12第7章 世界樹と獣人の森

 ベリアスの襲撃後、もと獅子人族の集落があった場所は悲惨な状態だった。

 あちこちの大地は割れ、建物は軒並み破壊されて瓦礫となっている。

 ここに詰めかけていた千人規模の獣人もほとんどが重傷を負っていた。まあ、ヘレンの回復魔法のお陰で怪我は全快しているんだが、瘴気による攻撃は体の芯に重いダメージを残しているようだ。

 ベリアスと戦った五人の獣王は、幸いに命に別状はない。ただ満身創痍という言葉も生ぬるいほど重傷を負っている。

 全身を打ち砕かれたかのように瀕死の重傷を負っている雷角王ライノ。聞くところによると、巨大化したベリアスの一撃からティガロを守ろうと盾になったらしい。

 チータの伯父さんの猛虎王ティガロもひどい有様だ。

 二人の全身骨折や怪我は、回復魔法最上位のエクストラ・ヒールで治ってはいるものの、いまだに立ち上がることができない状態だ。

 幸いに意識はあるので一安心だが、しばらくは療養生活が必要だろう。

 なお石竜王シノンと猿猴王ゴクウもひどい怪我をしていたが、こちらはライノとティガロほどひどくなく、生き残った獣人たちを指揮して、聖地の復興作業を進めている。

 一番ひどかったのが獅子王ライオネルだ。

 どうやら最後までベリアスにあがらったらしく、意識はあっても言葉をしゃべることができない状態だ。彼はヘレンのエクストラ・ヒールのほか、カレンの兄キアランが持参した世界樹の雫を飲んで安静状態となっている。

 聞くところによると、ベリアスは瘴気弾を雨のように降らせたらしい。

 その猛悪な攻撃により、獣人も陣地も壊滅状態となったとのこと。

 キアランは、幸いに瓦礫の下じきにこそなったが、大きな怪我をすることもなく俺たちと再会した。

 どうやら、別の世界樹のお告げにより、エルフの戦士たちを伴ってここに駆けつけたそうだ。

 祭壇で行った浄化の儀式の時、光の波紋が生じたが、あの波紋はゾヒテ中を駆け巡っていったそうだ。……おそらく、あちこちにベリアスが仕込んだ瘴気溜まりを浄化したのだろう。

 ベリアスの攻撃で犯された聖地の周りも、この光の波紋によって浄化されたようだ。

 世界樹も元気を取り戻してきているそうで、ひと安心といったところ。

 多くの死者を出してしまったが、無事に聖地を守り抜くことができた。

 獣王たちはしばらくここで療養を続けるようで、俺たちは先に世界樹へと戻ることになった。

――――。

 再びハイエルフの集落に戻ると、転移魔方陣の前にもう一人の世界樹の巫女ユーリさんが待っていた。

 「この度は、皆様のおかげで聖地を守り抜くことができました。ありがとうございます」

 ユーリさんはそういって深々と頭を下げた。俺は、あわてて、

 「いいえ。俺たちよりも、獣王たち、そして戦ってくれた獣人たちにお言葉をかけてください。……俺たちは遅れて駆けつけたに過ぎません」

と言うと、ユーリさんは頭を上げ、

 「それでも皆さんがいなければ儀式の執行は不可能であったでしょう。それに治療までしてくださったのです」

と再び頭を下げた。俺は息を吐くと、

 「わかりました。お礼の言葉を頂戴します。……これでゾヒテの危機は去ったので、良かったですよ」

と言う。

 ユーリさんのいた祠に向かいながら、ユーリさんがカレンに話しかける。

 「カレン。どうやら無事にゾヒテ六花とソウルリンクを結べたようですね」

 俺は首をかしげて、

 「ゾヒテ六花?」

と言うと、ユーリさんが微笑んで、

 「はい。ゾヒテを代表する六つの花。その花の妖精ですわ。……きっとカレンの力となるはずです」

 「はい! ユーリ様」

 元気に返事をしたカレンを見ると、その肩にオレンジ色の服を着た女性の妖精が腰をかけていた。

 俺に見られているのに気がついた妖精が手を振っている。

……ガーベラよ。よろしくね。安心して、あなたとカレンの夜の生活には邪魔しないから。

 俺は頬を引きつらせながら、「お、おう」とつぶやくと、隣でそれを見ていたノルンがブッと吹き出した。

 妖精視などのスキルを持たないヘレンたちは、頭に?を浮かべていたが、俺は笑って誤魔化す。

 前を歩くユーリさんが満面の笑みを浮かべ、

 「ああ、そうそう。前にも言いましたが、カレンとの婚姻は了承されています。……ぜひ今夜から寵愛を与えてさい」

 「ぶっ!」「ひぇっ! ちょ、寵愛」

 俺とカレンが同時に吹き出した。

 祠に戻ったユーリさんは、俺たちを外のテーブルセットに待たせたままで、いちど祠の中に入っていった。

 戻ってくると、俺に一通の手紙を差し出した。

 「あなたに渡すようにと、ゾヒテの冒険者ギルドを通して届いています」

 受け取ってしげしげと封筒を見つめる。

 かなり上質な紙が使われているな。

 裏を返すとそこに、

 「シン」

の二文字が見えた。

 「し、シンさんから?」

 思わず上げた声に、ヘレンとサクラが食いついた。

 「ええ? あの人たちどこに行ってたの?」「本当ですか?」

 俺は二人を手で制止しながら、ゆっくりと封を切って中の封筒を取りだした。

――親愛なるジュンくんへ

 ウルクンツルへ行きたまえ。君たちの成長を楽しみにしているよ。

                         シン

 「え? たったこれだけ?」

 その文面を読んだヘレンがそうつぶやいた。

 ……シンさんたちもウルクンツルに行くのだろうか。

 俺はノルンとシエラとカレンを見つめた。この三人とセレンは、まだシンさんたちに会っていない。もしウルクンツルで会えるなら……。

 サクラが、

 「これで次の目的地が決まりましたね。確か皇太子の結婚の祭典があるんでしたよね」

と俺に告げた。俺はうなづいて、

 「ああ。次はウルクンツルだ」

 そして、ノルンたちを見て、

 「そこでシンさんたちと会えたら、ノルンたちを紹介しないとね」

と微笑んだ。

――――。

 その日の夜。

 ヴァルガンド西南の海上にある隠者の島。

 空には満月がのぼり、黒い海を照らしている。

 その上空に六つの黒い人影が浮かんでいた。

 一人が口を開く。

 「まったく。遊びすぐないように言っておいたはずだけど」

 すると影の一人が頭を掻きながら、

 「いやぁ。悪い。熱くなり過ぎちまってよ」

 「バカ! お陰で計画を変更しないといけなくなったのよ!」

 そこへ一番体の大きい影が、

 「ははは! ベリアスともあろうものを退けるとはな!」

と大笑いすると、頭を掻いていた影、ベリアスが、

 「ふっ。ゴルダン。お前とやりあったという冒険者さ」

と答えた。

 「おお! あいつらか。……なるほど。熱くなるのもわかる」

 するとボロボロのローブを着た影が、

 「……だからといって失敗は困るぞ」

と冷たい声で言うと、ベリアスが、

 「すまねぇ。ピレト」

と謝る。

 別の影が、

 「構わぬ。……あの厄介な奴らだろ? お楽しみがなくてはな」

と言うと、ベリアスがうれしそうに、

 「だろ? フォラスは案外話がわかるじゃないか!」

と言った。

 「クフフフ。そうですか。あの竜人族の娘は元気でしたか?」

 「お前が前に言っていた奴か? グラナダ。なかなか強かったぜ」

 「クフフフ。それは重畳。再会するのが楽しみですねぇ。クフフフ」

 はじめに口を開いた影が、

 「まったくこれだから。こいつらは」

とつぶやくと、ゴルダンが、

 「モルドよ。貴様が一番おいしいところを取っていったんだから、これくらいの楽しみはないとよ」

と言い訳する。

 モルドは苦笑しながら、

 「はいはい。わかったわよ。……でも今日は、真剣にやんなよ」

 「「「「「おう!」」」」」

 六人は輪になって中央を向いた。それぞれの体から瘴気を出して、中央に集める。我の中央には漆黒の闇が生まれていった。

 モルドが手を空に掲げて、

 「予言の時は来たれり! 我らが主よ! 来臨したまえ!」

 その叫びと共に、六人を頂点とする黒い六芒星が宙に浮かんだ。

 中央の漆黒の闇が六芒星の中心でうごめく。なかで紫色のスパークがほとばしり、一呼吸おいて、カッという轟きを上げて、天地を結ぶ巨大な漆黒の柱が生まれた。

 柱が消えた後、六人の中央には一つの大きな黒い卵が出現している。

 六人はその卵に向かって、空中でひざまづいた。

 「我ら、主の来臨を心より喜びたてまつる。我らが主、――邪神よ!」

 その声に応えるように、卵の内部が不気味に光った。

 モルドが顔を上げ、

 「わかっております。今日は滅びの第一歩。我ら誠心誠意、より瘴気を集めましょうぞ」

と歓喜に打ち震える様子で卵に話しかけた。

 彼らの足下。隠者の島があったはずの場所には、巨大な穴が生まれ、海の水がそこに流れ込んでいた。

12第7章 世界樹と獣人の森

 「カレンはすぐに儀式に! ヘレンはみんなの怪我を頼む。ノルン、サクラ、シエラ。……行くぞ!」

 「「「「はい!」」」」

 俺は、男の棍を受けたまま、

 「封印解除! 神武覚醒!」

と叫んだ。獰猛な笑みを浮かべたこの男がベリアスか。その目の前で、光りの衣が現出する。

 ベリアスが、

 「ほう。お前がエストリアから来た冒険者か。……ゴルダンが世話になったな」

 圧力の加わる棍を剣で受けながら、俺は、

 「お前らの目的は何だ?」

と言うと、ベリアスはニヤリと笑い、

 「すぐにわかる。予言の時期はもうすぐそこだ」

 「予言の時期? そうか。なら……、ここでお前を倒す!」

 俺はふっとバックステップして、すぐさま分身と共にベリアスに斬りかかる。

 「パラレルアタック!」

 ベリアスが棍を振り回し、分身の斬撃を受け止めていく。……こいつ。強い!

