61.昭和20年6月 畑泥棒

2019年4月25日

 子供たちのお昼が終わり、今、私たちは厨房でおひつや食器を手分けして洗っているところだ。
隣では、新たに見習い寮母となった香代子ちゃんが、食器をガシャガシャと洗ってくれていて、その洗い終わった食器は、安恵さんが軽く拭いてから棚へとしまい込んでいく。
 下の方の棚に食器をしまった安恵さんが、腰を伸ばしている。あれあれ……。まだ20歳前だと言うのにね。

「香代子ちゃんが手伝ってくれて助かるなぁ」
 そういう安恵さんに、香代子ちゃんが、
「なんにもできないですけど」
と言う。まあ、まだ12歳。平成の日本でいえば中学校1年生だからねぇ。それでも随分と大人びてきたとは思うよ。


 先月の夜這いから再び蔵で暮らすことにしたわけだけれど、最初の頃は、恵海さんと美子さんから何度も理由を尋ねられた。さすがに夜這いがあったなんて話すわけにもいかない。おそらく激怒するだけじゃすまないと思うから。
 なので、当たり障りのないような理由を言ってある。

「あそこは私が夏樹と暮らしていた場所だから、あそこの方が落ち着くんですよ。なんていうか、私がいるべき場所はここだって感じるのが、この蔵だから……」

 どうやら2人ともこの理由に納得したようで、それからは尋ねられることはなくなった。

 肝心の先生の方は、あの夜這いの翌日こそ挙動不審気味で様子がおかしかったけれど、私の方から、意識をして以前と同じように接しているうちに普段通りに戻ったようだ。
 安恵さんは意外と鋭くって、先生に何かがあったと感じていたようだけれど、何があったのかまではわからなかったようだ。

 日々、色んな出来事は起きるけれど、それでも時は流れていく。暦はもう6月になっていた。

 東京で別れた大森鈴子ちゃんから手紙が届いた。
 生き残りの子がいたのかなと思いつつ、すぐに目を通したけれど、書かれていたのは東京を離れることになったということだった。
 やはり、もう……。生き残りはいないのかな。他の子もみな死んでしまったのだろうか。
 残念だとは思う。でもどうやら、あれから3ヶ月が経ち、私も少しは冷静に受け止められているようだった。

 鈴子ちゃんの手紙によると、東京は4月にも5月にも大きな空襲を受けたらしい。
 首都である東京がそんな状態で、なぜまだ戦争を続けられるのだろうか。あの焦土しょうどの光景を見た今なら、尚のことそう思ってしまう。
 もっとも私の記憶のとおりならば、沖縄を占領され、2発の原子爆弾を落とされるまで戦争は止まらない。このまま歴史通りになるだろう。

 それはともかく、鈴子ちゃんは新しい住所を書いてくれてあったので、今度お返事を出しておこうと思う。香代子ちゃんの手紙も同封するといいかもしれない。

 ようやく片付けが終わり、3人で少し休憩をしていると、突然、廊下の奥で電話が鳴り響いた。
 さっと美子よしこさんが電話に出たようだ。漏れ聞こえる声から、どうやら相手は駐在さんらしい。

「――え? 畑泥棒?」

 美子さんのそんな言葉が聞こえてきて、一瞬なんのことかわからなかった。

 畑泥棒って、あの畑泥棒だよね。野菜とかを勝手に採っちゃう……。
 まさか子供たちが? 

 思わず安恵さんを見ると、彼女も顔をこわばらせていた。

 立ち上がりかけた私の耳に、美子さんの言葉が入ってきた。
「ああ、ここの子じゃないんですか。それを先に言ってくださいよ」

 なんだ……。よかった。
 胸をなで下ろして再び腰をかけ、電話が終わるのを待つ。

「はあ、そうですか」
 けれど浮かない様子の美子さんの声が気にかかる。やがて「あのう、御仏使さま」と私を呼ぶ声が聞こえてきた。

 ちょっと行ってくると2人に言って厨房を後にして、隣の部屋にある電話の所ヘ行くと、美子さんが話の内容を教えてくれた。

 なんでも、泥棒は9歳の少年と4歳の女の子だったそうだ。ほかの村から流れてきたらしく、村人の畑だけでなく私の所の畑でも盗んだと話しているという。
 どこの村からか、どこの家の子なのかは教えてくれないらしい。ともかく、畑の持ち主に謝らせようと思って、駐在さんが電話をしてきたとのこと。

