28.昭和17年10月 エナンジョンでの再会

2019年4月25日

 シンガポールを出港した船は、途中で2機の敵機と遭遇したものの銃撃を受けることなく、無事にビルマのラングーンに到着した。

 ビルマでは今年の5月に掃討作戦を終え、英国軍を一掃していた。俺たちの追及すべき弓の輜重兵しちょうへい第33連隊は、その後、イラワジ川のそばにあるエナンジョンに駐留しているらしい。

 インドシナ半島には3つの大河がある。メコン、チャオプラヤーメナム、そしてイラワジと。その一番西にあるのがイラワジ川だ。

 俺たちはラングーンから鉄道で、同じくイラワジ河畔にあるプロームの町にむかった。
 最初はそこから船で河を上るのかと思ったんだが、プロームにも大きな物資集積所があって、そこまで連隊の自動車中隊が迎えに来てくれていた。
 すぐにそのトラックに分乗した俺たちは、イラワジ川に沿うように、舗装ほそうされた道を北上してエナンジョンを目指した。

 乾期になったとはいえ、まだひと月経ったばかり。イラワジ川の水量も多く水も濁っていた。
 気温は11月なのに30度を超えている。
 内地では考えられない暑さだが、中南米を旅したときのことを思い出させる空気に、どこか懐かしさを感じる。

 車から見るビルマの人々は、インド人がするような腰巻きをしていた。あれはロンジと呼ばれる腰巻きらしく、男は茶色系、女は赤や緑のものが多いようだ。
 見かけた時は暑かった時間だったからだろうか、井戸の周りに集まって水浴びをしていた。
 袖の付いた白の上着に、素足だったりサンダルのようなものを履いている。日に焼けてはいるけれど、中国の人より日本人に近い容貌ようぼうをしていると思う。

 ……今までにシルクロードは陸も海も幾度となく通ったことがあるが、実はビルマには立ち寄ったことがなかった。そのせいもあって、こんな時だというのに見るものすべてが新鮮だった。

 名前も知らない村で小休止をすると、年頃の娘さんが頭にカゴを載せて、果物を売りにトラックの近くまでやってきた。こういうところはコカインの宿舎と同じだね。

 みんな喜んで買っていたが、その一番の理由は、娘さんの笑顔に彼らがデレデレしてたことから推測してもらえると思う。

 途中で、真新しい石碑の前でトラックが一度止まった。
 なんでも英印軍の死者のために住民と師団とで建てた石碑らしい。表面には「英印軍無名戦士の墓」と書いてあった。きっとこの辺りでも激戦が繰り広げられたのだろう。

 相手はイギリス軍だ。
 誰にも言わないけれど、そのことが重く心にのしかかっている。

 ……日本に帰国する前に暮らしていた場所。
 もっと旅をさかのぼれば更に色んな思い出もあるが、正直、彼らと戦うとなると複雑な気持ちになってしまう。非国民だとかスパイだとか言われてしまうかもしれないけど。

 次第に道の右側が荒涼とした風景となり、やがて砂漠に変わっていった。
 エナンジョンの東には砂漠があって、石油採掘のための鉄塔が幾つも建ち並んでいるという。きっともうすぐ到着するのだろう。
 次第に砂漠の中に、貯油タンクや地面を走っている幾つものパイプが見えてきた。

 ようやく見えてきた宿営地ではバラックの建物が立ち並んでいた。俺たちを乗せたトラックがその宿営地に次々に入っていく。

 あらかじめ連絡を受けていたのだろう。
 到着するやいなや、宿営地の真ん中にある広場に整列を命じられた。

 姿を現した第33師団の師団長以下、各連隊長たちと対面をし、その場で桜井省三師団長殿の訓示を頂戴する。終わるやすぐに、それぞれが所属の連隊や部隊長のもとへと分散した。
 ここまで一緒に来た彼らとも、ここでバラバラとなる。

