17第十章 終わりのはじまり

 カレンは光の中を漂っていた。

 朦朧としている意識の中で、懐かしい歌を聴いた気がする。まだ幼い子供だったころ、母が歌ってくれたような優しい歌を――。

「――ッ」

「カ――ッ」

「カレンッ」

 自分を呼ぶ声にカレンが目を開けると、そこには心配そうに自分を見つめる仲間たちがいた。

 ヘレンさん……、サクラちゃん、シエラちゃん……?

「あ――」

 ゾヒテで戦っていたことを思い出して、カレンが反射的に上半身を起こすと、その左手が何かに触れた。「うん、んん」と艶めかしい声がする。

 ゆっくりと見下ろすと、そこにはセレンが倒れていた。どうやら眠っていたようで、今にも目を覚ましそうだ。

 サクラがガバッとカレンの手を取った。

「よかった。無事で~」

「サクラ……ちゃん。……あ」

 何かを思い出したように急にキョロキョロするカレン。それを見て他のみんなは哀しげな表情をした。

 その時、セレンが目を覚ました。寝ぼけ眼で起き上がり、ヘレンたちを見る。

 さーっと風が吹き抜け、周りの草が揺れた。

 カレンがサクラに問いかけた。

「ジュンさんとノルンさんは?」

 しかしサクラは黙って首を横に振る。ヘレンが答えた。

「ここには来ていないのよ」

「――え?」

 その返事にカレンの血の気が失せる。

 ここにいない?

 いや、そういえばあの光は。世界樹さまはどうなったの?

「あのねカレンちゃん。落ちついて聞いて」

 そう前置きをしてサクラがカレンに告げた内容に、カレンは気が遠くなった。そのまま、わなわなと指を震わせてうつむいてしまう。

「ぞ、ゾヒテが……、消滅? そんな……」

 そんなカレンをサクラが抱きしめる。カレンは瞬きもせずにポロポロと涙をこぼしながら、ただただ震えていた。

 そこへ一匹の金色の小鳥が飛んできて、カレンの頭上を飛びまわる。

 カレンを抱きしめていたサクラがそれに気がついて顔を上げると、鳥の翼からキラキラと光の欠片がこぼれ落ち、カレンとサクラに降りかかっていた。

 その光の力だろうか。すっとカレンが再び眠りに落ちた。

 そばに降りた小鳥が、心配そうに見ていたサクラとシエラに説明をする。

「今は眠らせておいた方がいいでしょう。ただし、絶対に一人にしないように」

 その言葉にうなずく2人であった。

 その様子を見ていたセレンがヘレンを見上げる。

「ここはどこなの?」

「巨大な眼とか、押し寄せる光に包まれた?」

「ええ」

「天災を倒したんでしょ?」

「そうよ」

「……私たちもアークでモルドとピレトを倒したわ。そうしたら雲の切れ間から巨大な眼がのぞき込んでいて、光の柱が立ったの」

 それはセレンたちも一緒だった。

「光に飲みこまれたと思ったら、私たちはここ、テラスにいたのよ」

「――は? テラス?」

「そうよ。ここは幻獣島テラスよ」

 そういってセレンが後ろを振り向くと、フェンリルのほか数匹の幻獣が佇んでいた。

 そして、宙に浮かんでいるアーケロンの姿がある。

「お久しぶりですねぇ。ミルラウスの姫君」

と挨拶し、セレンもようやくここが幻獣島テラスであることを理解した。

 セレンが気持ちを落ち着かせるように深く息を吐いた。

「それでノルンもジュンもここには居ないと……」

 ヘレンは黙ってうなずいた。

 その悲しげな表情を見てもなお、信じたくなかったのだろう。セレンがヘレンの服をつかんだ。

「ウソよね?」

 その問いかけにヘレンは力なく首を振る。

「でもね。セレン。……あの2人だもの。私たちがこうして無事なんだから、あの2人だってどこかに飛ばされているだけよ。きっと」

 ヘレンも強がっているのだろう。その気持ちがセレンにはよくわかった。

「ヘレン……」

「それにね。感じるでしょ。私たちの身体の奥に、神力の、ジュンとノルンの力があるのを」

 言われてみれば、確かに神力を感じる。その事に気がついて、セレンは少し気持ちが落ちついた。

「きっとこの力の先に2人がいる。必ず私たちのところに帰ってくるはずよ。だから、合流できるその時まで、私たちは私たちでしっかりしないといけないわ」

 しばらく黙り込んだセレンであったが、クスッと微笑んだ。

「やっぱり貴女は聖女の弟子ね」

 まだ不安はある。けれど今は希望が見えている。そうだ。ヘレンの言うとおりだ。あの2人がそう簡単に死ぬわけがない。

 現に自分たちだってあの光の奔流に飲みこまれ、転移してきただけなんだし、それになによりこの胸の奥には温かい神力が今もなお宿っている。

「ありがとう。ヘレン」

「私も同じようになったから、お互いさまよ」

 深く息を吐いてから、セレンはようやく立ち上がった。そばの崖から眼下に広がる世界に向き直る。

 強い風が吹き抜ける。遥か下に広がる海。その海をぽっかりと切り取るように、虚空が広がっていた。

 その現実離れした光景を目にして、たじろぐセレン。その背中をヘレンがポンポンと叩いた。

「私にも何が起きているのかよくわからない。でもね。アーク大陸もゾヒテ大陸も無くなったことだけは確かよ」

 あの虚空は一体なんだろう。世界はこれからどうなるんだろう。

 せっかく3人の天災を倒したのだけれど、まだ2人が残っている。

 奴らを倒さない限り、この異変はおさまらないのだろうか。

 果たして倒したら、元通りに戻るのだろうか。

 そして、どうすれば、ジュンとノルンと合流できるのだろうか。

 何一つ答えはない。できることは、ただもがき続けることだけ。

 それでもここには仲間がいる。2人と再会するまで、力を合わせて行こう。

 セレンはヘレンと目を見合わせ、力強くうなずいた。

17第十章 終わりのはじまり

 炎の巨人となったベリアスが拳を振り上げ、世界樹の枝に振り下ろした。

 バリバリと音を立てて太い枝が粉砕され、さらにぶわっと炎が走る。

 先の隕石の攻撃で燃えさかる火を消そうとしていたハイエルフたちが、ベリアスの攻撃に巻き込まれ、いくつもの光の珠となって昇天していった。

 それを見たカレンが叫んだ。

「あああぁぁぁ! みんな、みんなぁ」

 強化されたカレンの目には、はっきりと見えてしまった。幼い頃から家族同然に暮らしてきた人々が、目の前で光の珠となって空に昇っていくのを。

 カレンの思考が真っ白になる。それと同時にさらに嫌な予感に襲われ、その身を震わせた。

 まさか。あのなかにお父さんやお母さん、お兄さんにお姉さんがいるんじゃ……。

 家族を失ったかもしれない。その事実に身体の震えが止まらない。

 そんなカレンの様子に気がついたノルンが、すぐに飛んできてその小柄な身体を後ろから抱き留めた。

「カレン。しっかりしなさい。カレン!」

 何度も名前を呼ぶけれど、カレンには聞こえていないようで、「あ、ああ、ああ……」と呟きつづけていた。

 抱きしめるノルンの手に力がこもる。

 その時、カレンの脳裏に世界樹の声が響いた。

 ――カレンよ。そなたの家族は無事だ。

 そのメッセージとともに、脳裏に、世界樹の力と思われる球体状の結界に包まれて、ゆっくりと空中を降下していく家族の姿が浮かぶ。

 ほかにも何人ものハイエルフが、同じように守られているのが見えた。

 ああ、世界樹さま。ありがとうございます。

 ――だが余裕は「カレン! しっかり!」ないぞ。

 カレンには、世界樹の言葉に、割り込むようにノルンの声が重なって聞こえた。ようやくカレンの目に力が戻る。

「ノルン……さん?」

「カレン! よかった」

 いつの間にか涙を流していたのだろう。カレンの目もとを、後ろからノルンが拭う。

「悔しい。哀しい。怒る。……当然のことだけれど、今はあいつを倒すことに集中なさい」

「はい」

 しかし、そうして2人がグズグズしている間に、炎の巨人ベリアスの手から巨大な炎が吹き上がり、巨大な炎斧に姿を変える。ベリアスは、その斧を世界樹めがけて振り下ろした。

 しかしその前に、無謀にもセレンが割り込んで精霊珠を掲げた。

「我がマナを資糧に、海流よ吹き上がれ! メイルシュトルム!」

 人魚族の海魔法。幻の海から海水が渦巻きながらベリアスを包み込んだ。

 しかし、それを見たノルンが、

「いけないっ」

と小さく叫ぶと、カレンから手を離して瞬時にセレンの前に転移した。すぐさま自らのハルバードを構えて、ベリアスに向かって突っ込んでいく。

 その全身から溢れだす神力の輝きが翼のように広がった。次の瞬間、ベリアスの斧がメイルシュトルムを突き抜けて襲いかかってきた。

「はあぁぁぁ」

 その巨大な一撃を、ノルンは白銀のハルバードの柄で受け止める。さらにノルンを守ろうとフェニックス・フェリシアも飛び込んできた。

 このハルバードは破壊不能属性の神授の武器である。ならば、この斧の一撃にも耐えられるはず。

 しかし、ノルンでは空中で踏ん張ることができなかった。

 斧が振りきられる。

 ノルンとフェリシアは吹き飛ばされ、まるで流星のように大地に激突し、そのまま地面をガガガガと削っていった。

 セレンとカレンが叫んで、ノルンの元に駆けつけようとした。

「ノルン!」「ノルンさん!」

 しかしそんな二人には目もくれずに、ベリアスが再び斧を振りかぶり、無情にも世界樹の幹に叩きつけた。凄まじい爆炎とともに、巨大な幹がおおきく揺れる。

 その光景に再びカレンが叫び声を上げる。

 ノルンからの念話が2人に届いた。

(……2人とも、あいつの攻撃は私が対処する。その間に精霊珠で攻撃しなさい)

「ちょっと、それより無事なの?」と叫ぶセレンだったが、

(セレン。今は時間が無いわ)

 大きくえぐられた地面に、神力結界がめり込んでいた。すでにヒビが入りつつあるけれど、かろうじてノルンとフェリシアは無事だった。

 呼吸を整えながら、壊れかけた結界越しにベリアスを見上げるノルン。

 武神系統のジュンとは異なり、自分は魔神系統である。その特性故か、実は空間を越えて攻撃する方法が直観的にわかりかけていた。

 しかし、それはまだ完全ではない。

 そうであれば、ベリアスの攻撃を自分が防ぎつつ奴の注意を惹きつけ、攻撃は2人に託すしかないだろう。

 自分も聖石を宿せし者の片割れ。ジュンとも違う戦い方を見せてあげましょう。

「行くよ。フェリシア」

(はい。マスター)

 深紅の巨鳥に姿を変えているフェリシア。その背中にノルンは乗った。

 ふわりとフェリシアが空に飛び上がり、一気にスピードを上げた。

 風を切って飛ぶフェリシアの背中で、ノルンは進行方向に魔法陣を幾重にも展開する。

「神炎」

 ただ一言のコマンドワードでフェリシアを白銀の炎が包み込んだ。

 そのまま1つめの魔法陣をフェリシアがくぐった途端、一段とスピードが上がる。2つ、3つと魔法陣を通るたびに、次々に加速していくフェリシアとノルンは、一つの閃光となってベリアスの胸を突きぬけた。

 その衝撃で、ベリアスの手から炎の斧がこぼれ落ち、斧は赤い魔力の霞となって消えていった。

 そのまま向きを変えたフェリシア。その背でノルンがハルバードを構える。

 その身体を神力の輝きが覆った。態勢を崩したベリアスに向かって次々に魔法を放つ。

「フリーズ・インパクト」

 蒼く輝く、世界樹を襲った隕石にも劣らぬ大きさの、青白い氷結の魔力弾が次々にベリアスの巨体を打つ。

 本体には攻撃が届かなくても、痛みは届くのか、ベリアスは力任せに腕を振って薙ぎ払った。ゴウッと炎がまき散らされ、ノルンの放った魔法とぶつかり合う。

 炎と氷が激しくぶつかり合う中を、ノルンを乗せたフェリシアがくぐり抜け、ベリアスを見下ろす位置に移動した。

神威封印ディバイン・シール

 フェリシアのすぐ下の空間からベリアスを包み込むように光の結界が生まれた。巨大な円柱状の光に包まれ、中から破壊しようとベリアスが拳を叩きつけるが結界はビクともしない。

 ならばと、ベリアスの口元に灼熱の輝きが生まれ、波動砲のようなブレスが放たれた。

 そのブレスの圧力が、ハルバードにも伝わっているかのようにノルンの手が震える。だが手の中で暴れようとしているハルバードを、ノルンはしっかりと押さえ込んでいた。

 なるほど。たしかに神力混じりの攻撃だけあって、普通の魔力障壁では薄氷のようにぶち抜かれるだろう。

 けれど、今の攻防でわかった。自分の神力の方が奴よりも強い。――それならばいける!

 結界内の四方八方から光り輝く鎖が飛び出して、ベリアスの身体に巻き付いていった。

 鎖に身体を縛られたベリアスが、力任せに引きちぎろうとするも叶わない。

「――なんだ。この鎖は! 力が吸い取られる」

とうめくベリアス。その巨体の炎が、心なしか少し緩んでいた。

 けれどもノルンは油断せず、ベリアスを睨みつける。

 これで動きは封じた。後は――。頼んだわよ。セレン。カレン。

◇◇◇◇

 その頃、セレンとカレンは並んで宙に浮いていた。それぞれ胸の前に精霊珠を掲げている。

 セレンの持つ水の精霊樹からは蒼い輝きが、そして、カレンの精霊珠からは緑の輝きが漏れている。

 2人のそばには、水竜王が佇んでいた。

「感覚を広げなさい。奴の本体を〝視る〟のです」

 さすがはノルン。遠くに見える炎の巨人を、見事に結界に縛りつけている。

 だがいつまで封じていられるかはわからない。今が奴を倒すチャンスだ。

 セレンの足元から、空中にもかかわらず水しぶきが吹き上がる。と同時に、カレンの周りを風が渦巻き、ほのかに緑に光っていた。

 リィーーンン。

 異なる音が響き合うかのように、2人の耳には聞こえるはずのない音が聞こえた。

 やがて2人を包み込むように、周囲を青と緑の光の欠片が漂いはじめる。

 セレンとカレンの目には、ベリアスの本体が見えていた。あの炎の巨人の胸もとに重なって見える、擬宝珠形の核を。

 その時、2人の耳元にウンディーネとシルフの声が聞こえた。

 ――今よ!

