9-12 精霊珠の試練

 コーラルさんはうなずくと、

「では……」と中央のオブジェに向きなおり、歌をうたい始めた。

 その歌声に魔力が込められている。って、これって人魚族の歌魔法じゃないか?

 なぜ普通の人間族のコーラルさんが?

 驚いているのはセレンも同じようで、背中越しに、

「この歌。王家に伝わるオーシャンズ・ハートだわ。……」

とつぶやいているのが聞こえた。そして、ゆっくりと自らも歌をうたいはじめる。

 コーラルさんがそのセレンをチラリと見て微笑む。

 二人の歌と魔力が円形の広間を満たしていく。まるでレクイエムのような物寂しい歌だ。

 やがて広間の外壁の柱が端から順番に青く光りはじめる。まるで何かをチャージするかのように。

 すべての柱が光るとスウーッと光が中央のオブジェに向かって伸びていく。

 オブジェに集まった光がゆらゆらと揺らぎ、やがてその台座からピカッと鋭い光が天井を照らした。

 ゴゴゴゴ……。

 オブジェが横にスライドしていき、その後には竪穴がぽっかりと口を開けていた。

 あそこが入り口――。

 その前で一度俺たちの方に振り向いたセレンは、ニコリと微笑んで思いきったようすで竪穴に入っていった。

――――セレン視点。

 竪穴に入った私は、気配、魔力、危機の3つの感知スキルを発動しながら、ささいな違和感も見逃さないように慎重に下に降りている。

 やがて穴は斜めに傾斜してしき、何事もなく大きな部屋に出た。

 学校の体育館と同じくらい広大な地下空間。

 入り口からそっと中を覗くと、その中央には小さな祠が見えた。

 そこからジュンやノルンの聖石に似た力の波動を感じる。水の精霊珠の力だろうか。

 しかし……、この広さ。

 今のところ、何もいなさそうだけど、絶対に何かある。

 中央の祠に向かって慎重に進んでいくと、祠から青く光が飛び出して、一人の少女の姿に変化した。

 青く光る少女。

 ……この雰囲気は精霊のもの?

「もしかして、ウンディーネ様?」

とたずねると、少女は私の前にやってきて、

「そうだけど、様はいらないわ」

 私の胸を指さして、

「それにあなた。ノルンの友だちで“彼”のお嫁さんの一人なんでしょ」

 え?

 急にそんなに気安く話しかけられて……。

 戸惑っていると、ウンディーネが右手を挙げる。「みんな! はやく集まって!」

 その声に「はいよ~」「今行く」と口々におしゃべりしながら、次々と新たなウンディーネが姿を現していく。

 ずらっと広間の周りに、まるで観客のようにひしめき合っている。

 どの姿も女性の姿で、これだけの数が集まるとかなり騒がしい。

 これはいったいどういう状況なんだろう?

 そう思いながら正面に立つ一人のウンディーネを見上げる。

「ふふふ。本当はね。心の強さをはかる試練を行うんだけど、試練を行おうにもその指輪があなたを護っているみたいなんだよね」

 ウンディーネが指をさしたのはジュンの神力が込められた指輪だった。

「……それでね。これからの時代のことも考えて、力の試練に切り替えることにしたから」

「え? 力の試練?」

「そう。コレと戦ってもらうよ」

 その言葉とともに広間の上部に巨大なウツボが姿を現した。

 およぞ全長20メートル。

 その大きさと感じる魔力の強さに、思わずトライデントを握る手に力が入る。

 完全に化け物クラス。一軍を率いて対峙するような、それこそ100年に一度生まれるような海の化け物じゃないの!

「疑似生命体だから、思いっきりやっちゃっていいからね」

 ウンディーネは何でもないことのように言って海水に溶け込むように消えていった。

 ウツボの目に光が宿る。

 ……どうやらやるしかないようね。

 トライデントを構えるのもそこそこに、目が合った瞬間にウツボは口を開けて突進してきた!

「我がマナを資糧に、我を守れ! マナバリア・ウォータースフィア」

 球体状の水の防壁を張って横に飛びすさると、そのすぐ脇をウツボが通り過ぎていき、ゴオオウと水流に巻き込まれそうになる。

 とっさにその水流にのっかり、ウツボの後を追いかける。

「アイスランス!」

 ウツボの背後をとったままで氷の槍で攻撃するも、体表の厚い皮ではじき飛ばされた。

「ならば……」

 トライデントの切っ先に電撃をあつめ……。

 と、その時、ウツボがくるっと振り向いて口を開けた。

 鋭い牙の奥に青白い光が見える。

 ――いけない!

 あわててその場から逃げると、さっきまでいたところを竜のブレスのような蒼い光線が通り抜けた。

「……ブレスまで使えるの?」

 破壊された壁を見て戦慄を覚える。気を取られた一瞬。

 私の体は横からはね飛ばされた。

「ぐうぅぅぅ」

 そのまま地面にたたきつけられ、全身を衝撃がとおりぬける。

 痛みに耐えながら目を開くと、私を飲み込もうと首をもたげる姿が見えた。

 ふるえる手でトライデントに魔力を込めて投擲する。

「サウザンド・レイン!」

 三叉銛がいくつにも分裂して、ウツボに襲いかかっていった。

 ぐるぉぉぉっ。

 苦しげな声を聞きながら、今のうちにすぐに自ら回復魔法で傷を癒やす。

「戻れ!」

 短く命じると投擲したトライデントが水を切り裂いて私の手に戻ってきた。

 私を見て再び吠えるウツボ。

 ――さあ、第二ラウンドよ!

 広間を旋回しながら歌をうたう。

 ……この場に満ちる魔力を支配下に置き、水の動きを操作する。

 一滴一滴の水。ウンディーネたちの存在を感じる。

 ウツボが吠えた。

 その声に呼応して、いくつもの機雷のように魔力弾が私の周りに浮かぶ。

 魔法まで使うなんて! そして、魔力の高まりを感じる。またブレスを吐くつもりだのだろう。

 下手に動いて機雷を触れば一斉に連鎖爆発。

 このままブレスを受けても機雷が連鎖的に爆発する……。

 トライデントを前に掲げる。支配した魔力で水を操作する。

 私を中心に渦巻く水。同時に私も魔力を高めてトライデントに込める。

 ジュンには通用しなかったけれども、

「ネプチューン・ストライク!」

 渾身の魔力を込めて、投擲したトライデントが渦巻く水とともに飛んでいく。

 ウツボのブレスと真っ正面からぶつかり合うトライデント。

 機雷があちこちで爆発し、そのエネルギーも渦巻いてトライデントに注ぎ込まれる。

「いっけぇぇぇぇ!」

 魔力をさらに注ぎ込んでいくと、ふと左手の指輪が輝きだした。

 同時に身体の奥から不思議な力が静かに湧いてきた。

 ジュンとノルンの聖石の力が私にも流れ込んでくる!

 新しい力に身をゆだねながら、うれしさがこみ上げてきた。

 私にも確かな絆があった……。

 きっ抗していたブレスとトライデントだったけど、もう負ける気はしない。トライデントが一気に加速してブレスを切り裂きウツボの頭を貫いた。

 ウツボの身体が青く光とともに霧散していく。

「ふふん。当然よ。……私とダンナさまの力が合わさったんだから」

 ここ一番のどや顔をきめる私。ここにダンナジュンがいないのが残念だわ!

――――ところ変わって、セレンが入っていったあとの広間。ジュンたちは。

 コーラルさんが、

「試練を祈りながら待つのも辛いでしょう。映像を出しましょう。……ウンディーネ様、お願いします」

 するとその隣にウンディーネが姿を現して、「はあい。ノルン」と手を振る。

 水中にスクリーンが映し出される。

 通路を進んでいくセレン。

 緊張しながらも、するどい視線で罠がないかどうか確認しながら慎重に進んでいる。

 やがてかなり広いホールに出たようだ。

 ……あの大きさ。ダンジョンだったらボス戦が行われるような大きさだ。

 案の定、中央の祠から別のウンディーネが現れ、さらに続々とウンディーネたちが姿を現す。

「うわぁ。すごい……」

 スクリーンの中でずらっとウンディーネがひしめいている光景を見て、サクラが驚きの声を挙げる。

 ここにいるウンディーネが微笑んで、

「ふふふ。私たちは個に全、全にして個なの。意識はつながっているし、同じ記憶を共有しているのよ」

 その説明にうなずきながらスクリーンを見ると、巨大なウツボが姿を現していた。

――試練者――

 水の試練のために生み出された疑似生命体。ウンディーネの力が込められている。

 あの巨体に一人で立ち向かうのか。セレン……。

 不意にノルンが俺の手を握った。

「大丈夫。信じましょう」

 そういうノルンも握る手に力がこもっている。

「そうだな。セレンなら……、きっと打ち勝つ」

 ふとウンディーネと目が合うと、彼女は微笑んでいた。

 サウザンド・レインを放つセレンに、ブレスを吐くウツボ。

 ウツボのブレスに、思わず手に汗がにじむ。からくも避けたセレンが距離を取って対峙している。

 歌をうたい周囲の魔力を支配するセレンに対し、魔力でつくった機雷を設置するウツボ。

 再びのブレスに対し、セレンは真っ向勝負を挑んだ。

 その時、強制的に俺の中のスイッチが解放される。

 覚醒状態となった聖石の力が、身体の中を通ってどこかへ流れていく感覚。

 ……これは前に瀕死になったサクラの時と同じだ。

 スクリーンからまばゆい光を感じて見上げると、そこには俺やノルンと同じく神力の光の衣を身にまとったセレンの姿が映し出されていた。

 ノルンがぐっとガッツポーズをとる。

「やったわね。セレン」

 セレンのネプチューン・ストライクが見事にウツボを貫いた。

 それを見たウンディーネとコーラルさんがパチパチと両手を叩く。

「無事に試練をくぐり抜けましたね。……それに新たな絆の力も身につけたようです」

 コーラルさんはそういいながらウンディーネと目を合わせてうなずいた。

 それを合図にするように、俺たちの足元に魔方陣が浮かび身体がふわっと浮かぶ感覚がした。

 気がつくと俺たちは、いつのまにかセレンが戦っていたホールに転移していた。

9-11 海底に眠る遺跡

 海底山脈を通り抜けると、俺たちの前に再び海底平原が広がっていた。

 その平原の一角にぽつんと一つのテーブル台地が見える。

 俺のナビゲーションスキルによれば、あの台地がアトランティスのようだ。

 地球の伝説だとかなり大きな大陸のイメージがあるが、ここヴァルガンドではさほど大きくない。遠目にも、その台地の中央にうち捨てられた神殿の跡が見える。きっとあそこに水の精霊珠があるのだろう。