輜重兵しちょうへい充員17名。ただ今到着いたしました!」
「うむ」
 輜重兵連隊の丸い眼鏡をした連隊長殿は陳田ちんだ百三郎中佐という。ややほっそりとした方だ。

「よくぞ追及してきた。昨今では英印軍の反撃のきざしがうかがわれている。

 諸君も知っているように、我らは輜重兵である。
 歩兵や砲兵たちは前線へ進んでいくが、我らはその前線と補給基地を幾度も往復しなければならない。その移動距離は他の兵科の倍にもなるであろう。

 しかし、いかなる悪路も峻厳しゅんげんなる山々も踏み越えて、銃弾を、食糧を前線に届けることこそ我らが使命である。
 ぜひ誇りをもって事に当たって欲しい。――以上」

「はいっ」

 うん。いい訓示だ。

 そういえば今回の召集で久しぶりに兵営に入ったわけだが、歩兵であったときと雰囲気があまりにも違うので戸惑ったことがあった。
 最初は兵科が変わったせいかと思ったんだが、増田たちと話をしていて、それよりも世代の違いが大きいんじゃないかと結論した。
 あいつらも雰囲気の違いは感じていたらしい。

 今の第一線の世代は小学校5年生の時に満州事変、その後、世界恐慌と凶作を経験して、昭和維新の嵐のころに思春期を過ごしてきているわけだ。

 外国にいた俺はもちろんのこと、俺の世代に比べても、今の若い人たちは軍隊に対する強い誇りを持っている。
 その背景には、彼らが過ごしてきた時代があるんだろう。

 結果として、将校は言わずもがなだが、我々軍隊は天皇陛下を大元帥だいげんすいとする直下組織であるという誇りと、自分たちが世界を変え、日本を列強諸国に負けない国にするんだという強い使命感を持っているようだ。

 むしろ俺が以前入営したころは軍縮の時期で、よくある時代の移行期変わり目であったんだろう。そんな俺の目には、若い彼らの純粋さがまぶしくも、危うくも見えた。

 前に輜重兵連隊の内訳を説明したのを覚えているだろうか。
 輜重兵第33連隊は、連隊本部のほかに4つの小隊があり、第1と第2中隊が輓馬ばんば小隊、第3と第4が自動車中隊だ。
 俺と増田はそのうちの第2中隊の輓馬ばんば部隊、そして、石田は第3の自動車中隊に充員となった。

 これは輜重兵の話ではないが、第33師団には第213,214、215と3つの歩兵連隊がある。
 第213歩兵連隊が、温井連隊長ひきいる水戸編成の茨城部隊。
 第214歩兵連隊が、作間連隊長率いる宇都宮編成の栃木部隊。
 第215歩兵連隊が、笹原連隊長率いる高崎編成の群馬部隊。

 第33師団自体はもとは会津若松で編成され、白虎隊にあやかって白虎部隊を名乗っているとか。
 うち香織ちゃんの夫、秀雄くんが所属しているのが作間連隊長の第214連隊だった。同じ師団内だ。そのうち会えるだろう。

 ともあれ、次の日から早速、厩舎きゅうしゃで馬の世話をする日々が始まった。
 聞くところによると、近くの谷間には化石がゴロゴロと転がっているというので、休日はそちらも見てみたい。

◇◇◇◇
 11月に入り、第33師団は南方軍からの命令により、主力をずっと東方にあるシャン高原のタウンギーに移すことになった。
 しかしそれはあくまで主力部隊の話。俺たち輓馬ばんば部隊はここに残留となっている。

 命令が伝達された日の夕方、主力部隊が持っていく物資を倉庫でチェックしていると、秀雄くんが会いに来てくれた。
 分隊長の樺井かばい軍曹殿に許可を得て作業から外させてもらい、2人で倉庫の脇にしゃがみ込んだ。

 入営してから即時召集となり、それっきりになっていた秀雄くんだが、日本を遠く離れたビルマの地で再会した時には上等兵になっていた。
 いくつもの戦場を乗り越えたのだろう。体つきは以前より若干細くなったように見えるが、その相貌そうぼうといい、目つきといい、一種独特の迫力ある雰囲気を秘めている。

