06.夫婦となることの意味

2020年12月14日

 家の中に戻って扉の掛け金を下ろす。
 振り返るとちょうど夏樹がぐぐぅと伸びをしたところだった。夕食の時に少しワインを飲んだこともあって、その後の話を聞いたせいで急に気疲れしたのだろう。

「思いがけないことになったね」
と声を掛けると、振り返った夏樹が苦笑していた。「そうだな。まさか、ここまで王女さまに気に入られているとは思いもしなかったよ」

 食器を洗うのは後回しにして、先に話し合わないと……。そう思って椅子に座ろうとしたところで、夏樹が、
「ああ、春香。どうせだからお風呂にしよう」
「え? 先に話し合うんじゃ……」
「風呂でもできる」
「それはそうだけど」
「なんだか急にどっと疲れが出ちゃってさ」

 あ~、それはわかっていたからなぁ。それなら仕方ないね。

「わかった」と言うと、夏樹はさっそく、
「じゃあ、先に風呂の準備してくる」
と言いながら奥に向かって歩いて行った。

「了解。着替えを持ってくね」
「おう。頼んだ」

 鼻歌をうたいながらお風呂場へ向かう夏樹。やっぱり少し酔っているみたいで、機嫌が良さそう。
 楽しげな夏樹の顔を思い出しては、くすりと小さく笑って私は寝室に向かった。ここには着替えを入れたタンスを置いている。引き出しを開けて着替えを取り出し、それから浴室に行くと既に陶器の浴槽にお湯が張られていた。

 白い滑らかな陶器の浴槽は、夏樹が神力の物質創造で作り上げたものだ。当然のことながら、この時代にはそぐわないけれど、どうせ私たちしか浴室に来ないから問題はない。

 同じように、本来ならば井戸から水を汲んで熱した石を沈めて温水にするんだけれど、どうせ誰も見てないからとお風呂に関しては神力でお湯を張っていた。あふれたお湯は壁際の排水溝を通って裏庭へと流れ出ていくようになっている。

「じゃ、入ろうぜ」
 そう言いながら、帯をゆるめはじめる夏樹。私もすぐに着替えをサイドチェスト整理棚に置いて、並んで服をぬぎはじめた。
 顔に垂らした布を外し、髪を隠していたフードを外すと一気に頭が軽くなる。ふぅと息を吐いて、腰紐をほどいているうちに夏樹の方が先に脱ぎ終えていた。

 ほどよく引き締まっている夏樹の身体からだ。子どものころから泊まりっことかしてて、布団を並べて寝たこともあったけど、私は、この夏樹の匂いが好きだった。まるで夏樹のぬくもりに包み込まれているように感じられるから。
 しかも今は精悍なヒゲがあるのでセクシーだ。

「春香はどう思う?」
 夏樹の問いかけは勿論、王女からの依頼のことだろう。

「私はやってみたいな」

 脱ぎ終わった服を洗濯物用のカゴに入れ、夏樹の方に向き直る。
「夏樹はどうなの?」

「エクバタナに来るまで、俺たちは目的もなく彷徨うように移動していた。……あちこち行けたけれど、ずっとそうやって生きつづけるのは寂しいことだとも思うんだ。
 だから。春香がそうしたいと思うのなら、俺は王女の依頼を引き受けたいと思う」

 夏樹……。そう、そうだよね。
 旅をするのはいい。
 でも、人っていうのはどこか一つ所に、しっかりと根を張って暮らすのが、幸せなんじゃないかな。
 もちろん季節によって住む場所を変える遊牧民もいるけれど、それでも大体が決まった場所を順番にめぐっているんじゃないだろうか。それに、家族だけではなく部族単位で行動をしているはずで……、それならば、それは根を張っていることと同義だと思う。

 けれども私たちは2人だ。人とは違う時を生きている。永遠の時を歩き続けるのならば、時には立ち止まって休むことも必要なんだと思う。

「ねぇ」
「うん?」
「夏樹っていつもさ。私が欲しいって思う言葉をくれるよね」
「それはお互いにだ。俺だって春香の言葉に救われているし、なんていうか……」
「なんていうか?」