 奴の棍と俺の剣がぶつかり合い、火花を散らす。

 ベリアスと俺を囲むように四方に四色の魔方陣が現れた。

 これはゴルダン戦で使用した……。

 タイミングを計って俺は離脱する。ノルンが、

 「四大精霊陣キャトルクルール

 四方をの魔方陣から四色の光弾がベリアスに殺到する。

 そこへ上空高く跳んだシエラが黄金色のオーラをまとい、竜槍ドラグニルを構えて突っ込んでいく。

 「メテオ・ストライク!」

 シエラがべリアスに突っ込むと、衝撃が巨大な七色の光の柱となって空に一直線に伸びていった。

 しかし、次の瞬間、シエラが光の柱の中から弾き飛ばされてきた。そして、そのあとをべリアスが飛び出してきてシエラに襲い掛かる。

 そこへ手足に炎をまとったサクラが、紫色の妖気をたなびかせながら突っ込んでいく。

 「炎虎旋風脚!」

 炎の回し蹴りがべリアスにヒットし、べリアスは直角に吹っ飛ぶ。着地したべリアスは、

 「……なるほど。ゴルダンを退けただけはあるな」

とつぶやいて、棍を構え直した。

――――。

 そのころ、カレンは急いで大地のおへその階段を駆け上った。

 「はっ、はっ、はっ……」

 一刻も早く、この清水のオーブを祭壇に安置しなければならない。

 眼下では、ヘレンがエクストラ・ヒールを使う光が、断続的に視界に入り、さらにジュンたちがベリアスと戦う戦闘音が聞こえ、空気が震え、地面が揺れる。

 脳裏にはエストリアで対峙したゴルダンの姿が浮かぶ。

 ジュンたちならば、あの悪魔たちと戦うことができる。カレンはそう信じてはいたが、転移してきて目に飛び込んできた瓦礫の山。獅子人族の美しい集落が壊滅し、瘴気に犯された惨状を目にし、不安を抑えることができない。

 再び上をきっと見て、カレンは駆け上る。頭上にはおどろおどろしい雲が渦を巻いていた。

 ようやく階段を登り切り、少し離れた祭壇まで走って行く。ベリアスの攻撃により地上から吹き飛んだ瓦礫が、道のところどころ落ちている。

 石でできた祭壇にすぐさま水竜王から貰ったオーブを安置した。

 息切れがして、震える指で懐から一本のフルートを取り出す。

 深呼吸をして息を整えながら、フルートを口にくわえて息を送る。フルートの音が、響くと祭壇のオーブが少しずつ光り始めた。

 その光は少しずつ強くなり、天と地を結ぶ光の柱となり、カレンを包み込んでいく。

 フルートを一心に吹くカレンの背後には、同じように光の柱を生じた世界樹の姿が遠くに見えた。

 光の中でフルートを吹き続けるカレンは、不意に何かの気配を感じて周りを見回した。

 「そのままフルートを吹き続けてね」

 気がつくと、カレンの周りに六人の小さな妖精が姿を現していた。

 (あなたたちは?)

 心の中で問いかけるカレンに、美しいオレンジ色の服を着た妖精が、

 「私はガーベラよ。……世界樹の巫女。私たちゾヒテ六花りっかもあなたとともに戦うわ」

と言い、妖精たちから小さな光が次々にカレンの体の中に飛び込んでいく。

 オレンジ色の服の妖精が、希望の花ガーベラ。

 純白の妖精が、気高き勇気の花エーデルワイス。

 ピンクのあでやかな妖精が、不朽の愛の花千日紅。

 白と黄色の可憐な妖精が、純血の花デイジー。

 美しくも青い妖精が、幸福と信頼の花ブルースター。

 そして、深い青紫の妖精が、正義と誠実の花リンドウ。

 カレンは、自分の中に、六つの花の妖精との確かな絆が結ばれたのを感じた。

 (ありがとう。六花。でも今は、ゾヒテを守るために儀式を完遂しないと)

