「わかったわ。……カレン。あなたは役目を果たしなさい」
ノルンは静かにカレンに言う。
世界樹が巫女であるカレンを呼んでいる。それに屋内であるこの部屋からも、耳を澄ませば何かの爆音、さらに微かに部屋自体が振動しているこの状況。
間違いなく、世界樹にとって重要な何かがあるはずだ。
「ありがとうございます。ノルンさん」
「何が起きるかわからない。だから充分気をつけるのよ」
「はい」
「私たちはあっちに行きます。あなたも感じるでしょ?」
そういってノルンは一方向を指さした。転移魔法陣のあった窓のない部屋ではあるけれど、方向を示すだけでカレンには場所がわかったようだ。
「はい。この感じ。天災とみんなが戦っている場所ですね」
「ええ。――さあ、セレン。行きましょう」
「了解よ。……カレン。また後で」
「はい。セレンさんも気をつけて下さい」
廊下を歩み去って行く2人を見送り、カレンは足元の魔法陣に今度は自分の魔力を注いだ。
上部のハイエルフの集落へ転移、そして、そこから世界樹の聖域へ急がねばならない。
「待っていて下さい。世界樹様。――今すぐにそちらに」
まばゆい光とともにカレンの姿はかき消えた。
◇◇◇◇
ノルンとセレンがエルフの集会所から出ると、激しい戦いの音が遠くから聞こえてきた。
見上げると、大きく張り出している世界樹の枝葉があちこちで燃えていた。
その光景に衝撃を受ける2人。
セレンが思わず、
「なんてこと! 世界樹が……」
とつぶやいた。
世界の浄化装置である世界樹が燃えている。悠久の時を生き、これからも永遠に変わらない姿を見せると思っていた世界樹が、今、目の前で燃えている。一体だれが想像できたであろうか。
見上げている2人の目の前で、ドゴンと大きな音を立て枝葉を突き抜けて巨大な燃える岩石が現れ、そのまま大地に落ちていった。
「これは……流星雨?」
その岩石を見たノルンがつぶやいた。
天空から降ってくる隕石を敵にぶつける恐ろしい魔法。ノルンも知識としてはあるけれど、こんなふうに連続で隕石を落としつづけるなど、並大抵の魔力量ではない。
すでにノルンは封印解除をしている状態だ。身体を覆う神力を強めると、その白銀のオーラがまばゆく輝いた。
手にしたハルバードの先端を軽く足元におろし、
「守れ」
と短くつぶやく。次の瞬間、世界樹を覆うように光のドームが現れた。
範囲が巨大であるため薄くなってはいるが、神力の障壁である。通常の魔法ならば、いかに強力なものでも破ることはできない。
事実、障壁を張った後でも次々に隕石がぶつかっていくが、その光にぶつかっては砕け散っている。
その結果を確認して、すぐにノルンはセレンに尋ねた。
「今なら飛べる?」
もともと封印解除しているノルンは空を飛ぶことができる。
セレンも人魚族の海魔法の一つ幻の海を出現させれば、その海を泳ぐことで空を飛ぶことができる。ただし、それは範囲魔法である以上、距離には限界があった。
ノルンが尋ねたのは、セレンの身に宿っている神力の操作にも慣れたかどうかということだ。たとえ海魔法でなくとも、神力ならば自由に飛翔することができる。
けれどセレンはノルンの問いに答えず、その場でふわりと浮き上がって足を人魚族の尾びれに変化させた。
それをひと目見てノルンはうなずいた。
――ジュンとの結びつきが強くなるにつれ、私との結びつきも強くなっている。
ジュンでさえ気がついていないことだけれど、魔法神の加護を持つノルンが見たところ、逆にみんなの魔力やサクラの妖力、シエラの竜の力が逆にジュンや自分に流れ込んでくる時があった。
そう。魂の絆によって、それぞれの力が循環し、その都度増幅しているのだった。
ともあれセレンが飛べるということは、彼女の存在自体がより神性に寄っているということに他ならない。
ノルンの肩にとまっていたフェリシアが、一足先に飛び立った。
すぐにノルンが、
「行くわよ」「オッケー。親友」
2人はベリアスのいる方向にむかって、空に飛び出した。空を翔る2人のそのすぐ横をフェリシアが飛ぶ。
その尾や広げた翼の先から赤い光が、妖精の鱗粉のようにキラキラとこぼれていた。
こうして2人と1羽は、時おり落ちてくる火のついた枝を躱しながらグングンと速度を上げていく。
途中で世界樹の結界を突き抜けると、一気に戦場の空気に変わった。
(マスター。あそこです!)