 ただっ広いこの海域。光量の調整されたスクリーンで見る限りでは、まるで晴れわたった空のようにも見える。

 異形の生物たちを見たあとだと、妙にほっとするよ。

「特殊結界を感知しました。一旦停止します」

 サポートシステムのアナウンスの中に聞き慣れない言葉があった。

「特殊結界って知ってる?」

 ノルンにきいてみるが彼女も首をかしげている。

 サポートシステムが、

「特殊な媒体を核に張られている強固な結界です。この結界では人の魂が核となっており、対話を求めております。繋ぎますか?」

 ……え? 人の魂が核? それよりも対話か。

「繋いでくれ」

 意思が残っているのなら、直に精霊珠についてきいた方が早いだろう。

 船長室の正面スクリーンに一人の女性の姿が浮かび上がった。幽霊かホログラムのようにうっすらと身体が透けている。

「ごきげんよう。神の船に乗る者よ。私は元聖女の役目コーラルです」

「船長のジュン・ハルノだ。ここにはミルラウスの姫セレンもいる」

「ミルラウス。……ああ、人魚たちの国ですね。でもよかった。ようやく私に下された預言が成就する時が来たのですね」

 うれしそうに言うコーラルに、俺はあわてて、

「ああっと悪いんだが、この神殿のことについて何があったのか教えてくれないか?」

「もちろんです。……ですが、今は何年なのですか? ブラフマーギリーの皇帝はどうなりましたか?」

「ブラフマーギリー帝国は今は無いんだ。今はヴァルガンド1521年だよ」

「ヴァルガンド1521年? ……どうやら私の知っている時代とあなた方とは隔絶しているようですね」

 スケールの大きな話に混乱しかかるが、伝承に詳しいセレンが説明を始めた。

「あなた方の帝国の名前は失われてしまっているわ。大破壊と呼ばれる災害があって人類は滅亡に瀕したの。……そこから再び国を作りヴァルガンド歴が始まっているのよ」

 するとコーラルさんがうなずいて、

「そうでしたか。大破壊……、結局、我らは天災から世界を守ることができなかったのですね」

とつぶやいた。

 すかさず俺が、

「それだ。その天災と戦い打ち破る方法を探しているんだ」と言うと、コーラルさんは、

「今でも天災が活動しているのですか。……わかりました。私の時代のことをお話ししましょう」

と言った。

――――

 今の国々が起きる前。大破壊のさらに前の時代。

 世界は一つの帝国によって支配されていたという。それがブラフマーギリーだ。

 コーラルさんが生まれるまで2万年の歴史を数え、空に高くそびえる建物や各地をつなぐ転移門があるなど、かなり高度な文明を持っていたらしい。

 そのいくつかは地球の大都市を思わせるようなものもあるようだ。

 科学と魔導技術という違いはあるが、文明の発展する先にはあまり違いがないのかもしれない。

 皇帝の一族、および上位貴族は三ツ目族だそうで、そこまで聞いたときにノルンがピクッと興味を示していた。

 ノルンを育ててくれた隠者パティスが三ツ目族だった。もしかするとブラフマーギリー帝族の血を引いているのかもしれないね。

 現代ではエストリア王国アルにいるローレンツィーナ様が聖女だが、この聖女の称号はブラフマーギリー帝国時代初期からあるらしい。

 不思議とどの時代にも一人、「聖女」の称号持ちが現れるそうだ。

 創造神、天空神ウィンダリア、大地神トリスティア、海洋神セルレイオスの神々のほかに、精霊信仰が盛んだったらしく、その精霊の力を現世に顕現させる宝玉、水の精霊珠。それを納めた神殿は聖地として重んじられ、聖女の称号を持つコーラルさんが巫女長として勤めていたという。

 しかし、そのころ世界各地で天変が相次ぎ、帝国の魔導技術を持ってしても大きな被害が出ていたそうだ。

 その時、預言がおりた。

――悪魔が島にやってくる。聖女よ。精霊珠に命を捧げて結界を張り長き眠りにつけ。

――神の力を宿した者が訪れ、精霊珠の力を欲するとき、精霊となりし巫女たちも解放されるだろう。

 コーラルさんは、やがて世界のあちこちで「天災」という正体不明の一団が災害を引き起こしているという噂を聞いたそうだ。

 「悪魔が島にやってくる」。予言の時がいつ来てもいいように、この神殿につとめる巫女たちとともに覚悟だけは決めていたらしい。

 そして、とうとうこの水の精霊珠の神殿へも天災が忍び寄ってきた。

「あれは、強い風でとても船を出せないような大時化おおしけの日でした。

 一人の巫女が遠くから津波が迫っているのを発見しました。そこで私はあわてて結界を張ったのです。

 しかし、よく見ると、その津波の正体は魔物の大群だったのです。見たこともない異形の魔物たち。その先頭にいた黒いローブの不気味な男、それこそが海の悪魔フォラスでした」

 海竜王が降臨してフォラスと戦いはじめたそうだが、その海竜王へ巨大なスライムが襲いかかり、苦戦していたらしい。

 その隙に迫るフォラス。コーラルさんは預言の通りに巫女たちと自らの命を水の精霊珠に捧げその対価として特殊結界を張り、フォラスをはじき出した。

 それと同時に島が海に沈み今に至るという。コーラルさんたちは精霊珠の力で精霊となり、預言の通りに長きにわたって海底で眠りに――。

「私には見えます。感じます。あなた方のうちに眠る神の力を。

 ……ですが、規定により精霊珠に触れる者には試練を受けてもわらねばなりません。結界を通り抜けることを許しますので、神殿までお越しください」

 なるほど試練ね。どうやらすんなりとはいかないようだ。

 テーブル台地のへりに停泊して、神殿の前までやってきた。

 崩れ落ちた柱や原型をとどめていない石像。砂に埋もれた石段などが、眠りについていた長い時を表している。

 しかし、特殊結界の影響か、廃墟のようではあるが不思議と厳かな雰囲気がある。

 入り口でコーラルさんが待っていた。

「ようこそ水の精霊珠の神殿へ。さあ、こちらへ」

 案内に従って進んでいくと、奥に広い円形の広間に出た。

 その中央には竜巻のように巻き上がる水を模したオブジェが鎮座している。

「……本来、試練を乗り越えさえすれば、いかなる方をも精霊珠の元へお連れするのが私たちの役割です」

 そう話すコーラルさんの目に青い輝きが宿る。

「ですが、この度は精霊珠を皆さんにお渡しすることになります。誰の元へ行くのか。それは精霊珠自身がお選びになります」

 順番に俺たちを見つめるコーラルさんが、シエラとセレンを見つめる。そして、しばらくしてセレンを指さした。

「――お二人に適性があるようですが、精霊珠はあなたを選びました。ですからあなたに試練を受けていただきます」

 指名されたセレンが「私?」と自分を指さす。

「ええ。あなたです」

 セレンはぎこちなく適性のあるもう一人、シエラを見るがシエラは黙ってうなずいた。

 コーラルさんがシエラに向かって、

「どうやらあなたには別のお役目があるそうです」

 ……そうか。シエラは水竜王の血族だったはず。だから適性があるのか。

 でも、そういうことをいったら、ウンディーネと契約をしているノルンも候補に挙がるだろう。

 ま、それも含めて精霊珠の意思ということか。

 横目で見ていると、前に進み出ようとしたセレンが進路を変えて俺の前にやってきた。

 めずらしい。

 いつもは「人魚は肉食なのよ」といって強気なセレンが、今はどこか不安そうな表情をしている。

 セレンを引き寄せて抱きしめ、そっと左手に輝く指輪を撫でる。

「この指輪に俺の力が込められている。そして、セレンの力は俺の腕輪に。……大丈夫。たとえ離れていてもお前を護る」

 腕の中のセレンがクスッと自嘲するように笑う。

「……ジュン。私、ずっと不安だったの」

「え?」

「私は他のみんなと違って、海神セルレイオスさまの命令であなたの婚約者となった。だから……、本当はあなたの気持ちはどうだったのかなって。こんな私が、本当は嫌なんじゃないかって」

