6.テルミナ温泉(マナス王国中部州ヴェッセルハイデ地方)

 

 北の海に面したテルミナは、交易拠点として古くから栄えている都市である。

 細長く深い入り江の地形が、年中荒れている海から船を守る内海となっていて、いわば天然の良港としての条件を備えているわけだし、更に通称マール街道の北端に位置しているテルミナは、学芸都市マールへの玄関口としての機能がある。

 大きく発展するのは当然だと思う。

 大陸の北部にあるここでは、不思議と暗くなるのが遅い。その原理は解明されていなかったけれど、ある時、魔王陛下が「白夜びゃくや」と言ったらしく、その文学的表現に賛同者が現れて、今ではすっかりその呼称が普及してしまった。

 そんな白夜の地方ではあるけれど、実はこの季節に、ここでしか見られない景色がある。

 テルミナを訪れた私たちは、その景色を見るためにわざと遅くまで起きていて、夜中に港が見える公園に向かった。

 夏とはいえ気温は12度ほど。さすがに肌寒いので上から一枚羽織って、公園に併設されたオープン・レストランに入り、遅めのディナーをいただくことに。

 白夜の地方ではあっても、この季節だけは夜の時間が早くなる。周囲はすっかり暗くなってはいるが、街灯や、私たちと目的を同じくするカップルがたくさんいて、思いのほか賑やかな雰囲気。そう。公園のこの場所は有名なデートスポットになっているのだ。

 誰もがテルミナ湾の方を向いている。その理由は、きっとすぐにわかるだろう。

 人々の中にはグループもいるようだけれど、殆どが恋人たちのペアだ。同じように私もロナウドと一緒にこうして座っているわけで、見ず知らずのカップルたちとの不思議な連帯感があるような気がしてくる。

 かつてロナウドと、彼の師匠である剣聖オルドレイクと3人で旅をしていた頃は、恋人たちを見ても、またデートスポットに入り込んだ時も、特段なんの感情も持たなかった。

 きっと無意識のうちに恋愛を避けていたんだと思う。

 理不尽な婚約破棄から国外追放になった私にとって、恋愛はタブーだったのだろう。おかげでロナウドの気持ちに気がつくのも遅くなってしまったし、自分の気持ちに気がつくのもまた遅くなってしまった。

 けれど、それももう終わったことだ。

 こうして一緒にいられるということ。何気ない日常かもしれない。けれど、それが何よりも幸せで大切な時間だと思う。

 ……はい。すみません。のろけました。今ならきっと、デートスポットに一人紛れ込んでしまったら、うへぇと思うことだろう。

 ともあれ、気を取り直していこう。

 この日、注文したディナーは、サーモンのホワイトシチューだった。

 北海のサーモンは有名で、今の時期はちょっと脂の乗りが落ちるそうだけれど、十二分に美味しい。ホワイトクリームに埋もれるように入っているイモも、ホクホクしていて味も濃い。

 一緒に持って来てくれたナッツ入りのパンも味わい深く、小さくちぎったパンでシチューをすくって食べると、それがまた堪らなくおいしい。

 赤ワインのグラスをゆっくりと揺らし、その芳香を吸い込む。少し酔いがまわり、満ち足りた気持ちで向かい側のロナウドを見ると、ロナウドも実に美味しそうにシチューを口にしていた。

 良質な漁場、そして流通拠点であるテルミナは美食の街だと思う。実に素晴らしい。

 ……けれど脂肪を蓄える効果もあるようで、気をつけないと腰回りに嫌な脂肪がつきそうで怖かったりする。食事か美容か。これまた悩ましいところだ。

 やがてどこかのカップルから、始まったよとの声。いよいよ自然の美しい演舞が始まる。

 遠くの空に目をやると、澄んだ夜空の水平線に近い方から、ゆったりと緑色の光の帯が姿を現しはじめた。ゆらゆらと流れるような光の帯が、どんどん空に広がっていく。

 時には黄色や白く輝くこの現象をオーロラと言うらしい。

 オーロラの光は、やがて空を覆い尽くすほどの大きさになっていった。空一面に繰り広げられる光のショーが、テルミナ湾の水面にも映り込んで幻想的な光景になっている。

 この不思議な絶景。魔法文化を発達させている私たちではあるけれど、まだまだ自然界にはわかっていないことが多い。だからこそ、冒険のやり甲斐がある。

 世界は美しく、素晴らしい。オーロラの美しい光景を見ていて、素直にそう思った。

 ワインを片手にじっくりとその光景に見入っていると、ふと横から視線を感じた。ロナウドが穏やかな眼差しで私を見ている。私、もしかしてほうけていただろうか。

 ちょっと恥ずかしくなって微笑みを返すと、「こうしてみると、何だか絵になるな」と言われた。何のことだろうと思って聞いてみると、ロナウドの座っているところからは空と海に広がるオーロラを背景にして、私が微笑んでいる構図になっていたらしい。

 この人はまったく……。

 私に内緒で私の似姿を描かせていた前科があるから、いつかまた内緒で誰かに絵を描かせていそう。

 照れ隠しにそんなことを思いつつ、しばらく自然が見せる美しい光景を楽しんだ。

 ロマンチックな時間を過ごした後は、ロナウドの「そろそろ帰ろうか」の声で、チェックインしている宿「レント」に戻ることに。

 北風に耐えうるような石造り3階建ての宿なんだけれど、旧市街だけあって宿の前の通りは狭い。馬車が1台に、左右に人が1人ずつ通れるかどうかというくらいで、感覚的には路地裏のような道。それでもかつてはこの道幅が標準だったのだろう。

 そんな暗く狭い道ではあるけれど、オーロラを見た帰りである私は、あたかも2人で内緒の冒険をしてきたような、どこかくすぐったい気分になっていた。

 部屋に戻ったところですぐにお風呂へ。部屋に備え付けの浴室では、テルミナ温泉のお湯が引かれ、しかも掛け流しになっているのですぐに入ることができる。

 古くは、厳しい北海から帰ってきた男たちを、陸で待っていた女性たちとこの温泉が温めていたのだろう。

 冬には厳しい北風が吹くせいか、浴室の窓ガラスはぶ厚く、まるで壁に掛けられた油絵のように小さい。湯船に浸かりながら湯けむりにくもったガラスの表面を指先で拭うと、いまだに続いている光のショーが街並みの上で繰り広げられていた。

 湯温は少しぬるめなのだろうけど、外から帰ってきた私たちにとっては丁度よいくらいだ。

 無色透明であまり温泉のような感じはしないけれど、お湯に浸かると体に細かい泡がつく。不思議だ。なんでもこの温泉には、血行をよくして体を温める効果があるそうで、ぬるめのお湯でも身体が温まり、湯冷めしにくいとか。

 「おっ、なんだこれ?」と、気泡を見たロナウドが子供のような声をあげている。クスクス笑いながら、私もお湯の中に浸かっている自分の体を撫でると、表面に付いた泡がさあっと巻き上がるように離れていく。けれどしばらくすると再び新たな泡が肌にびっしりとついていく。うん。たしかに不思議なお湯でおもしろい。

 冷えた体も温まったけれど、すでに夜も遅い。早めにお風呂から出て時計を見ると、すでに深夜も深夜の時間帯。私とロナウドはすぐにベッドに入った。

 夜の小さな冒険の余韻が残っていて、なかなか寝付けなかったけれど、ロナウドの顔を見ているうちにいつしか眠ってしまっていた。

 オーロラとグルメの街。テルミナは温泉もあって、いい街だと思う。