04.B.C.E.614 王女が見た夢

2020年12月14日

 ベッドの中で目が覚めると、顔のすぐ前に眠り込んでいる夏樹がいた。
 時間は、いつも起きる頃よりも少し早いくらいだろうか。薄手の布団の中に籠もっている夏樹の匂いに包まれながら、ぼんやりした頭のままで目の前の顔を見つめていた。

 私たちが商人として活動しているのは、一人前の大人の男性ならばヒゲを生やしている地域だ。そのせいもあって、今は夏樹もアゴヒゲがある。
 もっともフサフサというわけでもない。ナイフで余分な箇所を剃ったりして形を整えているようで、どちらかといえばせいかんな俳優さんみたいだ。
 お陰でキスをされると少しくすぐったかったりして。……特に身体へのキスは、ね。

 そっと指先で夏樹のヒゲを触る。髪よりも硬めの短い毛。初め見たときは新鮮だったけれど、今ではこのおヒゲの顔も見慣れてきた。

 なんとなく目を覚ましそうな気がした時、ふといたずらを思いついた。えいっと腕を夏樹の頭に回して上から唇を重ねる。
 ビクリとした夏樹がパッと目を開けるのを無視して、ぎゅうぅぅと抱きしめながら組み敷くと、すぐに背中に夏樹の腕が回されてきて、お返しとばかりに強く抱きしめられた。

 ぷはっと唇を離して、組み敷いている夏樹の瞳をのぞき込むように「おはよう」と言うと、今度は夏樹の方からキスをされて、あっという間にグルリと上下が入れ替わる。

 さっきとは逆で、今度は組み敷かれている私。
 上から夏樹が、
「おはよう」
と言うので、わざと挑発的に言った。
「ふふふ。目が覚めた?」
「こいつめ!」

 途端に再びキスをしてくる夏樹に、笑いながら私も応じる。いちゃいちゃなキスを何度か繰り返してから、私たちはベッドからおりた。

 ん~。今日も気分が良い。

 伸びをしながら井戸のある方へ。裏庭の扉の隙間からは太陽の光が差し込んでいて、すぐそばの倉庫がぼんやりと照らし出されていた。エクバタナに住みはじめてから既に2年が過ぎている。
 棚に整然と並んでいる生成りの土器を横目に、扉を開けて光の中へ。そのまま井戸へと近寄って、くみ上げた水で顔を洗った。
 朝方特有の新鮮な空気を胸一杯に吸い込んで、今度は台所へ。今日は王宮に行く予定なので、ささっと食事を済ませよう。

 朝食後、ゆったりとした服に着替えていつものようにフードをかぶる。こうしている間にも、夏樹がロバの背中に荷物を載せて固定をしているはずだ。
「お~い。そろそろ行くぞ」
と外から声が聞こえてくる。
 は~いと返事をしながら忘れ物の確認をして、手早く戸締まりをして表に向かった。

 青い空を見上げる。朝だというのに強い日射し。
 気温が上がると同時に乾季に入ったらしく、今ではまったく雨が降らなくなっていた。
 2人並んで朝のエクバタナを歩く。街の中心部が近づくにつれ、人通りが多くなっていった。

 今日は、いくつか作った焼き物をアミュティス王女に納品する予定にしている。

 持って行く品は、王女が個人的に使用することを念頭に、皿や酒器、茶器などの食器類と、花器など。お皿にはフルーツの絵を描いて鮮やかにしてある。
 但し、マイセンやウエッジウッド、ジノリなどで使われていたような綺麗な絵柄や、青海波などの繊細な絵柄は、夏樹がダメだと言うこともあって素朴な絵柄となっていた。

 夏樹の懸念は当然で、万が一にも後代に土器として後に出土してしまうと困るし、デザインなどがこの時代の他の美術品などに影響を与えてしまうのもマズい。
 やっていいのは、この時代の人でも考えつきそうなところまで。それが私たちの限界といえる。

 王宮に入ったところでロバから荷を下ろすと、使用人の男性が私たちの荷物を運んでくれた。もう何度も王女とお茶もしているので、ある程度の場所はわかっているけれど、ここは大人しく女官の案内にしたがってついていく。

 どうやらアミュティス王女は、王宮の庭園にいるらしい。
 ここメディア王国では庭園文化が発達していて、幾つもの井戸を掘って、その井戸を地中で連結して水の流れを作り、それを上手に庭園に引き込んで、水の流れる美しい庭園を造り出している。