 9歳と4歳か。

 2人きりで生きていくのは大変なことだ。
 ただそれでも、いつの時代にも、生きるために人の物を盗んでは生を繋いでいた子供たちがいる。そんな子供を見てきた私にはわかる。
 畑泥棒は悪いこと。そんなの決まっているけれど、これは善悪の問題じゃなくて生きるか死ぬかの問題なんだ。食べなきゃ死んでしまう。生きていくには盗むしかなかったのだろう。

「私が行きますよ」

 半ばまた引き取ることになるような予感を覚えつつ、私はそう言っていた。

 駐在所は村の入り口に近いところにあり、ほとんど村を突っ切っていかないといけない。もっとも別に急ぐ必要もないからと、徒歩で向かうことにした。

 つばめの飛びう畑の上には、黒々とした雨雲が空に広がっている。天気予報がなくなって久しいけれど、もう梅雨に入っているのだろう。

 役場の前を通過して、さらに10分ほど歩くと駐在所が見えてくる。
 出入り口には3人ほどの村人の姿が見えた。どの男の人も50代過ぎのようだ。

「清玄寺です」
と挨拶をすると、男の人たちが「ああ、どうも」と道を譲ってくれた。
 中に入ると、駐在さんの前にいる男の子と女の子の姿が目に入ってきた。
 男の子は体中を殴られたようで、顔はれ上がりアザになっている。きっと捕まったときに散々さんざんにやられたんだろう。

「ああ、どうも」
 せまい村だけに駐在さんも顔見知りだ。
「ほら。謝らんかっ」

 男の子に怒鳴どなると、男の子は涙を流しながら土下座をした。女の子はうつむいて呆然としているようだ。
「もうしませんっ。すみませんでした。許してください」

「いいかっ、お前たちが盗んだ畑はな。村のもんの畑だけじゃない。東京から疎開している学童の畑からも盗んだんだよ」

 怒鳴どなる駐在さん。男の子はただひたすらに「もうしません。許してください」と言い続けている。

 あの服も、もうずっと替えていないんだろう。身体もやせ細って……。

 そうなんじゃないかって予想はしていたけれど、2人の姿を目の前にすると胸が痛む。
「駐在さん。少し話をさせて下さい」
「ああ、どうぞ」

 男の子の前にひざをつき、その頭をそっとでる。あかでベトついた髪の毛。シラミもいるのは当然か。

「顔を上げて」
 そう声をかけるが、男の子は震えるだけで顔を上げようとしない。

 見かねた駐在さんが再び怒鳴ろうとしたので、手でそれを止め、優しく言葉をかけた。
「怒らないから、顔を上げなさい」

 ようやくゆっくり顔を上げた男の子を正面から見る。垢まみれ、泥まみれ、殴られ、踏みにじられた跡の残る、痛ましいその顔。
 果たして、本当にこの子たちが悪いんだろうか。ただ必死に生きようとしているだけなのに。

「そっちは妹さん?」
「はい」
「そう。……どこから来たのかは言えない?」
「はい」
「2度と戻りたくないから?」
「……はい」
「お父さんとお母さんは?」
「死にました」
「そう。……どうして亡くなったのかは教えてくれる?」
「父は戦争で、母は病気で死にました」
「それで家族は妹さんだけ?」
「はい」

「将兵の遺族には恩給が出るのは知ってる?」
「いいえ」
「そう……。誰も教えてくれなかったのか、あなたの親族にだけ説明があったんだと思う」
 もっとも年金は将校でないと出ないけれどね。

 その少年は悔しそうにギリッと唇をかみしめた。

「あなたに恩給が届くようにするには、その親族にも連絡をしないといけない。お名前も、お父さんが陸軍だったか海軍だったかも……」
「いりません!」

 強い口調で断る男の子に、駐在さんが、
「馬鹿がっ。子供が2人で生きていけるわけがないだろう! 悪いことはいわん。お前たちが一緒に暮らしていた家に戻れ」
と言う。
 うん。それが普通の考えだと思う。大人としては、だけど。

 貝のように堅く口を閉ざしている少年を見て、
「じゃあ、私の所にいらっしゃい。お寺だけど、妹さんも一緒に。いつか話してもいいと思えるまで、うちで暮らしなさい」

 思わぬ申し出だったのだろう。少年は腫れた瞼の隙間から、私をじっと見ていた。

 一方で、ぽかんと口を開けた駐在さんが、
「な、なにを。清玄寺で面倒をみるんですか?」
「ええ。もうすでに学童もいるし、4人の孤児もいる。もう2人くらい増えても変わりはありませんよ」
「しかしですな」

 言いよどむ駐在さんだったが、そこへ援軍がやって来た。
「いいんじゃないですかな。本人たちがそれでいいんなら」

 そう言いながら中に入ってきたのは、村長さんだった。

「村長。しかし……」
「清玄寺なら大丈夫でしょう。もし捜索願そうさくねがいが出たときには、その時に初めて連絡すればいい。……このまま元の家に帰しても、また脱走しますよ。この様子じゃ」
「それはそうでしょうが。むぅ」