 同時に精霊珠に魔力を込める。

 シュンッと一瞬のうちに、レーザー光線のような光が放たれ、ノルンの結界を貫き、さらにベリアスの身体に突き刺さった。

 そして、2人の目にはその攻撃が、隣接する空間にある奴の核に届いているのが見えた。

 結界を破ろうと激しく動いていたベリアスの動きがピタリと止まる。核にヒビが入っていった。

「お、おお……、おおお」

 空をあおぐベリアス。その時、奴の核が砕け散った。同時に炎でできた巨体が、ボシュンッと黒い霞となり、そのままノルンの神威結界を通り抜けて、風に乗って空に舞い上がっていく。

 それを見届けたノルンが結界を解除した。急に戦場に静けさが戻り、ただ世界樹の枝が燃える音だけが響きわたった。

 カレンがつぶやいた。

「おわったの、ですか?」

 それを聞いたセレンがカレンの肩を抱き寄せ、

「そうよ。奴は滅んだわ」

「本当に? 私、この精霊珠を使えたんですか?」

 遠くからフェリシアに乗ったノルンが、こっちに向かって飛んでくるのが見えた。

 終わってみれば呆気なかったといえるだろうか。だが、世界樹に甚大な被害が……。

 そう思ったカレンが世界樹の方を振り向き、金縛りに遭ったように身体を凍りつかせた。

「あ、あれは……なんですか?」

 世界樹の直上の空に、巨大な眼が現れていた。

 3人は知らなかったが、それはアークで現れたものと同じ、邪神の眼であった。

 凄まじい悪感が背中を走る。空から無言の凄まじいプレッシャーが降ってきた。

「ぐっ」とうめく3人。地上では避難していた獣人たちも、そのプレッシャーに襲われて、地面に膝をついていた。

 それは猿猴王ゴクウも例外ではない。必死で重圧に耐えながら、空に浮かぶ巨大な眼を見て、戦慄に身を震わせている。

 突然、カッという轟音とともに、その目の中央から一本の閃光が直下に走り、世界樹を真っ直ぐ貫いた。まるで天から降った一条の雷が木に落ちたように。

 しかしその光は消えることなく、ゴゴゴゴゴ……と空気を震わせながら、どんどんふくれ上がっていく。その光の中で、シルエットのように見えていた世界樹がバラバラに崩壊していった。

 それを見ていた獣人たちが、ハイエルフたちが嘆きの声を上げた。

「せ、世界樹さまが!」

 ゾヒテを、世界を守り鎮座していた世界樹が……。

 しかし光の柱は、ダムが決壊したかのように急激にふくれ上がり、まるで津波のように広がっていった。

 フェリシアの背中にいたノルンは、なんとか2人とところに行こうと、急がせながらも押し寄せる光に飲みこまれていく。

 セレンはカレンを守るように抱きかかえたところで、光に包まれた。カレンは呆然としながら、最後まで迫り来る光の波を見つめていた――。

 ブワ――。

 やがて、その光に何もかもが包まれていき、世界からゾヒテ大陸が消滅したのだった。

17第十章 終わりのはじまり

 ――巫女よ。急げ。

 世界樹の声が先ほどからカレンを急がせていた。

 世界樹上層のハイエルフの集落に転移し、焦燥も露わにカレンは転移部屋から外に飛び出した。

 世界樹ともなれば張り出した枝にしても、あり得ないほど太い。

 迷路のように入り組んだ枝と葉のその向こうで、遠くの枝葉が火に燃えているのが見えた。

 その光景にカレンは立ち尽くしてしまう。

 そんな。世界樹さまが!

 しかもカレンの目の前で、空から新たな巨大な火の玉が降ってきて、世界樹の枝を吹き飛ばし炎をまき散らしていく。

 まるでこの世の終わりのような光景。着弾のたびに凄まじい震動が伝わってくる。

 時おり、向こうから魔法の発動を感じる。おそらくハイエルフのみんなが、あの火を消そうと必死なっているのだろう。

 思わず自分もそっちに行こうと、足を踏み出した。

「カレン。急ぎなさい!」

 カレンが振り返ると、そこにはもう一人の世界樹の巫女ユーリ・カレルレンが息を荒げている。

「おばば様!」

「世界樹さまが待っています。手遅れになる前に急ぎなさい」

 手遅れに? 一体どういうこと?

 嫌な予感を蓋をするけれど、心に聞こえてくる世界樹の声が緊急警報のように、何度も何度も急げ急げと言っている。

 カレンはユーリとともに、世界樹の聖域に向かって幹の中をくり抜いて作られた階段を駆けのぼった。

 火球が着弾する衝撃が突然止んだ。

 また新たな何かが起きたのだろうか。けれども、窓一つない、この階段からは外の景色が見えない。

 前を走るユーリが教えてくれた。

「あなたの仲間の防護魔法ですよ。――さ、もうすぐです」

と言う。

 仲間の……。そうか。ノルンさんだ。あの人ならば世界樹をカバーする障壁を張ることができるだろう。

 それにセレンさんだって一緒に来ているんだ。

 そのことに思い当たると、動揺していた自分が情けない。自分も、自分のやるべきことをしなければ。あの2人に、ではない。自分にできることを――。

 そしてカレンは長い階段をのぼりきり、ユーリに続いて聖域に飛び込んだ。

 自らが世界樹の巫女に任命され、そして、今も身に付けている世界樹装備を授かったこの場所。木の香りに包まれた優しい場所。

 しかし、その聖域も今は以前とは異なっている。

 中央に、前は無かったはずの魔法陣が緑色に輝いている。しかもその魔法陣の上には、同じく緑色の光を帯びた風が、渦巻くように動いていた。

 ユーリはその魔法陣に向かって歩いていたが、急に立ち止まってカレンを振り返った。

「ここからは一人で行きなさい」

「はい。おばば様」

 ユーリの前を通り過ぎ、その魔法陣の正面に立つカレン。これが彼女を急がせていた理由なのだろう。

 見るからにこの魔法陣は、風の魔法陣である。きっとこの中に風の精霊珠があるのだろう。

 生きとし生けるものを育む世界樹とも、似ているようで異なる力の波動を感じる。魔力でもない。今、自分に宿っている神力とも違う力。

 そう。それは精霊の力だった。

 目の前では、激しく渦巻く風に守られるように、緑色の光を宿した小さな宝珠が浮かんでいる。

 あれが風の精霊珠――。

「カレン。準備は良いかしら?」

 突然近くから、新しい誰か女性の声が聞こえてきた。ギョッとして声のした方を見ると、いつの間にか魔法陣の横に、少女の姿をした風精霊シルフがいる。

 シルフが、

「さ、出ておいで。ゾヒテ六花の妖精たち。カレンに力を貸しなさい」

と命じると、「はい! シルフさま」と声が聞こえ、空中から六花の妖精たちが次々に姿を現した。

 カレンの周りを飛び回る六花の妖精たち。

 オレンジ色の服を着た希望の花ガーベラ。

 純白で気高き勇気の花エーデルワイス。

 ピンクのあでやかな不朽の愛の花千日紅せんにちこう

 白と黄色の可憐な純潔の花デイジー。

 美しくも青い、幸福と信頼の花ブルースター。

 そして深い青紫の服の、正義と誠実の花リンドウ。

「行くよ。カレン」とガーベラが言うと、飛び交う妖精たちが次々にカレンの身体に飛び込んでいく。

 いつも戦う時には、それぞれの妖精が力を貸してくれていた。

 ガーベラは山彦の剣を、エーデルワイスは世界樹の胸当て、千日紅は弓、そしてデイジーはナイフのそれぞれを。

 ブルースターは敵を絡め切り裂く糸となり、リンドウは世界樹の籠手を青紫に染めて強化し、カレンをサポートしていたのだ。

 しかし、今は違う。身に付けている装備品の1つ1つに六花すべての力が宿り、すべての装備に6つの花のマークが浮かび上がっていた。

 準備ができたのを見たシルフはクスリと微笑む。

「じゃあ、この魔法陣の中に入り精霊珠を手にとりなさい」

 カレンの脳裏に、セレンやヘレンの試練の様子が思い出される。

 目の前の魔法陣では、先ほどよりも風が激しく渦巻いているように見えた。近づけば近づくほど、その力の強さを感じて、身体がこわばってしまう。

 今からこの中に入る。すでに猛烈な台風のように、荒れ狂う風の渦に。

 ……それでも天災と戦うには、この精霊珠の力が必要だ。

 ジュンさんに付いていくために、そしてノルンさんたちと一緒に戦うためにも。私にはこの力が必要なんだ。

 ハイエルフである自分は、その掟にしたがい世界樹から出ることもなければ、出ようとも思わなかった。

 けれどそんな自分に使命が下り、エストリアに留学にいくことになった。そんな狭い世界に生きてきた自分だから、まだまだ経験不足であることは否めない。

 それでも……。それでも自分は、学生だった頃に指導してくれたジュンさんのことが好きなんだ。

 結婚して妻となったものの、いまだに恥ずかしくて呼び捨てにはできないけれど、そんなことはどうでもいい。

 それに同じく先生だったノルンさんともみんなとも、一緒にいることが心地よかった。

 生涯、世界樹から出ることもないだろうと思っていた自分が、手に入れた家族。かけがえのない愛すべき人々。

 守られてばかりの自分ではダメなんだ。

 みんなを守りたい。その思いを六花の妖精たちが後押ししてくれる。

 けれど、そんな自分の前に恐るべき敵が現れた。

 ゾヒテに戻ってきたときに対峙した、憤怒の天災ベリアスがそれだ。

 獣王たちを瀕死に追い込み、大地のへその霊地を汚そうとした敵。

 世界樹の巫女として、世界樹を信奉するハイエルフとして、そして、ジュンさんの妻の一人として倒すべき、明確な敵だ。

 カレンは静かに呼吸を整えながら、気持ちを落ちつかせた。すっと息を止め、キッと目の前を見て、

 ――行こう。

 気合いを入れて、カレンは風の荒れ狂う魔法陣に飛び込んだ。

 びゅおおぉぉぉと渦巻く風に身体が包まれる。髪や服がバタバタとはためく。

 魔法陣の力だろうか、不思議と身体は浮かび上がることはなかった。

 それでも息もできないような、凄まじい風だ。身体の自由も風の勢いに縛られているが、自分のすぐ目の前に緑に輝く宝珠がある。

 精霊珠よ。世界樹さまよ。

 私の願いをお聞き届けください。

 ベリアスと戦い、倒すための力を私に。

 どうか。――どうか!

