16間章 クラウディア狂想曲

 転移した先は、エストリア王国南部の港湾都市ベルトニアと、海洋王国ルーネシアの間、大海原の真ん中にある無人島。

 かつて俺とシエラが漂流して辿たどりつき、その後、ノルンたちが追いかけてきてくれた小さな島で、奥の方に海神セルレイオスの神域に通じる入り口がある。

 今ではプライベート・ビーチリゾートのつもりで楽園島パラディーススと名付け、俺たち所有の島としている。あちこちにある建物はノルンが魔法で作り上げたものだ。

 魔法陣が設置してある小屋から出ると、ビーチへ通じる小径の脇に参列者たちが思い思いにたたずんでいた。

 綺麗な青空に白い雲が浮かんでいる。波の音も穏やかで、鳥のさえずりが聞こえてきた。

 右手にいるのはセレンの両親であるオケアーノス・ミルラウス国王夫妻、反対側の左手にはカレンの両親など、そうそうたる顔ぶれだ。誰もが着飾って、笑顔で俺たちを見ている。

 小径の一番奥には、今日のために設えた祭壇があり、そこに修道院にあるのと同じ大きさの女神トリスティアの像が祀ってあった。

 その左右には翼神ウィンダリアと伝えられる女神像と、海神セルレイオスの神像が並べてある。どれも今日のために作った像だった。

 ふと視線を感じて左手の方を見ると、そこには俺たちを鍛えてくれたシンさんと、トウマさん、イトさん。そして、ノルンの祖母代わりの三ツ目族の隠者パティスさんも来ていて、にこやかな表情でこちらを見ていた。

 彼らがどこにいるのかはわからなかったため、案内状は出せなかった。けれど、前々から「君たちの結婚式には行くから」と言われていたので枠は設けていたんだ。

 占い師でもあるパティスさんはまだわかるが、シンさんたちもよく、今日という日と、この場所がわかったものだ。

 謎が多い人たちだけれど、俺たちの結婚を祝福に来てくれてうれしさが先に募る。

 ――む?

 なぜか一番奥に見慣れぬ幼女を連れた大男と美女の幻が見えるが……。

 思わず錯覚かと目をこすりそうになったが、あの大男。どう見ても海神セルレイオスである。

 まさかの神様降臨? じゃあ残りの2人もそうだろうか?

 おっと、もうローレンツィーナ様が祭壇に立っている。

 すぐに儀式が始まるだろうから、きちんとしないといけない。

 幻を見なかったふりをしつつ、ノルンと並んで一番前を進む。後ろをヘレン達が2列で続き、祭壇の前で横一列に並んだ。

 その時、後ろの方から小さな声が聞こえてきた。

「ほれ。お前が前に行かなくていいのか?」「セルレイオスだって一緒じゃん。セレンがいるんだから」

「それにしてもあの女神像はそうとうに盛ってるな」「い、いいのよ!」

「本当はこんなに可愛い幼女なのにね」「そのうち主様に大人にしてもらうからいいの――」

 ……これは幻聴だろう。きっと気のせいに違いない。

 聖女様が祭壇に大杯をかかげ、中の聖水に指先をつけると、その場を清めるように周囲に振りまいた。

 その途端に厳かな雰囲気が漂い、息をするのも忘れそうな神聖な空気が漂う。

「新郎ジュン・ハルノ」

 聖女様の声が響き、金縛りが解けたように顔を上げた。

「――はい」

「新婦ノルン・エスタ。ヘレン・シュタイン。サクラ。シエラ・リキッド。セレン・トリトン・ミルラウス。カレン」

「「「はい」」」

 普段のくだけた様子とは異なり、ぴしっとした聖女様は、神に仕える者独特の空気を身にまとっていた。

「今、創造神様、翼神ウィンダリア様、女神トリスティア様、男神セルレイオス様の御前にて、結婚の式を挙げます。……その命尽きるまで、互いが互いを翼とし、支え合い、愛し続けることを誓いますか」

 地球にいる頃にはついぞすることができなかった誓いの言葉。

 俺の胸に色々な思いが去来しつつも、腹に力を入れしっかりと返事をする。

「はい。誓います」

 俺につづいてノルンたちも「はい」と返事をした。

 聖女様は満足そうにうなずき、

「神々の祝福をこの者たちにいたてまつる。この7名をして果てなき婚姻の絆で結ばしめたまえ」

 聖杖を三度床に打ち付けてならすと、空からキラキラとした光のかけらが雪のように降りてきた。

 それを見た参列者の多くが「おおお!」と声をあげる。

 うん。これも聖女様の魔法なのだろうか。幻想的な光景に本当に神々から祝福を受けているかのように感じる。

 光のかけらが舞い降りるなかで、聖女様がかすかに笑みを深めた。

「さあ、花嫁と順番に口づけを交わしなさい」

 緊張しながら横にいるノルンと向き合う。ベールを上げると、その下からうれしそうなノルンの顔が現れる。

 俺の半身。魂の片割れ。この婚姻の儀式は、俺たちの魂が再び1つになるようなものだろう。

 そっとノルンの両ひじに手を添えてキスをすると、列席者が拍手をして祝福をしてくれる。

 次はヘレンの前に進むと、ヘレンは緊張しながら俺を見上げた。聖女様の横で控えていたはずのクラウディアが、「ヘレンー! おめでとう」と声をあげた。

 思わず吹き出しそうになりながら、ヘレンを見ると、珍しくボンッと音が出そうな勢いで真っ赤になっていた。そっとキスをすると、離れ際に「ううぅ」と声を漏らしていたが、きっと照れてるんだろう。

 サクラの前に行くと、サクラは爛々らんらんとした目で俺を見上げていた。

 苦笑しながら正面に立って、その肩に手を添えて唇を重ねると、次の瞬間、がばっと首に腕を回されてぎゅうぅっとしがみつかれた。

 まったく、儀式中だってのになにしてんだよ。

 慌てて体を離すと、サクラはいたずらが成功したみたいにニシシと笑っていた。

 ちらりとサクラが振り返った方向を見ると、サクラの姉である炎扇のマオと、その腕にいる白い猫、祖父のスピーがいた。

 気を取り直してシエラの前に行くと、遂に順番が来たとひどく緊張しているようだ。

 そっと両手で頬をはさんで笑いかけると、やや固い笑顔を返してくれる。

 そのままキスをすると、その目尻から一筋の涙がつうぅぅっと流れていく。

「……お父さん」

 殺されたギリメクさんにも見せてあげたかったんだろう。そっと親指で涙をぬぐい取ってやる。

 見ると、参列席で伯父の竜人族族長トルメクさんも号泣していた。……今度、お墓に報告に行こうな。

 感無量になりながらもセレンの前に行く。

 さすがはミルラウスの姫だ。そのたたずまいには王族のオーラが漂っている。

 これはカレンもそうなんだが、身分から言えば本当は第一夫人でもおかしくはない。けれど俺はもとよりみんなもそういう身分的考えはどうでもいいらしい。

 正面からセレンを見つめると、わずかに鼻息も荒くなっているようだ。……何しろ人魚は肉食だからな。

 苦笑いしながら腰に手を添えて口づけを交わすと、ぐいっと体をつかまれて情熱的に舌を入れてきた。おいおい。みんな見てるって……。

 心配して参列者の方をチラリと見ると、やっぱり人魚は肉食らしく、セレンの両親は当たり前だという顔をしてうなずいていた。

 最後のカレンの前に行くと、カレンも緊張して赤くなっている。

 まるで演奏会の出番を待っているかのような。……いやいや、確かに教え子ではあったけど、もうとっくにそれは卒業している。

 ゾヒテ六花の妖精たちが俺とカレンの周りを飛びながら、花びらをまいていた。

 そっとカレンの前に立って手をとり、そのままキスをすると、カレンの全身から力が抜け、ふらっと倒れそうになった。

 慌てて支えてやると、膝に力が入らないらしくプルプル震えている。参列席のカレンの家族たちが「カレンったらもう!」と笑っている。

 カレンらしいな。

 再びノルンの横に戻ると、空から降り注ぐ光の粒が輝きを増した。

 幻想的な光景の中で、聖女ローレンツィーナ様の声が響きわたる。

「婚姻の儀が成れり」

 再び拍手が巻き起こり、みんなと一緒に振り返って参列者に手を振った。

 この後は、先頭に立って次の会場へと向かう手はずになっている。そのまま披露宴代わりの食事会になる予定なんだ。

 今日のために拡張しておいたゲストハウスのホールには、いくつものテーブルが並んでいる。

 俺たちに続いて参列の人々が入ってくる間、ノルンがアイテムボックスの指輪から、予め作り置きしておいた料理の大皿を並べていった。

 というのも、さすがに今日は誰も料理人がいないし、この聖域にこれ以上の人を連れてくるわけにはいかなかった。

 同じ理由で給仕の人もいないが、それも参列者には事前に説明をしてある。

 ヘレンたちと手分けして用意しておいたグラスに、乾杯用のスパークリングを注ぎ、全員に配る。

 祝辞とかは無しにして、俺が簡潔に参列のお礼を言い、特にシンさんに乾杯の発声をしてもらった。

 そのままホームパーティーのような和やかな食事会に移った。

 ホールのテラス部分は一部が海の上にせり出している。そこから見る海は美しく、それぞれが思い思いに過ごせるようにイスを置くなど、入念に準備をしておいた。

 そのせいだろうか、食事会が始まるや、テラスに行った人たちがいる。

「こ、これが海!」

「すっご~い!」

 まっさきに感激しているのは、シエラの伯父トルメクさんとカレンの家族のハイエルフたちだ。

 トルメクさんはデウマキナ山の高地に住んでいて、ハイエルフは世界樹から出てこないらしいから、初めての海に感激しているようだ。

 海鮮料理もたくさんあるから、ぜひ堪能して欲しい。

 一方、リラックスしているのはセレンの家族のミルラウス国王夫妻と妹のアシアーさんだ。

 やはり人魚族だけあって、海のそばは居心地がいいのだろう。……あ、いや。ここが海神セルレイオスの聖域の端っこであるせいかもしれない。

 パティスは今日も若い姿で、今は聖女ローレンツィーナ様と談笑している。この2人は種族が違うんだけれど、どこか雰囲気が似ているんだよな。

 そのそばにはノルンとヘレンもいて、なかなか楽しそうだ。

 なお海鮮料理に夢中になっているのが、サクラの姉のネコマタ・炎扇のマオと祖父のスピーだ。クラウディアも一緒にいる。

 サクラが甲斐甲斐しく魚を取り分けていて、4人でハムハムと食べていた。

「おいしいっ」

 クラウディアの楽しそうな声が聞こえる。

 今のところどの参列者も満足しているようでひと安心だ。

 かくいう俺は、シンさんとトウマさん、イトさんと一緒のテーブルに座っている。

「ジュンくん。これからよろしく頼むよ」

 急にシンさんがそんなことを言うが、それはこちらのセリフだと思う。

「なんでもおっしゃってください。依頼を受けていなければすぐにでも駆けつけますよ」

と言うと、満足げにうなずいていた。

 シンさんの屋敷でともに過ごした一年間のお陰で、俺はこの世界のことを知り、戦う力を身につけることができたんだ。

 今の生活があるのも、この3人のお陰。感謝しかないし、恩を返せるうちに返しておきたいと思う。

 不意にトウマさんが腰に差した一本の剣を俺に差し出した。

「これは?」

「お祝いだ。お前にやろう」

「え?」

 これってトウマさんの相棒じゃないか。……抜くところは数度しか見たことがないし、それも一瞬だったが、明らかに普通の剣じゃないことはわかる。

 どこか日本古代の青銅の剣に似たデザインの直剣だ。

「いや、それは受け取れません」

 そう断ったが、トウマさんは笑みを浮かべ、

「かまわん。……本当は愛用の武器が別にあるんだ」

 そうなのか? しかし……。聖石の力に慣れた今なら前よりもはっきりと感じる。この剣には神力の波動を感じる。そんな大切な剣を俺にいいのだろうか?