 私は兄妹に向き直った。
「それでどうする? うちに来る?」
 2人はコクンとうなずいた。それを見て村長さんはうなずき、駐在さんも「仕方がない」とようやく納得してくれた。

 お兄ちゃんは石川泰介たいすけくん、妹は景子ちゃんというらしい。手続きはこちらでやっておきますという村長さんに後はお任せをして、私は2人を連れて戻ることにした。

 外にいる村人に、改めて兄妹と一緒に頭を下げ、今度から清玄寺で面倒を見るから、何かあれば遠慮なく清玄寺に言ってほしいと伝える。
 どうやら男の人たちは外から中の様子を見ていたようで、その場はそれで済んだ。後日、また謝罪に行った方がいいだろう。

 宮田香代子ちゃんに、石田和則くんと優子ちゃん、そして菜々子ちゃんに、石川泰介くんと景子ちゃんと、これで6人となる。さすがに増えてきたか。
 夏樹が帰ってきたらなんて言おうか。それが心配だけれど……、まあ、何とかなるでしょ。



 清玄寺に戻ると、子供たちが遠巻きに見ていた。すぐに先生が解散させていたけれど、明日からみんなと上手くやっていけるかなぁ。

 でも、まずは2人をお風呂に入れよう。
「ね。香代子ちゃん。悪いんだけれど、美子さんのところから打ち身用の塗り薬をもらってきて。あと同じくらいの背丈せたけの子から、服を一着ずつ借りてきてくれないかな」
「はい。わかりました」
「よろしくね。私は2人をお風呂に入れてくるから」

 そのまま清玄寺のお風呂場に行き、脱衣所で服を脱がさずに、そのまま風呂場へと連れて行く。浴槽に水を入れ、窓から手を延ばして外に積んであるまきを手に取った。
 鉄砲風呂の火をくべるところに薪を入れ、すぐ火を点ける。

「さ、服を脱いで」
と振り返るも、男の子はなかなか脱ごうとしない。

 しょうがないなぁ。まずは景子ちゃんから……。

 ボタンを外して脱がせ、その身体を見た途端にハッと息を飲む。もう幾日いくにち食べていなかったのだろうか。
 あばらが浮き出ていて、お腹がふくらんできている。栄養失調の危険な徴候ちょうこうだ。体を動かすのも億劫おっくうだったろうに……。

「春香先生、ここに置いておきます」
 ちょうど脱衣所の方から香代子ちゃんの声が聞こえてきた。替えの衣類を持って来てくれたんだろう。

「香代子ちゃん、お願いがあるんだけれど。美子さんか安恵さんに、この子たち、ずっと食べてなかったみたいだから、薄いスープを作っておくように言っておいてくれる?」
「あ、はい。わかりました」
「お願い」

 さてとお兄ちゃんの方は……。じっと見ていると、ようやく観念したのか一枚ずつ服を脱ぎだした。
 2人とも脱いだ服にはシラミが動き回っている。これはこのままお風呂場で煮沸しゃふつするしかないだろう。
 それよりもあらわになった上半身もひどい。あばらが浮き出ているのは一緒だけれど、殴られた跡が痛々しく残っていた。

 私がじっと見つめているのに気がついているのだろう。お兄ちゃんはさっと顔をらした。
 こんな身体で小さい景子ちゃんと……。そう思うと、胸が苦しくなる。

 いったいこの2人に何があったのだろう。
 まるで野良猫のように、傷つき、身体を寄せ合い、さまよい歩くようにこの村に辿りついたであろう幼い兄弟。
 ご両親が亡くなり、親戚はよくわからないけれど、もうこの世界に2人きりのつもりでいるんじゃないだろうか。

「頑張ったね」

 気がつくと、そうつぶやいていた。

「よく頑張ったね。……でも、あなたたちは2人だけじゃないんだよ。私もあなたたちの中に入れてちょうだい」

 するとお兄ちゃんのれ上がった目から、ポロポロと涙があふれ出した。「うっ、うっ」と嗚咽おえつを漏らす泰介くん。私は2人をそのまま抱きしめた。
「頑張った。よく頑張ったよ。ここに居ていいんだからね」

 この子たちには居場所が必要だ。親代わりになる大人も。恐らく親戚の家ではその余裕が無かったのだろう。
 誰が悪いでもない。どこの家もまず自分たちの暮らしが第一なんだから。

 少し泣きそうになりながらも、私は二人の身体を洗い、湯船に入れてあげたのだった。