 白い妖精エーデルワイスがうなづいて、

 「わかってるわ。私たちも力を貸すわ」

と六人の妖精がそれぞれの色の光を放ちながら、カレンの周りをくるくると飛び交った。

 その中央のカレンの体が燐光を帯びる。

 ソウルリンクを通じて流れ込む生命の力が、カレンのフルートの響きとなって周りの光に溶け込んでいった。

――――。

 ベリアスは、大地のおへそから立ち上る光の柱を見て、焦りの表情を見せた。

 「ちぃっ。遊びすぎたか」

 一層濃密な、瘴気を全身から吹き出すと、その瘴気をまとったままで空高く飛び上がった。そして、そのまま流星のように大地のおへその上の祭壇めがけて飛んでいく。

 ガキィィィ。

 「行かせないぞ!」

 俺はそう叫んで、ベリアスの進路をふさいだ。

 奴の棍と俺の漆黒の剣がしのぎを削る。

 弾かれるように距離を取り、再びぶつかり合う。互いに宙を飛び回りながら一歩も譲らない。

 その時、俺の背後、大地のおへそに現れていた光の柱が、急速に消えていった。いや、ちがう。これは光が祭壇に吸い込まれていったんだ。

 一呼吸のうち、大地の祭壇から光の波紋が地面と空気に走った。波紋が俺の体を通り抜けると、そこの込められた浄化の強い力が俺を貫いた。

 波紋は、対峙しているベリアスに届くと、

 「ぐわああぁぁぁ。くそっ。……勝負は今度だ!」

と叫びながら、ベリアスの体がかすみとなって消えていった。

 あまりのあっけなさに、俺はしばらく油断なく気配を探る。

 しかし、どうやら奴はここから退散したようだ。……決してあれで倒せたとは思えない。またどこかで戦うことがあるだろう。

 俺は空に浮かびながら背後の祭壇を振り返る。

 そこにはいまだに一心にフルートを吹き続けるカレンの姿があった。よく見るとその周りを六色の小さな光が飛び交っている。

 それを眺め、俺は、

 「世界樹の巫女か……」

とつぶやいた。

12第7章 世界樹と獣人の森

 残された四体のベリアスが、同時に、

 「「「「そろそろ絶望を味あわせてやろう!」」」」

と叫ぶと、その姿が黒い瘴気となる。瘴気の煙は、すうっと陣地の入り口まで移動して一つになる。

 瘴気の煙はうごめき、黒く光り、次第に巨大になっていく。

 ごふぅ。

 一陣の風が吹き抜けた後、そこには身長12メートルほどに巨大化したベリアスの姿があった。

 きんと雲の上からそれを見た猿猴王は目を丸くして、

 「なんだあれは!」

と叫んだが、すぐにベリアスの所へ向かった。

 陣地の入り口では雷角王ライノが、巨大なベリアスを見上げ、声を張り上げていた。

 「弩弓どきゅうを放てぇ!」

 その掛け声に、獣人たちは「おう!」と一斉に弩弓を放つ。

 大きな矢が次々にベリアスに迫る。しかし、ベリアスが、

 「ふん!」

と軽く手にした瘴気の棍を払うと、弩弓の矢がまるで風に舞う松の葉のように吹き飛んでいった。

 ベリアスは天を仰いで大笑いをする。

 「はっはっはっはっ。そんなものが俺に効くか!」

 獣人たちを見下ろし、無造作に棍で地面をなぎ払った。

 「ぐおおおお」

 「きゃあぁぁ」

 その度に、地面ごと獣人たちが吹き飛ばされていく。もはや巨人と小人の戦いだ。勝負にならない。

 そこへ蜥蜴人部隊を引き連れた石竜王シノンと、虎人族を引き連れた満身創痍の猛虎王ティガロが現れた。

 互いに槍を持ち、一団となってベリアスに迫る。

 「蜥蜴人リザードマン隊! 走り抜けざまに一斉に槍を放て!」

 「同じく虎人隊も走り抜けざまに一撃を食らわしてやれ! 絶対に立ち止まるなよ!」

 「「おう!」」

 上空から状況を確認した猿猴王は、すぐさまきんと雲を走らせて、ベリアスの周りを回りながら気をそらす。

 「のびろ! 如意棒! 金剛撃!」

 しかし、如意棒の一撃も巨大になったベリアスにとってはアリに咬まれた程度のダメージしか与えられない。

 ベリアスはうっとうしそうにゴクウの如意棒を払いのける。

 それを悔しそうに猿猴王は見つめながら、懐から袋を取り出すと、それをもってベリアスの周りを縦横無尽に飛び回った。

 ゴクウの手にした袋から煙がもくもくとあふれ出し、ベリアスの視界を奪っていく。

 そこへ蜥蜴人族と虎人族の部隊が突っ込んだ。

 次々にベリアスの足下を駆け抜けざまに槍を足に突き刺していく。

 煙の中からベリアスの、

 「ぬお?」

という声がきこえる。二つの部隊が駆け抜けたころに、ベリアスが「ふん!」と気合いを入れると、視界を奪っていた煙が吹き飛んでいった。

 猿猴王は忌々しそうにベリアスを見つめる。

 残念ながら蜥蜴人族と虎人族の攻撃は蚊ほどにも効いていないようだ。

 しかし、ベリアスはうっとおしそうに、

 「邪魔だ!」

というと、眼下の虎人族の先頭を走るティガロめがけて、棍をなぎ払った。

 みるみる棍が迫ってくるのを見て、ティガロは運命を悟ったが、その前に大盾を持って雷角王シノンが割り込んだ。

 「ぬおおおおお」

 シノンは叫びながら棍を盾で受け止めるが、ほとんど吹っ飛ぶように体を持っていかれ、結局、ティガロごと吹き飛ばされた。

 二人の獣王の全身を粉々にするような衝撃が襲う。

 ベリアスが無造作に陣地に踏み込もうと大きな足を上げた。

 その上げた足の下から、大きな水の蛇がにゅるにゅると伸びてベリアスに巻き付いた。 

 「これは――、精霊魔法!」

 森の木々からたくさんの矢が放たれ、緑のローブをかぶった一人のハイエルフが飛び出してきた。

 腰に差した刀を抜き、目にも留まらぬスピードで空を蹴りながら、ベリアスの周りを飛び交いざまに斬りつける。特殊な刀のようで、切り口が白く光る。

 「ぐっ。神聖属性の刀か!」

 飛び交うハイエルフを手で払おうとしたベリアスだったが、次の瞬間、ベリアスの体の周りに次々に巨木が生え出てくる。

 「な、なんだ?」

 戸惑うベリアスを数本の巨木が絡み合うように飲み込んだ。

 飛び交うハイエルフの口から、

 「我がマナを資糧に、精霊シルフに願いたてまつる。清風の気を持って、かの敵を亡ぼしたまえ! シルフィン・トルネード!」

 詠唱が終わると、樹林結界ごとベリアスが巨大な竜巻に包まれた。

 「ぬ、ぬおおおお!」

 なかから苦しむベリアスの声が聞こえる。

 その隙にハイエルフは獣人の陣地に降り立ち、森の中から二〇人ほどのエルフたちが飛び出して獣人たちに合流した。

 ハイエルフが手を前に伸ばし、

 「我がマナを資糧に、精霊サラマンデルに願いたてまつる。浄化の炎をまとい、瘴気を焼き尽くせ! エレメント・フレイム」

 その手から白い炎が竜巻に伸びていき、竜巻に巻き込まれていくと消えることなく巻き上がっていく。

 「ぐわあぁぁぁ」とベリアスが苦悶の声を上げるが、

 「……なんちゃって」

と声が聞こえると、白炎の竜巻の中から黒い瘴気の柱が天に立ち上り、ぶわっと外側の竜巻を吹き飛ばした。

 竜巻が消えた後には普通の人間のサイズに戻ったベリアスが、にやにやと笑いながら、右手を振り下ろした。

 「暗黒流星雨ダーク・メテオレイン

 上空に立ち上った瘴気がはじけ飛ぶと、百にもおよぶ瘴気の流星となって、獣人の陣地をうがっていく。

 爆音と土煙が立ち上り、陣地を破壊し、獣人を吹き上げていく。

 エルフたちが精霊シルフに願い空気の結界を張ったが、そんなものは存在しないかのように黒い流星が降り続け、獣人の陣地は蹂躙された。

――――。

 瓦礫の間から黒い煙が立ち上る。大地はひび割れ、黒く染まり、立っている人物はほとんどいない。

 その間をベリアスが悠々と歩みを進める。まるで無人の荒野を行くがごとく、暴虐の限りを尽くされ、瓦礫と血まみれの獣人だらけの陣地を歩いて行く。

 その目の前に、満身創痍の獅子王が立ちふさがった。

 それを見てベリアスが感心したように、

 「ほお。まだやる力が残っていたか?」

とつぶやいた。

 しかし、着ている鎧は半壊し、手足からは血を流し、誰が見てももはや戦う力など残されていないように見える。

 「……巫女が戻るまで、この地を守るが我らが使命。ここを抜かれれば、ゾヒテは滅ぶ」

 ライオネルはそうつぶやいて吠えた。

 「うおおぉぉ! そんなことはさせぬ!」

 するどくベリアスを見つめ、剣を構えた。その後ろの瓦礫が崩れ、中から猛虎王ティガロ、猿猴王ゴクウ、そして、緑のローブを着ていたハイエルフ。フードをおろしたその顔はカレンの兄のキアランだった。

 ベリアスはつまらなさそうにライオネルらを見渡し、

 「ふんっ。けが人どもがなにができる? おとなしく寝ていな」

といって、瘴気の棍を構え、ライオネルに向かって突進した。

 そのベリアスの全身が黒い光りを帯びる。ライオネルが剣で受けようとしたそのとき、二人の間に閃光が出現した。

 ベリアスの棍を受け止めていたのは、転移してきたジュンの剣だった。

12第7章 世界樹と獣人の森

 瘴気がベリアスの姿を覆い隠し、さらにあたりに霧のように広がっていく。

 「みんな! 気をつけろ!」

 ライオネルがそう叫ぶ。

 そのとき、地面が大きく揺れて、獣人たちがよろめいた。

 広がった瘴気の霧が、すうっと何かに吸い込まれるように一点に集まり、後には棍をもった五人のベリアスがいた。

 「これで一対一で楽しめるな。……獣王よ。行くぞ!」

 ベリアスはそう叫ぶと、五人がバラバラに突っ込んできた。

 それに対応して獣王たちもバラバラになって、一人ずつベリアスと対峙するのだった。

――――。

 「ふははは。俺の相手は貴様か! 石竜王シノン!」

 そう叫んだのは、陣地の中に突っ込んでいったベリアスだ。

 それに追いすがるシノンが背後から突きを放つ。しかし、まるで背中に目があるかのように、その突きを次々によけていく。

 「とまれぇ!」

 裂帛の気迫と共にシノンの突きが再び襲いかかる。すると、ベリアスはふいっと振り返り、サイドステップでその突きをよけると、一転してかかと落とし委をシノンに放った。

 慌てて槍を引いたシノンの額をわずかにかすって、かかと落としが地面に当たる。

 ごばぁ!

