10.昭和6年 春香、清玄寺からの手紙

2019年4月25日

 昭和6年1931の9月23日。お彼岸のお中日は明日。秋の気配が深まりつつあるころ、私は夏樹の着替えを鞄に詰めて、乗り合いバスに揺られていた。

 というのも、19日に満州の柳条溝りゅうじょうこというところで、張学良という人に日本の保有する鉄道が爆破される事件が起きた。……そう。満州事変が勃発したのだ。
 それから夏樹の部署は24時間体制の勤務となってしまって、社員が交替で休憩を取っているらしい。それで夏樹の着替えを届けに向かっているというわけ。

 また一つ、戦争の足音が近づいてくる。

 憂うつな私の気持ちとは対照的に、近所の人たちは一大快挙だと盛り上がっていた。何しろその爆破事件からわずか4日間で、日本の関東軍が南満州の主要都市を占領してしまったのだから。

 今年の1月の帝国議会で、松岡洋右氏が幣原外務大臣を批判した際に、
満蒙まんもう問題は、私はこれは我国の存亡にかかる問題である、我国の生命線であると考へてる」
といった言葉が、一種の標語のように流行となったことも関係しているだろう。


 ブロロロと、バスの音と振動がお尻から伝わってくる。都心に向かう路線だけあって、思いのほか多くの人が車内に乗っていた。
 後ろの方で二人のご婦人が話をしている声が聞こえてくる。

「今朝もまたちょっと揺れたけど、大丈夫だった?」
「もうびっくりしちゃって、あわてて家の外に出ちゃったよ」
「あらやだ。そこまで大きくなかったでしょう」

 実は、2日前の朝にかなり大きな地震があったのだ。二人が話しているのは、それから頻繁ひんぱんに起きている余震のことだろう。
 さすがに私も最初の本震は、すぐに家の外に飛び出した。幸いに建物には大きな被害はなくて、いくつか物が落ちた程度で済んだからよかったけど。
 昨年の伊豆・箱根の地震といい今回の地震といい、日本の周辺で地震が活動期に入っているのかもしれない。
 満州事変と地震と、同じ時期に起きた二つの出来事。まったく関わり合いのないはずなのに、どこか不穏な空気を感じているのは夏樹も同じだった。

 バスが停まり新しい乗客が乗ってきた。混雑してきた車内だけれど、さきほどのご婦人たちの他に話し声は聞こえてこない。

 日本と朝鮮とは密接でありながら、複雑な歴史がある。
 日本が黒船来港から開国、近代化の道を歩んだのと同様、遅れて朝鮮にも近代化の波が押し寄せていくが、その際、日本は、欧米諸国と結んだ不平等条約を、朝鮮と互いに認める形で締結した。

 以後、それまで朝鮮の宗主国は清国だったが、日本との間で朝鮮の取り合いがはじまり、日本は朝鮮の内政に干渉していく。
 端折はしょっていうとその後、日清戦争が勃発ぼっぱつして日本が勝利したことにより、清と朝鮮との冊封さくほう関係が解消される。この時に結ばれたのが下関条約で、朝鮮は独立して大韓帝国となったのだ。

 同時に清から遼東りゃおとん半島・台湾などを割譲かつじょうしたが、これにロシア・ドイツ・フランスが介入し清への返還へんかんを要求。結局、日本はその圧力に屈してしまう。

 ヨーロッパ諸国によってアジアやアフリカの各地が租借地そしゃくちや植民地の名目で、切り取られていった時代の話だ。

 しんめつようという、清をたすけて西洋諸国を追い出そうとするスローガンのもとで、現地の人々が義和団などを結成し、活動をしたこともあった。
 ただ、この清朝末期の混乱や無政府状態が、後の歴史に大きく影響を与えてしまったことは否めないと思う。


 もともと歴史の成績はそれほど良くなかったけれど、この辺りの事情は、この前、夏樹が教えてくれた。
 その時代の頃、私たちはイギリスにいたり、スコットランドにいたりと移転を繰り返していたし、基本的に田舎に引っ込んでいたこともあって、情勢をよく知らなかったのだ。

 ロシアが凍らない港を欲して南下を目指し、日本と中国北東部の満州をめぐって対立。1904年に日露戦争へと発展していく。翌年に多大な犠牲を払いながらも日本が勝利した。
 その結果、遼東半島の一部と南満州鉄道に付随する地域を租借地として手に入れ、そこの警備を目的とした関東都督府が設置。これが後に関東軍となる。