 願う。祈る。その思いを力にして、風に邪魔されながらもカレンは必死に手をのばす。

 時に鋭い風の刃に襲われたり、何度も強い風に腕が吹き飛ばされてバランスを崩してしまう。

 けれどもあきらめずに手をのばし続けるカレン。視界の端にはためく自分の姿にふと気がついた。

 神力の輝きとともに、ゾヒテ六花の光も宿っている。妖精たちの励ましの声が聞こえてくる。

 そうだ。自分は一人じゃない。

 こうして妖精たちも力を貸してくれるし、何より神力はジュンさんとの絆の力だ。

 いかな風の力といえど、必ずこの手は届く。足りないのは信じる気持ちなんだ。

 そう思った時、カレンの中の神力が弾けた。身体に帯びている光が強く輝く。

 吹きすさぶ風の力は変わらないけれど、突然、その圧力が消えた。相変わらず強い勢いで吹き荒んでいるけれど、カレンにはあたかも草原を吹き抜ける風のように感じられた。

 精霊珠から光が一直線にのびてきて、じっと見ているカレンの、その胸に届いた。

 その瞬間、何かのスイッチが入ったような、精霊珠と何かの回線がつながったような感覚がした。

 気がつくと、いつの間にか精霊珠はカレンの手の中にあった。

「うまくいったの?」

 そうつぶやくも、その声は風にかき消されてしまう。

 けれども、その様子を見ていたシルフが、無造作に魔法陣の中に入ってきてカレンの手をとった。

「やっぱり私の目に狂いはなかったわね。……さ、こっちよ」

 カレンはシルフに手を引かれながら、その魔法陣から外に出た。その途端、すうっと消えていく魔法陣を一瞥し、シルフとユーリに向き直る。

 シルフはユーリに目配せをして、

「世界樹の巫女さん。あなたも託された使命を果たしなさいな」

と言うと、シュルシュルと緑に輝く風に姿を変えてカレンの持つ精霊珠の中へと入っていった。

「あ」

 声をかける間もなく姿を消したシルフに、カレンは戸惑ったものの、突如としてその精霊珠が光を放ち、勝手に世界樹の胸当てと融合して、その中央にまり込んだ。

 目をぱちくりさせているカレンの耳に、再び世界樹の声が聞こえてきた。

 ――ユーリ。例の場所へ。

「はい。世界樹さま」

 その場でお辞儀をしたユーリが、カレンを連れてさらに聖域の一角へと行く。

 急に立ち止まったユーリが床にしゃがみこみ、床に手をあてて何かをささやいた。

 するとその地面からスルスルと大きな蔓が伸びて来て、ちょうど目くらいの高さのところに、一つの握り拳くらいの丸いものを生み出した。

 なんだろうと思うカレンに、世界樹が語りかけた。

 ――カレンよ。それを受け取れ。

 その指示のとおりにカレンはゆっくりとその蔓に近づき、おそるおそる両手をそっと伸ばす。

 すると、ぶら下がっていたその丸いものが、ポトリとカレンの手の中に落ちてきた。

 ツルンとした手触り。見た目よりも軽いけれど、なぜか不思議な力を感じる。

 ユーリが、それが何かを教えてくれた。

「それは世界樹さまの種です」

「え? 種?」

 あわててその種をのぞき込むカレン。世界樹が再び語りかける。

 ――いずれそなたらに必要となるであろう。時が来るまで、それを護れ。

「世界樹さま……。はい。わかりました」

 カレンは大切に胸に抱きしめた。

 ユーリが微笑む。

「行くのでしょう? 戦うために」

「はい」

「ここのことは心配しないで、あなたはあなたの役目を果たしなさい」

「はい」

 カレンはユーリに見送られて聖域から駆け出そうとした。しかし、その時なにかの予感が働いたのか、ふと足を止めて部屋の出口から聖域を振り返る。

 ……おばばユーリ様。

 なんとなく、これでもうユーリとは会えなくなるような予感がする。なぜか、さっき受け取った世界樹の種が世界樹様からのお別れを告げる贈り物のように思えてきた。

 次世代につなげるための種。そのことが意味するのは……。

 ううん。大丈夫。世界樹様も、おばば様も、みんなも、私たちが守るんだ。

 カレンは意識を切りかえ、聖域を飛び出して階段を駆け下りた。

◇◇◇◇

 世界樹よりも身長が高くなった炎の巨人ベリアス。

 もはや猿猴王ゴクウとて戦いようがなく、獣人たちを避難させることしかできない。

 戦っているのは神力解放したノルンとセレン。そして先ほど、もう一人の強力な助っ人が現れ、ベリアスに水色に輝くブレスを浴びせていた。

 水竜王アクアヴィータである。

 美しい水色のうろこを持つ竜王。ゾヒテ西部の湖沼地帯に住んでいる竜王が、世界樹を守るためにやってきたのだ。

 巨大な腕をクロスして水竜王のブレスを受け止めていたベリアスがフンッと腕を振り払うと、そのブレスがバチンと吹き散らされた。さらにベリアスは一歩踏み込んで、飛んでいる水竜王に向かって殴りかかる。

 その拳を胴体にまともに受けた水竜王が、大地に叩きつけられた。

 凄まじい衝撃。苦悶の声を上げる水竜王にさらにベリアスが追撃をしようと飛び上がった。

「――転移!」

 ノルンの転移魔法が水竜王の巨体を別の場所に移動させる。さらにベリアスに向かって右手を突き出し、氷結魔法を放った。

「アイシクルワールド」

 白く凍りつく世界。空気を、森を、大地を凍りつかせながら、絶対零度の魔法が着地したベリアスに襲いかかった。

 シュウシュウと蒸気がベリアスの足元から立ちのぼる。冷気と熱気がぶつかり合い、凍りついた水分が瞬時に蒸発しているのだ。

 その光景を見たノルンは唇をかむ。

 ――駄目。あれは効いていない。

 セレンが水の精霊珠と海魔法で、頭上から大量の水を浴びせかけるも、それは奴の体に触れる前に蒸発してしまった。

 どうする? どれが有効な魔法だろう?

 迷いが生じたその時だった。

「ノルンさーん!」

 名前を呼ぶ声に振り向くと、光り輝く翼を広げたカレンがこっちに向かって飛んでいた。

17第十章 終わりのはじまり

「わかったわ。……カレン。あなたは役目を果たしなさい」

 ノルンは静かにカレンに言う。

 世界樹が巫女であるカレンを呼んでいる。それに屋内であるこの部屋からも、耳を澄ませば何かの爆音、さらに微かに部屋自体が振動しているこの状況。

 間違いなく、世界樹にとって重要な何かがあるはずだ。

「ありがとうございます。ノルンさん」

「何が起きるかわからない。だから充分気をつけるのよ」

「はい」

「私たちはあっち戦場に行きます。あなたも感じるでしょ?」

 そういってノルンは一方向を指さした。転移魔法陣のあった窓のない部屋ではあるけれど、方向を示すだけでカレンには場所がわかったようだ。

「はい。この感じ。天災とみんなが戦っている場所ですね」

「ええ。――さあ、セレン。行きましょう」

「了解よ。……カレン。また後で」

「はい。セレンさんも気をつけて下さい」

 廊下を歩み去って行く2人を見送り、カレンは足元の魔法陣に今度は自分の魔力を注いだ。

 上部のハイエルフの集落へ転移、そして、そこから世界樹の聖域へ急がねばならない。

「待っていて下さい。世界樹様。――今すぐにそちらに」

 まばゆい光とともにカレンの姿はかき消えた。

◇◇◇◇

 ノルンとセレンがエルフの集会所から出ると、激しい戦いの音が遠くから聞こえてきた。

 見上げると、大きく張り出している世界樹の枝葉があちこちで燃えていた。

 その光景に衝撃を受ける2人。

 セレンが思わず、

「なんてこと! 世界樹が……」

とつぶやいた。

 世界の浄化装置である世界樹が燃えている。悠久の時を生き、これからも永遠に変わらない姿を見せると思っていた世界樹が、今、目の前で燃えている。一体だれが想像できたであろうか。

 見上げている2人の目の前で、ドゴンと大きな音を立て枝葉を突き抜けて巨大な燃える岩石が現れ、そのまま大地に落ちていった。

「これは……流星雨メテオ・レイン?」

 その岩石を見たノルンがつぶやいた。

 天空から降ってくる隕石を敵にぶつける恐ろしい魔法。ノルンも知識としてはあるけれど、こんなふうに連続で隕石を落としつづけるなど、並大抵の魔力量ではない。

 すでにノルンは封印解除をしている状態だ。身体を覆う神力を強めると、その白銀のオーラがまばゆく輝いた。

 手にしたハルバードの先端を軽く足元におろし、

「守れ」

と短くつぶやく。次の瞬間、世界樹を覆うように光のドームが現れた。

 範囲が巨大であるため薄くなってはいるが、神力の障壁である。通常の魔法ならば、いかに強力なものでも破ることはできない。

 事実、障壁を張った後でも次々に隕石がぶつかっていくが、その光にぶつかっては砕け散っている。

 その結果を確認して、すぐにノルンはセレンに尋ねた。

「今なら飛べる?」

 もともと封印解除しているノルンは空を飛ぶことができる。

 セレンも人魚族の海魔法の一つ幻の海を出現させれば、その海を泳ぐことで空を飛ぶことができる。ただし、それは範囲魔法である以上、距離には限界があった。

 ノルンが尋ねたのは、セレンの身に宿っている神力の操作にも慣れたかどうかということだ。たとえ海魔法でなくとも、神力ならば自由に飛翔することができる。

 けれどセレンはノルンの問いに答えず、その場でふわりと浮き上がって足を人魚族の尾びれに変化させた。

 それをひと目見てノルンはうなずいた。

 ――ジュンとの結びつきが強くなるにつれ、私との結びつきも強くなっている。

 ジュンでさえ気がついていないことだけれど、魔法神の加護を持つノルンが見たところ、逆にみんなの魔力やサクラの妖力、シエラの竜の力が逆にジュンや自分に流れ込んでくる時があった。

 そう。魂の絆ソウルリンクによって、それぞれの力が循環し、その都度増幅しているのだった。

 ともあれセレンが飛べるということは、彼女の存在自体がより神性に寄っているということに他ならない。

 ノルンの肩にとまっていたフェリシアが、一足先に飛び立った。

 すぐにノルンが、

「行くわよ」「オッケー。親友ノルン

 2人はベリアスのいる方向にむかって、空に飛び出した。空をかける2人のそのすぐ横をフェリシアが飛ぶ。

 その尾や広げた翼の先から赤い光が、妖精の鱗粉のようにキラキラとこぼれていた。

 こうして2人と1羽は、時おり落ちてくる火のついた枝をかわしながらグングンと速度を上げていく。

 途中で世界樹の結界を突き抜けると、一気に戦場の空気に変わった。

(マスター。あそこです!)

 気配感知をしていたフェリシアの念話で、示された方向を見ると、金斗雲きんとうんに乗った猿猴王ゴクウが空を縦横無尽に飛び回りながら、地上にいる何かに攻撃を加えていた。

 魔力の高まり。そして、瘴気が大地から流れ込んでいる戦場の一画。激しい戦闘音が響いている。ちょうど森から草原に切り替わるところだ。

 上空に到着すると、眼下には、獣王ライオネルが率いる獣人とエルフの連合軍と、ウルクンツルやアークで見た漆黒の騎士が戦っていた。

 そして、その中央では、ライオネルとゴクウが天災ベリアスと戦っていた。

「この気配……」

 ノルンは、前よりもベリアスの力を強く感じた。けれど、それは自分たちも同じこと。かつて戦った時よりも強くなっている。

 ノルンは身体の奥より聖石の力を強く引き出した。

 もはや自在になりつつある神力を、魔力を練るようにさらに圧縮し体内に廻らせる。その背中に光り輝く翼が現れた。

 地上でライオネルとゴクウをあしらっていたベリアスが、ノルンの神力を感じて空を見上げた。そこには光翼を広げたノルンとセレンが浮かんでいる。

 ようやく到着したか。

 ベリアスは嗤い、目の前のライオネルを強めに殴った。受け止めたものの、堪えきれずに吹き飛ばされるライオネルであったが、ネコ科の獣人らしく空中で姿勢を正して着地した。

 それでも威力を殺しきれずに地面を3メートルほどえぐり、ようやく止まる。

 ベリアスとノルンの目が合った。その直後、ノルンの魔法が降り注いだ。

「セイクリッド・アローレイン」

 神力の矢が雨のようにベリアスや黒騎士たちに降りかかった。

 ベリアスは軽い手慣らしといった様子で黒いオーラを吹き出して障壁としたものの、黒騎士たちは避けることもできずに、まともに魔法を受け、その身を瘴気に変えていった。

 その魔法攻撃と同時に、ライオネルやゴクウたち獣人の身体がぼうっと光り、負傷した身体のキズがスーッと癒えていく。

 ノルンが二重詠唱で範囲回復魔法を放っていたのだ。

 さらに地上すれすれまで降下したセレンが、海の幻影とともに手にした銛をとうてきした。

「ネプチューン・ストライク!」

 海流をまとわせて一直線に飛んでいく銛を見たベリアスは、両手をクロスして受け止めた。

 しかし、ノルンの魔法を防いだ障壁すら貫いたセレンの一撃である。その勢いを殺せずに身体が後ずさっていくが、その顔は心底楽しそうに笑っていた。

 2人の魔法の威力に、挫けかけていた獣人たちに勇気が戻る。

 ライオネルが剣を掲げた。

「一斉に放て!」

 その指示に、獣人たちからは矢が、エルフたちからは一斉に攻撃魔法がベリアスに放たれる。しかし、ベリアスは身体に闘気をまとわせ、ふんっと腹に力を入れた。

 押し寄せる矢と魔法を見て、

「はっ」

と正拳突きを放ち、その闘気を解放した。

 その拳から衝撃波が広がり、矢も魔法もかき消されてしまった。

 ゴクウが「化け物め」とつぶやく。もはや自分たちの攻撃はベリアスには通用しない。それがまざまざと思い知らされてしまう。

 拳を振り抜いたベリアスはそのままの姿勢で、「――封印解除」とつぶやいた。その途端、その全身から凄まじい勢いで神力が溢れ出し、その身をどす黒く変えていく。

 それを見たノルンが驚いて、

「あれは神力……。そう。邪神とはいえ神の眷属だから」

とつぶやいた。

 奇しくもゴルダンの封印解除を見たジュンと同じことを思う。

 しかし、彼らにはさらに真の姿もあるはず。この戦いは、予想したとおり厳しいものになるだろう。

 瞬間、ベリアスの姿が消えた。

「ノルン!」

 セレンの叫び声と同時だった。強烈な衝撃がノルンを襲う。気がついた時にはすでに地面に叩きつけられていた。

 目の前で戦闘時は常に張っている魔法障壁にヒビが入って壊れる寸前となっている。その向こうで、ベリアスが空に浮かんでいた。

 ……そうか、やられたのか。

 ノルンは身体を確認した。手足は動く。魔力操作も平気。他にも異常はない。どうやら障壁がギリギリ防いでくれたみたいだ。

 ベリアスは追撃をするでもなく、空に浮かんだままで腕を組み、ノルンを見下ろしていた。

(ノルン、大丈夫?)