「ですが、俺にはすでにテラブレイドがあります」

 この剣も地竜王ガイアからもらった剣だ。天災との戦いにも耐えてきた相棒だ。

 すると話を聞いていたシンさんが、

「私に任せてもらおう」と言いながら立ち上がった。「お祝いだからね」

 テラスから砂浜に降りると、木の棒で円を描いたシンさんが、

「たしか、折れてしまったミスリルの2本もあったろう。ここにテラブレイドと、その2本とを並べなさい」

 折れてしまった2本の剣は、黒鬼ターレンからもらったミスリルの片手剣とフレイムエレメントソードのことだ。

 両方ともダンジョンから見つかった名剣で、大切に手入れをしていたんだが、天災との戦いには耐えられなかった。

 俺が3本を円の中央に並べると、トウマさんがその隣に自分の剣を置いた。

 さらにシンさんが俺に言う。

「この世界に来たときのナイフがあるかな? それも出しなさい」

 え? 不壊のブレードナイフか?

 なぜこのナイフのことをシンさんが知っているんだ?

 疑問に思ったものの、素直にナイフをミスリル剣の隣に並べて置いた。

 シンさんは何をしようというのだろうか?

 ナイフも入れて5本の剣が揃うと、シンさんは円の前で両手を広げた。

 ブウンッと音がして剣の下に魔法陣が輝いた。

「志半ばに折れてしまった剣にも、大切に使われてきた道具には魂が宿るものさ。今から剣を融合し、新たな君の剣を誕生させよう」

 初めて見るシンさんの魔法。創造魔法とでもいうのだろうか。

 魔法陣の中央に青白い炎が生じて剣を飲み込んで見えなくなっていく。

「サラマンデル、ノーム、ウンディーネ、シルフ。出てきて精霊門を開け――」

 シンさんの言葉に、魔法陣内の四方に小さな炎、土山、緑の竜巻、水の渦巻きが生まれ、そこから赤・黄・緑・青の4つの光が中央の炎に吸収されていく。

「クロノ、アーテル、メーテル。お前たちも時空門を開け」

 続いて魔法陣の上に紫、黒、白銀の光の珠が現れ、中央の炎へと吸い込まれていった。

 さらに懐から六枚の大きな鱗を取りだして、薪をくべるように炎に投げ入れた。

「竜王の力とともに生まれ出でよ」

 ゆらゆらと揺らめいていた炎が強く輝き、その光が凝縮してやがて1本の剣に凝縮されていく。

 姿形はトウマさんの直剣と同じデザインだが、刀身自体がうっすらと光り輝いている。見たこともない材質の美しい剣。

 やがて閃光とともに炎も魔法陣も無くなったが、何もない空中を、その剣が刃を下に向けて浮かんでいた。

 シンさんはその剣をしげしげと眺めてニヤリと笑った。

「そうだな。ベースはトウマの剣だからその名を引き継いで、天叢雲あめのむらくもつるぎとでも呼ぼうか」

 シンさんが俺に目配せをする。受け取れというのだろう。

 うなずいて前に進み出てそっと柄を握る。その瞬間、剣が光を放ち、俺の中のなにかと強固に結びついて何かの回路ができたような気がする。

 天叢雲って、ここに来て日本神話由来の剣の名前が出てくるとは……。

「すごい剣ね」

 背後からのノルンの声に我に返る。

 いつのまにかみんなが集まってきていた。カシャンと音がして、手許を見るといつの間にか剣が鞘に包まれている。不思議な剣。だが、妙に手に馴染むし、昔から振ってきたかのように懐かしさを感じる。

 ――誰もがこの剣の説明を待っている中で、肝心のシンさんは、

「じゃ、悪いけど、私たちはお先に失礼するよ」

と言って、トウマさんとイトさんと一緒に帰ろうとした。

「ちょ、ちょっと待ってください」

 慌てて追いかけて改めてお礼を言うと、振り返ったシンさんは真剣な表情になっていた。

「これで君たちは今までよりも強い絆を結んだことになる。――2日後の昼だ」

 何のことだろうかと戸惑っている俺の肩を、シンさんはぽんぽんと叩き、2人のお伴と一緒に転移魔法陣のある小屋に入っていった。

 一抹の不安が心をよぎったが、俺を呼ぶノルンの声に我に返り、みんなのところに戻った。

◇◇◇◇

 その日の夜。未だに続いているパーティを抜け出して、俺は星空を見上げていた。

 ここの世界に転移して築いてきた絆。みんなの笑顔を見ていると、それがとてもかけがえの無いものであるように思う。

 テラスでかがり火の明かりに照らされているみんなが、幸せそうに笑っている。それを見ているだけで、俺も幸せだ。

 この時間が永遠に続いて欲しい。切にそう願うのだった。

16間章 クラウディア狂想曲

 それからの事を話そう。

 力を封印して地面に降り立った俺たちは、しぶとく生き残っていたグリードを捕まえた。

 俺たちの聖炎葬送はラフレシアのための炎だ。こんな奴など燃やす価値もない。それに犯人はしかるべき所に引き渡さないといけないしな。

 あれからほどなくして、シエラとカレンとともにゾディアック・クルセイダーズのアクエリアス隊が駆けつけた。

 俺たちの放った炎が遠くから見えたらしく、途中から全速力でやってきたという。

 幸いにグリードは放心状態となっていたので、おとなしく魔力封印と自殺防止の処置をされていた。

 上空に停泊している神船テーテュースは、はじめから見えないように結界を張っていたが、いつのまにかそこに乗っているはずのヘレンとクラウディアも地上に降りてきていた。

「ね? 大丈夫だったでしょ。お兄ちゃんがいれば」

 そう無邪気に笑うクラウディアの頭に、ヘレンが拳骨を落としていた。

 きっと孤児の扱いには慣れているんだろう。俺の言うことは聞いてくれなかったクラウディアも、涙目で頭を抑え、ヘレンの言うことには素直に従っていた。

 そんなクラウディアだが、俺たちがアクエリアス隊の隊長マリエンヌさんに事情を説明している間に、とっとっとと歩いて少し離れたところに行き、しゃがみ込んだと思ったら何かを拾っていた。

 すべてを話し終え、グリードを連れて帰っていくアクエリアス隊を見送ってから確認してみると、それは小さな小さな1粒の種だった。

 そう。苦痛も絶望も焼き尽くしたが、幻獣ラフレシアは種を残していたのだ。

 妖精王フレイがクラウディアからその種を受け取り、フェアリー・ガーデンで育てるという。

 どちらも幼女の姿だから、お友だち同士のように見えたことは内緒にしておこう。

 それとカーバンクルたちも、ここがバレてしまったのでフェアリー・ガーデンに連れて行くことになった。幻獣がこの森からいなくなるのは残念だが、それも仕方ないだろう。

 こっちに残るのは、クラウディアと契約しているあのカーバンクルだけだ。

 フレイもカーバンクルを連れてさっさと転移していき、ようやく俺たちもアルへの帰途についた。

 クラウディアには俺とノルンの封印解除もテーテュースも見られているので、遠慮することなく空路での帰還となった。

 短い空の旅にもかかわらず、かなりはしゃいでいて大変だったが、まあ、それも仕方がないだろう。

 ――こうしてクラウディアとの出逢いから始まった一連の事件は、とりあえず終息したのだった。

◇◇◇◇

 初めて着る服だったが、仮縫いの段階でサイズ調整をしていたこともあり、動きにくいこともなくフィットしている。

 ノルンデザインの白い礼装に身を包み、正面の鏡をのぞくと、そこにいるのは普段とは様変わりしている自分が映っていた。

 どこか騎士服に似ているが幸いに似合わないということもなく、さすがはノルンだと感心する。

 今ごろはノルンたちもそれぞれのドレスを着ている最中だろう。

 男よりも女性の方が時間がかかるわけで、婚礼の当日だというのに時間の空いた俺は、窓辺のイスに座った。

 外はすっかり春めいてきていた。

 穏やかな陽射しに包まれた街。普段は参詣者の姿も多い修道院だが、今日だけは立ち入り禁止となっている。

 理由は俺たちの結婚式のためだった。

 招待している関係者は多くはない。冒険者ギルドや冒険者の憩い亭の人たちも呼んではいない。

 なぜかというと、婚礼の儀はここの修道院で行われるように見せかけて、実際は違う場所に転移して行うからだ。

 それというのも、新婦の関係者にはエルフの王族であるハイエルフに、人魚族の王族、竜人族の族長という人たちがいるせいだ。

 ここの修道院でやるとなっては、警備の問題でゾディアック騎士団がやってくるだろうし、なにより他国の王族が来るのに、ここエストリア王国の王族が黙ってはいないだろう。

 そういうわけで修道院長さまとの打合せの早い段階で、式は俺たちの島「楽園島」でやることに決定していた。

 あそこは海神セルレイオスの聖域でもあるので、安心して集まることができる。

 ただ世界を股に掛けて転移できるということは極秘にしておきたいので、結果、招待客は絞るしかなかったのだ。

 まあ二次会というか、後日俺たちのホームで、この街にいる知り合いを呼んでパーティーをする予定ではある。

 ふと物思いに耽っていると、突然、耳元に父さんと母さんの言葉が蘇った。

 ――ずっと見守っているからね。

 困難に挫けるなと言った父さん。愛する人を見つけなさいと言った母さん。

 俺は2人に恥ずかしくない道を歩めているだろうか。

 少し不安になってくるけれど、皆の顔を思い浮かべる。

 こっちの世界に来てから、ずっと一緒に冒険してきたみんな。心から支えたいと思ったこともあるし、助けられたこともある。頼りにされたり、頼りにしたり。……そして今、俺は幸せを実感している。

 そうだよな。

 俺がみんなを幸せにするんでもない。みんなが俺を幸せにするんでもない。

 みんなと一緒に人生を歩んで、みんなと一緒に幸せになっていくんだ。

 それでいいんだよねと、心の中で父さんと母さんに問いかけた。

 ――トントン。

 ドアをノックする音がする。準備ができたのだろうか。

「どうぞ」

 声を掛けると、中に入ってきたのは着飾ったクラウディアだった。

「お兄ちゃん。今日はおめでとう」

「ありがとう。……でもその恰好は」

「あれ? 聞いてないの? 院長様と一緒に私も出るんだよ」

 なんだって? そういえばローレンツィーナ様から招待客1枠の要望があったな。

 あれってクラウディアのことだったのか。

「なにしろ。私。次の聖女だから」

「は?」

「あはははは。言っちゃった!」

 クラウディアはいたずら成功とばかりに満面の笑みを浮かべて、部屋から出て行った。

 ……なんだって? 次の聖女だと。クラウディアが?

