少しは練習しておくべきだった。
 しかし、俺たちにかかる圧力が減るより先に、ラウムの右手に闇が集まっていき、一本の大きな鎌へと変わった。漆黒の鎌。
 「さあての。そろそろアーク軍もやってくる頃じゃろう。この確実な死を与えるデスサイズで楽にしてやろう。……安心するがいい。そこの女どもも一緒に殺してやるから寂しくはないじゃろう。ほっほっ」

 そういって、ラウムはゆっくりと近づいてくる。その時、ヘレンが結界を張る。
 「ホーリーフィールド!」
 俺たちを包む光の結界が、ラウムの重力を和らげる。……まさか結界で重力魔法を防げるとは。ってそんな分析をしている余裕はない。
 ラウムはほんの僅かに目を見開いた。今だ!
 その隙をついて、俺は剣でラウムに斬りかかった。
 ガキィィィィ。
 澄んだ音がする。何かの金属片が回転しながら飛んでいく。俺の剣の半ばから奴のデスサイズによって切り飛ばされていた。まさか、ミスリルソードが!
 一瞬の俺の気のゆるみ。
 奴はそれを見逃すほど甘くはなかった。
 奴の振り上げたデスサイズが、俺の目の前で不気味な光を放つ。
 「ジュン!」「マスター!!!」
 サクラとシエラの叫び声がする。
 何もかもがゆっくりになった視界の中で、奴のデスサイズが振り下ろされる。
 黒い閃光に俺の目は閉ざされ、衝撃と共に俺の体は後ろにふっ飛ばされた。

 致死の武器デスサイズ。俺の人生はここまでなのか。
 すまん。みんな。

 一瞬の後、俺の体は床に激突した。衝撃で一瞬息ができなくなる。が、俺の体は無事だった。……俺の腰にヘレンが抱きついている。
 「ヘレン!」
 そのヘレンの背中は切り裂かれ、赤い血がドクドクと流れ出していた。
 「……ジュン。ああ、良かった。無事だったのね」
 「ヘレン!しゃべるな!」
 俺はあわててヘレンを抱きかかえる。が、ヘレンの体からどんどんと力が抜けていく。
 俺とヘレンを守るようにシエラが前に立ちふさがる。サクラがヘレンのそばにひざまずいて、
 「ヒール! ヒール! ヒール!」と連続で回復魔法を唱えた。その都度、ヘレンの傷がふさがっていく。
 しかし、ヘレンの意識は朦朧としてきたようだ。体温もどんどん失われていく。俺は、ヘレンを強く抱きしめる。くそっ。死ぬな! ヘレン!
 ヘレンは俺の顔を見上げ、ゆっくりをキスをする。そのキスには死の匂いがする。ヘレンが死んでしまう!
 そんな俺たちを、ラウムはニヤニヤしながら見ていた。
 「ほっほっほっ。無駄じゃよ。このデスサイズの一撃を受けた以上、死は免れぬよ。……美しいのう。花が散ろうとする瞬間は実に美しい。……一〇〇〇年前の爆炎の魔王だとかいう小娘も良かったが、お主の最後も実に美しいわい。さすが儂じゃの。……さあ、この狂死の天災ピレト様をもっと楽しませるのじゃ」
 しかし、奴の声は、俺には耳に入らなかった。どんどん生気の失われていくヘレン。俺にはただ強く抱きしめるしかできない。いつのまにか頬から涙が流れていた。
 「ジュン……。わたし。あなたにあえて良かった。短いあいだ、だったけど。これが、私の、運命、だった、の、よ」
 「そんなことをいうな! ヘレン。俺たちはまだまだこれからじゃないか! みんなで暮らして、子供も産んで、幸せになっていくんだろう! 諦めるな。気をしっかり持て!」
 「ああ。ここまでよ。ジュン。あいして……る……わ」

 ヘレンの体は、糸が切れたように力を失った。ヘレンは……、穏やかな顔をして、夢を見ているように目を閉じていた。
 ……くっ。
 「へ、ヘレェェェェン!」
 俺は、叫び声をあげて、ヘレンの頭を抱きかかえる。涙が、声が、ほとばしる。
 その時。急に周りに黒い霧が立ちこめた。黒い霧は、俺たちの周りを取り囲む。
 ラウムの姿も霧に包まれ消えていった。

 「むぅ。結界がとけてしまったか? まぁ、よいわ! 今頃、精霊ごときがのこのこ出てきたところで何もできまい。ほっほっほっ」

10第5章 炎の記憶と暗躍する悪魔 ―機工王国アーク編―

 闇の神殿は、再び狭くなった谷間を抜けたところにあった。グレートキャニオンの岸壁に刻まれた磨崖の神殿だった。地球のペトラ教のバラの神殿のように、光を浴びて入り口の柱が輝いている。

 入り口のそばに数匹の馬のいる柵があった。俺はそのそばに馬をつなぎ、水と飼葉を与えて休ませると、自分たちも装備を確認しつつ小休憩を取った。

 「マスター。さっきの黒剣を使われるんですか?」
 二本の剣を腰に下げている俺に、サクラが聞いてくる。
 正直言って迷っているんだよ。いきたり使い慣れていない剣に頼るのもなぁ。
 苦笑いしながら、
 「使い慣れていない剣をいきなり使うわけにも行かないだろ?」
 「そうですね。……こういう時にノルンさんがいると、アイテムボックスで簡単なんですけどねぇ」
 「ははは。サクラのいうとおりだ。……だが、仕方ない。サブウェポンとして腰に下げておくよ」
 そういって俺は入り口に向かった。
 神殿だからそれほど危険はないと思うが……、念のため、サクラ、シエラ、俺の順番で中に入る。これなら即座に対応ができるだろう。

 重厚な柱と柱の間を通って入り口をくぐる。思ったほど中は暗くないようだ。魔道具かもしれないが、どこからか明かりが漏れてきて内部をうっすらと照らしている。
 最初の部屋でいきなり、倒れている人を見つけた。灰色のローブを着た男性のようだ。
 サクラが慎重に近寄って、男性を調べる。
 「マスター。命に別状は無いですが、意識不明ですね。外傷も見当たりません。魔法かも知れません」
 シエラが男性のローブを手にとって、
 「これは儀式用のローブみたいですね」
 シエラの指摘に周辺を警戒しながら、ローブを調べてみた。。

――儀式用のローブ――。
 闇の精霊アーテルに使える神官の制服。特別な材質というわけではないが、それなりに高価。闇精霊アーテルの加護がかかっている。

 やや厚めの灰色の布地に、よく見ると銀色の糸で細かい模様が縫われている。確かに、普段使いのものじゃないし、儀式用としても高位の聖職者を思わせる。
 「ここの神官か。しかし、この人が倒れているということは……、何かがあったとみてまちぎないな」
 男性の様子を確認しながら、俺はつぶやいた。サクラもシエラもいきなりの状況の変化に、否応なく気を引き締めざるを得なくなっている。どうやら闇の神殿自体に何か異変、それも高確率で誰かの襲撃が生じているようだ。
 それが侵入者か、魔物か、それ以外のなにかかはわからない。

 その時、ノルンから念話が入った。

 (ジュン、今いい?)
 (いいぞ。そっちはどうだ)
 (あれから、ギルドのアロネさんと、カトリーヌさんと一緒に族長さんに会ったわ。普通の田舎の村長っといった感じね。代々つづく族長の家柄みたいで、一〇〇〇年前の大戦時の日記なんかも、きちんと保管しているみたいよ)
 (へぇ。一〇〇〇年前のものが残っているってすごいな。魔王復活にかかわりありそうなことは?)
 (日記には、クロノに見せてもらった真実に近いことが書いてあったわ。それにどうやら今の族長さんの家柄は、ベアトリクスにとどめを刺した魔族の子孫みたい。アーク王国によって
族長の地位に据えられ、その立場を利用して大戦に参加した魔族も保護して、ミスリル鉱山は奪い取られたものの、魔族自体は守り通したみたいね)
 (……なるほどな。ベアトリクスを裏切ってアーク側についたのは、魔族全体を守るだったのかもしれないな)
 (そうね。で、今の魔族の状況だけど、確かに若い魔族がアークから独立しようっていうグループがあるみたいだけど、やはり、魔王復活なんて絵空事えそらごとを考えている人はいないだろうって)
 (ま、普通はそうだよな。魔王復活の手段もそうだし、目的も見えないんだよな)
 (いくら強い魔力を持ち、様々な魔法を使ってきた魔族でも、死んだ者を復活させる魔法の伝承はないって。……はっきりいって与太話に過ぎないわね)
 (そっちの状況は了解したよ。……こっちは、今、闇の神殿に入ったところだ。ただな。いきなり神官らしき男性が意識不明で倒れていた。外傷は無し、原因は不明。魔法によるものかもしれない)
 ソウルリンクの向こうにいるノルンが、はっと息を飲んだように感じる。
 (……ジュン。気をつけてよ)
 (わかってるさ。何かあったことは間違いない。慎重に行くよ)

 どうやらノルンの調査の方は順調のようだ。念話が終わるのを待っていたサクラとシエラに、ノルンたちの現状を伝え、神殿奥の廊下を進むことにした。

 魔族の人々の信仰を集める神殿なので、迷宮のような罠はないようだ。岸壁を繰り抜いた廊下を進むと途中でいくつかの部屋があった。一部屋ずつ確認したが、特段気になるものもない。談話室、食堂、事務室、図書室、神官たちの寝室などだ。人の姿は、遺体も含めて見当たらない。