「それはない!」

「ジュン……」

 俺はセレンの腕をつかんで、不安そうなその表情を真っ正面から見つめた。

「そんないい加減な気持ちで、その指輪を贈ったんじゃない」

「うん」

「みんなにも前に話したけど、俺は確かに一夫一妻制の世界からこっちに来た」

 唐突な自分語りだが、セレンはじっと俺を見つめ返している。

「けれどこの世界にはこの世界の常識がある。だから、俺はみんなの思いを受け止めることにしたんだ」

 セレンがうつむいて小さな声で、

「ええ。それはわかってる。でもみんなとは冒険を通して絆を深めていったこともわかってる。……だけど私は」

「いいや、セレンもだ。人を好きになるのに時間はいらない。それに絆ならこれからいくらでも深めていける。ここの試練もその一つかもしれないさ」

 ――だから、セレン。信じるんだよ。

 そう思いを込めてセレンを見つめると、照れたように少しうつむいた。

「そうね。やっぱりあなたって。……ううん。なんでもないわ」

 すっとセレンの腕が俺の首に回される。セレンが目を閉じて唇を寄せてきた。唇を重ねながら抱きしめている腕に力がこもる。

「じゃあ、行ってくる。……みんなもありがとう」

と礼をいい、きりっと気合いの入ったいい表情になった。

 じっと待っていたコーラルさんが、

「ふふっ。うらやましいわ」

と微笑んでいる。……なんだか恥ずかしくなってきた。

 セレンが腰から棒状の筒を取り出し、魔力を込める。カシャンッ、カシャンッと筒がのびて一本のトライデントとなった。

「さあ、準備はいいわ。もう……、迷わない!」

9-10 海の澱み

 水の精霊珠があるというアトランティス。

 それは例の3枚の浮き彫りに刻まれた島。一夜にして海中に没したというあの島だ。

 おそらくその島にあった水の神殿は、精霊珠をまつっていたのだろう。

 早速、アトランティスに向かって出発することにした俺たち。

 ノルンがアーケロンに、

せわしなくってごめんなさいね。……また改めて来るから、その時はゆっくりさせてね」

「ノルン様。……こうしてお会いできて私はうれしかったです。シャロンを道案内に付けますので、何でもお命じください」

 するとシャロンは驚いた表情でアーケロンにすがる。

「ちょ、ちょっと母さん。私は嫌だよ! ここにいるの!」

「ダメ! ノルン様もいるんだから、少しは外の世界を見てきなさい」

 ……う~ん。もともと捨て子だったのだから仕方ないのかもしれないけど、でももう20才は越えているはずだよな。

 ノルンがさっとシャロンのそばに行った。

「大丈夫よ。シャロン。……私たちね。あなたの案内が必要なのよ」

「う~。なら母さんも一緒がいい」

 アーケロンがシャロンをなだめる。

「……ダメよ。あなたもそろそろ親離れをする年よ。それに私はここから離れられない理由があるからね」

 シャロンが恨めしそうにアーケロンを見る。「……わかったわ」

 まあ気持ちはわからないでもない。

 うん? 例のダイオウイカも見送りに来たようだ。

 アーケロンが、

「あなたも行ってお仕えしてきなさい」

と声をかけるが、イカは動かない。

 それを見たアーケロンが、

「そう。……バカねぇ」とつぶやいた。

 俺たちはテーテュースに乗り、出航の準備を整える。

 ノルンが名残惜しそうにアーケロンを見ている。……記憶がないとはいえ、あれだけ懐かれていたのだから、当然だろう。

 そのアーケロンはシャロンに、

「いいシャロン。あなたはもう一人でも大丈夫なんだからもっと自信をもちなさい」

「で、でも……」

「いつまでも一緒にはいられないってことがわかっているでしょう。大丈夫。ノルン様もそれにミルラウスの姫もいるわよ」

「うん」

「この旅で色々とお話をしてきたらいいわよ。ね?」

 ぐずる子どもをなだめるようなアーケロンの姿には、気むずかし屋といわれていた面影はない。

 次第に注意事項が忘れ物はないかというレベルになってきたところで、苦笑しながらノルンがアーケロンに、

「アーケロン。ちゃんとシャロンを連れて戻るからね。待っててね」

 と割り込むと、恥ずかしそうに笑った。

「ははは。ノルン様。ありがとうございました。……シャロンを。よろしくお願いします」

 不安げな様子のシャロンだが、その隣にはセレンがいる。だからきっと大丈夫。

 こうして俺たちは、アトランティスを目指して出発したのだった。

――――ジュンたちが出発した後。

 テーテュースが見えなくなっても、アーケロンはしばらく去って行った方角をじいっと見つめていた。

 やがて、ダイオウイカの方に振り向いて、

「あんたも……、バカねぇ」

 ダイオウイカは心外だというように体色を変化させた。

「ふふふ。でもまあお礼を言っておくわ。……さっそく歓迎の準備をするわよ。奴らが来る前に」

 そういうアーケロンの声はどこか晴れやかだった。

――――

 浮上して海溝を抜け、俺たちは一路、アトランティスへ向かっている。

 大平原のような海底盆地をつっきり、目の前に横たわる海底山脈を通り抜けているところだ。

 眼下の山々から、時折、黒煙がモクモクと吹き出ている。

 おそらくガスが噴煙のように吹き出しているのだろう。

「海底火山地帯なのよ。このあたりは……」

 船縁で眺めていると、横にセレンがやってきた。

「ああ。あれはガスだろ?」

「そうよ。……ふふふ。やっぱりあなたは物知りね」

「そんなことはないさ」

 知っているのは地球の知識だけだ。

 セレンが指をさした。

「ほら。あそこで小噴火してマグマが吹き出ている」

 たしかに赤いマグマが吹き出て、海水とふれてすぐに黒い岩となってかたまり、さらにその岩が内側から崩れてマグマが流れ岩となる。

 不思議な力強さを感じるダイナミックな自然の営みだ。

「この濁った水もまた海の水。海流に乗って薄まり、逆に栄養となって多くの生き物を産みだしていくのよ」

 地球の知識だとそれだけでなく貴重な資源にもなっていくのだが、海の恩恵が計り知れないというのは確実だろう。

 しかし、セレンが美しい眉をひそめ、

「でもね。怨念や瘴気がまる時があるの。それがよどみとなって、そこは死の海になってしまう。……まるであそこのように」

と、進行方向の一点を指さした。

 そこは盆地になっているようだが、黒い霧のようなものに覆われていて中の様子をうかがい知ることはできない。

 その時、ちょうど、その黒い霧を突き抜けて、巨大なヒラメのような魚が飛び出してきた。不気味な灰色をして、その頭は何と二つもある。まるで遺伝子をでたらめに弄くられたような異形の魚。

 しかもその魚を追いかけるように、巨大なカニの爪が突きだしたかと思うと、その爪の間からビシッと触手が伸びてヒラメを捕まえた。

 もがくヒラメだが、触手が身体に突き刺さり、赤紫色の液体を吸い出している。

 セレンが悲しげに、

「異形と化した生き物たちよ。あの黒い霧がよどみなの。……私たちは世界各地の海をパトロールして、澱みを浄化して清浄な海へと管理する役目があるのよ」

 テーテュースが澱みのたまった盆地に近づいていく。

 セレンは、愛用のさざ波の竪琴をとりだして、ポロン、ポロンと奏で始めた。

 ゆらゆらと青い光のかけらが、竪琴から立ちのぼる。蛍のようにはかなげに揺らめき盆地に降り注いでいく。

 セレンが歌いはじめた。

 魔力を帯びた歌声が、竪琴の音と混じり合って海の中へ波紋のように広がっていく。

 みんなが甲板に出てきて、セレンの歌にじっと耳を澄ませる。

 ゆっくりと海の水が動き、盆地に流れ込んでいく。

 黒い澱みがセレンの歌によって浄化され、少しずつ消えていった。

 霧が晴れるように窪地の様子がはっきりと見えるようになっていく。

 そこには狂った生態系の恐るべき生き物たちがひしめきあっていた。

 目がいくつもあるウミヘビ。左右の足の数もばらばらな巨大なカニの群れ。不気味な緑色のイカに鉄のように真っ黒な深海魚。

 互いに貪り食らいながらもワラワラとうごめいている。

 思わず息をのみ、固まってしまう俺たち。

 みんなもワナワナと震えながら、恐怖を宿した目でおぞましい光景を見ていた。

 シャロンさんが腰が抜けたようにうずくまり、それをサクラとシエラが寄り添う。

 セレンが右手をそうっと伸ばし、

「哀れな生き物たち。……残念だけど、あなたたちを解放するわけにはいかないわ。一度、輪回の輪に戻り、再び生まれ出てきなさい」

とつぶやいた。

「……我がマナと海のマナを資糧に哀れな生命に安らかな死を。氷結地獄コキュートス

 キイーーンと盆地に漂う魔力の圧力が高まり、一瞬であらゆる生き物が凍りついた。

 次の瞬間、パキィンと音を立てて異形の氷像が砕け、塵となって砕けていく。

 哀しげな表情で見下ろすセレンに近寄って後ろから抱きしめる。

「セレン。一人で抱え込むな。……俺がいる。そして、みんなもいる」

 そっと後から回した俺の腕に、セレンの指が触れた。

「……ありがとう。愛してるわ」

 振り向いたセレンからチュッと口づけしてきた。

 ――広大な海のなかは、地球と同じように大きな海流が海を廻っている。

 海の瘴気は澱みとなって海底にたまるそうだが、普通は海流の流れに乗って流され、ゾヒテの近くを通る際に世界樹の力で浄化されるらしい。

 しかし今、海流の変化により、海に澱みが増えつつあるという。それも邪神や天災がいるからなのだろう。

 気を引き締めて、まずは水の精霊珠を取りに行こう。

9-9 海の魔女アーケロン

 ヘレンが「ノルン。知り合い?」と言うが、ノルンは首をかしげている。

「だけど、ああ言ってるわよ」

とヘレンが指さす先ではアーケロンが、じいっとノルンを見つめ、

「さあさ、暗い海の底ではありますが、我が家へご案内いたします」

と器用に頭を下げ、きびすを返していく。どうやら船を先導してくれるようだ。

 それを見たノルンが、

「案内してくれるっていうから、ありがたくそうしてもらいましょう」

と楽しそうに笑っているが……、ま、いいか。

 気むずかし屋とはいっていたが、なんだか話がうまく行きそうだしな。

 アーケロンのうしろをゆっくりとテーテュースで追いかけ、現在は水深9000メートル地点だ。

 ようやくたどりついたのは崖に開けられた巨大な洞穴だった。

 確かにこれくらい大きくないとアーケロンの巨体は入らないだろう。

「何も無いところですがどうぞ」

とすすめられるままに、俺たちはアーケロンの住処に入った。

 入り口では1人の人魚族の女性が待っていた。

「珍しいわね。お母さんがお客さんを連れてくるなんて……」

 すかさずアーケロンが、

「こら、シャロン。お客様にはちゃんと挨拶をしなさいと言っているでしょう」

と叱ると、シャロンと呼ばれたその女性は口をとがらせて、

「えー? でもお母さんだって結局、お客様の依頼を断るじゃん」

「その言葉! それに今日のお客様は私の恩人ですよ。ちゃんと挨拶をしてご案内しなさい」

 2人? の会話から、どうやらアーケロンがこの女性を育てているようだが、ちょうど今は反抗期なのかもしれない。

 幼い頃に両親を失った俺には、親子の会話はひどくうらやましく感じる。

 ……なんだかいいな。

 ノルンはシャロンさんに話しかけ、挨拶をする。

「シャロンさん? 私はノルン、こっちは――」

 すると途端に、シャロンさんは緊張にどもりながら、

「ど、どうも。シャロンです。じゃあ、どうぞこちらへ」

と俺たちを奥へと案内してくれた。

 どうやらかなりの人見知りのようだ。まあ、こんなところまで来る人魚もほとんどいないだろうしね。

 広い洞窟の片隅に、ぽつんとテーブルセットがおいてある。

それぞれイスに座ると、アーケロンもゆっくりと俺たちの方を向きながら寝そべった。

 ノルンがおそるおそるアーケロンに話しかける。

「あのね。アーケロンさん? でいいかしら。……多分、私を誰かと勘違いしていると思うんだけど」

「アーケロンとお呼びください。私が貴女様を見間違えることはありえません。その美しいお顔にお声。そして、まるでこの海のように深く力強い魔力。……間違いなく子供のころ、私を助けてくださったノルン・エスタ様に間違いありません」

「う~ん。確かに私はノルン・エスタだけど……。もしかして、今の私は昔の記憶が無いからその時のことなのかもしれないわ」

 アーケロンは口をぽかんと開けて、

「なんと! 記憶喪失ですか」

と驚いている。

 そう。ノルンには、隠者の島でパティスと出会う前の記憶はない。

とはいっても、この巨大なカメが子供のころなんて生きているわけがない。……よな?

 アーケロンの話を聞いてみると、どうやら子亀で浅い海で暮らしていた時に、漁師の子供たちに捕まったことがあるそうだ。その時にノルンに助けられ、それから聖女と呼ばれる女性のところへ連れて行かれたらしい。

 だけど間違いなく、それって1000年以上前のことだろう。常識的に言って同名の別の女性だろう。

 なんでも先ほどのシャロンは捨て子だったらしく、アーケロンが拾って育てているとのこと。

残念ながら魔力はそれほどないので魔法はそれほど使えないが、そろそろミルラウスへ連れていって人魚族の社会に慣れて欲しいとこぼしている。

 けれどシャロンはそんなところには行きたくないと言い張っており、親子げんかがはじまりそうな空気だ。

 ノルンがあわてて割って入り、

「まあまあ。二人ともそこまでに。ちょうどミルラウスのセレンも来ているから、後で相談してごらんよ。ね?」

と言うが、シャロンは納得していないみたいで「う~」と唸っている。

 親子の会話にセレンも苦笑いを浮かべているよ。

 それはともかく。

 さて、本題だ。俺と目配せをしたノルンがアーケロンに、今の地上の状況。天災と名乗る不気味な集団、復活したという邪神について説明し、何か知らないか尋ねてみた。

「天災に邪神ですか……。なるほど」

 アーケロンはそこまでいうと目をつぶり、一生懸命に考えている。

 そして、しばらくして目を開いて俺とノルンを見つめる。

「ノルン様。それから、旦那様。大変申し訳ないのですが、一度、御身にかけている封印やリミッターをすべて外し、本当の力を見せていただけませんか?」

「え? 俺たちのか?」

「ええ。その身に宿されている聖石の力を見たいのです」

 聖石のことを知っている? ……なるほど、確かに色々なことを知っているようだ。

 俺とノルンは、みんなから少し離れたところで向かい合う。

封印解除リミットオフ、真武覚醒」

封印解除リミットオフ、真魔覚醒」

 封印解除をした瞬間、聖石の力が体を駆け巡る。

……しかし、以前のように暴れて外に力の波動が垂れ流しになることはない。きっちりとコントロールをして光の衣をまとう。

 アーケロンは光の衣を纏う私を見下ろして「おおっ」と感嘆の声を上げ、シャロンさんは「きゃっ」と驚きながら、まぶしそうに眼を細めている。

 不意に、俺とノルンを囲むように∞を示す光の輪が生まれる。

 ぐるぐるとノルンの聖石の力が俺の体内に流れ込む。全身を駆け巡った力の流れは再びノルンへと流れていく。

 俺の聖石の力も同じように、ノルンへと流れ、また俺の中へ戻ってくる。

 やがてリィィンと澄んだ音が聞こえるようになり、聖石の共鳴が始まる。

 ……と、もう良いだろうと思ったのでその共鳴を止めて再び力を封印すると、アーケロンが静かに、

「確かにその光、波動は神の力。……私の知る内容はかつてパティスという隠者様に教わったことでございます」

 ビンゴだ!