 セレンから念話が飛んできた。(大丈夫よ。……今度はこっちから行くわ)(わかった。こっちは合わせるから)

 立ち上がったノルンはハルバードを真っ直ぐ構える。

 イメージは鎖。神力を持ちて、幾重にも相手を縛り封じ込む。今はまだ自分の持つ神力では、天災を倒せない。けれども動きを封じることならできるはず――。

「かの身を縛るは光の鎖。いかに神とて遁れることあたわず。神威縛鎖ルナ・フェル・チェイン

 ノルンのオリジナル神力魔法。ベリアスの周囲の空間から幾つもの輝く鎖が飛び出した。

 普段は無詠唱のノルンが珍しく唱えた呪文のごとく、たとえ神属性の敵であろうと、ひとたび絡め取ればその身を縛る鎖となる。

 その出現は予測不能。数も予測不能。封縛の概念の込められた神力魔法の結界陣ともいえる。

 しかし、驚くべきことにベリアスはその神出鬼没の鎖をかわしつづける。その姿はまさに舞い踊るかのようだった。

「はあぁぁぁぁ」

 さらに神力を込めるノルン。その力の高まりとともに、現れる鎖の数も速度も増していった。

 突然、ふっとベリアスの姿が消えた。

 瞬時に防護障壁を張るノルン。その背後にベリアスが現れた。

「ふん。バラバラに分かれたお前たちなど、恐れるにたりん!」

 その拳に黒い神力が濃密に込められている。あたかも闇そのもののようにどこまでも黒く深い神力。

 ノルンは結界に全力を込めた。

 ベリアスの拳が結界を撃つ。バリバリと拮抗し合う結界と拳。光と闇がほとばしり、どちらも一歩も譲らない。

 そこへセレンが援護しようと魔力でつくり出した銛をかまえ、そこに精霊珠の力を流し込もうとした。

 何かに気がついたノルンが叫ぶ。

「ダメ! セレン! 逃げて!」

 次の瞬間、ノルンの結界を破ろうとしていたベリアスが、なぜかセレンの背後に現れた。すでに拳を構えている。

 振り向いたセレンには周囲の時間の流れがゆっくりとなったように感じられた。音も無くなっていく。

 ベリアスの拳が迫る。黒い光が、瘴気が目の前に――。

 思わず目をつぶりそうになったセレンだったが、何かに突き飛ばされた。

 途端に、時間の流れが元通りとなり、獣人たちの叫び声が聞こえた。

「獅子王!」

 地面に転がったセレンが顔を上げると、そこにはベリアスの拳に腹を貫かれた獅子王ライオネルの姿があった。

 セレンを突き飛ばしたのはライオネルだったのだ。

 叫びそうになるセレン。しかし、ライオネルはベリアスの腕を放さぬとばかりにつかみ、汗を流しながらも獰猛にわらった。

「お前も、これで最後だ!」

 ベリアスの足元に梵字が浮かび上がった。そこから灼熱色の鎖、不動明王の鎖が伸びてベリアスの身体を縛る。妖怪でもある猿猴王による異界の真言だった。異なる世界の神の鎖は、たしかにベリアスお動きを止めた。

 ライオネルは叫んだ。

「やれ! 猿猴王!」

 次の瞬間、ベリアスの胸もとから如意棒が突き出た。その背後には猿猴王ゴクウの姿がある。

 ベリアスがゆっくりと振り向くと、背中越しに睨みつけるゴクウと目が合った。

 さらにそこへ最後の力を振りしぼったライオネルが、爪を伸ばした手を振り下ろした。視線を逸らしたままのベリアスの身体に、その爪撃が深く刻まれる。

 ベリアスとライオネルの目が合った。「俺たちの……勝ちだ」

 そう言って崩れ落ちたライオネル。その身が光に包まれ、そのまま天に昇っていった。

 静かになる戦場。ベリアスはうつむいた。

「……くく。くくくくく」

 小さな笑い声が聞こえる。ベリアスの肩が震えていた。

 顔をガバッと上げたベリアスが心底楽しそうに笑う。

「すばらしい! これが勇者王と称された獅子王の最後か」

 如意棒に貫かれながらも笑うベリアスに、ゴクウは眼をいからせる。

「かの者の最後に敬意を表そう。――我が真の姿を見よ。そして、怖れおののき、絶望するがいい。今こそ終焉の時来たれりと」

 そう言うと、ベリアスの身体に火がついた。その身体に突き刺さっていた如意棒が何の抵抗もなくスルっと抜ける。あわててゴクウは距離を取った。

 燃えさかる火に包まれたベリアスであったが、その火がどんどんと大きくなっていく。誰もが見上げるような大きさになり、小山ほどの大きさにふくれ上がる。

 やがてその炎がまっすぐ空に向かって伸びていき、巨大な人型となっていった。

「あれは――」

 見上げたノルンがつぶやく。「炎の巨人。終末を告げる破壊の使者……」

 それはナビゲーションで読めたベリアスの正体であった。

17第十章 終わりのはじまり

 世界樹が燃えている。

 ゾヒテの湾岸線からも臨むことができたあの巨大な大木に、今、空からいくつもの燃えさかる隕石が堕ちてきて、その巨大な枝を吹き飛ばし枝葉を燃やしていた。

 砕かれた枝が燃えたままで落ちていき、下に広がっている森を破壊し、さらに火が広がっていく。

 近くの狐人族の集落では、壮年の男たちが必死に住民たちを避難させていた。

「くっ。急げ!」

 戦えない者たちを、少しでも世界樹から離れたところへ。

 だが、行けども行けども頭上はるか高くには枝が張りだしている。そう、今も彼らの目の前で、1本の巨大な枝がどこかの森に落ちていった。

 激突の衝撃で地面が大きく揺れて人々の足をすくい、何人もがバランスを崩して転びかける。

 大いなる恵みをもたらし、ゾヒテに住む生きとし生けるものを守ってきた世界樹。

 さらにはこのヴァルガンド世界の瘴気を浄化していた偉大なる大樹が、今、まさに破壊されようとしている。

 村長であった年老いた狐人族の男が燃えさかる世界樹の枝を見上げ、

「獣王たちよ。戦士たちよ。……世界樹を、我らを守っておくれ」

と祈った。

 数日前のことだった。世界樹の巫女を通して、かつてこのゾヒテを襲ったベリアスなる男の進撃にそなえ、各集落より戦士たちが集められていたのだ。

 戦士たちは今ごろ、6人の獣王たちとともに戦っているはずだ。この隕石を呼び起こしたと思われる男と――。

◇◇◇◇

 獅子人族の獣王ライオネルがうっすらと闘気オーラの宿った拳を振るう。まともにその突きを受けた黒い騎士が吹き飛んだ。

 さらに振り回す拳から次々に衝撃波が放たれ、延長線上にいた何人もの黒騎士をも吹き飛ばす。

 さらに吠えるライオネル。

「うおおぉぉぉぉ! 戦士たちよ! 押しかえせぇぇぇ!」

 その声に勇気をもらったのか、左右に広がっていた様々な種族の獣人たちが、目の前に立ち塞がっている黒騎士たちと互角以上の戦いを見せる。

 敵の剣を盾で防ぎ、前衛の後ろに控えている戦士が槍で突く。あるいは俊敏な動作でかわして、カウンターの一撃を繰り出す。

 他の種族よりも高い身体能力にものをいわせ、戦い続ける獣人たち。

 しかしそんな彼らの死闘をあざ笑うかのように、対峙している黒騎士たちの向こうから5メートルはあろうかという黒い巨人の軍団が現れた。

 お決まりのように手には棍棒をぶら下げている。

 それを見たライオネルは腰の剣を抜いた。

「弓兵隊、放て!」

 すぐに後陣から幾つもの矢が放たれる。エルフ謹製の魔導弓で、放ったのもエルフたちだ。

 巨人に当たった矢が次々に爆発していく。

 ……しかし、巨人はその衝撃で身体をブレさせながらも、強引に近づいてきた。その足元にいた味方であるはずの黒騎士をも踏み潰して。

 先頭の巨人に、空から飛んできた何かが蹴りを放った。金斗雲に乗ってやってきた猿猴王ゴクウだった。

「はああぁぁ」

 たまらずたたらを踏む巨人に、空中のゴクウは妖力を印に込め、「倍化の術!」

 そのまま金斗雲に再び飛び乗ったゴクウの身体が、ムクムクと大きくなり、普段の3倍の大きさとなった。それでもまだ巨人の半分にも満たないが、さらに耳の毛を抜いてフッと息で吹き、分身を生み出して巨人の軍団に襲いかかる。

 それぞれが手にした如意棒で巨人を打ちのめし、吹き飛ばすと、森の木々に打ち付けられた巨人が一瞬で瘴気となって消えた。

 しかし無理に巨大化しているせいか長く巨大化していることができず、ポンと煙を出して分身も消え本体のゴクウだけとなってしまう。

 空中で姿勢をただしたところでやってきた金斗雲に飛び乗り、そのままグルッと戦場を飛び回り舌打ちをする。

「クソッタレめ! 一体どこから湧いて出てきやがった」

 ほかの獣王たちもそうだが、ゴクウも焦っていた。こうしてギリギリの戦いをしている間にも、世界樹は燃えさかっているのだ。

 ちぃ。首の後ろがチリチリしやがる。……この感覚。奴がいやがるな。

 天災ベリアス。奴は強え。むかつくが正面からじゃ勝てねぇ。

 だがそうも言ってはいられない。本格的に世界樹を破壊しようと、今まさに攻めてきているのだ。

 ――っ。

 不意に何かが飛んできた。

 ヒョイッとかわしたものの、その飛んできた物体はそのまま陣形を組んでいる獣人たちの中に落ちた。

 誰かの叫び声がする。

「ライノ様!」

 馬鹿な。雷角王ライノか? 犀人族らしく俺たちのなかで最高の盾役が……。

 しかし、ゴクンの見ている前でライノは光の珠となって空に飛んでいった。

「……くそっ」

 この様子じゃ、他にも何人かやられてるな。

 歯ぎしりをして、再び現れた敵の巨人を吹っ飛ばそうとした時だった。

 強烈な圧力を感じて思わず身体がこわばる。と同時に、突然、戦っていた黒騎士たちが一旦退いていった。

 そして、獣人たちに対峙するように向こうも横に整列した。

「猿猴王ゴクウに獅子王ライオネルか……。さっきの奴らよりは楽しめるか」

 響きわたった声に、ゴクウは冷や汗を流しながらも一旦ライオネルのところに降りた。

 ちらりと見たライオネルは、自分と同様に冷や汗をかいている。

 この圧力。ベリアスだ。しかも前と戦った時とは別人のような覇気をまとってやがる。

「あれはヤバいぜ」

 ライオネルに語りかけるゴクウだったが、ライオネルはチラリとゴクウの方を見るだけだった。

「退くわけにはいかん」

 対峙している黒騎士たちの間から、武闘家の姿をした壮年の男が現れた。ベリアスだ。

「来やがったな……」

 ゴクウがつぶやいたその瞬間だった。ベリアスが人差し指を伸ばしてスッと振り下ろした。その指先が光ったと思ったらその方向にいた獣人たちの一画が突然爆発した。

 爆炎の中から次々に光球が現れる。

 今の攻撃はライオネルにもゴクウにも見えなかった。

 馬鹿な。

 気を緩めると膝から力が抜けそうだ。格が違いすぎる。

 強がるようにニヤリと笑いながら、こんな時にサクラたちがいてくれたらと思わずにはいられなかった。

 同じ妖怪のネコマタとその仲間たち。かつてベリアスと戦って撃退した者たちだ。

 だが、現実に彼らはここにはいない。それにゾヒテの大地は、世界樹は自分たちが守り抜かねばならないのだ。

 新たに現れたベリアスに飲まれている獣人とエルフたち。ライオネルが吠えた。

「この先へは行かせん! 勇士たちよ。力を振りしぼれ!」

 勇者王と讃えられるライオネルの叫びを聞いた戦士たちの目に、力が戻る。

「行くぞ、ゴクウ!」

「おうよ、勇者王!」

 エルフたちの魔法の援護を受けながら、ライオネルとゴクウはベリアスに向かって走り込んだ。

 その様子を見ているベリアスはさも愉快そうに笑う。

「さすがはライオネルといったところか。ふはは。ふははははは」

 先にゴクウが口から炎を吐いた。

 ――豪火炎の吐息。

 その炎でベリアスの視界を遮ったところに、ライオネルがベリアスに切りかかった。

 しかし、その剣はベリアスの籠手に簡単に防がれる。ベリアスが踏み込んだ。その動作を見た瞬間、ゴクウはあれはネコマタに伝わる拳法の発勁と見破り、如意棒をのばして突きを放った。

 今、まさにライオネルに拳を叩きつけようとしたところを、如意棒が伸びてきてベリアスの頬を掠めた。ベリアスは身体を回転させて如意棒を蹴り上げる。

 ぐおっ。持っていかれる……。

 たまらず手から如意棒が離れ、クルクルと回転しながら上に飛んでいった。

 しかし、その隙にライオネルが再び攻撃を仕掛ける。「くそったれめ!」と叫びながら、ゴクウも突進して、2人でベリアスを挟み撃ちにしながら戦いをはじめた。

◇◇◇◇

 その戦場から離れた世界樹の根元にあるエルフの集落。 ここに獣王会議が行われるゾヒテの中心地でもあった。

 集落の中に集会所となる大きな建物があり、世界樹の上層にあるハイエルフの集落へは、そこにある転移魔方陣を利用しなければならない。

 その転移魔方陣が急に輝きはじめ、すっとその上にノルンとカレンとセレンの姿が現れた。

 すぐに異様な気配を感知する3人。

 カレンが叫んだ。

「世界樹が、呼んでいます!」

17第十章 終わりのはじまり

 鳥のさえずりが聞こえる。日当たりの良い芝生で横になっているかのような心地よさ。ああ、今日もいい天気……。

 そこまで考えて、ヘレンがぱっと目を開けた。

 そんなわけないでしょって、ここはどこだろう。

 ヘレンは草むらにいた。20メートルほど先には崖のようになっていて、その先には雲海が広がっている。

 デウマキナ山の中腹だろうか。

 いや、そんなことよりも、すぐそばで横になっているのは、シエラとサクラではないか。

「シエラ! サクラ!」

 慌ててヘレンが駆け寄って2人の身体を揺すると、まずサクラが目を開いた。「はわっ。寝坊したっ」

 いや違うから。

 わたわたとしているサクラのおでこを、落ちつけとばかりに軽く叩いた。

 つづいてシエラが「う、んんん」と目を覚ました。まっすぐにヘレンを見て、慌てて起き上がる。

「ここは? サクラちゃん? よかった。――あれ? ジュンさんは……」

 シエラが言うように、ここにジュンの姿はなかった。先に目が覚めてどこかにいる? いやそれはどうだろう。

 こんなところに、私たちを放っておくとは考えられない。それに感覚的に近くにはいないとわかる。

 アークでの戦いでようやくピレトを倒したのは覚えている。ジュンと合流して、ゴルダンを取り逃がしたようで落ち込んでいるジュンを見て……。それから雲間から見えた巨大な目が。あの目を見るだけで全身が怖気だつような悪寒が走り、金縛りに遭ったように動けなくなった。

 それから光の柱が立ち、光が触れ出し私たちは飲まれたんだった。

 ここはあの戦場ではない。ということは、どこかに転移してしまったのだろう。それも、ジュンとは別の所に。

「……駄目です。念話に返事がありません」

 サクラが言う。

「ここはどこなんでしょう」

 シエラが心配そうに周りを見た。崖の反対側には、それほど遠くない位置から森が広がっている。空気が冷たいから、北の方の国だろうか。

 それは私も知りたい。それにジュンがどうにかなるとは思えないけれど、なんとしても合流しないといけない。

 チームがバラバラになっている現状、ジュンやノルンがいなければ、私がしっかりしないと……。

 けれど、さらに不安が募るようなことをサクラが言い出した。

「む? むむむ? マスターの気配が感じられない? ――え? どういうこと?」

 サクラはもともとジュンに召喚されていた。故に召喚主であるジュンの居場所は、どんなに距離が離れていても、その方向くらいは感じ取ることができていたはず。

 しかし、それが感じ取れないということは――。

「マスターと違う世界にいる? そんなこと……」

 サクラが顔を青ざめてつぶやいた。その隣のシエラも顔色が悪く、不安を隠せていない。

 その時、さあっと風が吹き、その風に乗って誰かの声が聞こえてきた。

「この島に外から来訪者が来るとは、一体いつ以来のことか」

 あわてて声の聞こえてきた背後を振り返ると、林のなかから巨大な狼が姿を現した。

 とっさに身構えるも、その狼は、

「襲いはせぬ。我は幻獣フェンリル。ここは幻獣島テラスだ」

 ヘレンは一瞬あたまが真っ白になった。

 え? フェンリル? テラス? あの空を飛んでいるっていう伝説の?