 そうして廊下を進むと、かなり広い部屋に到着した。……ここは、人々が祈祷するところだろう。前方中央に、大きな丸いリングをかたどったシンボリックなオブジェがある。きっとあれに向かって祈るんだろう。
 それにこの部屋はどこかで見たことがある気が……。
 考えこんでいると、サクラが、
 「マスター。ここは魔族の人たちが避難していたところじゃないですか?」
 あ、そうか。確かに避難所だった空間に広さが似ている。魔族の避難所としての機能はここで果たすのだろうか。
 今は広間には長椅子が並んでいるので死角が多い。俺たちは、分かれてゆっくりと異変がないかを確かめた。

 「別に変わったところはないな」 
 「そうですね」「異常なしです」
 特段の変わったところも何もない。というか、掃除が行き届いて綺麗なもんだ。

 とすると問題はこれからだな。
 俺は、ふたたびナビゲーションでヘレンの居場所を探る。
 ナビゲーションの表示が視界に現れた。どうやら祭壇の左手に見えるドアの奥にいるようだ。 俺の記憶が確かなら、その方向は一〇〇〇年前にベアトリクスが進んでいった通路だ。
 「向こうのようだ。みんな行くぞ」
 言葉少なく俺たちは扉を開くと、そこには下に下っていく天然の洞窟になっていた。
 シエラが、
 「ここってベアトリクスさんが進んでいった通路ですよね」
と言うので、だまってうなづく。
 慎重に一〇〇〇年後の今、俺たちもベアトリクスの進んだ通路を進む。
 地下の神殿特有の湿った空気ではあったが、不思議と淀んだ感じはしない。そもそもこの神殿はいつ頃から存在するのだろうか。

 廊下は少しずつ更に地下へと下がっていく。途中に部屋もなく一本道になっている。この奥まではクロノも見せてはくれなかったが、何があるのだろうか。
 ナビゲーションの距離表示が、ヘレンまで100メートルと知らせてくれる。
 先頭を行くサクラが、小さい声で、
 「マスター。先の方に気配がします。突き当たりに部屋があるみたいです」
 「よし。ここから先は慎重に。音を立てないように。気配を殺していくぞ」
 こういう時にノルンのステルスがあると便利なのになんて考えながらも、気配を殺していくと、通路は扉もなく大きな部屋につながっていた。その入口近くまで進み、中の様子を探る。

 部屋の奥には一段高くなっていて再び円形のオブジェがあるが、それよりも目に付くのは、祭壇より手前、部屋のほぼ中央に設えられた石造りの祭壇だ。
 ……これもまたどこかで見たような気がする。その上には一人の人が寝かされている。よく見えないが、ヘレンじゃないことは確かだ。その下の祭壇にはヒビが入り、ところどころが崩れてしまっている。
 気配感知と室内の音に神経をすませると、どうやらヘレンと占い師は右手の奥にいるようだ。その前にもう一人、誰かの気配がする。

 その時、話し声が聞こえてきた。

10第5章 炎の記憶と暗躍する悪魔 ―機工王国アーク編―

 王都マキナクラフティにあるアーク王城の玉座の間。国王の前にひざまずいていた騎士団長のノートンは驚いて思わず聞き返していた。
 「恐れながら申し上げます。陛下。それはまことにございますか」
 普段ならばこのようなことはしないし、してしまったら無礼として処刑されても文句は言えないことである。なぜなら、相手は自らの仕えるべき国王のリヒャルト陛下であり、ここは玉座の間であるから。
 しかし、今ばかりはそうもいっていられなかった。

 「そうじゃ。大司教からの情報じゃ。……一〇〇〇年の時を経て、魔王信奉者どもが魔王を復活させ、魔族を率いて再び戦火を起こそうというのじゃ。ノートンよ。先手を打ち奴らの企みを阻止するのじゃ」
 「はっ」
 ノートンは王に一礼すると、脇に立つラウム大司教を見つめた。しかし、大司教は国王を止めるでもなく、ノートンに、
 「団長殿。こたびの行軍にはワシも従軍するぞ。今度こそ、忌々しい奴らを一掃するのじゃ」
と告げた。
 それを聞いてノートンは顔をしかめた。今の大司教は魔族を滅ぼすつもりだ。

 前のヘレンという女性を逮捕に向かった際から、どうもこの大司教はおかしい。まるで別人になったかのようだ。
 それにノートンは、進軍の命令があったものの、適当に魔族の状況を確認して平和的に解決すればよいだろうと考えていたのだ。それなのに大司教が従軍するとは、自分を見張るつもりであろうか。

 しかし、ノートンは疑念を露わにすることなく、
 「陛下。現在、カトリーヌが向こうに潜伏して情報を収集しております。すぐに報告させ、軍事作戦を練り、即座に出発いたします」
 ノートンは軍の編成をして時間を稼ぎつつ、副団長を帰還させて情報を検討しようと考えた。しかし、それに反対したのは国王ではなく大司教だった。ラウムは、王より先に口を挟む。
 「何をいうか! 団長殿。そなたは陛下の命令通り、すぐに進軍すればよいのだ。向こうに潜伏しているのなら好都合。そのまま軍事作戦に入ればよいではないか」
 ノートンは内心煮えるような怒りを覚え、拳を握る。大司教はどうしても今の平和な関係をぶち壊し、戦争をしたいようだ。
 しかし、国王の無情な言葉がノートンにかけられる。
 「ノートンよ。ラウム大司教のいうとおりだ。すぐに編成して、奴らを殲滅せよ」
 やむを得ない。この場でこれ以上の態度は、自らが危険になるだけでなく、より多くの血を流させることになろう。
 ノートンは即座に頭を下げ、
 「はっ。かしこまりました。編成次第、進軍いたします」
と答えた。

 その言葉を聞いて、ラウム大司教がニヤリと嗤う。
 「ほっほっ。陛下。奴らなどすぐに殲滅し、我らの神のもとに統一してみせましょうぞ」
 それを聞いてノートンは、得体の知れないものをみたかのように背筋がぞっとするのを感じた。

――――。
 そのころ、ジュンは馬上の人となり、サクラとシエラとともに、グレートキャニオンにいたる街道を走っていた。
 午後の日差しに、乾いた風。まるでアメリカ西部のモニュメントバレーのように荒野が広がっていて、遠くに不思議な台地が見える。街道の両サイドにはところどころにブッシュがあるが、赤茶けた大地が広がっている。
 ギルドの受付嬢のアロネさんにきいておいて何だが、俺のナビゲーションから計算すれば、闇の神殿までは馬で一日の距離がある。今日は途中で野宿をしなければならないだろう。
 クロノが見せてくれた一〇〇〇年前の映像のとおり、闇の神殿はいざという時の避難地にもなっているそうだ。とはいえ、魔族の聖地でもあるので、巡礼者のために、今俺たちが乗っているように、馬が貸し出されていた。
 走りながら、ノルンに念話を送る。

 (ノルン。そっちは頼むぞ。……何かが起こる気がする。注意してくれ)
 (わかってるわ。そっちもしっかりね。ヘレンを頼むわよ)
 (フェリシアも、何かあったらノルンをしっかり守ってくれ)
 (お任せ下さい。マスター・ジュン)

 ノルンのガーディアンであるフェニックス・フェリシアがいれば、よほどのことが無い限り、ノルンの身は安全だろう。しかし、今回の事件の裏に、今まで対峙してきた天災の奴らが潜んでいるような気がする。
 俺は気を引き締め、フードを深くかぶると、砂風のうずまく街道をひたすらに走り続けた。

 やがて日が陰り、徐々に暗くなっていく。一番星が輝いていた空も、いくつもの星がきらめき出している。今日は、月明かりもないようだ。
 これ以上は暗くて進めないというところで、俺たちはグレートキャニオンの入り口にたどりついた。
 ここから先の街道は谷の底に向かって、くだっていっている。ちょうどそこに休憩用の小屋があった。今は誰もいないようだが、今晩はそこで休ませてもらおう。

 今日はノルンがいないから、アイテムボックスは使えない。ある程度の食料は俺のマジックバッグに入っているが、結界道具は持って来ていなかった。
 「こういうときは、ノルンさんがいないと大変ですね」
とサクラが言いながら、小屋を中心に四神結界を張る。
 それを見ながら、俺は最初のサクラとヘレンとでチームを組んでいたことの頃を思い出していた。

 日本から不思議な部屋を経由して、ヴァルガンドにやってきてエストリア王国アルの街へたどりついた。そこで修道院でヘレンに出会い、そして、聖女ローレンツィーナとの語らい。エビルトレント事件後にスピーからサクラを託され、初心者合宿でヘレンと再会。そのまま三人でチームを組んだ。
 シンさんのもとで過ごした修業の一年間。夜はトウマさんやイトさんとともに、バカをやったり、いろいろなことを語り合った。俺のそばにはサクラと一緒に、ヘレンがいてくれたんだ。
 俺の脳裏に、アル近郊のセバン湖でヘレンから聞いた予言がよみがえる。