 だが、そうか。

 言われてみると妙に納得できる。それであんなに動じていなかったというか。予めどうなるかわかっていたわけだ。

「くく、くくくく」

 急に笑いがこみ上げてきた。そうか。次期聖女。クラウディアが。ははは。

 そうして一人で笑っていると、再びノックをする音がして、年配の修道女がやってきて、準備ができたと教えてくれた。

 出がけにそっと部屋を見回す。修道院の一室らしくシンプルで殺風景な部屋。けれど、温かみを感じる部屋。

 さあ、行こうか。みんなが待っている。

 俺はその修道女の後に続いて廊下へと出た。

 案内されるままに行くと、途中の小ホールでみんなが並んでいた。厳かな正装に身を包んでいるローレンツィーナ様が、ノルンたち一人一人に祝福を与えている。

 ノルンは、エストリア王国伝統の白いウエディングドレスを身にまとっている。薄紫に輝く銀色の髪を結っていて、うなじから肩口まで美しい肌がのぞいていてる。

 俺の視線に気がついたのだろう。少し恥ずかしそうにこっちを見ていた。

 その後ろでは、司祭に昇格したヘレンが儀式用の正装をしている。白と黒を基調として金と銀の細かい刺繍が施された服が、彼女の深紅の髪を際立たせている。

 緊張でこわばっているようだが、それが彼女らしい。

 そして、いつもは元気なサクラも、今日はおしとやかなたたずまいで、真っ赤なシルクのチャイナドレスに身を包み、ネコマタ族に伝わるというお化粧をしている。

 目尻に施した赤い紅。髪に挿した赤い花がよく似合っている。

 竜人族のシエラ、人魚族のセレン、ハイエルフのカレンも、それぞれの種族の伝統衣装のようだ。

 シエラは、まるで東欧の民族衣装のようにカラフルなドレスに身を包み、頭には先祖伝来の竜の牙を連ねた髪飾りを乗せている。

 ノルンと同じく、少し恥ずかしげにしているのがとても可愛らしい。

 そして、人魚族のセレンは、まさにマーメイドラインの水色のドレスで特殊な素材なのか光の加減で様々な色に光り輝いている。その頭には王族の姫であることを示すティアラが輝いていた。

 場慣れしているのか、緊張など微塵も感じさせない笑顔がまぶしい。

 ハイエルフのカレンは緑を基調としたドレスで髪に様々な花を差し込んでいて、その周りには契約しているゾヒテ六花の妖精たちが浮かんでいた。

 ヘレン以上に緊張しているようで、かちこち、あわわと言いそうな様子。妖精たちの方がどや顔になっているのが、らしいというかなんというか。かわいいけど。

「みんな、綺麗だ」

 素直にそういうと全員が照れくさそうに笑う。

 ノルンが微笑みながら、

「あなたも素敵よ」

と褒めてくれる。

 式の前の少し緊張した中にも、どこか温かい空気。この特別な時間に、胸が一杯になる。

 ああ、みんなと出逢えて、本当によかった。

 全員が揃ったところで、ノルンが一同に向かって確認をした。

「それじゃ、準備はいいですか?」

 ぐるっと見渡して、最後に修道院長のローレンツィーナ様がうなずいたのを確認したノルンは、

「では転移します。帰りは予定通りですから、安心して下さい」

と、残る予定の修道女に伝える。

 ノルンの体内で魔力が高まると同時に、足元に大きな魔法陣が現れた。

楽園島パラディーススへ。――転移!」

 視界が光に包まれ、一瞬の浮遊感の後、無事に式場となる島へと俺たちは転移した。

16間章 クラウディア狂想曲

 ――堕ちた幻獣ラフレシア――

  種族:幻獣 (ラフレシア) 年齢:468才

  怨嗟:絶望の怨嗟

  契約者:グリード

  スキル:病付与、麻薬作成、闇魔法

  ユニークスキル:自己再生 (強)、増殖、吸収

  状態:発狂

「ぎゃあああぁぁぁ――っ」

 ラフレシアの女性体が、大きな叫び声をあげた。その眼からは黒い涙が流れている。身体にまとわりついている蔓がうごめき、その足元から周囲にワラワラと這い出ている。

 堕ちた幻獣。彼女は一体……。

 グリードはフードを乱雑に挙げて、狂ったように高笑いしながら右腕を前に突き出して命じた。

「ふはははははは。ラフレシアよ。あいつを殺せ。カーバンクルを捕まえろ」

 その声を聞いたラフレシアは、グリードをきっとにらみつけると、

「ぐぎゃああぁぁぁ――」

と大きな叫び声を上げて襲いかかろうとした。

 しかしすぐにその全身に紫色の鎖が浮かび上がり、バシンバシンっと雷に打たれたように身体を震わせる。「うわああ――、ああ、あ。ああ――!」

 拷問か。むごいな……。あれは呪いだろうか。

 苦しげな叫び声を上げると、俺に向き直る。そのどす黒く濁った目が俺を見据えた。

 憎い。憎い――。

 睨みつけただけで相手を殺すかのような凄まじい怨念が伝わってくる。

 その絶望に彩られた目を見ていると、グリードに対する怒りがこみ上げてくる。

「貴様ら、一体なにをした?」

「ひゃははは。薬だ。薬を投与してやったんだ。……教えてやろうか? そうすると、こいつの血液がいい麻薬になるんだぜ。抵抗するたびに随分と拷問してやったから、いい顔をしてるだろう。はははは」

 ラフレシアの濁った目を見て、その苦痛が伝わってくるようだ。

 理不尽な目に遭わされたのだろう。理性があったならば幾度も呪ったはずだ、我が身の運命を。助けてくれと叫んだのだろう。嫌だともがいたのだろう。許してくれと幾度も懇願したのだろう。

 それでも誰も助けてくれずに拷問を加えられたのだろう。そして、もう理性などほとんどない。ただ憎しみのままに叫びつづけ、周囲を攻撃する獣になってしまっているのか……。

 なんて野郎だ。許せない!

「お兄ちゃん。あの人を解放してあげてっ」

 背後からのクラウディアの声に黙ってうなずき、改めてラフレシアに対峙する。

 彼女の頭に咲いている一輪の大きな花から、ぶわっと緑色の花粉が吹き上がった。

 すかさずグリードが罵声を浴びせる。

「この馬鹿め。俺にまで飛んでくるじゃねえかっ」

 そう言って懐から出した瓶の液体を飲んでいるところを見ると、これは毒か何かか。

(フェリシア! クラウディアを守れ!)

 とっさに空にいるだろうフェリシアに命じると、すかさず(了解しました。マスター・ジュン)と返ってきた。

 気配感知で急降下をしてくるフェリシアを確認し、俺はラフレシアの前に飛び出した。

 即座に、ラフレシアがバッと手を突き出すと、トゲのついた蔓が鞭のように飛んでくる。

 ステップを踏んで横によけると、ズザザザッと、先ほどまで立っていたところに幾条もの蔓が突き刺さっていた。

 全身を流れる魔力を活性化させ、一気に花粉を突っ切り、叫びつづけているラフレシアの前に飛び込んだ。俺には毒は効かない。

 頼む。効いてくれよ。

 久しぶりに使うこのアクティブスキル。破邪の力を両の拳に込め、彼女の蔓攻撃をすり抜けつつ、その華奢な身体に打ち込んだ。

 パチンと紫色の光がはじけ、うめき声をあげて倒れ込むラフレシア。「ぐ、ぐぅ」とうめきながら動けなくなっている。

 どうだ。浄化はできているか?

 動かなくなったのを見たグリードが、「貴様。何をしたぁ!」と叫ぶ。

 手応えはあった。うまくいってくれ。

 願いを込めながら様子を見ていると、突然、ラフレシアの身体がビクンと跳ねた。急激に、周囲の魔力が彼女の身体に集まっていく。

 また身体が跳ねる。まるで心臓に電気を流されているかのように、ドクンと。

「――まだダメ!」

 クラウディアの声がトリガーになったのか。ラフレシアの身体を中心に、空気が渦を巻いていく。「あ、あ、あああ、ああ――!」

 ドンッと魔力が爆発したかのように圧力を伴って放たれ、空気の渦が消えた。風もなく、ただただ空気が張りつめている。

 ゆらりと立ち上がったラフレシアが顔を上げた。血走った目でグリードたちを見た瞬間、彼らの足元から蔦が吹き出してその体を貫いていく。

 どうやら隷従状態は解除されたようだ。だが、同時に……、あの顔は、拷問の記憶も戻ってしまったのだろうか。

 奴らの仲間が襲われる中で、ただ一人、グリードだけが自分の周りに魔法障壁を張って耐えている。それ以外の男たちは宙に磔になり、見る見るうちにその身体がしぼんでいった。

 それを見たグリードが怒鳴った。「ラフレシア! 貴様ぁ」

 しかし、すでに隷従状態が解除され、さらにあの障壁内からでは何もできないだろう。

 次の瞬間、ラフレシアの足元から蔦が湧き出した。まるで津波のように、圧倒的な量で、次から次からあふれて周囲に押し寄せていく。

 その向こうでラフレシアが叫び続けていた。「いやああぁ――」

 くそっ。まずいっ。このままではクラウディアとカーバンクルたちが危険だ。

 とっさに岩山にまで飛び上がりクラウディアを探すも、すでにクラウディアはフェリシアに捕まれて空に浮かんでいた。ナイスだ。フェリシア。

 しかし、カーバンクルたちは逃げようとしても、すでに岩山の周囲が蔦で覆われてしまっている。

 おびえた様子で俺の傍にやってくるが、俺もこのままではどうにもできない。

 あるいは封印解除をして彼女を焼き尽くせば……。だが、それはさらに彼女を苦しめることにならないだろうか。

 ギリッと歯をかみしめる。どうする?

 ――その時だった。

「フリージング・ワールド」

 ノルンの声がしたと思ったら、岩山の周囲を渦巻いていた蔓がたちまちに凍りついた。冷気が漂い。空気中の水分が凍りついてキラキラと輝いている。

 次の瞬間、俺たちのまわりにクナイが突き刺さったと思ったら、そこを基点に光の結界が生じる。

「四神結界!」

 その声とともに、隣にサクラが降り立った。

 ポロン。ポロロロンと竪琴の音が聞こえてくると、当たりの空間に水の幻が現れる。たちまちに青く染まる視界。海の幻影だ。

「渦巻く海よ。彼の者を封じよ」

 声の主はセレンだった。青い魔力が海流となってラフレシアの周りで渦を巻き、結界となって蔓の拡散を防いでいる。

 みんなが来てくれたんだ。

◇◇◇◇

「フェリシア。上空にテーテュースが来ているから、クラウディアを連れて行きなさい」

 指示を出したノルンが俺の隣にやって来た。

「ノルン……」

「まったく一人で行っちゃって」

「すまん」

「……まあ、私たちも悪いけど。それよりあれは?」

 最初に凍りついた蔓を乗り越えて、新たな蔓が伸びてきては、サクラの張った四神結界に押し寄せている。かろうじてセレンの海魔法によって、ラフレシアを一定の範囲内に押しとどめることができているが、叫び続けているラフレシアは、見ているこっちが辛い。