 その衝撃で地面がシノンを巻き込んで吹き飛んだ。

 すでに場所は陣地の中、様々な武器が並べられているところだ。

 シノンと対峙したベリアスが唇と釣り上げると、

 「さあ、さっきの続きをしようぜ!」

といって、シノンに襲いかかった。

――――。

 「俺の相手はお前だな。雷角王ライノ。……俺を失望させるなよ」

 「まだまだ若造には負けんわ!」

 ライノは重鎧を装備して、巨大なきねのような棍と巨大な盾を装備している。

 「まずは小手調べだ!」

とベリアスはライノの前まで走り込んで盾めがけて正拳突きを放つ。

 ライノはその突きをもろに盾で受け止める。

 ゴゴォン。

となにか重いものがぶち当たる音がして、ごくわずかにライノの体が押された。

 「ぬぅ。なんて重い一撃だ」

 ベリアスは正拳突きを放ったまま、ライノを見上げてニヤリと笑った。

 ライノが無造作に棍を振り上げベリアスに振り下ろした。ベリアスは両手をクロスして、その振り下ろしをもろに受け止めた。

 「ぐぐぐ。……なるほど。力は随一か。さすがは雷角王といったところか」

とベリアスが超重量の一撃に耐えながら、絞り出すように言った。

 雷角王ライノが、盾でベリアスに突っ込む。

 「ぶっ飛べ!」

 しかし、その突撃をベリアスはサイドステップしてかわす。ライノはそのまま5メートルほど突き進み、後ろに振り返った。

 それを見て、ベリアスが楽しそうに、

 「力勝負か。いいねぇ!」

と言って、手にした棍で突きを放つ。それをライノは盾で受け流すが、途中で棍の機動がかわりなぎ払いになる。

 「ぬ、ぬおおおぉ」

 軽量なベリアスのなぎ払いに、重戦車のようなライノが押されていった。

 再び距離を取ったベリアスは、棍を肩にポンッと乗せ、

 「まだまだ、これからだ。行くぜ!」

と不敵にライノに笑いかけた。

――――。

 ジャリジャリジャリ。

 ライオネルの剣がベリアスの棍で受け止められ、しのぎを削っている音がする。

 至近距離で対峙したライオネルが、

 「絶対に、この地は守り抜く」

と一段と力を込めて大剣を振り抜いた。

 それに吹き飛ばされたベリアスが距離を取り、構えを取り直す。

 「獅子王の力。どれほどのものか見せてもらうぜ?」

 その声が終わるや、ライオネルの前に一瞬で移動したベリアスが連続突きを放った。

 ライオネルが剣でそれを冷静にさばくが、次第に受け流しきれなくなり、ついに一撃を右胸に喰らってしまう。

 「ぐはっ」

 口から血を吹き出したライオネルを見て、周りの獅子人族の戦士たちが、

 「獅子王様!」

 「おのれ! 我らも行くぞ!」

と口々に叫んでベリアスに迫った。

 それを見た獅子王が慌てて、

 「いかん! お前たちではかなわぬ! 退け! 退くんだ!」

 しかし、その叫びが届く前に、ことごとくベリアスの突きを受けて、四方八方に吹っ飛んでいった。

 その後にはベリアスが悠然と構えをとり笑っている。

 「族長思いの仲間だな。だが、それも無駄死にだ」

 それを聞いた獅子王が、天に吠えた。

 「うおおぉぉぉ!」

 すると全身がうっすらと光る。

 それを見たベリアスが目を丸くして、構えを取り直す。

 「ふん。ようやく本気か? 楽しませてくれよ?」

――――。

 「お前をこの先には行かせん!」

 猛虎王ティガロがベリアスに突っ込み、両手を大虎のあぎとのように広げてベリアスに襲いかかった。

 それをバックステップでかわしたベリアスは、棍でなぎ払う。

 ティガロはそれをジャンプしてかわすと、着地と同時に再びベリアスに連続攻撃を放つ。

 ベリアスの棍とティガロの拳が攻防を続ける。

 ばっと距離を取って互いに対峙する。

 「ふふふ。やるな。さすがは猛虎王だ」

 「……お前の本気はそんなものじゃないだろう? ゴルダンはもっととんでもなかったぜ」

 「ははは。ならば少し本気を出そう。……簡単に死んでくれるなよ?」

 「ぬかせ! かあぁぁぁぁ」

 猛虎王ティガロが全身に闘気を漲らせた。

 しかし、次の瞬間、一瞬で後ろに真っ直ぐ吹き飛んでいった。

 ティガロが立っていたところではベリアスが何食わぬ顔で棍を肩に乗せて立っている。

 猛虎王が飛んでいった場所を見ると、

 「所詮はこんなもんよ」

とつぶやいた。

――――。

 「昨日の続きだ。行くぜ。猿猴王」

 陣地を駆け抜けるベリアスが、頭上できんと雲に乗っている猿猴王ゴクウにそう言い放った。

 次の瞬間、ベリアスはゴクウに飛びかかり、空中を飛び回りながらベリアスの瘴気の棍とゴクウの如意棒が幾度となく打ち合って火花が散る。

 「くっ。こいつ空転歩も使いやがるか」

 いったん距離を取った猿猴王がベリアスを見て、そうつぶやいた。

 いまだに体には昨日の瘴気の打撲痕が残っている。しかし、弱みは見せられない。猿猴王は、「よしっ」と気合いを入れると、再び妖気を体に巡らせる。

 両手で印を結び、短く真言を唱える。

 「ノウマク サーマンダ ヴァザラダン センダ マカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン」

 その途端、印を中心に炎がわき出てゴクウの体を包む炎の衣となった。

 それを見てベリアスが興味深そうに、

 「なんだ? このヴァルガンドの魔法じゃないな?」

と言うが、ゴクウはそれにこたえず、

 「不動明王よ。悪を討つ力を与えたまえ!」

 きんと雲から飛び出して、瞬時にベリアスに迫る。

 「はあぁぁぁ」

 ゴクウの如意棒の連続突き。ベリアスはそれを瘴気の棍で受け流そうとするが、不動明王の炎を帯びた如意棒に当たった瞬間、瘴気が浄化されてかすみとなって消えた。

 「ぐはあぁぁ」

 次々に如意棒の突きがベリアスの全身に突き刺さる。当たったそばからベリアスの体がくじられるように消滅していった。

 そのままベリアスを消滅させたゴクウは、力の負荷にごほっと血を吐いて地面に膝をついた。

 「これでようやく分身一人目か。……くそったれめ」

 迎えに来たきんと雲を見上げながら、ゴクウは気力を奮い立たせていた。

12第7章 世界樹と獣人の森

 聖地大地のおへそ。

 朝靄が煙るなか、巨岩の聖地の周りは物々しい雰囲気と喧噪に包まれていた。

 昨日、猿猴王ゴクウのもたらした情報により、敵は憤怒の天災ベリアスただ一人と判明している。しかし、同時にその強さも尋常のものではないことも知らされた。

 いくどか打ち合ったゴクウの体に、黒いあざが浮かび出ていた。すべてベリアスに打たれたところで、ゴクウはそこから体の中に異物が浸透していくような痛みを覚えていた。

 ただちに治療師による薬草と魔法による治療が加えられたが、一向にあざが薄くなることはない。獣人たちはしらないことだが、瘴気の一撃を受け、瘴気に犯されているのだ。

 大妖怪でもあるゴクウは、うっすらとそれを悟っており、怪我を癒やすには世界樹の巫女か、ジュンの仲間にお願いするしかないと考えていた。

 早朝の獣王たちの打ち合わせで、昨日の猿猴王とベリアス戦でのやり取りから、敵は真っ正面から来る可能性が高いと考えられた。

 それに対応して、世界樹街道の入り口方面の警備を厚くすることが通達されている。

 突如として森の上から一斉に鳥たちが飛び立った。

 ちょうど朝の作戦会議をしていた獣王たちが一斉に世界樹街道の方を見る。

 次の瞬間、森の中の街道のある位置から巨大な黒い竜巻が現れた。

 「あそこだ!」

 すぐさま、猛虎王ティガロと石竜王シノンが飛び出していく。ライオネルはゴクウに、

 「すまぬが、すぐさま部隊を正面に集結させてくれ」

と言って他の獣王の後を追った。

 それを見送った猿猴王ゴクウはよろめきながら立ち上がってきんと雲を呼ぶ。

 「俺もすぐに行く。あっという間にやられるんじゃないぞ」

 きんと雲に飛び乗ったゴクウはそうつぶやいて、ぎゅんっと空へと飛んでいった。

――――。

 「がはははは! 行くぞ! 獣人ども!」

 憤怒の天災ベリアスは片手で身の丈ほどもある大岩を持って、まるで野球のピッチャーのように振りかぶって放り投げた。

 投げられた直径2メートルほどの大岩は空気を切り裂いて、獣人たちの防御陣地の手前に着地した。

 どごごごごぉぉぉ。

 すさまじい音と土砂を立てて、そこを守っていた獣人もろとも、陣地の入り口が吹っ飛んだ。

 そこへ石竜王シノンが飛び込んで来た。

 「盾を持った者は前に。それ以外の者はさがれぇ! 蜥蜴人部隊、槍衾やりぶすまを作れ!」

 といって、自らも槍を手にベリアスに突っ込んでいく。

 まるで弓矢のように、自らも一本の槍と化してベリアスに迫り、突きを放った。

 ベリアスは愉悦に顔を歪ませながら、その突きを左手の甲で簡単に払いのけ、無防備になったシノンの胸に右のフックを放つ。

 そこへ切り返した槍の石突で返すシノン。しかし、その槍はベリアスを通り抜けた。

 次の瞬間、シノンの体の下に潜ったベリアスがシノンを蹴り上げると、シノンはくるくると回転しながら防御陣地の方まで吹っ飛んだ。

 しかし、蹴りを回転でいなしたため、すっと着地し、再びベリアスと距離を取って対峙する。

 シノンは槍をベリアスに向かって掲げ、

 「放て!」

と号令を出すと、獣人の陣地からおびただしい数の矢がベリアスをおそった。

 にやりと笑ったベリアスが右手を前に出すと、その手から黒いもやがあふれ出して一本の棍となった。

 雨のように降ってくる矢をその痕を回転させてはじき返すベリアスは、左手に瘴気を集めると、矢の間隙かんげきをぬって、その瘴気を弾丸にして連続して放つ。

 その瘴気弾を次々にシノンが手にした槍で打ち落としていく。

 「ふはは。やるな。石竜王! もう一段、ギアを上げるぞ。ついてこいよ!」

 獰猛な笑みを見せたベリアスはそう叫ぶと、瞬間移動したかのようにシノンの目の前に移動した。

 目を見張ったシノンが、反射的に突きを放つが、ベリアスは首をひねって頬の皮一枚を切らせてよける。

 シノンの引き手よりも早く、ベリアスの回し蹴りがシノンの胴をとらえた。

 「ぐっふぅぅぅ」

 シノンが血を吐き、獣人たちを巻き込みながら、一直線に吹っ飛んでいく。

 それを見送ったベリアスが、親指で唇をぬぐい、ふっと後ろにバックステップした。

 そこへ頭上から猛虎王ティガロが振ってきて地面に正拳突きを放つ。

 衝撃波が地面を蛇のようにくねりながらベリアスに迫る。

 しかし、ベリアスはその衝撃波を無造作に足で踏みつぶした。

 ゆっくりと猛虎王ティガロが腰を下ろして構えを取る。ティガロが無手であるのを見たベリアスは瘴気でできた棍を霧散させると、ティガロと相対するように構えを取った。

 「次は猛虎王か。獣王のバーゲンセールだな!」

といって笑うベリアスに、ティガロが、

 「貴様。エストリアに出たゴルダンとかいう奴の仲間だな?」

と返すと、ベリアスはにやりと笑った。

 「ほう? 貴様、ゴルダンを知ってるのか。……なら、楽しめそうだな!」

とティガロに突っ込んでいく。

 目の前で足を踏み込んで正拳突きを放つと、ティガロはそれを両腕をクロスして受ける。

 踏ん張ったティガロの両足がずざざざっと地面をえぐる。

 ティガロが飛び出してベリアスの間合いに入り、右の正拳突きから、後ろ回し蹴り、フックと連続技でベリアスを責める。ベリアスはそれをいなしたり、受け止めたりしてしのぐ。

 「貴様もなかなかの力だな」

 ティガロの拳を受け止め、互いに至近距離でベリアスがそう言った。

 「ふん!」

とはじき飛ばされるようにティガロが後ろに飛んで距離を取る。油断なくベリアスの動きを見ている。その背後に雷角王ライノやライオネル、そして、回復魔法を受けたシノンが集まってきた。

 「ふむ。昨日、戦った猿猴王はいないのか? それともくたばったか?」

とベリアスが獣王たちに尋ねると、その頭上から、

 「んなわきゃぁ、ねえだろう!」

と猿猴王が伸ばした如意棒を振り下ろした。

 しなる如意棒をベリアスは両手を頭上でクロスして受け止めた。衝撃が地面に伝わり、ベリアスを中心に5メートルの範囲の地面が割れた。

 猿猴王はそのまあきんと雲から飛び降りて、他の獣王たちと並んだ。

 中央の獅子王が、

 「貴様がベリアスか。よくもガンガリンや九鳳を痛めつけてくれたな。あまつさえ母なる世界樹、ゾヒテに仇をなそうとする者を許しておくわけにはゆかぬ。……獣王の名にかけて、ここは通さぬぞ」

と宣言すると、周りの獣人たちがわあぁぁぁっと歓声を上げた。

 ベリアスは構えを解いて両手を広げると、

 「貴様らの都合など知らん。俺は、俺のやりたいようにやらしてもらうだけさ」

と言って、獣王たちを見て獰猛な笑みを見せる。

 「どうやら揃ったようだな。……なら、少し趣向を変えさせてもらおうか」

 ベリアスの全身から瘴気があふれだした。

12第7章 世界樹と獣人の森

 黒く変色していく範囲がおへそまで来たとき、シエラはぴくりと動いた。

 ゆっくりと顔を上げる。

 その正面にはグラナダの白い顔が浮かんでいた。

 「クフフフ。さあ、闇の中で絶望に苦しむがいい」

 グラナダの白い顔から青黒い波動が広がる。波動がシエラを包み、変色が首元までに迫った。

 「今日の次には明日が、明日の次には明後日が来ると思っているのでしょう。運命とはそんなに甘いものではない。平穏な毎日が永遠に続いていくのではない。……それに耐えられないのなら、あなたの人生など塵に同じでしょう」

 その時、シエラのお腹がどくんと大きく脈動した。腹部の表面に丸く白い光りがあふれだす。白光はそのままシエラの体に広がっていく。

 シエラが口を開いた。

 「ああ。私はなんて幸せ者なのでしょう。いつも守られていたのですね。……ジュンさん」

 光りの範囲が広がるにつれ、シエラの体が元の色を取り戻していく。

 「グラナダ。あなたがどれほど絶望を与えようと、あの方との絆が私を支えてくれる」

 ゆっくりとシエラが立ち上がり、グラナダを見上げた。その全身から黄金色のオーラが立ち上り、その目が金色に光る。

 その右手に構えた風竜槍タイフーンに緑のオーラがまとわりつき、グラナダに突きつけられる。

 「この絆がある限り、私は……、何度でも立ち上がる!」

 シエラの叫びと共に、槍の一撃がグラナダの白い顔に繰り出される。金色の光りの奔流がグラナダを覆い尽くしてどこまでも飛んでいった。

――――。

 不意に水竜王が、

 「ふふふ。……そうか」

とつぶやいて振り返った。

 シエラの無事を祈っていた俺は、つぶっていた目をゆっくりを開く。目の前には水竜王がそっと微笑んでいた。その手が自らのお腹をそっと撫でていた。

 「無事にシエラは乗り越えたぞ。……まあ、我の予想以上にお主との絆が強いようだな」

 ……絆はわかるんですが、そのお腹の手は一体? まさか妊娠? はしてないな。

 首をかしげながらノルンの方に振り返ると、なぜかカレン以外のみんなが恥ずかしそうに自分のお腹を撫でていた。妙にその表情が幸せそうにしている。一人、カレンだけが赤くなってうつむいていた。……なぜ?