 ――聖女に育てられし真紅の髪の少女。人魔の戦争にて邪悪な影に殺される。
 ――創造神の祝福を持ちし黒髪の男に導かれ聖女となり、一〇〇〇年の悲しみをとめるだろう。

 ヘレンの運命を表すとされた聖女ローレンツィーナの予言。
 まさにその予言の地こそ、ここアーク王国であり、闇の神殿なのだろう。
 しかし、「邪悪な影に殺される」……。これがヘレンの運命ならば、俺は絶対に受け入れることはできない。
 守ってやる。そう誓った思いは、今も変わらずに胸の内でマグマのように熱く渦巻いているのだ。
 小屋の外に出て、闇に沈んだグレートキャニオンを眺めながら、
 「ヘレン。待っていろよ。……絶対に、俺が守る」
そうつぶやいた。

――――。
 翌朝、まだ日も昇らないうちから、俺たちは出発して谷底へと下りていった。

 サクラが両側の崖を見上げて、
 「グレートキャニオンの下ってこんな風になっているんですね」
と興味深そうにしている。

 狭いところは両側から岸壁が迫っているが、長年、その間を吹き抜けていく風によって岩が侵食され、美しい風紋を描いていた。そこに朝の光が差し込み、自然の不思議で美しい景色が開けてくる。まるでどこかの焼酎のCMに出てきそうな光景だ。
 しかし、その狭い間道を抜けると急に視界が晴れ、谷川に沿うように道が続いていく。その脇には灌木が生えており、灌木の向こうには綺麗な層を見せる岸壁がつづく。

 二時間ほど進むと、川沿いに小さな小屋が見えてきた。馬をつなぐところもあり、ちょっとした休憩所なのだろう。ちょうど馬に休憩が必要な時間だ。
 俺たちはその休憩所で馬を止めて水をやると共に、少し休憩を取ることにした。
 俺たちは軒下のベンチに座り、少しのパンと水で簡単な朝食を済ませる。
 その時、向こうの道から一人の壮年の男性が歩いてきた。巡礼の帰りなのだろうか。

 「おや。巡礼者……じゃなさそうだな。旅人なんて珍しい」
 男性は白くなってしまった髪を頭の後ろで縛り、皮の服を着込んで、その上からマントをかぶっている。年のころは五〇代といったところか。その顔に刻まれたシワが、笑顔を綺麗に見せてくれる。年齢を重ねても好奇心にあふれているような、どこかお茶目な様子で俺たちを見ている。
 巡礼者ならば挨拶をするのがマナーだろう。
 「どうも。俺たちはエストリアから来ました。ランクC冒険者のジュンです」
 「サクラです」「ドラゴニュートのシエラです」
 男は笑顔で一礼すると、
 「おお。これは失礼。私は……、そうだなガイと呼んでくれ。私も巡礼者ではないんだよ。ここから東に行ったところに住んでいてね」
と言いながら、ベンチに座る。
 なんとガイさんは、このグレートキャニオンに住んでいるそうだ。こんなところで生活などできるのだろうか。
 「ははは。こんなところで生活できるのかって顔だな。まあ、楽ではないさ。でも動物も植物もある。それに、ここは美しいんだ。朝の光も、谷間を抜ける風も。星降る夜も、月に照らされた川も。大変に美しい。私はここが好きでね」
 ……確かにそうかもしれない。さっきの谷間もきれいだったし、俺も歳を重ねたらこういうところに住みたくなるかもしれない。
 「失礼しました。確かに、ここは美しいですね。住みたくなる気持ちもわかりますよ」
 俺がいうと、ガイさんは嬉しそうに破顔した。そして、じっとシエラを見つめた。

 「えっと……、ガイさん?」
 シエラがとまどって、恐る恐るガイさんに声をかける。
 「おっと、失礼。竜人族に会うのは随分と久しぶりなものでね。……時に君の家名は何かな?」
 「リキッドです。……もしかしてご存じですか?」
 「いや、そういうわけでもないんだが、そうか。リキッド家ね。ゾヒテ大陸には行ったことがあるかい?」
 「いえ。無いですね」
 「そうか。いつか行ってみるといい」

 そんな会話をしながら、ガイさんの視線が俺のペンダントに止まる。
 「おや? ジュンくん。君のペンダントを見せてくれないかい?」
 「大切な物ですから、ちゃんと返して下さいよ」
 俺は神竜王のペンダントを外すと、ガイさんに渡した。ガイさんがペンダントを手に取った瞬間、ペンダントがうっすらと光る。それを見て、ガイさんは目を開いた。
 そして、何かを探るように少し目を細めてペンダントを見る。その視線が流れて、サクラとシエラの腕にある神竜のブレスレットを見て、さらにシエラの神竜の盾に目が止まる。
 なにか納得したような表情で、ガイさんがペンダントを返してくれた。
 「ありがとう。素晴らしいペンダントだな。不思議な力を感じるよ。大切にし給え」

 せっかくガイさんと出会えたが、俺たちも急いでいる。そろそろ出発したほうがいいな。
 俺は、サクラとシエラに合図をすると、立ち上がる。
 「ガイさん。それではそろそろ俺たちは出発します」
 目を閉じていたガイさんは、俺の声に目を開く。
 「うん。そうか。……また会うこともあるだろう。よし。これを君にやろう」
 ガイさんは、そういうと腰につけていた剣を俺に渡そうとする。って、これがないと魔物に襲われた時どうするんですか。
 「いやいや。それがないと困るでしょ。受け取れませんよ」
 「別に構わんよ。私は剣よりも魔法の方が馴染んでおってな。……それにすぐにこの剣が必要になる。さあ受け取ってくれ」
 俺は、恭しくガイさんから剣を受け取る。はじめて握る剣だというのに手にしっくりくるだ。
 鞘からゆっくり剣をぬくとその刀身は黒かった。
 「ふふふ。珍しいだろう黒い刀身の剣。銘をテラブレイドという。……さ、急ぐのだろう。行くがいい」
 テラブレイド。銘付の剣と知り、なおのこといいのかと思うが、ガイさんはさっさと行けというように手をひらひらさせている。うん。返そうとしても受け取ってくれなさそうだ。
 「ガイさん。大事にします。じゃ、またいずれ」
 「ああ。……闇の神殿に向かうのなら、馬であと一時間ほどだ。頑張れ」
 「はい!」

 俺たち三人は馬に乗り、再び走りだした。

――――。
 その後に残されたガイが、三人が行ってしまった方向を見てつぶやいた。

 「ふむふむ。バハムートの奴め。彼奴らに何をさせるつもりかな。……いや違うか。何ごとか動いているのか」
 そういうと男性は、座ったままで空を見上げた。 
 「俺もこっそりついていった方が良さそうだな」

10第5章 炎の記憶と暗躍する悪魔 ―機工王国アーク編―

 「なんだか、シエラの故郷に似ているな」

 魔族自治区は石造りの家が立ち並んでいて、どことなくドラゴニュートの町と似ている雰囲気だ。
 近くにはグレートキャニオンがあったり、荒野の真ん中に広がっていたり、強いからっ風が吹付けていることも、似ている理由かもしれない。
 シエラは目を細めて町並みを眺めている。
 「……まあ、山と平野との違いはありますが、雰囲気はそっくりですね」

 さてと、無事に到着したんだがこれからどうしようか?
 そう思っていると、カトリーヌさんがギルドに行こうと言い出した。

 「え? ここにもギルドがあるんですか?」
 「ええ、ありますよ。冒険者ギルドの支部が。……取り敢えずギルドで情報を探しましょう」

 どうやらギルドの場所を知っているようなので、俺たちはカトリーヌさんに続いてギルドへ向かう。
 カトリーヌさんは中央広場に面した一階建ての建物に入っていく。どうやらここがギルドのようだ。
 一階建てで他の家と同じような石造りの建物で、中の配置は他のギルドと同じように受付カウンターと掲示板があり、小さなカフェが併設されている。
 とはいってもカフェにはカフェ専属の人がいるのではなく、どうやら受付の女性がカフェ店員も兼ねているようだ。
 もう昼過ぎなので一人の冒険者もいない。みんな依頼で出払っているんだろう。

「あら、いらっしゃい」

 茶髪の受付嬢がにこやかに挨拶をしてくれた。三〇代ごろの女性で、身長は175センチほどの長身でほっそり美人だ。健康そうな日焼けをしている。

 「どうも。王都からきたの。カトリーヌよ」

 カトリーヌさんがギルドカードを提示したので、俺たちも自己紹介とともにギルドカードを提示する。受付嬢はアロネさんというらしい。魔族だそうだ。

 「あらあら。こんな辺境まで……。依頼ですか?」
 「ええ。それで聞きたいことがあるんです」
 「そうですか……。残念ながら、今、私ぐらいしかいないですけど」
 「結構です。あっちでいいですか?」
 「あ、じゃあ。さきに座っててください。すぐに行きますから」