 建物内から庭園に出て木々の間を通り抜けていくと、もう少し先の方に、椅子に腰掛けて休憩している王女がいた。
 そばにはお付きの侍女のラウラさんが、そして正面には王女よりも少し年上の男性の姿がある。……ってあれ王女のお兄さんじゃないの。

「なんだ? お前が雇っている職人か」
「ええそう。前に見せたランプ台とお皿を作った人たちよ」
「ああ、あのランプ台はいい形をしていたな」

おおっと、縄文土器が意外と高評価。――しかし残念。夏樹は何のことかわかっていない。
 怪訝そうな表情をしているけど、それもそうだろう。ランプ台として使用しているなんて、夏樹には告げていないようだから。
 そこで夏樹の後ろから「あの火焔型土器のこと」とこっそりと教えると、ええ~っと言いたげな顔をした。

 正直、最初にランプ台として使っていると聞いた時、王女様のセンスはなかなかだと思った。
 まさか土器の口の所に油皿をはめ込むとは、よく考えたものだ。小柄なサイズだったということもあるのだろうけど、たしかに似合っていると思う。火焔型というくらいだし。

「ふむ……。キャアサクレスウマキシュタル王の息子アステュアゲスである」

 実は王女の兄上とはきちんと話したことがないんだよね。

「土器職人の夏樹でございます。こちらは妻の春香でございます」
「俺よりも少し年下くらいか。たしか交易商人でもあったと聞いているが……」
「はい。夫婦だけの小さな商隊ですけれども、ダマスカスアラムを中心に活動しておりました」
「また難しい土地だな。あそこは」

 ダマスカスは大きな交易都市であったけれど、中東一帯はアッシリアとエジプトが互いに干渉し合う紛争地帯でもある。そういう意味では確かに難しい土地といえるだろう。

 せっかくだからとアステュアゲスさんのいる前で、王女が私たちの荷物を広げるよう指示をしたので、使用人から自分たちの荷物を受け取ってその場で開くことに。
 むしろを敷いて土器を1つずつ並べていくと、さっそく王女がその1つを手に取った。

 それはいわゆるアロマポットだった。
 下の香炉部分には林や熊などの動物をレリーフにしていて、上には中深皿に鳥やお花をイメージした図柄を付けている。
 この時代にアロマオイルは無いけれども、乳香フランキンセンスや香木などを焚いて楽しむから、女性らしいデザインのものを考えてみたとというわけだ。

「へぇ。これはまた可愛いレリーフね」
「これは私が整形したものに妻が装飾を加えたもので、メディア王国の山々をイメージしてみました」
「……なんだか、これを見ていたらまた外に行きたくなってきたわ」
 そういって微笑む王女に、お兄さんはあきれ顔で、
「お前な、この前もそんなことを言って馬に乗って飛び出していっただろう。行くなとは言わないが、もう少し我慢した方がいいんじゃないか」

 王女らしいけれど、それがストレス解消にもなっているんでしょう。

「私は森が好きなのよ」

 そう言って、さらにいくつかの土器を見ては幾らかの質問を受け、しばらくしてからアステュアゲスさんは父王に呼ばれ、宮殿の中へと入っていった。

「……お父さまはね。これから出征なの」
 出征ってことは戦争に行くってことだ。見ると王女の横顔は少し寂しげに見えるような気がしなくもない。
「アッシリアですね?」という夏樹。
「ええ。その通りよ」
「お見送りはよろしいのですか?」
「大丈夫。例年のことだから。今回もそこまで無理して攻め入ったりはしないはずよ」

 ふうん。偵察戦のようなものかな。それならそこまで心配することでもないのだろうか。もともとメディア王国は、長年、アッシリアの侵攻を防いできた国でもある。きっと軍も強いんだと思う。

 気を取り直すように、王女はぱっぱと膝の上のほこりを払った。
「さてお兄さまもいなくなったことだし、今日はバビロンの話をしてもらおうかな」
「バビロンですか? あそこは今、戦乱の中にあって――」
と言いかけた夏樹だったが、
「ああ、そういう政治がらみの話じゃないの。どんな所なのかを知りたいだけなんだ」
「わかりました」