気配感知をしていたフェリシアの念話で、示された方向を見ると、金斗雲に乗った猿猴王ゴクウが空を縦横無尽に飛び回りながら、地上にいる何かに攻撃を加えていた。
魔力の高まり。そして、瘴気が大地から流れ込んでいる戦場の一画。激しい戦闘音が響いている。ちょうど森から草原に切り替わるところだ。
上空に到着すると、眼下には、獣王ライオネルが率いる獣人とエルフの連合軍と、ウルクンツルやアークで見た漆黒の騎士が戦っていた。
そして、その中央では、ライオネルとゴクウが天災ベリアスと戦っていた。
「この気配……」
ノルンは、前よりもベリアスの力を強く感じた。けれど、それは自分たちも同じこと。かつて戦った時よりも強くなっている。
ノルンは身体の奥より聖石の力を強く引き出した。
もはや自在になりつつある神力を、魔力を練るようにさらに圧縮し体内に廻らせる。その背中に光り輝く翼が現れた。
地上でライオネルとゴクウをあしらっていたベリアスが、ノルンの神力を感じて空を見上げた。そこには光翼を広げたノルンとセレンが浮かんでいる。
ようやく到着したか。
ベリアスは嗤い、目の前のライオネルを強めに殴った。受け止めたものの、堪えきれずに吹き飛ばされるライオネルであったが、ネコ科の獣人らしく空中で姿勢を正して着地した。
それでも威力を殺しきれずに地面を3メートルほどえぐり、ようやく止まる。
ベリアスとノルンの目が合った。その直後、ノルンの魔法が降り注いだ。
「セイクリッド・アローレイン」
神力の矢が雨のようにベリアスや黒騎士たちに降りかかった。
ベリアスは軽い手慣らしといった様子で黒いオーラを吹き出して障壁としたものの、黒騎士たちは避けることもできずに、まともに魔法を受け、その身を瘴気に変えていった。
その魔法攻撃と同時に、ライオネルやゴクウたち獣人の身体がぼうっと光り、負傷した身体のキズがスーッと癒えていく。
ノルンが二重詠唱で範囲回復魔法を放っていたのだ。
さらに地上すれすれまで降下したセレンが、海の幻影とともに手にした銛を投擲した。
「ネプチューン・ストライク!」
海流をまとわせて一直線に飛んでいく銛を見たベリアスは、両手をクロスして受け止めた。
しかし、ノルンの魔法を防いだ障壁すら貫いたセレンの一撃である。その勢いを殺せずに身体が後ずさっていくが、その顔は心底楽しそうに笑っていた。
2人の魔法の威力に、挫けかけていた獣人たちに勇気が戻る。
ライオネルが剣を掲げた。
「一斉に放て!」
その指示に、獣人たちからは矢が、エルフたちからは一斉に攻撃魔法がベリアスに放たれる。しかし、ベリアスは身体に闘気をまとわせ、ふんっと腹に力を入れた。
押し寄せる矢と魔法を見て、
「はっ」
と正拳突きを放ち、その闘気を解放した。
その拳から衝撃波が広がり、矢も魔法もかき消されてしまった。
ゴクウが「化け物め」とつぶやく。もはや自分たちの攻撃はベリアスには通用しない。それがまざまざと思い知らされてしまう。
拳を振り抜いたベリアスはそのままの姿勢で、「――封印解除」とつぶやいた。その途端、その全身から凄まじい勢いで神力が溢れ出し、その身をどす黒く変えていく。
それを見たノルンが驚いて、
「あれは神力……。そう。邪神とはいえ神の眷属だから」
とつぶやいた。
奇しくもゴルダンの封印解除を見たジュンと同じことを思う。
しかし、彼らにはさらに真の姿もあるはず。この戦いは、予想したとおり厳しいものになるだろう。
瞬間、ベリアスの姿が消えた。
「ノルン!」
セレンの叫び声と同時だった。強烈な衝撃がノルンを襲う。気がついた時にはすでに地面に叩きつけられていた。
目の前で戦闘時は常に張っている魔法障壁にヒビが入って壊れる寸前となっている。その向こうで、ベリアスが空に浮かんでいた。
……そうか、やられたのか。
ノルンは身体を確認した。手足は動く。魔力操作も平気。他にも異常はない。どうやら障壁がギリギリ防いでくれたみたいだ。
ベリアスは追撃をするでもなく、空に浮かんだままで腕を組み、ノルンを見下ろしていた。
(ノルン、大丈夫?)