「支那、ビルマと連戦連戦で心配していたけど、無事で良かったよ」
「ははは。何度か病気で病院送りにはなりましたけどね。幸いにも弾丸に当たったことはないですよ」
「それは何よりだ」

 秀雄くんが煙草を取り出した。一本どうぞと差し出してくるが、それは断った。
「悪いな。俺は吸わないんだ」
「そうですか」
 気にしていない様子でタバコを一本取り出すと、そのまま火を点けて口にくわえている。

 目の前にはビルマの空が広がっていた。雲がきれいなピンクに染まっている。そろそろ日没の時間だ。
 顔の前を飛ぶハエを手で追い払う。

「香織は……、元気でしたか? 和雄は」
「俺が出る時は元気だったよ。和くんもこれくらいになったかな」
 手でおおよその身長を示してやると、秀雄くんは目を細めて、
「そうですか」
 その口からフーと煙を吐いた。

 日に焼けた顔が汗でテカっている。遠く記憶を探っているような横顔。
 いつ再会できるのか? いつ帰れるのかとは言わないし、言えない。いつまで戦争が続くのかも、彼にはわからないのだから。

「夏樹さんも、その歳でここまで来るとはねぇ」
「ははは。おっさん部隊も出陣ってわけだ。自分でも驚いているよ」
 苦笑いをした秀雄くんが、吸い終わった煙草を落として足で踏んづける。

「いいか。秀雄くん」
「はい?」
「絶対に死ぬな。生き延びるんだぞ」
「大丈夫ですって。タウンギーじゃ戦闘にはなりませんよ」
「それはそうだが……」
「でも、言いたいことはわかります。俺も、香織やかずのところに帰るまで死ねません」
 そう言う秀雄くんは拳をギュッと握り、開いては手のひらを眺めた。

「夏樹さんも奥さん残して心配じゃないですか」
 俺はどかっと腰を下ろし、建物にもたれかかって片膝を立てた。

「そりゃあ心配さ。俺らには子供もいないし、あいつ一人になっちまうから」
「清玄寺があるじゃないですか」
「まあ、そうだが、家族ではないからねぇ……」

「――俺は今でも思う時がありますよ」
「うん?」
「せめて徴兵ちょうへい検査が終わって、除隊するまで結婚はするべきじゃなかったんではって」
「いきなり何を言い出すんだい」
「でも、戦友が死ぬ度に俺も心配にはなりますよ」

 そうか。中国で、ビルマで、長い間戦い抜いてきた秀雄くんだ。戦友の死も多く見てきているんだろう。
 でもね。君の奥さんの香織ちゃんは、そうは思っていないだろう。

「秀雄くん」
「なんですか?」
 こっちを見る秀雄くんの目をじっと見つめる。
「考えすぎない方がいいぞ。香織ちゃんは後悔なんてしていないと思うよ。……結婚をしたことも、君と出会ったことも」
「――そうですか」
「それに。そう思うんなら、ちゃんと生きて帰って、抱きしめてやれば良いさ」
「ははは。それもそうですね」

 秀雄くんが立ち上がった。
 お尻を払って、その手を挙げて身体を伸ばしている。じいっと遠くの夕陽を見ていた。夕焼けの茜色が、彼の横顔を照らしていた。
 俺も立ち上がって並んで夕陽を見上げた。

 遠くアラカン山系の稜線りょうせんに、ゆっくりと太陽が沈んでいく。灼熱しゃくねつ色の太陽の周りでは、空が濃い赤から温かい夕陽色に、そして、少しずつ色を失っていく。

 日没後の寂しげな空の色。少し気だるげな時間。……っと、いけない。俺はまだ作業中だった。

「じゃあ、気をつけてな」
「夏樹さんこそ」
 ぐっと固く握手をし、「んじゃ、作業に戻るよ」と俺は倉庫に戻ったのだった。