 俺たちはカフェの席に座ってアロネさんを待つ。しばらくすると、アロネさんが人数分のコップを持ってきた。

 「どうぞ。ここの特産品です。冷えてきたこの時期には丁度いいですよ。甘くて美味しいんです」

 へえ。なんだか知ってる香りに似ているなぁ。って、これココアじゃないか!
 早速、一口すする。と、ココアの温かく甘い味わいが口に広がる。

 みると、みんなも美味しそうな顔をしている。
 「はあぁぁぁ。幸せ」
 サクラがとろけるような表情をしている。そうだよな。ココアって俺も好きだよ。気持ちはわかる。

 「おいしいですね。久しぶりに飲みましたよ」
 アロネさんは驚いた表情で、
 「あら、ご存知でしたか?」
 「ええ。以前に飲んだことがあります。もう一年以上前ですけどね」
 すっごく嬉しそうなアロネさんだ。
 場がなごんだところで、カロリーヌさんが質問を始めた。
 「アロネさん。実は……、魔王復活のうわさを追っていまして、こちらの方で動きはないかと」
 「……あぁ。確かにそのうわさは私も聞いたことがあります。ですが私も魔族ですので、こっそり探りを入れてみましたが、族長以下、全然その動きはないですね」
 「そうですか……。アーク所属の冒険者の私がいうのも変ですが、魔族の中には反アークの独立派の方もいると伺いました。そちらの方は?」
 「ああ。独立派ですね。ですが今までも彼らは過激な手段には出ていませんよ。それにそちらも探ってみましたが、魔王復活なんて誰も思いもしなかったようですよ」
 そりゃそうだよな。一〇〇〇年前の死者の蘇生だものな。
 納得しながら聞いていると、カトリーヌさんが、
 「実は、王都の方で連続殺人が続いているんです。……その遺体に魔族に伝わる呪印が刻まれていたのです。それが魔王復活に関係しているのではないかって疑われているみたいです」
 えっ? 呪印? それは一体なんだ? っていうか新しい情報だぞ。
 アロネさんもおどろいたようで、
 「呪印ですか……。う~ん。厄介ですね。確かに私たちは魔法の発動の補助のために、体に呪印を刻むことがありますけど。それは技術のある人なら人族の方でも使用できますから。それだけで魔王復活とは言い切れないですよ」
という。なるほど、体に刻む魔方陣のようなものか。
 カトリーヌさんはうなづきながら、
 「そうですよね。実は、私の依頼は指名依頼で魔王復活の動きを探れってことなんです。できれば、族長と独立派のツテがあればお願いできませんか?」
 「ああ、なるほど。わかりました。それでは、まず族長にお会いできるよう取り計らいますよ」
 「ありがとうございます。助かります。……他にも手がかりになりそうなことはないですかね?」
 「特にこちらでは変わったことはないですが、とりあえずギルドを中心にしばらく情報収集されてはどうでしょう?」
 「了解です。っと、……ジュン。貴方も聞きたいことがあるんじゃないの?」
 カトリーヌさんがアロネさんと会話を終えて、俺にもふってくる。

 「アロネさん。俺たちはカトリーヌさんと別件で来たんだ。失踪したパーティーメンバーを探している。ヘレンっていう若い女性の聖職者だ。銀髪の美女と一緒に大陸横断鉄道でこっちにやってきたことはわかっている」
 「ヘレン? 銀髪の美女と一緒……、いいえ。それだけではわかりませんが、少し当たってみますか?」

 やはりダメか。ならクロノの言ったとおり闇の神殿を目指すべきだろう。

 「いえいえ。それなら結構です。……それと闇の神殿に行きたいのですが、場所を教えてもらえないですか?」
 「闇の神殿は、町から東に出ている街道を行けば真っ直ぐです。ただ、誰でも入れますが、私たち魔族にとって大切な神殿ですので、くれぐれも問題を起こさないように注意して下さい」
 「ええ。わかりました」
 ノルンがアロネさんに質問をした。
 「闇の神殿は何をまつっているんですか?」
 「私たち魔族の生みの親と呼ばれる闇の精霊です。私たちは見た目は人族と変わらないし、人族と結婚して子をなすこともできます。ただ闇の精霊の子孫ですので、生まれながらにして、他の種族の方より多くの魔力を持っているのです」
 「なるほど。いわば魔族というのは、魔法の族、魔力の族ってところね」
 アロネさんが微笑みながら、
 「ええ。そういうことですよ」
 つづいてサクラがギルドを見回して尋ねた。
 「ここのギルドにいる人ってやっぱり魔族の冒険者が多いんですか?」
 「そうですね……。確かに魔族の冒険者が多いですね。もちろん人族もいますが、あとはあなた方のように外から依頼でくる人とかですね」

 さてと、取り敢えず知りたいのはこんなところかな。ヘレンたちは駅から真っ直ぐにそのまま闇の神殿へ向かったと見ていいだろう。
 カトリーヌさんの方は、どうやら魔王復活の動きはなさそうだけど、族長と会って情報の確認をすると。連続殺人が人族の手によるものの可能性ありといったところだ。
 カトリーヌさんが俺に、
 「さてと、じゃあジュンさん。ここまでかな。あなたたちは追いかけるんでしょ?」
 確かに追いかけるのは確定だが、ただ王都の事件の真犯人も探さないと結局ヘレンの冤罪
は晴れないんだよな。
 事前にノルンと話し合ってもいたし、チームを二つに分けることになっている。
 俺はカトリーヌさんに、
 「ええ。ですが、ノルンには残って、カトリーヌさんの手伝いをお願いしてあります」
 カトリーヌさんは苦笑いしながら、
 「あらあら。別に一人でいいわよ?」
というが、ノルンが、
 「いいえ。王都の連続殺人事件は人ごとじゃないですしね」
というと納得したようにうなづいた。

 軽食を取った後、俺たちはノルンとカトリーヌさんに見送られて、町の東門から出発した。
 一路、東部のグレートキャニオンへ。

10第5章 炎の記憶と暗躍する悪魔 ―機工王国アーク編―

 「一番線に停車の列車は魔族自治区行きの列車です。自由席は1号車から6号車、13号車、14号車となっております。個室車は7号車、8号車となっております」

 アナウンスがホームに流れる。俺は懐かしさを感じながらも、慣れたように11号車の指定席に向かう。ノルンたちは物珍しそうについてくる。どこかワクワクしている様子なのは仕方がないだろう。

 魔族自治区までは、おおよそ十二時間。馬だと三日ほどかかるらしいから、随分と便利なものだ。停車駅もそれほど多くないようで郊外に出るとスピードを出すらしい。

 「マスター。売店でお菓子を買ってもいいでしょうか?」

 サクラが目をキラキラとさせながら、俺に聞いてくる。見ると、ノルンとシエラも行きたそうだ。中にも客室乗務員がいそうだが、……そうだな。長旅になりそうだし、別に構わないだろう。
 「いいよ。俺も見てみよう」

 売店には、所狭しと四角い入れ物に入ったお菓子やら芋のフライやらが並び、その隣には酒瓶やドリンク類が陳列してある。

 俺たちは店員の勧めるままに、いくらかの食べ物とお酒、果実水などを買い求め、乗車して指定されたシートに座った。
 シートは対面式にアレンジしてあり、俺とノルンが隣同士で、それに向かい合ってサクラとシエラが座っている。窓側はノルンとシエラで、通路側が俺とサクラだ。

 「何だか。ワクワクしますね。早く出発しないかな」
 ……サクラの声を聞いていると、何だか子供を引率しているような気がしてくる。まあ、初めての列車だし気持ちはわかるが、俺たちはヘレンを追いかけているんだぞ。

 「……はい。あ~ん」
 まだ出発前だというのに、ノルンが芋のフライをフォークに刺して俺に差し出す。いや、だから、ヘレンを追いかけているシリアスな状況なんだぞ?
 と思いつつ、気がついたら口を開けていた。
 そこまで熱くはないが外側はカリッとしていて香ばしい。……マヨネーズが欲しくなるな、この味は。
 そうこうしているうちに発車時間が近づき、11号車の中には大体8割ほどの乗客が乗り込んでいる。

 と、通路を挟んで向こう側のシートに一人の女性がやってきた。三十代半ばの金髪の女性で、どこか疲れたような表情だ。
 女性は座る前に俺たちを一瞥する。その手には、俺たちと同じく芋のフライの箱とお酒を持っていた。

 「お一人ですか?」

 何の気もなしに女性に問いかけてみた。女性は席に座り、俺たちの方を見た。

 「ええ。一人ですよ。……あなた方は、ひょっとして魔族自治区まで?」
 「そうです。人を探してましてね」
 「私も魔族自治区までなので、しばらくご一緒ですね」
 「ははは。どうぞよろしく。エストリアのランクC冒険者のジュンです。こっちがノルン、サクラ、シエラです」

 ふ~ん。女性の一人旅か。気ままにバカンスといったところだろうか。でも鎧を着て武器を持参しているってことは、冒険者なのかな?