 サクラはカーバンクルたちを抱き上げていた。

「幻獣が絶望した姿だ」

 それを効いたノルンが痛ましい目で暴走しているラフレシアを見た。

 空に向かって声なき声で叫び続けている幻獣。本来の彼女に会いたかった。

 ノルンがぽつりと言った。

「聞いたことがある。薔薇の幻獣ラフレシア。高貴にして優しい幻獣は森に生きる全ての生き物の守護者だと。……それがあんな姿に」

「もう蔓に埋もれているが、あそこにグリードって奴が障壁を張って耐えている。あいつが元凶だ」

「そう。……許せない」

「それより、彼女を癒やす方法はないのか。元に戻す方法は。破邪の力を試したんだが……」

 しかしノルンは首を横に振った。

「わからない。あんなになった幻獣もしらない」

「何か方法はないのか」

 そうつぶやいた時、突然、背後の空間に誰かが転移してきたのが感じられた。

「残念ながらねえよ」

 振り返ると、そこには乱暴な言葉遣いの幼女がいた。

 彼女は……、

「フレイ」

 ワンピース1枚の6才くらいの幼女姿だが、その正体は、かつてここの森の泉で、俺に月光花をくれた妖精達の王。

 ノルンが言うには、ヴァージの大森林にあるフェアリー・ガーデンに住んでいるという。

「かわいそうだが、ああなっちまったら、もう燃やし尽くしてやるしかない」

 そういうフレイは悔しそうにラフレシアを見ながら、俺に言った。

「ジュン。お前はオレに借りがあったな。――ノルンと2人。お前らの本当の力であいつを楽にしてやってくれ」

「フレイ……」

「これ以上、苦しませたくないんだ。元のあいつを知っているだけに」

 やるせない思いで拳を握る、その俺の手にノルンが自らの手を重ねてきた。顔を上げて、その目を見ると、澄んだ美しいその瞳に強い決意が宿っていた。

 一つ息をつく。そうか。

 再び叫び続けているラフレシアを見る。その赤くなった目から流れる涙は、さっきまでの黒色ではなく透明になっていた。言葉にならぬ声で助けてと叫んでいる。この苦痛から解放してと叫んでいる……。

封印解除リミット・ブレイク。――真武覚醒」

封印解除リミット・ブレイク。――真魔覚醒」

 俺とノルンが神力の封印を解く。

 白銀の力が身体の中から湧いてきて、あふれ出した力が神衣となって身体を覆い、さらに漏れた力が白い炎となって周囲に浮かんだ。

 幾度も行使してきた聖石の力。神の力。けれどもいつもは力強く感じるこの力も、今はどこか寂しげに感じてしまう。

 俺たちの封印解除に伴って、魂の回廊ソウルリンクが形成されているサクラとセレンの身体からも、白銀に光る神力がほとばしり、輝く衣を身にまとっていた。

「ノルン」

「ジュン」

 互いに名前を呼び、静かに宙に浮かぶ。そのままラフレシアの頭上に移動した。

 ノルンが哀しげにラフレシアを見下ろし、

「神力結界展開。空間隔離」

と静かに力を展開する。

「モード・火炎舞闘」

 魔法主体のノルンと異なり、俺ができるのはただ武の力で戦うだけ。せめて俺の炎で彼女の絶望を焼き尽くしてやりたい。

 ノルンと向かい合って両手を繋ぐ。俺たちの足元に光の五芒星が生じた。ノルンの神力魔法「メギドフレイム」だ。そこに俺の炎の力も注ぎ込む。

 五芒星の光がどんどん強くなったところで気がついたが、周囲のカローの森全体からも光の粒が浮かび上がっていた。

 耳を澄ませば何かが聞こえてくる。それはラフレシアを送るための妖精たちの歌声だった。

 力の充てんが終わる。ノルンが俺を見る。俺は黙ってうなずいた。

「「聖炎葬送」」

 五芒星から白銀の炎が柱となって下に伸びていく。

 たちまちにラフレシアを包み、その身体を光の中に飲みこんでいった。

 この神力の炎でどうか安らかに眠ってくれ。

 その光の中で俺は見た。最後の瞬間、彼女の瞳に意識が戻り、その顔は永い苦しみから解放されたようで、そっと微笑んでいたのを――。

 長い長い時間が過ぎ、吹き荒れる力の奔流が収まると、そこには元のままの森が広がっていた。

16間章 クラウディア狂想曲

 以前来た時は聖域のような空気が漂っていたカローの森だが、今日はどこか空気が固い。

 気配感知を広げてみると、奥の方で何かを探している人たちがいるのを感じる。人数にして30人か。

 分布を見ると、森の奥の一画を避けるように動き回っている。間違いなくグリードとかいう奴らだろう。

 カーバンクルに巣の方向を案内してもらいながら、気配感知を利用して奴らから身を隠しながら奥へ奥へと進む。

「お兄ちゃん。疲れた!」

 実はこれが一番困る。とはいえ、まだ7歳の女の子だ。ここまでよく我慢したといえるだろう。

 しかし、ここの森は茂みも少なく隠れる場所が少ない。休憩なんてしていたら余計に見つかってしまうだろう。

 仕方ない。危険もあるが負んぶをするしかないだろう。

「しっかりつかまってろよ」「うん」

 負んぶをした姿勢でも、ナイフだけはすぐに抜けるようにする。カーバンクルも俺の肩に登っているが、構わず行くことにした。

 ……あれれ? カーバンクルだよ。

 ……この人、前にも来たね。

 耳元で聞こえるこの声には心当たりがあった。この森の妖精たちだ。

 スキル・妖精視を使うと、俺の周囲を羽根妖精たちが飛びながら付いてきているのが見える。

 ……変な男たちがたくさんいるから気をつけて。

 ……カーバンクルたちはこっちだよ。

「助かる。道案内を頼む」

 妖精たちにそういうと、「任せて。近道はこっち」と思念が伝わってきた。

 そのまま妖精にしたがって、かつて妖精王フレイと出会った泉を通り過ぎ、男たちが避けている森の一画に近づいた。

 不意に、何かを突き抜けたような感触があった。

 そうか。結界か。おそらく幻獣によるものであろう。突き抜けた途端に木々の間から岩場が見えるようになった。

 詳しくはノルンに調べてもらわないといけないが、認識をいじる効果があるのだと思う。

 つまり、周囲にいる男たちは、この結界のお陰でカーバンクルの巣を無意識のうちに避けているのだろう。それは同時に、この子は結界の外に出たところを捕まったということでもある。

 もちろん、あらかじめ場所さえ知っていれば、誰でも結界を通り抜けることができるのだろうが、まだ巣の位置が知られていないようで助かった。

 そのまま岩場に近づくと、林が途切れてぽっかりと空いた広場と、その中央にある、高さ5メートルくらいの岩山が姿を現した。ここがカーバンクルたちの巣なのだろう。

 案の定、近づくと、肩に乗っていたカーバンクルが飛び降りて、そのまま岩山に走って行く。岩山の窪みからも何匹かのカーバンクルが顔を覗かせていた。

「キュルキュルキュルキュル――」

「キュ、ピピピピ」

 まるで鳥のような鳴き声でさえずり合うカーバンクルたち。

 クラウディアが下ろしてというので、しゃがみ込んで地面に下ろすと、タタタタとカーバンクルたちに走り寄っていった。

「よかったね。もう外に出て捕まったら駄目だよ」

「キュルキュル」

 どうやら無事に目的に到着できたわけだ。これでこの子の依頼は達成。あとは結界外の男たちをどうするかだ。

 クラウディアが一緒だと戦えない。ならば、結界に守られたここに居てもらった方が安全だろう。

「クラウディア――」

 そう考えて声を掛けたときだった。

 パアンッ。

 何かが破裂するような音がして、結界が消えた感覚がした。

「ちっ。クラウディア! 岩山に隠れろ。奴らが来るぞ!」

「うん」

 ナイフを抜いて森に向かって構える。気配感知で、男たちがここを目指しているのがはっきりとわかった。

 どうやって結界を破ったのか。相手に魔法使いがいる。そう考えておいた方がいい。

「――来たか」

 林の間から武装した男たちが続々と姿を現す。岩山の前にいる俺に気がついて、慎重に周りを取り囲むように広がっていった。

 やがて男たちの中から、頭から、すっぽりローブを来ている人物が前に出てきた。

「ふふふ。素晴らしい! カーバンクルがこんなにもいるなんて!」

 ――グリード――

  種族:人間族 年齢:42才

  職業:商人 クラス:魔法使い

  所属:グリード

  契約:ラフレシア

  スキル:身体強化3/強化2/生存術4/火魔法4/水魔法3/土魔法3

     交渉/

 そうか。こいつがリーダーなのだろう。まんまグリードって名前だ。

「悪いが、罠にかかったのはお前たちだ。諦めて投降した方が身のためだぞ」

 なにしろ、ここにはノルンたちが向かっているからな。

 しかし、俺の忠告は笑いを誘っただけのようだ。

「はははは。あなた一人でなにができます? ここは街の中じゃない。冒険者などいつ野垂れ死んでもおかしくはないんですよ」

「お前たち、アルの人間じゃないな?」

「おや? アルで商売をしている者ですが……、幾分裏の、ですが」

「だとしたら残念だな。俺がここにいる限り、諦めてもらおう」

 馬鹿だな。驕るつもりはないが、ランクA冒険者である俺のことは知られているはずだろうに。

 ……まさかノルンたちが一緒じゃ無いから俺がわからないってことじゃないよな? いくらハーレム野郎と呼ばれているからといって、俺一人だと誰か分からないなんてことはあるまい。……ないよな?

 自問自答すると自信がなくなってくるが、俺を見くびっているなら好都合だ。

「では、さっそく仕入れをと言いたいところですが、その前に害虫を駆除しましょう。――やれ!」

 いきなりか。

 ローブを着たグリードという男の号令で、放たれた矢が山なりに飛んできた。ご丁寧に、同時に他の男たちも突進してきている。

 ――だが、無駄だ。

 ナイフに魔力をまとわせて、空に向かって一気に薙ぐ。

 刃先から放たれた魔力が暴風となって、五月雨のように降り注いできた矢をたちまち吹き飛ばす。

 同時に走り込んでくる男たちに向かって、こちらから突っ込む。

 すっと正面の男の間合いに入り込み、そのまま通り抜け様に首筋を叩いて気を失わせ、右から切りかかってきた剣をナイフではじき上げながら肘をみぞおちに入れる。

 男はそのまま後ろの奴らを巻き込んで吹っ飛んでいき、その隙に反対側からやってくる男たちのところに向かった。

 周りから一気に切りかかってくる刃だが、スローモーションのように見える。単純に足さばきだけで駆け抜け。それぞれの手を打って骨を折り、武器を落とさせた。

 僅かな間で半分以上の男たちを鎮圧したが、せいぜいが冒険者でいえばランクDからEといったところ。わざわざスキルを使うまでもないだろう。

 ゴウッと突然の熱気を感じて振り返ると、グリードが巨大なファイヤーボールを放ったところだった。

 馬鹿な……。俺の背後にはカーバンクルの巣があるというのに、破壊してしまっては本末転倒じゃないのか。

 だが、それも無駄だ。

 左手に魔力をまとわせて、下から火球をはねのける。ごうっと音を立てて真上に打ち上がったファイヤーボールが、パーンと花火のようにはじけ飛んだ。

「ううぅ……」

 地面に倒れ込んだ襲撃者たちがうめき声を上げながら、立ち上がる。まだやるのか?

 このレベルなら、何人来ようと大丈夫だ。

 グリードが俺をにらみつけた。狂ったように笑い、

「これは凄い! 見誤りましたね。貴方は何ものなんでしょう? ――いや、どうでもいいか。たとえ高ランクだろうが、私たちの邪魔をするなら死んでもらおう」

と叫ぶや、懐から黒い結晶を取り出した。

 あの結晶。見覚えがある……。まさか瘴気結晶かっ。まずいぞ!

