49.昭和19年8月 松守村に学童来たる
私が松守村にある自分の畑で、カボチャの受粉作業をしていると、どこか遠くから子供が歌っている声が聞こえてきた。
――とんとん とんからりと 隣組
格子を開ければ 顔なじみ
まわしてちょうだい 回覧板
知らせられたり 知らせたり
男の子の声だろう。意味はわかっていないと思うけど、幼く明るい声がかわいらしい。
とんとん とんからりと 隣組
あれこれ面倒 味噌しょう油
ご飯の炊き方 垣根ごし
教えられたり 教えたり
とんとん とんからりと 隣組
地震や雷 火事泥棒
互いに役立つ 用心棒
助けられたり 助けたり
あぜ道の向こうから、和雄くんと手を繋いだ香織ちゃんの姿が見えてきた。歌っているのは和くんのようだ。
立ち上がって、畑の中から手を振ってあげると、和くんがパッと明るい笑顔になって手を振り返してくれた。
昭和14年の12月生まれの和くんは、今4歳と半年。平成の日本でいえば幼稚園の年中さんくらいかな。いたずら盛りのころだろう。
「いらっしゃい。香織ちゃん。和くん」
「奥様。こんにちは」「こんにちは!」
元気がいい挨拶を見ていると、何かあげたくなり、隣の畑からキュウリを一本もぎ取ってきた。
腰に下げた水筒でさっと洗い流し、
「はい、これどうぞ」
と言って和くんにあげると、「やったぁ」と大喜びだ。
「これ、和。お礼は」と言われ、「ありがとう」という和くんを見ると、どうにも目尻が下がってしまう。
さて、ちょうど良いから少し休憩にしましょうか。
いつも休憩に使っている木の下に行く。あの休憩場所は、香織ちゃんが来てくれていた頃から同じだから、彼女も慣れたものだ。
ここにはお茶をするのに便利なようにと、夏樹お手製のテーブルとベンチがある。3人で並んでベンチに座り、私はテーブルの脇に置いておいたバスケットから、テラコッタのポットとコップを取り出した。
水出しハーブティーを人数分ついで、2人に渡し、私もカップに口を付けた。
「ん~。良い風が吹くねぇ」
畑を見下ろす小高い丘になっていることもあり、ここは実にいい風が吹く。
眼下にはうちの畑が広がり、その向こうには村の人たちの畑、そしてずっと向こうに横たわる山の稜線の上には青い空と白い夏の雲が浮かんでいた。
「明日ですね。……子供たちが来るのは」
そう。前から候補になっているとは聞いていたんだけど、正式に清玄寺に学童の集団疎開を受け入れて欲しいと要請があったんだよね。
村役場を通して村内の各地区長さんとも相談済みで、役場を中心とした受け入れと援助体制が整っていた。清玄寺の影響力はもちろんだが、夏樹の残してくれた伝手も大きく影響していると思う。
ちなみに荷物は2日前にはもう届いていた。
清玄寺を疎開先に選んだのは、小石川区森山第六国民学校の1グループだ。(作者註:架空の小学校)
清玄寺といえど精々が50人くらいの子供たちを受け入れるのが限界。兄弟関係を考慮しつつ、各学年が入り交じっているらしく、他のグループは他の村にあるお寺や那須野の温泉旅館の方に分かれているという。
明日は村長さんたちが、朝から黒磯の駅に迎えに行くことになっている。その間、私は清玄寺で受け入れの準備。
どんな子供たちが来るのか楽しみだよね。
そんなことを考えていると、香織ちゃんが楽しそうに、
「奥様って、なんだかうれしそうですね」
と言われてしまった。
「まあね。――私ね。子供が好きだから」
と笑いかけると、
「知ってました」
とあっさり返される。
それもそうか。この子もうちに来たときは10歳だったものね。
そんな香織ちゃんも今は子持ちの妻帯者。秀雄君はうちの夏樹と一緒に南方戦線だ。
「本当は私もお手伝いをしたかったんですけど」
「ああ……、でも気にしないで。和くんもいるし」
「すみません」
香織ちゃんはそういうけど、寮母の条件に「二年生以下の子供を持たない者」ってあるんだよね。