 パニックになりかけたヘレンだったが、それより先にサクラが悲鳴を上げた。

「妖怪のみんなの存在も感じ取れない! どういうこと!」

 あわてて振り返ると、サクラが焦りにワナワナと震えていた。シエラがすぐさま抱き留めて、「落ち着いて。サクラちゃん」と声を掛けているが、その腕の中でサクラは何度も「どうして。みんな」と言い続けていた。

「落ちつけ!」

 フェンリルが吠えた。圧力を伴った声が身体を突き抜ける。

「騒いだところでどうにもならぬ。……アーク大陸は光とともに消滅したのだ」

 ――え?

「竜王は無事なようだが、他のものは誰一人として助からなかったであろう。恐るべきは邪神の力よ」

 アークが消滅? 大陸が無くなった?

「信じられぬか? ならばそこの崖から下を見るが良い」

 フェンリルに言われて、サクラとシエラとともに崖に近寄った。

 眼下に広がる雲海が急速に風に流されていき、切れ目が出来た。その切れ目がどんどん広がっていき、その下には海が――。

「な、なにあれ」

 愕然として思わず声に出てしまった。

 世界の一部が切り取られたかのように、大陸があったと思われる場所には、海を切り裂いて別の空間が広がっていた。

 それも虚無ともいうべき空っぽの空間。光も何も見えない。

 いつの間にか隣にやってきたフェンリルが、

「あれはこの世界の外にある虚空だ。我でもあそこでは生きてはいられぬ」

 じゃあ、ジュンは? 半神半人のジュンはどうなの? 竜王たちが無事ならジュンだって無事なんだよね?

 いくつもの疑問が浮かんでくる。狂おしいほどの気持ちとともに。

 だがフェンリルの返事はある意味で無情なものだった。

「我にはわからぬ。埒外らちがいのことだ」

「そんな……」「そんな」

 ヘレンとサクラの声が重なった。

「じゃあみんなは? お雪ちゃんも、ろくろの姉さんも、タマモ様も、ネコマタや妖怪のみんなは?」

「おそらくは光に飲み込まれたであろう」

「――い、いやあぁぁぁぁぁ」

 泣き叫んだままで空に飛び出そうとするサクラ。それをシエラは必死で抱き留めていた。「いやああぁぁぁ。みんなあぁぁぁぁ」

 気持ちはわかる。

 かつて魔族を滅ぼさるところだった記憶を持っているヘレンには、今のサクラの気持ちがよくわかった。悲哀、絶望。

 だから……、とヘレンはシエラと一緒にサクラを抱きしめた。「落ち着きなさい。サクラ。落ち着くのよ」

 必死であやし続けるうちに、ようやくサクラがおとなしくなった。

「私……、一人になっちゃった」

 その言葉を聞いた途端、ヘレンはカッとなってサクラの頬をひっぱたいた。

「馬鹿なことをいうんじゃない。いい? ジュンは生きている。ここに私だってシエラだっている。ゾヒテでノルンたちだって戦っている。――サクラ。あなたは一人じゃないのよ」

「ヘレン、さん」

「お願い。かつて悲嘆に暮れて、怨恨と激情に支配されて死んだ私のようにはならないで」

「……」

 その時、黙っていたシエラがサクラを励まそうとして言った。

「サクラちゃん。もしかしたら。もしかしたらだけど、みんなどこかで生きているかもよ。……だって、同じように光に飲み込まれた私たちがこうしてここにいるんだもん。みんなも同じようにどこかに転移しているかもしれないよ」

 サクラはシエラの腕の中でしばらく黙っていたが、ようやくうなずいた。「うん。……そうだね」

 そして、その腕の中からするりと抜け出ると、ヘレンとシエラに「ありがとう」とお礼を言った。「もう大丈夫です。そうですよね。私にはマスターがいる。一人ってことはなかったですね」

 ヘレンはわざと笑みを浮かべて指摘した。

「違うわ、サクラ。私たちには、よ」

「はい。そうでした」

 そう言い返すサクラはまだ強がっているようだったが、それでももう大丈夫そうだった。

 フェンリルの方に振り向いたヘレンは、そこにフェンリルだけでなく多くの幻獣たちが集まってきていることに気がついた。

「な、なに! あなたたち、みんな幻獣なの?」

 鎧を着て神秘的な弓を持ったケンタウロス。あでやかな蝶のような羽を広げた少女。水でできた馬に、6本足のスレイプニルにまたがった鎧の騎士。

 周囲にきらめく灼熱の光球を浮かべている金色の少年。その身に風を纏わせた少女に、大きな白銀の羽毛をもった巨鳥。その手前には白いローブを着た6人の小人の少女たち。その他にもたくさんの幻獣たちが集まっていた。

 その幻獣たちの頭上を一匹の亀が空を泳いでやってくる。

「お久しぶりですね。お三方さんかた

 それはかつて大海溝アハティオーラで天災フォラスと戦った際に命を失った海の魔女アーケロンだった。今はあの海底の時とは異なり、全長2メートルほどの姿になっている。

「アーケロン」

「はい。ヘレン様。……ノルン様はこちらには来ていないのですか?」

「ノルンは今、ゾヒテで世界樹を守るために戦っているわ」

「そうでしたか。それはやはりフォラスの仲間のせいなんですね?」

「そうよ」

 しばらく考え込んだアーケロンは、ヘレンに告げた。

「ヘレン様は修道女でしたね。……終末の黙示録はご存じですか?」

「終末の黙示録?」

 聞いたことがない。あるいは聖女様なら知っていたかもしれないけど。

「その様子では知らないようですね。これは初代聖女様が受けられた預言です」

 そう言ってアーケロンも正確な文言は知らないそうだけれど、黙示録の内容について語ってくれた。

 それは世界の終わりの預言。

 天より6人の災いが訪れ、世界を乱すとき、外の世界に封じられし邪神が降り立つであろう。

 何ものもその破壊に抗うことかなわず。なぜならば邪神は、創造と破壊の神なる故なり。

 1人目の天使は海で目覚める。

 2人目の天使は黒き龍となり空を翔ける。

 3人目の天使は双剣で大地を切り裂く。

 4人目の天使は炎の巨人となって世界を焼きつくさんとす。

 5人目の天使は終わりを告げるラッパを鳴らし、

 6人目の天使はその巨大な剣にてこの世界の礎を砕く。

 善なる人も、悪なる人も、空を飛ぶものも地を駆けるものも、水に住まうものも等しく光となる。

 かくて生命の無くなりし世界を、邪神は業火にて包み、洪水にて流し、大風にて吹き散らし、この世は塵となりて虚空に帰るであろう。

 故に天より災い現れし時は、そは破壊の先駆、終末を告げる6人の天使なりと恐れよ。

 すべてを聞き終わったとき、身動きすることができなかった。終末の預言。その恐ろしさに身がすくんでしまったのだ。

 なんてこと。じゃあ、今のこの世界は――、終焉を向かえようとしているの。

 まるで全身から熱という熱が無くなってしまったかのように、ヘレンは身体が冷たくなっていくのを感じていた。

 ジュン。あなたはどこにいるの?

 ……私たちはどうすればいいの?

 しかし、その思いに応えられるものはそこにはいなかった。

17第十章 終わりのはじまり

「よいか。2人とも。我とガイアとで奴を止めよう。その間にお主の仲間と合流し、精霊珠の力をもって奴の本体に攻撃せよ」

 火竜王ファフニルが、背中に乗せているヘレンとシエラに語った。実は地竜王ガイアが同じことをサクラに指示しており、サクラはこっちに向かって空を飛んできている途中だった。

 突然、2人の身体が火竜王の背中からふわっと浮き上がった。シエラはすでに火竜王の試練の際に、空を飛んでいた経験がある。しかし経験が無いヘレンは思わず慌ててしまい、身体をバタバタさせたところで気がついた。

 自分を包み込んでいたジュンの神力が、輝く翼となって広がっていたことに。

 初めて空を飛ぶ感覚は慣れないし、風を直に感じることはとても怖い。

 しかし、どうやらそんなことは言っている余裕は無さそうだった。なにしろ、さっきまで守ろうと戦っていた陣地が、あの黒龍の一撃で壊滅してしまったのだから。

 シエラが、

「ヘレンさん! 攻撃です。とにかく移動し攻撃し続ければすぐにでも飛ぶのに慣れます」

と言う。

 そして有言実行とばかりに、自身も竜槍ドラグニルに魔力を込め、融合して異形となった黒龍のモルドとピレトに向かって一直線に突撃していった。

 閃光の如き攻撃を受けて、黒龍の巨体が揺らぐ。

 その光景を見て、ヘレンも思う。

 そうだ。ただあいつを倒すことだけを考えるのよ。

 自らの手に火炎の鞭を作り出し、宙をブンとひと薙ぎする。その先端から幾つもの火炎弾が飛んでいく。

 ヘレンはそのまま空の高いところまで飛翔し、自らの周りに火属性の魔力球を設置。一気に、その魔力球から赤い魔力弾を連続で放った。

 ファイア・マナバレット・ストローク。

 一つ一つの魔力球から魔力弾が雨あられと黒龍に襲いかかっていく。

「ぐっ」

 一つ一つの魔力弾に、神力と精霊珠からもたらされた精霊の力が僅かながらに含まれていたようで、それがために天災の2人がそれまで以上に苦痛の表情を浮かべた。

 とはいっても、奴らの本体は隣接する異空間にあるので、こちらの体は瘴気がある限りいくらでも回復することができる。それが厄介なところだ。

 2人の目の前では、黒龍の頭から生えているモルドが、両手にしている剣で竜王たちと戦っている。

 魔法やブレスが飛び交い、爆炎と怒号が大気を震わせ、3匹の巨竜が入り交じる凄まじい戦いだった。

 タマモ率いる妖怪たちも遠距離攻撃を主体に戦っている。そしてその戦いの爆炎の影から、背中に輝く翼を広げたサクラが空を蹴りながら飛んできた。

(ヘレンさん! 2人で精霊珠を励起させますよ)