 同じ年に日本と韓国の間で協約が結ばれ、韓国から外交を取り上げて保護国化。さらに1907年には内政も取り上げ、1910年、今から21年前、に韓国を併合し日本領朝鮮とした。

 当然、抗日こうにち運動も盛んになっていくし、清は清で、孫文によって中華民国が建国され、鎮圧のために軍隊を差しむけたところ、なんとその軍隊が寝返ったために清は滅亡してしまった。
 その後、各地で有力者が軍閥ぐんばつを形成してしまい、群雄割拠ぐんゆうかっきょのバラバラ状態となっていた。


 ――どうやらバスが日本橋の停留所に到着したようだ。ここからは歩きとなる。

 バスを降車してみると、都心部だからというわけでなく、どこか街全体がざわついているような雰囲気を感じた。
 やっぱり、満州事変が起きた影響だろうか。
 新聞の号外もくばられているし、お祭り騒ぎの一面もあるのかもしれない。

 ……さてと、それじゃあ行きますかね。
 三井物産の本社に向かって歩きながら、続きの歴史を少し説明しておこう。

 ヨーロッパでは第1次世界大戦が勃発ぼっぱつ。同時期にロシア革命が起きてソビエト政権が樹立。社会主義国家が誕生した。
 日本はイギリスと同盟を組んでいて、連合国からの要請でシベリアに出兵している。ドイツ領だった青島も攻略し、戦後、そこの権益を日本が確保できるように中国に要求と希望を突きつけている。
 世界大戦争は連合国側の勝利となり、戦後、ヴェルサイユ条約が結ばれ、国際連盟が結成された。

 中国では、蒋介石しょうかいせきの国民党、ソビエトの支援を受けている毛沢東もうたくとうの共産党、そして、中国東北部にある奉天ほうてん張作霖ちょうさくりんの三つどもえの状態となっていた。

 うち国民党と共産党が合流して南京政府を樹立、中国全土を掌握しようとした矢先、南京事件が起きた。

 私たちが帰国した昭和2年のことだ。
 共産党員が、アメリカ、イギリス、そして日本の領事館や学校、住宅を襲撃したのだ。外国人を皆殺しにしろと青竜刀を持って。

 凄惨せいさんなことに、領事婦人をはじめとする女性たちが数十人の襲撃者に輪姦されたことが、「後から」わかった。
 ……どうやら幣原しではら外務大臣が報道させなかったらしい。中には夫の目の前で陵辱りょうじょくを受けた方もいたという。
 ひどい話なんて言葉で終わらせてしまっていいのかわからないけど。これには強い憤りを感じる。

 歴史に「if」はない。だけれど、もしこの事件が起きなければ。または起きても列強諸国のみが対象であったならば。後の大いなる悲劇は回避されたのではないかと思わないでもない。
 ――いや、それをいうならもっと前の……。やめておこう。

 細かいことは省略しちゃうけど、張作霖ちょうさくりんは一時北京に入るも、蒋介石に破れて脱出。これが今から3年前のことで、その後、満州に戻る途中で乗っていた鉄道が爆破され、重傷を負って亡くなってしまう。

 爆破事件の犯人は見つかっていないけれど、その張作霖の息子が張学良という人。今回、柳条溝りゅうじょうこで南満州鉄道の線路を爆破した犯人といわれているらしい。

 お隣の高木さんは、誤解による逆恨みだろうと言っていたけれど、私のおぼろげな学生時代の記憶だと、どちらも満州に駐留していた日本の関東軍の策謀だったような気がする。

 行く手に三井物産の本社が見えてきた。
 白い花崗岩の外壁に丸柱が並んでいる。おととしの3月に竣工した新しい建物だ。何度か足を運んできているけれど、いつみても大企業の貫禄がある。

 なんでも夏樹がいうには、鉄骨で実物大の骨組みを作って破壊実験を行い、また外装の花崗岩、内装の大理石にも最新の加工を施しているらしく、耐振性と装飾美に優れた建物と言っていた。
 やっぱりすごいね。

 守衛さんに挨拶をして中に入る。高い天井のエントランスロビーを進み、受付で名前を告げると、夏樹を呼び出してくれた。

「すまんすまん。持って来てくれてありがとう」
 夏樹がそんなことを言いながらやってきた。
 軽く手を挙げて、「ううん、いいってば。はいこれ」と言ってカバンを手渡した。かわりに洗い物の入っている袋を預かる。