 あわてて取り上げようと足に力を入れたとき、その結晶から光が放たれ、ローブの男の前にバラの蔓をまとった女性が現れた。頭には一輪の大きな花をのせている。

 ――人間じゃない? あれは?

16間章 クラウディア狂想曲

 ノルンはヘレンを引き連れて、夜の裏通りを歩いていた。

 表通りならば酔っ払いが家路につく時間帯。ここの裏通りも、注意深くみれば、道ばたに座り込んでいるような人影がいくつもあった。

「こっちに来るのも久しぶりね」

「……昼間なら、よく炊き出しに来てたけどね」

「そっか。ヘレンは修道院にいたから」

 薄汚れた路地に似つかわしくない恰好かっこうの2人。昼間でも浮いているだろうに、今は夜なので尚のこと目立つ。

 それでも2人にちょっかいを出す者がいないのは、事情通ならば知っているからだ。2人がこの街トップレベルの冒険者であるということを。

 ランクAとなればほぼ最上位といっていいランク。しかも所属するチームはハーレム野郎で有名なステラポラリスだ。

 ところが、愚か者がいたようで、2人の行く手に3人の男が現れた。それもいかにも軽薄そうな男たちが。

「おお! 美人だね。俺たち、これから次の店に行くんだが、一緒にいかないか」

 男たちが声をかけるが、ノルンとヘレンは黙ってその脇を通り過ぎた。男の1人が慌ててノルンの肩を捕まえようと手を伸ばす。

「待てよ! 無視すんじゃねぇ!」

 しかし、男の手は幻をつかむように肩を通り過ぎた。

「あれ?」

 怪訝な表情を浮かべる男だが、ノルンたちは気がつきもしなかったようだ。

「もう少し先だったっけ?」

「そうそう。この先を左に曲がってすぐよ」

「――おい! 待てって言ってるだろ!」

 ついに叫んだ男の声に、ノルンは足を止めて振り返った。

「急いでいるから依頼なら冒険者ギルドにお願いね」

 そう言い置いて再び去ろうとするノルン。

 とうとう堪忍袋の緒が切れた男が、真っ赤になって、

「ふざけなよ! この――」

と叫びかけるが、その隣の仲間に押さえつけられた。

「止めるな!」

「――落ち着け! 足を見ろ!」

「足? ……げ!」

 叫んでいた男の足は膝から下が凍りついていた。

 いつ呪文を詠唱したのか、いつ呪文が発動したのかすらわからなかった。その事実に気がついた男は戦慄を覚え、その場に尻餅をついた。

 力なくノルンたちを指さしながら、隣の男に「な、なんだあいつら」と震える声で尋ねるが、その答えは別の方角から聞こえてきた。

「お前ら馬鹿だなぁ。新参者か? ――よく覚えておけ。あれがステラポラリスの女たち。ランクA冒険者だ」

「ら、ランクA!」

「そんなことも知らなかったのか。有名だぞ。ハーレム野郎のところだしな」

 背後でそんなやりとりがあったことも知らずに、ノルンとヘレンは夜道を急いでいた。記憶を辿りながら十字路を左に曲がり、やがて一軒の酒場のドアをくぐる。

「ストランガーをハーフロックでちょうだい」

 ノルンが目元に傷のあるバーテンダーに注文しながら1万ディール金貨を2枚差し出す。

 その金貨を受け取ったバーテンダーは何食わぬ顔をしながらロックグラスに琥珀色のお酒を注ぐ。そして1つの鍵と一緒に、2つのハーフロックをカウンターに乗せた。

「3番だ」

 ノルンは礼を言いながら一息でお酒を飲み干すと鍵を受け取る。ヘレンもグラスを空にしてバーテンダーに告げた。

「相変わらずいいお酒だわ」

 ふっと笑みを浮かべたバーテンダーに、2人も笑みで返し、そのままカウンター脇の扉をくぐっていく。

 窓もなく真っ暗な廊下をぼんやりとしたランプが照らしている。

 ノルンは迷うことなく、小さく「3」と書かれたドアの鍵を開けた。

 室内は小さなテーブルを挟んで向こうとこちらに2脚ずつのイスが置いてある。

 手前のいすに並んで座ると、タイミングを計っていたかのように、向こう側のドアから壮年の男が入ってきた。

 ノルンは先ほどと同じく、1万ディール金貨2枚をテーブルに載せると、

「情報が欲しいわ。……グリード」

 その声に男は眉をぴくりと動かす。「そうか。あいつらが追いかけて男ってのは、あんたらの愛しの旦那か」

「まあね」

「まずはおさらいだ」

 男は1枚の金貨をつまんで手許に引き寄せた。

「追いかけているのは、間違いなくグリードっていう奴らだ。東部のゴーダの街から勢力を伸ばしつつある組織で、裏で奴隷売買から、麻薬、禁制の生き物を捕獲しては貴族に売っている」

 ゴーダ……。どこかで聞いた覚えがあるような。

 ノルンは考え込んだ。

 実は、かつてフルール村で、ゴーダ兄弟がノルンとシエラを奴隷にしようと襲ってきていたわけだが、小物過ぎてノルンの記憶には残っていなかったらしい。

「追いかけられている理由はわかるかしら?」

 これは答え合わせの質問だ。

 男は残っていた1枚の金貨を持っていき、

「目的は孤児院の女の子。いや、正確にはカーバンクルらしいな。……あんたらの旦那は巻き込まれたんだろう」

 さすがは盗賊ギルドといったところだろう。どういう伝手かわからないが、かなり正確なところまで把握している。

 それもそうねとノルンはうなずいて、

「……この街の拠点は?」

「あんたが何をしようとしているのかはわかってる。――全部・・合わせて100万ディールだ」

「随分高いわね」

「嫌ならここまでだ」

「ふむ」

 どうやらグリードというのは相当に面倒な奴らのようだ。それだけの価値がある情報というわけだ。

 ノルンは素直に10万ディール大金貨を10枚積んだ。

 それを見た男はフッと笑う。

「新参者のあいつらは、どうもこの街に根を下ろそうとしているらしくてな。俺たちとも競合してるのさ。あんたらには感謝してるぜ」

「それなら少しは安くしてほしいものね」

「おいおい。これでも安くしてるんだぜ。わかってるだろうが、情報ってのは高いんだ」

 ノルンはフンと鼻で返し、男を見つめた。先を続けろというサインだ。男は苦笑して大金貨をしまい、懐から何枚かを綴ってある書類を取り出して、そのままテーブルを滑らせた。

「この街には大きいのは2つ。小さいのが6つある。建物内の間取りもそこに書いてある。それと一番重要なことだが、ビングホッグ男爵と繋がってる。……証拠をうまくつかまないと男爵には逃げられるな」

「なるほど。それでこの金額なわけ」

「そういうこった」

 たしかにこの情報量ならば、100万ディールはむしろ安いのかもしれない。

 けれども、そこでノルンは不敵に笑った。

「どうでもいいわ」

「あ?」

「せいぜいがトカゲの尻尾切りといったところでしょう。そんな男爵なんてどうでもいいわ」

「は、ははは。大した自信だ。だが、それでこそステラポラリスあんたらか」

 男はそう言って笑うが、別におかしなことではない。

 必要悪まで否定するつもりはないし、トカゲの尻尾切りくらいしたければすればいいのだ。

 自分たちは別に正義の味方じゃない。こっちにちょっかいを出してこないならば、別にそれでいい。手を出してくるなら叩きつぶす。その都度。何度でも。

 ただそれだけだ。

16間章 クラウディア狂想曲

 星々が輝く夜の空を、フェニックス・フェリシアが飛んでいた。かなり高いところを飛んでいるせいか、風も強い。

 昼間には深紅に見えるその体躯も、夜の今は誰の目にも黒く見えることだろう。

 眼下にはアルの街と、その周囲に広がる草原や森が一望できる。まだ夜もそれほど遅くはない時間帯で、街明かりが広がって美しい夜景となっていた。

 ひゅうおおおと音を立てる風を切り裂きながら、何かを探るように意識を集中させていたフェリシアだったが、とうとう探していたものを見つけたようだ。

 キッと頭を森の一点に廻らせると、すっと急降下を始めた――。

 その頃、アルの街にあるステラポラリスのチーム・ホームでは、ノルンたちが完全武装をして待機していた。

 武装とはいっても、ノルンは普段のセルリアンブルーのワンピースに黒のスパッツ。傍らには愛用の白銀のハルバードを立てかけているにすぎない。

 ヘレンもローブの下には修道服を着ている。いにしえの魔王と呼ばれたベアトリクスと合一を果たして魔族の血に目覚めている今は、女王さまルックの服もあるが、今日は着ないらしい。

 サクラはいつもの巧夫服クンフー・パオに四神の鉢金、籠手、小刀。カレンはエルフの服の上から世界樹装備。おまけに契約しているゾヒテ六花の妖精も周りに飛んでいた。

 竜人族のシエラは先祖伝来のエイシェント・ドラゴンメイルを装備している。神竜の盾は今は分離状態にして足元に降ろしている。

 人魚の姫君のセレンも愛用の竪琴を撫でてイスに座っている。「……まだかしらね」

 美しい唇からそんな言葉が漏れたとき、ノルンがはっと顔を上げた。

「どうやらフェリシアが見つけたようね。――西の森の中で野宿。修道院で聞いたように女の子が一緒。……それと何故かカーバンクルもいるみたい」

 ヘレンが首をかしげて、「カーバンクル?」と聞き返した。

「ええ。フェリシアが言うんだから間違いないでしょう」

 するとヘレンは納得がいったというようにうなずいて、「なるほど。読めたわ」とつぶやいた。

 実はエストリア王国出身と言えるのはヘレンだけだった。だからこそ彼女には事情が分かったのだ。

「貴族にはね。珍しいペットを飼いたがる習慣があるの。それでそのペットとなる動物を密猟して貴族に売りつけるグループがあるって聞いたことがあるわ。……確か最近もどこだかの街からそんな組織が入り込んでるとか」

 そのままため息をついて、

「中には王国法で禁じられた幻獣にまで手を出す人がいてね。きっと一緒にいるカーバンクルもその密猟者に捕まったんだと思う」

 それを聞いていたカレンが、

「そういえば、エストリア王国に来てすぐの頃にカローの森に行きましたが、きれいな泉の、さらに奥にある岩場にカーバンクルの巣がありましたよ」

 すかさずヘレンが「それよ」と言う。

 ノルンが「なるほど」とつぶやいて、

「ということは、そのカーバンクルが逃げ込んだかどうかわからないけど、孤児院の子が見つけて、それで逃げた先でジュンと出会ったっていうところでしょうね」

 そして立ち上がって、一同を見渡した。

「私とヘレンは盗賊ギルドに行く。密猟者グループの情報を買ってくるわ。

 ……シエラとカレンは駐留しているゾディアック騎士団に密猟者の報告に行きなさい。情報が分かり次第、念話します。そのままカレンはカーバンクルの巣まで道案内をすること。

 サクラ! あなたは先にジュンを追いかけなさい。セレンはテーテュースで待機。私とヘレンを乗せたらすぐに追いかけます」

 気合いの入ったノルンの声に誰もが背筋を正し、口々に「了解」といいながら立ち上がった。

◇◇◇◇

 森の闇が広がっている。

 街道を避けるために結構深いところまで来たが、お陰でカローの森まで行くのには時間がかかりそうだ。

 追っ手がいる今は焚き火をすることもできず、まだ夜が冷え込む今はすっかりと身体が冷えてしまった。

 クラウディアは今、俺のコートにカーバンクルと一緒にくるまって寝ていた。

 それにしても不思議な子だ。今日会ったばかりの俺を怖がるでもなく、こんな森の中まで来てしまって、呑気に寝ている。

 ここまで平然としていられるものだろうか。

 近くに追っ手の気配はない。このままカローの森まで無事に着ければいいんだが。

 そこまで思い至ったとき、とても重要な事を忘れいることに気がついた。

 やばい。ノルンたちに連絡を入れていない……。

 今さら怖くて念話できないんだが。どうしよう。きっと念話で話しかけられていたと思うけど、それどころじゃなかったんだよな。

 留守電みたいに記録できたらよかったんだが……。帰ったらお仕置きと称して色々と注文を付けられそうな予感がする。

 お仕置きっていってもただ甘えたいんだろうから、こっちもうれしいんだけどさ。

 いやいや、横道に逸れた。ただでさえカローの森まで徒歩で2日の距離だ。どう考えても連絡しないとマズい。

「コホン」

 今さらだけど念話入れておこう。それがいい。

(あ、あ~。ノルン。聞こえるか?)