だから仕方ないよ。
「また忙しくなるなぁ」
そうつぶやきながら空を見上げると、夏の青空を1羽の燕がさあーっと横切っていったのだった。
◇
次の日の昼下がり。私は清玄寺の奥の厨房で大忙しだった。
さっき黒磯駅からお寺に電話があったんだ。無事に子供たちが到着したって。
電話の相手は、村役場の夏樹の元上司の川津さん。なんでも疎開児童の係になったらしい。
今日はまっすぐにお寺にやってきて、荷物の整理やガイダンスをすることになっている。そこで私たちは、初めて子供たちや先生、向こう側の寮母さんと対面する手はずになっている。
だいたい50人に先生が1人、寮母さんが2人の割合でつくらしい。
計算だと寮母さんは2人が適正だけれど、ここに来るグループ、清玄寺中隊って名前がついているらしいけど、寮母さんは私のほかに、地元女子挺身隊から西郷地区の福田安恵さん、それと東京から中村直子さんの計3人となっている。
引率の先生は青木啓三先生で50歳くらいという話だけど、どんな人だろうか。
清玄寺には本堂と庫裡の間にもう1棟あって、客殿と呼んでいる。村の集会場などに使えるようになっていて、ほら、前に香織ちゃんの披露宴をやったのは、その1階大広間だったし、控え室で使用した部屋もこの建物にある。
2階建てで、大広間が2つ、8畳が3つあって、ここに子供たちが分かれて暮らすことになる。それと別に4畳半が2つあるので、1つは先生用、もう1つは安恵さんと直子さんの部屋となるだろう。
私? 事前に言ってあるけれど、私は離れです。……実は恵海さんが手配してくれたんだけどね。あの人、私に気を使ってくれているから。
「奥様。これでいいですか?」
「安恵さん、グッジョブ!」
「ぐ、グッジョブ?」
あ、いけない。敵性語だっけ? 意味がわかっていないみたいだけど。
「それでいいから、次はそのお野菜のとりわけをお願い」
「はい!」
何をしているかというと、今日くらいはご馳走にしたいので、ちょっとお料理を奮発しているわけで、清玄寺の美子さんを交えてその準備をしているのです。
白飯にお漬物のセット、大根のお味噌汁に、メインは肉団子と夏野菜のサラダ。
人数が多いからそんなに量はないけれど、がんばってお肉を用意してみた。
先生にはお酒も一本用意してある。……ただし、今日だけね。そこまで余裕があるわけじゃないから。
「美子さん! 配膳をお願いします!」
「わかりました。御仏使様」
火の通った肉団子を、私が次々にフライパンから取り出して近くの大皿に載せていく。その肉団子を、今度は美子さんが、安恵さんがサラダを載せてくれた小皿に3つずつ入れていく。
ここの厨房は、宴会も対応可能な広さがあり、かまども3つある。1つは今、肉団子に火を通すのに使っていて、残り2つはご飯を炊いている。
何しろおよそ50人分ものご飯を炊かなきゃいけないから、これはもう体力勝負なんだ。
食材に余裕があれば、そのうちにカレーでも作ってやりたい。
かまどが足りなければ、外に増設してもいいけど、大鍋の方が足りないかなぁ。うまい方法があれば……。
さて、お菜ができれば、あとはお米。ある程度まで炊いてしまえば、後は子供たちが荷物整理している間でどうにか準備を終えられるだろう。
「よし。最後の一個」
菜箸でつまんだ肉団子を大皿に載せる。本当は甘いものも用意できればよかったけど、さすがに砂糖は闇市場での価格が高騰していて買いにくい。
畑のすみで甜菜を育ててはいるけれど、全員分のお菓子を作るほどの砂糖はさすがに無理。
でも、うちのミツバチたちが集めてくれたハチミツを利用して、いずれ何か作ろうと思う。
ほぼ戦場になりつつある厨房に恵海さんがやってきた。
「今、子供たちが到着しました。……が、このすぐには挨拶は無理そうですね」
「恵海さんっ。すみませんがちょっと遅れます。先にお寺の案内を!」