 ここでパティスの名前が出てきたとなれば、ノルンがエストリア王都の図書館で見つけたメッセージは、アーケロンのことを指していたのだろう。

 それからアーケロンから教わった話は、ある意味で最悪の内容だった。

 ――天災。その正体は邪神の眷属だという。

 ただし邪神というも天災というも、それはこの世界に生きる我々から見ての呼称にすぎなく、本来は邪神も神の一柱、それもかなり強力で根源的な神のようだ。

 つまり、その眷属である天災もまた神に属するわけで、……どうりで得体が知れないわけだ。

 問題は邪神が現れたということの意味。この世の終わりに現れるもの。それが邪神だという。

つまり邪神が顕現したということは、この世の終わりが近づいているということを意味するとか。

 アーケロンは言う。

 もし破滅を望まないのであれば、邪神を完全体にしてはならない。

「――ただどのようにすればよいのかはわかりません。もしかするとですが、邪神が世界の破壊をする存在とすれば、逆に世界の維持をする5つの精霊珠の力があれば再封印をできるのかもしれません」

 世界の維持をする5つの精霊珠。破壊には創造の力で対抗するというわけか……。

 うん? ちょっとまてよ?

 ノルンも同じことに気がついたようで、

「その精霊珠。世界の維持をすると言ったか。対する邪神は世界の破壊をする存在。……となれば精霊珠が狙われる?」

「その可能性は非常に高いでしょう」

 そうか。

 すると精霊珠を護りかつ、邪神を封印するためにその力を使えるようにしなければならない。

 ……とうに俺たちは天災と戦う因縁にあるようだし、シエラの父の仇のこともある。

 やるしかない。

 アーケロンが、

「私の把握している精霊珠の在りかですが、……水の精霊珠はアトランティスの奥、地の精霊珠はデウマキナ山、火の精霊珠はアーク南の大火山地帯、風の精霊珠はゾヒテの世界樹、そして、空の精霊珠は伝説の幻獣たちが住む天空島テラスにあるそうです」

と教えてくれる。

 ノルンが、

「ありがとう。さすがは海の魔女ね。ここまで手がかりを得られるとは思わなかったわ」

とお礼を言うと、アーケロンは嬉しそうに笑いながら、

「ふふふ。……かつて貴女に教わったことですよ」

と何でもないことのように言った。

「あ、そうなの?」とノルンが言うのを聞きながら、そのかつてのノルンは一体どうなったのだろうかと気になった。

9-8 海溝の出逢い

 現在の深度は水深2800メートル。

 システムのセンサーによれば海溝の一番深いところで水深10000メートルを超えるそうだ。

 ここから一気に7000メートルほど沈降していく計算になるが、それがどれだけ深いのか想像もつかない未知の領域だ。

 宇宙にもくらべられる海底世界。テレビを通して画像は見たことがあるものの、まさか自分がそういう世界に行くことになるとは思いもしなかった。

 なにが起きるかわからないので、全員を操縦室に集め、いよいよ潜行開始だ。

 船がゆっくりと眼下に開いた海底の大きな切れ目に入っていき、サポートシステムが水深を報告する。

「水深3000、3100、3200……、4000……」

 順調に沈降していく船。

 みんなもおしゃべりを止めて緊張しながら両サイドにずうっと続いている崖を見ている。

 その時、ヘレンが、

「あれ? なんか雪みたいのが降ってない?」

とスクリーンの上を指さした。

 よく見てみると、船の周りに雪のような白いものがただよっている。

 深海で遭遇した不思議な光景。

 サポートシステムがその正体を教えてくれた。

「解説します。マリンスノーといい微生物の死骸などが白く粒となったものです」

 へえ。マリンスノーというのか。……ただ名前ほど美しいといえるかは微妙なところだ。

 深海に降る雪と一緒にゆっくりと、テーテュースはより深くより深くへと進んでいく。

 水深6000メートル地点で、サポートシステムの奨めで潜行を止める。

 ここから先は、深くなったり浅くなったりする場所があるので、海の魔女の住居に近くなってからさらに潜るのがいいらしい。

 地形は船のセンサーで常に探っていて、今のところ何事もない。

 ……いや、ところどころの崖から、まるで火山の火口のような黒煙がモクモクと立ち上っているのを見た。

 何らかのガスだと思うが、そういうところにびっしりとカニなどの甲殻類が密集している。

 よくわからないが、これも自然の驚異なのだろう。

 少し気がたるんできたところ、サポートシステムが小さくアラームを鳴らした。

「注意。500メートル先、右側に巨大生物を感知しました。……個体名:アハティオーラ・ダイオウイカ。体長およそ80メートルです」

 は、80メートル?

 おいおい。なんだそのデカさは! この船よりでかいぞ!

 気を引き締めてスクリーンを見た時、右側の崖から巨大なイカがすうっと飛び出してきて、威嚇するようにこちらに触手を向けている。

 俺たちをエサと認識しているようだ?

 ゆらゆらとまるでタイミングを計っているようだ。

「戦闘準備。みんな、気を引き締めろ!」

 俺が呼びかけた時、ダイオウイカが襲ってきた。一息に船を飲み込もうかというように足を広げる。

「電撃ネット射出! バリア強化」

 すぐに船の周りに網状のバリアが生まれ、のばしてきたダイオウイカの触手を防ぐ。

 しかし、ダイオウイカは雷撃にも関係なく強引に力を入れる。バリアがたわんできた。

 バチバチと電撃が走っているが、さほど効き目はないようだ。

 それを見たヘレンが驚いて、「すごい力ね。……なら私の結界魔法を増幅して頂戴」と手元のパッドに手を置いた。

「我がマナを資糧に、この船を守れ。神聖結界」

 ヘレンの手が光った瞬間、イカが前方に吹き飛んだ。

 ミシッという音が聞こえて思わず腰を上げる。

「今の音は何だ?」

 すぐにサポートシステムが返答する。

「申しわけありません。増幅出力の計算に間違えて結界ごと崖にはまり込んでしまいました」

「……あ、そう」

 どうやらヘレンの魔法を増幅しすぎて超巨大な結界になってしまったようだ。

 見ると確かに左右の崖に丸いクレーターのように結界がめり込んでいて、船自体が崖と崖の間にはまり込んでしまっている。

 いやいや。どれだけ増幅したってんだ?

 すぐに、「結界解除。……魔力誘導弾マナ・ホーミングミサイル発射」と指示をする。

 スクリーン下部から魔法の弾丸が泡の筋を引きながら前方に飛んでいく。

 遠くの崖で光の爆発が幾度も起きた。

 もし余波で崖が崩れると面倒なことになるんだが、いまいちテーテュースだと攻撃兵器のコントロールが難しい。

 しかしその心配は不要だったようだ。

 サポートシステムが、

「ダイオウイカが遠ざかっていきます」

と報告する。逃げていったのだ。

 まあ逃げたなら追いかけることもないだろう。

 ほっと一安心して浮かした腰を下ろしたときだった。

 海溝の向こうから、強力な念波と怒鳴り声が聞こえてきたのだ。

「こらぁぁぁぁぁ! 私の舎弟をいじめたのはどこのどいつだぁぁぁ!」

 途端に緊張感に包まれる操縦室。

「魔力の増大を感知。魔法が来ます。障壁を張ります」

 海溝の奥の死角から、まるでマシンガンの斉射のように魔力弾が襲いかかってきた。

 テーテュースの障壁とぶつかり、激しい衝撃が伝わってくる。

 その揺れの度合いから、かなり高度な魔法使いが相手だとわかる。

 ……おそらくこれは。

「お前たちか! この私アーケロンにたてつく奴らは!」

 そう言って姿を現したのは巨大なウミガメだった。

 驚いた。まさか海の魔女がこんな大きなウミガメだったとは。

 全長は50メートルくらいか?

「貴様ら。私の舎弟をよくも!」

 そう叫んだアーケロンの周りにいくつもの魔方陣が浮かぶ。

 その魔方陣を見たノルンが、すぐにその危険性を知って指示を出した。

「まずいわ! 神力防御結界全開!」

 すぐに動力源に込めたエネルギーを使って結界が張られる。

 次の瞬間、アーケロンの周りの魔法陣から強力な七色の魔法が次々に飛んできた。

 結界にぶつかった魔法が衝撃となって船体をビリビリと振るわせ、スクリーンに幾度もノイズが走る。

 俺たちの船が結界ごと光に包まれていく……。

 ヘレンたちが驚いている。

「ちょ、ちょっとノルン。何この魔法。この船がこんなに揺れるなんて大丈夫なの!」

「大丈夫だと思う。今は神力結界を張っているから」

 ノルンはそう言うものの。俺も少し不安になる。

「でも驚いたわ。この魔法は私がパティスから教えてもらった攻撃魔法なのよ。なんで海の魔女があの魔法を……」

 ノルンがそうつぶやいた。

 魔法の攻撃が止み光が収まっていく。

 無傷な俺たちテーテュースを見て、アーケロンが驚きを露わにしていた。

「ば、ばかな。この魔法はあの方から教わった最強の魔法なのに」

 その言葉にノルンが反応する。

「あの方? まさかアーケロンはパティスを知っているの? ……外に音声をつないでくれるかしら?」

「了解しました」

 ノルンが落ち着いて、アーケロンに話しかける。

「海の魔女アーケロンと言ったわね。落ち着いてお話ししない?」

と呼びかけると、

「……いいだろう」

と了承してくれた。

それならばと、船の操作をサポートシステムに任せて俺たちは甲板に出る。

「あ、あああ! ……貴女様は!」

 外に出た俺たちの姿を見て、なぜかアーケロンがいきなり叫んだ。

 ギリギリまで船に近寄り、感極まってしゃっくり挙げるアーケロン。

 なんだ? さっきまでの態度と全然違うぞ?

 思わず呆気にとられていると、アーケロンが、

「ああ、ノルン様。お会いしとうございました。……もうお会いできないかと。うううぅ」

 ……ノルンの。知り合い?