 すると急に夏樹が左右をちらりと見まわした。そして、私の耳元に口を寄せて小さい声で、ぼそっとささやく。

「春香が来たって連絡があってさ。松本さんが、4時間くらい空けていいから、待合まちあいでも円宿でも行ってきたらっていわれたよ」
「待合とか円宿ってなに?」
「……ラブホテル」
「ラブホテルぅ」
 あわてた夏樹が私の口を押さえる。
「ちょ、声が大きいっ」
「あ」と言って、恥ずかしさに頬がじんわりと熱くなった。

 見回すが、受付の人が微笑んでいる以外は、私たちに注意を払っている人はいなかった。
「まったく。まあ、ラブホテルなんて言葉はまだないから、大丈夫。気を利かせたつもりなんだろ」
「うん。ごめんね」

 松本さん! それで4時間も休憩したらバレバレじゃないの!

 でも、今はそんな気持ちにはなれない。どうしても。
 その理由が、これから夏樹に伝えるべき重要な報せにあった。

「夏樹。これ」
 今日届いた手紙。清玄寺せいげんじからの。
 これは、どうしてもすぐに読んでもらいたい。

恵海えかいさんからか」
「うん。すぐに読んで欲しい」
「……そうか。じゃあ、ちょっと応接室に行こう」
「え? いいの?」「ああ」

 こうして私は、夏樹の案内で応接室に一緒に入った。
 応接室といっても、それほど広くはない。きっと普段使いというか、中小企業の人と商談する際に使っている部屋なんだと思う。
 それでも大きな窓から射し込む日の光で明るい部屋だった。

 夏樹はすぐに手紙を広げて中を読みはじめた。すでにその表情にはおちゃらけた様子はない。

 ……実は私はすでに読んでいるので内容を知っている。だからこそ、どうしてもすぐに読んで欲しかったのだ。

 内容は、東北地方で冷害による大飢饉ききんとなったという連絡。そして、今年の小作料を減免して欲しいとのお願いが、切々と書かれていた。
 小作料の方は問題ないが、きっと夏樹なら大飢饉の方を問題視するだろう。

 実をいえば、夏樹は三井物産に勤めている関係で、8月くらいにはある程度の予測をしていたようだった。
 春先から気温が上がらず冷害となり、稲熱病いもちとかいう稲の病気が広まっていると言っていたから。

 ただどことなく、ビジネスとしての感覚でいたことは否定できない。私もまさかそれが清玄寺に関わってくるとは思ってもいなかった。

 東京でさえ、不況から抜け出す気配がない。この前なんか「血を売る新商売」なんて記事が新聞に出ていた。
 大都会でさえそうなんだから、農村はなおさらひどい状況だろう。

「米の収穫高が例年のおよそ1割減とは把握はあくしていたが……。稲も実がならずに籾殻もみがらだけのスカスカ。生糸も駄目、ほかの農作物も下落。
 どこの家も軒並み多額の借金を増やしていて、不況で出稼でかせぎ先もないから返済の見込みがない。
 食べ物もなくワラビの根を掘ったり、5人の子供を抱えながら木の実や草の葉を入れた水のように薄いひえのかゆを食べている」

 つぶやく夏樹の手が震えた。「――俺は。俺はいったい何をしていたんだ!」

 ダンっとテーブルに拳が振り下ろされた。手紙がテーブルの上に広がる。緊迫した空気の中で、夏樹の深い悲しみと怒りが伝わってくる。

「数字でだけしか見ていなかった。その数字の先には、そこで生きている人たちがいるってのに!」
「夏樹っ」

 感情を高ぶらせてうめく夏樹。
 でもね。それは貴方のせいじゃないのよ。たとえ、今ここに貴方がいなかったとしても、飢饉は起きていたはずなんだから。

 その拳の上に手を載せる。
「駄目よ。自分のせいにしちゃ」
「……春香。栃木や福島だけじゃないんだ。もっと北の青森や北海道なんかは、例年の5割しか収穫できていないんだよ。それにすでに女の子の身売りを斡旋あっせんする業者が入り込んでいるらしい――」

 ぎゅっと夏樹の手を強く握る。
「夏樹。落ちついて、ね」

 かといって、私たちにできることなんて、そんなにない。
 東北6県、北海道の人々を救うなんて、規模が大きすぎる歴史の改変は許されていないこと。
 できるのは見届けることと、精々が自分たちの手の届くごく狭い範囲だけよ。