 「こちらこそ。アークのランクC冒険者のカトリーヌよ。魔族自治区へは依頼なんですよ」

 カトリーヌさんと会話をしながらナビゲーションで見てみる。

 ――カトリーヌ・デュラン――
  種族:人間族 年齢:28才
  職業:アーク機工騎士団副団長  クラス:マシンナイト
  スキル:統率、危機感知、鑑定3、機操術4、剣技4

 ぶほっ。アーク機工騎士団副団長? まさかヘレンを追いかけているのか? ……いや、それにしては他に騎士とかはいないな。どういうことだ?
 俺は内心では警戒しながらも、
 「ああ、それは大変ですね。……私たち、はじめて大陸鉄道に乗ったんですが、さすが機工王国アークですね」
 「もとはミスリルを運搬するのに開発されたのよ。一〇〇〇年前の人魔大戦の後、この大陸横断鉄道が開通して、ミスリルが安定的に供給されるようになって、お陰で魔導機械の開発が劇的に進むようになったといわれてるわ」

 なるほどな。過去の事実を知った今では微妙な気分になるが、それも歴史ということだろう。一〇〇〇年前のことで、今の人たちを責めることはこくというものだろう。

 「そうなんですか」と無難な言葉でお茶を濁すと、アーク王国について色んなことを教えてくれた。

 アーク王国の騎士団の精鋭には、魔導機械の技術の粋を集めた魔導アーマーと呼ばれる戦闘用のスーツがあったり、ゴーレム部隊があること。その他にもミスリル加工の高い技術で、様々な効果を付与されたアクセサリが作られており、ヴァルガンドの各国に輸出されていること。近年は、魔力を込めて射出する弓が開発されていることなどである。

 魔導アーマーと聞くと俺の冒険心がうずく。きっとロケットランチャーとか、マシンガンとか、レーザーソードとか、空を飛んだりする素敵なロマン武装なのではないだろうか。

 そんなことを考えていると、カトリーヌさんは俺たちをみながら何かを考え込んでいる様子だ。
 「あの……、さきほど人を探しているとか」
 しまった。人捜しってのは失言だったな。それに正確には闇の神殿が目的地だが、曖昧にしておいたほうがいい。
 「ええまあ、ちょっと仲間の一人を探しにですね」
 「そう。……もしよかったら、私もご一緒していいかしら?」

 もしやカトリーヌさんの目的は、俺たちについてきてヘレンを捕縛することか?
 警戒の度合いを深めながら、
 「……カトリーヌさんの目的は何ですか?」
と聞くと、
 「これは依頼なので、内密にお願いよ。……現在、王都マキナクラフティでは連続殺人事件が続いているのを知ってる?」
 連続殺人事件と聞いて、やはりなと思いながら、表情に出さないように、
 「ええ、まあ」
 「連続死の裏で、魔族の方で魔王復活の動きがないかどうかの調査をしてくれって……、氏名依頼なのよねぇ」
 カトリーヌさんの言葉を聞いて、ノルンがわざと驚いた顔で、
 「えっ。魔王復活?」
 「ええ。ノルンさんだっけ? かつて、魔族を率いて人族に戦争を仕掛けた存在よ。強力無比な魔法を操り、その火炎魔法で数多の人々を焼きつくし、残虐の限りを尽くした魔王と伝えられてるわ」
 カトリーヌさんは深刻な顔をする。魔王ってベアトリクスのことだよな?
 俺は首をひねりながら、
 「でも、その正体は魔族の一人なわけですよね。いわば、単に魔力の強い人間というだけで、……死者を蘇らせる技術なんてあるんですか?」
と聞くと、カトリーヌさんはうなづきながら、
 「私も死者を蘇らせるなんて聞いたことないわよ。だから復活とかいわれても、私は信じていないのよねぇ。……まあ魔物として復活とか、魔王信奉者がありえない儀式をしようとしてるとかはあるかもしれないのよね。まあ、何か裏がありそうなんで、個人的にはそっちも調べたいってところかしら」

 聞く限りではヘレン捕縛というわけではないようだ。もちろん、気は抜けないが。
 そう思っていると、横のノルンが、
 「ねえ。ジュン。私はいいと思うわ」
 「ノルン?」
 俺は、カトリーヌさんに聞かれないように、念話でノルンに答える。
 (ノルン。彼女の目的はヘレンの捕縛かもしれないぞ)
 (うん。それはそう。だけど、ヘレンの疑いをはらすためにも彼女を味方につけておいたほうがいいわ。私たちと一緒に行動すればきっとうまく行くんじゃないかしら)
 (う~ん……)
 (それに彼女と一緒なら、私たちも事件の真相に近づけるでしょうし。それにクロノが鉄道で行けって言っていたでしょ? あれって彼女のことだと思うわ)
 (そうか、わかった。……ノルン。俺では気付かないこともあるかもしれない。だから、なるべくお前がカトリーヌさんの側についていてくれ)
 (オッケーよ)

 「わかりましたよ。カトリーヌさん。ご一緒しましょう。その方が私たちの探している仲間も見つけられるかもしれないですしね」
 「よかった。じゃあ握手」
 そういうと右手を差し出してきたので、俺は通路越しに握手をした。
 「そういえば、どういう人を探してるの?」
 「ええ。私の婚約者の一人です。ヘレンといってエストリア王国の聖女ローレンツィーナ様の弟子です」
 こう言っておけば、ヘレンに下手なことはできないだろう。そう思いつつ、カトリーヌさんの様子をうかがうと、
 「へぇ。聖女様の弟子なんて、よく婚約者にできたわね?」
と純粋におどろかれた。
 う~む。やっぱりヘレンを捕縛に来たというわけじゃないのかな? 騎士団内の情報に齟齬そごをきたしているのだろうか?
 まあいいや。それから俺は、今の魔族の状況をカトリーヌさんから色々と教えてもらった。

 現在の魔族は大部分が魔族自治区に住んでいるが、アーク王国民と何ら変わらない扱いで、差別などはまったくないそうだ。この点は、一〇〇〇年の間に改善されたことかもしれない。若い魔族は都市に出て冒険者となる者も多いそうだ。人族との間で婚姻を結ぶものもおり、今では純粋な血族としての魔族はいないらしい。
 なるほど。そういう事情なら、純粋な魔族の特徴であるらしい真紅の髪を持つものがいないっていうのも納得だ。

 それからも鉄道は俺たちを乗せて荒野を進んでいく。一〇〇〇年前は一大決戦が行わ
れ、多くの血が流れた荒野を。
 ……そして、今。ここに再び不穏な空気が漂い始めているようだ。

10第5章 炎の記憶と暗躍する悪魔 ―機工王国アーク編―

 車窓の外を荒野の風景が流れていく。

 今、ヘレンはフードの女性と二人で大陸鉄道に乗っている。 
 あの時、わけのわかんない大司教と騎士団に、無理矢理に犯人にさせられそうになった時、ヘレンは走って逃げ出した。騎士団が慌てて広域非常線を張ったが、まんまとそれをすり抜け、路地を進んでいた。
 街の外へ向かっていたヘレンの前に一人の女性が声をかけた。目が覚めるような銀髪の妙齢の女性。そう、ルーネシアで占ってくれた女性だ。
 女性は、自分をティティスと名乗り、今なら一緒に鉄道に乗って魔族自治領に行けると告げたのだ。

 そのティティスは、フードをかぶったままで窓の外を眺めている。なんだか楽しそうだが、それをヘレンがうらめしそうに見ている。
 ティティスが外を見ながら、
 「ねぇ。この鉄道って奴はすごいわね。どんどんと景色が流れていくわよ」
と感心していると、ヘレンはつとめて興味なさそうに、
 「そう……」
とこたえる。

 ヘレンの内心は、ティティスのお陰で王都を脱出できたが、ジュンの顔を思い浮かべるたびに切なさで心が締め付けられていた。
 しかしヘレンは、ジュンに迷惑を掛けたくなかった。だから、この大陸横断鉄道に飛び乗ったのだ。同時に、きっとジュンは怒っているだろうし心配もしているだろう。それがわかってはいるけど、という心境だ。

 ぐるぐると思考が空回りをしつづけているヘレンは、目の前のティティスを見ながら、不意に路地裏で遭遇したときのことを思い出していた。

――――。
 「えっと……。あの時の占い師?」
 「……ティティスと呼んで。あなた危ないわよ」
 「そんなことはわかってるわ!」
 ティティスは、ヘレンの目をじっとのぞきこんでから、一人で腕を組んでうなづいている。
 「ふむふむ。よろしい」
 一人で納得しているティティスが、おもむろに人差し指をビシィッと突きつけた。
 「私と一緒に魔族の自治区へ行くわよ。……闇の神殿に行きましょう!」
 「えっ? 何? 魔族……自治区? 闇の神殿? なにそれ?」

 急いでいるヘレンだが、ポカンとした表情になった。……一体、この人は何をいうんだろう。そんなことより早く王都を脱出しないと、と焦りがうかんでいる。

 「うふふ。まったく話が読めていないって顔ね。……いいわ。説明してあげる」
 ヘレンと並んで歩きながら、ティティスはそういうと、
 「ヘレン。あなたは今、連続殺人事件の容疑者……というより、大司教によって犯人に仕立てあげられているわ。このままだと犯人として処刑されてしまう。……だから、真犯人を捕まえるのよ。それしか無いわ」
 「それはわかるけど、何故、魔族自治区……。まさか! 犯人は魔族なの?」

 なるほど、そう考えれば、魔族自治区へ行こうっていう意味がわかるだろう。しかし、ティティスは手をひらひらと降って、顔を横に振っていた。

 「違うわ。……何故、闇の神殿に行くかっていうのは、そこに真犯人がこれから現れるからよ」
 「これから現れる?」
 「そう。……私の占いによればね」
 それって、信じて大丈夫なのだろうか? ヘレンは、口には出さないけれど疑っているようだ。
 「ふふふ。まだ疑っている? でも行くしかないわよ。……もう王都には手配が回りつつあるしね」