セレンから念話が飛んできた。(大丈夫よ。……今度はこっちから行くわ)(わかった。こっちは合わせるから)
立ち上がったノルンはハルバードを真っ直ぐ構える。
イメージは鎖。神力を持ちて、幾重にも相手を縛り封じ込む。今はまだ自分の持つ神力では、天災を倒せない。けれども動きを封じることならできるはず――。
「かの身を縛るは光の鎖。いかに神とて遁れることあたわず。神威縛鎖」
ノルンのオリジナル神力魔法。ベリアスの周囲の空間から幾つもの輝く鎖が飛び出した。
普段は無詠唱のノルンが珍しく唱えた呪文のごとく、たとえ神属性の敵であろうと、ひとたび絡め取ればその身を縛る鎖となる。
その出現は予測不能。数も予測不能。封縛の概念の込められた神力魔法の結界陣ともいえる。
しかし、驚くべきことにベリアスはその神出鬼没の鎖をかわしつづける。その姿はまさに舞い踊るかのようだった。
「はあぁぁぁぁ」
さらに神力を込めるノルン。その力の高まりとともに、現れる鎖の数も速度も増していった。
突然、ふっとベリアスの姿が消えた。
瞬時に防護障壁を張るノルン。その背後にベリアスが現れた。
「ふん。バラバラに分かれたお前たちなど、恐れるにたりん!」
その拳に黒い神力が濃密に込められている。あたかも闇そのもののようにどこまでも黒く深い神力。
ノルンは結界に全力を込めた。
ベリアスの拳が結界を撃つ。バリバリと拮抗し合う結界と拳。光と闇がほとばしり、どちらも一歩も譲らない。
そこへセレンが援護しようと魔力でつくり出した銛をかまえ、そこに精霊珠の力を流し込もうとした。
何かに気がついたノルンが叫ぶ。
「ダメ! セレン! 逃げて!」
次の瞬間、ノルンの結界を破ろうとしていたベリアスが、なぜかセレンの背後に現れた。すでに拳を構えている。
振り向いたセレンには周囲の時間の流れがゆっくりとなったように感じられた。音も無くなっていく。
ベリアスの拳が迫る。黒い光が、瘴気が目の前に――。
思わず目をつぶりそうになったセレンだったが、何かに突き飛ばされた。
途端に、時間の流れが元通りとなり、獣人たちの叫び声が聞こえた。
「獅子王!」
地面に転がったセレンが顔を上げると、そこにはベリアスの拳に腹を貫かれた獅子王ライオネルの姿があった。
セレンを突き飛ばしたのはライオネルだったのだ。
叫びそうになるセレン。しかし、ライオネルはベリアスの腕を放さぬとばかりにつかみ、汗を流しながらも獰猛にわらった。
「お前も、これで最後だ!」
ベリアスの足元に梵字が浮かび上がった。そこから灼熱色の鎖、不動明王の鎖が伸びてベリアスの身体を縛る。妖怪でもある猿猴王による異界の真言だった。異なる世界の神の鎖は、たしかにベリアスお動きを止めた。
ライオネルは叫んだ。
「やれ! 猿猴王!」
次の瞬間、ベリアスの胸もとから如意棒が突き出た。その背後には猿猴王ゴクウの姿がある。
ベリアスがゆっくりと振り向くと、背中越しに睨みつけるゴクウと目が合った。
さらにそこへ最後の力を振りしぼったライオネルが、爪を伸ばした手を振り下ろした。視線を逸らしたままのベリアスの身体に、その爪撃が深く刻まれる。
ベリアスとライオネルの目が合った。「俺たちの……勝ちだ」
そう言って崩れ落ちたライオネル。その身が光に包まれ、そのまま天に昇っていった。
静かになる戦場。ベリアスはうつむいた。
「……くく。くくくくく」
小さな笑い声が聞こえる。ベリアスの肩が震えていた。
顔をガバッと上げたベリアスが心底楽しそうに笑う。
「すばらしい! これが勇者王と称された獅子王の最後か」
如意棒に貫かれながらも笑うベリアスに、ゴクウは眼をいからせる。
「かの者の最後に敬意を表そう。――我が真の姿を見よ。そして、怖れおののき、絶望するがいい。今こそ終焉の時来たれりと」
そう言うと、ベリアスの身体に火がついた。その身体に突き刺さっていた如意棒が何の抵抗もなくスルっと抜ける。あわててゴクウは距離を取った。
燃えさかる火に包まれたベリアスであったが、その火がどんどんと大きくなっていく。誰もが見上げるような大きさになり、小山ほどの大きさにふくれ上がる。
やがてその炎がまっすぐ空に向かって伸びていき、巨大な人型となっていった。
「あれは――」
見上げたノルンがつぶやく。「炎の巨人。終末を告げる破壊の使者……」
それはナビゲーションで読めたベリアスの正体であった。