 夏樹が私の目を見つめ返している。やがて1つうなずいた。
「春香……。そうか。そうだな。それなら、このお願いにOKってことでいいか?」
「それでいいよ。最初からそのつもりだったし」
「わかった。じゃあ、うちで身売りされそうな女の子を引き取ろう。……それと清玄寺に食料と資金の援助をして、向こうでも引き取れるように手配をする。俺たちの資産から出すよ」
「うん。それでいい。……場合によっては、いくつか集めた物とか売っても良いよ」
「そこまでじゃないさ。幸いに海外の銀行も東京に支店が出ているから、そっちの口座から捻出ねんしゅつしておく」
「了解」

◇◇◇◇
 恵海さんからのお願い。小作料減免げんめんとかあったけど、一番のお願いは身売りになりそうな娘さんの救済だった。

 身売りといっても、借金のかたに外に働きに行くわけで、形としては江戸時代の奉公と変わらない。
 行き先も工場で働く女工さんや子守り女中などで、必ずしも春を売ることになるのではない。
 けれど、悪質な斡旋業者周旋屋に関わったり、多額の借金の家は、娼婦しょうふなどの醜業婦しゅうぎょうふに身を落とさなければならない女の子もいた。
 初めは女工として世話すると言われて連れて行かれ、後からだまされたことがわかっても、前借り金を返済できなければ、泣き寝入りするしかないだろう。
 あちこちの村で、娘さんが略奪されるような事態が進行しているようなのだ。

 その実態を新聞各社が報道したのは、その年の11月下旬からだった。目をおおわんばかりの惨状さんじょうが、次々に新聞に載った。

 ――凶作のため、村々の花、年頃の娘さんたちは、悲しきなりわいに売られて行く。もちろん、これまでも、生活のために紡績ぼうせき女工として娘たちを都会に送り出していたが、かくも食われなくなっては、やはり前借金の高い娼妓しょうぎということになる。(『東京日日』)

 ――あわれ! 娘六百人(『北海タイムス』)

 ――長年、手塩にかけて育ててきた子女を、芸妓、酌婦しゃくふ、女給、仲居、甚だしきは遊女として身売りに出し、わずかな金に代えようとする者があり、その哀話も少なくない。(『北海タイムス』)

 ――悪質な人買いの横行(『東京日日』)

 ――青森・南部地方の凶作地で娘地獄(『時事新報』)

 ――娘四〇余人を奪い去られた後にはいったい何が残るか。(『秋田魁新報』)

 ――悲惨、愛児を売って飯米を(『河北新報』)

 ――帰っても村には飢えが待つばかり
 ……東北のある連隊で兵士に帰休を許そうとしたら、家に帰っても仕事はないし、軍事救護が打ち切られては、家族が餓死するから、このままおいてもらいたいと懇願こんがんされた(『東京日日』)

 ――身売り娘の四割が東北・北海道
 ……一年間に全国を通じて最低四万人と見られている。(『東京日日』)

 ――娘を売るのが罪悪かいなかの問題ではない。そうしなければ当面の生活が維持できないのである(『東京日日』)

 ――ついに一家離散(『東京日日』)

 ――現在二千余人の娼妓を各地に送り出し、ある村の如きは嫁入よめいざかりの乙女の姿が村から消え去ったという悲痛事(『大阪朝日』)

 ――一村の少女全部が姿を消す(『大阪朝日』)

 ――悪周旋しゅうせん業者が最近横行し、純ぼくな農村の娘さんたちを(中略)言葉巧みにあざむき、東京方面の魔くつに売り飛ばしてゐる(『東京朝日』)

 ――――。
 ――。
 なんということだろう。

 同時に欠食児童も報道され、東京では支援活動が始まった。しかし、果たしてその支援の手は、どれだけの子供たちに届くのだろうか。

 今まで世界各地を旅をしてきた。シルクロードで行き倒れた死者も見た。飢えと病気で死んだ人も。飢えて死ぬことの辛さ、やせ細ってくぼんだ眼窩がんかを見た時の恐ろしさは言葉で説明できない。
 黒死病ペストで町全体が病人だらけとなった時もある。まるで死に神に支配されたような時代もあった。まさに今、東北が同じような状態となっているのではないだろうか。

 それなのに東京では満州の快進撃を喜び、人々が熱狂している。
 ……実は、満州事変によって景気が回復してきていたのだ。軍需ぐんじゅ景気。明と暗に分かれた東北と東京。
 この世の中はいびつだ。色んなニュースが私の中でせめぎ合い、混ざり合っている。

 結局、あの後のやり取りで、村から5人の娘が危うく醜業婦しゅうぎょうふに身売りされるところだったけど、清玄寺で4人、私たちの家で1人を引き受けることになった。