 そういったティティスは、急にヘレンの手をとると、駅の方向へ引っ張って歩き出した。
 「今なら、私と一緒に大陸横断鉄道に乗ることができるわ」

――――。
 そうして二人は今に至る。

 しばらく無言のままに、向かいのティティスをながめる。ガタンゴトンと音がする。
 「この列車はね。一〇〇〇年前の大戦の後に、もともとミスリル鉱石を運ぶために作られた。今は、こうして人も運ぶけどね」
 「ふうん。さすがアーク王国ね。これも魔導機械なんでしょ?」
 機工王国っていうぐらいだ。すごい技術だがそこまで驚くことでもないだろう。ところが、ティティスは急に物憂げな表情になった。
 「まあね。でもね……。その技術開発は、大きな犠牲の上に成り立っているのよ。とてもとても大きな、悲劇の上にね」
 「……そう」
 なんだか急に重い空気が二人に漂う。ヘレンは、よっぽど難事業だったんだろうと当たりをつけた。
 話題を変えるように、ヘレンは、
 「ねぇ。ティティス。なぜ私について来てくれるの?」
 窓の外を見ていたティティスがヘレンをじっと見て、思案しているかのように考えている。
 「とある方からの依頼よ。名前は明かせないけれどね。貴方を手助けしろってね」
 「ある方?」
 「そうよ。貴方達なら、いつかお会いすることになるでしょう」
 「……」

――――。
 俺たちの目の前のスクリーンには、こうして銀髪の美人占い師ティティスと一緒に鉄道に乗っているヘレンが映しだされている。
 最初に口から出てきた言葉は、
 「この世界にも電車ってあったんだな……」
というありきたりなものだった。いやちがうな。電車でなく魔力車とでもいうのだろうか。
 とはいえ、こっちに来てからすでに一年以上過ぎている。かつて出勤時や帰宅時に、満員のギュウギュウ詰めにされながらも利用していた環状線。地方への出張や旅行に利用した新幹線やローカル線。
 もっとも一人旅では、密かにローカル線の旅も好きだったりする。きっと祖母に連れられて乗った電車で、冷凍みかんを食べたり、プラスチックのパックに入った温かいお茶を飲んだことが、楽しい記憶として残っていたからだろう。
 目の前のスクリーンに映し出されている鉄道は、俺の記憶にある電車にそっくりだった。
 「電車? ジュンはあれ知ってるの? ……私は初めて見たわ」
とノルンが言うと、サクラとシエラも、
 「私もです。マスター」「うん。初めて見るね。あれって何の乗り物ですか?」
と興味津々の様子できいてくる。
 ……どうやら他の人は鉄道とかは知らないようだ。もしかしたら、今、スクリーンに映っているのが、ヴァルガンド唯一の鉄道なのかもしれない。

 そんな俺たちの会話を、クロノが微笑ましいものを見たように、
 「あれがアークの誇る大陸横断鉄道。魔導機械の列車だよ。魔力を込めた魔石に複雑な回路を組み込んで動いているんだよ」
と解説してくれた。
 「……それにヘレンが乗っているんだな。あの女性って例の占い師だよな?」
 俺はノルンに確認すると、ノルンは頷いている。
 「そうね。あの綺麗な銀髪は間違いないわ。……まさかね」
 何が「まさかね」なのかはわからないが、やはりルーネシアでヘレンを占ってくれた占い師に間違いなさそうだ。

 「よし! じゃあ、早速、テーテュースの飛行形態で……」
と言おうとしたとき、クロノが、
 「それはだめ。やめた方がいいよ」
と割り込んできた。
 「何故だ?」
と聞き返すと、クロノは少し目をつぶって集中して何かを探っているような表情をして、
 「……ごめんね。お兄ちゃん。本当はずっと先のことも教えたいんだけど、ここから先の未来はひどく不安定なんだ。だけど一つだけ。お兄ちゃんたちも鉄道で行ったほうがいい。そして、闇の神殿をまっすぐ目指して。……大丈夫。運命は紡がれるものだから」

 むう。クロノがそういうならば、鉄道で未来にかかわる何かがあると考えた方がいいだろう。本当はすぐにでもヘレンに追いつきたい。だが、確かにテーテュースの飛行形態は仲間うちならいいが、外部の人には見られたくはない。
 運命は紡がれる、か……。

 ニコニコしているクロノに、俺たちは改めてお礼を言った。クロノはうなづくと、
 「じゃあ、転送するよ。頑張ってね。……バイバイ!」
と言った。途端に光が俺たちを包む。
 いくどか体験した転移特有の浮遊感が落ち着くと、気がついたらフェリシアも一緒に時計台の入り口の部屋に戻っていた。

 気合いを入れて、
 「よし! みんな行くぞ! 魔族自治区の闇の神殿へ」
と、俺たちは時計台の出口に向かった。

10第5章 炎の記憶と暗躍する悪魔 ―機工王国アーク編―

 扉を抜けると、そこは広い闘技場コロッセウムだった。
 円形の闘技場の周りに、かがり火が並んでいる。
 空は漆黒の闇に覆われていて、観客席はがらんとしていた。
 中央ではクロノが待っている。

 「やっほー! お兄ちゃんたち。いよいよ最後の試練だよ」
 ゆっくりとクロノの前に俺たちは並んだ。
 「……最後の試練は何だ?」
 そう聞くと、クロノはニッコリと笑って、
 「最後の試練はね。僕と戦ってもらうよ」
 「クロノと?」
 「うん、そうだよ。……言っておくけど、僕って四大精霊の上位に位置する精霊だからね。強いよ。最初っから本気を出してね」
 クロノはえっへんと胸を張って、俺たちに宣言した。そして、おもむろに右手をパチンと鳴らす。
 と、ノルンの肩にとまっていたフェリシアの姿が消えた。
 ノルンが、
 「えっ?」
と驚いた声を上げた。
 クロノが、
 「大丈夫だよ。ほら」
と指を指した先には、観客席の一番前に白いカゴに入れられたフェリシアの姿があった。
 フェリシアも突然のことに驚いて、羽をばさばさと動かしている。……レアな光景だ。
 クロノがにこやかに、
 「フェリシアにはおとなしくしていてもらうよ。あっ! もちろん、試練が終わったら、きちんと解放するからね」
 フェリシアのあわてている様子を横目にクロノが説明をする。
 「それから、ノルンお姉ちゃん。この試練は時の精霊たる僕の試練。だから、他の精霊を召喚することはできないからね」
 ふむ。それはそうだよな。精霊の試練を受けるってのに、他の精霊の力を借りてちゃ意味ないよな。
 見るとノルンも首肯し、
 「わかったわ」
 その返事を聞いたクロノは満足そうにうなづくと、
 「じゃあ、準備がよければ始めるけど、どう?」
ときいてくる。
 さてと……。みんなの顔を見る。サクラが忍者刀の青竜と白虎を構え、シエラも神竜の盾を構えて俺を見ている。ノルンの方を見る。目を合わせ、
 「封印術式解放! 真武覚醒!」
 「封印術式解放! 真魔覚醒!」
 同時に封印解除し、神力を解放。戦闘モード神装舞闘を発動した。
 最初のころは、力に振り回されることもあったけれど、今では呼吸をするように自然と使いこなせるようになった。
 ノルンのモードは神衣光輪。俺と同じように光の衣をまといながらも、その背中にリング状の光背が浮かび上がっている。
 クロノの方を向き、
 「ああ。いつでもいいぞ」
と告げた。

 俺の返事を聞いたクロノが、
 「じゃあ、始めようか」
というと、うっすらと姿を消していった。
 そして、かわりに大人のピエロが現れた。腰にトランペットを引っかけて、手にはバトンを持っている。
 あのピエロは……クロノか?
 ピエロはうやうやしく一礼すると、バトンをクルクルと回し、
 「じゃあ、いっくよ!」
というと、バトンの端から次々に光球が生まれ、ヒュン! ヒュン! と飛んでくる。
 「させません!」
 微妙にタイミングをずらして発射された光球を、シエラの神竜の盾が防ぐ。

 即座にサクラがクナイを連投した。クロノがそれをバトンではじいた瞬間、
 ドガン!
と爆発が生じた。きっとクナイに起爆札を縫いつけていたのだろう。
 「コホッコホッ」
とせきこんだクロノは腰に手をやってトランペットを取り出した。
 ぱぱあぁ!
と吹いた音が、強大な衝撃波となって俺たちを襲う。
 ノルンの魔法障壁を通り抜けて、音が俺の全身をつらぬく。指先の血管が切れて血が吹き出る。鼓膜が破れて音が聞こえなくなるが、すぐに治癒能力が傷を癒やしていく。
 しかし、俺とノルンならわかるが、サクラとシエラは……。
 ノルンがすぐさま、
 「エクストラ・ヒール」
と回復魔法をかけている。
 俺はすぐさま分身三つ身を作り、クロノにむかって真空波を放った。三つの真空波が合わさって一つの大きな真空斬撃となって、飛んでいく。
 同時にミスリルソードを神力の炎でおおって、真空斬撃とともに突進していく。
 「バスター・プロミネンス!」
 クロノがバトンではじこうとするが、そのバトンを切り捨てたところでクロノの姿がかき消えた。
 「ぬっ。……そこか!」
 消えたクロノの気配を感じ取り、そこへ飛びかかる。
 背後からノルンが、光弾をバルカン砲のように連続で放つ。
 シュドババババ!
 「のわー!」
 クロノが情けない声を上げながら吹っ飛んでいく。

