5.昭和4年 夏樹二等卒、基本教練

2019年4月25日

 早や3ヶ月が過ぎキツかった基本教練にも少し慣れてきた頃、第1回目の検閲があった。いわゆる期末テストって奴だ。
 検閲するのは連隊長殿直々なので、班長殿もどこか緊張しているように見えた。

 フル装備の軍装をきちんと身につけられているかのチェック、そして、38式歩兵銃の整備がきちんと行われているかの兵器検閲。
 さらに号令に合わせて、「右向けぇ、右」や行進の集団行動徒手教練サンパチ歩兵銃を持っての「になつつ」「着剣つけけん」等の執銃教練。そして、最後には射撃訓練だ。

 まあ結果的にいえば、大きな問題もなく検閲が終わったのでよかったと思う。

 この4月の第一期検閲が終わると、いよいよ第二期の教練に入る。今までの班ごとの教練に加え、さらに応用の内容、複数の班が集まっての中隊規模での集団教練となっていく。

 欠かさず行われていた体操も、その内容が一段階グレードアップして、よりキツくなった。90分ぶっとおしで、基本と応用の体操をし続けるっていえば、その辛さがわかるだろうか。
 正直、夏場の教練は地獄だろうと思う。

 今もそう。4月中旬だというのに、もう汗だくだ。もちろん教練中だということはあるけれど、まるで季節を1月か2月先取りしたかのように暑い。
 早足で行軍をしているが、他のみんなもすでに息を切らしはじめていた。

「もっと気合いを入れろぉ!」
 班長殿の声に「はいっ」と返事をするものの、みんなの余裕はない。けれど、そんなことはお構いなしに、
「よし! そのまま軍歌演習! 歩兵の本領ほんりょうぅ!」
と号令が下された。もちろん行軍しながらだ。
「「はいっ」」

 万朶ばんだの桜か えりの色ぉ
 花は吉野に 嵐吹く
 大和男子やまとおのこと 生まれなば
 散兵線さんぺいせんの 花と散れぇ

 尺余しゃくよつつは 武器ならずぅ
 寸余すんよつるぎ 何かせん
 知らずやここに 二千年
 きたえ鍛えし 大和魂やまとだま


 青い空に、行軍をしながら歌う俺たちの声が、広がって行く。
 まるで運動部みたいだが、ここで班長殿からさらに号令が出た。

「よし! 駆け足ぃ、進め!」
「「はいっ」」

 まじか。ここで駆け足に移行するのか。

 そんな思いをいだきながらも、前の長沢に遅れないように付いていく。リズムよく走る俺たちの靴が、ザッザッザッと音を立てている。
 みるみるうちに、みんなの息が荒くなっていった。

「歌はどうした! 五番!」
「「はいっ」」
「声を張れぃ!」
「「はいッ」」

 おかしいな。今日の班長殿はやけにノリノリだ。何が彼をそうさせたのか。
 班長殿のかつに、みんな破れかぶれのように声を張り上げた。目の前の長沢が肩で息をしながら、必死で口を大きく開けている。
 リズムだよ。リズム。上手く歩く速度と歌を合わせないと、最後まで保たないぞ。

 敵地に一歩ぉ 我れめば
 軍の主兵は ここにありぃ
 最後のけつは 我が任務
 騎兵・砲兵 協同ちからせよ

 アルプス山を 踏破とうはせしぃ
 歴史は古くぅ 雪白し
 奉天戦ほうてんせんの 活動はぁ
 日本にっぽん歩兵の すいと知れぇ

 ああ、隣の晋一郎君もアゴを前に出して……。完全にスタミナ切れだ。段々と歌声よりも、ゼーハーゼーハーという荒い息の音が大きくなっていく。
 俺も息を整えながら、何とかリズムを取っている。
 しかし、班長殿には歌を止めるつもりはなさそうだ。俺たちが息切れしてようとお構いなしらしい。