9-7 大海溝アハティオーラへ

 資料室から出たところで、アシアーさんが何かを思い出したようだ。

「あ、そういえば。……ね、お姉ちゃん。確かこの宮殿の奥にも超古代文明の遺跡があったよね?」

 セレンはうなずいたけれど、

「あるけど。あそこは最近、崩落が激しいから立ち入り禁止になっているでしょ」

「うん。そうなんだけど、年代は古いから何か見つかったりしないかな?」

「う~ん」

 ……どうやらこの宮殿にも超古代文明期の遺跡があるそうだ。

 アシアーさんが「ちょっとだけ見てみたら?」というが、セレンは、

「確かに何かの模様はあるにはあったけど。ま、そうね。見るだけ見てみようか」

とつぶやいた。

 俺たちはセレンとアシアーさんの案内で通路を泳いでいく。

 途中から建物の作りががらっと変わる。どうやら古い時代の宮殿部分に入ったようだ。

 目指す超古代文明期の遺跡は、そのまた更に奥、迷路のような通路の先にある小さな小部屋だった。

 部屋の入り口でセレンが説明してくれる。

「今の位置は宮殿の地下になるわ。まあ、遺跡とはいってもあの正面の模様しかないんだけど」

 そういって指さした壁の材質は普通の岩ではなく、光沢のある不思議な岩で一面に幾何学模様が刻まれていた。

 ゆっくりと部屋に入り、まずノルンに見てもらう。

 ノルンは隅から隅までじっくりと見つめ、少し離れたところから壁全体を眺めた。

「どうだ?」

「うん。魔力視で見てみると、ここに一本の切れ目が入っているでしょ?」

 ノルンのいうように確かに壁のほぼ中央に天井から床まで一直線の切れ目が入っている。

「もしかしたら何かの扉かもしれないわ」

「入り口ってことか?」

「ええ。……開け方はわからないけど」

 力尽くじゃまずいよな。何かヒントがあるはずだが。

 そう思って室内を見回したとき、アシアーさんが、

「これってホント不思議な材質なんですよ~。こんな石見たことない」

と言って壁の一部を指でそっとなぞった。

 その時、急に幾何学模様がキラキラと輝きだした。

「え?」

と呆然とするアシアーさんに、ノルンが、

「離れて! 何かおかしい!」

と呼びかけて離れさせようとした。

 次の瞬間、模様のある壁が左右に静かに開きはじめる。

 おいおい。都合良すぎないか……。いやまてよ。なんだあの闇のように黒々としたよどみは。

「ノルン。結――」

 そう言いかけた時、扉の向こうにある澱みが黒い影となって、凄まじいスピードでアシアーさんに襲いかかった。

 くっ。間に合え!

 すぐにアシアーさんの前に飛び出ようとした時、ノルンが、

「浄化!」

と無詠唱で魔法を放った。

 アシアーさんの足元からスルスルッと這い上がろうとする黒い影がその光を浴びてすうっと消えていく。

 その瞬間、その影と目が合った気がした。言葉にならない無念の思いと強い恨みが伝わってくる。

 なんだ。あの影は? この遺跡はいったい……。

「ノルンさん。ありがとう」

 襲われたアシアーさんが胸を押さえて、ノルンにお礼を言う。

 一瞬のことだったが、今ごろ恐怖がこみ上げてきたらしく、その手がけいれんしているかのように震えている。

 セレンがそっと寄り添って落ちつかせようとしながら、

「ノルン。ありがとうね」

と改めてノルンにお礼を言った。

 ノルンは首を横に振り、「いいのよ」と答え、そして、部屋の中の壁を凝視した。

「ねえ。セレン。あの壁画に見覚えはある?」

 暗い室内をノルンの作り出した魔法の光が照らし出す。

 そこに浮かび上がってきたのは、かつて海洋王国ルーネシアの王宮で見たのとよく似た壁画。

 海の悪魔フォラスと戦う海神セルレイオスたちの絵だ。

 そして、その足元にはなにかの物語を示す3枚の浮き彫りレリーフが置いてあった。

 浮き彫りを発見した次の日。

 俺たちはテーテュースに乗って、ヴァルガンド最大の海溝アハティオーラへ向かっている。

 その海溝の底に海の魔女アーケロンが住んでいるのだ。

――――

 浮き彫りに描かれていたのはどうやら超古代文明期のできごとらしい。

 その1枚目には神殿の建てられた海上の島が描かれており、2枚目は摩耗が激しくてところどころしか見えないんだが、海から現れた何かとそれに対峙する女性らしき姿。

 そして、3枚目には祈りを捧げる女性と海中に没する島の姿。

 この海中に没した島の伝承。

 セレンから教えてもらったところだと、「水の神殿」と呼ばれる何かを祀った神殿があったそうだ。

 超古代文明期の末に突然一夜にして海中に没しており、現在ではアトランティスと名付けられている。

 一種の聖域らしく、近づくと女性の声が頭に響き、不思議な力で弾かれるという。

 ミルラウスの伝承ではこれ以上のことはわからなく、エウローパ王妃からは海の魔女に尋ねるのがいいだろうとのこと。

 そんなわけで早速向かっているわけだ。

――――

 大海溝へ潜るとあって少し緊張しながら船長の席に座っている。

 みんなは興味津々のようだが、本来この深度はものすごい水圧のはずだ。まあ、説明してもわかってもらえないだろうけどね。

 サクラ、シエラ、カレンの3人娘の会話が耳に飛び込んで来た。

「あれぇ。ここらへんの魚、なんだか不気味だね。それになんであの魚光ってるのかな? シエラちゃんはわかる?」

「え? わ、わたし? え~と何でかな?」

「やだなぁ。お二人とも、それならサポートシステムさんに聞けばいいんですよ」

「そっか。さすがはハイエルフ。あったまいい!」

 にぎやかなのはサクラだ。一番年長251才のはずなんだが。

 ……というか、シエラもカレンも長命の種族だったか。

 俺とノルンが26歳。ヘレンが24歳。セレンが25歳。

 ……おかしいな。俺の中でアダルト組と呼んでいる方が年が若いだと?

 おしゃべりをしているサクラたちを見る。

 まあ楽しそうだからいいか。ここは異世界だしな。

 折角だから俺も会話に入ろう。

「それはな。本当は海の底は真っ暗だからなんだよ」

 するとサクラがこっちを見て、

「へぇ。さすがはマスター。物知りです! あ、でもこんなに明るいですよ?」

「それはテーテュースがサポートして綺麗に見えるようにしてるのさ」

「本当ですか?」

「だから、実際は……。サポートシステム。頼む」

 俺がそう言うと、

「了解しました。それでは明るさを現実の海に合わせます」

 すぅっと照明が落とされ、真っ暗になっていく海。

 暗黒の闇に水圧が無限の質量となって迫ってくるような気がする。

 3人とも驚いたようで、

「うっわ! まっくら!」

「こ、怖いです!」

「見えない。何にも見えない。……これが海の底」

 と叫んでいる。

 その時、外からも、

「きゃあ! な、なに? いきなり真っ暗に。ジュン! どうにかして!」

と大きな声が聞こえてきた。

 忘れた。はははっ。 今、甲板にヘレンがいるんだったっけ。

 内心で苦笑しながら「戻してくれ」と指示する。

 サクラたちはあいかわらず、

「ちょっと、見た見た! すっごい暗いの」

「真っ暗だったね」「怖いよ。暗闇こわい……」

 うん。ぶつぶつ言っているカレンが心配だが、にぎやかだ。

 そうこうしているうちに、とうとう海溝の真上にたどり着いたのだった。

9-6 資料室

「それでは婿殿とその一行を歓迎して、乾杯!」

 オケアーノス王の音頭で、俺も向かいに座っているセレンとグラスをチンッと当ててお酒に口をつけた。

 透き通るようなお酒が喉を通っていく。まるでソーダカクテルのようなさわやかな飲み口。

 アルコールは高くないけれど、これはうまいな。

 ここは宮殿の広間。

 今は、俺たちのために結界を張って水を抜いてくれていて、まるで披露宴のように人々が並んで会食をはじめている。

 セレンが俺の顔をのぞき込んだ。

「どうかしら? ミルラウスのお酒は?」

「うまい! すごく爽やかでいいな」

「そう。良かった。……ノルンはどう?」

 俺の隣のノルンも満足しているようで、

「ええ。おいしいわ。これがあなたの自慢していた故郷のお酒なのね」

と、実においしそうにお酒に口をつけている。

 もともと俺と出会う前から親友同士だった2人。

 いつかミルラウスに行こうと約束していたらしいから、今回のミルラウス訪問は感慨深いものもあるのだろう。

「それはそうと……。セレン。例の件はあなたからお願いしていただけるのかな?」

 ノルンがそういうと、セレンが「あ、そうだ」と父王の方を見る。

「お父様。お願いがあります。どうか海竜王様とお会いしたいのでその許可をいただけませんか? それと資料室への立ち入りを許可してください」

「それは海竜王様次第だ。それと資料室もかまわぬが……、いったい何を調べているんだ?」

 そう尋ね返したオケアーノス王に、ノルンが、

「今、世界各地で異変が起きています。天災と名乗るグループが邪神を復活させたようで、その影響か魔物たちが凶暴になっているのです。――」

と地上の状況と俺たちが遭遇した天災という敵、邪神のことなどを伝える。

 神妙な表情でその話を聞く王と王妃。

 ノルンが、

「エストリア王国の図書館でパティスのメッセージを見つけたのです。ミルラウスへの道を探せと」

と言うと、オケアーノス王が、

「そうか。……地上でなにやら大きな動きがあることはアシアーから聞いていた。それに、ノルン殿は隠者の島でパティス様と暮らしていたんでしたな」

と思い出したようにつぶやいた。

 そういえば、ウルクンツルの武闘大会で天災の襲撃を受けたとき、確かにミルラウスの使節としてセレンの妹アシアーさんとニンフさんという人魚騎士が来ていたっけ。

 きっと地上の状勢もその時に知ったのだろう。

「ええ。セレンともそれからの親友ですわ」

「それは聞いています。それより隠者の島はすでに……」

 言いよどむ王に、ノルンはうなずいて、

「知っていますよ。ですが、幸いにしてパティスは世界放浪の旅に出ていて無事のようですよ」

「おお。そうですか。それは朗報だ」

 ノルンの師パティスさんが無事と知ってオケアーノス王と王妃は嬉しそうに笑っている。

 隠者というほどなのに、ミルラウスの王族に名前が知られているとは、一体パティスさんは何者なんだろう。まったく不思議な人だ。

 ……いやいや、そうでもないか。

 隠者の島でセレンとも交流があったはずだ。きっと前々から知っていたのだろう。

 一瞬、とんでもない正体を隠しているんじゃないのかって思ったぜ。

 オケアーノス王がうなづいて、

「資料室の調査。それに天災という者どもか……。昨年、我らは海竜王様とともに海の悪魔フォラスと戦ったが、あれも天災の一人というわけだな。あれ以降の目撃情報は無いが、正直、我らにとっても重要事となろう」

 すると王妃もうなずいて、

「私どももお手伝いしましょう。それと、セレン。これは私の勘ですが、海の魔女のところへ行くといいかもしれないわよ?」

 海の魔女?