 全身の神力を高め、剣に乗せてぶっ飛ばした。
 「マキシマム・ノヴァ!」
 剣先から神力が小型の太陽となってクロノに襲いかかった。
 ピカッと閃光が走り、衝撃波がこの空間を揺らす。
 みんなは俺のそばに駆け寄ってきて、周りを警戒している。

 「ぷはー。さすがは半神半人デミゴット。しかも神力を使いこなしてるよ」

 とあちこちの衣装が破れたピエロ姿のクロノが、中空からゆっくりと降りてきた。手にしたトランペットも大きな穴が開いている。
 それを無造作にぽいっと放り投げ、あごに手をやりながら俺とノルンを見た。
 「ふむふむ。なるほど。よく見るとまだ聖石の力が定着しているわけでもないんだね」
 そして唇をなめると、
 「これからまだまだ強くなるってことだね。……じゃあ、こっちも一段階ギアを上げるよ」
 そういうクロノを光りが覆い、ふたたび傷ひとつないピエロの姿に戻る。

 クロノがおもむろに指をパチンとならした。
 その瞬間。世界が止まった――。

 か、からだが動かない。なんだこれは?
 気配を感知すると、俺の後ろのノルンやサクラ、シエラも同じようだ。
 そのとき、
 (ジュ、ジュン? これって……)
 (ノルンは動けるか?)
 (無理よ……)
 どうやらノルンとは念話ができるようだ。けれどサクラとは無理のようだ。これは……。
 そこへクロノが踊りながら目の前を横切った。
 「おっやぁ。やっぱりお兄ちゃんとノルンお姉ちゃんは、この状態でも意識があるみたいだね? この完全なる停止世界フリーズ・ワールドの中で」
 む? ま、まさか時が止まっているのか?
 クロノが鼻歌を歌いながら、俺たちからはなれていく。
 「そうだよ。……さあ、試練だよ。早く動けるようにならないと、これは防げないよね」
と言いつつ、クロノはいつの間にか小太鼓を腰のベルトに引っかけていて、それをドラララララと鳴らしはじめた。
 その音とともにクロノの頭上に圧縮された魔力のかたまりが、どんどん大きくなっていく。
 (ちょ、ちょっとまずいわよ!)
 焦るノルンの念話がするが、どんどん大きくなる魔力に冷や汗が出てきそうだ。
 俺とノルンは大ダメージで済むだろうが、サクラとシエラはまずい。
 くそっ……。動け、動け、動けぇ!
 神力を高め、身体に循環させる。――ダメだ。動かない!
 クロノが楽しそうに、
 「ん~。それじゃダメだよ。お兄ちゃん。神力をそんな風に使うだけじゃだめだよ。もっと認識を変えないとね。時は空間でもある。そして、世界でもある。……わっかるかなぁ」
といいながら、鼻歌を歌い出した。
 認識か。……時は空間、そして世界。それってアインシュタインの時空のことか。とするとクロノの管轄は時、空間、重力に及ぶのだろう。確かに世界といえる。
 俺は目をつぶる。神と世界。力の根源は通じているはず。心の中を深く見つめる。自らの神力の根源を探す。深く深く心の中へ。そして、同時に広く広く周りの空間へと感覚を広げていく。
 まるでヴァーチャル・リアリティの世界の中にダイブしていくように、心の奥へ潜っていくと、前方に八角に光る巨大な聖石が見えてきた。
 近づいてそっと手を添えると、聖石の表面にうつったのは俺の姿ではなく、ノルンの姿だった。俺と同じように聖石に手を添えていて、同じように驚きの表情を浮かべている。
 (ノルン)
 (ジュン)
 互いに呼びかけながら見つめると、聖石が光を強めていった。光が俺の体を包み、目がくらんで何も見えなくなる。と、同時に俺の体に暖かな力が浸透してきて、新たな力の広がりを感じる。
 その時、俺はクロノの作り出した空間と一体になった。
 闘技場の砂粒一つ一つの組成から位置がわかる。そして、クロノの集めている魔力がどこから流れ込んでいるのか。空間の隅々まで意識が行き渡り、その過去・現在・未来を感じた。
 クロノの作り出した亜空間。異世界ヴァルガンドとは別の精霊の世界につながっている。クロノの集めている魔力も、目に見えないリンクを通して、精霊の世界から集めているのだ。
 このヴァルガンドを作った創造神の法則が、俺の中にもあることを感じる。足りないのヴァルガンドのあらゆる事象、想念、感情を記した元始以来の世界記録アカシックレコードのみ。重力や熱量エネルギーなどの世界の法則は俺の中にも存在していることが、手に取るようにわかる。今なら、体を動かすように自然とアクセスできそうだ。

 ゆっくりと意識を戻していく。目の前ではクロノが相変わらずにドラムを鳴らして魔力を高めている。すでに魔力球は直径3メートルになろうとしていて、その内部の圧力は想像を絶するほどだ。
 クロノが、
 「んん~。どうやら一つレベルアップしたみたいだね。そろそろこっちの準備もいいから、行くよ!」
と言って、ドラムをダンっダンっと強く二回叩いた。
 魔力球がまっすぐに俺たちに向かって飛んでくる。
 大丈夫。停止する時間のなかでも、今なら……体が動く!
 俺は魔力球の前に立ちふさがり、両手で受け止める。スパークが手を貫き、俺の体を貫いていく。しかし、神力と同化した今は痛くもなければ、ただ衝撃だけが響いてくるだけだ。
 「お待たせ!」
と声がして、ノルンも俺の横で魔力球を抑えはじめた。さすがは俺のパートナーだ。すでにこの時の止まった空間でも俺と同じく動けるようになったようだ。
 俺にかかる圧力が半分になると同時に、魔力球のエネルギーが両手を通して俺の中に流れ込んできた。
 この力は……もしかして。クロノの権能?
 すべてのエネルギーを吸収したところで、ふたたび時が動き始めた。
 俺とノルンの背後で、
 「あ、あれ?」「……はっ」
 サクラとシエラが戸惑っているような声を上げた。
 頭上からパチパチと拍手の音がして、見上げると、クロノが足を組んで何かに座っているように空中に浮かんでいた。
 「よくできました。時の精霊クロノの試練はこれで終わりだよ」
 俺とノルンは苦笑いしながら、神力の解放を止めた。
 サクラが戸惑って、
 「え、ええっと。まだ何もしていないけど?」
と言うと、クロノが下りてきて、
 「うん。サクラお姉ちゃんとシエラお姉ちゃんは、この先、別の人から試練があるよ。……でも愛の力があれば大丈夫だよ!」
 クロノはそういうが、二人は「はあ」と要領を得ないようだ。それも無理はない。おそらくクロノは未来視をしていっているのだろうから、今の時間軸にある俺たちにはわからない話だ。
 さすがにクロノの権能の一部を身につけたとはいえ、先のことは見えない。そうそう、問屋がおろさないってわけだ。
 クロノはノルンの方を向いて、
 「試練を乗り越えたので僕の力を貸すっていいたいけど、ジュンお兄ちゃんはもう自分で把握してるよね? じゃあ、ノルンお姉ちゃんには召喚契約だね
というと、その右の手のひらに七色の光の玉が浮かび上がり、ノルンの胸に吸い込まれていく。
 見た目は変わらないが、内包する何かの力が大きく強くなったのが感じられる。そして、腕にしている妖精王の腕輪にはめられた七つの球が、今までの赤、青、黄、緑の四つに加えて、五つめの球が光り始めた。固定的な色ではなく一定時間ごとに変化していて、神秘的だ。

 ちなみに俺の方は、クロノの使った「完全なる停止世界フリーズ・ワールド」を体感で数秒だけ再現できるようになった。おそらく聖石との融合度や神力の使い方によって、より長く時を止めておけるようになるだろう。
 そして、もう一つは任意の空間の重力を操作する力だ。しかし、これは空間歪曲の仕方が難しく、すぐに自在に使えるというわけではなさそうだ。

 「……ありがとう。クロノ」
 ノルンが礼儀正しくクロノに礼をいった。クロノはうなづくと、
 「それでヘレンお姉ちゃんの居場所だったね。……どうやら、魔族自治区に向かっているようだよ。正確には魔族自治区にある闇の神殿」

 クロノがそういうと、その背後の空間にスクリーンが現れた。

 スクリーンには、フードを深くかぶった人物と一緒にいるヘレンの姿が映しだされている。
 二人は……、電車らしきものに乗って座席から外を見ているようだ。

10第5章 炎の記憶と暗躍する悪魔 ―機工王国アーク編―

 真紅の甲冑に身を包み、真紅の鉄仮面をつけた人物が戦場に現れた。

 その後ろには、アーク軍の重歩兵の中規模分隊が控えている。目の前には炎の壁に包まれ、逃げ惑う連合軍の姿がある。

 炎と黒煙の渦巻く炎の壁から、一人の女性の姿が現れる。
 真っ赤な髪をなびかせ、漆黒の鎧に身をまとい、体全体から黒いオーラを噴き出す。まさしく死を招く炎の魔王という出で立ち。ベアトリクスだ。