(……やっと来た。昼間に念話入れたのに随分遅かったわね)

 やっぱりちょっと怒ってる。それと安堵している気持ちも伝わってくる。本当に悪いことをしたな。

(すまん。実は――)

(わかってる。クラウディアって子と一緒なんでしょ)

(なぜそれを)

(あなたたちの居るところの上空にフェリシアがいるわ)

(え? ああ、いたいた)

(状況は何となくわかってる。こっちからも追いかけるから、そっちはそっちで、ちゃんとその子を守ること)

(さすがはノルンだ)

(――終わったら、1人ずつお願いをきいてもらうから、よろしくね)

(了解)

 それはもちろん。

(じゃあ、また後で)

 そういってノルンは念話を切った。そっか。みんなが来るなら安心だ。

 息を一つ吐いたとき、コートがもぞもぞと動いてカーバンクルが顔を出した。

「お前さんのお陰で、結構たいへんなことになってるぞ。……まあ、密猟者どもが悪いんだけどさ」

「キュキュ?」

 かわいらしく鳴くと、俺の所にやって来て膝の上のポンッと乗っかる。澄んだ眼が、不思議な輝きを帯びている。

 幻獣か。神秘的で、さまざまな伝説に記されている特殊な魔物と聞く。高い知能をもっている個体は意思の疎通ができるし、不思議な力を持っていたり、凄まじい力を持っているとも。

 この子もまだ1才だけれど、魔法反射のスキルがあった。言葉はしゃべられないようだが。

 まさかカローの森に幻獣の住む場所があったとは知らなかったけれど、考えてみれば妖精がたくさん居るあの森は特別な場所だし、幻獣は保護対象だというしな。今まで知らなくても当然だったのかもしれない。

「ちゃんと親のところに連れて行ってやるからな」

 そういって首元を撫でてやると、カーバンクルは気持ちよさそうに甘えた声をあげた。

 見上げると黒いシルエットになった木々の向こうに星空が見える。

 ――頼むぞ。みんな。

16間章 クラウディア狂想曲

 なぜか今、急に俺の背中に悪寒が走って、冷や汗が出ている。

 なにかこのままだと大変なことになるような予感がしている。これも魂に取り込んだ聖石に秘められた神の力の影響だろうか。

「ね。お兄ちゃん。たぶん西門のところに悪い奴らがいると思うよ」

 俺の名前はジュンだと教えたけれど、ずっとお兄ちゃんと呼ばれている。まあ、それはいいんだが、クラウディアの言うように西門は見張られているはずだ。

 だが大丈夫。俺には策がある。

 アルの街には引退した冒険者が経験を活かして何かの店をやることが多い。

 ここは鍛冶屋の裏口だが、ここの店主であるドワーフもそうだ。隣にいる宿屋の夫婦と合わせて、かつては三匹の鬼スリー・オーガーズと呼ばれていたらしい。

 まさかあの奥さんが青鬼と呼ばれていたなんて、とても口に出して言えない。娘さんのリューンちゃんは普通の町娘なんだがなぁ。

 すまない脱線した。

 裏口をノックすると、しばらくしてガチャッと開いた。

「なんじゃい。用があるなら表から来んかい」

 このヒゲのドワーフが黒鬼ターレン、元ランクA冒険者だ。

「悪い。ちょっと追われてるんだ。中に入れてくれないか」

「……お前。ジュンじゃないか。わかった、入れ」

 裏口からクラウディアを連れて入ると、すぐにターレンは扉を閉めて鍵を掛けた。

「で、何をやらかしたんだ? 子どもをさらうような奴じゃないのはわかっとるが……。ぬおっ」

 いきなりターレンの目の前で、クラウディアの胸元からカーバンクルが飛び出した。

「カーバンクルか!」

 幻獣は滅多に人前に出てこない。目を丸くしている。

「おじちゃん。私ね。この子をカローの森に帰してあげたいの」

 クラウディアがそう言うと、ターレンはうなずいた。

「密猟者か。追っとるのは。……ふむ」

 腕組みをして何事か考え込むターレン。やがて口を開いて、

「どうやらそいつらはグリードの奴らみたいだな」

「知ってるのか?」

 組んでいた腕を下ろすと、ターレンはやれやれといった風にため息をついた。

「その嬢ちゃんは服装からして孤児院の子だろう? この聖女のいる街で孤児院の子に手を出そうなんて奴らはいない。……ジュン。お前、最近うわさになってるグリードを知らんのか?」

 耳を広げておくのは冒険者の基本。だけどこの街に滞在しているときはホームにいることが多くなってしまっていた。

 夕飯は冒険者の憩い亭に顔でも出すようにした方がいいのかもしれない。

「情報の入手は冒険者のイロハだ。ホームがあるからといってそれを怠っちゃダメだろうが」

「……ああ。返す言葉もないよ」

「グリードってのはな。最近、貧困街に入り込んでる裏組織の奴らだ。もともとは東部のゴーダの街を本拠地にしていたらしいが、最近、アルにも進出してきてるって話らしい」

「そんな奴ら、警備隊がシャットアウトしたらマズいのか?」

「悪事の証拠もなくそんなことはできんだろう。……ただ裏では殺人から、奴隷売買から強盗、なんでもやってるらしいぞ」

 ターレンがカーバンクルを指さした。

「ありゃあ幻獣カーバンクルだ。カローの森にいるとは知らんかったが。やつらめ、幻獣に手を出すなんて御法度だ。精霊の怒りを買うと言われてるからな。……おおかた子飼いの商会を利用して貴族への賄賂にでも使うんだろう」

 そして、その貴族を取り込んでアルの街に根付くって寸法か。

「御法度って、王国法にも書いてあるのか?」

「ああ、妖精と幻獣の捕獲は禁止されている。……ただな、抜け道もあってな。幻獣の場合、自身が気に入って一緒にいる場合や保護の名目ならばお咎めなしになっている」

「……なるほど」

「ちなみに幼生体から育てれば自然と一緒に暮らすようになるな」

 つまり、奴らに見つかって取り上げられても、保護していると訴えられるとこっちの立場がマズくなると。……思いっきり分が悪いじゃないか。

 でもなぁ。

 カーバンクルと仲よく遊んでいるクラウディアを見ているとな。なんとかしてやらないとって気持ちになる。

 カローの森もそうだが、まずはこの街を見つからないように脱出しないと。

「で、ここに来たのは、街を出る手助けをして欲しいってところか?」

「話が早くて助かるよ」

「ふんっ。それくらいわかる。なにしろ隣のロベルトの野郎もしょっちゅう同じようなことに首を突っ込んでおったからの」

「ははは」

「まあ、その度にライラに凍らされて折檻されておったが」

「はは、は」

「お前のところも同じような匂いがするぞ」

 わかってる。他人事じゃないっていうのを今はっきりと感じた。やばいな。ライラさん。

「ま、全然動じていないのはロベルトもお前もよう似とる」

 そういうとターレンは励ましてくれるかのように、俺の背中をばしっと叩いた。

「よし、じゃあ。こっちに来い」

 ターレンの後ろに付いていくと、そこは裏庭だった。武器の相性を調べたときに一度来たことがある。

「門番のことだ。お前さんなら顔を覚えられているだろう。それなりに有名だからな。……問題はお前さんが一人ってことと、そこの嬢ちゃんだろう」

「ああ、その通りだ。乗合馬車も危険だろうし」

「俺が馬車を貸したところで、目的地がカローの森の奥だろうから邪魔になっちまう。――となると変装しかないな」

「変装か……」

「まあ、任せておけ。だが街を出るときには自分のギルドカードを使えよ」

「ああ、わかってる」

 変装か。不安だが仕方ないだろう。

 クラウディアは興味深そうに裏庭をあちこち見ている。あちこち動くと危険なので、手をつないで倉庫に入っていったターレンを待つことにした。

「昔、ライラと一緒にロベルトに罰ゲームをやってな。その時の道具がたしかこっちに……」

 倉庫から聞こえてくる不穏なターレンの言葉に不安を覚えていると、クラウディアがにぱっと笑みを浮かべてこっちを見上げてくる。

「罰ゲームだって! 楽しそう!」

「……お前、大物だな。こんな状況でそんなことが言えるとは」

 不意に倉庫の中から何かをひっくり返したような大きな音が聞こえた。

「げっ。崩れた……。おお、あったあった!」

 ゴホゴホと咳き込みながら、ターレンが大きな袋を抱えて出てきた。

「背丈はちょいとお前さんの方が低いが、まあ問題ないだろう」

 そういって地面に降ろした袋をターレンがあけるが、その中を見て俺は思わず叫んだ。

「マジか――!」

◇◇◇◇

 それから渋ったけれど、とうとう押し切られ、変装を済ませた俺はターレンの店を出た。

 西門に向かうけれど、道行く人々がじろじろと見てくるので居心地が悪い。

「う~ん。動きにくい~」

「我慢しろ」

 クラウディアはわがままを言うが我慢して欲しい。というか、俺の許容限度を超えてるぞこれは。怒っても良いだろうか……。

 人々の視線にいたたまれなくなりながらも西門に向かう。

 案の定、西門前の広場は監視されているようだ。注意深く見てみれば、建物の影や路地、木箱に座って休憩しているように見える男たちが、通行人をそれとなく見ている。

 やばいな。今の俺なんて明らかに注目を浴びてそうだが……。やめよう。余計なことを考えてはいけない。

「はい。次の人――。うっ」

 若い衛兵が俺の姿を見て変な声を上げた。

 ほほが引きつるが、黙ってギルドカードを提示する。

「はい。確認しました。……ぷっ。で、どうしたんです? その――着ぐるみ」

 そう。ターレンが用意したのは巨大なクマの着ぐるみだった。ご丁寧に顔の部分だけぽっかりと穴が開いていて、着用者の顔がはっきり見える。

 こんなの着て街を歩いている人なんて、こっちの世界じゃ見たことがない。完全着ぐるみだったら、日本にいるかもしれないけどさ。ふなっしーとか、ゆるキャラが。イベントかなにかで。