 その時、魔方陣の中のシエラが意識を取り戻した。

 「うぅ……、んん。ここは?」

 へたり込んだ姿勢のままでゆっくりと顔を上げる。その顔が、目の前の水竜王、そして、俺たちに向けられる。

 「ジュンさん! みんな!」

 たちまちに輝くような笑みを浮かべたシエラは、俺のところに飛び込んで来た。

 気がつくと、俺の胸でシエラは泣いていた。そっと背中に手をまわして抱きしめる。……一体、どんな試練だったんだろう。

 とまどって水竜王を見るが、水竜王は何も言わずに黙って俺を見ているだけだ。ノルンたちもやってきて、そっとシエラに触れ寄り添った。

 俺はポンポンとシエラの背中をたたき、

 「よくやったぞ。シエラ。……そろそろ泣き止んでくれ」

と言うと、目をこすりながらシエラはうなづいた。

 改めて水竜王と俺たちは向かい合った。水竜王は正面のシエラに、

 「まあ、及第点ギリギリというところだ。……まさか絆の力で絶望をはねのけるとは思わなかったぞ」

 「あのままでしたら、絶望に飲み込まれていました。でも……」

といってシエラは自分のお腹を手を当てる。

 「ふふふ。おかしいですよね。ここから力が湧いてきたなんて」

 恥ずかしそうにお腹を見つめるシエラ。……俺も頬が赤くなっているみたいだ。

 水竜王がうなづいて、

 「ジュン。ノルン。お主らは半神半人となっている。……完全に神とならねば子はできぬぞ」

 その言葉に俺とノルンは驚いて、互いに顔を見合わせる。

 「なにしろすでに因果輪廻の鎖より解き放たれておるし、神として子をなすには力が足りぬ状態だ」

 なるほど、なんとなくわかったような気がする。この世界にも輪廻があるのが前提だが、俺とノルンはその輪から切り離されているわけだ。そのために輪廻の輪にある人との間に子供を作ることはできないのだろう。逆に完全に神となれば、ギリシャ神話のゼウスのように何らかの方法で子をなすことができるというわけだ。

 水竜王はフフッと笑って、「シエラをよろしく頼むぞ? 婿殿むこどの」と言うと、すっと元の涼しげな表情へと戻った。

 「さあ、シエラはもう一度、魔方陣に乗れ」

 水竜王の声を聞いたシエラは神妙な表情となり、俺を見てうなづくと、ゆっくり歩いて再び魔方陣へと乗った。

 くるりと振り返って水竜王を見上げるシエラに、

 「では力を授ける」

と水竜王は両手を広げ、その全身から水色のオーラを放った。

 そのオーラと同じく魔方陣が水色の光を放ち、シエラの体にまとわりついていくと、その全身がうっすらと輝いた。

――シエラ・リキッド――

 種族:竜人族 年齢:20才

 職業:冒険者  クラス:竜王の騎士風・水new!

 称号:竜王の試練に挑みし者

 加護:神竜王バハムートの加護、守護者、???の寵愛を受けし者

 ソウルリンク(弱):ジュン・ハルノ

 スキル:気配察知、身体強化、自然回復、気配感知、剛力、空間把握、剣術3、槍術5、盾術5

 ユニークスキル:竜闘気Lv2、ブレス、金剛力

 現在の装備:風竜槍タイフーン、エイシェントドラゴンメイル、神竜王のver.2、神竜王のブレスレット、サポートリング:テーテュース

 クラスの竜王の騎士に「水」の属性が加わった。おそらく、今後もほかの竜王の試練を乗り越える度に、そのつかさどる属性が加わっていくのだろう。

 うん? ……「???の寵愛を受けし者」ってなんだ? 普段から、彼女たちのステータス確認などしないから気がつかなかったが、この称号って……。

 慌てて他のメンバーのステータスを確認すると……、ありました。「???の寵愛を受けし者」がヘレン、サクラにも。しかもノルンには「???の伴侶」という称号がある。おそらくここには居ないがセレンにもあるだろうな、これ。

 カレンにこの称号がないのは……、まだ抱いていないからか。

 ノルンがなぜか胸を張って得意そうに俺を見上げた。

 (ふふふ。私だけ伴侶ですって。……あなたにも称号が増えているわよ?)

 ノルンの念話を聞いて、慌てて自分のステータスを確認する。と、

 (……確かに。増えてる。「???の伴侶」が。こっちの「???」はノルンのことだろ?)

 (たぶんね。……でもいずれはヘレンやサクラたちにもその称号がつくと思うわ)

 その時、俺とノルンの念話にサクラも入ってきた。

 (マスター。私にはステータスが見えませんが、「???の伴侶」が欲しいので……、その、回数を増やしてください!)

 (あら)(へっ?)

 (ニシシシ。夜の回数ですよ)

 ノルンがじとっとサクラを見た。

 (……サクラ。後で私とお話ししましょうね)

 (の、ノルンさん。お手柔らかにお願いします)

 ノルンに見据えられたサクラが頬をぴくっとさせてびびっている。

 ……う~む。これが正妻の力か。 じゃなくて、みんなともソウルリンクが結ばれているようだが、まだ念話ができるほどじゃないようだ。サクラの言葉じゃないが、夜の回数を重ねていくと、いつかノルンのように念話ができるようになるのだろう。

 (む? ジュン? あなた、もしかして私以外の子との回数を増やそうと考えてる?)

 (え、い、いや。そんなことは考えていないよ。な?)

 (……私との回数も増やすんなら、考えてあげてもいいわよ)

 いやノルンさん。それだとそのうち干からびそうです。それにステータスに不名誉なスキルとか称号ができそうな気がする。

 俺たちの念話のよそに、水竜王はシエラに、

 「では次に、お主の槍を魔方陣に置け」

と指示を出す。シエラは言われたとおり、風竜槍タイフーンを魔方陣に置くと、水竜王の横に並んだ。

 水竜王が虚空に右手を伸ばし、

 「来い。水竜槍アクアヴィータ」

と言うと、アイテムボックスから物を取り出すように、何も無いところから水色の美しい槍が現れた。

 穂先は半透明の美しい水色で、口金くちがねには水色の宝玉がはめられ、柄や石突には竜の彫り物が施されている。槍の全体にうっすらと霧がかかって見えるが、おそらく水竜王の司る水の属性を持っているのだろう。

 水竜王は、シエラの槍の隣に水竜槍アクアヴィータを並べて置くと、再び水色のオーラを放った。

 「我が槍とタイフーンの槍とを合わせ、新たな竜王の騎士の槍とする」

 その言葉とともに、二本の槍が共鳴するかのように細かく振動し、輪郭がぼやけたかと思うと徐々に接近して一本の槍となった。

――真竜槍ドラグニル――

竜王の力の込められた槍。竜王の力を合わせることにより強化する。

現在:風、水

 その槍は穂先が白く、口金には緑色と水色の二つの宝珠がはめられている。全身に銀色の竜の彫り物が施され、石突きには透明なクリスタルのような宝玉が埋め込まれている。

 水竜王が手をさしのべると、その槍はひとりでに水竜王の手元まで浮かんできた。

 水竜王はシエラの方に向くと、シエラはその場にひざまづいた。

 「真竜槍ドラグニルをそなたに授ける。使いこなせ」

といって水竜王が槍をシエラに渡した。

 捧げるように槍を受けたシエラは、

 「はい」

と短く返事をした。

 凜々しく美しいシエラの顔を見て、俺は心の中で「おめでとう。シエラ」とつぶやいた。

12第7章 世界樹と獣人の森

 小屋の中には一つの魔方陣があるだけだった。

 水竜王はその手前で俺たちを振り返った。

 「シエラよ。魔方陣の中心に進め」

 「はい」

 シエラは魔方陣に入る前に全身の装備を確認し、背中から神竜の盾を回して腕に装備する。

 「はっ!」

と短く気合いを入れると、その神竜の盾が光を帯びて二つに分かれ両腕に装着された。

 シエラが一瞬俺と目があい、俺はうなづいた。……がんばれ、シエラ。お前なら絶対やれる。

 「ふふふ。……どうやらいい男と巡り会えたようだ」

 水竜王の小さいつぶやきが俺にだけは聞こえた。

 魔方陣の中心に立ったシエラが振り返る。

 水竜王がその前に立った。

 「……シエラよ。竜闘気ドラゴニック・バトルオーラを出せ」

 その指示を聞いたシエラの体から湯気のように金色のオーラが立ち上った。最初は少し、段々と多く、強く、激しく吹き上がる。

 水竜王がそれを微笑んで見つめながら、右手を挙げた。

 「ゆくぞ。覚悟はいいな?」

 「はい! お願いします!」

 その右手が水色に光り、魔方陣が輝きを増す。光りがどんどんと強くなりシエラを包んでいく。

 「ひとつ。アドバイスをしよう。……惑わされるな」

 魔方陣の光りが俺たちの視界をも奪う。まばゆい光りに俺たちも包まれるなか、水竜王の声が俺たちの脳裏に響いた。

――――。

 光りがおさまり、シエラが目を開くと、そこはデウマキナ山にある自宅の庭だった。

 「シエラ。何をぼうっとしてるんだい?」

 目を開くと、そこにはジュンが剣を持って立っている。

 「え?」

 「ほら。朝の鍛錬中だぞ」

 気がつくと自分の右手にはかつて使っていた片手剣を握っていた。

 いまだに混乱しているシエラの様子を見て、ジュンは剣を納めるとやれやれと肩をすくめる。

 「なんだか集中できていないみたいだし、今日はやめにしようか。……ほら。シエラ。親父さんが終わったら来いって言ってたろ?」

 「お、父さん?」

 ジュンはシエラに近寄って、顔をのぞき込む。

 「おいおい。本当に大丈夫か?」

 シエラの額に手を当てて、

 「う~ん。熱は無いみたいだな。……どこか具合でも悪いのか? 昨夜は――、コホン。まあ、そのなんだ。そんなに激しくしたつもりはないが……」

とぶつぶつ言っている。

 そこへ裏口のドアが開いて、

 「お~い! まだやってるのか?」

という声と共に、背の高い一人の竜人族の男性が出てきた。シエラの父ギリメクだ。

 ギリメクは二人を見て、

 「なんだ。こんな時間からいちゃついているのか。……まあ、いいけど、早く中に入れ」

と言って家の中に戻っていった。

 その姿を見たシエラが、

 「お父さん。……」

 ジュンが心配そうに、

 「本当に大丈夫か? ほら。ノルンたちも朝食を作って待ってるから、早く行こうぜ」

とシエラの背中を押して家の中へと入っていった。

 見慣れた自宅の廊下を通り食堂に行くと、テーブルの上に人数分のハムエッグとサラダ、そして、パンの入った篭とジャムの入った壺が並んでいる。

 「あら。遅かったわね。……シエラ?」

 振り返ったノルンがシエラを見て怪訝そうな声を上げる。

 すでにイスに座っていたヘレンやセレンもシエラを見て表情をこわばらせた。

 サクラとカレンがイスから立って、心配そうにシエラのそばまでやってくる。

 「どうしたの? シエラちゃん」「大丈夫ですか?」

 背中を押していたジュンが、シエラの前に回り込んで驚いた。

 「シエラ。泣いているのか?」

 シエラは無言で自分の目の下に手をやり、

 「あれ? なんで涙が……」

とつぶやいた。どうやら自分が涙を流していることに気がついていなかったようだ。

 ジュンがそっとその涙をハンカチで拭き取り、そっとおでこにキスをした。

 「さ。お義父さんが待ってるよ」

 「はい」

 シエラの小さな返事を聞いて、ジュンは安心したようにギリメクの隣に座った。

 シエラは残っているサクラの隣に座った。

 全員が揃ったところでギリメクがうなづくと、

 「じゃあ、朝ご飯にしよ――「バタン!」う?」

突然、玄関から竜人族の女性、――警備隊本部詰めのカリタさんだ。

 「隊長! 大変です。モンスターの襲撃です」

 それを聞いたギリメクは立ち上がるとすぐにカリタさんのところへ向かった。

 しかし、その時、カリタさんの胸から黒い槍が飛びだした。

 「がっ」

 背中から黒い槍で貫かれたカリタさんが、口から血を出す。全身から力が抜けているようだが、胸に刺さった槍に串刺しにされて倒れることができない。

 「カリタ!」

 ギリメクさんは立てかけてあった剣を抜き放ち、黒い槍を切り落として、倒れ込んだカリタさんを左手で受け止める。ジュンたちもすぐさま立ち上がって、玄関の方を中止した。

 「クフフフ」

 「この声は……。グラナダ!」

 シエラは慌てて父親を守ろうと飛びだした。しかし、それよりも早く玄関から闇が広がりシエラの視界を覆い尽くした。

――――。

 「くっ。お父さん! ジュンさん! ノルンさん! みんな!」

 闇の中でシエラが名前を叫ぶ。返ってきたのは沈黙だけだった。

 目が慣れてきたようで、闇の中でもものがうっすらと見える。

 さっきまで家の食堂にいたはずが、なぜか今はどこかの洞窟の中にいるようだ。

 もしかして一人だけ転移してしまったのだろうか。あれからみんなは?