 急に照れたように口ごもる夏樹に、つづきをうながす。

 ああ、今、私は自分の心の素の部分をさらけ出していると思う。夏樹が何を言おうと、きっと私は夏樹のすべてを受け止めるだろう。
 それにね。この後の夏樹の言葉が、私にはもうわかっている。

「俺は、どこまでいっても、春香のことが好きなんだ。好きで好きでたまらないのさ」

 好き、だけじゃない。愛してくれているのもわかっている。でもその温かな愛情に加えて更に、好きって言いたくなる気持ち。
 大丈夫。私も同じだから、ちゃんと言いたいことがわかっているよ。

「私ね。今も幸せだよ。ずっと幸せなんだ。――だってさ。こんなにも夏樹のことが好きなんだもの」

 そう言って裸のままで夏樹に抱きついた。
 ちょっと私より高い背。頭に手を延ばして引き寄せて、ただ一心に唇を重ねる。私の胸のなかの思いを、まっすぐに唇に載せて夏樹に注ぎ込むように。

 背中に夏樹の手が回されてきて、ぎゅっと抱きしめられると、夏樹の匂いに包まれる。私の思いも身体も、すべてを夏樹が受け止めてくれる。喜びを、幸せを与えてくれる。
 大きな手で髪を梳くように頭を撫でられ、ようやく唇を離した時、夏樹が小さく呟いた。
「春香だって、俺が欲しいって思う言葉をくれるじゃん……」

 本当にささやくような小さな声だったけれど、私にはちゃんと聞こえた。
 夏樹の鼻先で「んふふふ」と微笑み、腕の中から抜け出て一足先に浴槽に向かう。すぐにこちらに来られないでいる夏樹の方へと振り向いて、
「今日の夜は、ゆっくりと抱いてもらうのを所望します」
 激しくもなく、情熱的でもなく、ただゆっくりと繋がっていたい。そんな気分。

「了解。……俺は先に身体を洗うよ」
「その状態じゃ仕方ないよね」
「言うなっつうの」

 苦笑して、少し前屈みになりながら浴槽に近づいてくる夏樹でした。

◇◇◇◇
 お願いしたとおり、どちらが果てるまでというわけではなく、ただ満ち足りるまで夏樹の腕の中にあった私は、いつしか眠りに落ちていた。

 夫婦となるということ。それは相手にとって、他の人とは同じではない特別な人となることだと思う。
 幼い頃から好きだった夏樹と、夫婦となって一緒にいられること。今のこの時も、特別な夢のような時間は続いている。

 アミュティス王女の場合は、幼なじみであった私たちとは違う。夏樹の両親もよく知っている。向こうも私の両親をよく知っている。そんな関係の中で、夏樹の家に嫁ぐことに何の不安も私は無かった。

 しかし王女は……。名前だけは聞いたことがあるかもしれない。けれど、会ったこともない人の特別にならなければいけないのだ。
 そんな彼女は今なにを思うのだろう。見知らぬ土地、見知らぬ国、見知らぬ家族に飛び込んでいくこと。……ひとりで戦場に向かう心境だろうか、それとも冒険にいく心境だろうか。

 どんなに強い人でも、ひとりでは心が挫けることもある。そんなときに必要なのは、それをサポートしてくれる友人だ。
 〝歳が近くて気軽に話せる〟って言われて少しうれしかった。彼女にとっての友人となれていることがうれしかった。

 もちろん、私たちは人ならざる身。いつかは彼女のもとから離れなければならない。それでも、嫁ぎ先で人脈ができるまでの間だけでも、彼女のそばで不安でも愚痴でも聞いてあげたいんだ。

 ――ふと目が覚めた時、まだまだ部屋は真っ暗だった。
 静寂。真夜中の時間帯。夏樹の吐息が顔にかかる。
 そっと身体を起こして夏樹のひたいにキスをする。ぐっすり眠っているその顔が愛おしくなって、そっと微笑み、私はベッドから抜け出た。

 何となく台所ではなくって、奥の作業部屋へと向かう。壁際に並んでいる棚には、乾燥させている途中の土器がいくつか並んでいた。
 裏庭側にあいた明かり取りの窓を開けると、月の光が射し込んできた。その光の中に埃がただよっている。外は静かだ。