 俺は言葉少なにターレンに言われた言葉を口にする。

「――罰ゲームだ」

 思いの外、どんよりとした低音の声になってしまったが、仕方ないだろう。

「罰ゲーム。ぷっ。さ、さすがはハーレムの……」

 ああ、いたたまれない。早くここからいなくなりたい。

「通っていいか?」「どうぞどうぞ」

 だが仕方ない。なにしろこのぽっかりお腹の部分にクラウディアが入り込んでいるんだから。

 努めて吹き出している衛兵連中を気にしないようにして、どうにか西門を抜けた。

 そのまま力ない足取りで防壁沿いに門を離れる。こんなもの! 早く脱いでやる。門を抜けたんだ。もういいだろう。

 頭のかぶりものをずぼっと脱いで、首もとから毛に隠されたボタンを外していく。クラウディアがひょいっと飛び出した。

「ぷはーっ。暑かったぁ」

 楽しそうで結構なことだ。

 どうにか胴体部分を脱いで、防壁脇に立てかけた。あとでターレンが回収に来てくれる手はずになっている。

 その時、鋭く笛の音が鳴り響いた。

「いたぞ――!」

 どうやら草原や森の入り口にも監視の目が合ったようだ。

 急いで足の部分を脱いで放り投げると、俺はクラウディアを抱っこして走り出した。彼女の胸元から顔を覗かせたカーバンクルに、

「じっとしてろよ!」

と言い、森から走り寄ってくる男たちをにらみつけながら急いだ。

 たとえ両手が使えなくても、これでも高ランクの冒険者だ。後ろから追いかけられつつも、包囲網を抜け出し、そのまま森に飛び込んだ。

 木々の間を走り抜け、藪に突っ込み、さらにまた走り続ける。次第に後ろから追いかけてくる声が遠くなっていき、どうにか撒くことができた。

 慎重にクラウディアを降ろし、

「まだ油断はできないから注意しろよ。このまま森に隠れながら行くが、俺から離れるな」

と注意を与える。「うん。わかった!」

 元気な声は良いんだが……。その胸元から出てきたカーバンクルが、クラウディアの肩に停まった。

 まるでリスみたいだな。ここはカローの森ではないが、心なしか喜んでいるようだ。

 さあ、ここからが本番だ。なんとか無事に届けてやろう。

 俺は腰のナイフを確認し、クラウディアの前を進むことにした。

16間章 クラウディア狂想曲

「あ~、もう! これはジュンに決めてもらわないと。どこに行ったのか知らない?」

 うすくラベンダー色を帯びた銀髪をかきむしって、少しやつれたノルンが声を張り上げると、それぞれ作業をしていた仲間たちが手を止めた。

 ハイエルフのカレンと一緒に、式の時に身につける装身具のチェックをしていたネコマタ忍者のサクラが、

「あれ? さっきまで、そこでひなたぼっこをしていたような」

 するとノルンの隣で、招待者に出す食事のメニューをチェックしていた人魚族のセレンが、ぽつりとつぶやく。

「これは後でお仕置きコースかな」

 そういいつつ、いつもお仕置きというより、自分たちのご褒美をねだっているわけだが、誰もそれをツッコミはしない。

 スタイルのいい2人組、巻き角をした竜人族のシエラと一緒に、お祝いのお返しを検討していた修道女のヘレンが、ポンと手を打ち、

「ああ、ヒマそうにしていたから、外に追い出しちゃったけど、まずかった?」

 それを聞いたノルンは、

「気にしないで。ちょっと食事会の座配を確認してもらいたいのよ。行き先知らないかしら?」

 ヘレンが納得したようにうなずいて、

「院長さまのところに打ち合わせに行くとかって言っていたかな。――自分だけヒマしてた言い逃れだと思うけど」

 ノルンがため息をついて、

「了解。状況は理解したわ。……ちょっと邪険にしすぎたかしらね。でも、ドレスは発注したけど、式まであと20日しかないし。

 ああもう! 念話にも出ないわ。――ちょっと私、修道院に行ってくる」

 するとサクラが手を上げて、

「あ、私も行きます! うちの伝統の装身具を付けてっていいか、院長さまに確認したいし」

 ノルンはサクラを指さしてうなずいた。「オッケー。他はいい? ……じゃあ、悪いけどちょっと席を外します。何かあったら念話して」

 ノルンはテキパキと指示を出すと、「じゃ、行くわよ」とサクラを引き連れて、彼女たちステラポラリスのチーム・ホームから外に出た。

 外に出るや、屋根に止まっていた深紅の不死鳥、ノルンのガーディアンであるフェニックス・フェリシアが飛んできて、定位置であるノルンの肩に停まる。

「さて、さくさく行きましょうか」

◇◇◇◇

 柔らかな春の陽射ひざしに、修道院にお参りする人々の表情もいつもより笑顔になっている。

 春先の小雨が降った後は、本格的に花が咲き出す季節が来る。自然と気持ちが明るくなるのも当然だろう。

 ノルンは修道院の入り口を守っている門番に黙礼をして中に入り、扉のそばにいた30代くらいの修道女に院長への面会をお願いした。

 かつての同僚であるヘレンのチームメイト、それも同じ男に嫁ぐ女性たちということで、ジュンのチーム・ステラポラリスの女性たちのことは、修道院の人々にもよく知れ渡っていた。

 ちなみに街中の人々。特に同じギルドに所属する冒険者たちからは「ハーレム野郎」と呼ばれていたが、ノルンたちにとってみれば笑って済ませられる範囲だ。

 むしろジュンに「そうよ。私たちと結婚するんだから我慢しなさい」と慰め? ていたくらいだ。

 修道院長の聖女ローレンツィーナはちょうど手が空いていたようで、すぐにお会いして下さるらしい。

 部屋で待っていて下さったローレンツィーナは、本を読んでいる途中だったようだが、2人の顔を見てニコニコとしていた。

 そのお顔はまさにおばあちゃんといった表情で、ノルンにとっては隠者の島で一緒に暮らした老女パティスを思い出してしまう。

 まあ、あれは仮の姿だったみたいだが。

「今度はお嫁さんたちが来たわけね」

「すみません。お忙しいのに」

「いいのよ。いざ結婚するってなると、どこも忙しくなるものよ。一生に一度のことなんだから。

 ――でも残念ね。あなたたちの旦那さんはもう出て行ったわよ」

「はあ、やっぱり。行き先はご存じありませんか?」

「そうねぇ。……ギルドじゃなかったら、宿屋のナフタさんのとこか、エスターニャ男爵のところのシルビアちゃんのとこか、セル治療院か、鍛冶屋のとこのマチルダちゃんってとこかしらねぇ。

 普通に考えて、一番可能性があるのはギルドでしょう」

 たしかに。

 そういえば、ちょうど今、同期のトーマスたちが帰ってきてるって言っていたわね。

 ノルンはジュンの言葉を思い出した。

 ――その時、廊下からバタバタと誰かが走ってくる音が聞こえた。

 いぶかしげな顔をする院長。

「何かあったみたいね……」

 ドアをノックする音がして、院長さまが「お入りなさい」と言うと、途端にがちゃっと開いてどこかで見た修道女が入ってきた。

 あれはたしか……、孤児院のカトリーヌさんだったろうか。

「あ、お客様って、ノルンさんたちでしたか。

 ……失礼します。院長さま、クラウが居なくなりました」

「あの子ったら! また何かに首を突っ込んでるわね」

「ですから、早いですけど修道院の方に上げられてはと、あれほど申しましたのに」

「はいはい。でも、あの子にとって今の時間はとても貴重なものなの。それに大丈夫よ。きっとトリスティア様がお守り下さっているから」

「それは……そうですが」

 孤児が一人いなくなった。大変なことなのに、妙に院長は落ち着いている。

 そっと目を閉じて身体から力を抜き、すっと瞑想に入られたようだ。

 しずかに3人が見守っていると、突然、院長が吹き出した。

「ぷっ。ふふふふ。そう。やっぱり大丈夫みたいよ」

 そのままの姿勢で目だけを細くあけられ、面白そうにノルンたちを見る。

 ……なぜ?

 ノルンが内心で首をかしげていると、

「あの子ったら、ジュンさんと一緒にいるみたいね」

「なっ。どういうことですか?」

「知らないわよ。本人たちに聞いてごらんなさい」

 それもそうだ。ノルンは再び念話でジュンに呼びかけた。

(ジュン。聞こえる? はやく返事して)

 ――――。応答無し。これは帰ってきたらお仕置き確定ね。

 隣でサクラが小さい声で、「マスター。マスター。応答ねがいます。マスター。早く返事をしないと大変なことになるっぽいけど、いいですか。このままだと全員で夜に押しかけますよ。マスター」とつぶやき続けている。

「無駄よ。サクラ。こっちから探し出すしかないわね。――この、忙しいときに!」

 しょうがない。何に巻き込まれているのかしらないけど、ストレスはたっぷり後で解消させてもらいましょう!

 ノルンは心の中で拳を握りしめた。

「院長さま。こっちでジュンを見つけますから、その、クラウディアって子も捕まえてきます」

 そう申し出ると、ローレンツィーナはニコニコしながら「よろしく頼むわね」とおっしゃった。気合いの入ったノルンに少しビビっていたカトリーヌも、深く頭を下げて、「目を離した隙に飛び出して行ってしまうような子ですが、どうかよろしくお願いします」と言う。

 やっぱりクラウディアのことが心配なのだろう。

 そこへ院長が笑いながら、

「大丈夫よ。これもトリスティア様のお導きだから」と軽い調子でカトリーヌに話しかける。おそらく院長なりの気遣いなのだろう。

 っと、それはいい。早く見つけに行きましょう。

 さっそくノルンとサクラが挨拶をして部屋を退出し、失礼にならない程度に足早に修道院を飛び出す。

 その途端、サクラが、あっと声を上げた。

「どうしたの?」

「いや、念話は応答がなくても、居場所はなんとなく感じられるんですけど……。街の外にいるみたいで」

「はぁ?」

 ジュン。貴方。今なにをしてるの?