 シエラの心に焦りが募っていったところに、倒れている何人かの人の姿が見えた。

 おそるおそる近づいて様子を確認する。

 「――う、そ、そんな!」

 一番近くに倒れているのはサクラだった。その胸には大きな穴が開いており、明らかにすでに事切れている。

 震えながらそのほほに触ると氷のように冷たくなっていた。

 「まさか……」

 慌てて他の人を確認しはじめたシエラは、ヘレン、セレン、カレン、そして、ノルンの遺体を確認した。

 残る人影は二つ。並んで倒れているのはジュンとギリメクの遺体だった。

 「う、うわああぁぁぁぁ」

 叫び声を上げて、その場にうずくまるシエラ。

 そこへどこからともなく笑い声が聞こえてきた。

 「クフフ。クフフフフ」

 しかし、シエラは力を失ってうずくまったままだ。

 「おやおや。せっかく、一人だけ見逃してあげたというのに。喜ばないんですか?」

 シエラは泣いたままで中空を見上げる。

 「……グラナダ」

 シエラがそうつぶやくと、中空の闇の中にぽっかりとグラナダの白い顔が浮かんだ。

 グラナダは愉悦に顔をゆがめ、

 「う~ん。無力ですねぇ。おわかりですか? あなたは弱い。そんな大層な盾を持ったところで、あなたには……、誰も守ることなどできないのですよ」

 シエラはうつむいたままで自分の手を見つめている。その周りをグラナダの白い顔がぐるぐると回転する。

 「愛する人を守れない。大切な仲間も守れない。無力なあなたには誰も守れない。何も守れない。クフフフフ」

 シエラの体が足下から少しずつ黒く変色していく。

 「無力なあなた。生きていても仕方がないでしょう。……塵におなりなさい」

 変色が脚から太もも、そして、腰に広がっていく……。

――――。

 俺の目の前で魔方陣が光ったと思ったら、シエラがその場にうづくまっている。

 水竜王が俺に、

 「この試練で肉体的に怪我をするようなことはない」

と説明する。つまり、この試練はシエラの心の強さを見るのだろう。

 俺は祈りながらシエラを見守る。しばらくすると、水竜王が険しい表情をして、

 「しかし、このままでは心が壊れるかもしれぬ」

 慌ててシエラを見ると、体の中に感じられた気が少しずつ弱まっていく。

 サクラが胸元の手をぎゅっと握り、

 「……シエラちゃん」

と心配そうにつぶやいた。

 その時、一瞬、俺の意識がくらっとよろめいた。その一瞬の間に、闇に包まれてうづくまるシエラの姿が見えた気がする。

 「シエラ!」

 俺は目をつぶり、さっきの一瞬のうちに見えたシエラに向かって手を伸ばす。

 祈り、瞑想に入る俺の耳に、どこか遠いところから低い低いドラムの音が聞こえる。まるで心臓の鼓動のような、熱く力強い音。

 気がつくと、俺自身が深い暗闇の中を漂っている。闇とはいっても冷たく凍らせるようなものではなく、じんわりと温まるような、まるで母親の胎内がそうであったと想像させるような闇だ。

 その温かい闇の中で、俺の胸の内から聖石の力が漏れ出した。最初はうっすらと、少しずつ光が強くなり、やがて完全に光の衣となって俺を覆う。

 そのまま、シエラを念じる。どこかにある別の闇に覆われ試練と対峙するシエラの無事を、俺は瞑想の中で祈り続けた。

12第7章 世界樹と獣人の森

 不思議と西部に向かうにつれて、空気中の瘴気が薄れていくのがわかる。

 ってことは、天災と思われる敵が世界樹の近く、……さすがにあの結界の中には入っていないと思うが、それでも近くにいるんだろう。

 あれから街道を急ぐこと二日目の朝。俺たちはとうとう湖沼地帯の入り口に到着した。

 森が突如として終わり、街道の終点に小さな集落が見える。

 その集落の向こうには、広い空とその下に広がる湿地帯が見える。まだ早朝なので水面から霧が立ち上っているが、その隙間から見える水面が鏡のように空の青を映し出している。

 この位置から集落の様子はよくわからないが、どうやら蜥蜴人族の集落のようだ。

 俺たちの姿を見て、門番をしていた蜥蜴人族の男が警戒もあらわに槍を手に取る。

 「まってください。私たちは世界樹の使いです!」

 カレンがそう叫びながら俺たちの前に出た。それを見た蜥蜴人族の男が驚いて槍を納め、その場に膝をついた。

 「申しわけございません。まさかエルフ様がおられたとは……」

 そういってうなだれる蜥蜴人族に、カレンは慌てて、

 「い、いいえ。立ってください。ひざまづく必要はありません」

と言って立ち上がらせた。ただのエルフじゃなくハイエルフだと言うことは内緒にしておいた方が良さそうだ。

 カレンに言われて立ち上がった門番の男性は、

 「それで我が部族に何のご用が?」

と尋ねた。

 「我々は世界樹のお告げにより水竜王様の所へ行かねばなりません。ここを通らせてもらいます」

 「……なんと! エルフ様はご存じでしょうが、ここはゾヒテの者がうかつに水竜王様の支配する土地に入り込まないための集落です。なにとぞおさにお会いください」

 そうか。ここの集落は湖沼地帯のガードマンでもあるのか……。なら会わないわけにはいかないだろう。カレンは落ち着いて、

 「では急いでください。時間がありません」

と告げると、「はっ」と蜥蜴人族の男が慌てて集落の中へ走って行った。

 「お、長あぁぁぁぁ」

 叫び声を聞いて、家々から蜥蜴人族の人たちが何事かとぞろぞろと出てきた。それを見て俺は思わず空を見上げた。

 「あちゃ~。目立っちゃったな……」

 がやがやと向こうから慌てて走る数人の人たちがやってきた。……おそらくここの長だろう。

 「え、エルフ様はどこじゃ~!」

 うわ……。

 それを見て、みんながため息をついた。

 はぁはぁと息を荒げて長らしき六〇代ほどの男性が俺たちの前にやってくると、膝をついた。

 カレンが再び立ってもらおうとするが、長は膝をついたまま立とうとしない。

 「エルフ様。私どもは水竜王様の土地に、ゾヒテの者どもが入り込まないよう見張ってきました。水竜王様もご存じで、たまに使いの者が参ります。すぐにその者を呼びますので、集落の中でお待ちくだせえ」

 「長。気落ちはうれしいですが一刻を争うのです。……その使いの方はすぐに来られるのですか?」

 「ええ。この角笛を吹けば一時間ほどで来ますだ。待ってくだせえ。え? えええ?」

 カレンと話をしていた長が、俺たちをちらりと見た瞬間驚きの声を上げる。ふるえる手で指を指した先には……。

 「シエラ?」

 指をさされたシエラも、きょろきょろと左右を向いてから、指で自分の顔を指さした。

 「え? わたし?」

 「あ、あなたは、……使いの方じゃない、か」

 シエラはわけがわからないという様子で、前に進み出ると、

 「私はシエラ・リキッドです。……も、もしかして使いの方は竜人族ドラゴニュートなんですか?」

と長の前にしゃがんでそう尋ねた。長はうなづいて、

 「ええ。あんたによう似とる女性じゃ」

 俺はシエラと顔を見合わせた。……ふむ。単純に竜人族ドラゴニュートってことかな?

と思いながらおさの持つ角笛を見たとき、ナビゲーションの説明に驚いた。

――呼び声の角笛。

 一方を吹くと、距離に関係なくついになるもう一方の角から音が出てしらせる。もとは竜人族リキッド家のとある人物の忘れ形見の角。

 ……これはシエラの先祖の角だ。なぜそんなものがここに?

 角笛についてシエラに話そうかどうかと悩んでいると、長がおもむろに角笛を吹いた。

 ブォーォーオー。

 独特の野太い音が響いていく。

 シエラが神妙な顔をでその音を聞いている。その隣にサクラがそっと寄り添った。

 しばらくすると、どこからかチャプという水の音が聞こえた。俺の気配感知に、湿原から誰かがやってくるのが感じられた。

 「誰か……、きます」

 サクラがそういったとき、一人の女性が歩いてくるのが見えた。

 シエラと同じ金髪に巻き角をした竜人族の女性。背の高さはシエラと同じくらいで、ややスリムだ。水色のゆったりとしたローブを着ている。

 確かに長が見間違えたように見た目はシエラそっくりだ。違うところはシエラとは異なり、どこか近寄りがたい雰囲気を持っていて、冷徹ともいえる美貌をしているところだ。

 「長よ。我を呼んだか? ……あ?」

 長に話しかけた女性が俺たちの方を見て固まった。俺と見た視線が、カレンへと移り、そして、シエラに移る。

 黙っている女性に、長がおそるおそる。

 「この者たちは世界樹様の御使いです。水竜王様への謁見をお願いしたいのです」

というが、その女性は俺たちの方を見たままだ。

 俺は少し前に進み出て、そっとひざまづく。するとその横にノルンが同じようにひざまづき、俺たち後ろにみんなが続いた。

――水竜王アクアヴィータ――

 種族:竜王  年齢:???

 職業:竜王  クラス:竜王

 ?????????