 粘土を捏ねてろくろにセットし、その前に座った。台を回して手を水で濡らし、そっと粘土に手をのばす。ぬるるると擬音がしそうな感触。少しずつ形が変わっていく粘土。
 特にこれを造ろうというものは無いので、シンプルな壺に仕上げようと思う。
 塊から上へと伸ばし形を整える。その作業中に夏樹が起きてきた。
「なんだ起きちゃったのか?」
 そんなことを言いながら、私の後ろに座る夏樹。
「うん。なんとなく……」と言いながら、振り返って挨拶のようなキスをかわす。

 再び正面のろくろに向かい合って、今度は口の部分をへこませた。ここからは、少しでも油断して指先がぶれると途端にクシャッと崩れてしまうから注意が必要だ。

 内側を整形しようと右肘を高く上げ、息を潜めて真上から手をつるすようにしていると、急に脇が後ろからくすぐられた。
 思わずピクリと体が跳ねて、あっと思った瞬間に整形していた粘土がヘニョっと折れ曲がってしまった。

「な~つ~きぃ」
とわざと恨みがましく言いながら後ろを見ると、夏樹はいたずらが成功した時のようにニヤニヤしていた。
「ごめんごめん。……でもさ、一度やってみたくて」
とのたまわく夏樹に、私怒ってるんですと拳を握って叩く振りをする。

 今度は、夏樹がやっている時に突っついてやると決心しつつ、ふとひらめいてどうせならアレもやってみようと思い、新しい粘土をセットした。

 すぐ後ろに座っている夏樹の腕をピシッと叩く。
「うん?」と不審げな声を上げた夏樹に、ろくろを指さしながら「ほら手を出して」と言うと、夏樹も私のやりたいことがわかったようで苦笑を浮かべた。

 夏樹が後ろにぴったりとすわって腕を、私の両脇から伸ばしてくる。後ろから抱きかかえられているような感覚。夏樹の手を粘土に誘導し、自分の手で挟みこんで一緒に粘土の成形をはじめる。
 ……そう。映画『ゴースト/ニューヨークの幻』の真似である。

 ろくろを回すデミ・ムーアの後ろから手を伸ばしたパトリック・スウェイジは、今の私たちのように手で粘土を滑らせながら、デミ・ムーアの手を愛撫する。
 深夜の静かな室内をアンチェインド・メロディの甘い歌声が流れ、思いが高まった2人は抱き合って、そのままソファで……。

 そんな官能的なシーンを真似しようとしているわけで、粘土でヌルヌルしている夏樹の手が私の手を愛撫しはじめると、妙な快感がゾクリと背中に走って思わず震えてしまった。

 あ~。これは官能的になるわ。

 そんな私の様子に気がついたようで、今度は夏樹が腕でぎゅっと私の体を抱きしめるように挟み込む。「もう~」と言いながら粘土から手を離し、後ろを振り向くと、夏樹は満面の笑みを浮かべていた。

 次の瞬間さっと抱きすくめられて、再びついばまれるようなキス。

 そっと唇を離したところで「ディトー同じく」と言うと、ぷっと小さく吹き出した夏樹が「愛してる」と耳元でささやくように言ってくれた。

 映画の有名なセリフに使用された言葉「ディトー」。映画とは順番が逆だけど、一種の符号サインとして込められた意味愛情はお互いわかってるわけで、今はこれでいい。

 のめり込みそうな気持ちを落ち着けながら、ろくろの上を見ると摩訶不思議なくしゃりと崩れた物体ができていた。
「〝愛の成れ果て?〟」
と、自分でもさすがにこのネーミングはないなぁと思いつつ、ふざけて言うと、
「せめて〝ふざけあい〟くらいでどうだ」

 どうやらネーミングセンスも私たちは同レベルのようだ。笑いを堪えつつ真面目な顔で私は言った。
「ふむふむ。いいでしょう。その名前を採用します。――というわけで、これも焼こうね」

 奇怪な物体Xが私たちの思い出の品に加わることが決定した瞬間だった。