 その名前を聞いて驚いているセレンを見る限り、予想外のアドバイスのようだ。

 セレンが、

「え? 海の魔女ってあの気むずかし屋の? 確かに長生きしているとは聞いているけど」

と言いかけたが、王妃は笑って、

「確かにね。気むずかしいわ。私たちの言うこともなかなか聞いてくれないし。……でも、古代の魔導文明期から生きているのよ。きっと何か知っていると思うわよ」

 なにやら気になるワードが出てきたぞ。

 古代の魔導文明から生きているだと?

 いやいや、寿命のない妖精のような存在なのかも知れないな。

 面白いじゃないか。

 ともあれ、明日はまず手近な資料室の調査からはじめることにしよう。

――――

 翌日、俺たちはセレンの妹アシアーさんに案内され、ミルラウスの資料室に入った。

 ここは資料室ということもあり、全体を結界で覆って海水を抜いてあるようだ。

 そのほか保存用の魔道具も併用して紙の資料の劣化を防いでいるらしい。ただし古い資料は石版資料らしく、それもかなりの枚数が保管されているらしい。

 資料室は思いのほか広いつくりのようで、奥まで棚が並んでいる。建物2階分ある天井まで書棚が並んでおり、かなりの記録が眠っていそうだ。

「天災? ……はて。少なくとも建国以来の歴史にはそのような記述はありませんでしたな」

 そういうのはここの司書係のイカの魔物だ。

 知識あるおとなしい魔物のようだ。

 10本の足を巧みに動かして、次から次へと石版を流し読みしては棚に積み直している。

「じゃあさ、スップーさんはどこらへんを見たらいいと思う?」

 アシアーさんがそう尋ねると、スップーさんと呼ばれた魔物は器用にアゴらしきところを撫でながら、

「そうですなぁ。神話や伝承のところはいかがでしょうか?」

「神話や伝承? ありがとう」

「案内しましょう」

 スップーさんは足をうねうねとくねらせて進む。

 その案内で、石版や書物を収めた棚と棚の間を進んでいく。

「ミルラウスの建国は、地上の歴史時代より前、超魔導文明期のブラフマ―ギリ―超帝国の時代の末期にまでさかのぼります」

 スップーの歴史の説明を聞きながら、その後についていく。

「それまでも世界各地の海に人魚族の部族がいくつもありました。しかし、それらの部族を統一したのが、初代国王リュビアー・トリトン・ミルラウスです」

 現在の歴史年代以前の文明。

 先史時代の遺跡や遺物は発掘されるもののその文字の解読は進んでおらず、地上では帝国の名前すら失伝している。

 そうするとここの資料はきわめて貴重なものといえる。

 ……ただ、地上とはそれほど学術交流が無いようだ。

 スップーさんが語る建国王は、偉大な人魚だったらしく。強力な歌魔法と海魔法を繰り、そのトライデントの一撃は海底山脈をも破壊するほどだったという。

 そのリュビアー初代王は地上の超帝国とも連携し、人魚族と地上の種族との交流もはかったとか。

 しかし、その超帝国も大破壊と呼ばれる大災害によって人類は絶滅に瀕したそうで、そのあと

「海底にありますから地上の大破壊に巻き込まれることもなく、むしろ絶滅に瀕した人類を救助したとか。……そのような古い伝承がここには残されているのです」

 そして、ふと立ちどまって脇の石版をひょいっと持ち上げ、

「これは地上の歴史年代で120年。小国家が乱立して頻繁に戦争を行っていた時のものです。――ベルトニア王国から同盟の申し出あり。海竜王様の指示によりそれを断るとありますね」

 ベルトニア王国……。名前からして、現在のエストリア王国港湾都市ベルトニアだろう。

 クラさんは話を続ける。

「この先にある神話や伝承は、いつからのものかは不明です。いつ集められたのかも。中には私には読めないものもあり、謎が多いのです――」

――――

 資料室の一角。

 俺たちは一つ一つの石版を確認し、天災にまつわる記述を探しはじめた。

 とはいえ、言語知識スキルを持つのは俺とノルンだけ。そして、人魚族の文字が読めるセレンとスップーさんが主力で、聖職者のヘレンはそのサポートだ。

 ほかのメンバーは何をしているのかというと、俺たちの後ろでアシアーさんを交えておしゃべりに熱中していた。

 アシアーさんが、

「ねえねえ。妖怪族ってはじめてお会いしたんですが、猫人族とどこが違うの?」

「あ、それね。私はネコマタだから二本の尻尾があるんだよ。……ほら」

「わあ。ホントだ」

 するとシエラも目を丸くして、

「……サクラちゃん。私も初めて見たかも」「え? シエラちゃんに見せてなかったっけ?」

 アシアーさんはうれしそうにカレンを見ながら、

「うふふ。それにゾヒテのハイエルフも初めてだし、シエラさんは竜人族……。あなたたちのチームって凄いわね」

 まあ、そんな感じで女子トークを繰り広げているようだ。作業中に聞くラジオ番組みたいでちょっと楽しい。

「――犬人族の人がのぞきを発見して、エルフの人が男風呂めがけて水魔法の魔力弾を連射したんです。“のぞくんじゃねぇ!”って。そしたら、マスターったら呆れたことにのぞきもせずに、のんきに湯船に入っていて巻き添えをくらっていたんですよ!」

 ――たまに俺のことを「ヘタレ」とかって、面白おかしくしゃべっているのが微妙だがね。

「ちょっと。ジュン。手が止まってる」

 すかさずヘレンに指摘されてしまった。

 ……あはは。きっとこの調子で、いずれ俺にも「恐妻家」の称号がつくのだろう。せめて「愛妻家」くらいで済んで欲しい。

 そう自嘲しながら、手元の石版を見下ろした。

「ええっと何々。……アークで魔族と人族の連合軍がぶつかりあったらしい。炎を操り人々に死をもたらす爆炎の魔王が」

 そこまで読んだところでヘレンがびしっと俺の腕をつかんだ。

「それじゃないわね。次のコレ」と別の石版を手渡された。

 ふふふ。自分の前世に関する記述だもんな。爆炎の魔王ベアトリクスだったときの。

 そう思ってヘレンの顔を見つめていると、

「……なにニマニマしてるのかしらね」

と目をそらされた。

 ヘレンはからかうと可愛いが、やりすぎると怖いからな。

 こうして調査を進める俺たちは、肝心の天災や邪神に関する伝承を見つけることはできなかった。

 ただ海の魔女については興味深い伝承があった。

 人類の歴史年代以前、かつてこの世界には高度な魔導工学を持つ超古代文明があった。全世界を統一したブラフマ―ギリ―超帝国だ。この帝国では、一つの王家のもとに各地方代表があつまって議会を形成していたという。

 アーケロンはその超古代文明期より生きている魔女で、ヴァルガンド世界最大の海溝アハティオーラの底に住んでいる。

 その伝承によれば、迷いに迷った人魚が魔女の助けを借りた話や、魔女の怒りによって滅びた集落の話が出ている。

 どうやらかなり強力な魔法を使うらしく、気分屋で油断のならない人物のようだ。

 それにもし今も生きているなら……、失われた伝承にも詳しいだろう。

 超古代文明は、ある日、終焉を迎える。

 天変地異により人類はほぼ滅亡。

 地形はおろか、生態系も大きく変化してしまったと考えられている。

 その時に生き延びた僅かな人たちが再び文明を築き、現在の世界になっているようだ。

 この大破壊と伝えられる超古代文明の終焉についても、きっとアーケロンは何かの情報を持っているだろう。

 俺たちが求める天災や邪神の情報。

 調査の結果としては、海竜王様と海の魔女に尋ねるのがいい。……それが俺たちの結論だ。

9-5 セレン 対 ジュン

 あれよあれよという間に、俺たちが連れて行かれたのはミルラウスの決闘場だ。

 円形コロシアムになっていて、すでに多くの人魚達が観客席につめかけている。

 ノルンたちは国王たちと並んで座っている。

 目の前には淡い靑銀の戦乙女を彷彿とさせる鎧にトライデントを構えたセレンがいる。

 対する俺は、いつもの服にテラブレイド。

 前方のセレンが闘気にみなぎっているんだが……、どうしよう。

「ふふふ。私が勝ったら、そうねぇ。一週間は私の個人執事になってもらおうかなぁ。……ノルンが許せばだけど。でぇへへへへ」

「お、おい。顔が崩れてるぞ」

「あらいけない。私これでも美姫で通ってるからね」

「猫をかぶるのも大概にしといた方が……」

「いいのよ。本当の私は、あなたとノルンたちだけが知っていれば。それでいいの」

 さらっと恥ずかしいことを。こいつめ。……まあ、そう言われて嬉しいけどね。

 腰のテラブレイドは、鞘に入れたままで固定している。

 ……やっぱり、セレンに刃を向けられないな。

 セレンが少し怒ったように、

「甘い考えでいるならその足元をすくってあげるわよ? 早く流水舞闘を発動した方がいいわよ」

「そうか。……力を押さえようなんてのは都合が良すぎるか」

「あ、でも。神力は勘弁ね」

「プッ。でもまあ、封印解除をしなくても……、お前を屈服させてやる!」

「うふふふ。ゾクゾクくるわ。頼むわよ。旦那様」

 ――戦闘モード:流水舞闘

 俺の身体の周りに渦巻きが生じる。そのうねり動く水の向こうのセレンを見る。

 ……あいつめ。ニヤリと嗤ってやがる。

 そこへオケアーノス王の声が掛かる。

「二人とも準備はいいな? ……勝負は相手が“まいった”と言うまでだ。よいな?」

 俺とセレンがうなづく。それを確認した国王が、右手を挙げ、

「それでは試合開始!」

と宣言した。

 その声とともにセレンが、

「我がマナを資糧に、渦巻け海よ。我が愛する人を拘束せよ!」

 ……おい。なんだ、その詠唱は!

 と内心突っ込むが、俺の周りの海が身体を縛り付けようとうねりはじめた。

 右手に魔力を込め、無造作になぎ払う。込められた魔力がブロアーのように放射状に伸びて、セレンの海魔法と対消滅する。

 そのまま海底を蹴り、一直線にセレンのもとへ飛び込んだ。

「トルネード・ブロウ」

とセレンにアッパーパンチを放つ。

 しかし、打ち上げた拳が空振りする。その前に渦巻きが広がっていく。

 続いてセレンが歌をうたいはじめる。

 ――人魚族の歌魔法だ。

 こいつばかりは要注意だ。何が起きるかわからないからな。

 スキル魔力視で見てみると、セレンの魔力が歌に乗せて周りの海に広がっていくのが見える。

 ……なるほど。こういう仕組みで歌魔法が発動するわけか。

 俺の周囲を水がぐるぐると回り始め、やがて大きな渦巻きへとなった。

 その水の渦の内側にいる俺に向かって水の刃がいくつも飛んでくる。

 一つ一つを魔力でコーティングした手刀ではじき飛ばす。

 右足に魔力をまとって無造作に海底を突くと、俺を中心とした衝撃波が広がっていき、たちまちに水の刃も渦巻きもかき消した。

 しかし突然、トライデントの切っ先が俺の目の前に現れた。

 水の流れに逆らわずにスウェーで避けて、セレンに蹴りを放つ。

 トライデントの柄で蹴りを受け止めたセレンは、その反動を利用して頭上から連続突きを放ってきた。

 ちぃっ。上手く体勢の悪いところをつかれたな。

 しかし焦ることなくその突きを手でいなし、隙を見て魔力弾を放った。

 再び距離を取ったセレンが笑い、

「さっすが! 本当に人間族とは思えない戦い方をするわよね。……でも、そろそろ本気を出しわよ」

 その全身に膨大な魔力を練り始めた。

 俺も体内の魔力を練りに練り込んでいく。

「こい!」

 と叫ぶと同時にセレンが突きを放つと、その手のトライデントが分裂して雨のように降りかかってきた。

――ピコーン。

 「サウザンド・レイン」を覚えました。

 この数! 避けられない! ならば、……逆に突っ込む!