 バビロンがあるメソポタミア中南部は、2つの川を中心に発達した土地である。平野部に大きな川が流れ、あちこちに用水路が形成されている。周辺にはナツメヤシや麦の畑が広がり、多くの人たちが働いている。
 歴史あるバビロンには、都市神であるマルドゥークを祀る神殿と王の住む宮殿とがあり、多くの職人と交易商人たちが行き交い、大変にぎやかなところだ。

「活気があって良い街だと思います」
「周囲にはどんな森があるのかしら? 鳥とか獣はどんなものがいるの?」
「も、森ですか? あるにはありますが……、エクバタナ周辺とは気候が随分違いますよ」
「そう? 平地の森にも興味があるわねぇ」
「鹿やうさぎは同じようにいます。ああ、川や海があるので魚が捕れますよ。貝なんかも」
「あそこは大きな川があるって聞いたけれど、どれくらい大きいのかしら」
「そうですね。ここから見えるとすると、あの辺りからあの辺りくらいまで川幅があるでしょうか」
「すごいわね! ここにも川や泉があるけれど、そんなに大きい川なんて想像もできない」
「想像もできないといえば、私たちも冬期に滞在したことがないのですが、雪は降らないかもしれません」

 夏樹の説明を満足げな表情で聞いている王女。自由に出歩けない身分だからこそ、未知の世界に好奇心が抑えきれないみたいだ。

「ねえ。ハルカ。あなたからもバビロンについて聞きたいわ」
「そうですね。一番見応えがあるのはお祭でしょうか」
「お祭?」
「ええ。各都市にある神像が船で運ばれて、バビロンに集まるんです。圧巻ですよ」
「へぇ。神像が……」
「とは言っても、私も一度しか見たことがないんですけどね」

 お神輿みこしともまた違うんだけれど、雰囲気はよく似ていると思う。

 私たちの話を楽しそうに聞いている王女に、
「それにしても、急にバビロンだなんて何か訳ありですか?」
と尋ねると、苦笑を浮かべ、はぐらかすように、
「あなたたちって交易商人だからか、他の人とはちょっと違う目線で物事を見ているよね」
と言う。

 違う目線、か。それはまあ神の端くれですし、私なんかは心許こころもとないけど、夏樹が歴史に詳しいからでしょう。どっちかというと、私よりも王女の方が鋭いように思う。

「そういう意味では、あなたたちをお抱えにしたのは正解だと思ってる。時には第三者の自由な立場にいる人の方が、よく見えていることがあるから」
 そんな王女の評価に、夏樹が頭を下げた。
「過大な評価ですが、ありがとうございます」

「ふふふ。さっきの質問だけれど……、そう、夢に見たので占ってもらったとだけ答えておこうかな」

 へぇ。珍しい。まさか王女が夢占いをするなんて。
 昔読んだことがある。夢っていうのは、寝ている間に脳が記憶を整理しているなかで見るものだって。
 ……ん~。そういえば私は気にしたことがなかったけど、高校の友達とかよく自分の夢を占っていたっけ。私も血液型とか星占いは気にしてたかな。

「なるほど……。夢で」
と夏樹が言うと、王女はくすりと笑って、
「今のでわかってしまうところが凄いわね」

 そんなやり取りをしている王女と夏樹だったけど、ちょっと何のことか私にはわからない。王女が夢占いをしてたってだけだよね。
 あ、わかった。バビロンに行くっていう夢を見たってことでしょう。でもそれは夢の話に過ぎないわけだし……。

「春香。夢で見る事実ってのがあるんだよ」
「夢で見る事実?」
「ああ。聞いたことがあるだろ? 夢のお告げって」
「あるけど、そんなのが本当にあるの?」
「俺たちには習慣がないから実感がわかないけれど、夢ってのは、この世ならざる者と接触できる場でもあるのさ」
「この世ならざる者……」
「天使とか悪魔とか、そういう個性のある存在が出てこない場合が多いけど。一種の異界のようなものだから」
「ふうん」

 平成の日本で暮らしていた頃だったら、きっとそれは思い込みだよと答えていただろう。けれど、今では自分たちが超常の存在なわけで……。安易に否定はできない。
 それに今は紀元前の世界。
 人と神とが近い社会だから、夢というのも私が考える以上に重視されているのだろう。そう思えば、王女が気にするのも理解できる。

 なごやかな時間を過ごして王宮を辞した私たち。この時の私はまだ知らなかった。王女の夢が現実となり、エクバタナの生活が数年で終わってしまうことを。