「よぉし、八番!」
「「はいっ」ぃ」

 退しりぞ戦術ことわ われ知らず
 みよや歩兵の 操典そうてん
 前進前進 また前進
 肉弾とどく 所まで

 我が一軍の 勝敗は
 突喊とっかん最後の 数分時
 歩兵の威力は ここなるぞ
 花散れいさめ 時は今

 ああ。もう歌っているのは俺のほか、2、3人だけのようだ。
 行進も、普段なら終わる距離を歩いたと思うんだが。

「最後!」

 歩兵の本領 ここにあり
 ああいさましの 我が兵科へいか
 会心えしんの友よ いざさらば
 ともに励まん わが任務

「全体、止まれ!」
「はいっ」

 号令で一斉に止まったはいいが、何人もがその場で崩れ落ちそうになる。思わず屈んで息を整えている奴もいた。
 班長殿はため息をついて、
「貴様ら、明日から毎日歌わせるぞ! 覚悟しておけ!」
「「はいっ」」
「……小休止とする」
「「はいぃ」」
 途端に、みんな地面に倒れ込んだ。
 情けない声が上がったが、珍しく班長殿は怒らずに苦笑いをしている。

 俺もその場でしゃがみ込んだ。折良く、汗ばんだ肌に心地よい風が通り抜けていった。汗で張り付いていた襦袢じゅばんが冷やされていく。

 ふう。
 ――俺の体力もまた、見た目年齢と同じく調整をすることができる。
 だが、人の中で暮らす関係上、余程のことが無い限りは人並みよりやや上くらいにしていた。
 ……俺も体力切れは辛いからな。今も最後まで歌ったが、これくらいなら変に目立つこともないだろう。

 どこもかしこも荒い息が聞こえる中、班長殿は俺たちの前にやってきた。
「貴様ら、そのままでよく聞け」
 その声に地面に仰向けに倒れていた奴らが身体を起こす。だらしなく足を投げ出しているけれど、顔だけは班長殿の方を向いている。

 班長殿は、神妙な顔つきで、俺たちを見回した。
 いつもと違う雰囲気に、これから一体なんの話をするのか気になった。

「歌に奉天戦とあったのがわかったか?
 ……いいか。我が連隊はかの旅順りょじゅん要塞の攻略、そして奉天ほうてん大会戦に参与している。悪戦苦闘、獅子奮迅ししふんじんの働きをなし、軍司令官より10通もの感状賞状を授与せられた。これは! 百有余ゆうよの連隊中、一、二を争っているのである! ――まさに我が連隊こそ、日本にっぽん歩兵のすいと知れ!」
「「はい!」」

 どこか誇りに満ちた班長殿の言葉は、不思議と誰の胸にもじぃんと響きわたったようだ。
 そっか。連隊の歴史は、そのまま所属する将兵の誇りでもある。それを伝えたかったんだろう。
 ……まあ、冷めた目で見ればこれも人心掌握術の一つになるんだろうけど、それでもみんなの顔つきが少し違って見える。目標や誇りがあれば、辛い教練も耐えられるのなら、それでもいいのかなとも思った。


 さて他に教練中のことを語るとしたら使役のことだろうか。

 第一期の教練を終えたので、俺たちにもさまざまな雑務が与えられた。これを使役といい、連隊の銃工場や靴工場なんかに当番としてあてがわれる。そして、俺の当番はうまやだった。
 週番勤務の上等卒の指示のもと馬の世話をする係で、他の当番よりも俺にピッタリだと思う。
 なにしろ動物は本能的に俺の正体を感じるらしく、危害を加えることもないし、基本的に言うことを聞いてくれるから。

 その中の一匹「松山号」を厩舎の外に出し、杭につないで藁束わらたばでマッサージを行っていると、後ろから、
「こうしてみると、普通の馬なんだがなぁ」
と声がした。
 振り返ってみると、週番勤務きんむ上等卒の高杉殿だった。使役中なので軽く頭を下げて敬礼に替える。

 高杉上等卒殿は俺の手さばきを見て、
「こいつな、別の奴だと言うことを聞かないんだよ。2日前も、別の奴がブラッシングしていたんだが、急にまれて大けがをしたんだ。……まあ骨は大丈夫だったから良かったものの。もっと前にはられた奴もいたし。まいったよ」
とグチグチと言っている。

 ああ、それはかなり危険だ。
 力が強いから、指など折ったら銃も使えなくなる。この強靱きょうじんな脚で蹴られようものなら、下手したら死んでしまうだろう。

 ――おい。お前。暴れちゃ駄目だろうが。

 馬の目を見ながらそう念じると、まるで意味がわかったように下を向いて、どこか気まずそうにしている。
 馬なんだが、まるで人間を相手にしているようだ。

「馬も相性がありますし、好みもあります。このマッサージ1つとっても嫌がる所もありますし、気持ちよさそうにする所もあります」
「そうかもしれないが、こうして見ていると、こいつは人の好みもありそうだな」
「こいつも生きていますから、それもあるかと」