 身体に魔力を纏い水渦を纏って突っ込む。飛んできたトライデントをはじき飛ばしながらセレンに迫る。

 セレンの直前で方向を変え、頭上からフェイントを交えて魔力を載せたパンチを繰り出した。

魔力連弾マナバレット・ストローク!」

 海を切り裂いていくつもの魔力弾がセレンに降りかかる。

 ズドドドドド……。

 地響きとともに海底から舞い上がった砂が煙のように決闘場を覆い隠した。

 しかし、水壁を張って上手に受け流したようだ。

 俺の気配感知に、セレンがその砂煙の中を、俺の背後を取ろうとしているのを察知した。

 まだまだ闘うつもりのようだ。

 砂煙越しにセレンが魔力を練り上げているのが感じられる。

 ここでデコイを作って背後に回りこむのは簡単だろう。だが今は、力でねじ伏せる!

 海底に降り立ち、セレンの方に振り向いた。

 俺の魔力視では、海に広がる赤い魔力の流れがセレンに流れ込んでいくのが見える。

 準備ができるのをじっと待つ。

 ……来るぞ。セレンの最高の技が。

「ネプチューン・ストライク!」

と強力な魔力を載せたトライデントが、まるでドラゴンブレスのように轟音をあげながら飛んでくる。

 視界をふさいでいた砂煙を突き抜け、吹き散らしながら迫る三叉銛の一撃。

 それを俺は……。

「ふん!」

 気合いを入れて右手で握って受け止める。すごい圧力だ。少しでも気を緩めると吹っ飛ばされそうだ。

 ……だが、弱みを見せることはできない。

「おらあぁぁぁ!」

 気合い一閃。体内の魔力を爆発させて、トライデントを押さえ込んだ。

「え? 今の効いてない……」

 呆然とするセレンの声。

 今だ!

 俺は一気に距離を詰め、セレンを抱き留めるとそのまま海底に押したおした。

 セレンの両腕を膝で押さえ、セレンの頬を両手で挟む。

「……降参するか?」

 顔を近づけてそういうと、ふりほどこうともがいていたセレンがじいっと俺を見上げて、

「もう。ずるい。……降参する」

「ふふふ。良かった」

 そういって口づけた瞬間、オケアーノス国王が俺の勝利を宣言した。

「この勝負。婿殿の勝ちだ!」

 津波のような歓声が、決闘場、いやミルラウス中に響き渡っていく。

 俺は立ち上がって手を差し伸べる。立ち上がったセレンが俺にぎゅっと抱きつき、そのまま唇を奪われた。

 歓声がさらに大きくうねる。

 こうして俺は、見事にセレンを勝ち取ったのだ。

 観客席のオケアーノス国王を見上げると、目が合った国王はゆっくりとうなづいた。

 国王が右手を挙げると、歓声がすうっと鎮まる。

「さすがは婿殿だ。セレンを力づくで組み伏せる者など見たことがないぞ」

 組み伏せるって……、まあその通りだが。

 少し恥ずかしくなったところへ、国王が爆弾を投下した。

「しかし、婿殿。まだまだ本当の力を隠しておるな? その力、見せてはくれぬか」

 本当の力。それはきっと聖石の力=神力のことだろう。

 ただ、あれは強すぎて騒ぎになるからなぁ。

 迷っていると、セレンが耳元で、

「思いっきりやっちゃって。……わたしを嫁にするだから、これ以上騒ぎになるも何もないでしょ」

と言ってきた。

 まあ、それもそうか。

「そうですね。……では少しだけお見せしましょう」

 セレンが期待に満ちた目をしながら離れていく。

 心の中で「封印術式リミット解除」と念ずる。

 オンとオフを切り替える俺なりのスイッチの儀式。

 体内にしまっていた聖石の白い力が爆発的に広がって行く。

 すうっと重力や水圧から解き放たれたように身体が軽くなり、全身に力がみなぎる。

 あふれ出した力がいつものようの光の衣となった。

 さらに光の波動がくるくると俺の周りを渦を巻いている。

 おや?

 聖石の反応が観客席からも……。ノルンとサクラも光の衣を帯びているぞ?

 もしかしてソウルリンクを通して俺の聖石の力が逆流していったのか?

 魔力視でよく見ると、ほかのメンバーもうっすらと俺の神力を帯びているようだ。

 一瞬いぶかしく思ったけれど、すぐに国王たちの驚きの声に我に返る。

 見ると、国王夫妻はもちろん他の人魚族の人々が一斉に頭を下げていた。

 やりすぎたか?

「な、なんと! 海神セルレイオス様と同じ力の波動を感じる! こ、これは……」

 まあね。海神セルレイオスの聖石も同一化しているからね。

 封印を解除したから、その波動を感じているのだろう。

 国王は立ち上がり、

「見よ! 海神さまと同じ力の波動だ! よって我らは婿殿の求めに応じ、セレンを嫁として捧げる!」

と大きな声で宣言した。

 たちまちに人々は三度目の歓声をあげ、俺たちを祝福してくれた。

 セレンがズバッと俺に飛びついてきて、俺の頭を抱きかかえると熱烈に俺の唇を奪っていく。

 チュッチュッとキスをして、最後にぎゅうううっと。

「ぷはっ。ん~。もう! 大好き!」

 そういうセレンの顔は上気している。

 うん。お許しも出たし、この笑顔も見られて良かった。心からそう思う。

 ノルンたちも俺の腕の中にいるセレンを見て、やれやれという様子で微笑んでいる。

 ……む? これは、後で一人ずつ熱烈なキスをしろっと言われそうな予感。

 ふふふ。それもまあ、いいだろう。

9-4 求婚の儀

 海の中を進むこと7日間。

 水深200メートルほどの大陸棚から、更に深く落ち込んでいく箇所に俺たちは来ていた。

 これから海底断崖を降りて一気に水深3000メートルまで潜り、広大な深海盆底とよばれる海底平地を目指す。

 再び操縦室コントロールルームに集まり、スクリーンを見ながら慎重に潜行していく。

 とはいっても、この船にさほどの危険もなく、時折、魚の群れだけではなく、キラキラと輝くイカの群れや、海底にカニの群集地などが見られた。

 数度、巨大なクエのような魚が姿を見せたが、すぐに興味を失ったようにどこかへ行ってしまう。

 そうして水深2800メートルまで潜り、平原のような海底をミルラウスを目指して進んでいく。

 やがて葉の無い大樹が林立する海底の森へと入っていった。

 海底樹とでもいうのか。まるで樹木の化石のように見える海底の不思議な光景だ。

 海底樹の森を慎重に通り抜けていくと、前方の海底山脈の麓に青白い光でキラキラと輝いている大きな都市の姿が見えてきた。

 操縦室コントロールルームのスクリーンからその姿を見たセレンが、

「着いたわ! あれがミルラウスよ!」

と嬉しそうに指をさす。

 その時、何かが聞こえてきた。

 ――歌だ。

 いくつもの声が幾重にもかさなり、まるで風が吹き抜けていくような歌が聞こえる。美しいハーモニーが海に広がっていく。

 明確な歌詞などない。が、不思議と歓迎と喜びのイメージが伝わってくる。

 セレンが目を閉じてその艶やかな唇を開いた。透き通るような歌がその口から奏でられる。

 手に持っていた小さな竪琴が空中に浮かび上がり、ポロン、ポロロロンと曲を奏ではじめる。

 なんて美しい歌なんだろう。

 スクリーンの正面を見ると、ミルラウスの入り口とおぼしき巨大な門が開き、人魚の騎士たちが飛び出してきて左右に一列ずつ並んでいくのが見えた。まるで滑走路のようだ。

 その列の間を俺たちの船が進んでいく。

 船の操作をサポートシステムに任せて、俺たちは操縦室コントロール・ルームからデッキに出た。

 セレンが外に出て騎士達に姿を見せると、騎士たちが一斉に槍を捧げる。

 その様子を見て、満足げに手を振るセレン。

 ミルラウスの姫としての堂々たる振る舞い。こういうところを見ると、やっぱり王族なんだなと思う。

 そのまま船はセレンの指示のままにミルラウスの大通りに入り、人魚たちの歓迎を受けながらまっすぐに進んでいく。

 やがて大きな宮殿が見えてきた。

 その入り口にひときわ立派な王冠をかぶった人魚族の男性と女性がいる。セレンの両親。ミルラウスの国王と王妃だろう。

 国王の方は、かつて謁見した海神セルレイオスにも劣らないようなマッチョだ。王妃の方はどことなくセレンに似ていて、うれしそうに微笑んでいる。

 ――オケアーノス・トリトン・ミルラウス――

  種族:人魚族 年齢:125才

  職業:ミルラウス国王 クラス:魔法騎士

  所属:ミルラウス王国王家

  称号:施政者、恐妻家、娘をこよなく愛するダメ親父

  加護:海神の加護、海竜王の加護

  スキル:肉体強化、気配感知、統率、威圧、覇気、直感、鑑定5、槍術5、海魔法5、歌魔法5

 ――エウローパ・トリトン・ミルラウス――

  種族:人魚族  年齢:130才

  職業:ミルラウス王妃 クラス:魔道士

  所属:ミルラウス王国王家

  称号:慈愛の聖母、夫を尻に敷く者

  加護:海竜王の加護

  スキル:肉体強化、気配感知、魔力回復、詠唱破棄、威圧夫限定、直感、鑑定5、水魔法5、海魔法5、回復魔法4

 ええっと。「恐妻家」は幾度か見たことがある。だが「ダメ親父」「威圧夫限定」というのはどうなんだ?

 一瞬で夫婦間の力関係がわかってしまったよ……。

 まさか俺にも変なステータスがついていないよな?