 まさかの水竜王本人だった。

 水竜王は俺たちを見下ろすと、

 「うむ。では我の後についてくるがいい」

ときびすを返して湿地帯に向かっていった。

 俺たちはさっと立ち上がり、長に一礼してから、後を追った。

 水竜王は、少し先で俺たちが追いつくのを待っていてくれた。

 その目はシエラを見ている。

 「……もしやその娘はリキッドの者か?」

 シエラがうなづいて、

 「はい。確かに私はデウマキナの竜人族の警備隊長ギリメクの娘、シエラ・リキッドです」

と返事をして、

 「ええっと……」

と何かを尋ねようとした。俺はそっとシエラに、「彼女が水竜王だ」というと、ぎょっと目を見開き、再び膝をついた。

 水竜王は、

 「ギリメクの娘シエラよ。我はアクアヴィータ。水竜王にして、そなたらの遠い祖先に当たる者。……よく来たな」

と、かすかに微笑んだ。

 そのとき、水竜王の背後に木のボートが滑るように近づいてきた。船頭は誰もいないが、すっと水竜王のところで停まった。

 水竜王はゆったりとした動作でそのボートに乗り込み、俺たちにも乗るように指示をする。

 おっかなびっくり乗り込むと、自動的にボートが動き出した。

 ボートは、湿地帯の背の高いかやをかき分けて進んでいく。

 すると細長い一つの湖に出た。風一つなく鏡のような水面を、ボートがゆっくりと切り裂くように進んでいく。

 「世界樹の巫女よ。我の住処まで時間がかかる。何か我に要望があるのであろう?」

 水竜王がそうカレンに尋ねた。

 「はい。水竜王様。世界樹様のお告げです。水竜王様より清水の宝玉オーブをもらい受け、大地のおへその祭壇に捧げよ。……私たちはその命を受けてここに参りました」

 「ふむ。去年の竜王会議で瘴気の話題が出ておったが、その浄化に使うのであろう。世界樹からの要請ならば是非もない。後ほど渡そう。……しかし」

 水竜王がシエラのほうを見る。

 「ギリメクの娘シエラよ。そなたには試練を受けてもらう。理由はタイフーンより聞いているな?」

 シエラは真剣なまなざしでうなづき、

 「はい。真竜の騎士の試練ですね。よろしくお願いします」

と頭を下げる。

 つづいて水竜王が、

 「それとそなたらは気づいておるか? ここ一月ほどでゾヒテの瘴気が急に濃くなっているのを」

 それを聞いたカレンは驚くが、

 「いいえ。水竜王様。私どもは先週、エストリアより「ああ。一月はわからないが、瘴気が日に日に濃くなっている。世界樹の結界に近づけば近づくほど濃いようだ」、……えっ?」

 俺はカレンの言葉をさえぎって水竜王に告げると、水竜王はうなづいた。

 「うむ。お主とそこの女性には見える・・・のだったな。何かが暗躍しているのだろう。充分に注意せよ」

 「はい。ありがとうございます」

 俺が礼をいうと、船の前方に一つの小島が見えてきた。

 「どうやら着いたな」

と水竜王がつぶやく。ボートはすっと小島のところで止まり、水竜王が島へと渡る。

 到着した小島は直径が五〇メートルほどで、下草に覆われていて中央に一軒の小屋が見えた。

 その小屋に向かいながら、水竜王が前を向いたまま、

 「……嵐が来るぞ。このヴァルガンドすべてを巻き込む嵐がな」

 たんたんと語る声が、俺の心を静かに掻き立てた。

12第7章 世界樹と獣人の森

――――。

 獅子人族の集落は喧噪に包まれていた。

 世界樹のお告げにより、何ものかの襲撃を受けることが予測される。そのため、戦えない者や守るべき女性と子供たちは、虎人族の集落へ疎開させ、戦う者は防御戦を集落の周りに気づいている。

 また他の虎人族や蜥蜴人族をはじめとする他の種族の者が共に戦うために集結している。

 大地のおへその聖地は、現在、前線基地と化していた。

 中央の族長の家の庭に出されたテーブルの上で、五人の獣王が地図を睨んでいた。

 蜥蜴人族の石竜王シノンが、

 「鷲人族の偵察では、まだ何も襲撃の兆候はない様子。敵戦力の規模がわからぬので布陣のしようも無い……」

とつぶやく。それに猛虎王ティガロがうなづく。

 「どこから襲撃されるかもわからない以上、大地のおへそを中心にして満遍なく防御陣地を布くしかないな」

 犀人族の雷角王ライノがかぶりをふって、

 「しかし、それでは人員が足りぬぞ」

 ティガロは、

 「せめて敵の規模と位置がわかればな……」

と難しい顔をしている。

 話を聞いていた猿猴王ゴクウが、

 「鳥人たちと一緒に、俺も偵察班に入るぜ」

と宣言すると、ティガロは視線だけをゴクウに送り、

 「何か手はあるのか?」

と訊いた。

 「どこまで効果があるかわからねえが、街道以外の林に糸と鈴で警戒網を張ってくる。それと俺は飛び回っているから、どこか本部の位置を決めといてくれ」

 黙って話を聞いていたライオネルが、

 「本部は大地のおへその手前にする」

と言うと、ティガロがうなづいて、

 「うむ。それと大地のおへその上に観測班を置こう」

 それを聞いたゴクウは立ち上がり、

 「んじゃまぁ。早速、仕掛けをしてくるぜ」

と言って出て行こうとする。

 それを見てライオネルが、

 「頼むぞ。夕方に鐘を鳴らしたら、また集まってくれ」

と告げる。ゴクウは「わかった」と言って立ち去っていく。

 ライオネルが、

 「防御部隊の編成と布陣はライノ殿に任せる。……防御戦は犀人族に勝るものはない。ティガロ殿は攻撃陣の編成を。シノン殿は通信部隊の編成を頼む。この広い陣地の肝になる」

 「うむ」「了解した」「おう

 獣王たちを見送ったライオネルは、

 「頼んだぞ。みんな」

とつぶやいた。

――――。

 猿猴王ゴクウは部下の猿人族に警戒線の設置を命じると、一人で大地のおへその祭壇に登る階段の中程に腰掛けた。

 ジュンたちが出発したのは昨日だ。

 鳥を使って各部族に世界樹のお告げを連絡し、獣王たちは獣王会議に連れてきた護衛と共に獅子人族の集落に直行した。

 おそらくゾヒテのあちこちの集落から、今もなお増援がここへ向かってきている事だろう。

 今日の空は、ゾヒテの状況を示すかのように雨雲が迫りつつある。階段に座って空を見ながら、ゴクウは口にあしをくわえたままでほお杖をつく。

 「ちぃ。俺様のレーダーにピリピリきやがるな。……こいつが瘴気か?」

 もともと大妖怪の一人であるソンゴクウは感知に長けており、今、その体毛の一部が逆立っていた。

 「こいつはおおもんだな。牛魔王クラスかよ」

 ふっとくわえた葦をはき出すとおもむろに立ち上がる。手でひさしをつくって森を見渡した。

 「それにしても、まさかネコマタから仙猫なんてものに進化するたぁ。恐れ入ったぜ。……俺も負けてらんねぇな」

 ゴクウは不敵に笑みを浮かべるとおもむろに右手を空に掲げた。

 「来い! きんとうん!」

 空の彼方から小さな白い一切れの雲がやってくる。ゴクウはそれを見ながら、

 「サクラと言ったな。あいつにも今度、これを教えておくか」

といって、耳から小さな棒を取り出した。それをぽんと空に放り投げると一本のこんになる。ゴクウは飛び上がって、その棍をキャッチすると、そのままきんと雲に着地した。

 「行こうぜ! 相棒!」

 ゴクウを乗せたきんと雲が宙返りをしながら森へと飛んでいった。

 「目指すは瘴気の根源だ。大掃除と行こうぜ」

――――。

 きんと雲が巧みに木々を避けながら、林の中をすごいスピードで飛んでいく。

 「かぁぁ」

 ゴクウが叫ぶとその全身から赤紫の妖気が立ち上る。その目が前の一点を見据える。

 「……伸びろ! 如意棒!」

 ゴクウの手にした如意棒がグンッと伸びて槍のように前方の黒ずくめの男に迫る。

 直前に気配を察知した男は素早く横に飛び跳ねた。その脇をきんと雲に乗ったゴクウが通り過ぎる。

 すれ違う瞬間に黒ずくめの男を視線を交わせると、相手の男がフッと笑い、

 「猿猴王か! ふはははは! これは楽しみだ!」

と一瞬のうちに戦闘態勢を取った。

 きんと雲から飛び降りたゴクウは男と対峙する。

 「気にくわねぇな。九鳳たちを倒しておきながら何故名乗らねぇ。瘴気をゾヒテにまき散らして、な~にが目的だぁ?」

 ゴクウは不敵に笑いながら男を睨むと、男は、

 「おお! そういや名乗っていなかったな」

とニヤリと笑うと姿勢を正して胸の前で手のひらをとこぶしを当ててお辞儀をする。

 「俺は憤怒の天災ベリアス。怒りを喰らい、暴力の嵐をゾヒテに巻き起こしてやろう」

 ゴクウは礼を返しながら、

 「ふん。できるもんならやって見やがれ」

と如意棒を構える。その全身から立ち上る妖気を見て、ベリアスは、

 「ほほお。初めて見る力だ。……これは楽しめるかな?」

 「抜かせ!」

 ゴクウが一気に相手の間合いに入り如意棒をたたきつける。ベリアスは左手の甲で如意棒をいなして、右の正拳を突く。それを如意棒を持った手で受け流しながら、反動を利用して蹴りを放ち、そのまま宙返りをしながら如意棒を振り下ろす。

