本編

 今、私の目の前には、一双の屏風が展示してある。

 そう、国宝の『上杉本 洛中洛外図屏風』だ。

 大学の演習の時は図録を使用していて、ついぞ本物を見ることはなかった。

 国宝に認定されている以上、展示公開にはさまざまな条件があって、公開日数にも限りがある。

 幸いに、上杉美術館の秋の特別公開で原本展示をすると聞き、啓一くんと一緒に拝見にきたのだ。

 古金の美しい雲の隙間からのぞく京の街。

 一つ一つ描きこまれた人々の生活する様子。

 春の御所、夏の祇園祭、秋の嵐山、そして、冬には雪の金閣寺。

 四季折々の情景が巧みに描きこまれ、さらに細部には公方邸に向かう行列には上杉謙信らしき人物が描かれている。

 図像シンボルに込められた秘密のメッセージ。

 その一つ一つを解き明かしていくとき、きっと公方義輝の構想が浮かび上がってくることだろう。

 ゆっくりと目を閉じれば、耳には街の喧騒が聞こえてくる。

 祇園祭の楽器の音や、うれしそうな人々の声。

 闘鶏の荒々しいかけ声や、川のせせらぎの音。

 そっと啓一くんが私の手を握った。

 目を開けて顔を見上げると、啓一くんもじいっと屏風に見入っていた。

「本物の迫力はすごいな。実物だけが持つ、義輝の願いと狩野永徳の魂がここに込められているみたいだ」

「ええ。本当ね」

「この屏風が、俺と京子を結びつけたんだな。あの演習の授業。それも題材がこれじゃなかったら、俺たちは恋人同士にはなれなかったかもしれない」

「うん」

 啓一くんが私を見つめる。

「――美しい屏風に導かれた恋ってところか」

と微笑んだ。

 かつての無表情にも見えた顔とはちがい、とても温かい眼。柔らかいほほえみ。

 家族のぬくもりを取り戻した啓一くんの笑顔に、私は心が包まれているように感じる。

 そっと微笑んで、

「愛してるわ」というと、啓一くんもささやくように、

「俺も愛してる」

 人と人とが出会い、恋に落ち、そして、家庭をつくる。

 過去から連綿と続く歴史が、今の私たちに続き、そして、まだ見ぬ未来へとつながっている。

 その歴史の大きな流れの中で、私は啓一くんと出会ったのだ。

 私と啓一くんの作り出す小さな歴史の流れは、きっと幸せな未来につづいていくだろう。

 だから、この手が、ぬくもりが――、とても愛おしい。

 温かい啓一くんのぬくもりを感じながら、私は、金色の輝きをじいっと見つめ続けた。

 


本作における研究発表について、ご本人の希望によりお名前は挙げませんが、O氏よりいろいろとご助言をいただきました。ここに記して、厚く御礼申し上げます。

また最後までお読みくださった皆様に感謝申し上げます。大変、ありがとうございました。
平成28年10月
夜野うさぎ