 サクラからの念話に、ヘレンは思わず(2人?)と返してしまった。

 しかし、その答えはすぐにわかった。そばにやって来たサクラが誇らしげに道具袋から精霊珠を取り出したからだ。

 ヘレンとシエラは驚いた。

 サクラが、一体いつの間に精霊珠を……。けれど、今はそれが好都合だ。

「援護します。私にはそれの使い方がわからないけれど、ヘレンさんとサクラちゃんは奴に攻撃を!」

 シエラはそういうと2人の前に出た。いずれは自分も――。今は思いを留めて、ただあの黒龍を倒すためにできることをしよう。背中の2人をいかなる攻撃からも守り抜くと。

 ヘレンとサクラはその姿を頼もしく見つめ、シエラの背中越しに並んで黒龍を見た。

 激しい戦いの迫力が、肌を、五感を、ビリビリと震わせる。

 けれど怖じる気持ちはない。シエラが自分たちを守ってくれる。ならば、自分たちはできることをするだけ。

 セレンから聞いてた天災の本体を攻撃する方法。まだ2人とも、そこまで力を引き出したことはないけれど、やるしかない。

 ――願え。

 2人の耳に誰かの声が聞こえた。

 ――精霊珠をかかげ、強き思いを祈るのです。

 これは……。

「サラマンデル」「メーテル」

 火と光の精霊が語りかけてくれている。2人は精霊珠を掲げた。

 ヘレンは願った。ピレトを倒す力を。自らの宿命に終止符を打つための力をと。

 サクラは祈った。モルドを倒す力を。愛するマスターやみんなとともに生きる世界を守るための力をと。

 2人の持つ精霊珠が光を放つ。火の精霊珠は赤く、そして空の精霊珠は七色に。

 強くなっていく光が二人を包むと、周囲にぽっぽっと精霊が姿を現した。

 赤いトカゲのような火の精霊サラマンデル。

 そして、ぽわっとした白き光、黒き光、七色の光の3種類の光。これらは顕現こそしていないものの、光・闇・時の精霊だった。

 ヘレンの身体にサラマンデルが吸い込まれていく。

 サクラの身体に3種類の光が吸い込まれていく。

 もともと赤いヘレンの髪が灼熱色のような赤の輝きを放ち、サクラの黄金色の髪もまた一本一本の髪の毛自体が輝きだした。

 どこからともなく声がする。あるいはそれは世界の声だったのかもしれない。

 ――半精霊化を確認。条件を達成しましたので進化を開始します。

 ヘレン・シュタイン・ハルノが火の眷属神に、サクラ・ハルノが空の眷属神に進化します。

 同時に2人の目には見えていた。融合しているピレトとモルドの本体。隣接する異空間にある核が。

 ピレトの核は滑らかな黒の球体。モルドは深い緑の円錐の形をしている。

「……あれが核」

「サクラにも見えているのね」

「はい」

「ならば何をすればいいのかわかるはず。……行くわよ」

「はい! ヘレンさん」

 光翼を背に並んでいるヘレンとサクラの周囲を、赤、白、黒、七色の光が乱舞する。

 ヘレンは赤い光に照らされながら、手の中の精霊珠からあふれる力を感じていた。

 ――いよいよよ。ベアトリクス。

 胸の内でつぶやく声に、別の声が聞こえる。

 ――ええ。わかっているわ。一緒に。

 その時、ヘレンと重なるようにベアトリクスの幻影が現れていた。

 精霊珠の力を感じたのか。黒龍と化したピレトとモルドが2人を見る。

 即座に2人の攻撃は危険と判断し、モルドが双剣を振って三日月状の斬撃を飛ばし、ピレトがブレスを放つ。

 しかし、その前にシエラが立ち塞がった。

「させません!」

 両腕に装着した神竜の盾が光の欠片となって散らばり、シエラを中心とした光の巨壁となった。

 思いのままに、守りたいものを守る力。神竜の盾の最終形にして、神の守りそのものの力。

 ――神竜の盾。バージョン4。モード・イージス。

 モルドの斬撃も、ピレトのブレスもその障壁に激突して僅かばかり拮抗するものの、バチンとはじけ飛んだ。

 次の瞬間だった。

 ヘレンの持つ火の精霊珠、そして、サクラの持つ空の精霊珠から細い光線が放たれ、モルドとピレトを貫いた。

 見た目にはなんてことのない小さな攻撃だけれど、その光線は確かに貫いた。

 このヴァルガンド世界に顕現している巨体だけではなく、その存在軸をずらしている核をも。

 精霊の力を宿した2人の目には、穴の開いた核にヒビが広がっていくのが見える。

「ぐがあぁぁぁぁぁぁ」「あああぁぁぁぁぁぁ――」

 この世のものとも思えぬ苦悶の声をあげながら黒龍がうねり、その頭から生えているモルドの巨体が頭を押さえて悶え苦しんでいる。

 その巨体が核と同じようにヒビが入り、広がっていった。

 パリンと核が砕けた。

 それと同時にこちら側のピレトとモルドの巨体も一瞬のうちに砕け散り、霞のような瘴気となる。そしてそのまま、風に流されるように渦を巻いて舞い上がっていき、やがて上空の雲の中へと消えていった。

 強い風が吹き抜けた。

 すべてが終わった空で、ヘレンはボウッとしながら先ほどまで黒龍がいたところを見ていた。

 終わったの? と自問自答するヘレンの前に、ベアトリクスの幻影が現れた。

 ――そうよ。……ありがとう。私。

 にこやかに微笑むベアトリクスに、ヘレンはくすっと笑った。

「ううん。貴女は私なんだから……。ようやく……。ようやく終わったのよ」

 ベアトリクスはうなずくとヘレンのすぐ目の前にやってきた。

 ――そうね。

 そのままヘレンに抱きつき、すうっと吸収されるように消えていった。

 すでに輪廻はめぐってベアトリクスの魂はヘレンとして生まれ変わっている。だから今の幻影も、ベアトリクスの記憶も、その魂に刻まれていたもの。

 故にベアトリクスはヘレン。ヘレンはベアトリクスでもある。悲憤の中で死したベアトリクスも、今世ではジュンと一緒になることができた。

 宿命の敵を倒した今、ベアトリクスとしての私ももう終わり。

 だから、これからはヘレンとしてジュンやみんなとともに歩む。天災と戦い。そして、いつまでもこのヴァルガンドでイチャイチャしながら暮らすのだ。

◇◇◇◇

 大剣がゴウッと目の前を通り過ぎていく。俺は神剣でその横っ腹をすり上げて、一歩踏み込むと同時に返す剣で斬りかかった。

 しかしゴルダンは、刷り上げられた大剣の動きに逆らわないように回転し、俺の攻撃を避けざまに逆に切り払ってきた。

 斬撃に垂直に剣を当てて受け止め、互いに力比べとなる。

 すでに神力を解放している。にもかかわらず、俺の力はゴルダンの力と拮抗していた。

 ――くそっ。

 押し切れない。これでは他のみんなのところに行けない。

 すでにノルンたちがゾヒテに向かったことはわかっている。その前後にピレトとモルドが正体をあらわし、俺たちの頭上でみんなが戦っていたのもわかっている。

 陣地を破壊するブレスの一撃に吹き飛ばされそうになったけれど、その爆風の中でさえ奴は平然と攻撃してきた。

 なんて野郎だ。

 だが、奴が技を見せるたびに、俺の持つ武神の称号によって俺も技が増えていった。とはいっても、にわか仕込みの技では通用などしないだろう。

 もう何度目になるかわからないが、互いに弾かれるように離れる俺とゴルダン。奴の体から黒いオーラが漂っている。あれが邪神の力だろう。

 その時、空にいた巨大な黒龍が砕け散った。それが意味することは一つ。みんながやってくれたんだ。

 あとは――、こいつだけだ。

「ふむ。どうやら奴らも使命を果たしたか」

 対峙しているゴルダンが空を見上げてそんなことを言った。その声からは感情の変化は読み取れない。

 仲間が倒されたというのに、どういうことだろう?

 こちらに向きなおったゴルダンが俺を見る。

「この場はここまでのようだ」

「まて! 逃げる気か!」

「……逃げる? はは、ははははは。逃げるだと?」

 おかしくてたまらないというように身体を揺らして笑ってやがる。

「今のお前じゃ力不足だ。……せめてこれが使えるようになってみろよ」

 奴が大剣を振り下ろした。技も何もない。ただの切り下ろ――、いやっ。これはっ。

 切り下ろした奴の剣の奇跡が空間に残っている。魔力剣でもなく、衝撃波でもない。なんだあれは。

 奴がつぶやいた。

「レベル7剣技。ディメンション・ブレイド」

 空間の切れ目が少しずつ広がっていく。やがて人が通れるくらいの幅になると、奴はその切れ目に入っていった。

「次こそ決着をつけようぜ」

 その言葉を最後に、その切れ目はすっと閉じていった。元通りになった空間には奴だけがいなかった。

 逃げられたんじゃない。俺には追えなかった。

 力が足りない。俺には力が足りない。これでは、みんなを守れない……。

 どれくらいの時間がたったのだろう。気がつくと、ヘレンとサクラとシエラの3人が俺の前に立っていた。

 その向こうには火竜王と地竜王の姿も、そして空には妖怪の大群がこっちを見下ろしている。

「倒したんだな……」

 ヘレンがうなずいた。

「ええ。ようやく……、ようやく終わったわ」

 そうか。彼女の長い長い戦いが終わったのだ。それなのに俺がこんな情けない顔を見せるわけにはいかないか。

 そっとヘレンに近づき、ぎゅっと抱きしめてやる。「よく頑張ったな」

 シエラとサクラと順番に抱きしめてやり、改めて周りをみると、アーク軍の陣地は見事に瓦礫だけになっていた。

 今はもう生きているのは俺たちしかいない……。

 ヘレンとサクラが2人の天災を倒した。だが犠牲もまた大きかった。

 言いにくそうな表情を浮かべているヘレンに気がついた。俺の顔を見て、

「落ち込んでいる暇はないわ。ノルンたちと合流を――」

 そう言いかけたときだった。突然、空に巨大な何かの気配が現れた。俺も皆も身構えながら空を見上げた。

 一面の曇り空だったのに、俺たちの頭上には隙間ができていて、その向こうに巨大な目が俺たちを見下ろしていた。

「な、なんだあれは?」

 次の瞬間。その目から一直線に、大地に向かって光の柱が生じた。ゴゴゴゴと空気が震える。その柱がどんどん太くなり、光が洪水となって押し寄せてきた。

「――くっ」

 咄嗟にヘレンたち3人を守るために抱きしめる。あっというまに俺たちは光につつまれた。

17第十章 終わりのはじまり

 視界が戻ると、サクラはどこまでも真っ白に続く空間にいた。

 混乱する頭のままで、油断せずに忍者刀を構えながら周囲の気配を探った。

 転移? よりによってこんな時にとは思うものの、すぐに意識を切り替えた。

 ここは一体どこだろう? 周りに何の気配もないみたい。

 戦っている最中のマズいときに転移してしまった。地竜王とパティスさんを残してきてしまっているし、タマモ様やみんなは、今も戦っているはずだ。

 ……私もすぐにでも戻らないと。

「でもどうやって」

 自問自答するようにつぶやくが、その手段がない。転移魔法は私には使えない。転移符も距離に問題があるし、そもそも空間をまたぐことは無理だ。口寄せならできるかも知れない。でも、向こうの誰かが口寄せしてくれないと意味がない。

 つまり戻るための手段が、ない。

 変化のない状況に焦りがつのりつつあったその時だった。

 突然、目の前に魔法陣が現れたと思ったら、すかさず一人の女性がポンと飛び出した。

「きゃっ!」

 可愛らしい声を上げる。彼女は一体?

 輝くような金色の長い髪。抜けるように色白の肌が、着ている黒のワンピースと相まってより引き立って見える。切れ長の目にほっそりとしたスタイル。見た目の年齢はマスターのジュンよりも少し年下くらいだろうか。

 気を緩めることはできないけれど敵のようには見えない。身にまとっているあの雰囲気。……ノルンさんが召喚する精霊に似ている気がするとサクラは思った。

 その女性は足元の魔法陣を見つめて眉根を寄せているが、その表情も美しい。

「まったくも~。面倒なことを押しつけて!」

 そう言って唇を尖らせていた女性が、サクラを見た。

 途端に気まずそうな表情を浮かべてせき払いをし、

「ええっとサクラっていうんだっけ? 安心して、ここは向こうと時間の流れが違うから」

 そんなことを言われても、早く戻りたい気持ちにはかわりがない。いや、戻らないといけないんだ。そう思うサクラの焦りをその女性も感じていたようだ。

「焦っているのはわかるわ。……私は光の精霊メーテル。その空の精霊珠はね。四大属性のものとは大きく違う。試練どうのこうのじゃなくて、使いこなせるかどうかが問題。それでも今、その力が必要なんでしょ?」

 それは、そう。あのモルドと戦うために、この精霊珠の力があれば心強い。

「だから私がやってきたの。

 世界というのは、法則を同じくするひと続きの空間。それを一部でも改変したものが、あなたもよく知っている結界になる。

 法則の異なる世界へ影響をおよぼすためには、両者に通用する法則や、より上位世界の法則によればいいんだけど……。ま、頭で理解するのは無理でしょ?」

 それはそうだ。世界だの、空間だの、法則だの、上位世界だの言われてもサクラにはわからない。

「でもね。あなた。幸いだったわね。妖怪であることもそうだけど、その武具に力を与えている存在。それはより上位世界の法則を司るものよ」

「武具って……。この四神の武具ですか?」

「そう。世界によって名前や姿が異なることもあるけれど。方角を司るもの、それはそのまま空間を、世界の境界を司る力ある概念存在でもあるってわけ」

 サクラの装備している四神の武具。鉢金はちがねに、籠手、2本の忍者刀には、世界の四方を司る四神の力が備わっている。

 たしかに四方とは空間の境界でもある……。

 なるほど。そして、四神の力を借りれば、この精霊珠の力も使えると。

 難しいことはわからない。でも言われてみれば、確かに精霊珠の力を引き出せるようなそんな確信がある。あくまで直観的なものではあったけれど。

 四神結界を張るときのように、妖気を練る。そこへ魔力と一緒に、ジュンから流れてくる神力を合わせて、少しずつ四神の武具に流し込んでみた。

 心の中に地水火風の4つの属性の力を感じる。それも新たに宿ったというわけではなく、元からあったものを初めて認識したというような感覚。

 サクラは目を閉じて、その4つの力に意識を集中させる。すると心の中の4つの力が突然はじけ飛び、どこかへ行ってしまった。

 不意に圧倒的な力が出現した。その存在感を感じて目を開けると、メーテルとサクラを囲むように、巨大な四神がその姿を現していた。

 玄武、青龍、朱雀、白虎。

 その顕現を見るのはこれが初めてだった。四方から自分を見つめる視線を感じつつ、その静かで強大な神力に畏怖の念を覚える。

 メーテルは興味深そうに見回している。「へぇ。これが異界の四神」

 神によってその神力も質が異なるのだろうか。ジュンのような力強くも優しい神力ではない。どちらかといえば、静謐に満ちながらも微塵も揺るがないような、大地のような力を感じている。

 玄武が口を開いた。

「我らが加護を与えし娘よ」

 続いて青龍が語りかける。

「汝が望みはわかっている」

 白虎が続ける。

「なれど、その精霊珠の力は人の手には扱えぬもの」

 背後の朱雀が言う。

「幸いかな。汝は神の力を宿せしもの」

 四神が口を揃えてサクラに告げた。

「故に我ら、汝に力を貸さんとす。精霊珠を掲げよ」

 中央にいたサクラはその場にひざまずき、空の精霊珠を両の手のひらに載せて四神に捧げた。

 下を向いているサクラには微かにしか見えなかったが、顕現していた四神は、パッと光の欠片となってかき消え、残されたキラキラ光る欠片が、まるで惑星の回りを漂う岩石帯のように、サクラと精霊珠の周りを漂いはじめた。

 ゆっくりと旋回しながら、少しずつ光の欠片がサクラと精霊珠に降りかかり、すうっと吸い込まれていった。

 頭を下げながら、サクラは自らが作り変わっていくかのような錯覚をおぼえる。

 例えていうならば、第六感とか第七感。手足などの五感とは別に、さらに何かを操ることができるような感覚といえばいいだろうか。

 不思議な気分だ。

 しかし、どうやら自らの意思だけでは、その何かを感じとるのが精一杯のようだ。手で物をつかむように、口で言葉を話すように、その何かを操作しようと思ったら、おそらくは神力が必要になるだろう。理由はないけれど、そんな確信があった。