 高杉上等卒殿が松山号に近づこうとしたが、途端に反応して頭を上げたので、あわてて足を止めた。

「ほら。俺が近づくと、これだよ。……こいつ、おまえが好きなんじゃないか」
「自分にはわかりかねますが」

 他の使役と違い、馬の世話は独特の苦労がある。
 そんなこともあって、高杉上等卒殿は使役中はそこまで厳しい上官ではない。勤務兵の間でもこんなふうに会話をすることがあった。

「夏樹二等卒は、仕事はやはり馬関係なのか?」
「いえ。三井物産に勤めてました」
「商業じゃないか。それでいて馬に好かれるとは驚きだ」

 なにしろ馬には紀元前1660年から乗ってましたから。もちろん、そんなことは言えないけれどね。

 マッサージを終え、水を入れた桶を馬の前に置く。さてと、蹄鉄ていてつを洗うのは前脚からにするかな。
「ほれ。まずは右だ」
 声を掛けると、松山号が温和しく右足を持ち上げて、洗いやすいように曲げてくれた。

 水でひづめ全体をさっと濡らし、その後、ブラシで丁寧に洗ってやる。終わったら綺麗に水分を拭き取って、油を塗る。こうすれば蹄鉄が長持ちするんだ。

 今日は暇なのか、高杉上等卒殿はまだ俺の作業を見ている。
「お前は輜重兵しちょうへいの方が向いていたかもな。……でも甲種合格で輜重兵じゃ、格好つかないしなぁ」

 輜重兵は、いわば食料や弾丸などの物資を運搬する兵隊だ。物資補給を兵站というけれど、実は軽視されてて、あんなの兵隊じゃないみたいな陰口を叩かれてるんだよね。
 輜重兵がいなければ戦えない。本当はものすごく重要なのに、裏方は軽視されてしまうのだろうか。
 もちろん俺はその重要性を知っているから、馬鹿になんてしない。ああ、でも輜重兵だと兵役期間も短かったのかな……。ならそっちでも良かったかなぁ。

 そんな事を考えていたのがいけなかったのか。いきなり松山号が俺の服をくわえて引っ張った。
「おわっ」
 バランスを崩して転びそうになると、高杉上等卒殿が笑い出した。「はっはっはっ」
 何事かと思ったのだろう。周りの当番からの視線を感じる。

 フンッと鼻を鳴らす松山号の首筋を撫でてやり、
「悪かったって、離してくれ」
と言うと、素直に解放してくれた。それはいいが、よだれが服にべっとりとついてしまっている。
「まったくしょうがないなぁ」
と愚痴をいいながら、左脚の蹄鉄に水を掛けた。

「こいつが、いたずらするのを初めて見たよ。やっぱり気に入られているな」
「そうですか。結構、気の良い奴ですがね」

 シュッシュッシュッとブラシを掛け、水で流してから布で拭く。手順は一緒だ。
 後ろ脚に行こうと立ち上がると、不意に松山号と目が合った。

「はいはい。次は後ろだ」
 そう言って背中をポンと軽く叩いてやった。
 高杉上等卒殿が、
「これからもこいつを頼むぞ」
と言うので、少し畏まって
「はいっ」
と答える。高杉上等卒殿は満足そうにうなずくと、別の馬の所に向かって歩いて行った。

 まあ、こんな調子で厩当番を勤務していたわけで、気がつくと担当する馬はなぜか自然と気性が荒いと言われている馬ばかりとなってしまった。……解せぬ。
 解せぬが理由を聞くと、「お前がやると温和おとなしい」とかなんとか。

 たしかに俺が教練で来られないとき、別の奴に対しては最初から機嫌が悪いそうだ。いつまれるか、いつられるかビクビクしながら世話をしているらしい。

 そりゃあ、服は引っ張るし腕はハムハムされるが、それはむしろ気性が荒いというよりは甘えん坊なような気もする。

 他の使役の工場も気にはなったけど、やはり俺には厩当番が合っているのかもね。