 思わず自分のステータスを確認してみる。

 ――ジュン・ハルノ――

  種族:半神半人  年齢:26才

  職業:冒険者 クラス:剣聖、武神の卵

  称号:当選者、聖石を宿せし者、女神ノルンの伴侶、妖精と語らう者、殲滅者、へたれ、眷属ハーレムの主、尻に敷かれ気味

  加護:創造神の祝福、武神の加護

  契約者:サクラ

  ソウルリンク:ノルン・エスタ、フェニックス・フェリシア、サクラ、ヘレン・シュタイン(小)、シエラ・リキッド(小)、セレン・トリトン・ミルラウス(弱)、カレン(弱)

  スキル:――省略――

  戦闘モード:火炎舞闘・流水舞闘・氷華舞闘・風麗舞闘・神装舞闘

  ユニークスキル:ナビゲーション

 「尻に敷かれ気味」? あれ? おかしいな? なんだろうこの称号。意味がわからないぞ。

 ……だが今はいい。

 久しぶりに自分のステータスを見たが、どうやら称号やスキルが統合されて整理されたようだ。

 不名誉な「ハーレムの主」が「眷属の主」となっているのはいいことだと思いたい。……決してルビを見てはいけないのだ。

 そして、ここのところの訓練で手に入れた戦闘モード「流水舞闘」。

 お陰でだいぶ水中での戦いも楽になったし、地上でも水属性の戦いができると思う。

 それはともかく宮殿の前でテーテュースを停止させると、セレンがバッと甲板から飛び出していき、父王の胸元に飛び込んでいった。

「お父様! ただいま戻りました!」

 父王は嬉しそうに娘を抱擁し、

「お帰り。セレン」

といいながらその背中をぽんぽんと叩いている。

 感動の親子の再会を見ながら、俺たちも海底に降り立つ。

 その時、人魚たちの歌が余韻も残さずに唐突に終わった。

 急に静かになったこの状況。

 緊張して手足の感覚が薄くなりそうだ。……だが、言うべきことは変わらない。

 腹を決めると、緊張も薄れていった。

 王妃が俺を見てニッコリと笑い国王の肩を叩く。

 王は優しくセレンを離すと俺の前にやってきた。

「婿殿。私はセレンの父、ミルラウス国王オケアーノス・トリトン・ミルラウスだ」

「私はセレンの母のエウローパです。よろしくね。婿殿」

 俺は二人の前で膝をついて顔を上げた。

「エストリア王国ランクA冒険者、ジュン・ハルノです。海神セルレイオス様の思し召しもありますが、セレンを嫁にいただきたくお願いします!」

 いろいろ言葉を考えていたけど、すべて吹っ飛んだ。気がついたら真っ正面から単刀直入にお願いしていた。

 ゆっくりとオケアーノス王が近づいてくる気配を感じ、俺の頭に手が載せられる。

「……ジュン・ハルノ殿。顔を上げなさい」

 王は、俺の目をまっすぐにのぞき込む。真剣なまなざしに目をそらすことはできない。

「我ら海に生きる者として海神セルレイオス様の言葉は絶対です。ですが、先ほどの言葉は父としてとてもうれしいですな」

 王は口を閉じてニヤリと笑った。

 ……なんだろう。急に緊張がほどけたのはいいんだが、嫌な予感がするんだが。

「我が国随一の歌姫であるセレンは、いままで多くの求婚者が現れてはことごとく自らの手で退けてきた猛者でもある。……実はね。我が人魚族の求婚の儀式というのがあってね」

と背後のセレンを見てニヤリと笑った。

 セレンが焦って、

「ちょ、ちょっと。まさかアレをやるっていうの?」

と王に詰めかける。

 王はいたずら小僧のような笑みを浮かべ、

「婿殿は、我らの求婚の儀式をしたそうだぞ?」

「くっ。……教えていなかったのがまずかったかも」

 なんだ? 確かに求婚の儀式があるのなら、それにのっとって堂々と認められたいが……。そんなに大事なのか? 少し不安だ。

 振り返った国王が、

「さて、では皆の衆! 準備だ! 婿殿がセレンに結婚をかけて挑戦するぞ!」

 とたんに人々が大きな歓声をあげる。

 ……ちょっとまて。挑戦?

「婿殿。我らが求婚するときには、相手と決闘して屈服させて自ら嫁を勝ち取るのだ」

 な、なんだって!

 セレンが気合いの入った顔で俺を見る。

 そ、そうだよな。形だけだよな? 手加減を……、

「ジュン。やるからには全力で行くからね。海中ここでなら……、あなたにも負けないから。その上で私を屈服させなさい」

「……マジか」

9-3 海中活動の訓練と課題

 次の日、早速、海中行動の訓練をすることにした。

 今まで経験した水中戦といえば、ベルトニアでの人食い鮫、そして、超巨大サメの船喰いシップ・イーター戦くらいしか無い。

 しかもあの時はヘレンの結界魔法で箱物の空間を作って戦ったわけだから、純粋な水中戦とはいえないだろう。

 しかし、必ず海の中で戦うときが来る。

 だから、この安全な浅海域にいるうちに戦えるように訓練しないといけない。

 海中で一列に並んでいる俺たちの前に、セレンが先生となって説明をしてくれる。

 残念ながら水中なので眼鏡はしていないが、人魚の姿に戻り人差し指を立てて、

「それではこれから海中での体の動かし方を練習するわね。地上とは力の使い方が全然違うから、ようく聞いてね。

 私たち人魚族は普段はこの尾びれで泳いでいるの。それで高速移動する時は全身に魔力を張り巡らせてその魔力を操作するのよ。だけどみんなの場合は――」

 セレンがいうには、俺たちの場合は最初からこの魔力を用いての活動をする方がいいらしい。

 イメージとしては、魔力を身体に廻らせてその魔力を遠隔操作するような感覚だ。

 そのため常時魔力を消費するので、効率的な魔力操作を身に付ける練習が必要らしい。きっと身体強化魔法の要領でもあるのだろう。

 早速、体内の魔力を血管に沿って身体中に流れ通わせる。

 その魔力を遠隔操作で――。

「あっ、……そうそう。その調子よ」

 同じ姿勢のままでスーッと移動した俺を、セレンが褒める。

 これは慣れないと難しい。

 以前に空中戦で、空を飛びながら戦ったことがあるが、あの時の感覚とも違うんだよ。

 浮力や水流といった、外部の影響が、思いのほか強いみたいだ。

 まあ、「武神の卵」の称号の力もあって、すぐにスムーズに海中で動くことができるようにはなった。

 しかし問題は、この状態で技を出せるかどうかだな。

 え? どういうことかって?

 無重力状態と一緒で踏ん張ることができないんだよ。

 解決策としては、空中戦と一緒で足の裏の魔力を利用して水中に足場を作るか、身体のひねりのみで技を繰り出すかといったところだ。

 しかしこれが難しい上に技が直線的なものに限定されてしまう。

 テラブレイドを手に船の周りを高速移動していると、そのすぐ隣にセレンがやってきた。

「さっすがジュンね! もうそんなに動けるの」

 セレンはそういうが、俺には前から「水中行動」のスキルがあるし空中戦の経験もあるからだよ。

「水中行動」スキルは、そう。

 南海にある俺たちの島「楽園パラディースス」で、セレンとモリ漁をしているうちに身につけたんだ。

 けれど問題はやはり――、剣技だ。

「いいや。まだだ。まだ技が思うように出せないよ」

 ためしに拳に魔力を込めて眼下の海底に向けてパンチを繰り出す。

 その拳の先から魔力弾マナ・バレットが飛んでいき、海底の一角が爆発して土埃が立ち上った。

「こういう放出系の技はいいんだ。ただな」

と言いながら剣を一閃する。

 泳いでいる姿勢からの切り払い。

 テラブレイドが海水を切り裂く。……が、剣筋が水流に押されて僅かにぶれる。

 さらに振り抜いた剣に身体が引っ張られてバランスも崩れる。

 これでは大半の魔物には通用しても、天災の奴らには……、

「無理だな。通用しない」

 並んで泳ぐセレンは苦笑しながら、

「う~ん。でも他のみんなはまだまだっぽいよ」

と言いながら後ろちらりと振り返った。

 釣られて後ろを見ると、そこではヘレンがほとんど簀巻すまき状態となり、ぐるぐると回転しながら海を漂っていた。

 えっと。

 いくら修道服が濡れたからといって、どうすればあんなに絡まるんだ?

「めが回るぅぅぅ。た、助けて~! ジュ~ン!」

 ……。なんか可愛いくていいな。

 これはやっぱり水着になってもらうしか。いやダメだ。他の男に見せるのはむかつく。

 そして、その向こうでシエラがどうにか体制を整え、へっぴり腰で恐る恐る竜槍ドラグニルを握り、

「双竜突き!」

と二連の突きを放った。

 その瞬間、先端から水と風の力が螺旋を描きながら打ち出され……。

 シエラがものすごい勢いで逆噴射して後ろに飛んでいった。

「の、のわああぁぁ」

 それを見て、セレンが「ブッ」と吹き出して、笑いながら捕まえに泳いでいった。

 確かにみんな苦労しているようだ。

 離れたところではカレンが思うように動けないようで、少し涙目になりながら両手をバタバタとしている。

 あれはダメな人の泳ぎだな。海上なら溺れているようにしか見えないだろう。

 逆にサクラは両足に魔力を集め、擬似的な壁を作って移動している。おそらく空中を歩く忍術:空渡りの応用だろうが、動きは直線的なものになってしまっている。

 ただ、確かにあれも一つの方法ではあるな。

 そう思って見ていると、急な鉄砲水ともいうべき激しい水流がサクラを襲った。

「きゃあ!」

 と珍しくかわいい悲鳴を上げながらあっという間に流されていくサクラ。

 ふと上の方を見ると、どうやらノルンが水魔法で作り出したものだったようだ。

 ノルンがサクラを見下ろして、

「だめよ、サクラ。ちゃんとセレンに教わったとおりにやりなさい」

 と厳しく注意をしていた。

 ノルンは、そのまま空を飛ぶようになめらかに移動をはじめる。

 さすがだな。すでに自由自在に動けるようだ。

 ……そういえばノルンも、一緒に空中で戦ったから、その経験もあるんだろう。

 そっか。

 それに魔法なら、水流や浮力の影響を受けることもないだろう。

 再びクルクル回るヘレンと逆噴射するシエラ。

「め、目が……。じゅ、ジュン、たすけ、て……」

 ヘレン。

 おとなしく水着になろうか。ここには俺たちしかいないし。俺もそっちの方が気合いが入る。

「ま、またぁー。あぁあぁぁぁ」

 シエラ。

 怪我はしないだろうが、先に体勢制御や水中での移動をマスターした方がいいだろうに。

 いや、別にいいんだ。もうちょっとお笑い要員でも。

 お笑い要員か。

 思わずニヤリと笑みがこぼれる。

 ヘレンとシエラから、

「あ! こらあ! 笑ったな!」

「え? え? あああ! 見ないでぇ!」

と大声が聞こえて来た。

 別にいいじゃん。面白いし。

 そう思いつつ「ごめんごめん」と頭をかきながら、ヘレンを助けに向かう。

 ――実は問題はまだあるんだよな。

 ヘレンの主要武器はメイス、そして、カレンの武器は弓矢。

 この2つは水中ではまったく使えない。

 かといって2人の魔法はというと、魔族の血に目覚めたヘレンは火属性の魔法を使うし、カレンも種族魔法の森林魔法の使い手。

 ……なのだが、これも水中では使えない。

 つまりだ。

 この2人は、武器にしろ魔法にしろ、戦闘手段がまったくなくなってしまうわけだ。

「こら! 早く! 助けなさいよ!」

 俺を呼ぶヘレンの声が聞こえる。

 急ごう。でないと後が大変だ。

 しかし、船に戻ってからお仕置きと称して、一人につき1つずつ、何でも言うことをきく羽目になってしまった。

 ……しかも何故か全員分だと? 解せぬ。

――こうして訓練をしながら海を進むこと7日間。

 ようやく俺たちは深海に降り、ミルラウスへ向かうことにしたのだった。