 それからどれくらいの時間が経ったのか。

 ゆったりと周囲を廻っていたすべての光の欠片が吸収されるや、今までのやり取りを見届けていたメーテルが、ようやくサクラに声を掛けた。

「終わったわね。……感じる?」

「まだ慣れないけど。これが空の精霊珠の、空間属性を感じるってことなんですよね」

「もともと戦いにはあまり縁がないけど、その力を上手く使ってね」

 そういうとメーテルは右手をサクラに向けた。

「元の場所、元の時間に転移するわ」

 あわててサクラは精霊珠を腰の道具袋にしまう。あとでヘレンやセレンのようにペンダントにするつもりだけど、今は戦っている最中。そんな余裕は無い。

 すぐさまサクラの足元に魔法陣が現れた。すぐに両手で忍者刀を構えて戦さに備える。転移した先は戦場のまっただ中なのだから。

 精霊珠の力のお陰か、魔法陣の発動するタイミング、転移先がなんとなく感じ取れた。

「行きます!」

 サクラのかけ声とともに魔法陣から光が放たれた。

◇◇◇◇

 もとの王国軍の陣地。空には相変わらずモルドや漆黒の堕天使たちが飛び交って、妖怪たちと戦っている。

 炎や氷が舞い、雷が煌めき、妖怪大戦争の様相を呈してきていた。

 タマモが両手の爪を伸ばし、モルドと戦っている。妖怪王がああして肉弾戦を繰り広げるのは初めて見た。

 だが、自分ものんびりはしていられない。

 サクラはクナイを放ち、印を結ぶ。「雷転移」

 その身が光となって、放ったクナイのところに転移する。そのまま足の裏に妖力を集め、空を駆けてモルドとタマモの戦いに介入していった。

 それを見ていたパティスは、魔導列車が発車していったこともあり、

「ここでのお役目も終わりね。……みんな頑張りなさい」

 そうつぶやくと、すうっと空気に溶けるように消え去っていった。

 一方、サクラは忍者刀に雷をまとわせ、一気にモルドに迫った。

 撃退しようと振るわれたモルドの長剣を、左の忍者刀で受け流し、右の忍者刀で切りかかる。

 その刃から雷撃が放たれてモルドの体を打ち据えた。

 しかしモルドは痛痒を感じさせずに、その瞳から魔力を光線状にして放った。

 思わぬ攻撃だったが、その2条の魔力光線をくるっと回転しながら躱しつつ、サクラはすかさず手裏剣を放った。

 放たれた手裏剣は単なる手裏剣では無かった。モルドの周りで次々に爆発し、その爆炎が目くらましとなってモルドの目からサクラを隠す。

「空間針」

 さっそく空の精霊珠の力を使って、モルドの周囲の空間にクナイを打ち込む。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」

 九字を切ったサクラの体が光り、打ち込んだクナイを機転に転移を繰り返しながらモルドに切りかかっていく。

 ――忍術結界。雷光陣。

 あたかも光が幾重にもまたたくように、次々に斬撃がモルドの体を捉えていった。一つ一つの斬撃に神力を込めてあるので、こちらに現界したモルドにもダメージを与えられている。

「ぐっ」

 身につけていた瘴気の鎧は吹き飛ばされ、血こそ流れぬまでも、モルドの体にいくつもの剣閃が刻まれていく。

 やがて翼の一つが切り飛ばされた。飛んでいく翼が一瞬で霞のような瘴気となって消えていく。

 思う通りにならない苛立ちに、うなり声を上げるモルドは突然両手を突っぱねた。次の瞬間、空間に固定されていたクナイが大きな爆発に見舞われる。

 その衝撃で、転移先の座標となっていたクナイが吹き飛ばされ、転移を続けていたサクラも攻撃を止めざるをえなかった。

 姿をあらわしたサクラを、憎々しげに見つめていたモルドの目は真紅に染まっていた。

「――来いぃ! ピレト」

 モルドの怒りが爆発した。

 カッと曇天から黒い雷が落ち、「おう」という声とともに、頭上に巨大な龍が姿を現す。

 するとモルドの体が黒い霞となり、渦を描きながらその龍に吸い込まれていった。

 やがて、その龍の額に巨大な女性の上半身が生えてきた。両手に剣を持っているモルドだった。そう。ピレトと融合したのだった。

 モルドの額の前に黒い球体が現れたと思ったら、そこから魔力光線が放たれ、砦の防壁がバターにナイフを入れたように切り裂かれていった。

 延長線上にいた防壁外に押し寄せていた漆黒の魔物たちをも犠牲になって、宙に吹き飛んでいる。

「くらえぇぇ」

 つづいて女性体にあるまじき怒鳴り声とともに、全天を覆うように黒い雷が走った。一瞬のうちに戦い続けている妖怪たちが黒雷に撃たれ、次々に苦悶の声を上げながら地上に墜ちてくる。

 モルド側の堕天使たちも打ち抜かれていたが、そちらは霞となって存在自体が消滅していた。

 タマモが忌々しげに舌打ちをした。

「なんて奴だい、まったく。」

 モルドが手にした剣を掲げ、同時に今度は黒龍となったピレトの口にブレスの光が集まっていく。

 ――先に攻撃をっ。

 先制攻撃をしかけようとしたサクラだったが、その目の前でピレトのブレスが放たれた。

 黒い極光がまっすぐに陣地中央に突き刺さる。その中央に紫色の光を帯びた黒い光球が現れ、どんどん大きくなって防壁を飲みこんだところで一気に大爆発した。

「きゃああぁぁぁぁ」

 サクラは凄まじい爆風に飲みこまれ、クルクルと回転しながら飛ばされていく。

 何かにぶつかって停止すると、頭上から「奴め……」と忌々しげな声が聞こえてきた。見あげるとそこにはガイアの顔がある。サクラは地竜王にぶつかったのだ。

 下を見下ろすと、アーク軍の陣地は周囲に押し寄せていた魔物もろとも跡形も無く消滅し、そこには巨大なクレーターがあるばかりだった。

 パティスさん。カトーリヌさん……。

 そこに居たはずの知り合いの顔が頭をよぎる。

 そんな……。みんなが、消えてしまった。

 胸のうちに怒りが吹き上げてきた。何に対するものかわからない怒り。そして悔しさ。激情がサクラの体を駆け巡る。

 悠々と滞空しているモルドとピレトを見て、その激情に身を任せたままで攻撃しようとしたときだった。

 突然、頭上の雲を突き抜けて現れた火竜王が黒龍の首元に噛みつき、ぐるんとその巨体を振り回して放り投げた。

 即座にブレスの追撃を放ち、黒龍はまともに灼熱の光に飲みこまれていく。

 光がおさまった後には、全身から煙を噴き上げているものの。変わらぬ様子の黒龍がたたずんでいた。

 地竜王ガイアがサクラに語る。

「俺とファフニルであいつを止める。お前たちは精霊珠の力を使って奴の本体に攻撃しろ」

 いきなり精霊珠の力を使ってと言われても、できるかどうかわからない。けれど、無理だなんて言うつもりもない。

 思うはただ1つ。あれを――、倒す。

17第十章 終わりのはじまり

 一方そのころ、ヘレンとシエラの前に火竜王ファフニルが背中を見せて、その身を屈ませていた。

 上空では、飛び立った黒龍のピレトにむかって、防壁に設置された魔砲が攻撃を浴びせかけていたが、何らのダメージも与えられていなかった。

 逆に振り払われた長い尾によって、あちこちの壁が吹き飛んでいく。

「2人とも乗れ。……このヴァルガンドの空を、奴らが自由に飛んでいるのは少々腹が立つ」

「火竜王様」とシエラがつぶやいた。

 竜は自らが認めた者にしか背中に乗せないという。幼い頃に憧れた竜騎士の伝説だ。

 すでに自分もその竜騎士である。けれど相手は竜王。成竜でも老竜でもない。竜の頂点に位置し、竜人族として信仰している偉大なる存在である。

 竜王の試練を突破したというのに、シエラは果たして自分が背中に乗っていいのかと畏れにを懐いていた。

 しかしシエラの畏れなど知らぬとばかりに、火竜王は事も無く「急げ」とせかした。

「はい」と返事をしながら二人はその背中によじ上ると、不思議な力で身体が固定され、鞍もないのに安定して立っていることができた。

「ゆくぞ」

 短く告げた火竜王は大地を蹴ってふわっと真上に飛び上がり、その頂点でグンッと空を蹴るように加速した。

 猛烈なGがかかる。けれど、ヘレンとシエラが想像していたほどではない。ヘレンの修道服が激しく風にはためくが、いくらか魔法の障壁が働いているのか、身動きが取れないほど強いわけでもなかった。

 高速で空を飛ぶ火竜王に、それに気がついたピレト。竜と龍、2体のドラゴンは互いに牽制するようにグルグルと空を駆け巡る。

 やがて上空の分厚い雲に突っ込み、さらに高く飛んでいった。

 風を切り裂き、瘴気混じりの雲を切り裂き、高速で飛びつづける火竜王。その周囲に赤い光の魔力球が生まれ、らせんを描きながら黒龍となったピレトに襲いかかった。

 ボゴンっボゴンっと、黒龍の周囲で爆発が立てつづけに起きる。

 しかしすぐにその爆炎を突き抜けて、ピレトが鋭い牙のアギトを開けて突っ込んできた。

「なんだ、そのくだらぬ攻撃は」

 火竜王はスッと身体を反らして、その攻撃をかわす。その瞬間だった。

 シエラがドラグニルを構えて魔力を込めると2連突きを放った。

「双竜突き!」

 竜闘気と魔力が2匹の黄金色の竜の形となって穂先から飛び出し、火竜王と交差するピレトの身体に食い込んでいく。ピレトの身体から黒い霧が吹き出した。

 もちろんヘレンも見ているだけではない。ファフニルの背中に乗りながら、練り続けた魔力をシエラに供給していた。

 しかし、ピレトの身体に刻み込まれた傷が、シュルルルと音を立てて回復していく。

 そのままこちらに向きを変えたピレトが雲を突き抜けた。すぐに火竜王も追いかけて雲から出る。

 雲海の上には、さらに巨大な積乱雲が渦巻いていた。紫色の空を背景に、上空に位置しているピレトが火竜王たちを向いて動きを止める。

 その背後に不気味な黒い穴が表れた。

混沌の光アビス・ライト

 カッとピレトの背後の黒い穴から黒い光が放たれた。まるでオーロラのように広がるその光に触れた途端、ファフニルも、ヘレンもシエラも、その身体のはしに闇の炎が灯った。

 激痛が身体を走り抜ける。

「ぐ、ううぅぅぅ」とうめくシエラ。

 ヘレンは脂汗を流しながら、きっと前をにらみつけた。

 この光は一体なに?

 すぐさま結界を張ろうとしたときに、胸の内に少女の声が響いた。

 ――大丈夫じゃ。ヘレン。

 これは……闇の精霊アーテルの声。

 気がつくとヘレンの足元に青黒い魔法陣が現れていた。ぐんぐんと広がっていき、やがてファフニルを覆う大きさとなるや、途端に痛みが消え去っていく。

 ――あれは天地を創造する前に広がっていた、虚空に満ちる混沌の光だ。

 けれど、あれは闇の精霊たる妾とは親和性が高い。そなたに授けた加護を通して今、一時的に耐性を付与しておいた。

「アーテル。……ありがとう」

 ――妾の力を貸与しようぞ。その精霊珠の火の力と練り合わせよ。

 その言葉とともに、ヘレンの右手に漆黒よりもなお暗い闇が澱みのように宿る。

 その闇をまとわせたまま、右手で精霊珠を握った。

 なんの抵抗もなく、輝く火のオーラと闇とが混ざり合い、複雑な色の光となってヘレンの全身に広がった。

 そっか。もともと闇は他の属性と反発するのではなく内包する属性。だからこういうことも――。

 胸の前に両手を合わせ、手のひらと手のひらの間を少し開ける。その中央に魔力を練る要領で、我が身に宿った火と闇の融合したオーラを集め圧縮した。

「闇のフレアジャベリン」

 極度に圧縮した魔力球から1本の火炎槍が放たれた。光のように一瞬のうちに、漆黒の槍がピレトを貫き、そのまま背後の虚空の穴に突き刺さった。

 ピシッと澄んだ音を立てて黒い穴にヒビが入り、呆気なく砕け散った。それを見た黒龍ピレトは悔しげにうなり声を上げる。

 雲の上の戦いは激しさを増していった。

◇◇◇◇

「雪晶乱舞!」

 白い和服を着ている雪女のお雪が、局地的にブリザードを発生させる。普通の冷気ではない。本来、このヴァルガンドにあるはずのない妖気を帯びた冷気だ。

 対するモルドの召喚した堕天使たちも、地球由来の妖気には耐性がないようで、何体かが凍りついていった。

 そこを藁の衣裳を着た赤と青の鬼が、手桶とナタを持って駆け抜け、通り過ぎた後で凍りついた堕天使がパリンと粉々に砕け散る。

 今にも白い冷気のムチで追撃しようとしていたお雪は、

「くっ。先を越されちゃった。……なまはげめっ」

と悔しげにつぶやく。

 その隣では大きな化け狸が口から火炎を吐き、さらにその向こうでは大天狗が柏の団扇を仰いで竜巻を作り出していた。

 巨大ながしゃどくろが何体もの堕天使を殴り飛ばし、その背中に乗った鬼たちが金棒や刀で斬りかかる。

 召喚主のモルドに対峙しているのはサクラと妖怪王タマモだった。

「――百花繚乱ひゃっかりょうらん

 タマモの尻尾の先端に色の異なる魔力が集まって光の珠となり、その光球から小さな魔力弾がマシンガンのように一斉に放たれた。

 しかし、その攻撃は目くらましにしかなっていない。双剣の堕天使となったモルドは、その魔力弾の雨の中を突っ切って一直線にタマモに迫る。

 今にもタマモを切り捨てようとした時に、飛んでくるクナイに気がついて、あわてて剣閃の軌道を変えて弾く。

 次の瞬間、弾いたクナイの所にサクラが瞬間転移し、両手の忍者刀でモルドに切りかかる。そこに待っていたとばかりに、タマモの尾が鋭くモルドに襲いかかった。

 サクラもさらに分身を生み出し、両者からの激しい攻撃に、防ぎきれなくなったモルドの身体に次々と傷が刻まれていった。

「ええいっ。うるさい」

 苛ついたモルドが魔力を爆発させて衝撃波を放つと、分身が次々に消えていき、サクラ本人も「きゃっ」と言いながら吹き飛ばされる。

 その背後にお返しとばかりにモルドが転移して、サクラに切りかかろうとするが、そこにタマモの尻尾が襲いかかり、再び防戦一方となる。

「ホント、厄介な奴ら」

 いらだたしげにモルドは言い捨てた。「けれど、お前たちの攻撃では私は倒せないわ」

 そんなことはサクラにはわかっていた。

 いかに手数が多かろうと、強力な攻撃であろうと、自分には精霊珠がないのだから。

 異なる世界に本体がいるモルドにダメージを与える、その手段がない。だからできるのは、こうして戦いつつ、マスターかヘレンが駆けつけるのを待つしかない。

 それでもサクラは構わなかった。大丈夫。まだまだ自分は戦えるのだから。

 妖気がサクラの周りに渦巻く。両手の四神の忍者刀がまばゆく輝いた。ぎゅっと空を踏みしめるように脚に力を入れ、まっすぐにモルドを見据える。「青竜牙槍ドラゴンランス!」