 真紅の鉄仮面の人物はベアトリクスを確認すると、おもむろに腰をかがめ、一瞬のための後、飛ぶように襲いかかった。
 赤い光が流れるように黒いオーラに突撃していく。

 ドゴオオオオォォォォ……

 次の瞬間、そこを中心とした爆心地のように、衝撃が波動となって吹き荒れる。

 男の赤いオーラとベアトリクスの黒いオーラとがぶつかり合い、弾けるように双方が後方に後ずさる。

 ベアトリクスは真紅の騎士を睨みつける。
 「……きさまぁ。何者だ」
 しかし、真紅の騎士は何も言わずに幅広の長剣を構えた。
 それを見たベアトリクスは、周囲にいくつもの火球を浮かべるとともに、右手に魔力を集め剣に炎をまとわせる。

 真紅の騎士が飛び出す瞬間を捉え、火球からいくつもの火弾が打ち出される。波状攻撃の火球の弾幕を、真紅の騎士は何でもないことのように突き進んでいく。その身体に火弾がいくつも命中するが、真紅の鎧には傷が一つもつかない。
 真紅の騎士は勢いのままに長剣を突き出し、全身でベアトリクスを貫く一本の槍のように突っ込んでいく。
 目の前に迫った長剣をベアリクスは、横に避け、横から騎士に斬りかかる。
 刺突を避けられた騎士は、すぐさまベアトリクスの斬撃を長剣で左に受け流すと、今度は左下段に切っ先を落としたまま踏み込んで切り上げる。その剣閃が一瞬、三日月のように見えた。

 今度はベアトリクスがその斬撃を剣で受け止めるが、衝撃を殺しきれずに、ズザザザっと後ろに後ずさる。
 真紅の騎士は左手をベアトリクスに向けて差し伸べると、手のひらから火弾を発射する。火弾が命中し、ベアトリクスが炎に包まれる。
 しかし、ベアトリクスの覆う黒いオーラに阻まれ、ベアトリクスには傷ひとつなかった。

 スクリーンが映し出すそのシーンに、俺は驚いた。当時のアーク軍にあのベアトリクスに対抗できる人間が、勇者の他にいたという事実に。
 あの真紅の騎士が一体どういう人物かわからないが、非常に優れた魔法騎士、または魔法剣士であることは間違いない。
 「凄いな。あの騎士。ベアトリクスと拮抗している」
 「そうね。ジュン。……でも貴方の方が強いでしょ?」
 「そうはいうがな、ノルン。まだ力を隠しているんじゃないか」
 ノルンは俺のほうが強いと評価してくれる。確かに見た感じだと、リミッターを外すほどじゃなさそうだが、あれが力の全部というわけでもないだろう。

 俺とノルンが話をしている横では、サクラとシエラが話し合っている。
 「……ねえ。シエラちゃん。あれも防げる?」
 「う~ん。バハムート様にいただいた神竜の盾ならば大丈夫だけど、シールダーとしての役目を果たせるかというと……、どうかなぁ」
 「あの範囲魔法って、ちょっと厳しいよね」
 「そうだね。サクラちゃん。ヘレンさんの結界なら防げるけどね……」
 「あ、そうだよね。ヘレンさんの結界ってすごもんね」
 冷静にそんな戦力分析をしている内に、スクリーンのベアトリクスと真紅の騎士の戦いは佳境に入っていた。
 ベアトリクスが頭上に手をかざす。
 と、その全身から炎が立ち上り、巨大な炎のドラゴンとなって空高く舞い上がる。ドラゴンは真紅の騎士に狙いを定めると一気に急降下し、ファイヤーブレスと共に真紅の騎士に突撃した。
 騎士は剣を足元に突き刺すと、両手を体の前に伸ばす。と、その両手を中心に赤い球体の膜が現れる。
 ブレスの炎の奔流に巻き込まれたが、球体がその熱波を防いだようだ。

 ドラゴンが再び空に舞い上がっていくと、騎士は足元の剣を抜き、左手を柄に添えて魔力を込めると、長剣を光のオーラがまとわりつく。
 ドラゴンが再び急降下し口を大きく開く。騎士はドラゴンの噛み付き攻撃を前転して避けると同時に、すれ違いざまにドラゴンに切りつけた。
 すれ違ったドラゴンはそのまま二十メートルほど滑空したが、バラバラに千切れ消滅していった。
 と、その隙をついて、騎士の背後からベアトリクスが炎の剣を一閃した。その斬撃に騎士の首が高く飛んでいった。

 首を失った、騎士の身体がその場に崩れ落ちると、その脇に刎ねられた首がドサッと落ちてきた。
 地面に落下した衝撃で鉄仮面が外れる。
 その首を一瞥したベアトリクスは世にも恐ろしい物を見たように、顔を歪め、その場にへたり込む。

 「いやあああぁぁぁぁ!」
 その首はソロネのものだった。
 ベアトリクスは四つん這いで首ににじり寄ると、首を自らの胸に掻き抱く。
 「ソロネ! ソロネぇぇぇぇぇ!」
 ベアトリクスは狂ったようにソロネの名前を呼び、泣き叫ぶ。そのベアトリクスをアークの軍勢が遠巻きに囲む。

 ザシュッ!
 その時、一人の魔族が背後からベアトリクスに切りつけた。

 ベアトリクスの背中から凄まじい量の血が吹き出る。
 のけぞった姿勢のまま、その場に崩れ落ちた。
 「ソ、ソロネ……」
 その目から光が少しずつ消えていく。

 切りつけた魔族はベアトリクスに近寄ると、今度はその胸に剣をつきたてて、とどめを刺した。

 すると周りの地面から、プシューっと音を立てて黒い霧が吹き出し、ベアトリクスとソロネの遺体を包む。ベアトリクスにとどめを刺した魔族は慌てて霧から逃げ、その場を離れる。

 アーク軍の側まで下がった魔族に、いつの間にかアーク騎士団長オファが近寄る。
 「よくやったぞ。これで戦争が終わる。……お前が次の族長だ」
 オファは、そういって魔族にささやいた。
 その頃、ようやく黒い霧が晴れていった。が、ベアトリクスとソロネの遺体は消え去っていた。

――――。
 映像が終わり、クロノがスクリーンに現れた。

 「……アーク王国は魔族を抑えきれないと知るや、魔族が対人族の侵略戦争を起こしたとして他国に救援を依頼したんだ。エストリアはアーク王国の被害を聞き、勇者召喚を行って勇者と共に、ウルクンツル帝国も騎士団を派遣し、連合して魔族と戦った。
 ソロネはさらわれた後、魔道具によって精神を支配され、本人の意志が無いままベアトリクスと戦わされたんだ。ベアトリクスが倒れてから魔族軍は総崩れとなって、寝返った魔族が中心となって今の魔族居住地に押し込められている。しかも、ミスリル鉱脈はアーク王国のものとなった。
 ……これが一〇〇〇年前の人魔大戦の真実。そして、もうわかっているかもしれないけど、ヘレンお姉ちゃんは、ベアトリクスの生まれ変わりだよ。お姉ちゃんは孤児だったけど、その出自は、本当は人族じゃなくて魔族。お兄ちゃんたちは、それでもお姉ちゃんを探しに行く?」

 クロノが俺に問いかける。しかし、そんなことはもうわかりきっている。
 「当たり前だ。ヘレンは俺たちの大切な仲間で……、そして、俺の婚約者だ! 何があっても必ず救い出す」
 クロノは俺に答えに満足したように、ニコニコしている。
 「うん。それでこそ、お兄ちゃんだ。じゃ、次の映像が終わったら最後の試練だよ」
 そういうとクロノの姿は消えていく。

 ここは……グレートキャニオン。
 大峡谷の崖の上に、一人の女性が立っている。……エクシアだ。

 「ああ……ソロネ。なんてことに。……私は絶対許せません。お父様を。ピレト様とオファ様を。……そして、人族を」
 そういうと、エクシアは崖の上から、身を投げた。
 意識が薄れるなか、エクシアの唇が動く。
 「ソロネ。私も、貴方のところに……」

 崖の下。
 血だまりの中にエクシアが倒れている。
 それを、一匹の黒いドラゴンが眺めていた。

 カタカタカタカタ……。

 そのシーンを最後にスクリーンが消えていき、ホールにふたたび光が差し込む。
 前方左側に扉が現れ、その隙間から光りが差している。
 あの向こうに最後の試練が待っているのだろう。

 人魔大戦の真実。
 それは魔族の侵略戦争なんかじゃなかった。
 欲にまみれた人による、魔族への侵略戦争だった。その影に埋もれ、散ってしまった悲しい愛の物語。
 ベアトリクスじゃなくても、俺も憤激しただろう。

 そんなことを考えていると、心配そうにみんなが俺を見上げている。
 愛する女たちだ。
 「ジュン。行くわよ。ヘレンを救けに!」
 「マスター。行きましょう。ヘレンさんのもとに!」
 「ジュンさん。救けに、行きましょう!」
 きっとここにいないセレンも同じことを言うだろう。
 そして、もう一人の婚約者、救けを待っているだろうヘレン。
 何も迷うことはない。待っていろ! ヘレン!

 俺たちは、決意もあらたに扉に向かっていった。