 バク宙をしながらよけたベリアスと再び対峙する。

 ニヤリと笑ったベリアスの姿が一瞬にして消える。ゴクウは即座に後ろに如意棒を振ると、そこのベリアスの姿が現れた。

 「……ほう。やるな」

 「貴様こそな」

 ゴクウは額の毛を抜くとフッと吹く。吹いた毛の一本一本がソンゴクウとなってベリアスに襲いかかる。

 ベリアスが獰猛な笑みを浮かべながら、複数体のゴクウをなぎ払った。

 「ふはははは。ふはははは!」

 狂ったような笑い声は響き渡る。次々にソンゴクウの分身をぶん殴り、ソンゴクウ本体に迫った。

 「いいぞ! いいぞぉ! もっと! もっとぉぉぉ!」

 そのベリアスの周りを、まさに猿のように跳ね回りながら縦横無尽に攻撃を加える猿猴王ゴクウ。

 その顔はまた、ベリアスと同じく獰猛に笑っていた。

 「かあぁぁぁ!」

 二人の姿が見えなくなり、周りの空間に幾つもの火花が散る。

 ベリアスの腕に巻き付けた尻尾であり得ない体裁きをしたゴクウが、ベリアスの頭を殴りつけた。

 一瞬、ベリアスが地面にたたきつけられ、その上空にゴクウの姿が現れる。

 「金剛撃!」

 妖気を帯びた如意棒の一撃がベリアスを地面に打ち付け、陥没し、ベリアスを中心に半径二〇メートルのクレーターとなる。

 しかし、次の瞬間、ベリアスの姿が消えてゴクウの背後に現れると、ベリアスの両手がゴクウの背中を打った。

 ゴクウが一直線に吹っ飛び、何本かの木をなぎ倒す。

 「ぐはっ!」

 地面に落ちたゴクウの口から血が吹き出るが、油断無くベリアスを見つめる。

 ……こいつはつええぇ。封印を解かなきゃ、やられるな。

 顔を上げたゴクウの視線の先には、悠然と歩を進めるベリアスの姿があった。ベリアスはゴクウから距離を取って再び両手を構え、ニヤリと笑った。

 それを見たゴクウは、懐からひょうたんを取り出す。

 ……使いたくなかったが、今は仕方がねえか。

 「おおい! ベリアス」

 ゴクウが名前を呼ぶと、

 「なんだ。猿猴王」

とベリアスが返事をした。

 その瞬間、ゴクウの手に持ったひょうたんから、ひゅおおおぉぉと強力な掃除機のような音がして、ベリアスが、

 「ぬ? ぬお? おおぉぉぉぉ」

と声を上げながらひょうたんに吸い込まれていった。

 ゴクウはゆっくり息を吐いてひょうたんを見つめる。

 ゴクウの目からは、ひょうたんからまるで泉のように瘴気が吹き出ているのが見える。見る間にひょうたんにヒビが入る。

 「所詮は時間稼ぎにしかならねぇか。……巫女よ。早く戻ってきてくれ」

とつぶやき、その場にひょうたんを置く。

 ひょうたんの中からベリアスが、

 「なんじゃこらぁ」

と叫ぶ声がするが、ゴクウは、

 「ふん。紅ひさごだ。……勝負は大地のおへそでつけよう。ライオネルとともに待ってるぜ」

と呼びかけると、中から、

 「こんなところすぐに出て行ってやるからな! ぬおおぉぉ」

とベリアスの声とより濃密な瘴気が吹き出はじめた。

 ゴクウは四神結界を張ると再びきんと雲に乗り、大地のおへそを目指す。

 「相手は一人。だが強力だ。一刻も早くライオネルに伝えねば」

 その顔は真剣だ。

 「巫女よ。早く戻ってきてくれよ!」

 きんと雲に乗りながらつぶやいた声が空中に消えていった。

12第7章 世界樹と獣人の森

――――。

「ふん!」

 黒ずくめの服を着た男が道ばたに唾を吐き捨てた。

 その後ろには、まるでボロぞうきんのようになった男が倒れている。その耳から豹人族の獣人であることがわかる。

 黒ずくめの男は、

「銀狼王といい、ゾヒテ九鳳といい、どいつもこいつも手応えがなさ過ぎる。……どこかにこの俺を満足させる武人がいないものか」

とつぶやいた。

 頸をコキコキとならして林に踏み入ったとき、頭上から、

「ベリアス。調子はどうだ?」

と声がする。ベリアスと呼ばれた黒ずくめの男がつまらなさそうに上を見上げると、そこには同じように黒ずくめの服を着た女性の姿があった。

「モルドか。調子もくそもねえぜ。弱っちい奴らばっかりだ」

と吐き捨てると、頭上の枝に腰掛けていたモルドと呼ばれた女性は、

「ふふふ。我らに比べるのは詮無きことよ。それよりもちゃんと世界樹に瘴気を打ち込んでるんでしょうね?」

と笑いながらもギロリとベリアスをにらみつけた。

 ベリアスは肩をすくめ、

「さすがに、真っ正面からあの結界をぶち抜くのは無理だ。だがあれは外部の祭壇と連動している。先に外部の祭壇を瘴気で満たし、それから結界を破壊してやるさ」

と告げた。

 モルドは、

「ふうん。なるほどね。……ま、いいわ。好きなようにすればいい。ただグラナダやピレト、ゴルダンとやり合った冒険者がこっちに来てるみたいだから注意なさいよ」

 ベリアスは獲物を見つけたようにニヤリと笑みを浮かべた。

「ほう? そんな奴らがきてるのか。……くっくっくっ。そりゃいいことを聞いたぜ」

「遊ぶのも大概にしなさいよ。……私もそろそろウルクンツルに行くからね。こっちはしっかりやんなさいね」

 念を押すモルドに、ベリアスは、

「はいはい。わかってますよ」

とおどけた。モルドはそれを見てフッと笑うと、すうっとその体が消えていった。

 それを確認したベリアスは、面白そうに笑みを浮かべると、

「んじゃま、いっちょやりますか。次は獅子人族の王ライオネルに大地のおへそだな」

そういうと軽い足取りで林の中に消えていった。

――――。

 目指す水竜王の住みかはゾヒテ西部の湖沼地帯だ。

 残念ながら、ゾヒテの獣人であってもおいそれと足を踏み入れることができない場所らしいが、その近くまでは世界樹街道の一本がのびている。

 出発のために樹上のエルフの集落から階段を降りていると、ノルンが、

「一度でも行ったことがあれば転移ができるんだけどね」

とつぶやく。今回は、できれば急いで行きたいところだが、できないことは仕方がないだろう。神船テーテュースもこれだけ木々が密集している中では巨大化させるわけにはいかない。

 ノルンが、

「やっぱり馬で行くしかないわね」

「……ノルン。焦りは禁物きんもつだ。とにかくできることをしようぜ」

「ジュン。…………そうね。ありがと」

 なまじ転移魔方陣の構築とかできるから、内心では忸怩じくじたる思いがあるのだろう。

だが、焦ってはダメだ。

 一番先頭を歩くカレンが、

「ノルンさん。大丈夫ですよ。それにゾヒテの馬はねばりづよく、結構速いですよ」

と振り向いて、「ほら」と階段下を指さした。

 まだ地上まで10メートルくらいあるが、眼下では俺たちの人数分の馬をエルフが用意しているところだった。どの馬も引き締まった肉体をしているが、サラブレットのような足長ではなく、どちらかといえば道産子のような小型の馬だ。

 どことなく人なつっこい目をしているようだが、あんなに小さくて大丈夫なのか? まあ、俺たちのチームで重そうなメンバーはいないが……。いや待てよ。確か道産子は武士を乗せて山や谷に活躍した馬と同じルーツで、スタミナが結構あったはずだ。

 軽快に階段を降りるカレンが、

「ゾヒテ種は、体は小さくともパワーとスタミナはどこにも負けません」

と言って、下の馬に手を振った。

 地面に下りたカレンは、エルフの引いてきた白毛の馬の頬を撫でてから、手綱を受け取り、さっと馬に乗った。

 俺たちも順番に馬に乗る。……うん。背が低い分、安定しているような気がする。

「よろしく頼むぜ」

 そういって、首筋を撫でてやった。カレンが、見送りに来たチータに、

「チータ。あなたはここで世界樹の守護を頼んだわよ」

「はい。カレン様! ……ジュン様。カレン様をよろしくお願いします」

 俺はチータに向かってサムズアップをして、

「まかせろ! 俺の女は俺が守るさ」

と言うと、カレンが真っ赤になった。……初々しいね。ノルンたちは平気な顔をしているが、内心ではちょっと得意げだ。

 チータは息を吐くと、

「ご馳走様です。では、リア充はさっさと逝ってください」

と一礼した。……今、言い間違えたんだよね?

 ノルンが苦笑しながら、俺の背中をぽんと叩くと、まだ赤くなっているカレンの脇を通り過ぎて、

「お先に!」

といって進み出した。そのすぐ側を、真紅のフェリシアが飛んでついていった。

「おいこら! 待てよ! ……じゃあ、チータ。行ってくるぜ!」

と俺も慌ててノルンを追いかける。カレンとヘレンたちも後ろから馬を走らせてきた。

――――。

 ジュンたちが出発するのを見送ったチータは、そっと両手を合わせて、

「行ってらっしゃいませ。カレン様に先生たち。ゾヒテを、世界樹をお守り下さい」

と祈る。

 その頭上を、さあっとそよ風が通り過ぎ、木々が揺らめいた。枝の隙間から漏れる木漏れ日が、祈りを捧げるカレンにまだらの影を投げかける。

 その姿はまるで教会で祈りを捧げる一人の女性のようだった。

――――。

 馬に乗ったまま世界樹の結界を抜け、スピードを緩めずに西へ向かう。

 先頭を行くノルンが、どうやら風魔法と回復魔法を馬たちにかけているようで、蒸し暑い時期にもかかわらず、涼しい風が俺たちを包んでいる。

 最初の休憩地点で小休止を取ったときに、カレンが馬たちに何かをつぶやいていて、聞いてみると世界樹の祝福を与えたそうだ。

 そのお陰か、幾度かの休憩を挟んだけれども一頭も脱落することなく、その日の晩まで俺たちを乗せて走り続けてくれたのだった。

 夕闇が迫る林の中の街道を走る俺たち。

 後ろのカレンが、

「ジュン様! 今日はもうこれ以上は無理です。少し先に休憩所がありますから、そこで一泊しましょう」

と叫んだ。確かに街道とは言っても照明もない中を進むのは危険すぎる。俺は即座にみんなに叫んだ。

「わかった! みんなも、この先で今日は休むぞ」

 休憩所は、街道が切り立った崖の下を通るところに、岩壁をくりぬいて造られていた。警備の獣人もおらず、今のところ俺たちだけのようだ。

 すぐさま中に入ると、中は馬を繋いでおけるようになっていた。

 馬から下りて馬具を取り、馬を休ませてやる。

 ノルンが水場の水に浄化魔法をかける傍らで、馬たちに回復魔法をかけてやっていた。

 俺が何も言わなくても、ヘレンとシエラがすぐに食事の準備に取りかかり、サクラは休憩所の中を点検に向かった。

 カレンは馬たちの様子を見て、何か語りかけていた。……馬たちと意思の疎通ができるのだろうか?

 俺は入り口から外に出ると、上空をフェリシアが旋回して安全を確認しているところだった。

(フェリシア。周りを確認したらお前も中に入ってくれ)

(了解です。……今のところ、危ない気配はないですね)

 そう念話を送ったフェリシアが、さあっと下りてきて休憩所の窓枠に停まった。

 俺は入り口そばの壁にもたれかかりながら、空を見上げた。

 すでに日没が過ぎ、空に星が瞬き始めている。さすがに金牛の月5月だと昼間は熱気にあふれているゾヒテでも、夜は幾分か過ごしやすくなる。さらにここは風の通り道になっており、吹き抜ける風が火照ほてった体に心地よい。

 西部湖沼地帯まで、あと二日。

 ――それまで何事もなければいいが。

 俺は瘴気の漂う空を見上げながら、そう思った。