 青い妖気が竜の姿となり、モルドに向かって牙をむいて飛んでいく。

 モルドは両手の双剣に力を込め、妖気の竜に突きを放った。

 一瞬のうちに、モルドの攻撃がドラゴンランスを突き抜ける。

 しかし、その背後にサクラが現れた。忍者刀は鞘に納めて拳を握りしめて、すでに腰を落として一歩踏み込んでいた。

 足から脚へ、腰、胸とらせんを描きながら、体内のエネルギーを練り上げ、一気に右の拳に乗せてモルドの腹を打ち抜いた。

「真・炎虎崩拳」

 モルドの全身を衝撃が突き抜け、思わず剣を取り落とす。その翼が3枚も吹き飛んだ。お腹から背中に突き抜けた崩拳の衝撃が、そのまま炎の虎の形となって、モルドの背中から飛び出していく。

「がっ」

 モルドは信じられなかった。

 まさか精霊珠の力も無しに、自分たちがここまでダメージを受けるとは。

 その秘密は妖怪の出自にあったといえる。

 もともと地球からヴァルガンドに移り住み、それも妖怪横丁という空間を作り出して住んでいる妖怪には、自ずと空間属性の力が備わっているのだ。

 ――その時だった。

「サクラちゃん!」

 パティスの声が鋭き響き、サクラに向かって何かが投げられた。

 サクラがとっさにパシッと受け止めると、それは小さな水晶のような宝珠だった。

 まるで手に吸い付くような力を感じる。直感的にサクラがそれが何なのか悟ったが、思わず心のなかでつぶやいた。

 え? これって精霊珠?

 けれど次の瞬間、モルドが切りかかってきたので、それを躱して距離を取る。地面にいるパティスが叫んだ。

「空の精霊珠よ。力を!」

 その途端、その声に呼応するかのように、サクラの視界が閃光に包まれた。

17第十章 終わりのはじまり

(カレン。世界樹の危機よ!)

(え? どういうことで――)

(詳細は後で。そっちに行くから一緒に飛ぶわ)

 いかに神力の繋がりがあるとはいえ、さすがに念話だけではカレンもセレンも戦況を把握できない。だが説明する時間も惜しかった。

 ノルンは神力の翼を広げて宙に浮き、そのまま防壁上のカレンの元へと一直線に飛んだ。

(ゾヒテにも天災が襲撃をかけているらしいの。……いま、そっち防壁上はどういう状況)

(機工騎士団長のノートンさんも戦死したらしく、副団長のカトリーヌさんが喪失状態で……。セレンさんがほっぺたをひっぱたいて、ようやく彼女が指揮を執りだしたところです。

 セレンさんの海魔法で一気に外の魔物を吹き流したので、少しは余裕があるでしょうか)

 ああ、なるほど。でもそう、ノートンさんが戦死……。

 思わずノルンは拳を固く握った。それはカトリーヌさんも辛かっただろうに。

 だが、悲しんでもいられない。早くしないと、今度はゾヒテの知り合いが……。獣王たちも戦っているはず。

(私だけじゃないでしょ。カレンだって森魔法で次々に飲みこんでいったじゃないの)

 急に割り込んできたセレンの念話に、カレンが、

(あ、いや。その。って、そんな場合じゃないです! ノルンさん。急ぎましょう!)

(それよりも天災ってことなら、私も行くわ)

 そうね。向こうの戦いの状況がわからない以上、セレンにも来てもらった方がいい。精霊珠が必要だと思うから。

 こっちにはサクラだけじゃなくて、ヘレンもシエラも、そして地竜王だけでなく、いま空で戦っている火竜王もいる。

 だから、みんなを信じよう。

◇◇◇◇

 前衛が地竜王とサクラ、そして後衛がパティスという布陣で、モルドに対峙する3人。

 地竜王がサクラに言った。

「今ならお前の力もあいつにも通用するんじゃないか? 強くなったお前の力。俺に見せてみろ」

 それを聞いたサクラがうなずきながら、唇を真一文字に引き結んだ。

 マスターと出会い、ここまで来た自分の道のりを思う。

 かつての勇者の従者であった祖父と、ずっと忍術と拳術の修行をしてきた。妖怪横丁を出て、誰かの従者となって世界をめぐるために。願わくば、それが好みの男性であれば尚のこといい。

 そうして出逢ったマスターは、どこか懐かしい匂いがした。後から日本からの転移者と聞いて納得。自分たち妖怪は、いや、妖怪横丁はかつて日本にあったのだ。

 人々が妖怪を信じなくなり、そのために力が薄れた時に、このヴァルガンドの創造神に誘われて移り住んだと聞いていたから。

 そんなマスターだ。ルーツを同じくするわけで、好きになったのも当然だと思う。

 ま、一線を越えるには発情期を待たないといけなかったわけだけど。

 カレンが麒麟の霊水を探していると言ったとき、それを手に入れるためには、大妖怪になるための試練を受けなければならないことを思い出した。

 しかし、あの試練は過酷だ。自分が乗り越えられるかどうか……。五重の塔を1階ずつ上がって敵と戦い、認められねばならない。その相手にはネコマタ最強の自分の父親もいる。

 ジュンにも内緒で試練に向かったけれど、すぐに追いかけてきてくれた。その時に怒られたけれど、かなり嬉しかったのは内緒だった。結局、ジュンにも背中を押してくれもらい試練に挑戦した。

 最後のフロアで大妖怪タマモ様と戦った時に、あまりの強さに自身の妖怪としての核にヒビを入れられてしまった。

 このままでは殺生石に封印され、長い療養が必要となる。ジュンとも会えなくなる。

 力の入らない身体に絶望が広がったとき、自身の核からマスターの神力があふれ出し、復活。試練を乗り越えることができたのであった。

 あれから日々、自分は強くなっている。ジュンとの魂の絆、その絆を通した皆との絆。力が循環し、互いに互いを高め合っているような気がしている。

 でも、だからこそ……。

 サクラは両手に持った忍者刀を構えた。

 私は戦う。

 マスターとともにあるために。

 皆と一緒にいるために。

 そのための力があるのだから!

「空遁 分身の術」

 仙気と妖気、魔力に神力。サクラは4つの力を練り合わせ24の分身を生み出すと、シュンッと姿を消して一斉に散らばった。

 突然、モルドの周りの地面にクナイがトントントンと突き刺さる。その先には符が縫い付けてある。

「そこか!」

 きっとモルドが空を見上げると、そこにいたサクラの分身はすでに印を結び終えていた。

「雷光結界。はっ」

 クナイを基点に雷光が結界内を激しくめぐる。幾重にもほとばしり出る雷光にモルドが貫かれ、そのたびに身体が左右に揺れる。

「くっ。ただのスパークではないってわけね」

 この世界の力ならばここまでモルドにダメージを与えられない。だがサクラには地球由来の妖気があるのだ。

「ええい! うざったいっ」

 モルドの叫びとともに周囲が爆発し、クナイが吹き飛ばされた。

 そのまま放たれた漆黒のムチの一撃が、空に居るサクラを貫いた。

 しかし苦悶の表情を見せたのはモルドだった。

「くっ。重い」

 貫かれたサクラの分身は黒々と光る金属の像に変化していた。その表面には梵字が浮かんでいる。

 舌打ちしたモルドがムチを放り投げ、かわりに腰に差していた短剣を逆手に持った。

 その時、魔導列車が動き出した。分身体の一人が出発するように指示を出したのだ。

「カオス・レギオン!」

 慌てたモルドの周囲に魔法陣が現れる。そこから漆黒の騎士か魔物の大群を呼び出そうというのだ。

 渦巻く瘴気が魔法陣に流れ込み、光を放とうという一瞬、突然モルドの足元の地面からサクラが飛び出し、両手の忍者刀で何度も切りかかる。土遁 土竜の術からの連撃だ。

「馬鹿な。気配などなかったのに!」モルドは驚愕の表情で魔法を破棄して、短剣でサクラと切り結ぶ。

「無駄です。――炎虎旋風脚」

 炎をまとったサクラの回し蹴りが、モルドの胴体を捉えた。そのまま一直線に飛び、集積された物資の中に突っ込んでいった。

 さらにそこに他の分身たちから、五行の攻撃忍術が放たれる。一気に集積所は炎上した。

 その真ん中から突然、黒い光が柱となって立ち上る。その中心で立っているモルドが、忌々しげにサクラの本体を睨みつけていた。

「なるほど、これが忍び。……厄介な相手ね。でも、これならどうかしら?」

 そう言うと、再び天弓を取り出すと空に向かってつがえた。その身体の周囲から毒々しい色の魔力が立ち上り、天弓に吸い込まれていった。

「――星天崩壊」

 カッと閃光が走った。天弓から全方位に幾つもの矢が放たれた。

 地面はえぐれ、サクラの分身も次々に消滅。パティスへの攻撃は地竜王が防いでいたものの、一帯はあっという間に瓦礫の山となった。

 矢に貫かれたサクラの一体が、ころんと木材に変化する。次の瞬間、地竜王のすぐ後ろに本体のサクラが現れた。

「強い」とつぶやくサクラに、地竜王が感心したように「お前もな」と言う。

「でも決定打にはなっていません」

「そりゃあ、相手が相手だからな。……ほら、見てみろ」

 天弓を放ったモルドは何故か黒い球体に包まれていた。まるで昆虫のサナギのような姿。そこから強い圧力が感じられる。

 地竜王がつぶやいた。

「第2段階ってところか」

 その球体がすうっと空気に溶けるように消え去ると、その中から膝を抱えたモルドの姿が見えてきた。先ほどまでと異なり、女騎士の様な鎧を身につけている。そして、その背中には畳まれた翼があった。

 ばっと身体を伸ばしたモルドは、トンッと地面を蹴って空に飛び上がって、ばさっと3対6枚の黒い翼を広げた。

「終末の堕天使のお出ましだ」

 地竜王の言葉と同時に、モルドは剣を抜いて空にかかげる。

「出よ。アポカリプス・レギオン!」

 空に直径500メートルはある巨大な魔法陣が現れた。その魔法陣から次々と、同じように翼を持った鎧の騎士たちが飛び出して、空を飛び交う。

「なんて凄まじい……。でも、それなら負けません!」

 それを見上げたサクラは即座に忍術 空渡りで空に駆け上り、モルドと対峙するや、親指を小さくかんで血を出し、足元の空中に叩きつけた。

 そこから魔法陣が広がる。

「口寄せ。――タマモ様」

 輝く魔法陣から光が立ち上る。すうっと一人の和服の女性が姿を現した。

 ――妖怪横丁の主。妖怪王タマモ。

 九つ尾をゆっりと漂わせ、長い髪を揺らめかせている。

 大胆にも着崩した胸もとからは大きな谷間が見え、しなやかな指でキセルをひと吸いし、フーッと煙を吐く。

「サクラ。あんた。まさか妾を口寄せするなんてどういうつもりって思うたけれど、アレ相手じゃ仕方ないよねぇ」

 どこか気だるげな空気をまといながらも、その目はするどくモルドと漆黒の堕天使たちを見ている。

「でもね。あんな多くを相手取るのは面倒だ。……久方ぶりに、にぎやかに行こうじゃないか!」

 そういうタマモは右手で持ったキセルをパシッと左手に叩きつけた。

 妖気がかげろうのように揺らめく。

「集まれ。集まれ。祭りの夜だ。太鼓を鳴らせ。笛を吹け。三味線さんしんはまだか。踊れよ。踊れ――」

 タマモの朗々たる声とともに、その周囲に暗雲が生まれる。どこからともなく太鼓や笛、祭り囃子の音が流れてきた。

 ぽっぽっぽっと狐火が浮かび、ゆらゆらと揺れる。

「者ども出会え。百鬼夜行の始まりだ!」

 かげろうのように空気が揺れた。その中から数多の妖怪たちの姿が浮かび上がる。

 妖怪王の権限で、妖怪横丁と空間をつなげたのだ。

 巨大なヒゲづらのつるべ落とし。一つ目の巨人見上げ入道に、顔の付いた火炎輪。

 牛車の妖怪おぼろ車に、おべべを着けた子泣き爺に、雪女のお雪。

 ろくろ首にたくましい体躯の妖鬼。烏天狗たちが群れをなし、化け狸に妖狐たちが狸和尚と天狐に率いられていた。

 踊りながら現れた妖怪たちは雲に乗り、タマモの後ろに勢揃いする。

「行くよ。皆の衆。妖怪の力。見せつけてやんな」

「「おお!」」

 雄叫びとともに、妖怪達が一匹ずつ小さな黒雲に乗って散らばっていく。

 対するモルドの呼んだ堕天使たちも散開して、次々に妖怪たちとぶつかり合った。