 ノルンは即座に呼びつけた。

「――フェリシア!」

 外で待機していたフェリシアが、すぐにノルンの所に飛んでくる。

「ジュンが街の外に向かったみたい。……東の森ね。探してきて、見つけたら念話をちょうだい」

 ちょっと怖かったのだろうか。フェリシアはいつもよりも素早く空に飛び立っていった。

「――迎えに行く準備をした方がよさそうね」

 ノルンの気合いの入りように、なぜかサクラの尻尾もしおしおと、どこかおびえているようだった。

16間章 クラウディア狂想曲

 昨夜まで降っていた雨もやんで、今日は朝からきれいな青空が広がっていた。街路樹の花が生き生きとした表情で咲き、見上げると大きな虹がかかっている。

 街行く人々の顔も春の訪れを喜んでいるかのようにほころんでいた。

「だいぶお疲れのようね」

 御歳121歳となる修道院長のローレンツィーナ様から声をかけられて、俺は窓から視線を戻す。

「いやあ、他のみんなと違ってそんなに忙しいってわけじゃないんですが……」

 そう言って言葉を濁すと、あらあらと笑われて、

「彼女たちにしてみれば、一生に一度の大事な結婚式なんだから当たり前ですよ」

 まったくその通りなわけで、ここのところ、ノルンたちは、ドレス選びから何から忙しそうに動き回っていた。

 日本にいた頃なら、男の方も、職場の手続きとか色々めんどうなんだろうけど、交友関係自体が狭いこちらの世界では、随分と楽なもんだ。

 ……念のために言っておくと、向こうでも独身だったので、どれだけ忙しかったのかは妻帯者からの伝聞情報だ。悪しからず。

 とまあ、よくわからない言い訳を誰にするでもなくしていると、院長さまが、

「それで家から追い出されたってわけね」

と訳知り顔でおっしゃる。「……院長さま。それ、正解です」

 思わず苦笑いを浮かべてしまった。

 みんながああでもない、こうでもないとアタフタしているのを尻目に、のんびりリビングで寛いでいたら、「邪魔だからどっか行ってて」と言われてしまったわけだ。

「ヘレンね。そういうことを言いそうなのは」

 院長さまは笑いながらそう言った。本当にこの人はよく見ているものだ。

「そうだ。前もって聞いておきたかったんだけど、貴方のお嫁さんは随分といろいろいるじゃない。――どの作法で結婚式を進めればいいのかしら?」

「どこも一緒ってわけじゃないんですか?」

「同じ人間族だって、庶民と貴族じゃかなり違うし。……人間族、猫人族、ヘレンは魔族枠かしら? あとはハイエルフ様に、人魚のお姫様でしょ? うちは地神トリスティア様を祀っているけど、ハイエルフは世界樹信仰だし、セレンは海神セルレイオス様を信仰してるはず」

 言われてみれば院長様の言うとおりだ。種族が違うと婚礼のやり方が違う可能性は高い。ましてや信仰しているものが違うのなら尚のことだろう。

 院長さまは人差し指を立てて、

「地方によっても色々あるわよ。たとえば新婦が頭をツルツルにっちゃうとか、新郎をやじりのない矢で射るとか、参列者がみんなで新郎と新婦に生卵をぶつけるとか……」

 どんな結婚式だ、そりゃ。みんなから矢で射かけられる俺は獲物か。喜々としてやりそうなだけに、そら恐ろしい。

 このままだと際限なく脱線してしまいそうなので止めようとすると、院長さまはケロッとして、

「まあ、ヘレンからは普通のエストリアの庶民準拠で良いって言われてるけどね」

とのたもうた。

 どうやらこの人も、俺で遊んでいるようだ。

 このまま修道院にいると、どんどんやぶ蛇になりそうだ。適当な言い訳をして、修道院を出ることにしよう。

 突然来て、突然帰る俺に、院長様がニコニコと満面の笑みを浮かべているのが怖かったが、勘弁して欲しい。

 そんなわけで逃げるように修道院を出ることになったが、これからどうしようか。

 とりあえず冒険者ギルドにでも行くか。もし簡単で1人でできる依頼ならやっておいてもいいだろう。

 勝手知ったるアルの街。普通なら修道院からギルドへは通りを何本から曲がっていかなきゃいけないが、面倒なので近道を行く。

 そこの住人しか通らないような路地だけれど、治安が悪い場所でもないし、かえっていい気分転換になるだろう。

 こういう路地は表通りと違って、向かいの家とロープを通して空中に洗濯物を干すなど、生活感があって楽しい。

 道端に置かれた木箱の上では野良猫が休んでいた。

 いい気分になって曲がり角にさしかかった時、突然、飛び出してきた何かとぶつかった。

「ぐおっ」「きゃっ」

 みぞおちに決まって、思わずうめき声を上げるが、突っ込んできたのは小さな女の子だった。

 誰だ? この子。

 服装は粗末な麻の服。孤児院の子のような……。

 ――クラウディア――

  種族:人間族 (女) 年齢:7才

  職業:―― クラス:孤児

  所属:アル孤児院

  加護:トリスティアの加護

  スキル:直感、予言

 ナビゲーションが教えてくれるステータスには直感とか予言の文字が……。なんだこの子。

 しかしゆっくり考えている暇はなかった。どこからか男の声が聞こえてきた。

「いたぞっ」

 曲がり角の先から複数の男たちの声がする。女の子が慌てて俺の手を引っ張って、別の路地に飛び込んだ。

「おいっ。何があったんだ?」

「いいからこっち!」

 7才といったら小学校低学年ぐらいか。俺の話を聞いてくれない。

「待ちやがれっ」「さっさと返せっ」

 ……もしかして、

「何か盗んだのか?」「違うよ。取り返したんだよ」

 息を弾ませながらそういう女の子。名前はクラウディアというらしい。

 その時突然、少し先の家の玄関先から、1人の女性が顔を出し、「こっち!」と手招きをした。

 女の子はそのままその女性の家に飛び込んだので、俺も続いて飛び込むはめとなる。

 すぐに女性は扉を閉め、口元に、しぃっと指を当てた。

 外からは男たちが「どこだ?」「ガキめ、絶対につかまえてやる」と息巻いている声がしているが、そのまま気配を隠して潜めていると、諦めて遠ざかっていったようだ。

「ありがとう。お姉ちゃん!」

 クラウディアがお礼を言うと、女性が子供を叱るように、

「孤児院の子が、あんまりシスターを困らせちゃ駄目だよ。院長さまにも迷惑がかかるだし」

と言ったが、クラウディアはニッコリ笑うと、

「うん。お姉ちゃんも孤児院にいたんだね。――あの人たちは悪い人なんだよ」

 思わず俺は口を出してしまった。

「だからといって、彼らの手元にあるものを無理矢理取ったんなら、それは盗みになってしまう。それに力のない女の子が手を出したら危険な連中だろう。捕まったらどうなるかわかったもんじゃないぞ」

「うん。わかってる。でも大丈夫。お兄ちゃんがいるから」

 駄目だこの子、状況がわかっていない。

「一体なにを取ったん――」

 問いかけた言葉が止まってしまった。

 というのも、彼女の胸元から、緑色の体毛をした小さなリスのような生き物が頭を出していたからだ。額に宝石のようなものが埋め込まれている。

 助けてくれた女の人が驚いたように口を押さえる。

 これが何か知っているのか?

 そう思った瞬間、俺のスキルがその正体を教えてくれた。

 ――カーバンクル――

  種族:幻獣 (カーバンクル) 年齢:1才

  加護:幻獣王の加護

  契約者:クラウディア

  スキル:魔法反射

  ユニークスキル:幸運の運び手 (パッシブ)

  状態:衰弱

「か、カーバンクル!」

 そういえば少し前に聞いたことがあるぞ。珍しい動物を捕まえて貴族に売っている密猟者がいるって。

 もしかして、さっきの奴らがそうなのか。

「このままだとね。大変なことが起きちゃうの。だから、この子をちゃんとお父さんとお母さんの所にもどしてあげないといけないの。それにね。私もちゃんと帰してあげたいの」

 なんだ? 言っていることがよくわからない。――でも、この子は単なる孤児じゃないな。一体なにものなんだ?

 一度にいくつもの疑問が頭に浮かぶ。

 女の子は、あたかも自分は当たり前のことをしているというように胸を張り、俺を見上げた。

「だからお兄ちゃん。依頼です。クラウディアとこの子を、カローの森にあるこの子の親の所に連れていってください」

 ――俺は非常に面倒な事件に巻き込まれてしまったようだ。

16間章 クラウディア狂想曲

 夜の街に静かに雨がふっている。春先の少雨。もう季節は冬からもう春に変わろうとしていた。

 エストリア王国交易都市アルにある、ここ冒険者のいこい亭には、今宵も多くの冒険者たちが集まり、にぎやかに酒を飲んでいた。

 2人の女性が扉を開けて中に入ってきた。

「こんばんは~」「ども」

 憩い亭の娘リューンが待っていたとばかりに、「いらっしゃい!」と声を掛け、そそくさと予約席に案内する。

 食堂で、さわいでいた冒険者たちが入ってきた女性たちを見て驚いていた。

「おわ! エミリーさんにマリナさんじゃないか!」

「今日はどうしたんだい?」

 普段は冒険者ギルドの受付嬢をしている2人。それぞれファンクラブができるほどの人気者だ。

 金髪の長い髪をふわっとさせているエミリーが、

「たまには飲みたくなるのよ」

と言うと、黒い長い髪をポニーテールにしているマリナも、

「いい? 今日はリューンちゃんと3人で女子会なんだから邪魔しないでよ?」

と人々に言いながら、案内されたテーブルについた。

 冒険者たちは「おう!」「わかったぜ!」「今度一緒に飲もうぜ!」と声を掛けるが、それ以上は絡んでいかない。

 みんな知っているのだ。……この2人を怒らせるとヤバイと。

 普段はお店の手伝いをしているリューンだが、今日はお客として女子会に参加するらしい。

 かわりにフロアで注文を取っているのは女将さんだった。

 いつもは娘さんのお尻を触ろうと手を伸ばす冒険者たちも、さすがに今日はおとなしい?

「……ほお。こんな年増のお尻を触ろうとはとんだ物好きもいたものねぇ。……死ね!」

 ――ピキィ。

 どうやら命知らずの男が1人、女将さんの手によって氷づけにされたようだ。青鬼と恐れられた元ランクA冒険者の氷結魔法は今日も健在だ。

 それを横目で見ながら、エミリーたち3人は乾杯をする。

「かんぱーい」

とコップを鳴らし、ぐいっとエールをのむ3人。同時に「ぷはー」といいながらコップをテーブルに置いた。

 エミリーが、

「で、リューンちゃんはもういいの?」

と尋ねる。

「ええ。告白もできなかったですけど、もう吹っ切れました」

「……そう」

「だってあの美人軍団のなかに入っていけないし、それに王家からもお声がかかるようなチームには……。あの人についていくなら、もっと強くないと無理ですよ」

 そういって娘さんは苦笑いを浮かべた。エミリーもマリナもうなずいている。「確かに」

 リューンは、かつてこの街を襲ったエビルトレント事件で森にさらわれたが、その時にジュンに助けられていた。目の前で魔物の大軍に囲まれながらも諦めず。傷つき、火だるまになりつつも自分と孤児院の子を守り通したジュンに、恋心を懐くのも当然といえたが、残念ながらその恋は実らなかった。

 なにしろ相手の男は、次々に仲間を増やしたが、その誰もが美しい女性や少女たちだったのだ。街の冒険者たちが「ハーレム野郎」と妬み混じりに呼ぶのも仕方がないほど。

 リューンが何かを思い出したように、

「あれ? そういえばエミリーさんも一時期うわさがありましたよね?」

 それを聞いたエミリーとマリナは苦笑いをしながら互いの顔を見た。

「あれはね。周りの勘違いなのよ」

 マリナが説明すると、娘さんが左手を軽く握って口元に当て、クククと小さく笑った。

「そうでしたか。あの頃はうちも儲けさせてもらいました。なにしろ、失恋酒だぁって言って飲みつぶれる人たちが多くって」

 そういいながら飲み食いをする冒険者たちをちらりと見た。

「――るか? 東部のゴーダから流れてきているらしい」「は? あの――か? 物騒だな。あいつら――」

 どうやら今宵も様々な情報交換がされているようだ。

 娘さんは、ガヤガヤとおしゃべりをしている人々を見ながら、ぽつんとつぶやいた。

「……ジュンさんたちの結婚かぁ。いいなぁ」

 たとえ恋が実らなくても、いつかは花嫁になりたい。リューンも、エミリーもマリナも、それは夢だった。自分たちより先にジュンたちが結婚することに、お祝いをいいたい気持ちもあるが、同時に焦る気持ちもあるのだ。

 こうして受付嬢2人によるリューンの慰め会は、閉店時間までつづくのだった。