「わかりました。ですが、あと1時間後には挨拶になると思いますから、お願いします」
「りょうかーい!」
厨房は女の戦場。
それがわかっている恵海さんは、苦笑しながら下がっていった。
さて、と。ドンドン、おひつに移していかないと! まだまだ炊かなきゃいけないんだから――。
とまあ、このような感じであっという間に時間が過ぎ去っていくわけです。
炊き上がったご飯のお釜を火から下ろして、次のお釜を載せていると、恵海さんがやってきて、
「そろそろですよ」
と呼びに来た。
「あちゃ~。ここまでか」
ちょうどお釜を取り替えたところだから、中断するにはちょうど良かったかもしれないね。
「御仏使様。私は後でも大丈夫ですから、お2人で行ってらしてください」
美子さんが額の汗をぬぐいながら、そう言ってくれた。
うん。そうだね。私と安恵さんは寮母だから行かないとまずい。となれば、ここは美子さんに見てもらうしかないよね。
安恵さんと一緒に割烹着を脱ぎながら、
「美子さん、すみません。お願いします」
と言って厨房を出た。
そのまま恵海さんと一緒に子供たちの待っている本堂に向かう。
「――というわけで、今日から集団生活が始まります。
いわばこれは君たち少国民の出征でもあります。黒磯の駅では熱烈な歓迎を受けましたが、お客さんではないのです。地元の人たちと仲よく、そして、甘えすぎないように! いいですか」
「「はいっ」」
先生が訓示を行っているようだ。
恵海さんが後ろを振り向いて、「じゃあ、行きますよ」と言い、本堂に入っていった。
うわぁ。緊張する。
ドキドキして、かなり照れくさい。いざ、本堂に一歩足を踏み入れると、きれいに整列している子供たちが一斉に私を見た。
くりくりっとした頭の男の子たち。おかっぱの女の子たち。
夏場だから、シャツに短パンや7分のズボン、女の子もワンピースの子が多いけれど、中にはカーキ色の国民服を着ている子もいる。
3年生から6年生じゃ、大きい子は大人の肩口ぐらいまで、小さい子はお腹ぐらいまでの背しかなさそう。本当にまだまだ子供。
こんなにちっちゃい子供たちが、親元を離れて何ヶ月、下手をすれば数年もの間、集団生活をするのか……。
笑顔を貼り付けながら、可哀想と思っている内心を隠す。しかも、よく見たらどの子も痩せているようだ。
「みなさんの寮母さんになってくれるご婦人方です。
1人はもう知っていますね。東京から一緒だった中村さん。それとここのお寺の人で、春香さん。地元女性挺身隊から福田安恵さんの3人です。……それではご挨拶しましょう。これからお世話になります。よろしくお願いします」
その先生の言葉に続いて、子供たちが「よろしくお願いします」と声を合わせて挨拶をしてくれた。
そのまま少し説明を聞く。
どうやら班割があるらしく、その班ごとに寝泊まりをする部屋も割り振ってあるらしい。
1つの班は7~8人で、男女別。4つの班およそ30人で1つの中隊となるらしく、清玄寺には2中隊の子供が来ているとのこと。
2中隊って言ってるけど、ようは2クラス分ってことだ。
授業は毎日午前に4時限。その日によって清玄寺の本堂でやったり、分校の校舎を借りるらしい。
先生の話を聞いている子供たちを見ていると、まだ緊張と不安と、そして寂しさが同居しているような表情をしている。
きっと東京では、戦争の状況をある程度肌で感じていたと思う。
軍事教練を取り入れている学校も、空き地を次々に畑にしているだろう街の様子も、そして防空訓練をしている隣組も……。この子たちが見るもの聞くもの、すべてが戦争に関わるものだったはずだ。
そういう空気のない、ここ松守村では健やかに、そして笑顔で過ごしてもらえるだろうと思っていた。けれど、親が恋しい気持ちの方が大きいんだろうな……。
どうにもできないことだけど、せめて少しでも安らかに暮らして欲しい。子供たちの顔を見ていて、私はそう思った。