35.昭和19年3月 玉砕か開放か

2019年4月25日

 空からの補給を受けている敵は、無尽蔵に砲弾を打ち続け、間断なく機関銃を撃ち続け、そして、迫撃砲も、手榴弾もひっきりなしに投げてきている。

 3299高地西方の陣地に転進した第3大隊だったが、翌24日には早くも凄まじい攻撃に晒されつつ、25日の今もどうにか踏みとどまって戦い続けていた。

 俺たち輜重兵は連隊本部の位置まで下がっている。
 第3末木大隊のいる西方陣地より、さらにインパール道をはさんだ反対側の高地だ。

 東に見える山峰の向こうで、末木大隊はまだ懸命に陣地を確保している……。
 空は分厚い雲が立ちこめていた。


 神通力の天眼で戦況を見た限りでは、敵英印軍は再び3299高地を占領し、俺たちが捕まえたイギリス人とインド人の捕虜を吸収し、より大きくなっていた。
 ただし、3299高地をそのまま維持するつもりはないようで、ジープやトラックに何か細工をして動かないようにしているらしい。

 一方で、末木大隊の陣地に向かって、次々に重砲の砲弾が撃ち込まれている。

 末木大隊には、すでに弾薬は残り少ない。補給もない。けれど、将兵はまだ戦い続けている。
 陣地に侵入しようとするインド兵士を、これでもかという近くまで引き寄せて、必中弾を浴びせ、時には決死の突撃を行って、文字通り命がけで陣地を守り続けていた。

 悲壮な戦いに、見ている俺も辛い。

 午後2時30分。
 厳しい戦いはいよいよ極限を迎えようとしていた。

 陣地のあちこちが爆発し、すでに戦死した兵士の遺体が爆風に揺れる。
 銃弾を撃ち尽くした兵士が、万策尽きた中でもなお、石を投げて敵に攻撃をしていた。

 すでに生き残りは40人ほどだろうか。誰もが最後の覚悟をしているのが見ていて分かる。

 ある者は鉄帽を脱いで、日の丸を折りたたんで鉢巻きにしていた。

 ある者は、降り注ぐ銃撃から身を隠しながら、悠々とタバコに火を点けて吸っている。

 ある者は、小銃に剣を付け、ギラギラと殺気だった鬼気迫る顔でその刃を見つめている。

 ――今や待つのは最後の突撃の命令だけ。大隊の最後の時が近づいて来ていた。


 もう見ていられなくて天眼を切って、肉眼で第3大隊のある方角を見つめる。
 山間から黒い煙が細く立ち上っている場所。あそこがそうだろう。もう聞き飽きた砲撃の音と銃撃音が相も変わらず聞こえている。

 上空の不気味な雲は風にゆっくりとうごめき、生け贄が捧げられるのを今か今かと待っている。


 背後の連隊本部の天幕から、通信士の大きな声が聞こえてきた。

「大隊は、刀折れ、矢尽き、玉砕せんとす。暗号書を焼き、無線機破壊の用意をなしあり。今夜12時を期して最後の突撃を敢行し、現在地にて全員玉砕せんとす。
 連隊主力の武運長久を祈る! なお――」

 最後の突撃の無線だ。
 次々に部下の戦い様が述べられている。が、電波状況が悪いのか、ところどころが途切れがちになっているようだ。
 ブツッと切れるたびに、もう駄目かと思ったが、再び無線が繋がりどうにか報告は続いているようだ。

 本部の天幕の中の状況はわからない。だが、それからどうやら第3大隊には転進命令が出たようだ。インパール道を開放する決定が俺たちにも伝えられた。



 その翌日、開放されたインパール道を、数多のジープが、トラックが一路、インパールに向かって走っていく。

 伝え聞くところによると、笹原連隊長はまず第1大隊、第3大隊に連絡して、無断でインパール道を開放させたそうだ。
 同時に師団長宛てに、連隊も玉砕の覚悟を固めたと無線で打電したという。
 けれども幸いと言っていいかわからないが、すぐに柳田師団長から、玉砕を思いとどまりインパール道を解放して以後の進出に備えるよう命令が下りたのだった。


 俺たちの目の前を、次々に通過していく敵の長い行列。そのエンジン音が谷間に響いている。誰もがそれを涙を堪えながら見ていた。
 増田も隣でしゃがんいる。「くそっ」
 だが、今の俺たちにはこれ以上戦う力は残されていない。こうして黙って見ているしかできない。それがまた悔しい。

 散っていった人々の顔が思い浮かぶ。
 命を賭して戦ったのに。俺たちは所期の目的を達することができなかった。

 あいつらの死を、俺たちは無駄に――。

 ああ、だが。それでも俺はただの傍観者なんだ。
 なんて無力なんだろうか。

 空に広がる雲を見上げながら、俺は拳を握りしめて一人叫びたい衝動と戦っていた。